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2009年5月 4日 (月)

「フランス人の歴史」・・・第1回 フランスの領土の範囲は?・・・

P.ガクソット著
「フランス人の歴史1」(みすず書房)


          **********

渡辺一夫著作集を通読していく内に、
16世紀のフランス史を読みたくなって、
ガクソットの「フランス人の歴史2」を引っ張り出しました。

以前「フランス人の歴史1」を読んでいますので、
その先を読もうと思ったのです。

開いてみると、
「フランス人の歴史」は、
1.2.3.の3分冊に別れている本だと、分かりましたので、
それならいっそ最初から、と
「フランス人の歴史1」から読み始めました。

「フランス人の歴史1」は、
これで3度目ですので、流石に余裕を持って読んでいますが、
ローマ時代のガリアのところで、案外手間がかかったのは、意外でした。

今まで、ローマ史に対しては、
ガクソットの
ガリアからの視点による ローマ時代のガリア についての 記述を読んでも、

私の方で、無意識的に
イタリア 乃至 ローマの側からの歴史に翻訳して、読んでいたのです。

それが、
だいぶヨーロッパの歴史に慣れてきたこともあって、

今回は、
ガリアからの視点でローマ史を見る、という ガクソットの記述が、
素直に理解できるようになったのかな、と感じています。

一つには、
歴史の本を読む際に、割と丹念に地名を確認していることが、
読み方の変化をもたらした大きな要因では との気がしています。

やはり、歴史をよむ際には、
その時代時代の地理もよく知っておかなければならないな、
と、痛感しています。

渡辺先生が、
「本を読み返す度に 新たな発見がある」というような趣旨を
書かれていましたが、

先生とはレベルが全く違いますが、
私は、私のレベル並みに、
「やはり新たな発見というものがあるものだな」と感心しています。


さて、
読み始めて、感じたのことを
ご参考までに 何回かに分けて お話しさせて頂きます。


1つ目は、

「フランス人が、フランス史を記述する ということは、
 日本人が、日本史を記述するのと同じことだな」
と、いうことです。

フランス人にとって、
フランス史は、自分の国の歴史であり、

フランス人学者は、
フランス人のために歴史を書いているのであって、

外国人、
特に 極東の私みたいな バルバロイ のために書いているわけではない、
ということです。

これは、当たり前のことですが、
意外に大事な点であるのに盲点だな、と感じています。

私は、
今まで幾つかのヨーロッパ中世史の本を読んできましたが、

実は、
フランス人、例えば、ル・ゴフ、や ペルヌーの書いた本は、
余りにフランス人びいきで、
フランス人の都合の良いように歴史を解釈しているのでは、
と、反感に近い感情を持ってきました。

以前 ガクソットを読んだ際には、それほど感じなかったのですが、
今回やはり同じような記述に気がつきました。

フランス人にとってフランス史は、自分の国の歴史ですから、
大げさな言い方をすると、
「フランス人に、フランス国家にとって都合の良い歴史を教育する」との使命が、
学者に課されているのだろうと思います。

そこまで言わなくとも、
フランス史を記述する学者の愛国心から、

彼らにとって 嘘ではない範囲で、
フランスに都合の悪いことは避けて、
フランスにとって都合の良いような記述を 無意識のうちにするのでしょうし、

それが私から見ると、
強引な牽強付会に感じられることがあるのだろうと思います。

これに対して、

例えば
サザーンやランシマンみたいなイングランド人 や
ピレンヌみたいなベルギー人が、
自分の国でない歴史を記述する時には、

自ずから上記のような無意識の操作がなくなり、
私みたいな部外者から見て
比較的客観的な記述をすることができるのだろうと思います。

今まで 
イングランド人の歴史記述は、
第三者的にブリテン島から大陸の歴史を見ているので、
フランス人の記述より公平で、客観的だなと感じてきましたが、

正にその通りで、
フランス史を中心にヨーロッパの中世以前の歴史を読んできたから、
フランス人の自分中心の勝手さが 強く感じられたのだろう と
思うようになりました。

