EU

2022年12月20日 (火)

ウクライナ戦争 は、キューバ危機 の 裏返しでは?

ウクライナ戦争が、長期戦の泥沼の様相を呈してきました。

日本は、アメリカ の 同盟国 であり、
西側諸国の一員として、ウクライナを支持して 応援していますが、


歴史を見る目から見て どうなのか について
気になり、開戦以来考えてきました。

今回は、日本の立場から離れて、
歴史的視座から ウクライナ戦争を評価するための私が考える論点について
お話しさせていただきたいと思います。

本論に 入る前に 申し上げておきたいことは、

今回のブログが、
ロシアのプーチン大統領を擁護するものではないこと
を ご理解ください。

プーチン大統領 は、
今回の戦争 を 開始した 張本人であり、
その責任 を 免れることは あるはずがありません。

この意味から、
プーチン大統領は、歴史上何人も登場した 
悪人の系列に属する 政治家 でしょう。

ですから、
ウクライナ戦争 は、
ワル(悪、悪人)が 始めた戦争 である というのが、
私の評価の出発点です。

 

     **********

 

 

今回のウクライナ戦争を考えるとき、
キューバ危機と何が違うのかということが、頭をよぎります。

キューバ危機は、

ソ連のフルシチョフ首相が、
キューバ に ミサイル基地 を 建設して 核兵器 を 持ち込もうとしたときに

アメリカのケネディー大統領が、

1.アメリカの裏庭である キューバ に
  核兵器 を ソ連 が 持ち込むことは許さない

2.ソ連が 現在キューバに向かっている ミサイルや核兵器の運搬船を
  即刻 ソ連に引き返すように要求する・

3.もし、ソ連が、キューバに向かっている船を引き換えさせなければ
  アメリカは、実力で、ソ連のキューバに向かっている船を阻止する。

4.ソ連戦を阻止するにあたっては、ソ連との核戦争も辞さない。

このニュースに接して、

ソ連が引かなければ 核戦争になり、
世界が 終末 を 迎えることになるのでは?

と、大変なことがこれから起こるかもしれないなと感じたのでした。


今回、プーチン大統領の主張の一つに、
国境を接するウクライナ に、NATO が 核兵器を持ち込んで
ロシア を 脅かそうとしているので
戦争もいとわないで 断固として 阻止する。

戦争になれば、核兵器の使用もいとわない。
と主張しています。

これは、
ケネディー大統領の主張と全く同じ主張ではないでしょうか?

キューバ危機の際に、
ケネディ大統領は、こぶしを振り上げて、
核戦争も辞さないと 後に引けない態度に出ましたが、

ソ連が、
アメリカの要求をのんだことにより、こぶしを下すことが出ました。

今回のプーチン大統領も ケネディ大統領と同じように
核戦争も辞さないと こぶしを振り上げたところまでは同じなのですが、

キューバ危機のような態度を
バイデン大統領のアメリカが取らずに、

逆に 日本から見ていると
プーチン大統領に戦争や核戦争をけしかけているのでは?
と思える態度を取ったことにより

プーチン大統領は振り上げたこぶしを下すことができなくなり、
戦争に突入してしまったのでは と 感じられます。

要するに、
キューバ危機の時は、
キューバ危機を引き起こした張本人であるソ連のフルシチョフ首相が、

ケネディ大統領の逆鱗に触れて、
しっぽを巻いて キューバへの船をソ連に引き返させたので
戦争にならずに、危機で終わったのですが

今回は、こぶしを振り上げたプーチン大統領を

戦争させようと
アメリカ が あおったために 戦争が勃発した
との見方も ありうるのでは?

との考え方も 成立し得るのでは
と、感じられます

このような違いが生じた一つの要因は、

フルシチョフ首相が、
自分の判断ミス(軽く考えて)で
戦争の瀬戸際の政治情勢をもたらしたのに反して、

今回のバイデン大統領は、
冷戦終了以降 の アメリカが主導する NATO の 東方拡大の政策により
生じた結果処理を、担当するめぐりあわせになっただけであり、

いわば 他人の行った 他人事 の しりぬぐい をさせられたことと
バイデン大統領 を 支援している人々の利害 を 優先した結果、

戦争に誘導したのでは?との推測 も
成り立つような気がしています

ウクライナ国民の命や、
核戦争になれば 世界中の人々の生命に影響する戦争である
との認識に至らず

アメリカの大統領の資質もない 三流の政治屋であることの
馬脚をあらわてしたのでは?

