「古代文化没落論」 及び ローマの滅亡 再論
マックス・ウェーバー著
「古代文化没落論」(河出書房「世界の思想18」)
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マックス・ウェーバーを読みたくなって、学生時代の本を引っ張り出しました。
見事なローマ帝国論で、流石はウェーバーと感心しました。
また、堀米先生の翻訳も読みやすく、
本当に歴史を分かっている人が翻訳すると、このようにわかりやすい翻訳となる見本みたいな 見事な翻訳でした。
ウェーバーの論旨は、次の通りだと思われます。
ローマが拡大して、奴隷が流入するようになって、
自由なローマ市民による自由経済が、
元老院階級が代表する 大土地所有者 の 奴隷を使用した不自由経済 に
敗退して、没落した。
巨大な家内奴隷経営 の 不自由な労働の集結のプロセス が 進行したが、
この奴隷労働による 市場向けの生産 が、増加することにより、
交換経済の上部構造に、
無交換的需要充足 という 構成を持った 下部構造 が 入り込んできた。
帝国の膨張がストップした後は、奴隷経済が萎縮し、
自給自足の中世の荘園的な経済に移行していった。
ウェーバーを読んで、
ローマ史 や ローマの滅亡に関して、次のような感想 を 改めて持ちましたので、ご紹介させていただきます。
ウェーバーが指摘するような要因により、
共和政までのローマを担ってきたローマ市民が、ローマを担う力を喪失したから、
カエサルが、共和政より君主制に移行しようとしたのだろうと思われます。
ブルータスは、
カエサルが、共和政をなくそうとしている、と非難して、暗殺しましたが、
共和政を無くしたのは、
カエサルを非難したブルータス自身を含む、元老院階級だったのではないでしょうか。
ローマ市民が、
拡大したローマ帝国を担うことができなくなったとの事態に対処して、
カエサルは、
共和制を廃止して、君主制に移行しようとしたのであり、
カエサルが、
共和政を破壊しようとしたのではないのだろうと思います。
言い替えると、カエサルは、
破壊された共和政に対処しようとした と、言うべきだろうと 思います。
カエサルの事業が、頓挫した後、
アウグストゥスが、巧妙な方法で皇帝の統治を実現しましたが、
それでも、200年しか延命できませんでした。
5賢帝のあとの混乱は、
建国以来のローマ市民が担ってきたローマが、立ちゆかなくなったことを示しているのだろうと思います。
その混乱は、
ディオクレティアヌス帝、コンスタンティウス大帝が収束させたのですが、
再建されたローマは、
もはや共和政の都市ローマの人々が作ったローマではなく、
イリュリクムの軍人達が作り上げた新たな国家でした。
都市ローマが、もはや皇帝の所在地ではなくなり、
首都がコンスタンティノープルに移転したのが、その象徴だろうと思います。
ただ、コンスタンティウス大帝の作り上げた帝国は、
統治を継続させるシステム を 完備していなかったので、
帝国の西側部分は、胡散霧消して 蒸発してしまい、
東部分だけが、610年以降ビザンツ帝国として、新たなスタートをしたのでした。
ローマの歴史は、
中国の歴史同様、地域の歴史と捉えるべきだろうと思います。
中国の歴史は、王朝がいくつも変遷していきますが、
ローマの歴史も、3つの国家が移り変わっていったと考えるべきではないでしょうか。
最初の 都市ローマ人のローマは、5賢帝で終了し、
それ以後、610年までは、
軍人皇帝から始まって、主にドナウ川流域出身の軍人達が統治しました。
更に、
610年、ヘラクレイオス帝が新たな帝国(ビザンツ帝国)を創始して、
ローマ史の第3期が始まったと思います。
以前に「ローマの滅亡」とのブログを書かせていただきましたが、
そのときご説明した、滅亡時期の候補は、上記のような考えに基づいてあげさせて頂いたのです。
ローマの滅亡
http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_d658.html
キリスト教は、
軍人皇帝時代のの混乱の中で、勢力を伸ばしたのであり、
(共和政以来の)ローマ が 滅亡した後 の
(イリュリクムの軍人が支配する)ローマで、勢力をのばして、国教までなった、
と言えると思います。
ですから、
ランケは、「世界史の流れ」において、
「ローマ帝国が、キリスト教をもたらした」と、記述されておられますが、
、
「確かに その通り」だけれど、
キリスト教をもたらしたローマが、
共和政以来の都市ローマの人々が支配するローマ のような印象 を 持つとしたら、
「それは、事実とはだいぶ異なりますね」と、
ドン・キホーテ振りを発揮して、反論を入れたくなります。
同じく
「キリスト教が勝利した」とよく言われますが、
キリスト教が勝利したのは、
共和政以来の都市ローマの人々が支配するローマではなかったのです。
キリスト教は、
当時の 異教 即ち、新プラトン派 や ミトラス信仰(太陽神信仰)に勝利したのです。
従って、
「ローマが滅びたから、キリスト教が勝利した」というのが、
一見矛盾しているようではありますが、分かりやすく正確な認識であり、言い方だろうと、思われます。
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