「背教者ユリアヌス」
G.W.バワーソック著
「背教者ユリアヌス」(思索社)
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ユリアヌスについて、
1.ガリアでの事跡、特にフランクとの関係
2.哲学者皇帝として、キリスト教にどのように対処したのか
を、知りたくて、ブルクハルトの「コンスタンティヌス大帝の時代」を読んだ機会に、本書も読んでみました。
本書は、だいぶ以前に、たまたまぶらりと入った古本屋さんで入手しました。
著書のバワーソックは、
ハーバード大学のギリシア語、ラテン語担当の教授で、
帝政ローマ時代の政治史、思想史、宗教詩の分野で優れた業績を発表している方だそうです。
読んでいて、同時の史料をよく研究されておられることがよく分かりました。
「日本ほど翻訳が盛んな国は、そんなに無いのでは」と、
翻訳に従事されておられる先生方に日頃から感謝していますが、
本書みたいな 多分殆ど知られていない ユリアヌスに関する貴重な伝記までも、翻訳出版して頂いていることを知り、改めて、感謝の念を深くしました。
本書の内容についてご興味ある方は、私のホームページの年表にまとめておきましたので、年表をダウンロードして ご参照下さい。
その際には、361年の ユリアヌスの年譜 を 目次代わりにお使い下さい。
次の 中世史年表 4世紀をダウンロードして下さい
http://homepage2.nifty.com/hj-hiyama/rekishiindex.htm
さて、ユリアヌスは、
355年の冬に 副帝に任命されて、ガリアに赴いて以来、
360年に兵士により皇帝に擁立されて、
361年7月コンスタンティヌス2世と対決するために、東方に進軍するまでの
約5年半ガリアに滞在しています。
ガリアでは、
最初、アレマン族対策に従事して、
357年8月ストラスブールの戦いで、アレマン族を撃破した後、
フランク族のケルン(多分 リブアリ族)に、部下のセヴェルスを派遣し、
秋には、自らもライン川とマース川の下流地方のサリ・フランク族を攻撃しています。
翌年の358年にも、前年の秋に引き続き
ライン川とマース川の下流地方に遠征して、フランク族を服従させました。
後に、
サリ・フランク族は、フランドル方面に移動して、クローヴィスの時代にパリに進出していますし、
リブアリ族は、モーゼル川を上ってメッス方面と、
お互い遠く離れた場所に展開していますが、
当時は、ケンペンとケルンと、約60kmぐらいの範囲に固まって居住していたのです。
ユリアヌスは、その後 ライン川中流地方を平定して、ガリアの平定が一段落した時に、
コンスタンティヌス2世より、ガリアの兵力の約半分をペルシア戦に提供するように、
との命令を受けて、360年 兵士により皇帝に擁立され、反乱したのでした。
361年7月 東方に進軍を開始したユリアヌスは、
コンスタンティヌス2世が、急に没したため、
12月には、無事コンスタンティノープルに入城しています。
半年ぐらい滞在した後、
翌年(362年)6月頃 ペルシア戦の準備のために、アンティオキアに移動し、
363年3月には、アンティオキアより出陣して、
5月末には ペルシアの首都 クテシフォンまで進出しましたが、
陥落させることができず、
退却の途中、6月26日 ペルシア軍の攻撃を受けて、戦死しました。
皇帝としてのユリアヌスの事跡について読んで、
ユリアヌスが、ペルシア戦などしないで、
じっくりとコンスタンティノープルに居座って、統治していたら、
ローマ帝国はどうなったのだろうと考えたくなりました。
ユリアヌスが、人間的にも成熟して、
政治とは何か、
統治の「こつ」は、こういうところにあるのだな、
ということを理解して、
20~30年間 ローマ皇帝として統治していたら、
多分ローマ帝国の歴史が変わっていたのだろう、と感じられます。
しかし、現実は、
アンティオキアで ユリアヌスは、
学校出たての 世間知らずの お坊ちゃま皇帝 扱いされて、
手練手管のアンティオキア市民に翻弄されているのです。
しかも、ユリアヌスは、怒りを 正面から アンティオキア市民にぶつけるものですから、
周りで見ている 側近や軍の兵士 も あきれてしまって、
「これではだめだ」と思われたのでしょう。
戦死した際に、
