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2011年5月13日 (金)

ユマニスム についての 友人との対話

先日、久しぶりに友人と歓談した際に、その友人から
「バートランド・ラッセルの「西洋哲学史」を読んでいる。」
とのお話しがありました。


帰宅後、
ラッセルの本を本箱から引き出して見てみると、

ユマニストのことを書いておられない感じがしたので、
次の様なメールをしました。


今日話題になったラッセルの「西洋哲学史」に、

ユマニスムがどの様に記述されているのか、
 

ちょっと気になってパラパラとページをめくってみたのですが
ちょっと見た範囲では、記述がされているところが 気がつきませんでした。

詳しくは、ちゃんと読まなければいけないと思いますが、
 
哲学史に書かれていないということについて、
「なるほどな」と得心してしまいました。


というのは、
今日お渡しした遅塚先生の著作についてのブログにも書いてありますが、

ユマニストとは、
「思想(哲学)」ではなく、「精神的態度」なのです。


    遅塚忠躬著「フランス革命を生きた「テロリスト」」



どんな思想の持ち主でも、
又、その人が どの様な思想を持っているか を 問わずに、

ただ、
価値の多様性を認識し、許容して、
一つの価値観に凝り固まっている人に対して、

「それはちょっとおかしいのではないでしょうか」
と、常に問いかける人であれば、ユマニストと言えるのです。


ですから、
哲学史のように、思想を紹介する本には、
対象とならなかったのだろうと思いますが、

「ラッセルともあろう方が、ちょっとどうでしょうかね」
と、言いたくもなります。


ユマニスムが、大切だと思うのは、
価値観の多様性を許容する人が増えることにより、
社会の物の考え方が変わっていくことです。


遅塚先生は、
ロベスピエールの提唱した生存権が、
20世紀半ばに実現した と 書いておられますが、

何故実現したかを考えるときに、
このユマニスムが広まったからだろう と 思います。

(「ちょっとおかしいのでは、こうしたらよいのでは」
  と 言う人が増えたからだと思います。)


今日 お目にかかったときに
人文科学の分野では、「進歩」はないと申し上げました。

確かに、
「哲学」みたいな「思想」は、進歩というものは無いだろうと思いますが、

精神的態度である「価値の多様性」を 認める人の「割合が増える」ことにより、
社会の物の考え方 が 変化していくことを、

私は、
「積み重ね」と言いますが、
人によっては、
「進歩」と 言う人もおられるだろう と 思っています。


ユマニストについては、
多分 渡辺一夫先生の著作集 を 読まれるのが 一番だと思いますが、

取りあえずは、渡辺一夫先生の

「フランスユマニスムの成立」(岩波全書)とか
「フランス・ルネサンスの人々」(白水社)

を、お勧めします。


余計なことと思いますが、

カステリヨンが、
宗教戦争が始まるときに、祖国フランスへの遺言として書かれた
「悩めるフランスに勧めること」のノートを、添付させて頂きます。

この著作は、殆ど知られていないし、
私自身この文書をあると知ったとき、読むことは出来ないだろう
と、思っていたのですが、

渡辺一夫先生が手を回しておられて、
世界文学大系74「ルネサンス文学集」に、
お弟子さんの二宮敬先生に訳させておられたのでした。


このカステリヨンの祖国への遺言が、
ユマニスムの神髄を表していると、私は思っています。

読まれると、
「何だ当たり前のことを書いているだけではないか」
と、感じられると思います。

でも、
その「当たり前のこと」が 理解できずに、
血を血で洗う 宗教戦争 が フランスで起こったし、

その後、
30年戦争 や フランス革命、

更には
第1次大戦、第2次大戦などの
むごたらしい惨事が、歴史上繰り返されたのでした。


現在でも、
テロへの戦争と言って、繰り返されており、

決して カステリヨンが書かれた「当たり前のこと」を、
人類が完全にマスターして、卒業したということではない
と、思います。


ユマニスムは、
哲学(思想)ではありませんが、

人間の態度のあり方として
「こういうものも あるのだ」と、認識して頂ければ幸いです。



メールをすると
すぐに、次の様な返事を頂いたのですが、
その内容に、深く感心しましたので ご紹介させて頂きます。
(私信ですので、要旨だけをご紹介させて頂きます。)

