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2015年1月 8日 (木)

私流(わたしりゅう)「歴史とは何か」

ティエスの「国民アイデンティティの創造」を読みながら、

「歴史とは何か」ということを、つくづく考えなければ、
という宿題が、浮かび上がってきました。

というのは、
例えば、

ギリシア史とは何なのか?
ギリシア史は、一つの歴史とは言えないのでは?

ということに対する解答が必要だな と、いうことが
浮かび上がってきたからです。


もう少し ご説明させて頂きますと、
古代ギリシアは、

ローマにより併合され、ローマの一部となりました。

そのローマも、東西に分かれ、
東ローマがビザンツ帝国に変容していきます。

ビザンツ帝国は、
ギリシア人の帝国 と 言われていますが、

ギリシア本土は、
ビザンツ帝国の一部にすぎず、

ビザンツ帝国の歴史=ギリシアの歴史
というわけにはいきません。

しかも、ビザンツ帝国に、
スラブ人が侵入してきて、ギリシアにも定住しましたから、
ギリシア人との混血 が 進んだのでしょう.。

即ち、

それ以降、
ギリシアに住んでいる人は、

民族的にも、
古代のギリシア人と異なっているのです。

(尤も 古代ギリシア人も、混血により出来た民族です。)

ですから、
古代のギリシア人の後裔が、ギリシアに住んでいた、
と、ストレートに言うことはできません。

その後、
南イタリアのノルマン人が、ギリシアに攻め込んだり、

第4回十字軍の後、
フランス人を中心とする十字軍国家が幾つも建国され、

ギリシアを支配しました。

ビザンツ帝国が、
オスマントルコに滅ぼされた後は、

イスラム国家のオスマントルコの支配で、
近世まで数百年過ごしています。

この様な経緯を経て、
現在のギリシアがあるわけですが、

今まで述べた経緯を、

単に記述するだけでは、
ギリシア史を語ったということにはならず、

ギリシア史とは何なのか?
との疑問しか残らないと思います。


実は、同じことが、
イタリア史にも言えます。

イタリアは、
ローマ帝国が建国された地域ですが、

西ローマ末期以降、
ゴート族、
ランゴバルド族、

更には
フランク が 侵入し、

また、
南イタリアは、
ビザンツ帝国が支配していたのです。

中世になっても、
ドイツの皇帝が、イタリア政策といって、

1250年 フリードリヒ2世が没するまで、
イタリアに遠征してきましたし、

  注 ; フリードリヒ2世は、ドイツ人ですが、
     イタリア生まれで、生涯イタリアで過ごしました。

ドイツの皇帝 の イタリア政策 と 平行して、

ロンバルディアでは、都市国家が発達し、
中部イタリアでは、 ローマ教会領となり、
南イタリアは、   ノルマン人が支配していました。


フリードリヒ2世没後、

ローマ教皇が、
フランスのシャルル・ダンジューをイタリアに引き入れて、
ホーエンシュタウフェン家を滅ぼして、

その後、2世紀半程度、
イタリア人の民族の祭典である
イタリア・ルネサンスが花咲きましたが、

その間でも、

シチリア島は、
スペインのアラゴン、

南イタリアの半島部分は、
フランスのアンジュー家の末裔が支配した後
スペインのアラゴン家が、シチリアと共に ナポリも支配しました。

百年戦争を終えたフランスが、
ミラノとナポリの支配権を主張して

15世紀末からイタリアに侵入し、

アラゴンの後裔のハプスブルク家と、
イタリアを巡って、16世紀半ばまで争い

その後、ハプスブルグ家が、 イタリアを支配しました。
(教皇領を除く)

19世紀の後半に、

ハプスブルクに対する独立戦争には負けたけど、
独立を果たした、という 不思議な経緯 により、

本来的には
イタリアの諸侯ではない サボイア家 が、
イタリアを統一したのです。

この様な経緯ですので、
イタリア史を記述するとなると、

どのような視点から 記述するのか?

イタリア史とは、
一つの歴史と言って良いのか?

との議論が生じてきます。

山川出版社に、
世界歴史大系という大学レベルの教科書叢書
が、ありますが、

欧米の主要国の歴史が、とっくに出版されているのに、
イタリア史が大幅に遅れているのは、
その様な難しさがイタリア史にはあるからでしょう。


更に、
スペイン史にも、疑問が生じます。

通常述べられる スペイン史の概略 は、

ローマ帝国の後、
西ゴートが支配していたが、

8世紀初め、イスラムが侵入して、
ピレネー山脈の麓まで追い詰められたスペイン人が、

レコンキスタを行って
15世紀末にイスラム教徒を追い出して、

カスティリアとアラゴンが合体したスペインを作って、
現在に至っている、ということでは ないでしょうか。

でも、これでは、
8世紀から15世紀末までの間、
スペインを支配した イスラム教徒 が、

どのようにスペインを支配したのか
との視点が、欠落しています。

この間に、イスラム教徒は、
アルハンブラ宮殿 に 象徴される 大変高度な文明 を、
スペイン で 作り上げていますし、

ヨーロッパの近代文明の基礎となった
ローマ・ギリシア文明を、

ヨーロッパ人は、
主に、スペインから 取得しているのです。

ヨーロッパ人にとって大切で重要な
スペインでの文明の契受については、

例えば、
「12世紀ルネサンス」といった
個別テーマにより記述されていますが、

そもそも、スペインが、

ヨーロッパの先生 と いうべき地域になった
理由や経緯 を 正面から見据えた

スペインのイスラム王朝の歴史について、

ヨーロッパ人の歴史家は、
あまり興味をもっていないような気がします。

スペインを支配したイスラム王朝の歴史を
除外したら、

スペイン史を語ったことに なるでしょうか。

逆に、
今日に直接つながらないイスラム王朝の歴史を
記述した場合、

スペインの歴史というのは、
一つの歴史と いうことが出来るのか?

