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2022年7月

2022年7月18日 (月)

歴史の違いは 料理 にも 差異をもたらすのでは?

何年か前、ドイツに旅行した際に、
ベルリンを訪問したことがありました。

夕食を食べようと、ガイドブックを開いてみると、
「ソニー広場のレストランが評判である」
との記述がありましたので、訪れてみることにしまた。

クリーム系のシチューを注文したのですが、
一口食べて、家内と顔を見合わせてしまいました。

出された料理は、
無理やり飲み込んだ はるか昔の小学校の給食レベルの味で、

現在においては レストランの料理として提供されるレベルに
およそ遠く及ばない まずい料理 だったのです。


あまりのひどさに
家内とホテルに帰ろうと話しあって、食事を中断してホテルに帰りました。

ホテルに戻るってから、口直しに ベルリンの名物料理といわれていた、
ソーセージにカレーをかけた料理を注文しました。

出された料理を一応食べましたが、
これが、ドイツの首都であるベルリンを代表する料理か
と、びっくりしてしまいました。

日本では、
お祭りの屋台で売られているような
ソーセージにどこにでもあるうま味もこくもないないカレーをかけただけの料理
だったのです。

それをベルリンを代表する料理だ と、
一流ホテル(ウエスティンホテル)で 堂々と提供されているのです。

当時は、
ドイツの料理は、評判通りまずいな と、思っただけで、
一つの思い出となったのですが、

最近、「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」を考えるとき、
歴史の違いを表している象徴的な現象が、この思い出では?
と、考えますので 少しお話しさせていただきたいと思います。


家庭料理で煮込み料理を作る際には、
多量の野菜や肉を煮込んで作るのではないでしょうか。

長時間これらを煮込むことによって
肉や野菜からうまみ成分が出てきて、おいしく仕上がります。

レストラン料理では、見た目も大切ですから、
野菜 や 肉は、
必要最小限に抑えて、色添えみたいな役割となりますので

料理をおいしくすために
ブイヨン(出汁)やバター(油脂分)を 隠し味として使用して
仕上げるのではないでしょうか。

ところが、
ベルリン で 経験したことは、
スープ を作る際に ブイヨンやバターを使用しないで、
客 に 提供しているのです。

ですから、
我々の世代 が 経験した 小学校の給食 の まずい料理 と 同じようなもの が
提供されたのだろう と、思います。

60年近く前に
大学1年の時 に 南ドイツ から オーストリーに3週間ぐらい
バス旅行をしたことがありました。

その時に、
毎日 食事のたびに 炭酸系のリンゴジュースを支給されて飲んだのですが、
うまれてから初めて飲むリンゴジュース は、
最初 は 口に合いませんでしたが、

毎日飲むうちに、おいしさが分かってきて、
今では大好物の一つとなっています。

このように、
最初は 口に合わなくとも、
飲んだり食べたりしているうちに 味が分かってきて、
評価 が 変わることがあります。

ドイツ人 は、
ブイヨンの使わない料理 を 毎日食べているうちに、

それなりに おいしさを感じて
料理とは、こういうものだ と 思い込んで過ごしているのでしょう。

ですが、これは、
「繰り返しの歴史の国」であるドイツで生じたことであり、

「積み重ねの歴史の国」においては、
料理 を もっとおいしくする方法なないだろうか と、工夫 を 重ねる人 が 出てきて、

試行錯誤しているうちに、
ブイヨン を 加えると、もっと料理がおいしくなる
と、気が付くのではないでしょうか。

数年前に、
ドナウ川クルーズを レーゲンスブルクからブタペストまで楽しんだことがります。

利用したクルーズ船は、
日本企業の 「ニッコウトラベル」(JALさんの子会社ではありません)さんの所有船で、
料理を担当してくだっさったシェフは、ルーマニア人とのことでした。

