旧約聖書 の ちょっとした話
最近、秦剛平先生のの聖書シリーズを4冊読みましたので、
考えたこと、感じたことを 何回かに分けてお話ししていますが、
今回は、その5回目です。
秦先生に導かれて、前回までの文章を記述することで、
キリスト教に対する考えが、少しはっきりしてきました。
やはり、キリスト教を知るためには、
基本の聖書を学ばなければならなかったのだな、と痛感しています。、
秦先生は、
これからも旧約聖書の物語を、語り続けていただけると思いますが、
今回で、とりあえずの区切りとなりますので、
今回は、秦先生が記述されている中で、
「ちょっと面白い話」だなと思った点ををいくつかご紹介したいと思います。
<参 考> 最近読んだ 秦剛平先生 の 聖書シリーズ
1.「乗っ取られた聖書」
2.「異教徒ローマ人に語る聖書」(創世記を読む)
3.「書き替えられた聖書」(新しいモーセ像を求めて)
4.「聖書と殺戮の歴史」(ヨシュアと士師の時代)
以上の4冊は、
京都大学学術出版会 「学術選書」として 刊行されています。
**********
今回ご紹介する「旧約聖書のちょっとした話」は、次の5つです。
1.聖母マリアは、「若い女」だった
2.アブラハムが、息子イサクを犠牲にしようとした場所
3.モーセが、海を割った話
4.「赤線」の由来
5.秦先生のオーム真理教についての記述
1.聖母マリアは、「若い女」だった
秦先生は、
キリスト教徒達が、ユダヤ人達が生み出したギリシア語訳を、
自分たちの「聖書」だと主張し始めたので、
ユダヤ人が反撃して 2世紀に、
ヘブル語テクストより忠実なギリシア語訳と作り出す動きが生じた
と、記述した上で、
聖母マリアについてのアキュラ訳について、
次の通り記述されておられます。
< 秦先生の記述 >
アキュラ訳では、当然のことながら、
それまで流布していた(旧約聖書の)イザヤ書第7章13~14節の
「若い娘」(アルマー) の 訳語「処女」(マルテノス) を
「若い娘」(ネアニアス) に 改めております。
なぜそうしたのか、
皆さん方は、おわかりになるでしょうか?
マタイ福音書が、イザヤ書を引いて
イエスの母 マリア を 「処女」(パルテノス)として言及していたからです。
若い娘は、
処女であるかも知れませんが、その保証はどこにもありません。
パルテノスを選ぶか、
ネアニアスを選ぶか、
この選択は、マリアの処女性にかかわるものだけに、重要な選択となります。
イザヤ書を正しく解釈して、
それを、ギリシア語で正しく引こうとしたら、
ギリシア語に少しばかり手を入れて、
パルテノスをネアニアスに訂正しなければならないのです。
アキュラ訳に見られる訂正は、
それなりに正当なものだと言わざるを得ないものなのです。
出所 秦剛平「乗っ取られた聖書」1820㌻
私は、
以前から聖母マリアが処女懐胎したとの話は、嘘だろうし、
なぜ、キリスト教がこんなことで嘘を押し通そうとしているのか、
疑問に思っていました。
今回、秦先生の記述を読んで、我が意を得たりとの感じを持ちました。
念のため、
現在日本語の聖書でどう訳されているか、確認してみました。
新改訳聖書
(1970年9月1日発行、翻訳 新改訳聖書刊行会、日本聖書刊行会発行)
イザヤ書 第7章14節
それゆえ、
主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。
見よ。処女がみごもっている。
そして、男の子を産み、その名を「インマヌエル」と名づける。
新共同訳聖書
(2006年9月15日発行、「聖書 スタディー版」 日本聖書協会発行)
イザヤ書 第7章14節
それゆえ、
わたしの主が御自ら あなたたちに しるしを 与えられる。
見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み
その名を インマヌエル と 呼ぶ
「聖書 スタディー版」 の 「おとめ」についての注
直訳は「若い娘」。
この文脈では、処女懐胎を意味していないが、
BC200年頃に訳され、初期キリスト教会で用いられた
七十人訳ギリシア語聖書で、パルテノスには 二重の意味があった。
本来は「若い娘」を意図していたと思われるが、
福音書記者マタイは、処女と解釈したと考えられる(マタ1.23)
それが、イエスの母マリア に適した表現であったからである。
「聖書 スタディー版」を読んだとき、
以前の翻訳「処女」を「おとめ」に変更して、
ヘブライ語の聖書に忠実になったのかな、と思ったのですが、
注を読んで、がっかりしました。
まさに、
注は、嘘を捏造する詐欺師の言葉そのものであり、
信者に対して、今でも キリスト教は、こうやって 嘘を言いくるめているのか、
と、暗然としています。
2.アブラハムが、息子イサクを犠牲にしようとした場所
アブラハムが、神の命により息子イサクを犠牲にしたのはどこかな?、
犠牲にする場所まで、旅しているけど、どこからどこに行ったのかな?
