« .TPP交渉の本質・・・1.TPPは、「自由をどう制限するか」 の交渉である | トップページ | 旧約聖書の神も、ユダヤ人も、カナンを「約束の地」とは 考えていなかったのでは? »

2012年2月 5日 (日)

TPP交渉の本質・・・2.「自由とは何か」を理解していなアメリカとの交渉である

前回、TPPの本質として、

「TPPは、「自由をどう制限するか」の交渉である」ことについて
ご説明しましたが、


今回は、TPPの主役である アメリカが、

  1.「自由」の実現は不可能であることを、分かっていないこと
  2.「自由」とは 自分の要求を力で押し通すことだ と、思い込んでいる点
について

言いかえると、

最大の交渉相手であるアメリカが、
「自由とは何か」を理解していない国であることを、

アメリカとヨーロッパの歴史を比較しながら お話しさせて頂きます。 


まず最初に、
「自由」についてお話しさせて頂きます。


アメリカは、「自由の国」だと、自由を誇っています。

また、
ヘーゲルは、著書「歴史哲学」で

「歴史の目的は、自由の実現であり、この自由実現に向って、歴史は進歩する」
と、記述されています。

更には、
E.H.カーもヘーゲルと同様の趣旨の考え方をしておられます。

(注) ヘーゲル、カーの記述の矛盾については、

    ヘーゲルについては 「歴史哲学講義 上、下」
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_ed14.html

    カーについては「「新しい社会」での カーの「進歩史観」」
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_567d.html

    を、ご参照下さい。


この様に、
「自由」とか「自由の実現」との言葉は、

無条件で是認されるだけでなく、
人類が目指す究極の到達点とも考えられてきました。


しかし、皮肉なことに、

自由の国アメリカにおいてさえ、
独禁法などの自由を制限する法律が制定されているのです。

独禁法は、

「企業活動を自由に放置しておくと、
 強い企業がお互いに話し合ってカルテル等を締結して、

 社会に害悪を及ぼすようになるので規制する必要がある」
ということで 制定されました。

即ち、

「企業活動を、全て自由にしておくと、カルテルやトラストを形成して
 一部の企業しか自由を享受できなくなり、社会全体に害悪を招来するので、

 企業活動の自由を制限しなければならない」
との論理によるものです。


ヨーロッパでは 当初、、

労働者の団結権やストライキが、経営者の財産の侵害に当たるとして、
刑罰の対象にまで なっていたのです。

経営者は、労働者から搾取し放題だったのです。

それが、流石に
「労働者にも人権があり、おかしいではないか」
ということで、労働法が形成されてきました。

労働法は、
(経営者の)自由を制限する法律として登場してきたのです。


以上、
少しばかし「自由」に対する制限、調整の例をご紹介しましたが、

これらの例に見られるように、
ここに、「自由」の本質が示されているのです。

即ち、

ある人(企業、国)が、自由に行動すると、
他の人(企業、国)の自由が、妨害されることが招来するので、

ある人の自由を、制限しなければならなくなるのです。


日本国憲法でも、第13条で

「全ての国民は、個人として尊重される。

 生命、自由 及び 幸福追求 に対する国民の権利については、
 公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
と、規定されています。


