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2012年2月18日 (土)

旧約聖書の神も、ユダヤ人も、カナンを「約束の地」とは 考えていなかったのでは?

最近、秦剛平先生のの聖書シリーズを4冊読みました。

1.「乗っ取られた聖書」
2.「異教徒ローマ人に語る聖書」(創世記を読む)
3.「書き替えられた聖書」(新しいモーセ像を求めて)
4.「聖書と殺戮の歴史」(ヨシュアと士師の時代)

  以上の4冊は、
  京都大学学術出版会 「学術選書」として 刊行されています


最初の「乗っ取られた聖書」は、
 BC282~BC246 エジプト プトレマイオス2世時代の頃
 アレクサンドリアで、ヘブライ語からギリシア語に翻訳された
 「70人聖書」についての本です。

2冊目から4冊目の3冊は、
 ヨセフスの「ユダヤ古代誌」を紹介したものですが、

 ユダヤの歴史は、旧約聖書に記述されていますので、
 「ユダヤ古代誌」とヘブライ語聖書、ギリシア語聖書の3者を比較しながら

 旧約聖書の最初からユダヤ人がカナンの地に定住して、
 最初のユダヤ王を要理すする直前までを解説されておられます。

 多分、今後もこのシリーズを続ていただけるのだろうと、期待しています。


聖書は、
読もうと思って本箱に積みっぱなしの本の典型で、

秦先生が、
読みやすく、分かりやすく解説して頂いているのは貴重であり、
大変感謝しています。

また、秦先生が、
本シリーズの記述にあたって、ユダヤ教、キリスト教に偏することなく、
宗教から距離を置いて、学問的に分析し、解説して頂いていることと、

ヨセフスが、聖書をどう変更したのか、何故変更したのか、についても
解説して頂いていることが、
私みたいな初心者には大いなる導きを得ることが出来たと喜んでいます。

秦先生の本を読んでいて考えたこと、感じたことを、
何回かに分けてお話しさせて頂きます。


第1回目は、

現在イスラエルの領土である「カナンの地」は、
神がユダヤ人に「約束した地」である と、言われ、
ユダヤ人もそう主張して、強引にイスラエルを建国したのですが、

旧約聖書の話を読んでいると、
実は、
約束したはずの神様 も、
約束されたユダヤ人 も、

「約束は本心ではなかったのだろう」と、思われますので、
その理由を述べさせて頂きます。


旧約聖書によるユダヤ人の移住の経緯は、次の通りです。

ユダヤ人は、
当初 ユーフラテス川下流のウルに住んでいましたが、

テラが、
息子のアブラハムを伴って、ユーフラテス川を遡り、
上流のハランに定住して、そこで亡くなりました。

テラが、ウルを離れた理由について、
旧約聖書では、テラのハラン移住の理由を説明していませんが、

ヨセフスは、見てきたように、
テラが、
息子ロト、娘サラとミルカを残して亡くなった、もう一人の息子ハランを
哀悼するあまり、ウルが所在するカルデアの地を憎み、
ハランに移住したと記述しているそうです。 

(秦剛平「異教徒ローマ人に語る聖書」105㌻)

テラが亡くなった後、アブラハムは、神の命令に従い、
甥のロトと妻にした姪のサラと共に、ハランよりカナンに移住しました。

この時に、神はユダヤ人に
「カナンの地を与える」と、約束したのでした。

ところが、
カナンで 飢饉が猛威を振るったので、
アブラハムの一行は、エジプトに行き先を変更しています。  

そして、
エジプトで、食糧を得て、再度カナンに戻ってきました。


アブラハムの孫のヤコブ(イスラエル)の時に、
再度 飢饉に見舞われたため、

エジプトで大臣をしていたヤコブの息子 ヨセフを頼って、
ユダヤ人は、カナンからエジプトに移住し、  

その後、
モーセの時代まで、約400年間 エジプトに定着しています。


モーセの時代に、ユダヤ人はエジプトを出国しています。

秦先生は、モーセの物語は、
「どこまでも歴史を装ったフィクションである」と、記述されておられますが、
  (秦剛平「書き替えられた聖書」3㌻)

ここでは、
「全く根も葉もない話ではなく、それらしいことはあったのだろう」
と、仮定しておきたいと思います。

モーセは、
ユダヤ人をエジプトから出国させ、
シナイ山で十戒を神より授けられましたが、

カナンの先住民を撃破することが出来ずに、40年間荒野を彷徨った後、
モアブにあるネボ山に登り、
そこからイスラエルの子らが所有することになるカナンの地を望遠して
ネポ山で没します。