と、長年疑問に思っていました。
この点について、秦先生が 疑問を解いて下さいました。
< 秦先生の記述 >
ヘブライ語 創世記22・2 によれば、
目的地は、
後にエルサレムと同一視されることになる「モリヤの地」です。
ギリシア語訳では「高い地」です。
現在のエルサレムの黄金のドーム(岩のドーム)の立つ場所です。
「クルアーン(コーラン)」によれば、
ムハンマドは、ここから天使を従えて、天馬に乗って天に昇っていったそうです。
本当でしょうか?
出所 秦剛平「異教徒ローマ人に語る聖書」170㌻
では、
アブラハムとイサクは、どこからエルサレムに行ったのでしょうか。
旧約聖書 創世記 21・31で、
当時 アブラハムは ベエル・シェバに住んでいたとのことですから、
ここからエルサレムに3日の旅をしたのでした。
注 ベエル・シェバ Be'er Sheva
エルサレム の南南西 70km
ヘブロン の西南 40km
ガザ の東南 45km
ソドム の西北西 55km
死海南端 の西 55km
3.モーセが、海を割った話
モーセが、エジプトより出国する際に、海を割ってユダヤ人を導いた話は、
子供のとき 映画「十戒」を見て以来、忘れられない出来事ですが、
海を割るというのは、どういう現象だったのか、
海を割った場所はどこなのだろうか
について、長年疑問に思ってきました。
秦先生の記述によって、
だいたいこういうことなのかな と、自分なりの整理ができましたので、
ご紹介させて頂きます。
< 秦先生の記述 >
(旧約聖書)出エジプト記14・21によれば、
モーセが手を海の方へ差し伸べると、摩訶不思議なことが起り、
事態は 一変いたします。
海は、夜通しはげしい東風(ギリシア語訳では南風)で押し返され、
海の底は、乾いたものになるのです。
ところで、
ヘブライ語出エジプト記も、ギリシア語訳も、
モーセは、手を海の上に差し伸べるだけで、彼には あまり勢いがありません。
ヨセフスは、
祈りを終えたモーセが「杖で 海面を強く叩くと」と、述べて、
モーセに勢いを与え、
「その一撃によって、海は、急に後退しはじめ、
そのあとには、ヘブルびとが逃げられる土地が現れた」(2・338)
と、します。
ヨセフスが、
ここで モーセに杖を持たせるのは自然です。
なぜならば、
出エジプトの交渉に臨んだモーセと ファラオの前で、
奇蹟を演じるために使用したのは、杖だったからです。
出所 秦剛平「書き替えられた聖書」152㌻
ところで、
モーセが海を割ったところはどこでしょうか。
私の記憶では、紅海だったような気がしています。
紅海だと、
海の幅が広すぎて、歩いて渡るのは困難ではと、
長年 疑問に思ってきました。
秦先生は、
エリュトラ海 又は エリュトラ海(紅海)と記述されています。
エリュトラ海について、直接的な場所は特定されておられませんし、
出エジプト記とヨセフスの記述を紹介されておられますが、
両者が異なっていて、困惑の度が増すばかりでした。
< モーセ一行の出エジプトのルートについての秦先生の記述 >
① 出エジプト記
ラメセス → スコット → エタム
ラメセスは、
ファラオのための物資貯蔵の町、堅固な要塞都市で
ヨセフが、父ヤコブとその兄弟達をカナンから呼び寄せたときに住まわせた
エジプト一等地と思われるところだそうです。
ただ、
秦先生が実際に現地を訪れたところ
小さな、貧相な、ペンペン草の生えている町で、
はたして ここは 脱国の出発点となりうるのかと思わせる場所だったそうです。
(ラムセスは、ナイルデルタの東端で地中海に近い町です)
