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2017年8月13日 (日)

ウソ;ヨーロッパ文明の本質に内在、是認された悪   ・・・第1回 キリスト教における「ウソ」          1.キリスト教徒の言行不一致              ***キリスト教徒の皆さんへの質問状***

ヨーロッパ史の本を読んでいる内に、
ヨーロッパ文明の根幹である キリスト教 と 法学 において、

「ウソ」は、その本質から避け得ないし、
「ウソ」が存在することを是認しているのでは、

と、考えるようになりました。


ヨーロッパ文明を理解する上で、避けて通れない
「ウソ」についての認識を深めるために、

6回に分けて、キリスト教 と 法学 について
お話しさせていただきます。




   ウソ ; ヨーロッパ文明の本質に内在、是認された悪

  第1回 キリスト教における「ウソ」
       1.キリスト教徒の言行不一致
         *** キリスト教の皆さんへの質問状 ***
         http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post.html


  第2回 キリスト教における「ウソ」
       2.キリスト教の歴史認識からみた「ウソ」の誕生の契機
         http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-c914.html


  第3回 法学における「ウソ」
       1.法学の本質は、「リーガルマインド」であることについて
       2.法学が避け得ない根本的な問題
         ・・・法曹(法律専門家)のウソ と 本心について・・・
         http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-d25f.html


  第4回 法学における「ウソ」
       3.リーガルマインド とは、
         事案の解決 を、法に拠るか、ウソに拠るか を
         適正に判別し、決定する センス、能力 である
         ・・・末弘厳太郎著「嘘の効用」抜き書き・・・
         http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-7325.html


  第5回 法学における「ウソ」
       ・・・法とは 何か?
         http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-f196.html



  第6回 法学が 他の学問と異なる本質 を 有するものであることについて
         http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-4b7d.html



     **********




第1回 キリスト教における「ウソ」

1.キリスト教徒の言行不一致
  *** キリスト教の皆さんへの質問状 ***




キリスト教やキリスト教会の歴史についての本を読んでいる内に
キリスト教の本質について、一つの結論(仮説)に至り、

その結果、キリスト教で「ウソ」が生じる契機はこういうことなのだな
と、考えが整理できました。


この点については、
次回(第2回) キリスト教の歴史認識からみた「ウソ」の誕生の契機
で、お話しさせていただきますが、


私の上記の結論(仮説)は、

所詮、
キリスト教の外側からの分析ですので、
キリスト教を信じておられる方には

「又か」、「相変わらずの神なき者によるキリスト教批判だな」
と、即座に否定され、歯牙にもかけてくださらないだろう と、思いますので、


今回(第1回)は、

キリスト教の信仰の根幹だと、
キリスト教を信ずる皆さんが おっしゃっている点 についての 私の疑問、

あけすけに言うと、

キリスト教を信じている方は、
「ウソ」を承知の上で、その「ウソ」に安住されておられるのでは、
と、考えている事について、率直に お話しさせていただき


キリスト教徒の皆さんから、
「私の疑問が、間違っている理由」について、分かり易い、納得あるご教示を
いただけることを、切に願っています。



私は、
キリスト教に関していくつも疑問を持っていますが、

焦点を絞るために、
今回は、次の「3つの疑問」について ご質問させていただきます。

  ① 原罪 について

  ② イエスの十字架上での贖い について

  ③ 悪の権化というべき「神」を、 
    善なる存在として信じる理由についての質問
    *** 神は、詐欺師、殺人鬼、卑劣漢では



① 原罪 について


キリスト教は、

アダム と イヴ が、神の言いつけに逆らって、木の実を食べたことから、
人間は原罪を負ったので、「悔い改めよ」と教えておられます。


キリスト教を信じない者からは、

何で、

アダムとイヴという他人が行った罪によって、
全く関係ない全ての人類が、

即ち
生まれてすぐ亡くなった赤ん坊や
キリスト教を信じていない人間までが
原罪を負ったことになるのか、


更には、

公園管理規則違反とも言うべき微罪で、

人類全体が、罪を負ったこと断定されて、
未来永劫その罪について償わなければならないのか?

