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2012年2月28日 (火)

旧約聖書の神は、大量殺人犯 かつ 殺人犯の親玉である

最近、秦剛平先生のの聖書シリーズを4冊読みましたので、
考えたこと、感じたことを 何回かに分けてお話ししています。

最近読んだ 秦剛平先生 の 聖書シリーズ 

1.「乗っ取られた聖書」
2.「異教徒ローマ人に語る聖書」(創世記を読む)
3.「書き替えられた聖書」(新しいモーセ像を求めて)
4.「聖書と殺戮の歴史」(ヨシュアと士師の時代)

  以上の4冊は、
  京都大学学術出版会 「学術選書」として 刊行されています


前回は、
旧約聖書の神も、ユダヤ人も、
カナン(現在のイスラエル)を「約束の地」と考えていなかったのでは?
との疑問について、述べさせて頂きました。

    旧約聖書の神も、ユダヤ人も、
    カナンを「約束の地」とは 考えていなかったのでは?
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-bf1b.html

第2回目は、
旧約聖書の神 (以下「神」)が、実は、「とんでもない存在」であり、
ユダヤ教、キリスト教の本質も、「とんでもない存在」であるということ
を、お話しさせて頂きます。

秦先生の聖書シリーズを読むにつれて、
神は、ご立派なことを言っていますが、

神や神の一党が やっていることをみると、
「言っていることと(表の顔)」と「やっていること(本当の顔)」が
極端に食い違っていることが分かりましたので、

最初に、その点について簡単にご説明させて頂きます。


神の 表の顔 は、シナイ山でモーセに授けた「十戒」です。

 第一  神が、ただ一つであり、その神だけを 崇拝せよ
 第二  如何なる生き物の像 も つくってはならず、それを 跪拝してもならぬ
 第三  どのような つまらぬことでも 神の名によって 誓ってはならぬ
 第四  七日目ごとに、一切の仕事をやめて 休息をとれ
 第五  両親を敬え

 第六  人を殺してはならぬ
 第七  姦淫(不倫)してはならぬ
 第八  盗みを働いてはならぬ
 第九  偽証してはならぬ
 第十  他人の所有物 を むやみに欲しがってはならぬ

私が、神や 神の一党が、この十戒に従って行動していないどころか、
十戒に反する行動をしているので、
「とんでもない存在」だと申し上げるのです。


先ず、
「人を殺してはならぬ」に関して、
聖書の順を追って見ていきたいと思います。

1.モーセは、殺人犯なのです
  モーセは、犯行後 エジプトよりシナイ山(ミディアン)に逃亡しています。

  秦先生は、
  旧約聖書 出エジプト記 2.11~15 を 次の様に引用しています。

  重労働をしていた ヘルブびと(イスラエル人)に、
  一人のエジプト人が打擲しているのを見て、
  誰も目にしなかったので、そのエジプト人を撃ち殺し、死体を砂の中に隠した。

  翌日、二人のヘルブびとが、 言い争っていたので、
  間違ったことをしている方の者に向かって
  「何故 お前は隣人を殴るのだ」と言ったら、

  「誰を、お前を我々の支配者や裁判官に立てたのか。
   お前は、昨日エジプト人を殺したように、私を殺そうとするのか」
  と、答えたので、

  モーセは、怖くなって
  「あのことは知られてしまったのか?」と呟いた。

  ファラオは、
  このことを知って、モーセを殺そうと、熱心に捜したので、
  モーセは、
  ファラオの前から去って、ミディアンの地 で 暮らした(逃亡した)

  (秦剛平「書き替えられた聖書」64㌻)


  モーセは、
  シナイ山(ミディアン)で、リウエルの娘 ツィッポラと結婚し、
  羊飼いの生活をしていました。

  ある日、
  モーセは、シナイ山で 神より
  「モーセを追っていたファラオが死に、モーセを追う者がいなくなったので、
   エジプトに戻って、ユダヤ人をカナンの地に連れて行くように」
  との命令を受け、