(注) モアブ   死海の東岸の地方
    ネポ山は、死海の東北部のにある山


モーセの後を継いだヨシュアが、カナンの先住民を撃破、殺戮して、
ユダヤ人がカナンの地を支配するようになりました。

ユダヤ人が、カナンの地を定住していたのは、
ローマ時代までの千数百年間に過ぎません。

それ以前も、それ以後も 支配していないのです。

ローマ時代に、
ユダヤ人はカナンよりローマ帝国中に散らばって、
カナンの地より胡散霧消してしまいました。

その後、
西ローマ帝国が滅亡し、
ゲルマン人の国が建国され、
キリスト教が広まるにつれて、

ユダヤ人も、
民族として形成されていったのです。

ユダヤ人の形成 と ディアスポラが生じた事情については、
次のブログを参照下さい。

    「ネイションという神話」第1回 ユダヤ人が、民族として存続した理
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-b1b5.html

    「ネイションという神話」第2回 ディアスポラ(離散の民)について
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-6652.html


以上、
駆け足で、ユダヤ人の移住した経緯をご説明しましたが、

天地創造から現在までの長い期間の中で、この経緯を考えると、
最初にお話ししたように、
「神もユダヤ人も、カナンを「約束の地」と考えてはいなかったのでは」
という気がしてなりません。


先ず、カナンは、
ユダヤ人の発祥の地ではないのです。

ユーフラテス川の下流から上流に移動し、
更に、南下してカナンに来てはみたものの、

「乳と蜜の流れる」土地ではなく、
食糧が安定的に得ることが出来なかったため、
ユダヤ人は、神が「約束した地」に定住しないで、エジプトに行ったのです。

流石に、ユダヤ人は、エジプトを征服できませんでした。
このため、
ナイル川デルタの東側で、400年あまり エジプトに居候していたのです。


モーセが、
ユダヤ人を エジプトからカナンに向けて 出国させますが、
カナンの先住民族を攻略できず、半世紀近く、荒野を彷徨いました。

モーセは、カナンに入ることも出来ずに没しています。
モーセの後継者のヨシュアが、戦力を向上して、カナンを征服した。

ここに初めて、
ユダヤ人はカナン(現在のイスラエル)に定住したのです。

以上の経緯を見ると、ユダヤ人は、
肥沃な三日月地帯に引き寄せられた数多(あまた)の民族の一つである
と、言うことができると思います。

他の民族との違いは、
侵入した地を「自分たちの神により約束された地である」
と、厚かましくも 主張していることです。


その後、
ローマに ユダヤ王国は滅ぼされましたが、

ローマ市民として認められ、
自分たちの宗教であるユダヤ教も公認されて、

ユダヤ人 は、
「ローマの平和」を享受して、ローマ帝国中に拡散していきました。

ローマが、
ユダヤ人をカナンから追い払ったのではなく、
個々のユダヤ人が、
自らの判断で、カナンより快適な地を求め、ローマ中に拡散、移住していったのです。

もし、カナンがユダヤ人の故地であるなら、
例えローマ帝国に支配されたとしても、ユダヤ人はカナンに留まり続けたはずです。

他の民族、
例えば、エジプト人、ギリシア人は、
エジプトやギリシアに住み続けて、現在に至っています。

国家を持たない、クルド人やバスク人も、
長年にわたり定住の地に住み続けています。

ユダヤ人が、
ローマ帝国がユダヤを吸収した後に、カナンを離れて、
ローマ帝国中に拡散、移住したということは、
カナンの地を 自分たちの「故地」 と 考えていなかった現れではないでしょうか。

