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2012年8月28日 (火)

パウロ・・・第2回 パウロの業績 と パウロ没後のパウロの教え

前回は、
トロクメの記述をもとに パウロの生涯の概略をご紹介しました。
今回は、
主にルナンの記述により
「パウロの業績」と「パウロ没後のパウロの教え」について、お話しさせて頂きます。
    **********

   < パウロの業績 >

パウロの業績を、一言で言うと次の3つではないかと思われます。
1.イエスへの信仰を確立し、
  キリスト教を、ユダヤ教から分離し、独立した宗教にしたこと。
2.ユダヤ人以外の異邦人に、キリストの教えを広め、世界宗教の道を拓いたこと。
3.キリスト教神学を確立したこと
  布教に際して、直接話ができない遠隔地の信徒への手紙により、
  また、弟子のルカにより、後世にパウロが創始したキリスト教神学を伝えた。
2.の「異邦人への伝道」の概略については、前回ご紹介しましたので、
ここでは、
「イエスへの信仰を確立し、キリスト教をユダヤ教から分離したこと」と、
「キリスト教神学を確立したこと」

および、
「パウロの教えのその後」

について、お話しさせて頂きます。
1.「キリスト教を、ユダヤ教、ユダヤ・キリスト教(原始教会)から分離させ、
   キリスト教神学を確立したこと」について
  ルナンは、
  「パウロは、ペトロやヤコブといった他の使徒たちない弱点があった」
  と、記述されておられます。
  即ち、パウロは、
   A. イエス と 会ったことがありませんでした
   B. イエスの話 を 聞いたことがありませんでした
   C. 神の語録 や たとえ話 を 殆ど知りませんでした
  また、 ルナンは、
   「パウロに親しく啓示を与えたキリストとは、パウロの幻想でした」
   「パウロは、「イエスから聞いた」と信じていますが、
    パウロが耳にしたのは、自分自身の声でした。」
   と、記述されておられます。
  しかし、ルナンは、
  パウロが、イエスと話したことがなかったからこそ、
  イエスの人間的な姿を、ペトロや他の使徒たちより一層容易に
  「形而上的な一典型」に形を変えることができた、
  と、記述しています。
  この点が、パウロが、ユダヤ教から離れられない 他の使徒と異なる点で、
  キリスト教を、
  ユダヤ教より切り離して、新しい宗教として独立させ、
  キリスト教神学を確立するに至ったポイントだろうと思われます。
  ルナンは、
  パウロと他の使徒との違いを次のように記述されておられます。