スコットは、
ラメセスの南東 約50km に位置する場所だそうです。
② ヨセフス
出発地 不詳 → レートポリス
→ 3日目に エリュトラ海に近い バアル・ゼポン(ベエルセフォーン)
秦先生は、
バアル・ゼポンがどこだか分からないと記述されています。
出所 秦剛平「聖書と殺戮の歴史」137㌻
以上、
秦先生の記述からは、場所がどこだか分かりません。
私の手元にある「聖書 スタディ版」の巻末の地図を見ると、
ラムセス → スコット → アル・ツェフォン に到着後
アル・ツェフォンの北に行ったところで 海を渡っていました。
アル・ツェフォンは、
現在のポートサイドより南にくだった マンザラ湖の沿岸の町で、
(当時は、地中海に湾口を広げた「葦の海」と呼ばれる湾)
この辺りは、
湾が、運河のよう狭まって 南北にに食い込んでいました。
ここなら、
海といっても 対岸までそれほど距離もなく、あり得るのかなという気がします。
また、
アル・ツェフォン が、 ヨセフスのいう バアル・ゼポンなのではないでしょうか。
秦先生の出エジプト記の文章を読むと、
多分
モーセ達は干潮の時に湾を渡り、
エジプト軍は、干潮が終わった時に湾にいて、
満ちてきた潮に呑み込まれたように感じられます。
聖書に
東風(ギリシア語訳では南風)とあるので、
風により干潮の度合いがいつもより大きかったのではないでしょうか。
フランスのモン・サン・ミシェルは、干満の差が10㍍以上あって、
昔、現在みたいな島までの堤防の道がない頃
島に渡る巡礼達が、干潮が終了して 満ちてきた潮のスピードが速くて、
逃げ切れずよく溺死した と、読んだことがあります。
モーセが渡った場所も、「葦の海」と呼ばれていますので、
遠浅で、干満の差が激しい場所だった可能性が高いとしたら、
海が割れるとの意味が理解できます。
4.「赤線」の由来
売春防止法が施行される前、
公認の売春地帯を「赤線」、「青線」と言っていたそうですが、
その「赤線」の由来が、
旧約聖書にあることを知りましたので、ご紹介させて頂きます。
モーセが没して、ユダヤ人のリーダーがヨシュアとなると、
神は、ヨルダン川を越えて、カナンの地に攻め込むことを、命じました。
ヨシュアは、
カナンに侵攻する前に、偵察を派遣します。
その偵察員の次のエピソードが、赤線の由来となったそうです。
< 「赤線」の由来についての 秦先生の記述 >
ヨシュア記の第二章は、
帰隊した二人の偵察隊員の報告話に費やされます。
それによれば、
偵察隊員となった二人の若者は、
ラハブと呼ばれる (エリコの町の)娼婦の館 に入りますが、
エリコの王に
「今夜、イスラエルの何者かが この辺りを探るために忍び込んできました」
と、告げるものがいたそうです。
そのため、
(エリコの)王は、ラハブの館へ人を遣わして 二人を引き渡すように命じますが、
二人は、
彼女(ラハブ)の機転で、館の屋上に上り、亜麻の茎束の中に匿われます。
そして、二人は
王から遣わされた者が去ると、彼女の館から脱出いたしますが、
その際 彼らは、ラハブに、
ヨシュアの率いるイスラエルの子らの軍勢が エリコの町を攻め落とすときには、
彼女とその一族の者は救われると約束します。
もちろん、
彼女の館を、他の者達の家と区別するために、
彼女の館の窓に、目印として、「赤いひも」が垂らされることになります。
ここで少し余計な、しかし大切なことを申し上げます。
ヨーロッパにおける赤線地区(レッド・ライト・ディストリクト)の「赤」の由来は、
ここでの「赤いひも」の「赤」に求められるそうです。
