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2011年7月 8日 (金)

2011年フランス旅行  1.日本の影響により フランスが変容している点

6月下旬、パリとブルターニュに行って来ました。


去年の6月と同様に、
パリでは、マレー地区の北部 ポントシュー通り(キャベツ橋通り)に
滞在したのですが、その 様変わり に びっくりしました。

以前から ボージュ広場やロジエ通りなどのマレー地区の南側は、
若者の人気の町で有名でしたし、

日本でも 色々な観光案内書に
マレー地区の散歩コースなどが紹介されていましたが、
マレー地区の北部は、全く普通の住宅街でした。


滞在先の近くのブルターニュ通りなどは、
パリの住宅街にある商店街の典型という風情で、

便利な上に、パリの日常生活も味わえる、大好きな通りでした。

それが、一変して、
南地区ほどではないにしても、大変な人通りになっているのです。

ブルタ-ニュ通りのカフェやブラッセリーは、
歩道のテーブルが一日中満席で、

 

夜中でも、3時、4時まで、
オートバイの騒音や、若者の嬌声でざわざわしていて、
落ち着かない町に変貌していました。


この様に滞在場所の環境が、大幅に変化したせいか、
今回は、従来以上に日本とフランスについて感じることが
多かったのです。


旅行者故に、表面的で一面的な観察に過ぎないと思いますが、

「日本は、
 意外に深いところで フランスに 影響を与えているのでは」

「フランスは、
 日本と同じように外国から良いものは貪欲に取り入れて、
 文化、文明を変容させることに
 前向きに取り組む国なのだな」

と、感じました。

私は、日本やフランスは、
共に「積み重ねの歴史」の国だと考えていますが、

フランスは、
現在でも 新たなものを取り入れて
歴史を積み重ねている国だと
改めて今回確認させられたなと感じました。


以下に、
滞在中に考えたこと、感じたことの一端を
簡単にご紹介させて頂きます。



日本が、フランスに影響を与えた例として
すぐに思い起こされるのは、「浮世絵」です。

また、最近は、日本食ブームで、
フランスの何処に行っても
日本食レストランが店を出していることが、
日本でも紹介されています。


注1. 日本食レストランといっても、
    調理しているのは中国人や、韓国人が大半で、

    日本人から見ると、
    ちょっと気持ちが悪く、食中毒でも起こして、
    日本食のイメージダウンが生じることがないように、
    との感じを持っています。


注2. 日本食レストランを、
    日本人以外の方が経営したり、調理するのはけしからん、
    と、申しているわけではありません。

    日本人も、戦前から
    見よう見まねでイタリアレストラン を 出していますし、

    日本の代表的なスパゲッティーの「ナポリタン」は、
    イタリアではお目にかからない代物だとのことですので、

    外国人が、
    外国で 日本料理まがいの日本食レストラン を 経営しても、
    お互い様だと 思っています。

    ただ、先ほど述べたように
    生ものなどの扱いに不慣れな方が、食中毒を引き起こして
    日本料理の評判が、悪くなることがないように
    と、願うばかりです。



私が、「日本が、深いところで フランスに影響しているのでは」
と、申し上げる 最初の点は、

「日本食が、
 フランス料理そのものを変容させる原動力になっているのでは」
と、感じられることです。

リヨンのポール・ボキューズさんが、

40年位前に
辻調理師学校の辻さんに招かれて来日したときに
日本料理に感心して、

新料理(ヌーヴェル・キュイジーヌ)を創始したことは、
広く知られていることだと思います。


私も、30年前に、
ヌーヴェル・キュイジーヌとはどんなものかなと思い、

家族でリヨンのボキューズさんのレストランを
訪れたことがありました。

その食事は、
生涯で これ以上の美味しい料理を食べることはないだろう
と 思われるほど、大変美味しい料理でした。


量的にも 大変な量で、

翌日 ディジョンで別のレストランで食事しようと、
家族三人で店の前まで行ったのですが、

 