スペインのイスラム王朝の歴史は、
現在の我々に、
どのような意味、価値があるのだろうか?

との疑問も生じることになります。


以上、
歴史について、
私の念頭にあった疑問・問題意識を
述べさせていただきましたが、

これらの問題を解決するには、
「歴史とは何か」についての解答が、
必要となりますので、

「歴史とは何か」についての
私の2015年時点での考えを

以下に、ご紹介させていただきます。



「歴史とは何か」を考える時に、
大きな論点 が 2つあります。


「一つ目の論点」は、

歴史は、
人間を介して 記述されますので、

人間の観察、

言い替えると、
歴史が、人間というプリズムを通ると、

どのようなものになるのか、
どのような性格を帯びているのか、
です。


「二つ目の論点」は、

歴史の本質とは、
との 歴史自体が持つ性格 についての分析です。


「一つ目の論点」:
即ち、
「人間に記述された歴史の性格」については、

例えば、
次のような論点があります。

1.歴史書には、
  全ての事実が記述さるわけではない。

  日記をつけたとして、
  今日朝起きてから 寝るまでの全ての事実を記
  述するのではなく、

  自分が大事だと思うこと を 記述しますよね。

  これと同じように、
  歴史家も、

  歴史資料に書いてある全て事実 を
  記述するのではなく、

  歴史資料の中で大切なものを、
  自分の価値観により 選択して 記述しているのです。

  他の歴史家が、大切だと思う事実でも、

  その歴史家にとって 価値が低ければ、
  記述されることはありません。


  ですから、
  歴史書は、
  歴史家の価値観に基づいた歴史である
  とも 言えるのです。

  一つの歴史(例えば、フランス革命)について、

  いろいろな人が、
  いろいろな視点から その歴史 を 記述しているのは、

  歴史家の価値観が 多様である故に、

  歴史に対する見方、
  分析の切り口が、幾つも生じるからです。


  また、、
  古い時代の歴史資料の大半は、紛失しており、

  現在残っている歴史資料は、
  全ての歴史資料のほんの一部分にすぎず、

  現在残っている歴史資料を、
  全て読み込んだとしても、

  大半のピースが失われたジグゾーパズルを基に、
  完成した絵を想像するようなものなのです。



2.歴史家は、
  後世の歴史家からは、その時代の制約を受けた記述だな、
  と、言われるものである。

  中世人が、
  「我々は、巨人の肩に乗った小人である」と言っていますが、

  これは、
  現在の我々にも当てはまる真理なのです。

  この例えの趣旨は、
  現代人は、過去の遺産があるから、

  過去の人より遠くが見える、
  いろいろなものが見える  と、解釈されていますが、

  過去の人々が、
  どこに行ったのか、

  言い替えると、
  どのような行動をとってきたのか ということも、

  現代人の ものの見方の制約 になっている

  言い替えると、
  現代人の価値観 を 制約している
  と、いうことが出来ると思います。

  時代の制約の中には、
  その時代の技術水準による認識の制約 も 含まれます。


3.フランス革命の大家であられた遅塚先生は、
  遺著の端書きで、

  「歴史学は、
   仮説としての ある解釈 を 提示して、

   読者の選択肢 を 豊富ならしめる ということに 
   尽きるであろう。

   (仮説提示者としての研究者は、
    同時に、
    他の研究者の提示する仮説 の 読者 である。)

   歴史学という営み の 目指すところは、

   読者が、
   歴史について 思索を巡らすための素材 を 提供すること
   に、尽きるであろう。


   本書において、
   革命的テロリズムに関する
   私(遅塚)の拙い解釈を提示するだけでなく、

   フランス革命を生きた男の姿の一端 を 描くことによって、
   読者の思索のための ささやかな素材 を 提供したい
   と、思っている」

   と、記述されておられます。 

  (遅塚忠躬「フランス革命を生きたテロリスト」29㌻) 


  私も、

  「歴史家の著作は、
   歴史フィールドから 謎を見つけ出して、
   その謎解き を することである。

   だからこそ、歴史家が、
   謎解きに失敗して 間違えていることが 多多あるので、

   その間違いを 見つけることも、
   歴史書を読む 一つの醍醐味 であり、楽しみだ」

  と、感じています。


以上、
「一つ目の論点」で議論される3つの論点を、
例示で、ご紹介しましたが、

他にも いろいろな論点 があり、

「一つ目の論点」は、
「歴史とは何か」について考えるとき、
避けては通れない論点だろうと思います。


この「一つ目の論点」については、
E.H.カー「歴史とは何か」(岩波新書)で
詳しく書かれておりますので、そちらをご参照下さい。



私が、今回お話ししたいのは、
「歴史の本質とは?」との「二つ目の論点」です。


E.H.カーも、
今ご紹介した「歴史とは何か」において
「進歩としての歴史」との章で

ヨーロッパ人の進歩史観について、
カー流の解釈を記述されておられますが、

ヨーロッパ人の独善、独りよがりだな
と、首を傾げています。


歴史には、
「共通するパターン」があるのでは と、
私には思われます。

即ち、
一人の強い人間を 中心に
(通常は、男ですが、巫女の場合もあります)