ラッセルの西洋哲学史には、ユマニスムの記載がありません。
何が真か、何が善か、に関する
合理的な学問体系が哲学とすれば、
確かに、スタンス論であるユマニスムは
取り上げなかったのかもしれません。
ご指摘のように、「当たり前のこと」が大切です。
言い方をかえれば、
「当たり前のこと」が、「物事の本質」なのかもしれません。
哲学って、結局
「当たり前のこと」を、どのように説明するのか、実現するのか
と、いうことであり、
その学問体系が
修辞学や論理学、文法などのリベラルアーツということになる
と、考えています。



< 補 足 > 2012年 正月元旦(1月1日) 記述

  上記の次の文章は、
言葉足らずの記述ですので、
  補足説明をさせていただきます。


  「どんな思想の持ち主でも、
   又、その人が どの様な思想を持っているか を 問わずに、

   ただ、
   価値の多様性を認識し、許容して、

   一つの価値観に凝り固まっている人に対して、

   「それはちょっとおかしいのではないでしょうか」
   と、常に問いかける人であれば、ユマニストと言えるのです。」
 
 


  ここに書いてあるユマニストの定義は、
  私が歴史上のユマニストから抽出した「定義(理念型)」であり、

  渡辺一夫先生が記述されておられる
  歴史上のユマニストとは異なっています。


  渡辺先生は、ユマニストは、
  「Quid haec ad Christum?(それが キリストと何の関係があるのか?)」
  と、呟いただけだけど、
  その呟きは、
  その後の歴史にとって、非常に重要であり、大切であった
  と、記述されておられます。


  < 渡辺先生の記述 >
    「旧教会の人々から 異端者呼ばわり された 新教徒 も、
    今度は 自分たちが 異端者を製造せざるを得なくなっているのである。
    この1553年前後は、
    ユマニスムの息の根が絶えてしまったかのように思われた時期だった。
    しかし、
    Quid haec ad Christum? という問いは、
    依然として、例えば、カステリヨンの口から呟かれていたのである。


    ユマニスムの息の根が、絶やされ 没落したのでも 何でもない。

    ただ、
    ユマニスムの勧めに従っていては 都合の悪いことの多い
    相対する両派の人々の狂信と集団的暴力とが、
    わが世の春を謡っていただけの話である。


    ユマニスムは、

    狂信と暴力に対して批判はし得るが、
    暴力を相手に格闘はできないのである。

    格闘すれば、ユマニスムの死しかない。
    ユマニスムには、ただ隠忍するだけの道しかない」


    < 出 所 >
      渡辺一夫著作集5 ルネサンス雑考 下巻 323㌻(筑摩書房)
      渡辺一夫著「フランス・ユマニスムの成立 151㌻(岩波書店、岩波全書)



  言葉足らずである、と申し上げたのは、
  カステリヨンを始めとする「ユマニスト」は、
  「多様な価値観」に基づいて発言したのではなく、
  当時のカトリックやカルヴァン派が、「キリストの教え」から外れている
  と、呟いているということです。


  言いかえると、

  「キリストの教え」という「単一の価値観」に基づいて
  カトリックやカルヴァン派を批判しているのであって、
  決して「多様な価値観」を認めて、
  それに基づいて批判しているのではないのです。
  ヨーロッパ人が、
  「単一の価値観」に基づいているということについて
  正面からの議論は、寡聞にして聞いたことはありませんが、
  ヨーロッパを考える際の出発点となる重要な認識の一つであろう
  と、思います。


  私には、この点こそが、
  ヨーロッパ人の意識の最も深いところにあるエートスの一つであるように
  感じられます。


  勿論、
  「単一の価値観」に基づいたからといって、

  私が尊敬するカステリヨンのように、
  一見「多様な価値観」に基づいているような議論は可能ですし、
  19世紀、20世紀と時を経るに従って、
  ユマニストの考え方が広まり、共有されるようになってきていますので、
  ユマニスムの果たした功績は、
  いくら評価しても評価しすぎであることはないと思います。
  しかしながら、

  「単一の価値観」に基づいたヨーロッパが、世界制覇したことが、
  (自分以外の価値観を認めないヨーロッパが、)
 
