« 「背教者ユリアヌス」 | トップページ | 「職業としての学問」 »

2009年3月18日 (水)

「古代文化没落論」 及び ローマの滅亡 再論

マックス・ウェーバー著
「古代文化没落論」(河出書房「世界の思想18」)


          **********


マックス・ウェーバーを読みたくなって、学生時代の本を引っ張り出しました。

見事なローマ帝国論で、流石はウェーバーと感心しました。

また、
堀米先生の翻訳も読みやすく、
本当に歴史を分かっている人が翻訳すると、
このようにわかりやすい翻訳となる見本みたいな 見事な翻訳でした。

ウェーバーの論旨は、次の通りだと思われます。

 ローマが拡大して、奴隷が流入するようになって、
 自由なローマ市民による自由経済が、
 元老院階級が代表する 大土地所有者 の 奴隷を使用した不自由経済 に
 敗退して、没落した。

 巨大な家内奴隷経営 の 不自由な労働の集結のプロセス が 進行したが、
 この奴隷労働による 市場向けの生産 が、増加することにより、
 交換経済の上部構造に、
 無交換的需要充足 という 構成を持った 下部構造 が 入り込んできた。

 帝国の膨張がストップした後は、奴隷経済が萎縮し、
 自給自足の中世の荘園的な経済に移行していった。


ウェーバーを読んで、
ローマ史 や ローマの滅亡に関して、
次のような感想 を 改めて持ちましたので、ご紹介させていただきます。

ウェーバーが 指摘するような要因により、

共和政までのローマ を 担ってきた ローマ市民 が、
ローマを担う力を喪失したから、

カエサルが、
共和政より君主制に 移行しようとしたのだろうと思われます。

ブルータスは、
カエサル が、共和政をなくそうとしている、
と、非難して、暗殺しましたが、

共和政 を なくしたのは、
カエサルを非難したブルータス自身を含む、
元老院階級だったのではないでしょうか。

ローマ市民が、
拡大したローマ帝国 を 担うことができなくなった という事態に対処して、
カエサルは、
共和制を廃止して、君主制に移行しようとしたのであり、

カエサルが、
共和政を破壊しようとしたのではないのだろうと思います。

言い替えると、
カエサルは、
破壊された共和政に対処しようとした と、言うべきだろうと 思います。


カエサルの事業が、頓挫した後、
アウグストゥスが、巧妙な方法で皇帝の統治を実現しましたが、
それでも、200年しか延命できませんでした。

5賢帝のあとの混乱は、
建国以来のローマ市民が担ってきたローマが、立ちゆかなくなったこと
を、示しているのだろうと思います。


その混乱は、
ディオクレティアヌス帝、コンスタンティウス大帝 が、終息させたのですが、

再建されたローマは、
もはや共和政の都市 ローマ の 人々が作った ローマ ではなく、
イリュリクムの軍人達 が 作り上げた「新たな国家」でした。

都市 ローマ が、
もはや 皇帝の所在地ではなくなり、
首都が、コンスタンティノープルに移転したのが、その象徴だろうと思います。


ただ、
コンスタンティウス大帝の作り上げた帝国は、
統治を継続させるシステム を 完備していなかったので、

帝国の西側部分は、
胡散霧消して 蒸発してしまい、
東部分だけが、
610年以降ビザンツ帝国として、新たなスタートをしたのでした。


ローマの歴史は、
中国の歴史同様、「地域の歴史」と捉えるべきだろうと思います。

中国の歴史は、
王朝がいくつも変遷していきますが、

ローマの歴史も、
「3つの国家」が移り変わっていったと考えるべきではないでしょうか。

  ① 最初の 都市ローマ人のローマ(第1期) は、5賢帝で終了し、

  ② それ以後、610年まで(第2期)は、
     軍人皇帝から始まって、主にドナウ川流域出身の軍人達が統治しました。

  ③ 更に、
    610年、ヘラクレイオス帝が新たな帝国(ビザンツ帝国)を創始して、
    1453年まで続く ローマ史の第3期 が 始まったと思います。

以前に「ローマの滅亡」とのブログを書かせていただきましたが、
そのときご説明した、滅亡時期の候補は、
上記のような考えに基づいてあげさせて頂いたのです。

  ローマの滅亡
  http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_d658.html


キリスト教 は、
軍人皇帝時代のの混乱の中で、勢力を伸ばしたのであり、

(共和政以来の)ローマ が 滅亡した後 の
(イリュリクムの軍人が支配する)ローマで、勢力をのばして、国教までなった、
と、言えると思います。

ですから、

ランケは、「世界史の流れ」において、
「ローマ帝国が、キリスト教をもたらした」と、記述されておられますが、

「確かに その通り」だけれど、 

キリスト教をもたらしたローマが、
共和政以来の 都市ローマ の 人々が支配するローマ のような印象 を 持つとしたら、
「それは、事実とはだいぶ異なりますね」
と、ドン・キホーテ振りを発揮して、反論を入れたくなります。

同じく
「キリスト教が勝利した」とよく言われますが、

キリスト教が勝利したのは、
共和政以来の 都市ローマ の 人々が支配するローマ では なかったのです。

キリスト教は、
当時の「異教」
即ち、
「新プラトン派」や「 ミトラス信仰(太陽神信仰)」に、勝利したのです。 

従って、
「ローマが滅びたから、キリスト教が勝利した」
と、言うのが、一見矛盾しているようではありますが、
分かりやすく正確な認識であり、言い方だろうと、思われます。


|

« 「背教者ユリアヌス」 | トップページ | 「職業としての学問」 »

読後感」カテゴリの記事

ローマ、ビザンツ」カテゴリの記事

Blog Selection」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「古代文化没落論」 及び ローマの滅亡 再論:

« 「背教者ユリアヌス」 | トップページ | 「職業としての学問」 »