実は、家内が ドナウ川クルーズは一度経験したいけど、
ローヌ川クルーズと比べて 料理 が まずいのでは?
と、逡巡していたのです。

ところが、
実際には、毎日提供される食事は、素晴らしいもので、
日本人の団体だからと言って提供された日本料理は、
日本人が作ったのではと思えるほどの出来栄えでした。

「ニッコウトラベル」さんに聞いてみると、
シェフを日本に呼んで、日本料理を含めて徹底的に教育しているとのことでした。

なるほど、それでおいしい料理を提供していただいているのだな、
と、感謝したのですが、

出されるスープには、
ブイヨンは使用していないなと感じられました。

シェフも、プロの料理人ですので、
日本で教育する際に、
初歩の初歩であるブイヨンの作り方までは、
教程に入っていなかったのでしょう。

ですから、
ベルリンとはまるで比較にならないレベルの大変おいしいスープでしたが、

やはりルーマニア人は、
繰り返しの歴史の国の人だなと、感じた次第です。

 

フランスは、
「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」の人々が 半々の国ですが、
指導者層は、「積み重ねの歴史」に属する人でした。

例えば、
渡辺一夫先生は、16世紀後半の宗教戦争の時代
ユグノー(新教)、カトリック、ユグノーと対立した3派の指導者は
「積み重ねの歴史」の地域である北フランス出身者だったと記述されておられます。

フランスは、
クローヴィスがベルギーよりパリに南下して建国した国であり、
支配層は、「積み重ねの歴史の国」の人々でした。

フランス料理は、
16世紀フランス王家に嫁いだメディチ家がもたらした
イタリア料理より発展したもであり
フランス王の宮廷をはじめとるる貴族の城館において 発展した料理なのです。

それが、フランス革命により
宮廷や貴族の城館に雇われていたシェフが失業したため
パリなどの町に出てレストランを開業したため、庶民にもフランス料理が広まり
国民的な料理として発展し現在に至っているのです。


イングランドは、
ノルマンディーからフランドルにかけての人々が、
ルマンディー公ウィリアムに率いられてイングランドに侵入して
現在に至る イングランド史 が 始まりました。

ノルマンディー公ウィリアムが征服した直後の イングランドは、
支配階級のノルマン人と、
アングロ・サクソン人やケルト人、ローマ人の末裔からなる
被支配階級との間に画然たる差がありました。

言葉からして、
支配階級のノルマン人は、フランス語、
被支配階級の人々は英語を使用していたのです。

ですから、
支配階級にとりブリテン島の領地は、征服した植民地みたいなもので、
本拠は、ノルマンディーからフランドルの間の地域だったのです。

その後、
イングランド王家のヘンリー2世が、アキテーヌ女公アリエノールと結婚して
スコットランド国境からピレネーに至るフランスの西半分の膨大な地域を支配する
アンジュー帝国 を 構築したのですが、

ヘンリー2世の息子ジョン王が、
フランス王フィリップ2世に フランスよりイングランドに駆逐されてしまい、

ジョン王の後継者が、
フランス領土奪回のためフランスを百年戦争を戦ったのですが、
最終的にフランスに敗北し、
ブリテン島の王朝としての歴史を歩むことになったのです。


その後、
イングランド王が、革命により断頭台で斬首されたころもありましたが、

フランスのように 共和制になることもなく、イングランド王が存続したために、
宮廷や貴族の城館で雇われていたシェフが 失業して、
庶民相手にレストランで営業するようなことが生じなかったのです。

これが、
イングランド料理は、まずい料理である との評価になった 一番の原因では?
と、考えています。

イングランド料理のまずさを象徴する例えとして
「イングランドでおいしい料理を食べたければ、朝食を2回食べればよい。」
と、云われています。

イングランドの朝食は、おいしいとの定評があるのです。
このことは、
イングランド料理を評価する際のヒントになるのでは?
という気がしています。


イングランドで 本当においしい料理は、
おそらく 宮廷や貴族の城館で食されているのではないでしょうか。

宮廷や貴族の城館で働いていたシェフが、
失業することもなく過ごしてきたため、

町のレストランの料理レベルが、上昇しなかったことが、
イングランド料理は、
まずい との評価 が 定まった原因ではないでしょうか?


