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2011年3月15日 (火)

高木少将語録 第4回「陸軍の本土決戦論」

「私観太平洋戦争」で、
高木少将は昭和20年6月頃の本土決戦論について、
次のように記述されています。

太平洋戦争を象徴する 愚行の総決算 と思われ、
唖然となり 考え込んでしまいました。

< 高木少将の記述 >

「私観太平洋戦争」245㌻以下(文藝春秋社)

陸軍の本土決戦論 が 大勢を風靡して、
まず最初に現れたのは 在郷予備役の大量召集であった。

19年3月における 陸軍の動員総兵力は 約365万に達したが、
召集可能の予備員は あと約100万といわれていた。

ところが、本土防衛が熱を帯びてくると、
19年10月末の在郷軍人 約639万、
その内 召集可能人員 約469万という、桁違いの大きな数となり、

レイテ決戦の前後から、
参謀本部から、150万の新たな召集計画が提起され、
陸軍省側も、非常な困難に直面した。

・・・ 途中略・・・

ところが、
軍需生産の動向はどうか といえば、

16年度平均を100として、
17年度 132%、19年9月が 最高339%に達したが、

それからは 急激に低下して、
20年7月は、139になり、

航空機は19年9月の44%に落ち、
陸軍兵器は57%、
海軍兵器は43%、
艦艇   47%、
商船   20% という残状、

そこに、
大規模な召集が強行されたのだから、

八大造船所の実例を見るように、
正規従業員は、戦前水準の1/3(20%)に切り詰められ、

未熟練の徴傭工45%、
学徒勤労令による少年10%、
女子挺身勤労令による婦人4%という姿になり、

19年の日本労働者一人当たりの生産額は、
16年の40%になってしまった。

従って、
動員部隊の装備を擁する小銃100万挺も、
9月迄の配給見込み 最大45万挺というわけで、

小銃も靴もないわが召集部隊が、
かげで竹槍部隊と批判されたのは、
生産力を無視した兵員数本位の頭数だけで戦力と考える誤りであった。

飛行機時代に大艦巨砲と、夜戦万能主義に執着した海軍と好一対である。


    * * * * * * * * * *


少し感想を述べさせて頂きます。


150万人召集して、
鉄砲の生産が45万挺と知り、言葉も出ませんでした。

召集された多くの人々は、土木作業をさせられた後、
米軍が上陸してきたら、何の抵抗も出来ずに屠殺されたでしょう。

この様な事態は、
狂信的な陸軍の責任とされていますが、

冷静に考えたら、
日本政府が自国民をこの様な扱いをしていたのであり、
責任は日本政府に存するのです。

日本政府の要人が、
自分たちの命が惜しいために、或いは、自分のメンツのために、
陸軍に対して反対もせずに、国民を屠殺しようとしたのです。


「終戦により、集団自殺が免れた」との言い方があります。

ここでは、
「敗戦」を「終戦」と言いかえる狡猾さについては横に置いておいて、
「集団自殺」について述べさせて頂きます。

「自殺」とは、
自らの命を絶つことです。

召集された人々が、自分が死にたいと思っていたのでしょうか。

自らの意志に反して、強制的に命を絶たされることは、
「自殺」とは言わず、「殺人」と言うべきです。

日本国政府は、
国民を殺そうとしていたのです。

このことは、
殺される立場の国民は承知していました。

これが、
戦後 軍隊、とくに陸軍に対する嫌悪の根源であり、
憲法9条が今まで支持された原因でしょう。

私は、長い間、憲法9条について、

理想は貴いものだけど、
戦争は、人類にとっての病理であり、

人類の知恵が戦争を克服していない以上、
実際の国際関係では、実力により決着する時代が続いている。

その中で、
軍隊を持たずに、
自分の国の防衛を、アメリカにあなた任せにするのは
かえってまずい筈なのに、

何故、
軍隊を持たないことを、国民は支持しているのだろうか、
と、訝しく思っていました。

太平洋戦争で
日本政府は、理不尽にも国民を屠殺しまくっていたのです。

その反動が、
通常では考えられないトラウマを日本人に残したのでした。

そして、
その国民感情を、戦後今まで 社会党などの左翼政党は勿論
韓国、中国、ソ連といった周辺諸国も利用してきたのです。

日本政府が、
昭和16年以来国民を屠殺しまくっただけではものたらずに、

戦争遂行能力を失った昭和20年に於いても、
