「コンスタンティヌス大帝の時代」
ヤーコプ・ブルクハルト著
「コンスタンティヌス大帝の時代」(筑摩書房)
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何十年か振りに、大学の本格的な充実した講義を、まじめに受講した感じを受けました。
本書は、
ディオクレティアヌス帝 と コンスタンティヌス帝の時代、
特に、コンスタンティヌス大帝についての記述 を 目的としていますが、
その前段の説明として、
5賢帝以降の約200年間のローマ史(政治史)を、導入部で記述されています。
軍人皇帝達一人一人に対するブルクハルト評を楽しく読まして頂きました。
この部分だけでも、非常に参考となる、価値がある本だと思います。
また、前段の説明として、
新プラトン主義や異教の宗教関係を記述されていますが、読んでいて、よく分かりませんでした。
自分の思っていることと、ブルクハルトが書いてあることが、ちぐはぐで、かみ合わず、
読んでいてブルクハルトの記述が頭に入ってこないのです。
「何でこうなんだろう」と思いながら この部分を読み終わって、しばらく経ってから、
私が、新プラトン派というものを、「完全に思い違いをしていた」ことが原因だろうなということが分かってきました。
ブラウンが、「古代末期の世界」で、
「中世に伝わったプラトンは、新プラトン派のプラトンである」と記述されておられるのを承知していたのですが、
その意味を全く理解できていなかったのだな、と思い至りました。
新プラトン派は、
プラトンの哲学を論じていると、思い込んでいたのですが、
ブルクハルトによると、
哲学より、魔術や供犠等の宗教的なものを含んだ、キリスト教に対抗する異教なのです。
プラトンという名前が強烈なため、哲学だと思い込んでいたものですから、
ブルクハルトが、宗教的な要素を説明している記述を読んでも、拒絶反応をもよおしてしまって理解できなかったのです。
従って、この部分については、もう一度読み直さねばならないと考えていますが、
他の宗教や哲学を論じた本を幾つか読んだ後、トライしようと思っています。
さて、本書に関して、一番問題なのは、
ブルクハルトが、
何故この本を書いたのか、
本書で何を訴えたかったのか、ということだと思います。
私には、ブルクハルトが、
この時代のキリスト教護教家の著述は、
歴史家の眼から見ると 「全く信用できない、でたらめの記述」にもかかわらず、
19世紀 ブルクハルトが本書を記述した頃は、「歴史的事実」として通用していたため、
学問的見地から、これを正そうとされたのではないだろうか、と感じられるからです。
そして、このことは、当時としては、大変勇気がいることだっただろうと推察されます。
その意味からも、本書の歴史的価値は高く評価されてしかるべきと、思います。
本書における ブルクハルトの意図は、
幸いなことに、その後の歴史家に 連綿と 受け継がれて、
コンスタンティヌス帝は、
「キリスト教を優遇したと共に、異教も信じていた人物である」
との客観的で公平な見方が、現在では、定着しているのだろうと思います。
キリスト教の立場からみると、
本書により、自分たちの「嘘」をばらされた訳ですので、
だからこそ、本書が「イタリアルネサンスの文化」ほど有名にならなかったのだろうと思いますが、
この時代の基本的な歴史書の一つとして、今後とも読み継がれていくべき名著だと思います。
ただ、この本を読んだ後では、
キリスト教関係者による「この時代の キリスト教史」の 記述 は、
「この時代 の キリスト教護教家の記述」を、「正」として記述せざるを得ないでしょうから、
書いてあることが、歴史的事実かどうか、常に疑いを持って
一つ一つ本当かどうか、考えながら読まざるを得なくなったな
と、ちょっと気が重くなっています。
印象に残ったブルクハルトの記述を、ご参考までに、幾つか抜き書きさせていただきます。
1.「コンスタンティヌス大帝伝」の著者 カイサレイアのエウセビオスについて
エウセビオスの著書は、
全ての歴史家が、彼に従っている とはいえ、
彼の著書に指摘されている 恐ろしく沢山の 歪曲、隠し立て、そして 捏造 のことを考えると、
もう決定的史料としての 役割を果たす いかなる権利 も 全く持っていない。
出所;「コンスタンティヌス大帝の時代」410㌻
コンスタンティヌス帝についての記憶は、
歴史という観点から見た時、考え得る限り最大の不運を持っていた。