  ユダヤ・キリスト教派から見ると
  (エルサレムのパウロ以外の使徒たちの教会、原始キリスト教会)
  イエスは、偉大な預言者であり、(ユダヤ教の)律法を完成するために来た
  とされました。
  パウロからみると、
  イエスは、律法を含め、イエス以前の全てのものを無用とした神の出現でした。
  パウロは、
  ダマスコへの道で、イエスと会い、
  「イエスにとらえられ、イエスを信仰することによってしか誰も救われない。」
  と、確信したのでした。
  別の言い方をすると、
  「イエスは、
   我々の罪を贖って死に、
   我々を救い、我々を義(ただ)しくする救い主(キリスト)なのであり、
   全く神のような存在なのだ。」
  「イエスは、
   人間にとっての贖い、義認、知性、義(ただ)しさであり、栄光の王である。」
  「行いによってではなく、
   イエスへの信仰によって、(神の前で)義(ただ)しいとされる。」
  ユダヤ教では、
  「アブラハムが、神を信じたので、アブラハムの義と認められた。」とし、
  アブラハムの子孫だけが、神から選ばれた民(ユダヤ人)としての特権を
  保持できるので、
  ユダヤ・キリスト教派(原始キリスト教会)は、
  キリストを信仰する前に、ユダヤ人となって、戒律を遵守せねばならない
  と、主張しました。
  これに対して、パウロは、
  イエスの出現により、旧い神との契約(旧約)は破棄されて、
  新たに契約(新約)がなされたので、
  旧約に基づく律法(戒律)は破棄されており、守らなくても良い
  と、主張し対立しました。
  戒律(律法)で、特に問題になったのは、つぎの2つです。
  ① キリスト教に改宗するときに、割礼が必要かどうか?
  ② 異教の捧げられた肉を、食べてはいけないかどうか?
  パウロは、
  「人が救われるのは、イエスによるものであり、律法(トーラ)によるのではない」と
  真っ向から反対しました。
  「律法に従う」という「行い」により、救われるのではなく、
  「イエスの信仰」により救われるのだから、律法に従う必要はないとして、
  キリスト教徒に改宗した異邦人に「割礼」を求めませんでした。
  ルナンは、パウロの「ロマ書」の紹介の文章で、
  律法の問題点として、次の2つの点を指摘しされておられます。
  ① 神意に反しても、天国に入る確実便利な方法があると、
    信心家に思わせて、モラルを台無しにする。
    最も冷たいユダヤ人は、律法を守ることによって、
    権柄ずくで神を自分の救済にあたらせ得るものと思い込んだ。
    要するに、
    全く信仰心がなくとも、律法の形式だけを遵守しておけば、
    神に天国に入ることを要求できるし、
    神も、否応なくこの不信心な人間を迎え入れなければならなくなる
    と、いうことです。
    この点について、ルナンは、
    ルイ11世時代のカトリックは、ミサを行うことによって、
    まるで神に対して執行吏が命令するように振る舞い、
    細心にしておけば、
    神を愛さないで見下げ果てた男が、大手をふるって天国を要求している
    と、記述し、
    ユダヤ教だけでなく、カトリックも堕落していると、辛辣に記述されておられます。
  ② 律法が、罪人を仕立て上げることになる。
    即ち、
    律法を全て実行することは不可能のため、
    全ての律法を守っていないのではないか、
    あの律法を守らなかった、これも守らなかったと、
    まじめな信者ほど、罪の意識が強くなってしまうのです。
    ルナンは、次のように記述しています。
    (ユダヤ教の)高僧も、
    罪を犯す者であり、勤めを怠らないということはあり得ないと考えられた。
    人々は、
    神が律法を授けたことに不満を抱くほどになった。
    何故なら、
    戒律違反に陥れるのに役立っているだけだから。
    神は、
    罪を犯させるため、
    全ての人を罪人に仕立てるためにだけに、これらの命令を定めた、
    という うがった考えを ある者は打ち明けている。
    これについて、思い出すのは、ルターです。
    ルターは、
    雷に打たれて回心するまで、罪の意識にさいなまれていた
    と、読んだことがあります。
    ルターは、
    罪について深く考えれば考えるほど、罪の意識が強くなり、
    罪の意識にさいなまれたのだろうと思われます。
    ルターは、ここでの律法批判が指摘している経験をされたのだろう
    と、想像しています。
  「異教の捧げられた肉を、食べてはいけないかどうか?」について、
  ルナンは次のように記述されておられます。

  異教徒が偶像に供えた肉の問題は、聖パウロの偉大な良識により解決された。
  ユダヤ・キリスト教徒は、
  そのような肉には絶対手をつけてはならないと譲らず、
  エルサレムの公会議で、何人もこれを避けるよう申し合わせたようだ。
  パウロは、もっと闊達だった。
  パウロによれば、生け贄に捧げられた獣の一片の肉を、
  どうこう言っても取り立てて意味がない。
   → 偽りの神々など、何でもないのだから、
     そんなものに捧げた肉で汚れることはない
     だから、
     市場に並べられた肉の一切れの素性を聞くまでもなく、どれでも買って良い。
   → 一つだけ留意すべきは、これは偶像崇拝であるとする、明確な自覚である。
  以上お話ししたように、
  パウロは、
  「行いによってではなく、
   イエスへの信仰によって、(神の前で)義(ただ)しいとされる。」との
  イエスへの信仰を確立し、
  旧約聖書との契約であるユダヤ教の律法を否定することで、
  パウロは、キリスト教をユダヤ教、ユダヤ・キリスト教から分離し、
  キリスト教神学を確立したのでした。
  また、ルナンは、
  パウロの「イエス神格化の兆し」について、次のように記述されておられます。

  「キリスト教は、
   精神的に衰え始めたときに、功が成り、
   もはや燃えかすに過ぎなくなったときに、公認されたもので、
   心の独創と若さの時代が過ぎ去ったときに、一般にもてはやされた。
   イエスについて、いかなる誇張表現を行っても不当ではないように思われる。
   イエスこそ、常に霊感を与える人、師であり、教会内の生命の原理であった。
   イエスの神の役割は、年ごとに大きくなり、それは とりもなおさず正義であった。