という感じがしないでもありません。


これは、戦争勃発前 に

戦争になると、
ソ連からドイツへのガス用海底パイプラインが
使用できなくなる(爆破する?)
と、発言をし、

国務省の高官も 同趣旨の発言をしたと報道されていることからも、
推測されるのでは?と感じられます。

これは、
見方であるドイツ国民の生活や 場合によっては生命も
無視すると 表明しているのではないでしょうか?

(注)アメリカが パイプラインを破壊した
   といっているのではありません。

   バイデン大統領が、
   戦争になれば パイプラインも破壊される
   との認識を持っていて

   政治決断する際に その影響を無視していたこと
   (言い換えると、
    本気になって戦争を回避しようとしなかったこと)
   が、問題では?
   と、疑問を呈しているのです。 

現時点で、ウクライナ戦争は、
アメリカを先頭とするNATOとロシアの戦争の様相を
呈しているのではないでしょうか。

戦況は、
ロシア側が不利のような報道されていますが、
アメリカの武器庫の在庫も払底し始めている
との報道もありますので、

お互いに とことん戦った結果、どのような結末になるのか、
結果を見なければならないと思われます。

ウクライナという日本から遠い外国で行われていることについて
一つ一つの出来事を 詳細に知ることは不可能であり、

戦争が終了して、歴史となった時点で
歴史の法廷において 徐々に 真実 が 昭名になってくるもの
と、思います。


プーチン大統領が 悪(ワル)であることは、
ほぼ間違いがないことともいますが、

ワルの相方が、
無条件で善だとは限らないことを承知すべきでしょう。

今回のウクライナ戦争は、

ワルと善 の戦いなのか、

それとも
ワル と ワルの 戦いなのか、

はたまた、
ワルと極ワルとの戦いなのか

歴史の法廷 において 明らかになるまで
生きていたい と 願っています。


 

 

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2022年10月30日 (日)

歴史における現在 再々論

20年近く前に、ホームページに、
ブッシュのイラク戦争(「歴史における現在」)との拙文を掲載しました。

ブッシュのイラク戦争(「歴史における現在」再論)

そこでは、
1.1990年頃
  約500年間にわたる「国民国家の歴史」が終了し、
  歴史 が、
  「地域共同体」を経て「世界連邦」に 新たな歩みを始めたのが現在である。

2.今後の歴史の障害要因は、
  「民族問題」と「強盗国家」であろう

3.ブッシュ(ジュニア)大統領が、イラク戦争を始めたので、
  「民族問題」と「強盗国家」に加えて

  「覇権国家(アメリカ)」が、
  歴史の阻害要因として浮かび上がってきたので追加する

  と、記述させていただきました。


その後、時間の経過とともに、
「覇権国家」の歴史への阻害要因の具体的な内容についての認識
が、深まってきましたので、

今回は、
この点についてお話しさせていただきます。



          **********



ブッシュ大統領(ジュニア)在任中 に
ネオコン が、一躍有名になりました。


ネオコンのイデオローグ  フクヤマ氏の
「歴史の終わり」(上、下 三笠書房)を、
一言で要約すると、

「リベラルな民主主義の実現により、歴史が終わる」
「歴史を終わらせるのが、我られの責務である」
と、いうものです。

フクヤマ氏の歴史に対する見方は、
当時 冷戦終了後のアメリカの覇権実現した宣言と
感じられましたが、

すぐに、少し首を傾げ始めました。

というのは、
歴史というものは、 人類の活動の集積に対して
歴史を研究する 歴史家は、
それぞれの立場から分析し、
その見解(仮説)を 表明するのが 歴史学なのです。

原水爆戦争により 人類が滅亡しない限り、
人間の活動が続くことから 
歴史の終わり というものは ないのです。

歴史が終了するとの考え方ですぐ思いつくのは
ヘーゲルの歴史哲学です。
ですから、欧米の歴史家は、ヘーゲルに影響されて、
歴史が 何かを達成したらそこで終了する
との考え方を 持たれる方が、おられます。