との疑問が提起されますが、


ここでは、上記の疑問を棚上げして、

「人類は、原罪を負っており、悔い改めなければならない」との
キリスト教の教えに従うものとして、 お話を進めさせていただきます。



「原罪を負っているのだから、悔い改めなければならない」
と考えると、

キリスト教の皆さんは、
次の疑問にどの様に回答いただけるのでしょうか。


聖書では、

蛇が 女(イヴ)に
「それ(木の実)を食べると、目が開け、神のような善悪を知るようになることを、
 神がご存じなのだ。」

女(イヴ)が見ると、
その木は、いかにもおいしそうで、目を引きつけ、賢くなるように唆していた。
・・・(以下略)

と、記述されておられます。

 出所;聖書スタディ版 新共同訳(日本聖書協会) (旧)4 創世記 3.4-6



イヴが食べた木の実は、
子供の頃 教えられた「リンゴの実」ではなく、「知恵の実」だったのです。


従って、神様は、

「木の実を食べれば、人間が知恵を持ち、賢くなる。
 しかし、人間は、知恵を持ってはいけないし、賢くなってもいけない」,
と、考えられて

木の実を食することを禁止されたのだと考えるのが常識でしょう。


その神の教えに逆らったから、
人類は、原罪をおったのではないでしょうか。



そう考えると、

キリスト教の信者は、
知恵を持ってはいけない。

即ち、

「無学文盲」で、
「ひたすら神を信じるだけの存在」でなければならない、
ということを

神様は、
信者に命令しているのではないでしょうか。


ところが、

歴史上、知恵に対して嫌悪感を示した聖人は、
アッシジのフランチェスコだけのような気がしています。

中世の教皇は、
イノセント3世を筆頭に、優秀な法学者(教会法)が即位されておられます。

イノセント3世がら、フランチェスコ会の指導を命じられた
教皇 グレゴリウス9世(枢機卿 ウゴリーノ)は、

アッシジのフランチェスコの教えをを無視して、
ボローニャ大学などで学んだ法学者(教会法)を
フランチェスコ会の指導者に任命していますし、

後に、カトリック教会は、
アッシジのフランチェスコの衣鉢を継ごうとする聖霊派を、
異端として弾圧して火刑に処しました。


神の教えに従うなら、
聖書を読むことすら禁止されて当然ではないでしょうか。

ところが、
キリスト教は、聖書を読めと信者に勧めておられますよね。


ましてや、キリスト教徒が、
学校で、学問を学ぶのは、異端であり、信者としては気狂い沙汰
と 言うべき所行 ではないでしょうか。


肉体にメスを入れることは、神に禁止されている
と、主張して、

手術しなければ命を失うのに、手術を拒否する
キリスト教の一派がある と、聞いています。

信仰は、命よりも優先するとするのが、
キリスト教ではないでしょうか。


楽園追放の物語は、
聖書の最初に記述されていますので、
キリスト教徒なら、当然聖書をお読みになっておられるでしょう。

だとしたら、
神様が、人間に知恵を持つことを禁じたことはご承知のはずです。

また、
人類は、原罪を有しているから、悔い改めねばならないと、
キリスト教の内部で確認し合うと共に、

キリスト教の布教の際にも、
聖書を読むように勧めると共に、
「悔い改めよ」と周知されておられるのではないでしょうか。


神が禁止した知恵を持ちながら
(原罪を持ちながら)、

更には、

知恵を、更に追加して持とうとしながら、
(原罪を、故意に繰りかえそうとしながら)