今後、
イングランド人が書いたイングランド史も読んでみようと思っていますので、

そのときに
イングランド人が フランス人と同じかどうか、
比べて読むのを楽しみにしています。

また、
今回、このようなことに気がつきましたので、

今までは、 今後は読むまいと思っていた、ル・ゴフやペルヌーも、
もう一度繙いてみようかな、という気がしています。 

勿論、
彼らに対する拒絶反応は、それだけではありませんので、
読み出したらいやになってしまうかもしれませんが・・・・

でも、
少なくとも「フランス人とはそういうものだ」という整理ができましたので、

今までみたいに
読みながら頭の中で別のことをぶつぶつ言うことは、無くなるだろう
と、期待しています。

更には、
将来 有名なブロ ーデルの「地中海」を読むことを楽しみにしていますので、

その際、フランス人が、
大部分は彼らの外国である地中海の歴史に対して
どのような記述をしているのか、との視点でも読んでみようと、
読む楽しみが また一つ増えたなと、思っています。


ちなみに、
今回 気になった ガクソットの ヴェルダン条約 についての記述 を
抜き書きして ご紹介させて頂きます。

ヴェルダン条約は、ご承知の通り
843年
西フランク、中フランク、東フランクに
ルイ敬虔王の息子達が、フランク王国を 3分割した条約 です。

 < ガクソット の 記述 >

「ヴェルダンの談判委員達の包丁捌きが、
 フランスに決して癒えることのない傷を負わせた」
 (ジョゼフ・カルメット)

ルターリウス(ロタール)に割り当てられた領土の内の幾つかは、
さんざん苦労をかけ多くの血を流して、やっと取り戻された。

その他の独立の状態を続けた領土は、
ドイツ文化とガリア・ローマ文化の間で、絶えず争われ張り合わされた。

ヴェルダン条約は、
偶然の取り決め、公証人と測量士の取引に過ぎない。

とはいえ、
一千年以上過ぎても反響が消えなかったほどの影響の強さからいって、

ヴェルダン条約は、
「歴史全体の中で最も重要な条約」(ジョゼフ・カルメット)
と、呼ばれて当然ではなかろうか。

  (注) ジョセフ・カルメット は、フランスの歴史家です
      (生没年 1873~1952 享年 79才)

 出所 ガクソット フランス人の歴史1 126㌻


私が気になったのは、
「ルターリウス(ロタール)に割り当てられた領土の内の幾つかは、
 さんざん苦労をかけ多くの血を流して、やっと取り戻された。」
との記述です。