部族が纏まり、
周辺の部族を併合して、ある地域を支配するようになります。


この様な 地域を支配する部族 が、相争って、
国が出来、

遠い地方との交易も、
更には、
外国への侵略 や 外国との連合 も 始まります。


この様に成立した国が、存亡を繰り返すのが、
人間の歴史だろう と、感じられます。

国を運営する為には、
各分野でいろいろな技術や技法、スキルが必要ですが、

一般的には、
数千年間 殆ど改善が見られない のが 通常です。

また、
生産力も需要も限度があるので、

競争は制限され、
都市内 では ギルドを育成して、
市民の共存共栄の実現 を 目指したのです。


ですから、
人類の歴史は、

この様な国の存亡を繰り返す
繰り返しの歴史 が、原則でした。


最初に述べた ギリシア では、

いろいろな人が、ギリシアに入ってきて、
それぞれの歴史を刻んできているのです。

即ち、
幾つもの歴史が、重なり合って いるのです。

このことが、
以前 私が、ホームページの「ヨーロッパの基礎視座」で

ヨーロッパは、
多様性、多重性を持った「地域の歴史」である
と、申し上げた所以です。

  「ヨーロッパの基礎視座」
  http://chuuseishi.la.coocan.jp/030516.htm



以上のことを勘案すると、

歴史とは、
存亡を繰り返した人々の足跡であるのだろう と、思います。

即ち、
歴史を担った人々 の 歩んだ足跡 なのです。


ですから、
後世の人間にとり、

歴史は、
それ自体 価値や意味 を 持ちません。

そのような歴史に、価値や意味 が 生じるのは、

歴史家(人)が、
価値や意味を認めて、
歴史書に記述したり、議論をするから です。

歴史家(人)が、価値や意味を見いださない歴史は、
放置され、忘れ去られているのです。



従って、
今までのお話しを結論づけて、歴史を定義するとしたら、

 「歴史とは、

  その歴史の担い手 の 足跡の中 で、
  人(歴史家)が、価値や意味を認めたものである。」

と、いうことになると思います。

  注 ; 「その歴史」と述べたのは、

     同じ地域でも、いろいろな歴史が積み重なっていて、
     その一つ一つが、独立した歴史だからです。

     最初にお話しした ギリシア、イタリア、スペインの歴史を
     思い起こして頂ければ幸いです。



この定義は、

無味無臭で、何という味気ない定義なんだろう と、
最初、私自身が感じていたぐらいですから、

お読みいただいている皆さんは、
もっとネガティブな感じをお持ちになられておられるだろう

と、推察しています。


でも、

葉っぱを 削ぎ落とし、
幾つもの枝を 切り落として、

歴史という 大木の幹だけ を 残す作業を行ったら
この様な定義になったのです。


ヘーゲルや、カーの進歩史観などは、
歴史の本質を述べているのではなく、

ある時期の
イギリスやフランスなどの西ヨーロッパの諸国の歴史の性格
を、述べているにすぎないような気がします。

即ち、

彼らは、
人類の歴史の中の
ごく一部の歴史の性格 を 語っているのであり、

人類全般の歴史の本質を
的確に言い表しているのではない
と、私には感じられます。




先ほど、
人類の歴史は、「繰り返しの歴史」 が 原則でした
と、申し上げましたが、

原則があれば、例外が あるのです。


その例外が、
 「積み重ねの歴史」 です。


「積み重ねの歴史」とは、

次の時代に、
前の時代に蓄積されたものの上に、

更に 改善を積み重ねていく 性格の歴史 を 言います。


「繰り返しの歴史」は、

ある時点で,
今までの経験がリセットされて、
歴史が、仕切り直されるのですが、


「積み重ねの歴史」は、

過去の蓄積の上に、
新たな改善、工夫が積み重ねられるのです。


この「積み重ねの歴史」は、
激烈な競争を生み出しました。

何故か というと、

Aという人も、Bという人も
「積み重ね(進歩、改良)」をするとなると、

「積み重ね」が 少しでも優れている方が、採用されて、

言い換えると、
勝利して

敗れたほうは、
努力の甲斐もなく捨て去られ、
捲土重来を期すことになるのです。


ですから、
「積み重ねの社会」においては、

雪だるま式に
色々なアイディアにもとずく改良があらわれる 反面、

色々なアイディア同士 の 激しい生存競争が 生まれて、
競争に敗れた アイディア は、捨て去られるのです。


この点
「繰り返しの歴史」では、

お互い従来どおりの生活をすれば良いわけですから、
「積み重ねの歴史」ほどの競争 が 生じることがありません。


ここに、
「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」の
質的な差の本質 が あるのです。



この様な歴史が生まれたのは、
世界中で2ヶ所しかありませんでした。

一つは、
クローヴィスのフランクの後裔と

10世紀にノルマンディーに定住した
ノルマン人 ロロ 及び その一族 の 後裔の人々、

具体的には、

ノルマンディーから
ベルギー南部一帯を中心にした地域に
住んでいた人々です。


その後、

クローヴィスが、
パリに進出して、フランス王国を支配するようになりましたし、

又、1066年
ノルマンディー公ウィリアム征服王が、イングランドを征服して
現在につながるイングランドの歴史を始めました。

更には、
16世紀 ハプスブルク家のスペイン王フィリップ2世と争って、
アントワープからオランダに移住した人々も、
積み重ねの歴史の担い手でしたし

イングランドやオランダから
アメリカに移住した人々(WASP)も該当します。



もう一つの地域が、
我が 日本 です。