「神に従え、悔い改めよ」 と、おっしゃるのは、

言行不一致であり、
「ウソ」をついていることにならないでしょうか。


キリスト教信者の方から、
「ウソ」ではない、との理由をご説明いただければ、幸いです。

また、
知恵を放棄しないことを正当化する、信仰上の論理を
ご教示いただければと願っております。


なお、
「原罪を負ってしまった事実を素直に認めて、
 悔い改めねばならないのだ」というのは、

回答にならないことを、あらかじめ申し上げておきます。

この言い方は、
「毒を食らわば、皿までも」であり、
本心から「悔い改めよう」としていないことを表白しているからです。

即ち、
知恵を放棄していませんから、

口先では、
「原罪を負っているから、悔い改めよ」と、言いながら、

行動 は、
神が命令した禁止条項を無視し、
禁止された行為を、止めようととしておられないので

「神を信じていない」と、おおっぴらに表白していることを
意味しているのです。


また、
「人間は弱い者だから」というのも、
同様に、回答にすらなりません。


更には、

「知恵を持たなければ、生きていけない」との居直った言い方は、

「私は、本当のところはキリスト教を信じていません、偽のキリスト教徒だ」
と、おっしゃっていることになります。


何故なら、

キリスト教における、最初の 最も本質的な神の命令 に 従えないのなら

「私は、キリスト教信者ではない」 と宣言していることを
意味するのではではないでしょうか。

もし、
それでもキリスト教徒であると、おっしゃるのであれば、

「ウソ」ついていることを承知し、自覚した上で、
キリスト教徒を名のっていますよ と、おっしゃっておられることになる
と 思いますので、

「詐欺師とも言うべき 不誠実で、最も悪質な人間だ」
と、軽蔑されることになると思います。





2017年12月9日 追記

キリスト教徒の友人より、

神が知恵を持つことを禁止しているとの考えは、
聖書の読み間違えである

と、強く指摘されましたので、

ちょっと理屈っぽい聖書の解釈論になり 恐縮ですが、
友人に反論した内容をご説明させていただきます。


A.友人の主張

  神は、
  「園の木の実は、何を食べても良いが、
   中央に生えている木の実だけは食べると死んでしまうので、 
   食べてはいけない」 

  と、イヴに、理由を説明して食べるのを禁止した。

  これに対して、
  イヴは、蛇の誘惑に負けて
  神の命令に背いて 木の実を食べことにより 原罪を負ったのであって、

  神が、「人間が知恵を持ったはいけない」と、禁止したたわけではない。

  即ち、
  神は、「人間が知恵を持ってはいけない」と明言していないので、
  神は、人間が知恵を持つことは認めておられる。


  また、
  人間は、自分の判断で、知恵の実を食べて、原罪を犯した。

  これは、

  神が、「自由意志」を人間に与えたため
  人間が、自由意志を使って、原罪を犯したのである。

  従って、
  神は、事前に、警告を与えた以上、それを無視したのは人間に責任があり
  神は、人間の犯した原罪について 全く関係していないし、責任も有しない。



B.私の反論

  イヴが、神の命令違反したことは否定していません。(認めています)

  友人と私の考えの異なるのは、
  「人間が、知恵を持ってはいけない」と、神が禁止しているか、否かです。

  聖書によると、神は、地上のあらゆる者を創造されました。

  エデンの園の植物も、動物も、
  全て神が、永遠の生命を持ったものとして創造されたのでしょう。

  ただ、知恵の木だけは、その実を食べると、永遠の命を失い、
  死すべき者に貶めることにしたのです。

  それ故に、
  イヴに、「知恵の木の実は食べるな」と、命令したのだろうと思います。


  キリスト教徒の方は、

  神は「全知全能」であるとおっしゃりながら、
  都合が悪くなると神の「全知全能」を知らんぷりして、無視されます。
  
  今回もその典型では?という気がしています。


  いろいろな木がある中で、知恵の木だけを、
  「その実を食べたら永遠の命を持たなくする」と、決めたのは、神様でしょう。

  普通の木の実を食べていれば、永遠の命を保てるのに、
  知恵の木の実だけ、そうしなかったのは、

  神以外は、知恵を持ってはならない、

  言い換えると、
  人間を含めて全ての創造物に、知恵の保有を禁止する と、
  神様が、考えられていた現れではないでしょうか。

  キリスト教信者の友人が、
  「神が、知恵の木の実を食べたら死すべき者となる と、警告された」
  との 聖書の一部の文章だけを取り出して、

  だから、
  神は、人間が知恵を持つことを認めていた とおっしゃるのは、
  キリスト教特有の詭弁を弄しておられるなと、感じられます。


  神は、天地を始めとして 全ての植物や動物を創造されました。

  知恵の木を作る際に、他の木と同様に、
  その木の実を食べても、死すべき者にせねばならなかった必然はないのです。

  言い換えると、
  神が、知恵の実を食べたものは、永遠の命を喪失することにしようと、
  意図されたのです。

  ということは、
  神に創造された者が、神同様に 知恵を持つことを嫌ったのです。

  更に、
  イヴに、その木を食べるなと命令したのですから、
  人間が、知恵を持つことを禁止したのです。


  しかし、神は、全知全能ですから、

  本当に人間に知恵を持たせたくなかったら、
  最初から、そのように 創造すれば 良かったのです。

  知恵の木の実を食べたら、命令違反の原罪を負うことになる
  との罠を、仕掛ける必要は無かったのです。


  何故、神は、
  人間が、知恵を持たない存在として創造しなかったのでしょうか?

