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2011年5月 2日 (月)

遅塚忠躬著「フランス革命を生きた「テロリスト」」

遅塚忠躬著
「フランス革命を生きた「テロリスト」」(NHK出版)


          **********


昨年(2010年)11月13日に亡くなられた
遅塚先生の遺作が出版されたと知り、
早速購入して、読ませていただきました。

本書は、
遅塚先生の未完成交響曲
或いは、
建設途中で中断された壮大な大聖堂
と いうべき作品だろうと思います。

 

この機会に、
懸案となっていた先生の「フランス革命」(岩波ジュニア新書)と
本書のノートを作成することにし、作業を始めたのですが、
4月いっぱいかかってしまいました。

おかげさまで、
フランス革命についての先生のお考えの骨格が
きっちり認識できることが出来ました。


本書の最初に、「はしがき」が記述されていますが、
普通の「はしがき」である本書を執筆した経緯や動機にプラスして、
遅塚史学のエッセンス、本質が、簡潔に記述されています。

多分、
本書の直前に書かれた「史学概論」の核心部分をお書きいただいたのだろう
と、思いいますので、
「史学概論」も、早い時期に読ませていただこうと思っています。

次に、
「序論」がありますが、
ここでは、
テロリズムの略史が簡潔に書かれておられます。

これを読むと、
本書の題名の中で、先生が わざわざ 括弧付きで「テロリスト」と
記述された意味が理解できます。

括弧付きにされたのは、
本書の主人公 ルカルパンティエ は、通常の「暗殺者、刺客」ではなく、
「恐怖政治を遂行する者」との テロリストの本来の語源を体した人物であった
と、おっしゃりたかったのだな、と得心されます。

その後、
農民層出身の革命家「ルカルパンティエ」の一生が記述されていますが、

「はしがき」、「序論」の重厚なの門構えからして、
多分 ルカルパンティエの伝記は、
大作の中の何分かの1の部分だと思われます。

遅塚先生は、2002年頃から
「フランス革命を生きた男たちーー革命的テロリズムの意味を問う」と題した
出版構想を描かれていたそうで、

それがどの様な構想をお持ちだったのか、私には窺い知れませんが、
編者の岩本裕子さんは、
その出版構想の一部を構成したであろう「2つの付論」をつけて下さっています。

この付論は、
シューベルトの未完成交響曲の第3楽章のはじめみたいなもので、
先生の本書の構想全てを明らかにしているものではなく、
多分 更に 色々書かれる予定だったのだろうと思われますが、

岩本さんのご尽力により、
先生の意図されておられたであろうことの一端を ご教示いただき
感謝しております。

付論1. ルソー、ロベスピエール、テロルとフランス革命
付論2. ポワシ・ダングラースーーフランス革命期のあるプロテスタントの生き方

付論1.は、
フランス革命200年を記念して、札幌日仏協会が
1989年~1994年に毎年1回シンポジウムを開催した際の
1993年に 1793年について担当された遅塚先生の講演録です。

このシンポジウムの講演録は、
勁草書房より「フランス革命の光と闇」と題して出版されています。

付論2.は、
2000年秋に 東北学院大学キリスト教文化研究所 での講演録で、
この講演を「研究所紀要」論文とする際に、大幅に加筆されたそうです。


遅塚先生は、
「フランス革命」(岩波ジュニア新書)において、

「(当時 貴族、ブルジョワ、大衆(都市の貧民と農民)が
 フランスを構成していたが)、

 フランス革命は、
 ブルジョワだけの利害に適合した社会、
 即ち
 資本主義の発展に適合した社会をもたらしたという意味で、
 その基本的性格は、ブルジョワ革命 と 言って良い」
と、述べておられます。

(遅塚忠躬「フランス革命」93㌻)

フランス革命の経緯を見ても、
「ブルジョワが中心となって担った革命だ」
と、言うことが出来るだろうと思います。


遅塚先生の記述を要約すると、
おおよそ次の通りになるのだろうと思います。

第1期
1789年の革命後、
ブルジョワが、自由主義貴族と共に、大衆を切り捨てて、
91年体制を確立しました。

しかし、
貴族の反乱や、外国からの戦争、
更には、
ルイ16世の逃亡による王家への信頼失墜などにより、
大衆の力を借りなければ、フランスの存亡がはかれなくなりました。

