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2015年1月22日 (木)

「積み重ねの歴史」で、積み重ねられるもの

先日、友人と食事をしながら
「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」について話をしました。

友人は、私の考え方を良く理解されていて、
あっという間に、楽しい時間が過ぎたのですが、

話している内に、
従来の私の説明で足りてない部分があることに気がつきました。


即ち、
「積み重ねの歴史」で、

1.「積み重ね」の対象となるのは、

  その社会の全分野ではなく、一部の分野であることと、

  しかも、
  積み重ねの対象となる分野でも、
  積み重ねられない部分が あること


2.積み重ねの歴史に参与する人は、

  その社会の全員ではなく、ごく一部の人であること
  しかも、
  参与する一部の人も、常に参与するわけではないこと


3.積み重ねの歴史の国において、対象となる分野の全てにおいて、
  コンスタントに、絶え間なく積み重ねられているわけでもないこと。

  言い替えると、
  ある分野で、積み重ねが一定の成果を得るレベルに達すると、
  それ以降、積み重ねが、停滞してしまうこともあること。、

について、ご説明が不十分だったなと反省しています。


今回は、
この点についてお話しさせて頂き、

「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」について、
更に、考えを深めていきたいと思います。



1.「積み重ね」の対象となるのは、

  その社会の全分野ではなく、一部の分野であることと、
  しかも、
  積み重ねの対象となる分野でも、積み重ねられない部分が
  あること




  積み重ねの歴史は、
  ある人が、「ちょっとこう工夫すると便利になるのでは」との
  人類の営みの中でどこにでもあることから始まります。

  この工夫が、世の中に知られていくと、
  更に工夫しよう、改善しよう、とする人々が出て来ます。

  以前の工夫に、
  更なる工夫を積み重ねることをする人が、何人も出て来て、
  絶え間なく工夫や改善が行われていると、

  競争が生じ、加速度的に改善が進むようになり、
  同時に、
  激烈な競争社会となっていくのです。

  この様に、
  工夫や改善が、コンスタントに積み重ねられる歴史が、
  「積み重ねの歴史」です。


  これに比べて、
  「繰り返しの歴史」では、

  工夫や改善をする人が出て来ても、
  その人限りの単発的なものに終わってしまって、
  折角の工夫や改善が積み重ねられません。

  ここに、
  「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」の根本的な違いが
  あるのです。



  「積み重ねの歴史」は、
  前回お話ししたように、例外的な歴史であり、
  限られた場所でしか生じないのは分かるのですが、

  何故、
  「積み重ねの歴史」が、

  西北ヨーロッパと日本で生じたのか?
  「積み重ねの歴史」を生み出した背景にある 動機、エートス とは
  何なのか?