ガクソット は、
フランスの「正統な領土」を、どのように考えているのでしょうか。

「幾つかの領土は、さんざん苦労して取り返した」
と、記述されておられますのが、

それなら、
取り返していない領土とは、どこ地方なのでしょうか。

この問題を考えるため、
フランスの歴史を概観してみたいと思います。

フランスの歴史は、一言で言うと
「パリのフランス王が、長い期間をかけて領土を侵略併合していった歴史である」
と、言えると思います。

最初は、
アンジュー伯(プランタジネット朝)の領土を、
フランス王として宗主権を利用して併合しました。

この併合の最終決着は、
ご存じの通り百年戦争が終了した15世紀後半までかかりました。

その次に、
手をつけた地方は、トゥールーズ伯で、
13世紀初めアルビジョワ十字軍を利用して、併合しました。

12世紀
アキテーヌ女公 の アリエノール が、

最初の夫のフランス王 ルイ7世や、
2番目の夫のイングランド王 ヘンリー2世に
遠征をさせていますが、この時は併合できませんでした。

その後、
1214年ブーヴィーヌの戦いで、イングランド王ジョンに勝利したのち、

アルビジョワ十字軍の時期に、
フランス王ルイ8世自ら南フランスに遠征して、

最終的には
その息子 ルイ9世の治世の初めに決着しています。

それから、
ルイ9世の弟 シャルル・ダンジューが、
プロヴァンス伯を結婚により入手しました。

プロヴァンスは、
神聖ローマ帝国の領土で、フランスの領土でなかったものですから、

本来は、
皇帝の宗主権に服さなければならないはずですが、
入手した後は、全く自分の領土として取り扱いました。

大西洋岸のプランタジネット朝に対する要求と
全く反対の態度をとったのです。

その後、
神聖ローマ帝国の領土の
ドーフィネ、フランシュ・コンテ(ブルゴーニュ伯領)、
ロレーヌ、アルザス、アルトワ(フランドル南部)を
領土に付け加えました。

また、
15世紀の終わりから16世紀にかけて、

2人のフランス王が ブルターニュ女公のアンヌと結婚して、
ブルターニュを併合しました。

19世紀には、
ピエモンテのオーストリアへの独立戦争に協力する代償として、

ナポレオン3世が、
サルディーニャ王(ピエモンテ王)より
アルプスの西側(フランス側)の領土とニースを、併合しています。

20世紀になっても、
第1次大戦後 ラインラントに進駐してますし、
第2次大戦後も、ザールを入手しようとして、住民投票で阻まれました。

ザールを入手し損ねたので、
その地の鉄と石炭を利用しようということで、
「石炭・鉄鋼共同体」を作って、これが現在のEUに発展したのです。

EUというと、
高邁な理想が実現されたもの と、思い起こされますが、

現実には、
高邁な理想だけによるものではなく、
当たり前の話ですが、
関係各国の利害が妥協できたから 今のEUがあるのです。

フランスの政治家や官僚等の実務家 は、
高邁な理想を、建前として念頭に置いていたでしょうが、

本音は、
「フランスの覇権拡大、領土拡大の一方策」 と 考えて、
EUを主導してきたのでは、という気がしています。


このように、
フランスの歴史を、領土の面から概観してみると、

フランス人が、
「フランス本来の領土」と考えている範囲は、
「クローヴィスのフランク王国の版図」ではないかと、感じられます。

クローヴィスは、
日本人には、「フランク王」ですが、
フランス人には、「初代フランス王」なのだろうと思います。

現在の国境線で見ると、
現在のフランスの領土に加えて、
北側の ベルギー南部からリエージュにかけて、

更には
ライン川の西側の地方も、
本来のフランスの領土に含まれると、考えているのではないでしょうか。

この地域が、
ガクソットのいう「まだ取り戻していない領土」なのだろうと、思います。

このように考えると、
第一次大戦後、
フランスが、ラインラントに進駐したのも、

1000年以上前に失った
フランス人にとっての自分の領土 を 回復のためだったのだな、
と、それなりに合点がいきます。

侵略される周辺国家にとっては、甚だ迷惑な話だし、
余りに自分勝手ではと、私には思われますが、
フランス人にとっては正統な権利の主張なのでしょう。

(注) 先ほど、「合点がいきます」と書きましたが、この合点がいくまでには、
    高校時代、フランスのラインラント進駐を知って以来、
    「何でドイツの心臓部を 無法にも占領したのかな」と、
     40年以上気になってきた点なのです。

    今回 長年の懸案の一つが、自分なりに整理できて、感慨深いものがあります。

現在、
ベルギーがドイツ語圏とフランス語圏とに南北が別れて、
連邦国家になっています。

ベルギーのフランス語圏は、
エノー と アウストラシア北部の地方ですので、

フランス政府は、
カペー朝始まって以来 1000年来の念願である
領土回復の絶好の機会が巡ってきたと、
手ぐすね引いて準備しているのではないだろうか、との気がしています。