  神は、「全知全能だ」と 言いながら、
  何故、
  神の意向が実現しないような創造を行ったのでしょうか?


  神が、
  神の意志を実現しないように人間を創造しておきながら

  神の命令に人間が違反したから、全ての人間は原罪を背負っている
  と、主張するのは、メチャクチャではないでしょうか。


  神が、全知全能であるなら
  人間が、神の命令に違反することを分かっておたれたし、

  少なくとも、
  それはそれでも良い と、考えておられた
  と、考えるのが常識的な考えでしょう。

  言い換えると、

  人間に、表向き 禁止はするけど、
  人間が、知恵を持つことは、黙認しよう
  
  と、神が考えておられた
  と、いうことではないでしょうか。


  それなら、
  神が黙認した知恵を持ったことで、

  何故、
  原罪を犯した、神の命令に違反した、
  と、キリスト教は、攻めるのでしょうか?

  何故、キリスト教は、
  原罪を悔い改めよと、言い続けるのでしょうか?


  要するに、
  聖書は、神でなく人間(ユダヤ人)が作ったものであるほころび(矛盾)が
  ここにも現れているのだろうと思います。

  人間が、神と異なって、死すべき者であることを説明するために
  人間が、神の命令に違反して知恵を持ったから、

  神により
  永遠の命を召し上げられて死すべき者となり、エデンの園から追放された
  とのお話を創作

  あけすけに言うと、でっち上げた のです。


  それを素直に読んだ人間が、

  だとしたら、
  神は、人間が 知恵を持つことを禁止しながら
  キリスト教徒は、知恵を持つことを奨励しているのは

  神の教えに反するのでは?と疑問を呈すると、

  慌てて、
  理屈なしに 強引に否定しているのです。


  このように、神が、
  人間に知恵を持つことを禁止してるとの建前を作っていながら、

  人間が知恵を持っている現実があるので、
  ほころび(矛盾)が生じているのです。

  
  このほころび(矛盾)を、素直にほころび(矛盾)と認めず、
  原罪を悔い改めよと、言い続け、

  しかも、神を信仰し、
  神の教えに従って生きていくと宣言しておられるのが
  キリスト教徒の皆さんなのです。


  そのキリスト教徒の皆さんが、
  知恵を持つ ということは、

  神の命令にあえて逆らって、神を冒涜する
  キリスト教徒として、あるまじき行為では?
  と、思いますし、

  原罪を悔い改める気が無いのに、
  「悔い改めよ」とのウソをついていて

  本心は、
  神に従う気が無く、神を信じていないのでは?等の非難を、

  甘んじて受けねばならないのでは?と、思います。


  以上に述べたように理解するのが、
  何故、
  聖書を誤解していることになるのでしょうか。


  聖書スタディ版 新共同訳(日本聖書協会) (旧)5
    3.5 善悪を知る の 注記では、次のように解説されておられます。

  「男(アダム)と女(イヴ)は、
   神が知っていることを知るために、木の実を食べるように誘惑された。

   おそらく
   「この特別な知識を持てば、私たちも、神のようになれるかもしれない」
   と、思ったのであろう。

   ・・・(途中略)・・・

   初めに 神と人との間にあった 完全な関係 は、ここで 壊された。」


  この解説を素直に読むと、
  「神が、人間が神のようになるのを嫌って、木の実を食べるのを禁止した。
   即ち、
   神は、人間が知恵を持つことを禁止した」

  との反対解釈が、成立するのではないでしょうか。、



  友人の主張の後半部分(人間の自由意志論)についても
  神の全知全能を都合良く無視しているなと、首をかしげています。

  神が「全知全能」であるということは、全てをお見通しだということです。

  即ち、
  神は、人間に、「自由意志」を与えれば、

  神を 無視して 勝手な行動をとり、どの様な結果になるかについて
  最初から分かっておられて

  人間に、「自由意志」を与えたのです。


  ですから、

  形式的に、一度警告を与えれば、神が 免責されるし、神は 関係ない
  と、いうのは、

  神の「全知全能」を無視する 大変な神への冒涜 に なるのでは?
  と、感じられます。


  神は、
  「全知全能」でおられるので、全てをお見通しであるから

  人間の行動に対して、全て責任を有する、
  今風に言うと、
  人間に対する「製造物責任」を負っておられる

  と、考えるべきでしょう。


  もし、
  神が、「全知全能」でないとしたら、

  神は、人間の行動に関する責任は全くない
  と、言うことができると思いますが、

  「全知全能の神」と称するからには、
  「全知全能」の責任も有していると言うべきです。


  更に、
  神のイヴに対する警告にも、瑕疵があるのでは?
  と、感じられます。

  というのは、
  神は、イヴに

  「園の中央に生えている木の果実だけは、
   食べてはいけない、触れても生けない、死んではいけないから」
  と、警告しているのですが、

  知恵の無いイヴに対する警告としては、
  不十分では、

  踏み込んで申し上げると
  原罪を犯させるための警告だったのでは?