   もはや、
   
単なる神なる人、
   偉大なる預言者、
   神が認めた権威を授けた人、
   業(わざ)と言葉に力ある人
、というだけではなくなった。
   こうした表現は、初期の使徒たちの信仰と愛を現すには十分であるが、
   ここに来ると、今ひとつ実感に欠けるように思われた。

   
イエスは、
   主であり、救世主(キリスト、メシア)であり、
   完全な超人であるが、未だ神ではなかった。
   だが、それに近い存在なのだ。
 
  人々は、イエスにあって見、イエスにあって死に、イエスあって復活した。
  神について言われる殆ど全てのことは、イエスについて言われた。

   パウロ自身もこの考えに到達する。
   「コロサイ人への手紙」に見られる最も進んだ表現は、
   萌芽的にはそれ以前の手紙にも既に存在している。

   「私たちにとっては、
    
唯一の神、父である神がおられ、
    万物はこの神から出、私たちはこの神に帰っていくのです。

    また、
    
唯一の主、イエス・キリストがおられ、
    万物は、この主によって存在し、
    私たちも、この主によって存在しているのです。
」(コリント、8、六)

   
ここから数歩進めると、イエスはロゴス、創造者となる。

   5世紀に同一実態論者(
父と子と聖霊の同一論)が主張した
   
最も過大視した表現を既に見ることができる。
  ルナンが「ここから数歩進めると、イエスはロゴス、創造者となる」
  と、記述されておられることは、

  多分ヨハネ福音書の有名な冒頭の記述を指しているのだろうと思います。


  < ヨハネ福音書の冒頭の記述 >


  初めに 言(ことば、ロゴス)があった。
  言(ロゴス)は、神と共にあった。

  言(ロゴス)は、神であった。
  この言(ロゴス)は、初めに神と共にあった。

  万物は、言(ロゴス)によって成った。
  成ったもので、言(ロゴス)によらずに成ったものは 何一つなかった。

  言(ロゴス)の内に、命があった。
  命は、人間を照らす光であった。

  光は、暗闇の中で輝いている。
  暗闇は、光を理解しなかった。

  出所 「聖書 スタディ版」(新)163㌻
    **********
   < パウロ没後 の パウロの教え >
  ルナンは、
  「現代から遠く隔てて眺めると、
   パウロの勝利は完璧だったという印象を我々は持つ」が、
  「パウロの記憶は、
   その死後百年の間に、言うなれば「日蝕」に入ったように思われる。
   パウロの創った教会でさえ、あまりにも危険な人物としてパウロを見捨て、
   その結果、2世紀には、パウロは誰からも否認されたように見える。」
  と、記述されておられます。
  一体何故このようなことが生じたのでしょうか。

  また、その後はどのようにして、
  パウロの教えがキリスト教神学の中心となったのでしょうか。


1.まず最初に、パウロの教えがどうなったのか、
  ルナンの記述を ご紹介させて頂きます。
  ① 2世紀におけるパウロの不人気
    一人の人物が、すぐれて他を圧して キリスト教の急速な伸張に貢献した。
    パウロは宣言した。

     → キリスト教は、ユダヤ教の単なる改革ではない。
        自立した 完全な宗教であると。

    歴史の上で、パウロを極めて高く評価すべきは自明であろう。
     → しかし、パウロを、キリスト教の創始者と呼ぶべきではない。
    パウロが何と言おうと、パウロには、他の使徒にない弱点がある。

     → パウロは、イエスに会ったことがない。
       イエスが話しているのを聞いたことがない。
       神の語録やたとえ話を殆ど知らない。
       パウロに親しく啓示を与えたキリストとは、
       パウロの固有の幻想(ファントム)だ。

     → イエスから聞いたと、パウロは信じているが、
        パウロが耳にしたのは、自分自身の声なのだ。
    外的役割に限って考えてみても、
     → 我々が 今日パウロに捧げている信望が、
        パウロの存命中から存在したとするのは、とんでもない。
    パウロの諸教会は、あまり堅固でないか、あるいは、パウロを否認していた。
    マケドニアとガラテヤの教会は、
     → まさに パウロの作物であるが、2、3世紀には、大して重要でなかった
    パウロだけに属していたわけではなかった コリントとエフェソの教会は、

     → 敵の手に移ったり、
       あるいは、仮にパウロだけによって創られたものとしても、
       
教会の規則通りに設立されたとは見られていない。


    伝道の抗争の舞台から姿を消した後は、
    パウロはすぐに忘れ去られたことが分かる。

     → 敵方からすれば、パウロの死は、
       恐らく面倒を起こす御仁(ごじん)の死 と、受け取られたことだろう。
    2世紀(100年代)になると、
     → 人々の口の端に パウロは殆ど上がっていないし、
       組織ぐるみで パウロを記憶から消そうと努めたふしもある