この様な経緯ですから、

普通であれば、民族移動したゲルマン人同様、
各地に拡散したユダヤ人は、その地に吸収され、
ユダヤ人はいつの間にか消滅していた筈ですが、

ユダヤ人が、

① 一神教であるユダヤ教を信じていて、キリスト教と画然と区別されていたこと、

② キリスト教の神であるユダヤ人 イエス・キリスト を 殺した民族 であるため、
  キリスト教徒より 目の敵にされたこと
により、

ユダヤ人の一人一人が現地社会に溶け込まず、吸収もされずに、
約2000年経過してきたのです。

(注) この辺の経緯については、
    先ほどご紹介したブログをご覧いただければ幸甚です。



次に、
ユダヤ人の「神」はどうだったのでしょうか。

神は、
アブラハムに命令して、カナンに行かせますが、
カナンでの受け入れ体制を、何も構築していませんでした。

ですから、
移住してきたユダヤ人が、飢饉にあって、
カナンよりエジプトに行ってしまったのです。

エジプトに行く際にも、  
神も、これに対して何の苦情も言わずに、黙認していたのです。

あれだけ小うるさい神が、
何故ユダヤ人達に400年間も文句を言わずに過ごしたのか、不可思議であり、

神が、
カナンの地について ユダヤ人に本気で約束しなかったからと考えなければ、
理解が出来ません。

神は、
モーセに命じて、ユダヤ人をエジプトより出国させますが、
カナンへの受け入れ体制を、これまた全く構築していませんでした。

神は、全知全能の筈ですから、 、
ユダヤ人がすんなりカナンに移住できなかったのは、

神に、
やる気がなかった、
約束を約束と考えていなかったからだ
としか考えられません。

ユダヤ人は、神のちゃらんぽらんな態度に翻弄されて、
約半世紀にわたって、荒野を彷徨わねばならなくなったのです。

神は、
ユダヤ王国が、ローマに滅亡されるときも、何もしていませんし、

ユダヤ人が、
各人勝手にカナンの地からローマ帝国中に移住したときも、
何のクレームもつけていません。

要するに、
アブラハムに、「カナンの地を与える」と 約束したのでしょうが、

それは、
「口先だけの約束」だった、
露骨に言えば、
「詐欺だったのでは?」と、思われます。


第2次大戦後、
ユダヤ人は、ヨシュアがカナンの地を侵略し、殺戮した歴史を繰り返して
何の権利もない「他人の土地」に、イスラエルを建国しました。

しかも、現地のパレスチナ人に、
自分たちがやられて、嫌な思いをした同じ扱いをしているのです。

その際、
歴史的には何の根拠もない、自分たちの「宗教の書」、

というより、
自分たちの「神話」に基づいて 強引に正当化しているのを見るにつけ、

「人間とは何と因果なものだろう!」と、嘆息しています。 


  < 秦剛平先生 の 聖書シリーズ >

  第1回(今回) 旧約聖書の神も、ユダヤ人も、
    カナンを「約束の地」とは 考えていなかったのでは?
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-bf1b.html

  第2回(次回) 旧約聖書の神は、大量殺人犯 かつ 殺人犯の親玉である
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-7da6.html  

  第3回 旧約聖書の神が、キリスト教にもたらしたもの
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-cb42.html   

  第4回 「歴史のイエス」 と 「信仰のキリスト」
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-de7f.html

  第5回 旧約聖書 の ちょっとした話
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-2dc2.html



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コメント

聖書かコーランか、またはユダヤかイスラムかキリストか。キリスト教はどっちも許したためにイスラムとユダヤの争いが起きたとなればユダヤかイスラムしかないと思うけど、例えば10人の5対5の男女がいてコーランのような他人に争いを招く予言を神様がするのだろうか。人類のはじめに近いユダヤ人の安全な地は必需でそれが人類の最古の平和的宗教かとも思った。

投稿: | 2013年1月19日 (土) 04時32分

todoさん

またコメント頂きありがとうございました。
大変貴重な教えを頂き感謝しております。

また、ホームページを拝見し、長年の信仰に基づくご研究の成果に感嘆しました。
機会ある毎に訪問させて頂いて勉強させて頂きたいなと考えています。


現在、パウロについて、
トロクメ(クセジュ)とルナンの本を読み、
パウロの重要性について、ブログに書こうと思っていましたので、

todoさんも、最初todoさんが、パウロについてホームページにまとめられたことを知り、私の感覚もそれほど間違っていなかったのかな、と意を強くしました。


今回のコメントで教えて頂いたなと感じたことは、歴史における個人の役割についてです。

私は、旧約聖書はユダヤ人の民族の歴史だと思っていました。

これは間違いないのだろうと思いますが、
アブラハムやモーセという個人の視点が欠落していたな、
彼らの神への信仰が、ユダヤ人の歴史を導いたのだろうという視点が盲点となっていたな、と痛感しています。

