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2013年4月 5日 (金)

加藤 隆著「一神教の誕生」 第2回 ユダヤ教についての 本書の概略

加藤 隆 著
「一神教の誕生」・・・ユダヤ教からキリスト教へ・・・
(講談社 現代新書)

第2回 ユダヤ教についての 本書の概略


第1回の読後感のご参考に、今回と次回で、ユダヤ教徒キリスト教の本書の概略を 抜き書き風に要約させて頂きます。

今回(第2回)は、ユダヤ教についての本書の概略です。
イエスとエルサレム初期共同体 についての 本書の概略については、次回(第3回)ご紹介させて頂きます。


          **********


1.出エジプト

 紀元前1250年頃(BC13世紀)
 モーセに率いられたユダヤ人が、エジプトを脱出(出エジプト)に成功しました。

 ユダヤ人は、
 民族神 ヤーヴェ が、エジプトから出してくれたお陰であると、
 民族神ヤーヴェに感謝しました。


2.カナンに定着

 ユダヤ人は、
 約半世紀、荒野を彷徨った後に、
 パレスチナ(カナンの地)に侵入し、定着しました。

 ユダヤ人は、
 これも ヤーヴェ神のお陰だと感謝しました。

 出エジプト、カナンへの定着という 2つの大きな事件により、
 ヤーヴェという神を崇拝する、イスラエル民族が成立し、
 ユダヤ教、厳密に言うと、古代イスラエルの宗教が成立しました。


3.統一王朝の成立

 ユダヤ人は、徐々に統一していき、

 部族連合体制から、
 BC1030年頃には、サウルが王に即位するようになり、
 次の王ダビデの時代に、統一王朝が実現し、エルサレムを首都としました。

 ダビデの次の王ソロモンの時代には、
 中央集権制度を整備し、領土を拡大して、
 ソロモンの栄華と呼ばれるほどの繁栄を誇りましたが、

 BC932年ソロモンが没すると、南北対立が表面化して、
 南のユダ王国、北部のイスラエル王国(サマリア)と南北に分裂しました。

 南北に分裂した後にも、
 ユダヤ人は、依然として ヤーヴェを、崇拝していていました。

 なお、ソロモンは、
 エルサレムに、ユダヤ教の神殿(第一神殿)を建設しています。


4.御利益宗教

 この頃までのヤーヴェは、
 御利益があるので崇拝される 御利益神 でした。

 即ち、
 エジプトを脱出させてくれた、
 カナンの地に定着させてくれた、ので、
 ユダヤ人が、ヤーヴェを崇拝したのです。

 従って、
 他に御利益を与えてくれる他の神も、ユダヤ人は、崇拝することになりました。

 ソロモンの頃、ユダヤ人は、
 雨と雲の神 バアル神、
 収穫、子孫の繁栄の神 アスタルテ神も、
 ヤーヴェと共に崇拝するようになっていました。

 神は、
 人間の要求に応えるから、神として尊重され、崇拝されるのであり、
 要求に応えない神は、
 存在価値がなく、人間から見放されて、神として死んでしまうのです。

 故に、
 表面的には、
 人間は、神を尊重しているような態度を示したが、

 根本的なところでは、
 人間が、神に優位に立っていて、神に命令していたのでした。


5.普遍主義的立場、創造神

 ユダヤ人は、
 パレスチナで、色々な民族と交流する内に、
 ヤーヴェ神は、他の民族の神より偉大であると強調するようになり、

 ヤーヴェは、
 ユダヤ人の民族神から、普遍主義的な立場の神に、
 徐々に性格が変更されていきました。

 この普遍手主義的な神の考え方が、端的に表現されているのが、
 ヤーヴェは、創造神、
 即ち、
 すべてを創造した神であるとの主張です。

 しかし、
 普遍主義的な立場が生じても、
 ユダヤ教主流は、あくまで 民族中心主義的な立場を維持していました。


6.北王国の滅亡

 南北に分裂してから、約200年後の
 BC722年 又は BC721年に、

 北の王国(イスラエル王国、サマリア)が、
 アッシリアにより滅亡した。

 このとき、
 神が動かず、沈黙していました。


7.罪の概念、契約概念の成立 と 一神教の誕生

 ヤーヴェは、
 エジプトを脱出させたり、
 カナンの地に定着させた御利益があったから、崇拝されていました。

 ですから、
 アッシリアに攻撃されたとき、
 守ってくれない、役立たずの神であるヤーヴェは、

 普通だったら、
 御利益がないと、ユダヤ民族に見捨てられても当然でした。

 しかし、
 南の王国(ユダ王国)は、残っていたので、
 ユダヤ人は、ヤーヴェを救う論理を考え出しました。

 それが、
 罪の概念、契約概念です。

 即ち、
 人間が、神に対する義務をきちんと果たしていなかったため、
 人間が、神に対して不適切であったという「罪」があったため、
 神が動かなかったのだ、との論理です。