  21世紀になっても 争いが根絶できない一つの原因だろう
  と、思われますので、

  「単一の価値観」に基づいたヨーロッパ論についての議論を深めれば
  大変得るところが大であろう思われます。
  別の言い方をすると、
  もし、争いが利害得失だけの争いであれば、
  困難ではあっても、利害の調整は可能であり
  争いは 回避できるのではないでしょうか。
  利害調整できず、
  未だに争いが回避できず頻発していることの一つの要因として、

  「自分の価値観」が、
  神が保証する「絶対的な正義」であるとの立場に立つ

  欧米人の築いた文明が
  世界を支配していることに あるのではないだろうか と 思われます。
  このことに気がついているヨーロッパ人が、
  どれだけおられるのか、疑問に感じています。
  キリスト教が染みついたヨーロッパ人にとっては、
  多分 彼らの「偏狭性」に対する私のような指摘は、

  自ら 気がつきづらい事柄の一つではないだろうか、
  と、想像しています。


  日本人は、
  ヨーロッパを岡目八目で見ることの出来る立場であるに加えて、

  古来から「八百万の神々」が存在してきた、

  言いかえると、
  「多様な価値観」を理解してきた
  多分 数少ないの民族の一つだったのだろうと思います。
  勿論、日本人もそれほど立派なではなく、

  人間の弱さ故に、
  「多様な価値観」よりも 自分の利害得失の方を
  優先する人が大半だったのですが、
  それでも、
  キリスト教を当然の前提とするヨーロッパ人とは、
  相当距離を有しております。


  従って、
  「人類が、「多様な価値観」を
   相互に承認し、共有できるようになるためには、どうすればよいのか」
  についての提言を、
  これからの日本を担う若い方が、まとめていただいて
  欧米を始め、世界に発信下さり、
  世界の平和を実現する一翼を担っていただけることを
  祈念しています。

< 補足の追記 > 2012年3月6日 記述


  カステリヨンが、

  「多様な価値観」に基づいて
  カトリックやカルヴァン派を批判したように見えたのは、
  「キリスト教の特質 も あったのかな」と、思うようになりました。
  秦先生の聖書シリーズの本を読んでいて感じたことは、

  キリスト教の神は、
  表と裏の「2つの顔」を持っているということです。


  「表の顔」は、
  カステリヨンが拠った「イエス・キリスト」であり、

  「裏の顔」は、
  「旧約聖書の神」即ち「ユダヤ教の神」です。


  旧約聖書の神は、

  殺人犯のモーセの親分であり、
  神自身が大量の殺人者である「とんでもない神」なのですが、

  この2つの神を、「三位一体」としたことが、
  キリスト教の根本的な欠陥だろうと思います。


  カステリヨンは、

  「イエス・キリスト」の教えに従って、
  カトリックやカルヴァン派を批判し、改善を求めましたが、

  「旧約聖書の神」を否定はしていませんでした。


  カトリックやカルヴァン派は、
  「旧約聖書の神」に従って、殺戮を繰り返していたのですが、

  カステリヨンは、
  内心批判的であっただろうと推察はしていますが、
  「旧約聖書の神」を否定することをしていません。


  ですから、
  この「神の二面性」に着目せずに、カステリヨンの文書を読むと、

  カステリヨンが、
  いかにも「多様な価値観」があることを前提にして、
  カトリックやカルヴァン派を批判しているように
  読めるのだろうと思います。
  いずれにせよ、

  ヨーロッパ人がキリスト教の教えに従って、
  「自分の価値観が正しく、他の価値観は抹殺すべきだ」との
  「単一価値観」を持つに至ったこと


  及び 

  神が二面性((二つの価値観)を持っていて、
 
  ① ヨーロッパ人が、その時々において、都合の良い方を使い分けることと

  ② 一方の神が、
    殺戮を自ら陣頭指揮し、殺人を正当化、奨励する神であることが、
  「人類の不幸の一つである」と言っても過言ではないと感じています。


   (注) 「神の二面性」について 

       「秦剛平先生 の 聖書シリーズ」のブログの内
       次のブログを参照頂ければ 幸いです。


    第2回 旧約聖書の神は、大量殺人犯 かつ 殺人犯の親玉である
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-7da6.html

    第3回(今回) 旧約聖書の神が、キリスト教にもたらしたもの
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-cb42.html

    第4回 「歴史のイエス」 と 「信仰のキリスト」
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-de7f.html

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