全く不思議なことですが、
西北ヨーロッパの人々 と 日本人 は、
私には 一卵性双生児 のように 思えて仕方ありません。

福沢諭吉が「親の敵」と言ったように、
日本人は、現在においても、

江戸時代までの封建社会 を
古くて、しかも 悪しき社会 と、感じているようですが、


江戸時代までの日本の歴史 は、

西北ヨーロッパと同質の「積み重ねの歴史」だった
のです。

それが証拠に、

明治時代、
ヨーロッパ史学 を 日本史 に 適用したとき、

ヨーロッパ史学の 概念やテクニカルターム、時代区分 を、
右から左に 全て利用できたのでした。

ヨーロッパ以外の国で、
こんな国は、他にありません。


小学校の時に、
関孝和(1642~1708 享年 66才)が、

ニュートン(1643~1727 享年 84才)と同じ頃に
日本独自に発展した和算で 微積分 していた と 聞いて、

どうして
ローマ数字と同じような漢数字で、数学が出来るのだろう?
本当だろうか?
と、訝しく感じたことを未だに覚えています。

家内が、
最近 たまたま 和算の歴史の本を読んだので、
その本の話を聞いたら、

彼らは、
そろばん で 計算していたとのことです。

そういえば、そろばんは、
私の子供時代(昭和30年代)まで、世界最速の計算機でした。

また、
そろばんの名人は、人間コンピュータ と いうべき
暗算の名人 ですので、

それなら、
関孝和が、微積分も出来たはずだ と、納得しました。


家内 によると、

πも、
当時の世界で最高レベルの桁数の計算をしていたそうです。


伊能忠敬(1745~1818 享年 73才)が、
日本地図を作成したのは 有名な話ですが、

彼は、
隠居後、江戸幕府の天文方に入って 学問を修めているのです。

現代で言えば、
高卒の方が、中年以降、大学の学部課程 を 飛び越して、
東大の理学部天文学科の大学院に入って、

大学の学部時代に学ぶ学問をこなした上に、
更に、高度な学問 を 修めたようなものです。

これは、
如何に当時の庶民の学問レベルが、高かったか
を、現しているもの と、思えます。


一般庶民も、寺子屋で、
習字やそろばん を 習得していましたので、

当時の日本は、
ヨーロッパより 高い識字率 だったのでは?
という感じさえ しています。

(第二次大戦後、アメリカ軍が、

 どうせ 日本人なんて、レベル が 低いのだろう と、考えて、
 日本人の識字率を調査したら、

 100%だったので、 「アメリカでも あり得ないことだ」と、
 びっくり仰天したとのことです。)


経済においても、

米(こめ)についての中央市場 が、
大阪の堂島 に 設置されていて、

世界で最初の先物相場が あったそうです。


江戸時代は、
各藩に分かれて 分立していたような感じが しますが、

先物相場は、
資本主義が 発達しない と 登場しないものですから、

江戸時代において、
既に、日本全体をカバーする 統一した経済圏 が 成立し、
資本主義 が 発達していたのでしょう。

絵画においても、浮世絵が、
フランスの印象派の画家達に大変な影響を与えました。

江戸時代の浮世絵 は、
印象派の画家 の 先を行っていたからです。

この様に、芸術面でも
日本は、
ヨーロッパの最先端と同じ水準に達していた部門もあったのです。


ですから、

明治になって、
ヨーロッパ文明 を 受け入れる と、
決意してから たった20~30年で、

ヨーロッパの学問を
日本の大学 で、
日本人 により
日本語 で 授業することが 出来たのです。

また、
日清戦争、日露戦争で、日本が勝利して、
欧米を始め世界中を驚かしましたが、

考えてみれば、
「積み重ねの歴史」の日本が、
「繰り返しの歴史」だった清やロシアに勝利するのは、
当たり前だったのかも知れません。


トルコや韓国をみると、
「繰り返しの歴史」の国が、
「積み重ねの歴史」に転換しようとしても、
なかなかできるものではない、

有り体に申し上げると、
不可能に近いことが 明らかになっています。

江戸時代
鎖国をしていた 日本 が、

一世代という 非常な短期間で、
欧米に肩を並べるまで国を作り上げたのは、

日本が、
西北ヨーロッパと同質の「積み重ねの歴史」の国だったからだ

明治維新の時点で、
ヨーロッパ文明と 本質が 同レベルの文明 を
保持していたからだ と、考えると、納得がいきます。



ヨーロッパに話 を 戻しますと、

積み重ねの歴史の国は、
現在のフランス、イングランド、オランダ、
それに、
ドイツだろうと思っています。

近世において、
最初に植民地を巡って争ったのが、
フランス、イギリス、オランダであったのは、

これらの国が「積み重ねの歴史」で、
競争社会ができあがっていたからだと思います。


ドイツは、
中世以来「繰り返しの歴史」の国でした、

それが「積み重ねの歴史」に転換したのは、
プロシアがナポレオンに敗北したからだと思います。

敗北によりプロシアが目覚めて、
一大決心をして「積み重ねの歴史」に転換し、

19世紀後半、
ビスマルクやモルトケといった天才を輩出して、

ハプスブルク家の支配地域を除くドイツを統一し、
ドイツ全体を、「積み重ねの歴史」に巻き込みました。

更には、

フランス・ナポレオン3世を打ち負かして、
ナポレオンに敗れた屈辱を晴らし、

フランスに奪われた、アルザス、ロレーヌという
中世以来のドイツ領土を取り戻したのです。

(最近、ドイツを見ていると、
 「繰り返しの歴史」の国に、先祖返りしたのでは?
 だから、China に 親近感を持つのでは?
 との感じが 否めません。)


この様な「積み重ねの歴史」を もたらしたものは何か?
「積み重ねの歴史」を作り上げたエートスは 何か?