       当時、パウロの手紙は殆ど読まれることがなく、
       かなり限られたグループにしか権威を持たなかった。

    パウロの支持者ですら、
    その激しい主張を、ずいぶん穏やかなものに作り替えている。

    すぐれた弟子を残さず、
    パウロを取り巻いていたティトス、ティモテ その他の大勢の者も、
    ぱっとしないまま姿を消した。

    正直言って、パウロは、
    独自の一派をつくるには、あまりにもエネルギッシュな個性の持ち主だった。

     → いつも 弟子たちを威圧し、
       弟子たちは、パウロの前では、秘書、召使い、使者の役割しか演じていない。

       この師に対する尊崇はたいしたもので、
       弟子は、自由に説教するなど 思いもよらなかった。

     → パウロが、教団の者と一緒にいるときは、孤高を侍していて、
       他の者は、皆自己を失うか、あるいは パウロを通じてしか考えなかった。
  ② 3,4,5世紀 と 中世 における パウロの評価
    3,4,5世紀(200年代~400年代)になると、
    
パウロの人気は、奇妙に高まる

     → 
傑出した学者キリスト教神学の創始者となる。

    イエスを、形而上学の要石に仕立て上げた
ギリシア公会議の真の議長は、
    使徒パウロ
なのだ。


    だが、
中世になると、
    特に 西洋において パウロの運命は、不思議に
陰りを見せた

     → パウロは、異邦人(バルバロイ)の心には、何も訴えるところがなくなる。

       ローマを除いて、パウロは伝説とならず、

       ラテンキリスト教徒も、
       競争相手(ライヴァル)の付け足しでしか、
       パウロの名をあげることは決してないだろう。
    中世には、パウロの姿は、ペテロの光で かなり消された

     → 聖ペテロが、
       世界を動かし、感動させ、意のままにしている一方、

       難解な聖ブーは、
       大聖堂を満たし、民衆の歌に 霊感を与えた
       キリスト教の偉大な詩的情緒の裡では、脇役に廻った。
       (訳注)難解な聖ブー・・・高慢な人の意味か、ルナンの造語、
                      パウロを指すのだろう

    16世紀以前には、

     → パウロの名前をもらって、名乗っている者は殆どおらず、
       パウロの文字は、碑文にも殆ど見られない。
     → パウロを信奉する者はなく、
       パウロに教会を建てる者は、あまりおらず、
       パウロのためにお灯明をあげる者はいなかった。
    (パウロの)側近のティトス、ティモテ、フェベ、リディアは、
     → 一般人、特にローマ・カトリック教徒の信仰においては、
       少ししか顧みられなかった
    伝承は、思いのままに、できるものではない。
     → 伝承を生むには、
       民衆の心に訴えかけ、想像力をかき立てておくことが必要だ。

    ところで、
    信仰による救い、キリストの血による 義認の教えは、何を民衆に訴えたか。
    パウロは、一般人の心に あまりにも無神経であり、
    他方、恐らく歴史は、あまりにもパウロの名を留めているため、
    パウロの頭上に 伝説の輪ができないのであろう

    ペテロはどうか。

     → ペテロは、王たちを叩頭させ、帝国を潰し、
       まむしやトカゲを踏みつけ、ライオンと竜を倒して、天の鍵を手中にした。
  ③ 宗教改革後に栄光
    宗教改革が、聖パウロに栄光と権威の新時代を開いた。
    カトリック側も、中世における研究よりも範囲を広げ、
    異邦人たちの使徒(パウロ)について かなり正当な評価へ見直しを行った。

    16世紀になると、パウロの名前を持つ者はいたるところにいた。
    だが、科学と理性に大きく寄与した宗教改革は、伝説を作ることはできなかった。

    「ガラテヤの信徒への手紙」の辛辣なところは、ご親切にベールで覆って、
    パウロの胸像を、ペテロと同じ高さの台座の上に祭り上げた。
    こうしておけば、パウロが、今以上に民衆の聖者になることはない。

    批評家は、
    パウロにどのような評価を与えるのだろうか。
    理想に実を捧げた者達の位階(ヒエラルキー)の、どの段に彼を据えるのだろうか。
2.以上、ルナンの記述を抜き書きしましたが、少し私の意見を補足させて頂きます。
  ① パウロは、ユダヤ・キリスト教会(原始教会)の異端者だったと見るべきことについて
    パウロは、
    エルサレムのユダヤ・キリスト教会(原始教会)において、少数派でした。