例えば、
20世紀最高の歴史家 と 私 が、評価する
エ・H・カーさん も その一人です。

また、逆に
ヘーゲルに反対する ランケ みたいな歴史家 も おられます。

ヘーゲルは、
「自由の実現により 歴史が終了する」と 主張しました。
この考え方を受け継いで 人類に大きな影響を及ぼしたのが、
マルクスです。

ヘーゲルの哲学の承継者が、
左派では、ヘーゲル、
右派では、ネオコン(フクヤマ氏「歴史の終わり」)
と、言われている
と、どこかで読んだ覚えがあります。

(注)ネットでは、
   ネオコン(フクヤマ氏)は。トロキストの系譜を受け継ぐ人物
   と、解説する見方を述べている方もおられました。

ブッシュ大統領(ジュニア)の任期終了後、時間の経過とともに、
アメリカを支配しているのは、ディープステートである
との 見解が 主流を占めてきて、

現時点、アメリカでは、
トランプさん以外の 政財界、官界、司法、軍など
すべての支配層全域で、ディープステートが、 リード、支配している
との見方が、大勢を占めているような気がします。

率直に言い換えると、
ディープステート が、アメリカ を 乗っ取った状況である
と、いっても 過言ではない状況 では?
との感じを 持っています。

しかも、
ネオコンとディープステートが、同一のものである
との言われるようになったような気がします。

現在のバイデン政権は、左派がリードしていて、
ブッシュ大統領(ジュニア)などの共和党とは、
異なるとの見方もあると思いますが、

共和党(ブッシュ大統領(ジュニア)を含めて ライノといわれる人々)は、
民主党と共に 愛国者である トランプさんに 対峙していますが、


彼らは、
ディープステートの一員であると考えるべきでは?
と、一般に考えられています。


ヘーゲルの歴史哲学は、
どこから由来しているのでしょうか?

私は、
キリスト教の黙示録から由来しているのではと考えています。
詳しくは、下記のブログをご覧ください。

ヘーゲル「歴史哲学」における進歩史観やマルクスの史観は、キリスト教終末論のパクリでは?


キリスト教は、
「繰り返しの歴史」に属する宗教ですので、

「積み重ねの歴史」が 500年かけて 終了させた 国民国家の歴史とは
全く異なる歴史に基づいているものなのです。

私は、「積み重ねの歴史」が、
1571年 レパントの海戦以降 「繰り返しの歴史」を 実力で勝利して
二つの歴史の勝敗は、当の昔に決着していると考えていました。

「繰り返しの歴史」が、
「積み重ねの歴史」に対抗できないのは、

「積み重ねの歴史」は、
工夫を重ねて 技術 を 独自に 進化させることが できる のに 反して

「繰り返しの歴史」では、
工夫を重ねて 技術を 独自 に 進化すること が できず、
精々 「積み重ねの歴史」の成果物を 模倣して
それらしいものを製作するしかできないからです・