第2期
1792年8月10日の蜂起(第2の革命)により、共和制が成立し、
大衆との妥協を図ろうとした
ロベスピエール率いる ブルジョワのジャコバン派(国会内党派として 山岳派)が、
権力を掌握しました。

ところが、
ブルジョワと大衆の利害の対立の調整が不可能だったため、

ロベスピエールは、
自己の主張を貫徹するために、恐怖政治により

先ず、 
ブルジョワ自身の利害を追究する ジロンド派を、

次には、
山岳派の左派と右派を追放、処刑したのでしたのでしたが、

支持基盤が少数となり、
1794年7月のテミドールのクーデターにより、失脚処刑されたのでした。

第3期
テミドールのクーデター後は、
ブルジョワが、ブルジョワだけの総裁政府を成立させました。

ブルジョワは、
貴族や大衆の左右からの攻撃に対して、
あまりに弱体だったため、軍隊に頼らざるを得なくなり、

最後は、
1799年ナポレオンのクーデターにより
フランス革命が終焉を迎えたのでした。


本書を読むと、
遅塚先生のフランス革命への思いは、1793年にあるように感じられます。

ロベスピエールの恐怖政治は、
多数の人間を処刑したとのマイナス面があるものの、

その後の人類にもたらした 何よりもの貴重なプラス面は、
マイナス面を補って価値があるもの と、感じておられるような気がします。


93年のプラス面とは、 

1.93年憲法で 政治的デモクラシーの原理を樹立したこと。

  即ち、
  ① 成人男子の普通選挙
  ② 直接民主制
  ③ 更には 国民の抵抗権をみとめたことです。

2.ブルジョワの自由主義経済、資本主義の発展を拒否して、
  社会的デモクラシーの実現を目指したこと。

  即ち、
  ① 私的独占、団結の禁止法
    (買い占めや談合による価格のつり上げに刑罰を課した)
  ② あらゆる領主的諸権利の完全無償破棄
    (アンシャン・レジームの打倒 を 完成させた)
  ③ ロベスピエールが、
    生存権(生きる権利)は、所有権より優越すると主張したこと

    注) 先生の著書「ロベスピエールとドリヴィエ」は、
       ③の経緯を記述されおられます。


しかも、
フランス革命の成果は、
フランス革命の時点で、全てもたらされたのではなく、

フランス革命が播いた種が、
100年後の第三共和制において 普通選挙が定着し、

20世紀半ばの第2次大戦後、
ロベスピエールが提唱した 「生存権の優位」 や
93年憲法に書き込まれた 「公的扶助の義務」が、
福祉国家の理想を示すものとして 賛同を得るようになった
(遅塚忠躬「フランス革命」128㌻)

と、記述されておられるのを重ね合わすと、

「だから、93年は、何物にも代え難い価値(プラス)があったのだ」
と、おっしゃりたかったのでは、と感じました


先生の93年への思い、
フランス革命への思い は、

「93年のフランス人は、自らの血を流して、後の世界に 大きなプラスを遺した」
 ((遅塚忠躬「フランス革命を生きたテロリスト」223㌻)
に、言い尽くされているのだろうと思います。



遅塚先生は、本書の「はしがき」において

「歴史学は、
 仮説としてのある解釈を提示して、
 読者の選択肢を豊富ならしめるということに尽きるであろう。

 (仮説提示者としての研究者は、
  同時に、他の研究者の提示する仮説の読者である。)

 歴史学という営みの目指すところは、
 読者が歴史について思索を巡らすための素材を提供することに尽きるであろう。

 本書において、
 革命的テロリズムに関する私(遅塚)の拙い解釈を提示するだけでなく、
 フランス革命を生きた男の姿の一端を描くことによって、
 読者の思索のためのささやかな素材を提供したい と、思っている」
 (遅塚忠躬「フランス革命を生きたテロリスト」29㌻)

と、記述されておられますので、

以下に、
先生の記述(仮説)に対する私の「率直な感想」を 述べることを
お許し下さるようお願い申し上げます。


まず最初に、

先生の記述を読んでいて、
大学に入った当時の疑問、不満を思い出しました。

当時授業を聞いていて、出てくる話は、
近代以降か、
唐突に ギリシア・ローマ(含むキリスト教)の 昔に飛んでしまい、

歴史的経緯からの視点
即ち
中世の話がなかったのです。

(歴史的経緯を述べるために、
 ギリシア・ローマに飛ぶことに 違和感を感じていました。)