  モーセは、
  エジプトに戻りました。

  この神の命令は、
  「神は、殺人犯のモーセを、罰しないどころか、
   ユダヤ人のリーダーとして登用したのです。」

  「神の倫理感は、どうなっているのか」
  との疑問を、持たざるを得ませんし、

  「神は、身内のやったことは、どんなことでも赦すのですね。」
  と、嫌みな確認を したくなります。


2.神とモーセによる大量殺人

  エジプトに戻った後、
  神とモーセは、機会ある毎に 何回も大量に人を殺しています。

  ① ファラオが、ユダヤ人の出国を認めないので、
    神が、その年にエジプトで生まれた赤ん坊を全員殺害した。
    (ユダヤ人の赤ん坊は、殺さなかった。)

  ② モーセが、ユダヤ人をエジプトから出国させる際に、
    神が、エリュトラ海で、追跡してきたファラオ率いるエジプト軍を全滅させた

  ③ 十戒を授かってシナイ山から下山したモーセが、
    「黄金の子牛」を鋳造して、どんちゃん騒ぎをしている民を見て激怒し、
    その日の内に、3,000人を殺害した

  ④ モーセに盾突いたコラなど250人を、神が殺害した

  ⑤ コラが殺された翌日、
    「主(神)の民を殺した」とモーセとアロンを非難した ユダヤの民14,000人を
    神が殺害した。

  ⑥ 異教徒の弊風に染まったユダヤ人を、神の命令で24,000人殺害。

  ⑦ ⑥の異教徒の弊風に染まったのは、ミディアン人の所為であるとして、
    神が、モーセにミディアン人に対する復讐をさせた。

    この時モーセは、
    「処女達以外は皆殺しせよ」との殺戮命令を発した。

  ⑧ モーセ没後、
    神が、後継者のヨシュアに命じて カナンに侵入して、
    カナン人に対する殺戮戦争を行い、カナンを制圧させた。

    この殺戮戦争の総司令官は、神自身だった。


  以上、次から次へと、よくまあ大変な数の人を殺したものだ、
  と、感心してしまいますが、

  この中で、
  シナイ山から戻ったモーセの殺人について、
  首をかしげることが 更にあります。

  モーセがシナイ山に籠もっていたときに
  留守を任されたのが、モーセの兄アロンでした。

  このアロンが、リーダーとなって 異教の「黄金の子牛」を鋳造して、
  どんちゃん騒ぎをしていたのです。

  その罰として、
  その日の内に3,000人殺されたのですが、

  リーダーたるアロンは、
  全く罰せられないどころか、
  初代のユダヤ教大祭司(カトリックの教皇に相当する職位)に任命されて、

  アロンの子孫が、
  ユダヤ教の大祭司 を 代々受け継いでいくことになったのです。

  ⑥では、
  アロンの孫のピネハスが、殺人の口火を切っています。

  このピネハスも、大祭司に就任しています。

  モーセといい、
  アロンといい、
  神の一党の幹部は、何をやっても赦されるのです。

  十戒を守らなければならないのは、一般の信者であり、

  ユダヤ教の幹部は、
  「十戒を破っても、異教(異端)を信じても、全て神が赦す」
  と、聖書に書いてあるのです。


次に、
姦淫及び近親相姦の禁止 について、ご紹介します。

1.アブラハムとサラの結婚

  アブラハムは、サラと結婚して、
  2人の息子が、神が生け贄として要求したイサクです。

  サラは、アブラハムの兄弟のハランの娘であり、
  アブラハムは姪と結婚しているのです。

  私は、この結婚は、
  姦淫より罪の重い近親相姦だと感じられます。

  というのは、
  サラの父ハランは、ウルで没し、

  その後、サラの祖父テラが、
  息子アブラハムやハランの子供のサラやロトをつれて
  ユーフラテス川を遡り、ハランに移住しています。

  アブラハムは、
  父テラを助けて、サラやロトの父親代わりとしての役割
  を、果たしたのではないでしょうか。

  そのような姪と結婚したのですから、近親相姦と感じられるのです。

  そんなアブラハムに、
  神はカナンの地を与えると約束しているのです。


2.ロトが、2人の娘に 子供を産ませた
  アブラハムの甥のロトは、もっと破廉恥です。

  ロトは、
  アブラハムに従って、カナン経由エジプトまで行き、

  その後、
  カナンに戻った後、アブラハムと別れて、ソドムの町に住みました。

  そのソドムが、神により滅ぼされた後、
  ロトは、逃れた洞窟で、2人の娘と同衾して
  それぞれの娘に、ロトの子供を産ませているのです。


3.アブラハムの孫 ヤコブ(イスラエル) の長男 ルベン(ヤコブとレアとの息子)は、
  父 ヤコブの内妻 ビルハ と 同衾していますし、
  そのことを 父のヤコブは、承知していました。