が、私にとっての探求すべき歴史の最大の謎であり、

老い先短いながらも、生きている内に、
この謎解きが出来たらなと願っています。



一つ感じているのは、
「積み重ねの歴史」の国は、

王の権威の性格が、「繰り返しの歴史」の国と異なるのでは?
ということです。


ベルギーの歴史家 ピレンヌ は、次のように記述しています。

「ユーグ・カペーからフィリップ1世までというもの、
 フランスの王権は 存続するだけで、満足していた。

 ユーグ・カペー フランス王在位  987~ 996  9年間
 フィリップ1世  フランス王在位 1060~1108 48年間

 フランスの王権は、非常に控えめで、
 大封臣達の間において見ると、殆どそれと分からぬ位である。

 後代が、記憶に止めているこの時代の人名は、
 国王の名前ではなく、封建大諸侯の名前である。
 (封建大諸侯の名前を挙げていますが略しています。)

 ・・・・・・・・

 大封臣達によって取り囲まれ、
 その陰に隠れてほそぼそと生きている王権が、

 如何に無力になったにしても、
 それにもかかわらず、
 王権は、その未来の力の原理を内蔵していた。


 何故なら、
 封建制というものは、

 事実の上では、
 国王権力を麻痺させるにしても、

 法理の上では、
 それ(国王権力)を無傷のままにしておいたからである。


 国王を指名し、国王の権力を簒奪していた
 大諸侯も、

 カーロリンガ的な古い王権の観念を、
 他の観念で 置き換えることは しなかった。

 国王は、
 その権力を 大諸侯から得ているものだと考えて、

 国王の権限は、
 大諸侯の意思によって制約されているのだ
 という考えは、

 彼らには浮かんでこなかった。


 国王の選挙は、
 教皇及び司教の選挙 と 事情が同じだった。

 即ち、
 それ(国王の選挙)は、

 選ばれる人物だけに かかわりがある のであって、
 その人物に
 権力が 与えることは 出来なかった。

 (選挙は、人を選ぶ のであって、
  その人に 権力を 授けるもの ではなかった。)