「自由」は、

絶対的な権利ではなく、
公共の福祉に反しない限り認められる権利であり、  

「人に迷惑をかけるときには、調整される(制限される)」
ということが、その本質なのです。

言いかえると、
「絶対的な自由」というのは、

無人島のロビンソンクルーソーならともかく、
社会的な生活をしている人(企業、国)にとっては、
到底実現不可能なものなのです。


それでは、

一人一人が「絶対的自由」を持ったとしたら、
どの様な事態になるでしょうか。


各人が、隣の人を無視して、
それぞれが好きなことをするわけですから、
お互いに、不都合・不愉快な事態が生じるでしょう。

そのような状況で、

ある人が、
自分のやりたいことを強引に押し通そうとしたら、喧嘩となり、
ホッブスの言う「万人による万人に対する闘争」の状態になるのです。

高校時代にホッブスが
「自然状態においては、万人による万人に対する闘争」が生じる
と、言っている と、学んで、全くイメージがつかめませんでした。

というのは、

「原始時代洞窟で住んでいる人類が、
 お互いに喧嘩ばかりしていたのだろうか。

 当時は人口が希薄だったから、
 好きなことをしてもお互い迷惑をかけることがなかったのでは?」
と、思われたからです。

それが、50歳台より10数年間、
国民国家の歴史についての考えを深めて行くにつれて、

「絶対的な自由」を各人が持てば、
「万人が万人に対する闘争」の状況になるな
と、しみじみ感じるようになりました。

今では、
「高校時代は、
 学んだ先人達の価値が、自らの無知により理解できなかったのだな、

 「無知の知」や「汝自身を知れ」ということは、こういうことか」
と、しみじみ感じるようになってきました。


ホッブスは、
清教徒革命のイングランドを見て、
「自由の本質」を感じとったのですが、

ここでは、
19世紀以来のヨーロッパとアメリカの歴史の違いについてのポイント
をお話しして、

ヨーロッパは、
「自由とは何か」を理解する歴史的経緯を有しているのに反して、

アメリカは、
歴史的経緯を有していないために
「自由の本質」を理解していない国であること
を、ご理解頂ければと願っています。


前回お話ししたように、

それぞれの国家は、
絶対的な自由(=何をしても良い自由)を有する「国家主権」を保持している
と、認められていました。

ヨーロッパ諸国(含むアメリカ)は、
強力な武力を行使して、世界中を侵略し、

日本を除いて 世界中を植民地化したのですが、
ただ一つお膝元のヨーロッパだけは、例外でした。

(注) タイが、独立を維持できたのは、
    イギリスとフランスの緩衝国だったからです

お互いに拮抗した武力を有する故に、
継続的にヨーロッパ中を自国の領土として支配する国が現れなかったのです。

しかしながら、
英仏に遅れていたドイツが統一されてからは、
ヨーロッパ内での争いが激しくなり、

ヨーロッパのヘゲモニーを争って
第一次大戦、第二次大戦が勃発したのでした。

その結果、
ヨーロッパ列強は、くたくたにくたびれただけで、
相手をノックアウトし、支配することは実現できなかったどころか、

それまで持っていたヨーロッパの優越性を喪失し、
その地位をアメリカに奪われたのでした。

ですから、第二次大戦後、
国家主権を振り回すこと無意味さを痛感したフランスとドイツを中心に
EUが、形成されてきたのです。

EUは、
それぞれの国固有の絶対的権利である「国家主権」を制限し、
徐々に国家主権をEUに委譲して国家を解体しようとの動きです。

ヨーロッパ列強は、
国家主権を振り回して好き放題した結果、
破壊しかもたらさなかったことを身に浸みて理解したのでした。

先ほど述べた
ホッブスの「万人による万人に対する闘争」をとことん行った結果、

行き着くところまで行き着いて、
やっと「自由の本質」を理解したのです。


勿論、人間というものは因果なもので、
全体の利益 より 自分の利害 に こだわる故に、

客観的にあるべき方向に直線的に進まず、
あちらこちらにぶつかりながら進みますので、

その歩みはジグザクでゆっくりしたものですが、
着実に 国家主権をEUに委譲する方向で、前進していると思います。

従来国家単位だった 経済圏の単位が、
技術の進歩により拡大したことも、

即ち
経済がグローバル化し、メガコンペティションの時代となったことも
EUの形成、前進を 後押ししたのでした。


アメリカは、

18世紀後半独立するまではヨーロッパの植民地で、
当時のヨーロッパ の 最新の啓蒙思想 を 受け入れて、

人類の業績の一つに数えられる「独立宣言」をもって、独立したのですが、

独立後は、
ヨーロッパの歩みと異なる独自の歩みをしました。


19世紀末までは、
西部開拓、フロンティアの開拓にいそしんだのです。

教科書的には この様な言い方をしますが、

内実は、
何でも自由にすることが出来るという「国家主権」を行使して、

よその列強の植民地を自分の領土にしたり、
テキサスなどはメキシコから強奪したりして
太平洋岸まで 領土を拡大したのです。


実は、
このような記述でも、ヨーロッパ的な立場からの記述であり、
まだ客観的な記述となっていません。

アメリカの建国から太平洋岸までの拡大を 客観的に見ると、
先住民であるアメリカ・インディアンを殺戮し、
彼らの土地を強奪した歴史でした。


この辺の事情について
ヨセフス研究の権威であられる 秦先生 は、
次の様に書いておられます。


  「モーセ物語」「ヨシュア物語」を読む者は、

  信仰の自由を求めてヨーロッパから新大陸に上陸した ピューリタンと
  先住民族であるアメリカ・インディアンの関係を思い起こすはずである。


  ピューリタンは、
  彼らの信仰だけが 唯一のキリスト教信仰であったが、

  新大陸の先住民も又、
  ピューリタンとは異なる信仰があることを認識することがなかった。


  ピューリタンは、
  新大陸の先住民を カナンの地の先住民 と 見なしたのである。

  新大陸の彼らの土地を奪取するためには、
  カナンの地(現在のイスラエル辺りの地)の先住民と同じく、
  彼らを殺戮の対象としてかまわないものだったはずである。

  信教の自由、迫害からの自由を求めて 新天地に渡った者にとって、
  その自由を享受できるのは自分たちだけであり

  先住民の信仰の自由や、生存の権利、迫害からの自由などは
   どうでも良かったのである。


  彼ら先住民(アメリカ・インディアン)は、
  人間ではなかったからである。

  彼らは単なる虫けらに過ぎなかった。
  人間以下と見なされた虫けらは、殺しても構わなかった。

  出所 秦 剛平著「聖書と殺戮の歴史」5㌻(京都大学学術出版会 学術選書)