私は、
ギリシア・ローマ(含むキリスト教)は、ヨーロッパ人とは別のオリジンで、

ヨーロッパ人は、
日本人が、
卑弥呼以来 中国文明を学びながら 歴史を積み重ねてきたのと同じように、

ギリシア・ローマ(含むキリスト教)の文明を 継受して、
徐々に自分のものにしながら 歴史を積み重ねてきたのだろう
と、考えています。

注) ギリシア・ローマとヨーロッパは別の話である については、
   私のホームページの幾つかの文章をお読み頂ければ幸いです。

   ヨーロッパ史の基礎視座
   http://chuuseishi.la.coocan.jp/030516.htm

   ガリアは、ローマ文明を灯し続けてきたのか?
   http://chuuseishi.la.coocan.jp/080215.htm 

   ピレンヌテーゼへの疑問
   http://chuuseishi.la.coocan.jp/010923.htm   


ですから、
フランス革命を含めて
近代、更には現代のヨーロッパ史の基礎、土台には、
中世以来連綿と積み重ねてきたヨーロッパ人のエートスみたいなものがあって、

そのエートスが、
先生のおっしゃる事件史や構造史を規定しているのだろうと感じられるのです。


遅塚先生は、そのような点を省いて、
フランス革命当時の歴史事象だけを記述されていますが、

表面上の歴史事象の根底にあるものを掴まなければ、
フランス革命の本質の理解は難しいのではないかな、
との疑問を持っています。

失礼を顧みず述べさせて頂くと、
先生の議論は、「建物の建て付け」について述べておられますが、
「その土台や基礎についての議論」が 省かれているような 気がするのです。


今日のヨーロッパをもたらした、
「彼らの根底にあるエートスとは、何か?」ということを、
私がヨーロッパ史を読む際の最大の目的としているのですが、

残念ながら
未だに 発見はおろか、その方法論は 勿論
何をどこから、どの様に手をつければ良いのか 分からずに 彷徨っています。

そのような暗中模索の中ですが、
遅塚先生の記述を読んでいて、「議論が必要ではないだろうか」と感じた点を、
2つばかりご紹介させて頂きます。


第1点は、

ロベスピエール も
ロベスピエールに対立する立場だった ル・シャプリエも、

共に
自己は、「一般的利害」を代表し、
相手は、「個別的利害」にこだわっているから、

自己の主張が正しいのだといって、「排除の論理」を展開した
と、記述されておられる点です。

(遅塚忠躬「フランス革命を生きたテロリスト」207㌻)


何故、彼らは
この様な唯我独尊の考え方をするようになったのでしょうか。

遅塚先生は、
利害の対立が激しくて、妥協の余地がなく、
自己の立場の正統性を振りかざして、相手を排除して押し切るしかなかったからだ
と、記述されています。

この認識は、全く正しいのだろうと思います。

でも、
何故立場を異にする2人が、全く同一の考え方をするようになったのでしょうか。

これを探究すれば、
「フランス革命を担った人々の根底にあるエートスみたいなもの を
 探ることが出来るのではないだろうか」と、いう気がしています。

私は、
「キリスト教の影響ではないだろうか」と、いう気がしています。

トマス・アクィナスの先生である アルベルトゥス・マグヌスは、

哲学は、
理性(厳密な論理的方法)によって、真理を探究するので、
誤りを犯すことがあるが、

神学は、
理性では把握することの出来ない
(間違いを犯すことのない)
啓示された真理を前提をして論述するので、
確実である(誤ることはない)

と、述べています。

    スコラ学者 アルベルトゥス・マグヌス の 哲学と神学の差
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_309f.html


また、ルターは、
「私の良心は、神の言に捕らえられている」と言っています。

    会田雄次、渡辺一夫、松田智雄著「ルネサンス」
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-e411.html