実は、私は、歴史を考えるとき、歴史の担い手を重視すべきだと、考えもし、ホームページやブログに書いてきました。

ですから、
todoさんの今回の教えは、私にとって大変な衝撃でした。


これからも、よろしくご指導ご鞭撻のほどお願い申し上げます。
取り急ぎ御礼まで。

投稿: かんりにん | 2012年8月24日 (金) 15時22分

先日コメントした、無教会のキリスト者です。お返事ありがとうございました。

多摩美大の秦先生は、たしかキリスト教徒ではなかったと思いますが、ヨセフスのユダヤ古代誌も翻訳されていて、アメリカの宗教学会にも参加されていますから、こうした分野には精通されています。契約と嗣業の土地カナンは、侵入の正当性を主張するために考えだされたものと考えて良いでしょう。アブラハム契約は、シナイ契約のような相務的な相互契約(申命記律法の源泉は古代オリエントの宗主権条約にある)ではなく、一方的契約と言われます。上から与えられる恩恵で契約義務は(割礼だけが・・・捕囚記頃に明文化された)問われません。カナン地方は非常に古い歴史があり、アブラハムを想定した時代よりも相当するい時代に、すでに都市国家が有ったことが発掘から判明しています。紀元前12世紀頃、海の民の一部・ペリシテ人が海岸沿いに都市国家を築いた頃、エジプトは内政に力を入れれざるを得ない状況になっていて、カナンは周辺国からの空白地帯になっていて、山岳地帯や丘陵地帯に入り込む余地がありました。カナンの地に先住していた被差別民族、北方からやってきた牧畜民族、出エジプト(歴史的核はあるが、多くはフィクション)で脱出して来たの集団(最大でも数千人規模)、などは、まずこうした地域から部族連合を結び、やがて規模を大きくし、農耕に適した肥沃地帯に向かって進んだ結果、東に勢力を伸ばしたペリシテ人と競合し、戦わざるを得なかったと考えられています。

出エジプトの指導者モーセ(ミディアンの祭司の娘を妻としている)が一時逃れて羊飼いをしていたミディヤン地方には、土着の一神教・ヤハウェ神宗教(山岳神、天空神?)があり、そこでモーセはこの一神教を受け入れたのではないかと考えますが。このヤハウェ神を部族連合が、奴隷から開放し土地を与える神、戦では軍神となる部族連合の求心的宗教として据えたのでしょう。土地はヤハウェ神の物、その所有をヤハウェ神から任されているのが我々部族連合だという解釈がされたと思われます。この理念に賛同して連合に参加した者達が、後にイスラエル民族とされますが。土地取得の約束は、先住民もヤーウエの神の土地に住んでいるが、我々が神から選ばれてその土地を任されたのだから、彼らより我等が所有するのは当然という論理です。これは、士師記のエフタ時代、侵攻軍アンモン王と土地をめぐる外交折衝が記されていますが、アンモン王はイスラエルに奪われた祖先の土地を取り戻すのだと主張し、イスラエルはもう300年も住んでいるから自分たちの嗣業の土地だと反論している事からも窺えます。

この嗣業地の約束をアブラハム時代に遡って適応し明文化したのは、捕囚期頃と考えられています(創世記)。アッシリアと新バビロニアにより北イスラエル王国も南ユダ王国も滅亡し、信仰基盤である重要な嗣業の土地と神殿も失ってしまいます。バビロン補囚期に彼等は、何故自分たちの神は約束の土地を奪い、王を廃し、神殿を焼き、我々を見捨てたのか?ヤハウエ神の契約は嘘だったのか?こうした絶望と不信と反省から、棄教する事とは逆に、これは神による民族への罰だと考えるようになり、神との相互契約・律法を守らなかったせいだと解釈し、ここに始めて律法遵守を中心とするユダヤ教が成立したと言われています。しかし、失った土地への憧れが、より強く土地所有・国家再建を渇望するようになり、国粋主義的ユダヤ人による失地回復の指導者・メシア待望のシオニズムを生まれたようです。旧約聖書の中に流れている嗣業の土地回復の熱意は非常に強く、この熱意がユダヤ民族の二千年に渡る迫害に耐えてきた原動力になったのではないしょうか。参考にならないと思いますが、以下のページは稚拙な私ページです(無学文盲なもので)。

http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/night-tale/013.htm

http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/jesus/old-testament3.htm

http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/jesus/old-testament4.htm

投稿: todo | 2012年8月23日 (木) 19時53分

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