  (注) 「モーセ物語」は、 モーセがユダヤ人をエジプトを出国させた物語です。

      「ヨシュア物語」は、モーセ没後 ヨシュア率いるユダヤ人が
      カナンの地に攻め入って、カナン人を殺戮し、征服し、定住した物語です。

      両方の物語とも、旧約聖書に記述されています。


太平洋岸に到達したアメリカは、

次に
独立国だったハワイを併合し、アラスカをロシアから買収し、

更に
太平洋を西進して、フィリピンを植民地にしました。

  (注) ロシアは、単に探検し、アラスカの領有を宣言して、
      ヨーロッパ人の仲間内で ロシアの領土 としていたのですが、

      ロシアも、アメリカも、
      アラスカの先住民であるエスキモー人を無視していたのです。


      当時、アメリカの侵略を恐れたハワイ王は、
      日本を訪れ 援助を求めましたが、
      独立を維持したいとの願いは叶いませんでした。


その後、
中国を中心として日本とぶつかり、太平洋戦争で日本を打ち負かし、
ヨーロッパでは、ドイツに勝利しました。


第2次大戦後、冷戦(第3次大戦)が勃発しましたが、

核兵器の出現により、直接対立とはならず、
中国の内戦から始まって、代理戦争の形式で約半世紀間戦争が続きました。


冷戦は、アメリカが、
野球に例えれば、7回コールド勝ちみたいな圧倒的な大差でソ連に勝利しました。

途中ベトナムで痛い敗北を喫しましたが、
これは野球の試合で、ある回に何点かとられたようなもので、
アメリカにとって致命的な打撃とはなりませんでした。


冷戦終了時 アメリカは、

これから唯一のスーパーパワーとして
今後の世界に君臨するかと思われましたが、

それだけの力はないことがすぐに判明して、
今日に至っています。


以上
アメリカの建国以来の歴史を概観して分かることは、

「国家主権」に関して、
ヨーロッパみたいな致命的な挫折を経験していないということです。


言いかえると、

アメリカは、
何でも自由に行えるとの「国家主権」を 今まで行使してきており、

その「国家主権」の行使を、
根本的に阻止されるという経験がありませんでした。


先ほど述べたように、

ベトナムとか、
現在のアフガニスタン、イラク侵攻、
更にはテロとの戦いで、

思うような結果を出すことが出来ていない ということはありますが、


これらは、アメリカ人に、
「国家主権」の行使に致命的な影響を及ぼすほどのことにはなっていません。


ですから、アメリカは、
現在でも「国家主権」を自由に行使して、何でも出来ると確信していて、

ヨーロッパと異なり
「絶対的自由はあり得ない」ということを、
身に浸みて経験してない故に、

アメリカが、「自由」を主張するということは、
アメリカが、「自由勝手に振る舞うことを認めろ」と、要求していること
を、意味していると理解すべきです。


TPPで、
アメリカが要求する 色々な項目は、

交渉相手と相携えて、
お互いに利害を調整しようということではなく、

交渉相手の都合など念頭におかないで、
「アメリカの主張、自由 を (屈服してでも)認めろ」
と、強引に、

場合によっては、
実力を行使してでも実現しようとしていること
を、意味しているのです。


マッカーサーは、戦後日本を12歳だと 揶揄しましたが、

マッカーサー流の批評をアメリカにするとしたら、
「第18才で 精神的な成熟がストップした「大人子供」の国である」
といえると思います。

(注)上記の批評を聞いたアメリカ人が、
   「今の日本政府は、12歳どころか、5、6歳程度の幼稚園児じゃないか」
   と、言い返してこられたら、反論が難しいなと心配しています。



TPPの交渉は、これから始まりますが、

実際に日本を代表して交渉に当たる政府の皆さんは勿論
その交渉結果を審議する国会議員が、

上記の様な相手が交渉相手であることを 認識し、
「武力を使わない戦争」を行うのだ というぐらいの覚悟をもって
対処されることを願っております。

    < TPP 関連 の ブログ >

    野田首相 TPP参加表明で、ちょっと思い浮かんだ 幾つかの事柄
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-36bf.html  

    野田首相の二枚舌?
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-51f4.html

    TPP交渉の本質
    ・・・1.TPPは、「自由をどう制限するか」 の交渉である
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-5437.html

    TPP交渉の本質 (今回)
    ・・・2.「自由とは何か」を理解していない相手との交渉である
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-e607.html



|

« .TPP交渉の本質・・・1.TPPは、「自由をどう制限するか」 の交渉である | トップページ | 旧約聖書の神も、ユダヤ人も、カナンを「約束の地」とは 考えていなかったのでは? »

日本」カテゴリの記事

アメリカ」カテゴリの記事

雑感」カテゴリの記事

TPP」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: TPP交渉の本質・・・2.「自由とは何か」を理解していなアメリカとの交渉である:

« .TPP交渉の本質・・・1.TPPは、「自由をどう制限するか」 の交渉である | トップページ | 旧約聖書の神も、ユダヤ人も、カナンを「約束の地」とは 考えていなかったのでは? »