アルベルトゥス・マグヌスは、
「神の啓示に従っているから、 自分の考えは正しいし、間違えることはない」

ルターも、
「神に捕らわれているから、
 (私を通して 神がお考えを述べておられるので)
 私が言うことは、他の誰よりも 正しい」

と、述べているのです。

自分が思い込んだ 神の啓示なり命令 が、
「絶対に正しい、間違いない」と、主張しているのです。

主観的な信念が、客観的な議論や検証もナシに、
気がついたら 突然 絶対的な真理となって現れ、

自己の真理に従わない 対立する宗派 に 対しては、
人殺しの論理にさえなったのです。

マグヌスやルターの論理から、神をなくせば、
ロベスピエールやル・シャプリエの論理に、すぐつながります。

ロベスピエールやル・シャプリエの論理は、
2人に限ったことではなく、ヨーロッパ人全般に通用する論理であり、

フランス革命だけでなく、
それ以前も、それ以後も 幾多の悲劇をもたらし、
現在ももたらしている論理ではないでしょうか。

この点について、
遅塚先生からご意見を伺えなかったことが残念です。


第2点目は、
遅塚先生が ユマニスム、ユマニストに関する言及がないように感じられることです。

ユマニスムとは、何でしょうか。

渡辺一夫先生の著述を読んで、私が理解したユマニストとは、

偏狭な狂信者 に対して、
「それが キリストと何の関係があるのか?」
(Quid haec ad Christum?)
と、問いかけ続ける、精神的態度です。

ユマニストは、
16世紀、偏狭なカトリック に対して 問いかける と共に、

その偏狭なカトリックに対して
「それが キリストと何の関係があるのか?」の問いかけから始まった
カルバン派が、変質して偏狭となったとき、

ユマニスト は、
カトリック に 対してと 同様の問いかけ を、カルバン派 に 投げかけたのでした。

ユマニストとしては、
エラスムス や
フランスではルフェーヴル・デタープルがリーダーだったモーの人々が
有名ですが、

私は、カステリヨンに着目しています。

カステリヨンは、
カルヴァンの弟子で、その後 袂を別ち、
セルヴェがジュネーヴでカルヴァンにより火刑に処されたとき、
一命を賭して カルヴァン批判の書 を 公表しました。

また、
フランスで宗教戦争が勃発したときに、
争いを諫めた遺言の書を書いておられます。

ご興味ある方は、
ツヴァイク全集17「権力とたたかう良心」(みすず書房) を ご覧下さい。


ユマニスムとは、
私流の理解で申し上げると、 

「多様な(複数の)価値観」の存在を 是認して、
「単一の価値観、自分の立場」に 凝り固まった人に対して、

「別の見方もありますよ、その考えはおかしいのでは」と、
問いかけ続ける人々です。

渡辺一夫先生は、次の様に書かれておられます。

「ユマニスム は、
 狂信と暴力 に対して 批判は し得るが、
 暴力を相手に 格闘は、出来ないのである。

 格闘すれば、ユマニスムの死しかない。
 ユマニスムには、ただ 隠忍するだけの道しかない。」

(「渡辺一夫著作集5」323㌻)(筑摩書房)


(注)  ここでご紹介した 私のユマニストの定義 は、
     歴史上のユマニストから抽出した「定義(理念型)」であり、
     歴史上のユマニストとは異なっています。

     例えば、カステリヨンは、
     「多様な価値観」に基づいて発言したのではなく、

     当時のカトリックやカルヴァン派が、
     「キリストの教え」から外れている、と、呟いているということです。

     言いかえると、
     カステリヨンが正しいと信じていた「キリストの教え」という
     「単一の価値観」に基づいて、
     カトリックやカルヴァン派を批判しているのであって、

     カステリヨンが、
     「多様な価値観」を認めて、
     それに基づいて 批判しているのでは ないのです。

     この点について、
     ユマニスム についての 友人との対話
     http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-9a8b.html

     
を、ご覧頂ければ 幸いです。


遅塚先生は、
付論2.のポワシ・ダングラースを、リベラリストと捉えられておられますが、

私には、
リベラリストと同時に ユマニストの部分もあったのでは、
という気がしています。

革命当時、
ポワシ以外のユマニストが おられたのだろう と 思います。

また、
遅塚先生がポワシに着目された点は、
まさにポワシの「ユマニストの精神」にあるような気がしています。

ユマニストの伝統は、
連綿としてフランス革命当時も 底流に流れていたのだろうと思います。

ユマニストの武器は、
言論による「問いかけ」だけですから、
一見弱々しく、何の実効性もないように見えますが、

時間が経過する内に、
その主張が 徐々に個々人の心の中に広まっていって、
いつの日かは、ユマニストの理想が、実現するのです。

山岳派やロベスピエールの理想を、100年単位で実現させた原動力は、
一見ひ弱に見える ユマニスムの精神 が 広まった結果によるもの
ではないだろうか、と、感じています。