 権力は、神に由来するもの であるからして、

 それを左右することは、
 人間の力ではできなかったのである。

 この点では、
 全ての人の考え が、一致していた。

 国王は、

 神の僕、
 (神の)代理人であった。

 カペー朝が 敬虔に保持していた 聖別式 が、
 国王の聖職者に近い性格を

 立証する と、同時に
 強固にしていた。


 国王は、この儀式から、

 彼(国王)を、
 比類のない位置に置き、

 彼(国王)を、
 ユニークな、並ぶもののない性格の人物にした 道徳的優越
 を 引き出したのであった。


 封臣達に囲まれた国王 を、

 一種の大統領、
 一種の同等者中の第一人者 primus inter pares に
 なぞらえることほど、

 誤った考えはないであろう。


 国王と封臣達の間には、
 共通の尺度など なかった のである、

 国王は、

 封臣達の手の届かぬところ
 に 位置していて、

 不可侵の存在 だったのである。

  出所;ピレンヌ「ヨーロッパの歴史」(創文社)
  216~218㌻より抜萃
  なお、(  )は、私が補足しました。


フランス王が、

カロリング朝的な 古い王権の観念 を 有していた とか、
神の代理人だった とかが 理由なのかどうか、
私には判断がつきませんが、

フランス王が、
中世初期に、別格の 侵すベからざる存在 であり、

フランス王国の全体を
支配する権能を持っている と、観念されていたのは
確かだと思います。


例えば、
アキテーヌ女公だったアリエノールは、
最初、
フランス王ルイ7世と結婚しました。

アキテーヌ大公は、
トゥールーズ伯への宗主権を持っていましたが、
トゥールーズ伯が臣従しなかったので、

アリエノールは、夫のルイ7世に、
トゥールーズ伯への遠征をさせましたが、失敗しました。

その後、
アリエノールは、イングランド王ヘンリ2世と再婚して、

再度、
夫のヘンリ2世に、トゥールーズ伯を攻撃させたのです。

ヘンリ2世は、
ブラバン傭兵隊 を 用いていて、
トゥールーズ伯 を 攻撃すれば、撃破が確実だった
のですが、

トゥールーズ伯の陣営に、
フランス王ルイ7世(アリエノールの最初の夫)が、
応援に 駆けつけていた為、

ヘンリ2世は、
宗主のフランス王には攻撃できない と、
軍を 引き上げたのです。


ルイ7世は、
ノルマンディ公、アンジュー伯、アキテーヌ大公でもある
ヘンリー2世の主君 だったのです。

また、
ヘンリ2世は、イングランド王でもありましたので、

ここでフランス王 を 撃破したら、
イングランド王たる自分も、
いつか 臣下に 撃破されるかも知れない
と、考えて 自重したのかもしれません。


フランス王が、
フランス王国全体の支配権を有する との
権限 を 行使したのは、

ルイ7世の息子 フィリップ2世(オーギュスト)でした。

当時フランス王は、

パリ周辺のイールド・フランスしか
領有していませんでしたが、

ライバルのイングランド王は、

北は、スコットランドから
南は、ピレネー山脈までの

フランス王を上回る領土 を 支配していたのです。


ですから、
フィリップ2世は、

最初、
イングランド王 リチャード獅子心王 と戦っては
負け を 繰り返していたのです。

リチャード獅子心王 が、戦死後、
後を継いだジョン王(欠地王)に対して、

ジョン王が、

貴族のフィアンセを略奪して自分の妻にした事件
を梃子に、

ジョン王に対する 国王の裁判権 を 行使して、

不服従のジョン王 を
フランスから追い出したのです。


フランス王フィリップ2世は、

ジョン王が持っていた
ノルマンディーからピレネーまでのフランスの西半分の領土を

一度も支配したことがないにもかかわらず、
フランス王国 を 支配する権限 が あるとして、
ジョン王 を 裁いたのでした。

この様に、
フランス王やイングランド王が、
実際に支配していなくても、

フランス王国やイングランド王国を支配する権能を有する
との概念は、

フランスは、
フランス革命まで 継続し、

イギリスは、
現在も 継続していますが、

ドイツでは、
中世の半ば に なくなり、

イタリアでは、
最初から ありませんでした。


この概念が、

国の統合をもたらし、
「積み重ねの歴史」が歩む際に 大きな支え に なったのでは、
という気がしています。


日本も、
平安時代から 天皇は、国の象徴 であり、
幕府などの 実際の政権 は 別にあっても、

日本国の統治者は、天皇である との 統合の概念 が、
途切れることなくありました。


「積み重ねの歴史」にとって、
この概念は、
非常に大切な意味をもっているような気がしています。


「積み重ねの歴史」が、

「繰り返しの歴史」より
上等、上質な歴史である と、いうことではありません。


「積み重ねの歴史」が、

「繰り返しの歴史」より優れているのは、
技術やスキルの分野 です。


確かに、
武器が発達し、

そのお陰で ヨーロッパ が、世界制覇して、
日本とタイを除く 世界中 を 植民地にして
搾取したのです。

また、
産業機械、交通、通信等々の技術 も 発展させて、
確かに 便利な生活 を 実現しました。

しかし、反面、
公害問題が生じ、人々の健康 を むしばむことも 生じています。

更には、原水爆といった、
人類を破滅させるようなものまで創り出しているのです。


この様な技術やスキルの分野における発展 を
「進歩」と 錯覚して、

ヨーロッパ人は、
歴史は 進歩するもの と 信ずるようになりました。


ヘーゲルも、
マルクスも、
最初にご紹介したE.H.カーにおいても
然りです。


しかし、
「歴史の進歩」という考え方が、
真実 を 捉えているのでしょうか。



ランケは、
「歴史は進歩する」との考え方に
反対しておられますので、

ランケの「世界史の流れ」の冒頭での反対論の一部
を ご紹介します。


< ランケの記述 >

 「物質的なもの」に関係ある領域では、
 無条件の「進歩」が認められる。

 この方面では、非常な異変でもない限り、
 退歩と言うことは先ずおこりえない。


 ところが、

 「精神的な方面」では、
 「進歩」は認められない。

 道徳、宗教、哲学、政治学、歴史記述では、
 進歩 は ない。

 キリスト教とともに、
 真の道徳と宗教が現れて以来、
 この方面では進歩は起こりえない。

 プラトンのあとには、
 もはや
 プラトンは、現れ得ない。

 シェリングが、
 プラトン を 凌いだ とは 思えない。

 プラトンやアリストテレスが完成した
 最古の哲学 で 十分である。


 何びとも、
 ツキディデスより偉大な歴史家だ と、
 自負することはできない。

   「ランケの歴史哲学」
   http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_d322.html


私は、
このランケの考え方と同じ考え方をしています。

ランケに、
「何びとも、ツキディデスより偉大な歴史家だと
 自負することはできない。」
と、言われて、

反論できる歴史家は いないだろう と 思います。



更に、
「積み重ねの歴史」で困ったことは、

「積み重ねの歴史」から距離を置いて、
自分独自の「繰り返しの歴史」を続けたい と、思っている人々を、

無理矢理
巻き込んでしまう 凶暴性 を、持っていることです。


「積み重ねの歴史」は、

先ほど「繰り返しの歴史」の国である
トルコと韓国の例をご紹介したように、

「繰り返しの歴史」の国の人々にとって、
受け入れがたい歴史なのです。


しかし、
この歴史に参加しなければ、

未来永劫貧困のままの生活 を 続けなければならないし、
「積み重ねの歴史」が生み出した便利で快適な生活を
享受できないのです。

「繰り返しの歴史」の国の人々は、
韓国に見るが如く、

「積み重ねの歴史」の本質を、理解出来ず、
身につけることも適わないい国民であり、

パクリで、見よう見まねの それらしきもの を 作れたとしても、
一本立ちして、
独自に開発し、競争に参加していくことが出来ないのです。

ネットで、
韓国軍の不祥事をおもしろおかしく報じられていますし、
直近では、
仁川空港のリニアシステムの工事が終わって2年も経つのに、
未だに開業できない と、報じられています。