異教の著作家達が、彼に敵意を抱かざるを得なかったことは自明のことであり、
このことは、後世の眼から見れば、彼にとって何の不利にもならないであろう。
しかしながら、
彼は、あらゆる賞賛演説家のうちで、最も不快なものの手中に陥っていた。
というのも、この者は、この皇帝のイメージを徹底的に歪曲しているからである。
それは、
カイサレイアのエウセビオスであり、
そしてその「コンスタンティヌス大帝伝」である。
非常な誤りを犯しているとはいえ、とにかく重要で、強烈なこの人は、
ここでは徹頭徹尾一人の敬虔な信心家の顔をしているが、
反面、他の所では、
この著作家の犯した罪業の非常に多くが、あらゆる方法で確認されている。
また、この曖昧な賞賛は、心底不誠実なものである。
エウセビオスは、人物について述べているが、
実はただある事柄だけを、
即ち、
コンスタンティヌス帝によって非常に強力に、かつ十分に確立された
教階制度の利害のことだけを考えているのである。
ちょうどうまい時に、こうしたものに気づいた人は、
そのことによってむしろ、自分に何かが隠蔽されている、という、まさにその理由から、
最悪のことをうかうかと推測させられてしまうのである。
出所;「コンスタンティヌス大帝の時代」359㌻
2.コンスタンティヌス帝 と 聖職者 との 取引について
コンスタンティヌス帝は、
聖職者階級がすでにきわめて固有な仕方で組織化されて、権力となり、
また、迫害されることで大いに高揚しているのを見出したのである。
そのため、彼は、この団体と、その高い信望とを介して支配しなければならなかった、
でなければ、
この団体を遅かれ早かれ敵に回さざるを得なかったのである。
それ故、彼は、
この団体に一種の共同統治を含めた、ありとあらゆる保障を与えた。
そのかわり、聖職者達は、
コンスタンティヌス帝の権力のいとも恭順なる伝播者となり、
また、
彼がなお、一方の足 を 異教 の中に おいていたこと、
それどころか、
その両手が、すっかり 血で 汚されたいたことさえ、
完全に 不問に付したのであった。
出所;「コンスタンティヌス大帝の時代」426㌻
3..コンスタンティヌス帝 の「臨終の床での洗礼」について
この人の行動について、
首尾一貫した方式を立証したいと思うであろうが、
この点において故意に首尾一貫した態度をとろうとしていない人間に
そういうことをしても無駄である。
彼のキリスト教信仰告白と、臨終の床での洗礼についての判断にいたっては、
各々が自分の基準に立って判断を下さねばならないであろう。
出所;「コンスタンティヌス大帝の時代」426㌻
(補足)
この文章には、衝撃を受けました。
コンスタンティヌス帝は、
逝去直前 ニコメディアのエウセビオスより、アリウス派の洗礼を受けた
というのが、歴史的事実として通用していることです。
これに、ブルクハルトは、疑問を呈しているのです。
確かに、コンスタンティヌス帝の洗礼は、
キリスト教関係者が、「洗礼を授けた」との発言しているだけですから、
、
「本当に、コンスタンティヌス帝が 洗礼を受ける意志があったのか」と、
キリスト教関係者の証言に疑問を呈したら、
キリスト教側から、物的な直接的な証拠を提示することはできないだろうともいます。
逆に、洗礼は、密室で、キリスト教徒しかいないところで行われたのでしょうから、
洗礼がなかった との物的な直接証拠もありません。
要するに、「言った、言わない」「やった、やらない」と同じ性格の問題なのです。
ですから、「洗礼を受けたか どうか」の判断は、
「洗礼を授けた」とのキリスト教側の証言を、信用するかどうかによるのです。
ブルクハルトは、
コンスタンティヌス帝の「太陽神への信仰」や、「キリスト教政策」を
トータルとしてみた時に、
臨終の床で 洗礼を受けなかった可能性 も あるのでは、
と、ぎりぎりの言い方で、疑問符をつけた形の記述を しているのだろうと思います。
これは、いくら学術書の中とはいえ、
19世紀のヨーロッパでは、大変な勇気を必要としたでしょうし、
大変な覚悟をして 決断した上での記述 だろうと思います。
実は、この文章は、唐突に出てきましたので、
その意味合いを理解するまで時間がかかりました。
ブルクハルトは、
ちょっと読んだだけでは、記述の意味の重大性を 悟られないように
書こうとしたのだろうと想像しています。
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