この様な性格を持つユマニスムについて
遅塚先生は、どの様にお考えなっておられたのでしょうか。

先生のご見解をお聞きできなかったことも、
今となっては心残りの一つです。


最後に、

ジャコバン派の恐怖政治は、
プラスとマイナスが表裏一体であり、

(マイナス面は避けられなかったが、
 マイナスを上廻る)プラス面を評価できるから

と、おっしゃっておられる遅塚先生の記述に、違和感を覚えます。

多分、先生の熱情が、
ロベスピエールやルカルパンティエの熱情に共鳴して、
そのような評価をされたのだろうと、推察しています。

でも、
個人的なお立場でそのように評価されるのはともかく、
日本を代表する歴史家として、
そのような評価をされるのは、ちょっと疑問に感じます。

私は、
「歴史を評価するときに ダブル・スタンダード が 求められるな」
と、日頃感じています。

ここで「ダブル・スタンダード」というのは、
通常使われている意味ではなく、
言葉通りの「2つの規準、視点」という意味です。

「2つの規準、視点」のうち、

「1つの規準、視点」は、
歴史となった事実 が 生じた時点での価値観、倫理感、法律などから、
その時点の事績 を 評価せねばならないと、言うことです。

後から見て、色々な批判されるような行為でも、

その時点においては、
許容されていたり、
非難されるような行為を回避し得る 期待可能性 が なかった場合
も、あるでしょう。

歴史は、
「後知恵で批判するのではなく、
 その時点の基準で評価せねばならない」
と、言うことです。

この意味で、
遅塚先生の93年の評価は、納得できるものであり、
説得力のある評価だと思います。


ただ、歴史を考えるとき、
「もう一つの規準、視点」が要請されるのではないでしょうか。

それは、
「人類が昔から持っている倫理」からの評価です。

難しいことを言っているのではありません。

「人を殺してはいけない」
「人の物を盗んではいけない」と、いうような
人類一般の倫理に反する行為は、

たとえその時点で、法律的にも許容されていたとしても、
やはりそれは、
「避けるべきものだった」との評価になるのではないでしょうか。

また、
そのような行為は、いつかはツケが回ってくるのだろうと思います。

植民地支配を謳歌した帝国主義列強が、
その植民地支配のツケを現在いろんな意味で支払わされているのが、
典型的な例だと思います。


誤解して頂きたくないのは、
だからといって、
「当時の人々の行為を糾弾しよう」ということではありません。

ロベスピエールは、沢山の人を殺しました。

その殺人が、
当時 合法であったり、それ以外の行為が期待できなかった場合、
ロベスピエールは、非難されるべきではないでしょう。

でも、
行為者を「糾弾」する趣旨ではなく、
そのような「行為」を 現在から冷静に、客観的に見たときに、
人類共通の倫理に反するものであるなら、

やはりそれが、いくらプラスがあったとしても
「避けるべきだった」との「歴史に対する評価」
に なるのでは ないでしょうか。

革命や政治的な対立の際に、
最も しかも 簡単に生じることで、絶対にしてはいけないことが、
ロベスピエールが行ったような、自己に対立する者 の「抹殺」です。

冷静なときには、その通りだ と 認めても、
頭に血が上っている 修羅場 では、すぐに忘れ去られるのです。

こういうときにこそ、
先ほど述べた「ユマニスムの精神」が、必要とされるのではないでしょうか。


以上により、
遅塚先生の93年に対する評価は、
人類一般の倫理を基準とした評価が欠けておられるため、

残念ながら私には
「一面的な評価で、納得がいかないな」と、首をかしげています。

この点も、
先生のお考えをお聞きできればと思うのですが、
今となっては 残念なことです。



以上、率直な感想を述べさせて頂きましたが、

文章を終わるにあたって、改めて
フランス革命について、
分かりやすく、明快に解説して頂いて導いて下さった
遅塚先生に感謝申し上げると共に、

遅塚先生のご冥福をお祈りいたします。(合掌)