  とのことへの説明 が、
  現時点では 明確に出来ないのが残念であり、
  私にとっての 今後の最大の宿題でもあるのです。


  「積み重ねの歴史」において、
  積み重ねられるものは、改善、工夫が可能なもの、

  具体的には、
  技術であり、
  自然科学・人文科学・社会科学といった学問等です。

  例えば、
  イギリスで、産業革命が勃興したのは、
  「積み重ねの歴史」がもたらしたものでした。

  ですから、
  「積み重ねの歴史」においても、
  積み重ねが不可能な 芸術などの人間の才能に関する分野等は、
  積み重ねの歴史とはなりません。



  ちょっと困惑されるかも知れませんので、
  事前にお詫び申し上げますが、

  実は、
  積み重ねの歴史の対象となる分野でも、

  厳密にには、
  全てが対象となるわけでもありません。

  逆に、
  積み重ねの歴史の対象とならない芸術などの分野においても、
  積み重ねられるものもあるのです。


  例えば、法学は、

  刑事裁判において、

  誤判を生じない為、

  言い替えると、
  犯人を、
  間違いなく認定する為の法手続や証拠法等の法的技術を、

  ローマ法以来、長い歴史を通じて積み重ねてきました。

  また、
  民事裁判においても、

  社会紛争を未然に防止し、紛争を合理的に解決に導く
  法的技術を、積み重ねてきました。

  しかし、
  実際の刑事裁判において、犯人と認定された人は、
  如何に、法的技術を駆使して蓋然性を深めようと、

  厳密には、推定であり、
  裁判官の認定、決断に依存しているのです。

  民事裁判においても、
  長い歴史を通じて、法的技術を磨き上げ、
  法解釈の方向性を高めてはいますが、

  裁判の最後に、
  どちらを勝たせるか、
  どちらの言い分に軍配を上げるか

  の 最終決定は、裁判官の判断なのです。

  従って、
  法学教育の初っぱなにおいて、法的技術を講義する前に、

  学生は、
  リーガルマインドを持つようにと、何度も何度も教えられるのです。

  また、
  リーガルマインドへの適性がない人は、

  いくら法律知識を習得したとしても、
  優秀な法律家にはなれないのです。


  この様に、
  積み重ねの歴史の分野と思われる学問や技術においても、
  全てが積み重ねられるものではないことをご理解下さい。

  積み重ねが可能なもののみが、積み重ねられるのです。


  スポーツは、
  繰り返しと積み重ねの両方の性質を持った分野だろうと思います。

  例えば、
  100㍍競走で、
  10秒を切ることがなかなか出来ませんでしたが、

  10秒を切る選手が現れたら、
  その後には、何人も10秒を切る選手が出て来ました。

  10秒を切ることは、
  基本的には、選手の早く走れる才能によるもので、
  その意味では、繰り返しの歴史の分野であるのですが、

  スポーツ医学やトレーニング法の改善という
  積み重ねの歴史の分野のサポートにより、

  同じ選手が、
  従来より、より早く走れるようになったことも相まって、
  10秒の壁を突破できたのであり、

  一度、10秒を突破する人が現れたら、
  その後、続く人が、何人も出てくるのです。

 

  芸術の分野は、
  一般的には、繰り返しの歴史の分野だと思われています。

  確かに、
  ミロのビーナス や、
  ミケランジェロの「ダヴィデ」や「ピエタ」、
  ロダンの「考える人」   は、

  天才のみがなし得る彫刻であり、その人限りの世界 だろう
  と、思います。

  でも、
  例えば、
  音楽の演奏を考えると、才能と技術が相携えているのです。

  人を感動させる演奏は、
  最終的には演奏者の才能によりますが、

  前提たる演奏技術を習得して始めて、
  その人の才能も開花するのです。

  また、
  演奏に、楽器を使いますので、

  楽器の改良、改善により、
  聴衆の感動を強めることも可能になったのです。

  例えば、
  チェンバロよりピアノの方が、音の強弱を強く演奏できますので、

  ピアノの出現により、
  演奏者の表現能力を、より一層 聴衆にアピールできるように
  なったのです。



2.積み重ねの歴史に参与する人は、

  その社会の全員ではなく、ごく一部の人であること
  しかも、
  参与する一部の人も、常に参与するわけではないこと



  第2点目については、
  特に、ご説明しなくてもご理解頂けると思います。

  工夫や改善の能力は、人によって差があります。

  また、
  アイディアが溢れるほどわき出た人が、
  ある時期を過ぎると、バタッと止まってしまうこともあります。

  老化により、研究や工夫する能力が衰えることもあり得ます。

  逆に、
  一生を通じて、工夫や改善を積み重ねる人もいるでしょう。


  この様に、
  積み重ねの歴史においても、
  積み重ねの歴史に参与する人は限られていて、

  積み重ねに参与しない大半の人は、
  繰り返しの歴史に 安住しているのです。

  でも、
  社会全体をみると、

  個人 ないしは 複数の人が、
  絶え間なく工夫や改善に努力していることが見られるのだろう
  と、思います。

  また、
  ある期間途切れた後に、
  先人の工夫や改善を、改めて積み重ねようという人が現れることも
  ありうると思います。



3.積み重ねの歴史の国において、対象となる分野の全てにおいて、
  コンスタントに、絶え間なく積み重ねられているわけでもないこと。

  言い替えると、
  ある分野で、積み重ねが一定の成果を得るレベルに達すると、
  それ以降、積み重ねが、停滞してしまうこともあること。




  第3点目については、日本を例にご説明させて頂きます。

  積み重ねの歴史の典型例の一つに「海軍」をあげることが出来ます。

  明治以来太平洋戦争で敗戦するまでの日本海軍をみると、
  第3点の典型的な例であるなと、感じられます。


  日本は、
  明治維新以降、欧米の軍事技術を導入して、
  一世代という短い期間で、近代的な陸海軍を築き上げ、
  日清戦争、日露戦争に勝利して、世界を驚かせたのでした。