国民の愛国心を逆用して 更に屠殺しようとした象徴が、

150万人の追加召集しながら、
戦うための最小限の武器も持たすつもりがなかったことだと感じます。

このように考えると、
アメリカ軍の蛮行である「原爆投下」も、別の見え方がしてきています。

個人的なことですが、
私の祖父は、
原爆ドームの川向こうの建物で執務していて、原爆で殺されました。

机から上は、骨だけ残した状態で、
祖母が遺体を焼き場(野焼きしたようです)におぶって運んだそうです。

祖父には、
私の父を含めて 息子が3人、娘が1人いました。

父は次男で、普通の学校に行ったのですが、
父の兄と弟は、職業軍人だったそうです。

当時、
父の兄(伯父)は、南方に行っていましたが、
父と弟(叔父)は日本にいました。

(父は、召集されて 満州で結核となり、
 日本に帰国して病院で療養していました。)

原爆が投下されずに、アメリカ軍が上陸していたら、

父と叔父は、
陸軍の下級将校でしたので、アメリカ軍に殺されていたのでしょう。

言いかえると、
祖父が、自分の命と引換に、息子達を救ったのです。

こういう言い方をすると、
「不謹慎だ」と、怒られる方がおられるかと思いますが、

私には、
祖父が息子達を助けたように

原爆投下により、
原爆で殺された人々の何倍の人が助かったのだな、
という気がしています。

そして、
そのような思いをさせる状況に追い込んだ「日本政府」に対して、
言いようのない怒りを感じるのです。

太平洋戦争に関して、
陸軍が悪者になることが多いと思いますが、

よくよく考えてみると、
陸軍をコントロールできなかったことも含めて、
日本政府が根本の責任を負わなければならないと思います。

敗戦後60年を過ぎ、
私の子供の世代 や 更にもっと若い世代の方々は、

我々の世代以上の日本人が持っている
陸軍に対する恨み、
軍隊に対するトラウマが、
薄れてきたように感じています。

また、いつの日か、
憲法9条改正される日も来ることになるだろうとも想像しています。

更に、
韓国や中国を見ていると、

日本が戦争を避けたいと思っても、
避けられない事態が生じるかも知れないな、という気もしないではありません。

だからこそ、
現在の為政者、更には 政権を引き継ぐ人々には、

日本政府が、
国民を屠殺した前科があることを深く深く肝に銘じて頂いて、

前車の轍を踏んで
再度、国民を屠殺することがないようにと願っています。


追記

1.上記の文章は、戦争を否定も肯定もしているものではありません。

  先ほど述べたように、戦争はおぞましいもので、極力避けるべきものですが、
  他方、人類の病理でもあり、
  人類の知恵が戦争を克服するまでは、なくならないものだと思っています。

  ですから、
  どうしても避けられない戦争に際したときに、

  せめて、
  太平洋戦争の時のような 国民を屠殺するような愚を避けて欲しい、
  と、申し上げたいのです。


2.この様な文章を書くことに、逡巡がありました。

  でも、
  私の太平洋戦争に対する根本的な見方は、
  日本政府が自国民を屠殺したことですよ、と言うことを述べさせて頂くことは
  何らかの意味を持つかも知れないと考えて、記述した次第です。

  心の奥に秘めておくべきかも知れないことを、お話しした心情 を
   ご理解頂ければ幸甚です。




高木少将語録 として、4回にわたり記述しました。
お読みいただければ幸いです

    第1回 日本軍批判
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/1-12db.html 

    第2回 高木少将のサイパン島奪還論
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-d65b.html

    第3回   「開戦を阻止しなかったこと」についての
          天皇陛下のご所見 と 高木少将のご所見批判
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-6ee3.html

    第4回 「陸軍の本土決戦論」
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-3f2d.html

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