 

 

追記 2020年4月5日 記述

ブログを読み直して、考え込んでいます。

現在の所、解決策が見つけられず、
今後の課題として考えていきたいと考えていますので、

とりあえず、
問題の所在 について 以下で ご説明させていただきます。


ブログの最後の部分で、

歴史を評価する際に、
「ダブルスタンダード」即ち「2つの基準、視点」
が、求められるのでは? と、記述し、

「2つの規準、視点」のうち、

「1つの規準、視点」は、
歴史となった事実 が 生じた時点での価値観、倫理感、法律などから、
その時点の事績 を 評価せねばならないと、言うことです。

(言い換えると)
歴史は、
「後知恵で批判するのではなく、
 その時点の基準で評価せねばならない」
と、言うことです。

(但し、)
歴史 を 考えるとき、
「もう一つの規準、視点」が要請されるのではないでしょうか。

それは、
「人類が昔から持っている倫理」からの評価です。

難しいことを言っているのではありません。

「人を殺してはいけない」
「人の物を盗んではいけない」と、いうような
人類一般の倫理に反する行為は、

たとえその時点で、法律的にも許容されていたとしても、
やはりそれは、
「避けるべきものだった」との評価になるのではないでしょうか。

また、
そのような行為は、いつかはツケが回ってくるのだろうと思います。

と、述べさせていただきました。


読み直して 考え込んでしまった点 は、

「人類が、昔から持っている倫理」からの評価です。
との文章です。

私は、
「積み重ねの歴史」である日本 で 生まれ育った人間 ですので、

無意識のうちに、
「積み重ねの歴史」が、積み重ねてきたモラル を
当然視していることを、最近 痛感しています。

今回のブログは、
主に、日本人である私が、
日本人の皆様に お話ししているものですから、

「積み重ねの歴史」が、積み重ねてきたモラル(倫理)を、
「人類が、昔から持っているモラル(倫理)」
と、当然視してしまっているのです。

何度も申し上げていますように、

「積み重ねの歴史」は、
ヨーロッパの一部 と 日本 が、生み出した歴史であり、
「繰り返しの歴史」が、他の大多数の歴史なのです。

即ち、
我々 日本人 と、ヨーロッパの一部の人々 は、
人類全体から見たときには、特殊の歴史に属する人々 なのです。

ただ、
「積み重ねの歴史」が、世界中の地域を征服して、植民地化し、
英語同様、世界基準となった と、一般的には 思われていますので、

私も 無意識のうちに、
「積み重ねの歴史」が積み重ねてきたモラル(倫理)が、
人類共通のモラル(倫理)と思い込んでしまい、
そのようにお話ししたのです。

最近の米中対立は、
「積み重ねの歴史」に対して
「繰り返しの歴史」が、復権 を 試みて 反撃したこと生じた対立である
と、感じられます。

チャイナ や 韓国 の モラル(倫理)は、

「ウソ」をついても良い、
「ウソ」に騙される者が 悪い
というものであり、

「積み重ねの歴史」のモラル(倫理)と、真っ向から対立するものです。

これも 何度も 申し上げてきたことですが、

「繰り返しの歴史」こそが、
人類に 受け入れやすい歴史であり、

それが 築いてきたモラル(倫理)こそが、

言い換えると、
チャイナ や 韓国 の モラルの方 が、

人類 に 受け入れられやすい、
人類にとって 親しみやすい 安易なモラル(倫理)だろう
と、思います。

ですから、
「積み重ねの歴史」に属する人間が、歴史を評価する際には、

私が、ご説明した「2つの基準、視点」が、妥当であろう
と、考えますが、

それが、
全人類共通の基準だ と 主張するのは、
ちょっと無理があるのでは
と、感じられます。

では、

どの様な基準にしたら、人類共通の基準となり得るか?
についての 解答 が、
今すぐには 思いつきませんので、

ここでは、
問題点の指摘だけに留めさせていただきます。

(現時点では、
 追い求めても 得ることが出来ない「青い鳥」ではないか
 との予感を 持っています。)


今回 追記した問題 について、
次のブログ を ご参照頂ければ 幸いです。

米中対立 の 根底に潜む ヨーロッパ文明 の 解決不能な難問


以 上

 

 

 

 












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