例えば、
中共が、
軍事予算を年々増加して 軍事大国になってきて脅威である
と、一般に流布されていますが、

最近、タイと中共が 空軍同士の演習をしたところ
タイに敗北認定を受けたと報道されていました。

タイも、「繰り返しの歴史」の国であり、
戦闘機をヨーロッパより購入したとのことですが、

タイが、
ヨーロッパより購入した 中共の戦闘機より旧世代の機体にもかかわらず、

中共が、
最新鋭と称する戦闘機 に 勝利判定を獲得したのです。

中共は、
ロシアから技術導入し、
アメリカよりハッキングなどで 技術を盗用して
最新鋭と称する それらしい戦闘機 を 製造したのでしょうが、

自らが、開発した技術に拠らず、他人の戦闘機を 見よう見まねで制作した機体は、
やはり 何らかの欠陥 または、本物には及ばない何か が あったのでしょう。

このように
「繰り返しの歴史史」は、
「積み重ねの歴史」に競争して対抗することは不可能であると考えていたのですが、

ここにきて、
「繰り返しの歴史」に属するディープステートが力をつけてきて、
アメリカを支配するようになった現実を勘案すると、

一言で申し上げると、
「積み重ねの歴史」に対して
200年来「積み重ねの歴史」に同居してきた
「繰り返しの歴史」に属する人々が、

「積み重ねの歴史」に対して 復讐 を開始したのだな、
(「積み重ねの歴史」を 乗っ取って 自らの天下を入手しようと
 し始めたのでは?)
と、感じられます

ですから、
今後 数十年間 は、「積み重ねの歴史」は、
「繰り返しの歴史」からの復讐である ディープステートの克服 に
精力 を 費やされるのだろう

と、考えるようになりました。

従って、
現時点における「歴史の現在」について ご説明させていただくとすると、

1.人類の歴史は、
  国民国家の歴史から 地域共同体を経て、世界連邦への歩みを
  着実に進めるであろうけど

  国民国家の歴史が、
  成立まで 1200年から1400年代後半までかかり、

  その後、500年間継続したことを考えると、
  この歩みは、数百年単位の経過を必要とするであろう。

2.当面 歴史の表面に現れるのは、
  国民国家の愛国者が、
  来るべき地域共同体において 自分の国が しかるべき地位を
  確保しようとして

  一見歴史を逆行するような
  自分の国を強化し、国際社会において 優越的な地位を確保しようとする
  愛国政治家が現れるであろう。

  この意味で、
  トランプさんのMAGA運動や、
  フランスのルペンさんのような政治家が、
  上記に属するような政治家、人物であり、

  今後も、このような人々が、 何人も 現れる と、思われます。

3.2.と共に 表面化するのは、

  「積み重ねの歴史」の中に存在する「繰り返しの歴史」に属する人々の
  「積み重ねの歴史」に対する復讐 だろうと考えます。

  「積み重ねの歴史」の中に存在する「繰り返しの歴史」の人々とは、
  ローマ以来 欧米人と一緒に暮らしてきた 「繰り返しの歴史」に属する人々です。

  具体的なこうほとしては、
  東欧の人々、ユダヤ人 が 思いつきます。

  フランスやイングランドにも、
  「繰り返しの歴史」に属する人々が 存在すると思いますが、

  500年にわたる「国民国家」の歴史の中で、
  「積み重ねの歴史」のるつぼの中で 同化されたと想像しています。

  私が、東欧の人々とユダヤ人だろうと思ったのは、
  ヨーロッパは、人種差別の激しい地域だからです。

  これまでの歴史で、屈辱的な経験をしてきた人々が、
  今までのうっ憤を晴らそうと 行動し始めることは
  理解できます。
  
  ヨーロッパが 差別社会である 例としては、

  1.ジョコビッチが、
    ご自身のの健康上の理由から コロナワクチンを接種していなかったので

    全豪オープンに招待されたのにもかかわらず、入国 を 拒否されました。

    これは、
    私には、ヨーロッパ人の人種差別の表れの一端 が、
    垣間見られたような気がします。

  2.また、F1のセナが、
    人種差別 で いい加減 我慢がならなかったところに
    ホンダが、才能を認めて 差別なく一緒に仕事をして
    チャンピオンになりました

このように、
ヨーロッパやアメリカでは、
1級国民と2級国民の間に 格別とした扱いの差があるのです。

突然 このようなことをお読みになって
びっくりされている方もおられるかと思いますが、

例えば、
WASP(白人、アングロ・サクソン、プロテスタント) が
アメリカの最上級国民だということを思い起こしていただければ
ご理解いただけるのでは、という気がしています。

ディープステートを 裏で動かしている人々
言い換えると
「積み重ねの歴史」に対する「繰り返しの歴史」の復讐 を
裏で指令している人々 について、
現在明確に特定されていませんが、

「積み重ねの歴史」の歴史と共に歩んできた
ヨーロッパの「繰り返しの歴史」に属する人々という観点から
推定すると、

先ほど述べたように、
長い間差別されてきた 東欧の人々とユダヤ人が 浮かんできます。

私は、
ユダヤ人の可能性が高いのでは?という気がしています。

理由は、
1.「積み重ねの歴史」に貢献して 名を遺した人々が 多数存在すること
2.ロスチャイルド、モルガン、ロックフェラー など
  豊富な資金を有する人々が 存在すること
3.キッシンジャーさんなど、
  現在アメリカで影響力を保持するユダヤ人が何人もおられること