また、
ロッテが建設中の高層ビルの下層部分で、
建設途中に ビルの使用を開始したら、

建物に ひびが入り、
地下の水族館では 水槽の水が漏れ出した
と、報じられています。

この種のニュースは、
私みたいな者でさえ いくらでもご紹介できるくらい沢山あり、


韓国が、

日韓併合以来100年経っても
「積み重ねの歴史」を身につけることが出来なかったことを
露わにしているのです。

中国も、
新幹線を作ったとか、
アメリカに対抗できる戦闘機を作った
と、自慢していますが、

所詮、
パクリであり、模倣であって、
すぐにメッキが剥がれる代物なのです。

この様に、
これからの人類において、最大の問題点は、

「積み重ねの歴史」が巻き込んだ、
「積み重ねの歴史」に適応できない「繰り返しの歴史」の国の人々を
どのようにするのか、では ないでしょうか。


最近まで、私は、

彼らを教育すれば解消できるだろう
と、考えていましたが、

最近の韓国を 見ていると、

彼らは、
プライドは異常に高いけれど、
見てくれだけを気にするだけで、中味が伴わず、

パク・クネ大統領ではないけれど、

1000年経っても
自発的に自分自身を改造できないだろう
と、愕然とし、
暗澹たる気持に陥っています。




最後に、
E.H.カーの「歴史は進歩する」との考え方について、
少しご紹介させていただきます。


カーは、歴史論を 2回、

最初 は、
1951年 BBC(イギリス放送協会)で講演した「新しい社会」で、

2度目は、
1961年 ケンブリッジ大学で講演した「歴史とは何か」で、
述べておられます。


両方とも、
「歴史は進歩する」との考え方は変わりませんが、


「新しい社会」では、
歴史は、
「自由の実現に向けて進歩する」と述べておられたのが、


10年後の「歴史とは何か」では、

「進歩の信仰は、

 自動的な 不可避的な過程 を 信じる という意味 ではなく、
 人間の可能性の漸次的発展を信じる という 意味です。


 人類が追求する具体的な目的は、

 時々、
 歴史のコースの中から現れてくるもので、

 何か歴史の外にある源泉から現れるもの
 ではありません。


 私は、
 人間の完成可能性 や
 地上における未来のパラダイスなど を
 信じているつもりはありません。

 この限りでは、私は、

 完成は、
 歴史の内では実現され得ない、と説く

 神学者や神秘主義者 と 同意見
 ということになるでしょう。

 しかし、私は、
 ゴールへ向かう 限りない進歩、

 即ち、
 我々が必要としたり 考えたりすることが 出来るような、
 限度というものを 持たぬ進歩 の 可能性

 と、言うことで、満足しようといます。


 カーは、
 「ゴール」について、
 文中で次のような注釈をつけています。

  → ゴールといっても、

    私たちが、
    それに向かって前進して 初めて規定されうるような、
    その有効性は、
    それに到達する過程で 初めて証明されるような ゴール
 


 この進歩の観念がなかったら、
 一体 社会は、
 どうして生き延びて行くことが出来るか分かりません。

 ・・・・・・・」 と、

歴史の進歩のゴール を、

自由の実現から、
その時々に現れる目的に、
変えておられます。

  出所  ; E.H.カー 「新しい社会」  171~172㌻
       E.H.カー 「歴史とは何か」 176~177㌻



カーは、「新しい社会」において、
「繰り返しの歴史」を、次のように否定しています。


「私(カー)とトインビーとの違いは、

 彼(トインビー)が、
 歴史 を 繰り返すもの と 見るのに反して、

 私(カー)が、
 それ(歴史)を 連続的なもの と 見る点にあります。


 彼(トインビー)にとっては、

 歴史とは、
 同じことが多少の変化を伴って、
 異なった文脈に繰り返し現れる
 と、いうことになりますが、


 私(カー)にとっては、

 歴史は、
 事件の連続であって、

 これについて 一つ断言できること は、
 それ(歴史)は、
 絶えず前進して行くもので、二度と同じ場所へ戻ってこない
 と、言うことだけであります。


 この相違は、
 当然、歴史の与える教訓をどう見るかという点に
 影響して参ります。


 この相違は、
 歴史の本質に関する 根本的な考え方 に 基づくもの であります。

 トインビーの見方は、
 シュペングラーの見方と同様に、
 2世紀近く歴史的思想に絡みついている
 歴史と科学との類推の上に立っているのです。

 この類推は誤っています。

 確かに、
 科学は、同じドラマの繰り返しです。

 というのは、登場人物が、
 過去の意識を持たぬ動物 か 無生物だから です。


 これに反して、

 歴史では、
 ドラマの繰り返しは不可能であります。

 何故なら、
 2度目の上演の時は、

 登場人物が、
 既に予想される結末 を 意識しているからです。

 ですから、
 最初の上演の本質的な条件 は、
 2度と これを組み立てることが 出来ないわけです。


 2つの世界大戦の間のことですが、
 ある有名な軍事評論家が、

 1914年から1918年にわたる
 陸戦の諸条件 を 検討して、

 これらの条件が なお生きている と、断定し、

 そして
 ,次の戦争でも、
 守勢国(フランス)が、攻勢国(ドイツ)に勝つであろう
 と、予言したことがあります。


 彼の客観的推理は、
 確かに正しかったのでしょう。

 しかし、
 彼は、1つの要素 を 見落としていたのです。

 即ち、
 ドイツの将軍達が、1918年の不幸な結末を
 2度目の上演 で 繰り返してはならぬ  と、
 決心したいたこと を 見落としていたのです。

 1940年には、
 この予言された結果とは正反対の結果を
 生み出すことが出来たのです。

 人間は、
 過去を 意識しているものですから、

 歴史が、
 再び 繰り返すことは 不可能なのであります。」

  出所 ; E.H.カー 「新しい社会」  10~11㌻



更に、カーは、
「繰り返しの歴史」に属する人々を、
歴史なき民族」と決めつけています。


「現代の歴史は、

 歴史が、過去 を 問題とする と共に、
 未来をも 問題とするところから 始まるもの であります。

 現代人が、
 過去の暗がりをジッと見つめているのは、

 そこから、
 薄暗い未来を照らす微かな光を得たい
 と、願っているからなのです。


 逆に言うなら、
 前途に対する いろいろな 抱負や懸念 が、
 過去に対する現代人の洞察 を 鋭くしているわけです。

 未来の意識 が なければ、
 歴史は、ありません。


 19世紀に ハプスブルク帝国という

 大きな塊を形作っていた諸国家
 及び
 将来の諸国家の中には、

 自分たちの未来に無関心な、
 所謂「歴史なき民族」が、ありました。


 けれども、

 彼らが、
 未来に向かって抱負を持ち始めるや否や、

 彼らは、
 自分たちの過去の歴史を発見 或いは 発明したのでした。


 過去と未来との間には、

 絶えず作用があり、
 また
 相互作用があります。


 過去と現在と未来とは、

 互いにつなぎ合わされて、
 果てしない一本の鎖になっているのです。」



以上ご紹介したカーの考え方について、
いくつかコメントさせていただきます。


1.「歴史は、自由の実現というゴールに向けて進歩する」
  との考え方を変更したのは、

  さすがに、
  この考え方のおかしさに気がついたからでしょう。

  進歩は、
  永続的に続く運動(ムーヴメント)であり、
  ある地点で終了するものではありません。

  また、
  人間社会において、
  全ての人が自由を取得することは、あり得ず、

  必ず調整が、必要とされるのです。

  (例えば、人を殺す自由は、認められないでしょう。)