  ヤコブは、
  ビルハとの間に ダンとナフタリの2人の子供がいますので、
  父と長男が 同じ女性と寝ていたのです。

以上3つの例をご紹介しましたが、

旧約聖書で重要人物が、
凡そ人間倫理に反することを行っているにもかかわらず、
神は、赦しているのです。

これも、
神の一党の幹部は、何をやっても赦されることの現れだと思います。


最後に、
「他人の所有物 を むやみに欲しがってはならぬ」点について
述べさせて頂きます。

この戒律に違反している最大のものは、神自身です。

神は、
他人の土地である「カナンの地」を与えると約束して、
その約束を長い間果たさなかったのみならず、

ヨシュアの時代に、殺戮戦争をもって侵略しているのです。


以上ご紹介しただけでも、
神は「とんでもない存在だ」と思われませんでしょうか。

旧約聖書を丹念に読んでいけば、
更に色々首をかしげることが出てくるのだろうと思います。

多分、旧約聖書の神の行状は、
ユダヤ人自身が行った行状なのだろうと想像しています。

ですから、
ユダヤ人が、とんでもない神を信じるのは理解できるのですが、

ユダヤ人以外の民族が、
何でこんな神を信じているのか、全く理解が出来ません。

旧約聖書の神は、
イスラム教の神 アッラーでもありますので、
ヨーロッパ人のみならず、イスラム教を信じている人々の神でもあるのです。

「唾棄すべき存在」ともいうべき神 が、
フィリピン、インドネシアから大西洋迄に、
更には、
海を越えてアメリカ大陸と、

広大な地域に 信者を持っているということは、
どう考えたらよいのだろう と、考え込んでしまいます。

また、
「宗教とは、何なのか」との
「宗教が、表の顔と裏の顔を持ってて良いのだろうか」
等の疑問も、改めて湧いてきます。

世界制覇したヨーロッパ人の宗教が、
今までお話ししたような 裏表のある、党派性の強い、
自分たちの意向に従わない者は、殺戮しろとの凶暴性を持ったものだったことは、
人類 の 最大の不幸 の 一つでしょう。

日本人のキリスト教の信者が少ないのは、
キリスト教の裏の凶暴性を、本能的にかぎつけているからだろうと思います。

また、
日本は、数少ない キリスト教国でない有力な国の一つです。

現在、世界をリードするアメリカやヨーロッパが、
例えば、ネオコンがアメリカの外交をリードしたときのように、
キリスト教の凶暴性を恥ずかしげも無くあらわにするような時には、

日本が、
キリスト教の神はおかしいですよ、
キリスト教の神に従って、自分たちの行動を正当化するのは問題ですよ
と、強く主張するべきですし、

日頃から、
彼らのおかしさを指摘しておくことが必要だろうと思います。

そのためには、
常に、正しいことを主張して。

日本が、
言行一致の国だな
有徳の国だな と、
国際社会で認められるようになるよう、
発言力、発信力の強化に努めるべきでしょう。


  < 秦剛平先生 の 聖書シリーズ >

  第1回(前回) 旧約聖書の神も、ユダヤ人も、
    カナンを「約束の地」とは 考えていなかったのでは?
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-bf1b.html

  第2回(今回) 旧約聖書の神は、大量殺人犯 かつ 殺人犯の親玉である
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-7da6.html  

  第3回(次回) 旧約聖書の神が、キリスト教にもたらしたもの
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-cb42.html 

  第4回 「歴史のイエス」 と 「信仰のキリスト」
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-de7f.html

  第5回 旧約聖書 の ちょっとした話
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-2dc2.html

