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2008年12月 2日 (火)

「ネイションという神話」第2回 ディアスポラ(離散の民)について

前回の「ユダヤ人が、民族として存続した理由」において、

ギアリが、「ネイションという神話」で、

「ユダヤ人は、ローマ人だった」とか、
「6世紀末から7世紀にユダヤ人が民族として成立した」と、記述している
と、ご紹介しましたが、

「ちょっと違うのでは」
と、お考えになる方がおられるのではないでしょうか。

    「ユダヤ人が、民族として存続した理由」
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-b1b5.html


ユダヤ人 は、
メソポタミアから パレスティナを経由してエジプトに来て、

その後
モーゼが、エジプトより出国させ

モーセの後継者のヨシュアが、
カナンの地(パレスティナ)にユダヤ人を戻した後、

1000年以上の間、パレスティナで定住してきました。

その間に、
ユダヤ人のユダヤ教が形成され、民族の宗教となったのです。

多分、ギアリは、
この点については、当然のこととして、

ローマ時代に、
ユダヤ王国は滅亡し、

ユダヤ人は、
ローマ市民として吸収されていたのが、

西ローマが滅亡し、
東ローマがビザンツ帝国に変容したことで、

改めて
現在につながるユダヤ人、

いわゆる
ディアスポラのユダヤ人が成立した、

と、述べているのだろうと思います。

この点について
少しお話しさせていただきたいと思います。

一般に、ユダヤ戦争で、

AD70年
ティトゥスが
エルサレムを陥落させて、

ユダヤが滅亡し、ユダヤ人が追放されたのが、
亡国の民ユダヤ人のディアスポラ(離散)の始まり
と、言われていますが、

これは、
歴史によくある「もっともらしい作り話」の一つだと思います。

というのは、

第1に、
ユダヤ王国は、

AD70年の100年以上前のBC63年に、
ポンペイウスが、エルサレムを陥落させて、滅亡しているのです。

その後、
ヘロデ大王が、ユダヤ王に即位していますが、

これは
ローマが擁立した傀儡政権でした。

BC4年 ヘロデ大王没後
3人の息子が、ユダヤ王国を分割して、
太守(テトラルク Tetrarch)となりましたが、

ローマは、
3人とも ユダヤ王の称号 を 与えませんでした。

その10年後のAD6年に、

アルケラウスが、
罷免されてガリアに流罪となった後は、

エルサレムは、
ローマのユダヤ長官が統治することになりました。

その後、
カリグラの親友のアグリッパス1世が、

AD41~AD44年の3年間
ユダヤ王となりましたが、

息子のアグリッパス2世は、
エルサレムの統治を認められず、
それ以外の地方の王 として 統治していました。

AD66年に
ユダヤ戦争が勃発していますが、

これは
ローマのユダヤ長官 フロールス が、
無神経にも
エルサレム大神殿の17タレント の 金貨を 没収したことが
発端で生じた、エルサレムのユダヤ人の反乱です。

