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2011年3月 2日 (水)

ドゴール大統領 の フランス領土範囲論

エリック・ルーセル著
「ドゴール」(祥伝社、ガリマール新評伝シリーズ)


          **********


今年になって、
ドゴール大統領がどんな事績を残されたのか知りたくなり、
最近出版された「ドゴール」を読んでみました。

 ドゴール
 生没年 1890年11月22日~1970年11月 9日 享年 79才
 大統領 1958年12月21日~1969年 4月28日 10年4ヶ月間

フランスの第2次大戦から戦後の歴史については、
新聞記事による断片的な知識しかありませんので、
皆様にお話し出来るような感想はありませんが、

ただ一つだけ、
ドゴール大統領のフランス領土範囲論を読んで、

フランス人は、
「クローヴィスの統治した領域」をフランスの領土範囲と考えているのでは
との 持論と殆ど同じだったと、感じられましたので、
その部分について ご紹介させて頂きます。

以前、
今回のテーマについて 次のブログでもご紹介しましたので、
それをご参照頂きながらお読み頂ければ幸いです。

「フランス人の歴史」・・・第1回 フランスの領土の範囲は?・・・
http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-678a.html


1.第2次大戦後(1945年) フランス領土範囲論に関する発言

 < 1945年 の ド・ゴール発言(著者 ルーセルの抜き書き) >

「当時 ド・ゴールは、
 外務省の政治問題部長 モーリス・クーヴ・ド・ミュルヴィル に 書いている。

 ・・・・・・現状においては、なすべき最善のことは、
 中部ドイツに 行政機関を組織し、

 同時に
 バイエルン国、バーデン国、ヴュルテンベルク国、
 ヘッセン・ダルムシュタット国、ヘッセン・カッセル国、
 ハノーヴァー国 といったものを 作って 生きながらえさせることだ。

 その際、
 我々は、カールスルーエ を 手に入れる必要があろうし、

 また
 アメリカは、ヴュルテンベルク全体を 占領しなければなるまい。」

 (エリック・ルーセル「ドゴール」163㌻)

 注) カールスルーエ Karlsruhe は、ライン川の東側の町
        シュトゥットガルト の西北西 65km
        ストラスブール   の東北  70km
        マンハイム     の南    50km

この抜き書きの直前に、著者 ルーセルは、

「ドゴールにとっては、
 ドイツは、解体されなければならず、
 ライン左岸は、占領されねばならないのだ。」
と、記述しています。


2.晩年に、フランス語圏の人々に 独立を促す発言をしていますが、

  その中に、
  フランスが併合したいとのドゴールの領土範囲についての本心が窺えて、
  興味深いものがありました。

 ① < 1967年7月24日 カナダ モントリオール での演説 >

  カナダ200年祭にカナダ訪問した際に、
  フランス語圏のモントリオールで、次のような演説をしています。

 「モントリオールという フランス人の都市を目の前にして、万感迫る思いです。
  古い国の名、フランスの名のもとに ご挨拶いたします。
  私の心からのご挨拶です。

  皆さんに一つ秘密を明かすつもりですが、
  皆さんは それを広めたりしないでしょう。

  今宵、この地で、そして ここへ来る途中、
  私は、パリ解放のときに似た雰囲気を感じていました。」

 そして、
 カナダのフランス人の解放を呼びかけた後、
 ド・ゴールは、最後に言った

 「モントリオール万歳! 
  ケベック万歳!
  自由ケベック万歳!
  フランス人のカナダ万歳、
  そして フランス万歳」 

  このアジテーションに対するカナダからの猛烈な反発により、
  ドゴールは日程を早めて首都のオタワに行かず、帰国せざるを得なくなりました。

  しかし、
  ドゴールはこの訪問に満足していたようで、

  オルリー空港に出迎えた閣僚達に、
  「いや、実に素晴らしい訪問でしたよ。
   カナダのフランス人と話をする必要がありましたから。
   歴代のフランス王は、彼らを見捨ててきたのです。」
  と、言ったそうです。

 (エリック・ルーセル「ドゴール」286㌻)


 ② < 1969年6月(4月28日に大統領辞任した約1ヵ月後)の発言 >

 「もし、私が 政権に留まっていたら、
  ワロン地域、ジュラ州、ジュネーヴ、ヴォー州 の人々、
  アングロ・のルマン諸島の住民達の 自立を助けただろう。

  私が、ケベックでしたことは、とても重要だ。
  これで、
  フランス系カナダ人は、独立国家の地位を目指して歩んでいけるはずだ。」

  注 1.ワロン州 → ベルギー南部 フランス語圏

    2.ジュラ州 → スイス西北部、フランスとの国境を接する州、
               州境が、バーゼル の西南 40km 

    3.ヴォー州 → ジュネーヴ の北、レマン湖の北の州 ローザンヌ が首都 

    4.アングロ・ノルマン諸島(ノルマンディー諸島、チャンネル諸島)
     ノルマンディー半島 の西方海上にある イギリス領の島々

 (エリック・ルーセル「ドゴール」317㌻)


以上により、ドゴールは、
クローヴィスが支配した領域をフランスの領土範囲と考えているのだろうと、
想像されます。

ドゴールは、
フランス人の保守派の人々を代表している人物だろうと思いますが、

第2次大戦のフランスの英雄であり、
第5共和制を開始し、アルジェリアの独立を認めた大統領でありますので、

40年ぐらい前までのフランスは、
ドゴール的な領土範囲に関する 基本認識があったと言えるでしょうし、

EUが深化してきた現在でも、
ドゴール的な考え方は、フランス人の根底に 流れているのではないだろうか、
と、考えるのが自然だろうと思います。

印象的だったのは、

ドゴールが、
ジュネーヴとヴォー州(レマン湖の周りの地方)も
フランス人の領土だと考えていることです。

ジュネーヴは、
フランス人のカルヴァンが神政政治を行った町ですし、

1450年頃には、
サヴォイア公国が、この地方を支配していました。

「Wikipedia サヴォイア公国」 の 右下の地図 を 参照下さい
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%82%A4%E3%82%A2%E5%85%AC%E5%9B%BD

サヴォイア公国は、
16世紀から17世紀の初めに
サヴォイア公国のフランス側の大部分を、フランスが侵略して入手したことが、
フランスの領土範囲だと主張する根拠なのか、
と、皮肉を言いたくなります。

私は、
フランドルから北フランス、

及び、
彼らが1066年のノルマン・コンクエストで征服したイングランドの人々が、
ヨーロッパの歴史の担い手と考えています。

その中で中核となるのが、
フランスであり、

フランス史というのは、
ヨーロッパを考える上でも重要な歴史だろうと思っています。

そのフランス史における 膨張主義、侵略主義の歴史は、
一つ一つの個別の歴史事象としては、記述されますが、

フランスの悪口と取られかねないせいか、
フランス史の先生方がまとめて取り上げることが少なく

普通の日本人は、
その重要性が気がつかないで過ごしているのではないだろうかと思い、
敢えてブログで記述させて頂きました。

フランスに対して反感を持っているから お話ししたのではなく、

フランスが重要な国だからこそ、
ヨーロッパ史を理解する上で欠かせぬポイントの一つだろうと思い、
お話しさせて頂いたことをご理解頂ければ幸いです。


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