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2017年8月13日 (日)

ウソ;ヨーロッパ文明の本質に内在、是認された悪  ・・・第2回 キリスト教における「ウソ」            2.キリスト教の歴史認識からみた「ウソ」の誕生の契機 

前回より、

ヨーロッパ史の本を読んでいる内に、
ヨーロッパ文明の根幹であるキリスト教と法学において、

「ウソ」は、その本質から避け得ないし、
「ウソ」が存在することを是認していることについて

お話しさせて頂いております。


今回はその第2回目として

「 キリスト教の歴史認識から見た「ウソ」の誕生の契機」と題して
お話しさせていただきます。




   ウソ ; ヨーロッパ文明の本質に内在、是認された悪


  第1回 キリスト教における「ウソ」
       1.キリスト教徒の言行不一致
         *** キリスト教の皆さんへの質問状 ***
         http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post.html


  第2回 キリスト教における「ウソ」
       2.キリスト教の歴史認識からみた「ウソ」の誕生の契機
         http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-c914.html


  第3回 法学における「ウソ」
       1.法学の本質は、「リーガルマインド」であることについて
       2.法学が避け得ない根本的な問題
         ・・・法曹(法律専門家)のウソ と 本心について・・・
         http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-d25f.html


  第4回 法学における「ウソ」
       3.リーガルマインド とは、
         事案の解決 を、法に拠るか、ウソに拠るか を
         適正に判別し、決定する センス、能力 である
         ・・・末弘厳太郎著「嘘の効用」抜き書き・・・
         http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-7325.html


  第5回 法学における「ウソ」
       ・・・法とは 何か?
         http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-f196.html



  第6回 法学が 他の学問と異なる本質 を 有するものであることについて
         http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-4b7d.html




     **********




第2回 キリスト教における「ウソ」

2.キリスト教の歴史認識からみた「ウソ」の誕生の契機



キリスト教やキリスト教会の歴史の本を読んでいる内に、

キリスト教の歴史上の出来事は、
2つのキーワードで説明できるのでは、

従って、
2つのキーワードが、
キリスト教の本質を表しているのでは との仮説に到達しました。


この仮説については

    キリスト教の本質についての幾つかの謎解き ・・・・・

    1.一神教のキリスト教が、世界宗教(普遍宗教)になったわけ(仮説)
    2.キリスト教が、異端を生み出し、幾つもの宗派に分裂したわけ(仮説)
    3.キリスト教が、殺人宗教となったわけ(仮説)
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-4431.html

で、お話しさせていただきましたし

今回のお話は、
上記のブログの繰り返しでもありますので
ここでは 簡単に ポイントだけ ご説明させていただきます。


キリスト教の本質を説明できる2つのキーワードとは

① 「神を定義しない」
② 「神に囚われているとの教え」です。



① の 「神を定義しない」について

  キリスト教が神を定義しない理由は、

  A.有限の存在である人間が、
    無限の存在である神を定義することは不可能である ことと、

  B.神を定義するためには、言葉を使用するが、
    言葉は、ある限られた範囲しか説明できない有限の存在であり

    その有限な存在である言葉によって、
    無限の存在である神を説明することは不可能である
  ということだと、推察しています。



② の 「神に囚われている」について

  神への信仰を深めていけば行くほど
  神の教えの意味がよく分かるようになり、

  あるとき、
  自分は、神の教えに服従している=神に囚われているとの境地に
  達するのでしょう。

  そうなると、
  神に囚われている自分の考えや行動は、
  神の啓示に従って 考えたり、行動していることになるので、

  自分の考えや行動は、
  神の考えや行動と同一である、と確信を持つようになるのだろうと思います。

  即ち、
  自分の考えること、行動することは、
  全て神と同一であり、絶対的に義(ただ)しい
  と、確信を持つようになるのです。、

  例えば、
  トマス・アクィナスの先生である アルベルトゥス・マグナスは、

  限界ある理性に基づく「哲学」は、誤りを犯す可能性があるが、
  理性では把握出来ない 啓示された真理を前提にする「神学」は、
  一層確実であると述べておられます。

  即ち、
  人間の論理に従っている「哲学」は間違えることがあるが、
  神の啓示に基づく「神学」は、間違えることはあり得ない、
  と、おっしゃっておられるのです。



ところで、

考えや行動が、神と同一であるとの確信は、
あるキリスト教徒の頭の中で生じていることです。


他人から見たら、

あるキリスト教徒の主観が生み出した真実が、
証明もなしに、その人にとって客観的な真実となるのです。


また、
神について定義がありませんので、

あるキリスト教徒が理解した神が、客観的な神となるのです。


極端な場合、

あるキリスト教徒が、殺人鬼を神と認識したら、
殺人が、神に承認された義しい行為となるのです。


カルヴァンは、

自分の言うことは、神が言っていることだと、
ジュネーヴのキリスト教徒に宣言して、
何人もの人を殺しています。


ここに、「ウソ」の契機があるのです。

神と自分は同一だ と、考えるあるキリスト教徒が、
神が言っていることだ と言った場合、

信仰心から出た言葉なのか、
それとも、
他の動機、例えば、その人の立場や邪念から言ったことなのか、

第三者が、証明できないのです。


即ち、
その人が「ウソ」をついたかどうか、
他人には分からないのです。


佐々木毅先生は、「近代政治思想の誕生」で、

同じキリスト教の指導者であるカルヴァンとジョン・ノックスが、
全く正反対の主張を述べている と、記述されておられます。


カルヴァンは、

支配者は、神に由来し、神の代理人だから、
臣民は、支配者に服従せねばならない。

悪しき支配者が与えられたら、

それは、
臣民に対する神の裁きであると主張しています。

  出所;佐々木毅「近代政治思想の誕生」122㌻~125㌻(岩波新書)


これに対して、
ジョン・ノックスは、

貴族も又、王と同様に、
その地位を神によって与えられた神の代理人であり、

王が、「真の宗教」の敵となるならば、

神の名誉と栄光とを妨げる(王の)所行を強制、抑圧することは、
他の「神の代理人」たる貴族の義務である。

  出所;佐々木毅「近代政治思想の誕生」135㌻(岩波新書)


要するに、

ジュネーヴの王様だったカルヴァンは、
王様に従うことを 神が命令している と、主張し、

スコットランドの宗教改革家のジョン・ノックスは、

貴族の抵抗権を主張して、
王に刃向かうべきだ と、主張しているのです。


カルヴァンも、ジョン・ノックスも、
自分の考えや行動は、神と同一であるとの境地に達した人でしょう。

そのお二人が、正反対の主張をされるのは、

信仰ではなく、
それぞれの政治的立場からではないでしょうか。

神が、おっしゃっている、要求されておられる との言葉は、
自分の立場からの「ウソ」だと、私には思われます。


このように、
「神が、望み給う」と、キリスト教の聖職者がおっしゃるとき、

本当の信仰からではなく、
別の動機から 「ウソ」をついていることが、あり得るのは
確かではないでしょうか。


また、
キリスト教は、

聖職者が、このような「ウソ」をつくことを、
当たり前のことと、認めてきた 歴史的事実 が、
いくらでも存在していますので、

キリスト教の本質に 「ウソ」の契機が存在し、

キリスト教 も、
「ウソ」を是認していると言わざるを得ないと考えています。

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