    後世のキリスト教の基準からすると、
    パウロの考えは、異端であり、
    パウロは異端者と言うべき存在だろうと考えています。
    ユダヤ・キリスト教会は、
    パウロの布教した地域に、宣教師を派遣して、

    キリストの正統な教えは、ユダヤ・キリスト教会にあり、
    パウロの教えを間違えだと布教していたのです

    また、パウロが、第3回伝道旅行の後、
    ユダヤ・キリスト教会と和解するためにエルサレムを訪れた際、

    ユダヤ・キリスト教会は、ユダヤ教と一緒になって、パウロを殺そうとしました。
    ローマ軍の介入がなかったら、投石でパウロは殺されていたでしょう。

    イエスが、
    ユダヤ教から異端だと行って、十字架刑で殺されたと同じように、

    パウロも
    ユダヤ・キリスト教会(原始キリスト教会)に殺されようとしたのです。

    トロクメは、パウロがエルサレムを訪れたのは、
    「(パウロが)創設した諸教会に、
     エルサレムの者達が絶えず侵入してくることに疲れ果てていので、

     エルサレムの兄弟たちとの和解を望んでいた。

     和解をし、パウロが受け入れられるために、
     エルサレムが要求することは何でもする覚悟だった」
    と、記述されています。


    このように考えると、最初に申し上げたように、
    パウロは、ユダヤ・キリスト教会から異端者として扱われていたのだろう
    と、考えてもよいのではと思います。

    ですから、
    パウロが創設した教会やパウロから親しく教えを受けた教会も、
    パウロ没後、ルナンの記述によると生存中から、パウロを見捨てて、

    コリントの教会などは、
    歴史の改ざんまでするようになったのだろうと思います。


  ② 異端扱いのパウロの教えが、後世に残った経緯
    結論を申し上げると、
    ⅰ パウロが各地に出状した手紙、
    ⅱ パウロの弟子ルカの存在、
    ⅲ グノーシス派マルキオンの新約聖書編纂 だと思います。


    ⅰ パウロが各地に出状した手紙

    パウロは、機会がある毎に パウロが布教した教会に手紙で指導しています。

    また、今後布教に赴こうと考えていたローマのキリスト教徒に
    手紙を出しています。

    これらの手紙は、現地の教会で回し読みされました。

    ルナンによると、
    全てが残っているわけではないが、大事に扱われて残った手紙が、
    現在新約聖書に記載されているパウロの手紙の大半だそうです。


    ⅱ パウロの弟子 ルカの存在

    第2回伝道旅行の際に、トロアスでルカがパウロの弟子となり、
    その後パウロが没するまで、パウロに付き従ったと
    ルナンは記述されておられます。


    ルカは、ルカの福音書と使徒言行録を記述していますので、
    パウロの弟子であるルカの記述により、
    パウロの考えが後世に残ったと考えても間違いなかろうと推測しています。


    ⅲ グノーシス派マルキオンの新約聖書編纂
    ルナンは、
    「3,4,5世紀(200年代~400年代)になると、
     パウロの人気は、奇妙に高まり、
     傑出した学者、キリスト教神学の創始者となる。」
    と、記述されておられますが、

    このような状況を現出させたのは、マルキオンではないだろうかと考えています。

    マルキオンについては、
    筒井賢治さんの「グノーシス」(講談社選書メチエ)よりご紹介させて頂きます。

    マルキオンは、
    2世紀(100年代)の人で、
    小アジアの黒海沿岸のポントス付近の都市シノペの出身だそうです。

    (この項は、ウィキペディアによります)


    144年7月中旬
    正統派教会から独立して マルキオン教会を設立し、
    無視できない勢力となったそうです。


    筒井さんは、
    正統多数派教会、一般的なグノーシスのキリスト論と マルキオンのキリスト論を
    簡潔に比較されておられますので、ご紹介します。
    A.正統多数派教会 の キリスト論
      → 至高神=創造神が、自ら造った人類を、
        
罪から救うべく、自らの子 イエス・キリストを遣わして、
        人類に福音を伝えた
    B.一般的グノーシスのキリスト論
      → 至高神は、低劣な創造神が造った人類から、
        その中に
取り残されている 自分と同質の要素を救い出すべく
        自らの子イエス・キリストを遣わして、人類に福音を伝えた
    C.マルキオン の キリスト論
      → 至高神は、
        