家族全員が、
前日の満腹感が24時間経っても残っていて、

店外に掲示されているメニューを見ただけで、
もうこれ以上食べられないと、店に入らず引き返したことを
覚えています。

また、ボキューズさんのお店の隣の席で 
若いお嬢さんが、
ブレス鳥(チキン)を一匹平らげておられるのを見て、

よくまあ食べられるものだ、
と感心したことを鮮明に覚えています。


日本で、
料亭の女将が、お客に挨拶されるのと同じように、
ボキューズ夫人が 客席に挨拶して廻り、

更には、
ボキューズさんご自身もテーブルを廻って挨拶され、

お土産に、
ボキューズさんのサイン入りのメニュー と
子供に、ボキューズさんの一日を説明した絵本を
いただきましたのも、思いでの一つです。


ヌーヴェル・キュイジーヌは、
従来のフランス料理より軽い料理と聞いていましたので、

こんなに重い料理が、軽い料理だというのなら、
トラディショナルな重いフランス料理はどんなものだろうか、
と、考えてしまいました。


それから30年たって、パリで食事をすると、
フランス料理は、本当に軽くなったなと感じています。

量的にも、
ソースなどの味付けなどの料理の質も、

本当に軽くなって、
日本人の感覚と大差ないものになっています。


この原因の一つには、
料理人同士の交流が大きいのだろうと思います。

40年前は、
日本で フランスで修行してきたシェフは、
あまりおられませんでしたが、

最近では、
フランスで修行してきたシェフのお店が 普通となりました。

修行された方の中には、
三田の「コート・ドール」のシェフのように、

ボージュ広場の三つ星レストラン
「L,Ambroisie」(ランブロワジー)で
魚のシェフ を されておられた方も おられます。

この様に、コックの修行に行かれた方が、

実は、フランス料理を学びながら
フランス人シェフにも影響を与えていたのでは、
と、想像しています。


また、
フランスのシェフが来日して、日本食を召し上がるだけでなく、

最近は日本で、フランスの有名レストランの出店(でみせ)が
珍しいことでなくなっています。

この様な出店のために
日本に派遣されてきたフランス人シェフが、

意識せずとも自らのフランス料理を
いつの間に代えていったこともあろうかと思います。 


更には、

日本人の平均寿命が世界で一番となり、

その原因の一つが日本食であろうと、
フランス人が考えていることも、
重要なファクターなのでしょう。


この様なことから、

日本食が、
フランス料理を根底のところから変容させる
大きな原因となっているし、

フランス料理が、
フランス文化の大きなファクターの一つである以上、

フランス文化にも、
日本が大きな影響を及ぼしているのだろう

フランス人は、
積極的に日本文化を取り入れているのだろう
と、感じられますが、

フランスにお詳しい方のご意見をお聞きできれば、
と、願っています。


第2点目は、

「チップ」が義務でなくなったのでは、
と感じられることです。

以前は、例えば

ホテルのベットメークにチップを置いておかねばならない、
ちょっとしたことがあれば、チップを支払わねばならない と、

チップになれない日本人にとっては、
チップは、うっとうしい限りでした。

ところが、
最近チップが義務ではなくなったのでは、
と、感じられるのです。


これを感じたのは、
タクシーの料金を支払ったときでした。

以前は、

チップをもらえば「メルシー」とは言いますが、
チップをもらうのは当たり前との風情でした。

ところが、
今回チップを支払うと、

何人もの運転手さんが、
「え、チップをくれるの」との感じの表情になり、
本当に嬉しそうな笑顔を見せるのでした。

勿論、
レストランなどで、周りを見ていると、
チップを支払っているお客さんが多く、

チップが無くなったわけではないし、

本当にお世話になったと感じたら、
チップを支払うのが礼儀と思います。


実は、

チップが、なくなったのではなく、
日本のサービス料の仕組みが 導入されたようなのです。

私は、
日本のレストランなどがサービス料を取るのを
疑問に感じてきました。

レストランで、
飲み物や料理をサーブするのは 食事するために必須のもので、

本来「料金」に入っているべきものであり、
サービス料を 料金に上乗せするのは
料金の2重取りであり おかしい、

サービス料は、
ヨーロッパの悪しきチップを、狡猾にも 取り入れたものである、
と、感じていました。

そのサービス料を、

フランス人が(というより 多分 フランス人を含めたヨーロッパ人が)
日本に来て、これは便利だと感じたのでしょう、

このサービス料の仕組みを取り入れて、
チップは義務でないとしたのだろうと思います。


第3点目は、

列車に乗ると、日本と同様に

社内の前後のドアや乗り降りのドアの上の電光表示板に
この列車は何処行きで、途中何処に何時に到着する、
と、表示され、

更には、
列車が 駅に到着すると 駅名が表示され、
車内アナウンスがされるようになったことです。


去年、TGVに乗ったとき、
新幹線を真似したなと感心したのですが、

今回ブルターニュでTer(ローカル線)に乗車したときも、
同じようなシステムを見て、

フランスの国鉄は、
日本のJRを そっくり真似したな、と感じた次第です。


真似したのは、
電光表示板の案内だけでなく、

感じとして列車の運行も、
正確になったような感じがしました。


この様な案内は、列車だけでなく、
パリのバスでも行われていて、

フランスで交通機関を利用すると、
日本にいるみたいな感覚を持つようになりました。


他にも、
色々 日本の影響が見られるのだろうと思います。


日本は、フランスから

絵画、小説、シャンソン等の色々な芸術や文化、

更には
哲学、法律などの学問など、
色々な分野の果実を取り入れてきました。


しかし、今回ご紹介したように、

実は、日本も
フランスに色々影響を与えてきたことを理解することも、

フランスと日本の相互理解を深める上で、
大切なことだろうと思います。


2019年5月26日 追記

久しぶりに読み直して、
書き忘れているなと感じたことを 追記させて頂きます。

以前(2011年現在から30年前ほど)
サン・ジェルマン・デュプレのタクシー乗り場 で
日本のように、整然と並んでタクシーを待つのではなく

タクシー乗り場周辺に、乗客が 屯していて、
タクシーが来れば、我先にとそのタクシーに群がり、
早い者勝ちに乗車していて、

慣れない我々夫婦が、往生したことがありました

それが、
友人と食事した後

同じ サン・ジェルマン・デュプレのタクシー乗り場に
タクシーを捕まえるのは難しいだろうなと覚悟して行ってみると

皆さんが整然と整列して、順番にタクシーに乗車されているのを見て
吃驚しました。

日本人は、おとなしく整列して、順番を守る ということが
外国でも 有名になっていることは、聞いていましたが

フランス人が、日本人と同じように
整然と整列して おとなしく タクシー を 待つようになるとは
夢にも思いませんでした。

これも、日本人 が、

知らず知らずに外国に影響を与えている現れの一つだと思い
追記させて頂きます。

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