「甲冑も着けずに戦場に飛び出すことは、皇帝としてあり得ない。
身の回りの世話をする召使いに(見放されて)サボタージュされたのだろう」
と、塩野七生さんは書いておられますが、
まさにその通りだろうと思います。
ユリアヌスの周囲の人々からも、「皇帝失格」の烙印を押されたのでしょう。
勿論、皇帝失格の烙印 を 押した人々が、
立派な人とは言いませんし、彼らの判断が正しかったとも言いません。
でも、政治というものは、
立派な人が行うものではないし、いつも正しいことがなされるわけでもないのです。
また、立派な人がだけが、
理解でき、支持し得るもので なければ ならない のではなく、
平均レベルの人が、
理解でき、納得して支持し、ついていけるもの、で なければ ならないのです。
ユリアヌスは、このことを理解していなかったので、
短期間で、皇帝を退場させられたのだろうと思います。
バワーソックは、
歴史家らしく冷静にできるだけ客観的に抑制した感じで記述していますが、
それだけに、
ユリアヌスは、キリスト教が非難する点とは別に、
人間的にも、政策的にも問題の多い人物だったなとの感じがしました。
ユリアヌス ご本人は、
プラトンの哲人国家を目指したのでしょうがが、
独りよがりで、自分の考えを押し通そうとしたことが、
短期間に戦死することになった原因があるのだろうと、思われます。
その意味で、著者が最後に
「ユリアヌスを、心から賛美していたエウナビオスも、アンミアヌスも、
ユリアヌスの弱点と、その終局の失敗については、冷静にわきまえていた。
彼(ユリアヌス)は、余りにも多くを要求した。
彼(ユリアヌス)は、愚かにも、また 殆ど協調しなかった。
マクシムスやプリスクスのような忠告者とともに、
彼(ユリアヌス)が、
「かの静穏にして厳粛な、霊界への長らくの憧れ」を、
現実に移し変える道を、見つけ出せなかったことは、多分驚くべき事ではないだろう」
と、書いておられるが印象的です。
今回印象に残ったのは、次の2点です。
1.ユリアヌスの信仰が、新プラトン主義であり、共和制時代のローマの宗教とは異なること。
2.この時代の歴史の難しさは、文献の内容が信用できないことにあるということ、です。
第1点目については、
ユリアヌスが、新プラトン派の信奉者であることが、よく分かりました。
以前は、なんとなしにストア派の哲学者で、
ローマの伝統宗教を信じていて、これらを復興させようとしていたのかな、
と、思い込んでいました。
日本で、ユリアヌスは、哲人皇帝ということで、
実際より よいイメージを持たれているのだろうな と、思うようになりました。
新プラントン派については、
最近読んだブルクハルト「コンスタンティヌス大帝の時代」で、
私の感性では想像もできない代物で、
今まで 想像し、思い込んでいたものと全く異なるものだ、
と、いうことが理解できたばかりですので、
これから機会を見て理解を深めていきたいと思っています。
第2点目については、
キリスト教護教家だけでなく、
ユリアヌスやアンミアヌスのような異教の人も、
自分の都合にあわせて事実を改ざんしているので、
この時代において、何が本当なのか、
歴史家はいろいろな史料を読み比べて、吟味しなければならないから大変だな、
と、痛感しました。
一つ一つの歴史事項について、長年色々研究した後、
「確実にこうだ、とは言えないまでも、多分、これが歴史の事実だろう」
と結論づける 何人もの学者の作業を重ね合わせないと、
その時代の ほぼ信頼の置ける歴史 にはならないのだろうと思います。
一つの史料、文献を読んで、これが歴史的事実である、と断定するのは、
地雷原を、オートバイで疾駆するようなもので、
ブルクハルトが「コンスタンティヌス大帝の時代」で述べている
「当時の著作者の罠」に易々とはまってしまう可能性が大きいのでだろうと思います。
歴史家が、この時代を語るためには、
1次史料だけでなく、2次史料、3次史料、
更には、その時代を深く研究されている歴史家の本を、読んだ上で、
慎重に 歴史的事実を積み重ねて、自分の歴史観を築いていかねばならないので、
一冊の本の裏には、膨大な作業と思考が行われていることが、よく理解できました。
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