もし、
この念願を果たした その次には、
ベルギーのドイツ語圏にある フランドル北部 と
ベルギーの隣国 ルクセンブルク を 狙うことになるのでしょう。

それが実現できれば、
先ほど述べたラインラントの隣まで、領土を拡大できるのです。

更に、
もし、ラインラントを、フランスの領土に併合できれば、

ガクソットの念願であろうと思われる
ヴェルダン条約で失った「ロタールの国の本来フランスの領土の部分」

即ち
「クローヴィスの フランク王国の版図」を、復活できたことになり、
フランス人にとっては、目出度し目出度しということになるのでしょうが、           

でも、
皮肉なことに、もしそれが実現したとしても、

私には フランスが、
魚の王様を釣り上げた「おとぎ話」に出てくる漁師の運命と、
重なり合っているように思えてなりません。

20世紀末に
国民国家の時代が終了して
地域共同体、更には地球連邦へ 人類の歴史が歩み始め、
その歩みの最先端に、ヨーロッパがあるのです。

EUの歩みが、進めば進むほど、
ヨーロッパ全体を束ねるEUに、
各地方が、国民国家を飛び越えて 直接結びつこうとするようになって、

国民国家の存在意義が、
徐々に失われていくのだろうと思います。

また、
技術の進歩により、

ちょうど 江戸時代の各藩が、
明治以後存在価値を失っていったのと同じような動きが、
これからヨーロッパの国民国家に生じてくるのだと思います。

フランスの各地方が、
パリのフランス政府を飛び越して、直接EUに結びつこうとする可能性は、
いくつも思い浮かんできます。

例えば、
バスクは勿論として、

フランス革命の時に中央政府に武力蜂起したブルターニュも、
ブルトン人のアイデンティティーを主張して、
フランスから離れて EUの中の1個の独立行政体として
直接EUと結びつきたい との動きが 出てくるかもしれません。

また、
中世において ドイツの心臓部だった アルザス が、
ドイツ人の魂を蘇らせて、
フランスから離れて、EUの中での独自の地位を要求するかもしれません。

(注) フリードリヒ・バルバロッサや、ハインリヒ6世、フリードリヒ2世の宮廷は、
    アルザス北部のハーゲナウ(ドイツ語読み、フランス語読み では、アグノー)
    にありました。

更には、
リヨンが、
パリに対抗して、中世のアルル王国の復活 を 目指して 動き始めるかもしれませんし、

トゥールーズが、
パリよりもピレネーの向こうのバルセロナと一緒に行動したいと、
同じような動きを始めるかもしれません。

フランスは、
一見すると 中央集権国家 に見えますが、

これは、
本来的には、別々の存在であるモザイクのような地方を、
パリの政府が人工的に結びつけてきた
フランス革命以来の政策の結果であるような気がします。

地方と国家との結びつきは、日本人が思うほど強くはなく、
実は、
19世紀にやっと統一したドイツよりも 本質的には弱いのでは、
という気が、しないでもありません。




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コメント

sisさん、コメント有り難うございました。


>「フランス人の学者はフランスの権利を主張しているはずだ」という先入観に冒されすぎているように思いました。

との、コメントについて、私の考えを少し述べさせて頂きます。


先ず、ヴェルダン条約で決まった西フランクの国境線をもう一度ご覧下さい。
(例えば、私が高校の世界史で使った、吉川弘文館「標準 世界史地図」)


ヴェルダン条約での西フランクとロタールの国との国境は、
北フランスは、ランスとヴェルダンの間を通っています。
南フランスは、リヨンより南は、ローヌ川の西側もロタールの国となりました。


要するに、西フランクの領土は、
北フランスは、シャンパーニュまで、
南フランスは、ローヌ川の西側の山までだったのです。

この国境線と 現在のフランスの国境までの領土が、「取り戻した領土」だと思います。


ですから、
「フランスの権利を主張しているはずだとの先入観」ではなく、
「権利を主張している」と考えています。


その権利の主張をどう判断するか(肯定するか、否定するか)は、人により異なるでしょう。

私には、
フランスは、1000年以上にわたって、神聖ローマ帝国(主としてドイツ)の領土を侵略し続けてきた膨張主義国家であり、
フランスの膨張主義が、長年にわたるフランスとドイツの争いの原因であろうと、思われます。