後学のためにも、覚えておきたいものです。
出所 秦剛平「聖書と殺戮の歴史」20㌻
私は、「赤線」、「青線」は、
内務省あたりの役人が、赤と青の色鉛筆で、地区を囲ったのが由来では
と、 何となく想像していました。
何と、3000年以上も前の出来事が、「赤線」の由来だ と、知り、驚いています。
秦先生が、ついでに
「青線」の由来も書いて下さっていないのが残念です。
5.秦先生のオーム真理教についての記述
サムエル記上の解説する際に、
秦先生がオーム真理教に言及されておられますので、ご紹介させて頂きます。
< オーム真理教 についての 秦先生の記述 >
ヘブライ語聖書では、
サムエル記上は、シェムエル・アレフ、
サムエル記下は、シュムエル・ベイトと呼ばれます。
ヘブライ語では、
アレフは、ギリシア語のアルファ(α)に相当するもので、
ベイトは、ギリシア語のベーター(β)に相当するものです。
オウム真理教が有するビジネス組織にアレフがありますが、
わたしは、このヘブライ語を使用したところに
彼らの胡散臭さと何か聖書的なものを感じ取ります。
そのことを、指摘するキリスト教徒がいないのは不思議です。
オウム真理教は、
キリスト教の終末論を先取りした組織であるとするのが、
わたしの理解で、
わたしは そのことをいろいろなところで発言しておりますが、
オウム真理教となると身を引いてしまうキリスト教徒が多いのはなぜでしょうか?
キリスト教2000年の歴史を学ぶことがないからでしょうが、寂しい限りです。
出所 秦剛平「聖書と殺戮の歴史」251㌻
オーム真理教に対しても、キリスト教に対しても、
厳しい秦先生の記述だと思います。
私は、アレフのことを知って、勿論 聞きかじりでしょうが、
麻原彰晃は、意外に物識りだな、と ちょっと驚きました。
秦先生の現在出版されている聖書シリーズの本を読んだ感想を
5回にわたって述べてきました。
秦先生が、更に書き続けれれましたら、
また、その感想を書かせて頂きたいと思っています。
なお、
キリスト教の方は、不愉快な思いをされただろうと思いますので、
その点、お詫び申し上げます。
私は、
宗教の観点からではなく、歴史の観点から
キリスト教をはじめ、全ての宗教を見ていますので、
ご寛恕、ご理解賜れば幸いです。
< 秦剛平先生 の 聖書シリーズ >
第1回 旧約聖書の神も、ユダヤ人も、
カナンを「約束の地」とは 考えていなかったのでは?
http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-bf1b.html
第2回 旧約聖書の神は、大量殺人犯 かつ 殺人犯の親玉である
http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-7da6.html
第3回 旧約聖書の神が、キリスト教にもたらしたもの
http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-cb42.html
第4回 「歴史のイエス」 と 「信仰のキリスト」
http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-de7f.html
第5回 旧約聖書 の ちょっとした話
http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-2dc2.html
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