ユダヤ人は、
なかなか強力で 

エルサレムを攻めた
ローマのシリア総督 ケスティウスに勝利しました。

ローマは、
ヴェスパシアヌス に ユダヤの反乱に対処させましたが、

ネロが暗殺され、
その後の混乱を経て
ヴェスパシアヌスが、皇帝に即位したので、

ユダヤ戦争は、
ヴェスパシアヌスの息子 ティトゥスが

AD70年に
エルサレム を 鎮圧したのでした。

ヴェスパシアヌスのローマ軍には、
先ほど述べたアグリッパ2世が、参加しています。

ユダヤ戦争で、
ユダヤ王国が滅亡したというなら、

ユダヤ王が、
ユダヤ王国を滅亡させたと いうことになるのです。


第2に、

ローマは反乱鎮圧後、
ユダヤ教徒のユダヤ人をエルサレムから追放しましたが、

ユダヤ教徒以外のユダヤ人を含めて、
他の住人(例えば、キリスト教徒のユダヤ人)は、追放されず、

相変わらず
エルサレム に 住むことができたのでした。

これは、
ある意味当たり前の措置ですが、

あれだけローマに反抗したユダヤ人に対する措置としては、
ローマらしい寛容な取り扱いであったと思います。

ユダヤ戦争で、
多数のユダヤ人が殺され、
生き残ったエルサレムの多くのユダヤ人が、追放されたのですが、

ユダヤ人全体を見た時に、

ユダヤ人全員が、
国外追放されたわけでもないし、

ユダヤ教徒のユダヤ人も、
エルサレムには住めませんでしたが、
ユダヤ国内の他の町には住むことができたのです。

ですから、
ユダヤ人が、何も国外に離散する理由がなかったのでは
と、思います。

それが証拠というわけではありませんが、

約60年後の132年に、
エルサレムのユダヤ人 が 反乱を起こしています。

ユダヤ人が、
ユダヤ戦争で、ユダヤ人が離散して、
亡国の民として流浪していたのではありません。

それでは、
ユダヤ人が、ディアスポラと言われるようになったのは
どういう訳なのでしょうか。

ユダヤ人は、
ローマに併合され、ローマ帝国の一員となって、

ユダヤにこだわらずに、
広くローマ世界全体で活動するようになったのだろう
と、思います。

彼ら自身が、
自分の意志で、ローマ帝国のあちこちに、活動の輪を広げたのでしょう。

先ほどご紹介した
ヘロデ大王の息子の アルケラウスや、
ヘロデ・アンティパス(サロメの父)は、
ガリアに流罪となっていますが、

ガリアに流罪になったのは、
彼らの所領がガリアにあったからだとのことです。

ユダヤの支配者は、
ローマの元老院議員と同じように、
ガリアの属州に所領を持っていたのでしょう。

また、
(イエスの妻だったと思われる)マグダラのマリアが、
プロヴァンスに行った との伝説がありますが、

このような伝説が生じた背景には、
ガリアやスペインで
ユダヤ人が多数活躍していたからだと思います。

ローマ時代のユダヤ人は、
ローマ市民権を持つローマ人として、
ローマに受け入れられたのでした。

ちょうど、
アメリカの市民権を持ったユダヤ人、

即ち
ユダヤ系アメリカ人が、
アメリカ人として 幅広く活躍しているように、

ローマ時代のユダヤ人も、
ユダヤ系ローマ人として、
ローマ中で活躍していたのだろうと思います。

中世になっても、

商人というと、
シリア人とユダヤ人が活躍していますが、

これも
ローマ時代からの彼らの活動の延長線に考えるべきだと思います。

ところが、
時代が進むにすれ、
さしものローマ帝国も夕暮れを迎え、

西ローマ帝国は、消滅し、
東ローマ帝国は、ビザンツ帝国に変容していきました。

そして、
ギアリが記述しているように、

ローマ人が、
民族移動により建国したゲルマン人と、
一つのキリスト教共同体に 融合して、

現在のイタリア人やフランス人、スペイン人の母体となる民族 を
形成していったのです。

(注) このローマ人は、
    ローマの市民権を持った いろいろな民族からなるローマ人
    と、ご理解ください。

ローマ帝国は、
アメリカ合衆国のような多民族国家だったことを
思い起こしていただければ幸いです。

ローマ市民権を持ったローマ人のうち、
ユダヤ人以外のローマ人は、

いつの間にか、
それぞれの地域で形成されたキリスト教共同体からなる民族の一員として
融合されていきましたし、

キリスト教徒のユダヤ人も、

多分同じように、
キリスト教共同体の一員として、
いつの間にかユダヤ人でなくなったのだろうと思います。

例えば、
コンスタンティヌス大帝の母 ヘレナは、
キリスト教に改宗したユダヤ人でした。

ですから、
コンスタンティヌス大帝は、半分ユダヤ人のはずですが、

どの歴史書をみても、
ユダヤ人のユの字もお目にかかったことがありませんので、

ユダヤ人が、ユダヤ人でなくなった例の一つだろう
と、思っています。

また、
ユダヤのお隣のシリア人も、

中世まであれだけヨーロッパで活躍していたのに、
いつの間にか、
歴史の中に吸収され、消え去っています。

ユダヤ教を信じるユダヤ人だけが、
ユダヤ教の固執して、キリスト教徒に改宗しなかったために、

新たに形成された
キリスト教共同体からなる民族の一員 としての 仲間に入ることを 拒絶され、

ユダヤ人として
まとまらざるを得なかった のだろう と、思います。

それを、ギアリは、
「ユダヤ人としての新たな民族が形成された」
と、記述されたのだろうと思いますし、

自己と他者 を 峻別する ヨーロッパのキリスト教社会において、

ユダヤ人が、
常に「おまえはユダヤ人だと」と、区別され、差別されてきた故に、

かえって
1000年以上もの間、
歴史の中に埋没して消え去ることなく、

ユダヤ人が、
ユダヤ人としての民族のアイデンティティを
存続せざるを得なかったのだろう と、思うのです。

ユダヤ人にしてみたら、
ローマの平和を享受しているうちに、

気がついてみたらローマがなくなってしまって、
今更故郷のユダヤにも帰れず、
置いてきぼりを食ったような感じを受けたのでしょう。

故郷のユダヤの地から遠く離れたユダヤ人が、
その故郷に帰って、
自分たちの国を再度建国しようにも、
できない状況に気がついて、我が身の境遇を嘆き、

「何故このようになったのか、
 自分たちの落ち度ではなく、
 ローマが、ユダヤ人をユダヤから追放させたのが原因である」

と、思いたかったことが、
ディアスポラとの概念 が 生まれたのではないでしょうか。


    次回 「スラヴ人の生い立ち」
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-76f9.htmll


    追記 旧約聖書よりみた ユダヤ人の離散についての
        次のブログもご覧いただければ 幸いです。

        旧約聖書の神も、ユダヤ人も、
        カナンを「約束の地」とは 考えていなかったのでは?
        http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-bf1b.html




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