 言い換えると、
 人間が、神との契約を守っていなかったから、
 神が動かなかったのだ、との論理でした。

 こうして、
 神は、何も悪くない(義(正しい)である)、
 人間が、罪の状態にある、とのなった為、

 これ以降のユダヤ教の課題は、
 神の前での義(正しさ)を、どのように実現するか、
 ということに尽きるようになりました。

 ユダヤ教は、
 御利益宗教的なあり方を克服し、
 民が、罪の状態に位置づけられて、
 民に対する神の優位が、決定的になりました。

 また、
 御利益宗教は、
 御利益を与えるいくつもの神が存在しましたが、

 これ以降は、
 ヤーヴェという神だけが存在する、一神教になったのです。

 更には、
 民が、罪の状態であり、
 神が動かないということは、
 神と人間との間に、断絶が生じたことを意味していました。

 神と人間との間には、契約は存続しているが、
 人間が、契約を履行しないから、
 神も、契約を履行せず、沈黙しているという、断絶が生じたのです。

 従い、
 契約を履行していない民は、
 他の神を選ぶこともできなくなりました。


8.南王国の滅亡 と バビロン捕囚

 北王国の滅亡した 約150年後の
 BC587年に、
 南王国(ユダ王国)が、バビロニアに滅ぼされて、
 ユダヤ人は、バビロンに連れて行かれました。

 このバビロンの捕囚は、約50年間続き、
 ペルシアがバビロニアを滅ぼした後の BC538年に、
 ペルシア キュロス大王により、パレスチナへの帰国が許されました。

 この帰国の際に、
 バビロンに残ったユダヤ人が、少なくなく、

 これ以降、
 パレスチナ以外の土地に住むユダヤ人を、
 ディアスポラのユダヤ人 と 呼ぶようになりました。


9.第二神殿の再建 と 聖書(律法)の成立

 パレスチナ帰国後、
 エルサレムのソロモンが建設した神殿が再建されました。(第二神殿)

 また、
 ペルシアの命令で、聖書(律法)が作られました。

 このとき作成されたのは、モーセ五書と言われるものです。

 ユダヤ教の聖書は、その後徐々に増加していき、
 紀元後1世紀末に、最終的に内容が確定しました。 

10.神殿と律法が、絶対的権威を持つようになった理由
   ・・・神の前での自己正当化の問題・・・

 北王国滅亡後のユダヤ人にとって、最大の課題は、
 「神の前での義を、どのように実現するか」という問題でした。

 簡単に言うと
 「正しくなりたい」ということです。

 何が正しいか、を決めるのは、神自身のはずですが、
 神と人間とは断絶していて、神は沈黙していますから、
 人間には、何が正しいか知ることができないはずです。

 ところが、
 自分は、掟(律法)に完璧に従っているので、
 自分は正しいと、主張する者が出てきました。

 これは、
 自分の発見した掟(律法)を、神が承認しろとの態度ですので、
 自分の掟(律法)を、神に押しつけている、
 神は、人間に服従しろと主張していることになります。

 この様な態度を避けるために、
 ユダヤ教は、
 神殿を再建して、犠牲を神に捧げる儀式を行い、
 律法(掟)が、絶対的権威を持つとしたのです。


11.神殿、律法の問題点

 ユダヤ教は、
 神の前での自己正当化を避けるために、
 神殿、律法に絶対的権威を持たしたのですが、

 神と人間が断絶している状況を、
 神殿と律法により、回復することが不可能であることが、問題でした。

 神殿で犠牲を神に捧げることは、
 一度すればすむのもではありません。
 何度も何度も、犠牲を捧げなければならないのです。

 これは、
 いくら犠牲を捧げても、神との断絶が解消することはないこと
 を、意味していました。

 律法についても同様でした。
 律法は、複雑で、
 人間が完璧に律法に従って生活することは不可能でした。

 更には、
 律法の規定が、何を意味しているのか分からない部分もあったのです。

 ですから、
 律法に大体従うことはできても、完璧に従うことは、不可能でした。

 更に 問題なのは、
 神殿の儀式も、律法についても、人間側の行動なのです。

 人間が、神を動かすために行動することは、
 その行動を、神に認め指すことを意味していて、
 先ほどの神の前での自己正当化の問題と同様に、
 人間が、神に従わせようとする性格を有していました。