  とさえ 感じられる警告 では ないでしょうか。


  案の定、イヴは、蛇に

  「決して死ぬことはない、
   それを食べると、眼が開け、神のように善悪を知るものとなることを
   神は、ご存じなのだ」

  と、誘惑され、その誘惑に乗っているのです。


  神がおっしゃった「死んではいけない」とは、
   「永遠の生命を持たなくなる」との意味であり、

  知恵の実を食べたら 即死する との意味ではありませんでした。
  何故、この点を神はイヴに伝えなかったのでしょうか。

  私には、

  「全知全能」の神が、
  イヴ、即ち人間を エデンの園から追放するために
  罠を仕掛けたのでは?という気が、してなりません。


  知恵の無いイヴに対して、不十分な説明をしたから、

  蛇の誘惑に対して、
  イヴが適切な判断ができなかったのではないでしょうか。

  イヴが、適切な判断しないことを、神は、事前に存じで、
  敢えて イヴを そのように仕向けた
  との 神の邪悪な悪意さえ感じられます。


  勿論、
  適切な判断をしたからと言って、誘惑に負けなかったかどうかは
  分かりませんが、

  少なくとも、友人のおっしゃるように、
  神が、警告を与えたから免責されると言えるほどの警告ではない、

  人間の天邪鬼(あまのじゃく)な性格

  即ち
  禁止されればされるほど、禁止されたことをやりたくなる性格
  を 考えると

  かえって、
  神自身が、原罪を犯すように唆しておられる とも言える警告だった
  ような気がします。



  キリスト教は、歴史上、
  自分の都合にとって都合が悪かったり、意向に反する考え方に対して、

  更には、
  自分に弱みがあればあるほど 相手方に対して、

  有無を言わずに否定し、弾圧、虐殺を繰り返してきました。


  今回の友人との議論に於いて、

  キリスト教は、
  2000年来の唯我独尊の偏狭さを 相変わらず維持しているな、
  と、痛感しましたので、

  違例ではありますが、文章の途中で追記させていただきました。





② 十字架上の贖い

矢内原忠雄先生は、「キリスト教入門」において、
イエスが十字架に架けられて死亡した意味について、
次の通り記述されておられます。


  「しかるに、
   神は、人の罪を許す方法として、

   罪なきイエスに、全ての人の罪 を 負わせ、
   人に代わって、彼(イエス)を 十字架の上に 死なせた。


   人の支払うべき罪の価をば、
   彼(イエス)が代わって負担したのである。


   イエスは、
   己が罪のために 死んだのではなく、
   人の罪 を 負うて 死んだ のである。

   それが、
   人を救おうとする 神の意志の定め であった。

   その(神の)意志に対する 完全な従順 をもって、

   イエスは、
   十字架の上に 罪の贖いの死を遂げたが 故に、
   神は、彼(イエス)を復活させて、天に昇らせた。

   かくて、
   人が、イエスの十字架の死の中に、己自身の罪を認め、

   イエスが、死んだのは、

   自分(イエス以外の人)の罪のために、
   自分(イエス以外の人)に代わって死んだのであること
   を 信ずるならば、

   神は、イエスの従順 故に、かく信ずる人の罪 を 許す。

   即ち、
   最早、その人の罪の責任 を 追及しない のである。」

   出所;矢内原忠雄「キリスト教入門」101㌻(中公文庫)