注 この膨張主義は、

  本文において記述したように、
  フランス国内においての膨張主義の延長線上(好意的に述べると、国内統一)
  であると共に、

  カロリング朝の故地である アウストラシアを奪回したいとの悲願 が

  ミックスしたものだろうと思います。


更に、
「取り返していない領土」については、本文で予想した通りですが、

最近
エリック・ルーセル著「ドゴール」(祥伝社、ガリマール新評伝シリーズ)で、

ドゴール大統領のフランス領土論についての発言録が記述されていて、

「基本的な考え方は、予想通りだったけど、
 予想以上の領土範囲を考えておられたのだな」
と、びっくりしましたので、

近日中にご紹介させて頂こうと思っております。

掲載しましたら、ご覧いただければ幸いです。

投稿: かんりにん | 2011年3月 1日 (火) 23時44分

大変おもしろく読ませていただきました。

フランス人の学者はフランス人のために歴史を書いている、というご主張はそのとおりだと思います。1つのことを知るためにもなるべく多くの、異なった立場から書かれたものを読むべきですね。

>「幾つかの領土は、さんざん苦労して取り返した」と、記述されておられますのが、
>それなら、取り返していない領土とは、どこ地方なのでしょうか。

この読み方は「フランス人の学者はフランスの権利を主張しているはずだ」という先入観に冒されすぎているように思いました。
元の分は「割り当てられた領土の内の幾つかは」なんですよね。
つまり、「(近代国家)フランスのものであるべき領土のうち」ではなく「条約で割り当てられた領土のうち」だと思うのです。

あるいは、「苦労して取り返した領地」以外に「苦労なくすんなり支配をつづけられた領地」もあったという読み方をすれば、「取り返していない領地」など暗示されていないとも言えます。

投稿: sis | 2011年3月 1日 (火) 11時53分

レジーヌさん

度々コメント頂き、ありがとうございます。

また、ジャック・ル・ゴフやレジーヌ・ペルヌーに対する見解に賛同頂き、感謝しています。

日本人には奇異に思われますが、リチャード獅子心王は、フランス人なのですよね。
父はアンジュー伯だし、母は、アキテーヌ女公でした。
ですから、ペルヌーが、リチャード獅子心王贔屓なのは当たり前だろうと思います。

フリードリヒ2世については、
以前ご紹介した私のホームページ「ヨーロッパ中世史年表」の1250年12月に、
ラウマー、ランシマン、ペルヌー、それに塩野七生さんのフリードリヒ2世に関する記述をまとめていますので、ご興味がおありでしたら、お読み頂ければ幸いです。

私のフリードリヒ2世に関する認識は、
偉大なマージナルマンであった故に、一つの価値観に拘泥せず、中世という時代を超越した 現代にも通じる人物になったと思われますが、本質は、やはり中世人だったのだろうと思います。

また、フリードリヒ2世の人生の晩年における悲劇は、価値の狭間にいるマージナルマンが、ある一つの価値観に従って行動せざるを得なくなったことだと感じています。

またのお便り を、楽しみにしています。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

投稿: かんりにん | 2009年7月18日 (土) 22時54分

ジャック・ル・ゴフやレジーヌ・ペルヌーが自国に少々甘いのでは?というご意見私も賛同いたします。
 シチリアの晩鐘につきましてもランシマンの淡々とした述べ方にくらべ、身びいきがあります。
 特にペルヌー女史はフリードリヒ二世はつきはなしてるのに、リチャード獅子心王については甘い。
いろいろ問題はあるにせよ平和的にエルサレムをおさめようとしたフリードリヒのほうがほめられてしかるべきで(今日的発想かもしれませんが)「リチャードが来るよ、泣くのはおよし」といわれるほど異教徒を殺戮したリチャードがそんなに立派な騎士ではあるとはおもえません。

投稿: レジーヌ | 2009年7月18日 (土) 00時20分

突然のコメント失礼致します。
失礼ながら、相互リンクしていただきたくて、コメントさせていただきました。
http://sirube-note.com/measurement-person-assistant/

もしよろしければ、こちらのページから相互リンク登録していただけましたら幸いです。
http://sirube-note.com/measurement-person-assistant/link/register/
今後ともよろしくお願い致します。
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投稿: sirube | 2009年5月 4日 (月) 08時19分

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