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2020年8月 1日 (土)

広義 と 狭義 の 2つのグローバル化 について

最近、
グローバリズムの終焉とか、

グローバリズムは、自分さえ儲かれば、国家など無視しても良い
と、考える 強欲者の主義である、

との批判 が、聞かれるようになりました。

何故、このような批判が生じるのか
と、訝しく感じていたのですが、

グローバル化について、
2つの視点があって、

1.20世紀末(1990年代)に生じた(狭義の)グローバル化 と
2.それ以前にあった(広義の)グローバル化 を、
  混同して 議論されておられるのでは?

という気がしますので、
今回 は、この点について お話しさせて頂きます。



私が、グローバル化について、考えるようになったのは、

小学校の日本史の授業で、
織田信長が安土城を築城した際に、
楽市楽座の制度を創設したと学んだときからです。

当時、
何故、信長がそんなことをする必要があったのか、が
理解できなかったからです。

当時の戦国大名 は、
当時の技術レベルに見合った 現在の県単位を支配領域としていましたが、

 

信長は、
尾張から始めて、美濃をはじめ、諸国を制圧し、京都まで攻め入って
領土を拡張しました。

その為、
従来の国境(くにざかい)にあった 関所 を 廃止して、
往来 を 自由にしたのが、楽市楽座だったのだろうと思います。


一言で申し上げると、
領土拡大 との 政治的な要請から、
経済のグローバル化 を 図ったとのだろう と、思います。


ヨーロッパでも同様で、

例えば、
ライン川 や ドナウ川沿いの領主 は、
川の中の島や周囲の山頂に、城などの関所を設けて、
通行料を徴収していました。

フランス で、
パリからカレーまで、途中の関所を廃止して、
通行料を支払わずに行けるようになったのは、
フランス革命の時だ と、どこかの本で読んだ記憶があります。

このように、
国民国家の成立するにつれて、政治上の要請から、
国内での通行の自由が実現していったのです。


他方、
人間の欲望は限りが無く、帝国主義の時代になると、

イギリスやフランスは、自国内だけでは満足出来ずに、
利益を得るために世界中で侵略して植民地化しました。

更に、中国では、
アヘンを売って、怒った清朝に戦争をふっかけて
香港 を 強奪したのでした

これも、
エゴ と 政治上の要請 から
国家の範囲を超えて、自国の権益を拡大するグローバル化
と いうことが 出来ると思います。


日本も、帝国主義の時代に、
満州に進出し、更に中国本土を支配しようと侵略して、

同じように 中国に進出しようとしていたアメリカ と 太平洋戦争になり、
敗北した経緯 が あります。

日本 は、やり過ぎなので、中国進出をストップしろ と、
申し入れた アメリカの要請 を 拒否して、日本 を 敗北に導いたのは、
陸軍 と その背後にいた 財界及び政治家 だったのです。

彼らは、
日本国、更には 日本国民より、自分の利益を優先したグローバリスト
といえるのだろうと思います。

現在の習近平主席の日本国賓訪問の反対表明に反対した、
二階幹事長 や その背後におられる 日立製作所 や トヨタなどの 財界の皆さんは、

戦前と変わっておられないな、また、日本を滅ぼすのですか?
と、感じたのは、私だけではないだろうと思います。

このように、
グローバリズム や グローバル化という言葉は、
経済 を 背景にした 政治上の要請により、国家のエゴイズム と 渾然一体となって
実行されてきたのです。

私は、これを広義のグローバル化 と 定義したいと思います。

これに対して、
1990年代に生じたグローバル化は、性格を異にするものでした。

技術 とりわけ通信、交通の発展により、
経済単位 が
従来の国民国家の枠では収まらなくなり、

国家の枠をはみ出した、地域経済圏みたいなものに経済の単位が拡大したことにより
生じたものでした。


当時、
グローバル化と共に、メガコンペティションといわれたのも、
このことを現しているのです。

勿論、当時でも、経済人の中には、
日本人でありながら、日本を無視して、自分の損得だけを考えて、
海外立地、とりわけ 中国 に 進出された方も
多数おられたのだろうと思います。

この人達が、
今回 安倍首相が、中国の進出企業に日本に帰ってくるようにと要請しても、
簡単には できませんよ と、おっしゃっておられるのだろう と 思います。

彼らは、
日本国の将来を考えず 自分の欲得のみ考えたから
アメリカ と 戦争になり、国を滅ぼしたこと に
思いが至っていないのでは?
と、頭を傾げたくなります。


このような状況 に 危機感を抱いた方が、
私は、
ナショナリストで、

グローバリズムは、
日本の将来を考えず、自分の欲得のことしか考えないエゴイストだ、
と、非難されておられるのだろうと思います。

私から見ると、
この批判は、広義のグローバル化に対する批判であり、
狭義のグローバル化 に ついての 視点 が 欠落していて
残念だな と、感じています。

技術の進歩は、逆戻りが出来ない不可逆的なものなのです。

近代化された社会が、封建社会に逆戻りできないのと同様に、
技術の進歩により、政治単位、経済単位が、国民国家の枠より広がり、
地域共同体を必要とする時代になっているのです。

現在のEUは、その現れの一つですが、
アジアでも、同じような動きが必要となってきていることを、
政治や経済に責任を持たれる方が、ご認識頂き、

日本をどの様に導いていけば良いか について、
賢明な思考、判断をされることを願っています。




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