矢内原先生は、

イエスが十字架で処刑されたことにより、

神は、① で述べた人類の「原罪」を、
キリスト教徒に限って赦した と、記述されておられます。

これが、キリスト教の基本的な考え方ではないでしょうか。


だとすると、疑問が生じます。

キリスト教は、イエスの死後も、
「原罪があるので、悔い改めよ」と、布教していたのではないでしょうか。

イエスの十字架上の贖いにより
キリスト教徒は、すでに原罪を赦されていますし、

キリスト教信者以外も、キリスト教信者になれば、
原罪が、自動的に赦されて、解消されるのではないでしょうか。

ですから、
布教する際に「悔い改めよ」と脅迫するのではなく
「信者になれば、自動的に原罪が赦されますよ」と、
勧誘すべきではないでしょうか


イエスの「十字架上の贖い」は、
キリスト教の信仰の根幹 を なすものであり、
キリスト教徒なら、常識の事柄でしょう。

イエスの死により、原罪が赦されているのに、
何故、
依然として「悔い改めよ」と主張されるのでしょうか。

これも、
言行不一致であり、キリスト教の「ウソ」と感じられますが、

キリスト教の信者の皆さんは、
どの様な論理で「ウソ」でないと否定されるのでしょうか、

ご教示をお待ちしています。




③ 悪の権化というべき「神」を、 
  善なる存在として信じる理由についての質問
  *** 神は、詐欺師、殺人鬼、卑劣漢では?


カタリ派の歴史の本を読んでいると、

カタリ派は、

神は善であり、悪の原因であり得ないので、
悪を創造した神以外の創造神が存在すると主張して、
カトリックに弾圧されました。


カトリックの主張は、

ニカイア信条により、
神は、物質的及び精神的現実すべての造り主である。

悪の原因は、
神に逆らった天使が失墜して悪魔になったという神話 と
アダムとイヴが犯した原罪の神話から説明される。

即ち、
悪魔となった天使も、人間の男女も、
自らに与えられた自由 を 濫用したことが原因であり、

神には、全く責任がない、
とのことです。


   出所;ロクベール「異端カタリ派の歴史」54㌻以下(講談社選書 メチエ)


カトリックの論理について、
私は、神の製造物責任について考慮していないことに疑問を感じています。

神は、全知全能ですので、
自由意志を持たせれば、どの様な事態が生じるかご存じのはずです。

その結果を知りながら、
天使や人間を創造したのですから、

やはり創造主としての神の責任は、免れないのではないでしょうか。


また、
そのように考えると、

カトリックのカタリ派への弾圧は、

論理面、宗教面で敗北したから、

組織論理に従って
宗教的な権力を世俗面で振り回して、

論争上、宗教上で 勝利したカタリ派 を 弾圧、抹殺した
と、言えるのではないでしょうか。


それはさておき、

私の神に関する根本的な疑問は、
「神は、善なる存在なのか?」というものです。


私には、

神は、
詐欺師 で 殺人鬼、かつ 卑劣漢だ
と、思われます。



A.詐欺師である点

  神は、ユダヤ人を、
  チグリス・ユーフラテス川下流から上流を経由して、
  カナンの地に導きました。

  ところが、
  カナンでは食料が得られず、
  ユダヤ人は、エジプトに避難しました。

  その後、
  カナンに戻ったのですが、

  状況が同じなので、もう一度エジプトに戻って、
  ファラオの奴隷として数百年間過ごしました。

  神は、
  モーセを使って、
  カナンに移住させると、エジプトより連れ出しましたが、

  彼らを、50年間荒野でさまよわせて、
  モーセを含む全員が、カナンに移住でず、荒野にさまよいながら死亡しました。



  旧約聖書では、いろいろな記述があると思いますが、

  この話を全体で見たら、
  カナンに導くと言っておきながら、到達できなかったのですから、

  豊かな国に導くと言ってユダヤ人を欺罔した「一種の詐欺だ」
   と、言えると思います。



B.殺人鬼である点

  神は、大変な数の人 を 殺しています。
  この点については、次のブログをご覧下さい。

  旧約聖書の神は、大量殺人犯 かつ 殺人犯の親玉である
  http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-7da6.html