  その後、
  坂の上の雲を目指して、努力してきた目標を達成して、
  一安心したのか、

  さらなる工夫や改善をおろそかにして、
  繰り返しの歴史に安住してしまった、

  即ち、
  ある一定期間積み重ねの努力をした後、
  繰り返しの歴史に安住してしまった組織の典型のような
  気がします。


  勿論、
  日本の陸海軍は、ともに、きまじめな軍人組織でしたので、

  ご本人達は、
  意識としては、さらなる努力をしていたし、
  その努力の跡をたどることが出来るのですが、

  第三者の私から見ると、
  その努力自体が、マンネリ化していて
  繰り返しの歴史というべきもの になっていたような感じ が
  しています。


  ここでは、海軍を例にとって、
  その辺について簡単に見てみたい と、思います。


  ロシアのバルチック艦隊を完膚なきまでに勝利した日本海海戦は、
  まさに世界海戦史の金字塔というべきものでした。


  日本海軍は、

  日本海海戦の勝利に安住して、
  積み重ねの歴史をストップさせてしまったのではなく、

  ご本人の意識としては、
  その後も、「勝って兜の緒を締めよ」と、
  軍艦の整備 に 力を入れたのです。

  その結果、
  世界で最先端の戦艦を建造し、

  その後開発された航空機に着目して、
  ゼロ戦 を 始めとする名機を生み出し、
  世界最強の空母艦隊を保有したのでした。

  このような努力は、
  太平洋戦争の劈頭の真珠湾攻撃、

  それに引き続いた、
  マレー沖の海戦で、イギリスの最新鋭戦艦を沈没させて、
  世界の海戦のあり方を大転換させたのでした。


  技術的な分野については、
  この様に積み重ねの努力をしていたのですが、

  海戦に対する頭の体操、
  即ち、
  軍事戦略面において、

  19世紀型の軍艦による海戦に固執する 繰り返しの歴史に
  安住したのが、日本海軍の致命傷となったような
  気がしています。

  即ち、
  海軍は、

  仮想敵国の米国との戦争を想定して、
  毎年 海戦計画を策定していたのですが、

  日本海海戦の勝利をもう一度と、

  日本近海においてアメリカ艦隊を邀撃し、
  艦隊決戦による速戦即決で勝利する計画を、
  毎年 繰り返していたのです。

  日本海海戦時点より 大幅に軍事技術が進歩した
  今後の日米戦争のあり方に思いを致さずに、

  日露戦争の栄光をもう一度出来る と、妄想して、
  繰り返しの歴史に安住していたのです。


  太平洋戦争が開戦した年である 昭和16年1月 においても、
  海軍は、同様の計画を作成していました。

  この計画に対して、
  当時航空本部長だった井上成美さんは、

  「明治の頭で、昭和の軍備」を考えていると厳しく批判し、
  その会議の1週間後に、「新軍備計画論」を提出しました。


  「新軍備計画論」は、

  日米を通じて唯一太平洋戦争の海戦のあり方を、
  正確に予想していてたものでした。

  日本は、
  最新鋭の航空艦隊と戦闘機 と共に
  アメリカが考えてもいなかった 井上さんの戦略論 を
  持っていたのですが、

  ただ、
  海軍の大半は、その有難味に気がつかず、

  19世紀型の艦隊による短期決戦を妄想して、
  実際の戦いがどうなるかについて、思い至らなかった のです。

  要するに、
  アメリカとの戦争についての有り様について、
  深く 考えていなかったのです。

  また、
  「この作戦計画では、アメリカに勝てない」
  との批判的な意見が出て来たら、
  
  東郷元帥が出て来て、

  「私を始め、海軍は、毎年 天皇陛下に、
   この作戦計画でアメリカに勝利できる」
  と、言ってきたのに、

  「この作戦計画では勝利できないというのなら、
   陛下に噓をついたことになる」

  と、頭ごなしに押さえ込まれたのでした。