2.「歴史とは何か」で、カーが述べておられた

  歴史は、
  その時々の目標に向かって進歩し、

  その目標が実現すれば、
  次なる目標に向かって進歩するという考え方は、

  私の「積み重ねの歴史」の考え方と、
  一見にているように思われるかも知れませんが、

  似て非なるものなのです。


  カーは、
  歴史全体=人間社会全体が進歩する
  と、述べておられますが、

  私は、
  人間社会の活動の一部である 技術やスキル が、
  積み重ねられて改良していく
  と、申し上げているのであって、

  人間社会全体が、
  より良くなる=進歩する と、
  申し上げているのではないのです。

  注 ; 技術やスキルには、
     工学系等の自然科学だけでなく
 
    法律技術、統治スキルのような
    社会科学、人文科学も含みます。


  「積み重ねの歴史」により、
  確かに 生活は便利になりました。

  例えば、
  東京とヨーロッパを12時間で移動できることは、
  夢のようなことです。


  でも、
  「人間の幸せ」といったことに目を向けると、

  人間にとって便利になったことが、
  幸せが増加したこと に なるでしょうか。

  私には、
  江戸時代の人 と 現在の我々と比べて、
  我々が 幸せになった とは 思えません。

  江戸時代の人々には、
  それなりの苦労もあったし、不便もあったでしょう。

  でも、
  人間としての幸せという面では、
  我々と同じではないのかな? という気が しています。

  この意味で、

  歴史が、進歩した とか、
  歴史は、進歩するものであるとは、
  言えないような気がします。



3.カーは、
  ハプスブルク帝国の一部の人々を、
  「歴史なき民族」と決めつけています。

  東ヨーロッパの人々には、
  歴史がなかったといっているのです。

  また、
  第2次大戦の際に、

  ドイツが、
  第1次大戦の教訓をもとに、対策を打ったことを、

  歴史が 繰り返さない 証拠 に 挙げておられます。


  これらのことは、

  カーが、
  「繰り返しの歴史」についての認識が全くない
  と、いうことを表白しているのです。


  フランスとドイツの戦いの例は、

  「積み重ねの歴史」の国では、歴史は 繰り返さない
  という例であげるなら、理解できます。


  「積み重ねの歴史」の国で、
  歴史が 繰り返さないから といって、

  人類の歴史全般において
  歴史は 繰り返さないこと の 証拠である
  と、考えるのは、

  あまりにも
  子供じみているのではないでしょうか。


  カーが、

  ハプスブルク帝国の一部の人々を
  「歴史なき民族」と決めつけことは、

  歴史の本質を、いみじくも現しています。


  カーは、

  東ヨーロッパに人々は、「歴史なき民族」と、
  他人のこと を いっているようですが、

  実は、
  カー自身の内心の考え を、吐露しているのです。


  「歴史なき民族」といわれた 東ヨーロッパの人々 にも、
  過去の思い出 や 伝承 は あるのです。

  ということは、
  歴史があるのです。


  それを、
  「歴史なき民族」とおっしゃったということは、

  カーにとって、
  東ヨーロッパの人々の歴史が、
  価値や意味 を 持たないからです。

  彼らの歴史の価値も、意味も 認めませんよ
  との、
  カー自身の考えを、表白しているのです。


  先ほど申し上げたように、
  歴史自体は、無価値であり、無意味なのです。

  その歴史に、
  何らかの価値や意味を認めて、論じる人が出現して始めて、
  歴史に価値が生じ、意味を持つようになるのです。



4.「歴史は進歩する」との考え方は、

  私には、
  世界制覇した「積み重ねの国」である
  西ヨーロッパ諸国 の 自己を正当化する為のイデオロギー
  のような 気がします。

  しかも、ヨーロッパ人が
  このイデオロギーが、正当であるとの確信、信念
  を、持つようになったのは、

  キリスト教が育んで、ヨーロッパ人のバックボーンとなった信念、

  即ち、
  「私の考えは、神の考えと同一だから、
   絶対的に義(ただ)しい」
  との確信 に、拠るものなのでしょう。


  そう考えると、

  「何故、大学では、即ち、ヨーロッパ人は、
   ギリシア・ローマと16世紀以降の歴史しか議論しないのだろう」
  という

  私が大学に入学した時の疑問が
  解けたような気がしています。


 注 ; 「私の考えは、神の考えだから
     絶対的に義(ただ)しい」については、

     次のブログをご参照下さい。

    キリスト教の本質についての幾つかの謎解き ・・・・・
    1.一神教のキリスト教が、
      世界宗教(普遍宗教)になったわけ(仮説)
    2.キリスト教が、
      異端を生み出し、
      幾つもの宗派に分裂したわけ(仮説)
    3.キリスト教が、殺人宗教となったわけ(仮説)
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-4431.html


    ヨーロッパ人、アメリカ人の行動原理(仮説) ・・・・
    キリスト教謎解きの旅 の 終わりにあたって
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-8f11.html



補足; 本ブログの補足を、
     次のブログで記述しましたので
     ご覧頂ければ幸いです。

    「積み重ねの歴史」で、積み重ねられるもの 
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-c1f2.html

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