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コメント


>やまだはなこさん

コメントありがとうございます。

キリスト教徒に対する 私の疑問の一つに、
「キリスト教では、神の製造物責任 を どのように考えているのか」
が、あります。

キリスト教徒の皆さんは、
神を信じているがゆえに、この点について、
看過(無視)されておられるような気がしています。

これは、ユダヤ人が神を作ったことによる矛盾の一つなのでしょう。

神(宗教)が、
人間の精神の安定の役割を担っているのに対して

法律は、
社会の安定の維持の役割を担っているのだと思います。

この2つが、ヨーロッパ社会の礎石となっているのではないでしょうか。

ですから、
人間社会を規整する法律を、神に対して主張しても、
あまり効果がないような気がします。
(あけすけに申し上げると、意味がないと思います。)

投稿: かんりにん | 2020年12月18日 (金) 15時53分

神が自らつくった全てのものは
神のおもちゃです。
「全ては神の意思なしには起こりえない」
と、なっています。
全ては始めから神の考えたストーリーがあって、
悪役も正義の味方も始めから決まってて、
可愛そうな被害者も設定済みで、
全てが神のストーリーにそってるだけ
というわけです。
ここにこんなこと書いてる行為や言葉も
全てストーリーの内。
これを読んだ誰かがあんなことを思ったり
こんなことを考えたりするのも、
ストーリーにそってる、
我々を含む全ての存在が
漫画の絵か人形劇の道具、というわけです。
どんな苦しみも悲しみも
究極的な救いを得るための準備であり、
治らない病気も不慮の死も、
悪人が様々な犯罪をすることも、
人間には理解できない神の計らいである、
「神のなされることは人間の知恵には
はかりしれないものである」
となっているのです。
ーーーーーーーーー
神の責任を問うためには、
法律の存在が先行しなければなりません。
つまり、神の存在に先行して、
善と悪の基準となる法律がより上位の権威として
存在しているのでなければ、
神の責任を問うことはできません。
ところが、法律があって神があるのではなく、
神があって法律があるのです。
神の意思が善悪の基準なのです。
神は法律によって裁かれる者ではなく、
神がその意思に従って法律を与えるのです。
神は法律の上に立つ権威なのです。
したがって、
神の責任ということはありえなくなります。
このような神を認めれば、
そういうことにならざるを得ません。
神は絶対君主なのです。
それゆえにこそ、
「殺すべからず」という法律を
人間に与えておきながら、
自ずからは、殺人を命令することもできるわけです。
絶対君主の権威は
法律の権威よりも上位にあるために、
絶対君主は法律に縛られていません。
法律に縛られていなければ、
絶対君主に責任を問うわけにはいきません。
つまり、このような神を認める限り、
神が何をしようが、神を責めることはできません。
絶対君主としての神を認めた時、
同時に、神を責める法的根拠を放棄しているのです。

投稿: やまだはなこ | 2020年12月14日 (月) 22時42分

宗教自体がそういうものかもしれませんね

日本だって残虐行為で女性をバラバラにした神武天皇が
神として崇められてますからね

投稿: | 2016年5月 5日 (木) 10時17分

殺すことでしか粛清できないのは無能な証拠。神なら作った人間を作り変えてみろってんだ。まあある程度まで完成させたものはチマチマ組み替えるよりも一から作り直したほうが速いんだけども。そういう観点から見ると神にとって人間=物程度の認識しかないのかもしれないな。

投稿: | 2013年8月28日 (水) 02時32分

全知全能なのに殺人ばっかりするなよ

そもそも…全知全能ってなんだよ
(´-`).。oO(全能に全知は含まれてないのかよ

投稿: | 2013年6月 1日 (土) 14時56分

神様が許したわけではなく、人間の行った事柄によって人が亡くなったり罰が下るため、人が生きるためにこうしてはいけないというルールが隠された歴史書に感じます。あくまで人は人。その出てくる人を崇めて偶像崇拝しているのはイスラム教とキリスト教で、コーラン、聖書、モスク、教会を作ったのもその2つの宗教でしょう。それらが全部なく人として人を殺したり、他人のものを盗んだりしなければ争いはないと思う。

投稿: | 2013年1月19日 (土) 04時59分

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