  実際に 太平洋戦争が始まると、

  井上さんの見通し通りの推移 を 辿ったのですが、

  その事実を素直に認識して対処したのは アメリカでした。


  先ほど、
  海軍が、日本海海戦の勝利後も、
  積み重ねの努力はしたけど、

  その努力自体が、
  繰り返しの歴史に安住したように見える
  と、申し上げたのは、

  新鋭戦艦の建造や空母艦隊を創設するという開発行為を、

  何が、海軍という組織の目標 か、

  その目標に向かって、
  何を、改善工夫せねばならないか、

  との検討 を 経て 開発に従事したのではなく、

  職場で 毎日繰り返す 定例の作業、日常業務 として 行った
  と、思われるからです。


  大切なのは、
  「日本海軍にとり、何が大切か、

   そのために、
   何を せねばならないか」
  との思考であり、

  それにより
  問題としてあげられた課題を、工夫改善するのが、

  積み重ねの歴史なのです。


  井上成美さんの「新軍備計画論」は、
  まさに その思考の結果であり、

  それが理解されず、受け入れられなかった
  ということが、

  海軍全体が、繰り返しの歴史に安住していた
  ということを 表しているのだろう と、感じられます。


  海軍においては、

  工夫改善 自体 が、
  昨日行った続きを 毎日繰り返す 日常の定例業務
  となっていた と、いうべきであり、

  即ち、

  1.新鋭戦艦や航空艦隊の存在理由は 何か?、

  2.今後の海戦において、
    どのように位置づけ、活用するのか?

  3.他にもっと優先する課題はないのか?
  等々 を、検討をせずに、

  それが、
  「自明の研究課題だから」ということだけで
  開発していたのです。

  この様に、海軍は、
  まさに井上成美さんが批判したように、

  「明治の頭」で留まって、
  無意識のうちに 繰り返しの歴史 を 辿っていたのです。


  海軍が、

  井上さんの戦略論に基づいて準備したとしても、
  アメリカに敗北したという結果は、変わらなかったでしょう。

  でも、
  井上さん、米内さん、山本さんは、

  海軍左派トリオといわれて、
  ナチスとの同盟に命をかけて反対したのでした。

  逆に、
  日本を戦争への道に引きずり込んだのが、

  繰り返しの歴史に安住して、
  戦艦による決戦 を 主張していた

  東郷元帥や久邇之宮などの人々 だったのです。

  注; 左派トリオの皆さんが一致団結して反対している間は、
     ドイツとの同盟は締結できませんでした。

     彼らが、
     定期異動で、海軍省のポストより離れた後に
     ドイツとの同盟が締結され、

     日本が、支那事変を抱えながら、
     アメリカとの戦争の道に踏み込んだのでした。


  ですから、

  もし、井上さんの戦略論が、
  海軍 で 採用されるような状況だったら、

  海軍が、日本海海戦後も、
  積み重ねの歴史を積み重ねていたということであり、

  その様な海軍であれば、
  井上さんらの左派トリオの主張が、海軍の主張となって

  日本が、
  ドイツ と 同盟することもなかったでしょうし、

  アメリカと戦って敗戦することもなかっただろう
  と、想像しています。

  勿論、
  当時の日本で、

  井上さんの考え方が採用される可能性は皆無だったので、

  歴史のIFにもならないことを承知で申し上げたことを、
  一言附言させて頂きます。
  

  注 ;   井上成美さんの「新軍備計画論」については、
      次のブログを参照下さい。

  井上成美伝記刊行会「井上成美」(3)
  ・・・ 航空本部長「新軍備計画論」 ・・・
  http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_1046.html