ユダヤ人は、
個人として「積み重ねの歴史」において多大な貢献をしてきましたが、
あくまで個人の才能によるものであり、

民族としてのユダヤ人が、
「積み重ねの歴史」に貢献することはありませんでした。

ユダヤ人 は、
従来から、政治の裏側で、影響力を行使していたのだろうと思いますが、

2020年のアメリカ大統領選挙で、2016年のヒラリー候補に続いて
バイデン候補も トランプ大統領に敗北しそうな状況に直面して
従来裏方だった人々が  表面に登場するようになりました。

しかも、
登場の仕方が、非常に暴力的で、アウトローの行状であり、
バイデン政権が 登場してからのこの2年間は、
アメリカを貶め、破壊しようとしているような政策が表面化して、
今まで 存在すら不確かだったディープステートの存在が
露になってきたのです。

動画では、
グローバリストは、
自分の利益のためには、何でもすると非難する方がおられますが、

私には、
バイデン大統領をはじめとする ディープステート や
EUの政策を見ていると

彼らは、

19世紀の帝国主義者の後継者であり、
「積み重ねの歴史」の経過するにつれて 実現するであろう
地域共同体を担う人々とは、本質を異にする人々

即ち
「繰り返しの歴史」に属する人々であろう
という気が、しています。

広義 と 狭義 の 2つのグローバル化 について


いずれにせよ、バイデン政権の登場により、
今まで後ろに隠れていて、存在が不確かだったディープステートが
白日の下にさらされつことになったのです。

現時点では、依然として
ディープステートを支配している人の正体が不詳ですが、

ディープステートの存在とその行動が 露になった点で
バイデン政権の貢献が大きかったというべきでしょう。

バイデン大統領は、不思議な性格を持つ人物です。
普通 犯罪行為を行った人間は、 それを隠すものですが、
バイデン大統領は、それを自慢されるのです。

例えば、
2020年の大統領選挙の際に
今までにない犯罪組織を作り上げた と発言されておられると
ネットで報道されました。

また、
副大統領時代、ウクライナに赴いて、
アメリカの援助が欲しければ、検事総長を首にしろと脅して
実現させたと自慢する動画がありました。

民主党が、トランプさんを
ウクライナに内政干渉したと攻撃しているのに

自らが 内政干渉したと自慢するのは、
私の理解 を 越えています。

更には、
最近 バルト海のロシアからドイツへの海底パイプライン が
破壊されましたが、

ロシアがウクライナに侵攻する前に、
もしロシアが戦争を始めたら、海底パイプラインが機能しなくなる
と、爆破の予告ともとれる発言をした と、報道されています。

このように、
日本で一般に報道されているのとは異なる発言をされておられることを踏まえて、
歴史の推移を見るべきだと考えています。


以上、
ブッシュ大統領(ジュニア)時代に感じた 覇権国 アメリカの 危険性について
時間の経過とともに 私なりに理解したことをお話しさせていただきました。

歴史認識について 少しでも参考になれば 幸いです。


ご参考までに、「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」について
過去にアップロードしたいくつかの文章を リンクさせていただきます・

私の歴史の見方に対して ご興味がおありの方は、ご覧いただければ幸いです。

 

「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」

「積み重ねの歴史」で 積み重ねられるもの

「歴史哲学講義 上、下」





  

  

 




 

 

 





 

 

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2022年4月19日 (火)

トランプ大統領は、「本当は 大統領になってはいけない人間だった のかな?」

ウクライナでの戦争が勃発した頃、
友人から

トランプ大統領 は,
「本当は、大統領に なってはいけない人だったのかな?」
とのメール を いただきました。

長年の友人であり、本音で会話をしてきた友人なので、
「マスコミしか 情報源のない人 の 事実から 遮断されている人 の 言ですね」
と、思わず書いてメールしてしまいました。

今回は、
「何故、このように考えたのか」
「国民国家から地域共同体 を経て 世界連邦 に 歩み始めた歴史 の 現在」
について、
皆様に、お話しするのも 意味あることでは?
と 考えて、