例えば、
ティーで提供されるお菓子は、上質なものです。

特に、
クロテットクリームとジャムをスコーンを付けたものは、

トースト に バターとジャムを付けたものよりも
数段上質たと思います。

このクロテットクリームとジャムをつけたスコーンを食していたのは、
城館に住んでおられた貴族ではないでしょうか。


ロンドンで駐在員をしていた友人から、
最もおいしい紅茶は、イングランドより輸出を禁止されていて、
英国人が独占している

と、聞いたことがあります。

また、
ある年の正月休みに訪れたエジンバラの駅前のホテルで食したスモークサーモンは、
生涯最高のスモークサーモンでした。

日本人の大好きなイチゴと生クリームのショートケーキの原型は、
イングランド料理だと聞いたことがあります。

思いつくままに、イングランドの料理について述べさせていただきましたが、
私は、本当のイングランドの最高の料理を知らないのだろう
と、想像しています。

彼らは、
外国人に知らせずに、
自分たちのインナーサークルで 最高の上質な料理を楽しんでいるのだろう
と、想像しています。

私は、そのごくごく一部 を
垣間見ただけのような気がしています。


イタリアは
繰り返しの歴史の国です。

ローマ帝国終焉後、
ゴート人やランゴバルド人に支配された後、
ドイツ人が、神聖ローマ皇帝をしてイタリア政策を実施するのだといって
イタリアを支配していました。

その間に
ロンバルディアでは都市国家が栄て、

フリードリヒ2世没後 ドイツ勢力が衰えると
イタリア人の民族の祭典というべき イタリア・ルネサンスという 民族の祭典 を
繰り広げたのですが、

イタリア中部より南は、
ローマ教皇庁が フランス勢力を導入した後、
アラゴンに支配される経験をしたのち、

最終的に、
ハプスブルグ家 が イタリア全体を支配することになり、

19世紀半ば、トリノの宮廷がイタリアを統一するまで、
外国に支配される歴史を経てきました。

ところが、
繰り返しの歴史の国であるイタリアが、
積み重ねの歴史の国の象徴でもあるフランス料理の母国だ
と、いうのです。

残念ながら、
この疑問に対する回答を現在のところ持ち合わせていません。

確かに、
イタリアは海に囲まれていて、新鮮な食材が豊富な国であり、
おいしい料理がたくさんあることは事実です。

また、
フランス料理のように凝った調理法ではなく、
新鮮な食材を生かした料理が多い感じもしています。

例えていうと、
フランス料理とイタリア料理の差は、

日本で言うと京(京都)料理と加賀(金沢)料理の差に相通じるものがあるのでは?
と いう気が しています。

でも、
ドイツでさえ、

「繰り返しの歴史」をそのまま体現する料理 を 現在まで引き継いでいるのに、

ドイツ以上に「繰り返しの歴史の国」であるイタリアが、
なぜ あのような料理 を 保持しているのか、についての説明 が 思いつきません。


敢えて推測すると、

ローマ帝国時代 に 料理の基本が確立して、
それが、
20000年近く保持されてきているのでは?
と いう妄想しか 思いつきません。

この問題は、
ローマ帝国が「積み重ねの歴史」なのか、「繰り返しの歴史」なのか、
の 問題 と 深くかかわっていますので、

私の人生に 残された時間を考えるとき、
これから取りかかるには 大きな問題すぎるな
と、現在感じていますが、
他方、いつかギボンのローマ帝国衰亡史を読んでみたいなとも願っていますので
ひょっとして 考えるチャンスが訪れることが あったらな と 願っています。


以上、ヨーロッパ諸国の料理にまつわる雑感 を
お話しさせていただきましたが、

私の雑感について
お付き合いくださり ありがとうございました。

 

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