  神を信じているユダヤ人はもとより、
  神が創造したエジプト人やカナン人も大量殺戮しているのです。

  更に、
  エジプトよりユダヤ人を連れ出すときに、
  モーセを指導者として登用していますが、

  モーセも又、殺人犯なのです。



C.卑劣漢である点

  シナイ山で、モーセが十戒を授けられた後、麓に戻ったら、

  モーセの留守番していたユダヤ人が、
  異教の神を信じてお祭り騒ぎをしていました。

  そこで、
  神とモーセが激怒して、ユダヤ人を大量殺戮したのですが、

  ユダヤ人を 異教に導いた モーセの兄アロン は、
  殺されるどころか、
  ユダヤ教の初代の大祭司に任命されて、神から厚遇されています。


  アロンが、ユダヤ人を異教を導いた元凶であり、
  処罰するなら、最初に処罰されるべき存在なのに、

  モーセの兄だと言うことで、逆の扱いをされています。

  殺されたユダヤ人にとって、こんな理不尽なことはないでしょう。


  アロンの子孫で、やはり殺人犯がいますが、
  これも又、
  何事がなかったように大祭司に就任しています。


  更には、
  なんやかんや言いながら、ユダヤ人の面倒を見ている神ですが、

  ユダヤ人以外のエジプト人やカナン人については、
  獣を殺戮するがごとくの扱いをしています。

  彼らも、
  神が創造した人間ではないでしょうか。

  神を 信じなくなったのは、
  神が、そのように創ったからであり、

  自分の失敗 を 棚に上げての行状 は、
  「卑劣そのもの」ではないでしょうか。


以上、
詐欺師、殺人鬼、卑劣漢である神を信じる理由を、
キリスト教徒の皆さんより ご説明くださるよう、お願いします。



今回お話しした
キリスト教を信ずる皆さんにとって、
なんたる異端と激怒されることは承知しています。

Youtube を 見ていると、

ザヴィエルが、日本に布教に来た際に、

庶民から、「神は、何故悪を創ったのか」と質問されて答えられず、
ノイローゼになって、中国に逃亡したとの話 を 見たことがあります。

この話が、本当かどうか、疑問に感じていますが、
キリスト教において、「悪」や「ウソ」を教理上どの様に位置づけるか は、
重要な問題だと推察していますので、

今回の私の質問に、冷静で学問的な神学 をご教示いただければ
と、願っております。


信者の皆さんとお話しすると、

最後は、
「神なき者に何を言っても理解されない」
と、罵倒されて終わってしまいます。

今回お話しした疑問は、キリスト者の行動に対する 論理上の問題 ですので、
私の疑問の間違っている点を、論理的ご指摘下さるようお願い申し上げます。

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コメント

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投稿: RobertRob#gennicRobk[IcRobuxyfirysenziQI,2,5] | 2024年4月 5日 (金) 01時39分


>やまだはなこさん
>
コメントありがとうございます。
また、新井白石のエピソード ご紹介いただきありがとうございます。

日本人は、ヨーロッパと並んで、「積み重ねの歴史」を歩んできていますが、
ヨーロッパ人より「積み重ねの歴史」度が、強い気がしています。
その表れの一つが、新井白石のキリスト教へのコメントではないでしょうか?

投稿: かんりにん | 2020年12月18日 (金) 16時08分

>やまだはなこさん
>
コメントありがとうございます

サビエルの話は、ネットの動画で拝見して、同感しました。
日本人にキリスト教信者が少ない理由を、
端的に表しているエピソードでは?と、考えています。

投稿: かんりにん | 2020年12月18日 (金) 16時04分

新井白石はシドッチに対し、
「そんなに神が絶対なら
どうしてこんな不条理な世の中を作ったのか?」
「キリスト教では、神が宇宙を創造したというが、
その神はどうやって生まれたのか?
もし、神がもともと自力でそこにあったもの
とするならば、
宇宙が自力で生まれないという理由が見つからない。
非常に説得力に欠ける。」
「しかも、神は人間を憐れに思い、
イエスを地上に遣わし、イエスが人々に代わって
罪をつぐなったというが、
まるで幼児のたわ言ではないか。愚かな話だ。
私には全く理解ができない。」

最後の宣教師『東洋vs.西洋』~
www.nobitown.com/dom020603.html

投稿: やまだはなこ | 2020年12月14日 (月) 22時57分

サビエルに対し

●その教えでしか救われないなら、
そのありがたい教えを聞かなかった我々の祖先は、
今どこでどうしているのか?
●洗礼を受けず死んでしまったご先祖が
地獄に落ちているというなら、西洋の神様というのは
ずいぶん無慈悲だし、無能ではないのか。
全能の神というのであれば、私のご先祖様ぐらい
救ってくれてもいいではないか?
●もし神様が天地万物を造ったというなら、
なぜ神様は悪も一緒に造ったのか?
(神様がつくった世界に悪があるのは変じゃないのか?)

投稿: やまだはなこ | 2020年12月14日 (月) 22時51分

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投稿: accutane | 2020年4月28日 (火) 07時53分

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