  以上、
  人間の本性は、繰り返しの歴史てあり、

  積み重ねの歴史の国においても、
  一定期間、積み重ねにより成果を得ると、

  本人達は、
  積み重ねをしているつもりなのに、

  意識せずに、
  繰り返しの歴史に組織が安住してしまうことがあることを

  ご説明させて頂きました。



  一つ認識しておかねばならないことは、

  積み重ねの歴史は、

  歴史的には、
  少数の積み重ねに参与する人々が積み重ねを行い、

  残りの大半の人は、
  その成果 を 享受していた ということです。

  その積み重ねの歴史が進んで来た
  20世紀 に おいては

  歴史の積み重ねに、

  個人 だけでなく、
  法人 も 参与するようになったのです。

  国家が、
  いろいろな研究に参与するのは勿論、

  民間企業でも、
  研究所を設置して、生き残りをかけた開発競争 を
  行っているのです。


  積み重ねの歴史の国においても、
  もともと 積み重ねのマインドを持った人は少数であり、

  法人が、
  積み重ね競争に参入するようになると、

  積み重ねの歴史の担い手として適性のない人

  即ち、
  繰り返しの歴史に属する人も 参与するようになり、

  場合によっては、

  適性のない人が、
  その組織 を、リードすることが生じるのです。

  先ほどご紹介した日本海軍は、
  まさに その典型例でした。


  井上成美さんのような
  積み重ねの歴史の申し子でなければ、

  組織を適切にリードすることが 不可能なことを、
  海軍の経緯は教えているのだろう
  と、思います。


  問題を、
  更に 困難にするのは、

  「積み重ねの歴史の担い手 として 適性ある人 は、
   学校の成績が優秀な人である」
  と、いうわけでもないことです。

  これも、
  海軍の歴史が教えているところだと、思います。


  学校の成績が良い人の大半 は、

  教えられた知識を理解し、習得することに
  適性がある人 なのです。


  積み重ねの歴史の担い手としての 適性ある人 とは、
 
  工夫や改善、

  言い替えると、

  自分独自に、
  事の本質を深く考えて探求し、

  柔軟な思考を駆使して、
  新たなもの を 創造する人 なのです。


  ですから、
  高度な学問的素養 が 要求される 現在 においては、

  学校成績の優秀者の中から、

  積み重ねの歴史を担える 適性を持つ人 を、
  どのようにしてピックアップするのか が、

  求められているのだろう と、思います。

  しかも、
  そういう人が、

  いろいろな分野において、絶え間なく存在することが、
  その国の国力を高めることになるのです。


  日本は、明治以来、

  東大や京大などの一流校を卒業した学校秀才が、
  優秀な人と考えられてきました。

  私の経験でも、
  彼らは、本当に優秀であり、
  彼らを 否定すべきではない と、思っています。


  しかし、繰り返しになりますが、

  我々が属している「積み重ねの歴史」において
  求められるは、

  彼らの中から、

  どの人が、
  積み重ねの歴史を担っていける人なのか を
  見つけ出す為の方法論 を、

  確立することなのです。

  このことが、
  今後の日本 に 求められる
  最重要課題の一つなのだろう と、考えています。



  日本の組織においては、

  「あの人は、バランスが良い」というのが、
  人物評価の大きな尺度でとなっている
  と、感じられます。


  要するに、

  話したり、一緒に仕事をしていて、

  気持ちよく仕事が出来て、
  発言も 常識的で、

  その意味で 説得力ある人 が、
  好まれているような 気がします。

  でも、

  この評価によりピックアップされた人の 大半 は、
  人格円満、組織に波風は立てない人であり、

  繰り返しの歴史においては、
  恙無く組織運営できるでしょうが、


  積み重ねの歴史で 積み重ね を 担うには、

  その組織の目標を指し示すことが出来る リーダ が
  求められますので、

  「バランス」とは別の選考基準 が、
  必要なのだろう と、思います。


  勿論、
  バランスの良く、積み重ねの担い手としても適性のある人 が
  おられたなら、

  その人が最も望ましいのは、言うまでも ありませんが、

  通常、
  バランスの良さ と、
  積み重ねの歴史の担い手としての適性 は、

  相反することが多いの が 残念です。


  先ほどご紹介した井上成美さんも、

  バランスという面では、
  米内さんや山本さんより大分劣っていた気がします。

  だからこそ、

  優秀な人が集まっていた日米海軍の中で唯一人、
  「新軍備計画論」を発想し、計画としてまとめ上げることが
  出来たのだろう と、思います。

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