自らとは縁もゆかりもない 低劣な創造神が造った、
        
自らとは縁もゆかりもない人類を、

       
 純粋な愛の故に、低劣な創造神の支配下から救い出して、
        自分のもとに受け入れようとした

      → 
そのために
         至高神は、自らの子イエス・キリストを遣わして、人類に福音を伝えた
    A.とB.の共通点
      → 至高神が救うのは
        (A.)
自ら造った人間か、(B.)至高神自身と同質の要素

      → C.は、
至高神とイエス・キリストは、
        創造神や 創造神が造った人間とは、
縁もゆかりもない存在である

    B.とC.の共通点
      → a 二神論 である点
          ・・・
ユダヤ教=創造神 の他に もう一体の神を想定し
           イエス・キリストを、 こちらの神とダイレクトに結びつけている
        b 救われるのは、
          人間の「霊」「魂」「神的本質」「本来的自己」であり、
          
肉体は滅び去るものである
    マルキオンに注目するのは、
    マルキオンが、最初に聖書の編纂を試み、

    その内容を
    「ルカ福音書」と「使徒書」としたことです。


    「ルカ福音書」は、4福音書の中のルカが記述した福音書です。

    「使徒書」とは、パウロの幾つかの手紙です。

    マルキオンは、
    パウロの弟子のルカの福音書と、パウロの手紙だけが、
    イエスの教えを現していると考えたのだろうと思います。


    (注)使徒書でマルキオンが選んだパウロの手紙

       「ガリテヤ人への手紙」

       「コリント人への手紙1」
       「コリント人への手紙2」

       「ローマ人への手紙」

       「テサロニケ人への手紙1」
       「テサロニケ人への手紙2」

       「ラオデキア人への手紙(エフェソ人への手紙)」
       「コロサイ人への手紙」

       「フィリピ人への手紙」
       「フィレモンへの手紙」

       出所 筒井賢治「グノーシス」159㌻(講談社選書メチエ)

    新約聖書は、
    マルキオンの聖書に対抗して、正統派教会が編纂したものですが、

    内容的には、
    マルキオンの聖書に、
    ルカの使徒行伝、幾つかの書簡、ヨハネ黙示録を付け加えたものであり、

    パウロの手紙=パウロの神学が、確実に後世に伝わるようになったのです。


    異端者パウロを、異端者マルキオンが取り上げ、
    それを無視できない正統派教会が、パウロを新約聖書に掲載したことが、
    パウロの教えが現在まで伝わった所以だと考えております。

    カトリックは、信者に聖書を読ませることに反対しましたが、

    宗教改革を行ったルターやカルヴァンは、
    新約聖書=パウロの教えに従って、イエスへの信仰を主張したのでした。


    ルナンが
    「あらゆる点で プロテスタンティスムの真の始祖であるパウロは、
     プロテスタントなりの欠点があった。」
    と、記述されておられます。


    森有正先生は、
    「土の器に」で、次のように記述されておられますが、

    先生の記述が、
    パウロやプロテスタントの信仰の核心であり、
    ルターの「神にとらわれているから自由である」の考え方を
    説明しているのだろうと感じられますので、

    今回の最後にご紹介させて頂きます。


    「現在あらゆるところで、解放が叫ばれ、自由が叫ばれております。
     本当の自由と解放とは何か。
     そのために 自分がその解放や自由に向かって走っている、
     そのものの
根源に対する心の底からの服従また信頼

     
そういうより深い束縛があって始めて
     私どもの目の前に自由が実現されてくる
のだ。
     これは、宗教改革者のルターの信仰の場合を考えましても、
     あるいは カルヴァンの信仰、
     また パウロの信仰 を見ましても、
      → 全く同じ本質と構造とを持ってそこに現れてきております。
     今日の問題におきましても、やはり核心はそこにありまして、
     もしも、それに 私どもが人格的に服従しないならば、

     言い換えるなら
     
神の召命というものへ服従しないならば

     → 本当の自由もあり得ないし、本当の根源性もあり得ない
        
と、私(森有正)は考えます。」

      出所 森有正「土の器に」16㌻


         

    パウロ・・・第1回 パウロの生涯

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    パウロ・・・第3回 悲惨な歴史の淵源となったパウロの教え

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投稿: GeorgeNug | 2019年9月17日 (火) 07時15分

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