 でも、
 神殿の儀式を行い、
 律法に従った生活をすることは、

 神との断絶は解消できなくとも、
 神との契約は存続することができますので、
 ユダヤ人は、神殿と律法を維持したのです。


12.黙示思想

 律法主義の反省から、黙示思想が生まれてきました。

 黙示思想とは、
 世の終わり(終末)に、この世が「悪」だからとして、

 この世を創造した神が、
 この世を全面的に破壊して、新しい世界、来たるべき世 を 新たに創造し、

 この世から、ほんの一握りの選ばれた者たちだけが、
 終末の滅びを免れて新しい世界に導き入れられる、
 とする考え方です。

 この黙示思想は、反神殿主義、反律法主義でした。

 黙示思想は、
 論理的一貫性のある神学的施策に基礎づけられていて、
 その背景には、動かない神がありました。

 即ち、
 神が動けば、問題は解決しますが、
 神殿主義や律法主義では、神を動かすことはできません。

 罪の状態である人間が、いくら神に働きかけても、
 神は動かないのです。

 神が動くとの条件を考えると、
 神が勝手に動くことしかあり得ません。

 この世は、罪の状態ですから、
 神が動くとしたら、
 論理的には、この世や人間を滅ぼすこと以外には
 あり得ないことになります。

 この世を創造するときに、
 神は、イスラエル民族を選びましたが、

 この世を破壊するのも、
 イスラエル民族を選んだことを破棄するのも、
 神の自由であり、

 破壊の後の新しい世界で、
 イスラエル民族が選ばれるとの保証はありません。

 ただ、
 黙示思想の大きな問題点は、
 理屈はそうかも知れないけど、
 実際に神が動いて終末が、なかなか訪れないことです。

 神が動かない状況の中で、
 何とか神を動かすために、人間が努力しようとしてきた発想を逆転させて、
 罪の状態であっても、神が動けば問題は解決するとの発想 は、
 新しい点 でした。¥


13.マカベア戦争

 アレクサンダー大王が ペルシアを征服した後、
 パレスチナは、
 エジプトのプトレマイオス朝の支配下になりましたが、

 BC2世紀に入ると、
 セレウコス朝シリアが、パレスチナを支配するようになりました。

 BC167年に、
 シリアのアンティオコス4世が、急激なギリシア化政策をとったため、
 ユダヤ人が抵抗して、マカベア戦争が勃発し、
 ユダヤ人のハスモン朝が成立しました。

 このハスモン朝は、
 BC63年 ローマのポンペイウスが、パレスチナを征服するまで、
 約100年間 独立を維持しました。


13.体制派(サドカイ派、ファリサイ派) 対 エッセネ派

 ハスモン朝において、
 ユダヤ教は、3つの宗派に別れていました。

 ① サドカイ派  神殿主義、神殿で働く祭司を中心とした勢力
 ② ファリサイ派 律法主義、 社会的成功のために律法を勉強した 律法の専門家、
                    シナゴーグのラビ
 ③ エッセネ派 荒野の修行者

 エッセネ派は、
 ハスモン朝が成立し、サドカイ派の流れが 神殿の実権を握ることになったとき、
 サドカイ派の妥協的なあり方を嫌って、分裂した祭司達と言われているそうです。

 エッセネ派は、
 荒野で、神との直接的な関係の実現を模索しました。

 その結果、
 神殿主義や律法主義は、
 人間が、義の状態に変化したことを、神に求めさせて、
 神を動かそうとしていることに 問題がある。

 即ち、
 人間が、神を動かそう、神に命令しようとしている、ことが、
 根本的な問題である。

 人間は、神を動かせないのだから、
 神は、,勝手に動く ということに 気がつきました。

 即ち、
 神の側からの一方的な介入が、唯一残された可能性であり、
 神の前の正当化のために、人間の側からは何もなす術がない、
 というのが、エッセネ派が行き着いた結論でした。

 「人間は、なす術がない」との結論故に、
 1世紀後半のユダヤ戦争後、
 エッセネ派は、ユダヤ教から消えてしまいました。


14.律法主義への一元化

 66年~70年 の ユダヤ戦争で、敗北した後、
 ユダヤ教は、
 ファリサイ派の律法主義に一元化されました。

 神殿主義のサドカイ派は、
 エルサレムの神殿が、ローマ軍に破壊されて、壊滅し、
 その後、
 神殿は、再建されずに現在に至っています。

 エッセネ派は、
 先ほど述べたように、消えてしまいました。

 ユダヤ戦争後、
 39のヘブライ文書からなる ユダヤ教の聖書が、確立しました。


以上が、
ユダヤ教についての本書の概略ですが、

イエスやエルサレム初期共同体についての本書の概略については、
次回(第3回)をご参照下さい。


    加藤 隆著「一神教の誕生」

    第1回 本書の読後感
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-124b.html

    第2回 ユダヤ教についての本書の概略
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-53b2.html

    第3回 イエス と エルサレム初期共同体 についての本書の概略
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/3-dae4.html

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