友人へのお詫びかたがた、
現在の歴史段階についての 私の見方、

更には、
最近勃発した ウクライナ戦争の根底に横たわる と 考えられるもの
について、お話しさせていただきます。



    * * * * * * * * * *



1.1990年ころに、
  約500年間続いた国民国家の歴史が終了して、
  地域共同体から世界連邦への歴史が 歩み始めた
  と、考えています。

「積み重ねの歴史」
(北フランスからベネルックス諸国 よりイングランド、更にはアメリカ
 の地域 と 日本)
の 諸国 が、

「繰り返しの歴史」(「積み重ねの歴史の国」以外の国)に 勝利して、
チャンピオン決定戦となり、

決勝トーナメントだった
第一次大戦、第二次大戦 に 勝ち残った アメリカ と ソ連 が、

チャンピオン決定戦である冷戦(第三次大戦)を
約半世紀 戦って、
アメリカが最終的に勝利したのが 1990年ころでした。

熱戦
即ち
米ソの直接対決にならず、

冷戦という
中国の国共内戦 から始まって アフガニスタンに至る
代理戦争による消耗戦になったのは、

米ソともに 原水爆を保有して、
米ソ両国共に 直接対決すると、世界の破滅であることを
流石に理解していたからだろうと思います。

勝利したアメリカも、
単独で世界を支配する力がないことは、勝利後すぐに 明白となり、


歴史は、
新たな歩み、
新たなステージでの 歩みを 始めたのです。

決勝戦に出場した
アメリカ も、ソ連も、

国民国家ではなく、地域共同体、

言い換えると
連邦制 の 国家組織 でした。

これが、
「積み重ねの歴史」の源であった
米ソと比べて 規模の劣る 国民国家だった
ヨーロッパ諸国 や 日本 が、

準決勝で敗退した原因でした。

また、
国民国家の歴史を大転換させ、国民国家の歴史を終焉させた
一番の原因 は、

「技術の進歩」により

経済管理単位 や 政治管理単位 が、
即ち
社会の「管理単位」が、

国家レベルでは 収まらなくなり、
より拡大した地域を管理単位をせざるを得なくなったことが
根本原因です。

例えば、
日本が 「失われた30年間」と言われ、
GDPが伸び悩んで、あとから日本を追いかけていた 中共 に 追い抜かれた
と、よく聞きますが、

これも、
経済の管理単位が拡大した結果、
言い換えると
日本国内に収まりきらなくなった日本経済が、
外国にまで拡大した結果

日本国内だけ見たら、
停滞しているにすぎなかったからです。

何故このようなことが生じたのかというと、
従来、日本国内に立地していた工場が、
競争力を維持するために外国に移転していったからです。

例えば、
トヨタさんの生産台数は、

1990年代頃は数百万台だったのが、
現在では1000万台レベルまでに 飛躍的に増加しています。

このように、
個別企業レベルで見ると、

もし、日本経済が拡大して 需要が増加しても

外国 で 増設した工場の 生産を増やして、
外国から 日本に 製品を持ち込んで、日本の国内需要 を 満たす体制
を 構築しているのです。

ですから、
日本の需要に対して、日本プラス外国の生産(供給)を見たときに、

供給 が、常に 国内需要を 上回っているで、
日本の物価が上がらず、GDPも足踏みをした結果となったのです。


でも、
何故かしら、日本は豊かな国となりました。
経済が停滞しているのに、豊かさを実感するようになったことを、
不思議 と 思われませんか?

世界一の債権国となり、
外国への援助 や 国際協力の規模 も、

私が若い頃
数億円から 精々 数百億円 だったものが、

現在では、
平気で 数兆円規模 に 拡大しています。


われわれの日常生活も、
豊かになったと感じられていませんか。

例えば、

私の若い頃
エアコンは、一家の1台あるのが普通でしたが、

現在では、
各部屋に1台設置されておられる家庭 が
増えておられるのではないでしょうか。

車も、高根の花で、
「いつかはクラウン」とのPRフレーズ (キャッチフレーズ)が
広まりましたが、

豊かになった現在の日本では、
クラウンも一つの選択肢であるとともに、

高根の花だったクラウン自体の生産 が、
終了しようとする時期を迎えています。

これは、
豊かになった日本の需要のレベルが上昇して、
いろいろな選択肢 を ユーザーが持てるようになった結果
はないでしょうか。

以上お話ししたことが、

ネット を 拝見していると、
以上でお話しした視点からの議論や研究が
経済学者の皆さんから、聞こえてこないような気がしています。

90年代に
メガ・コンペティション(大競争の時代)
経済のグローバル化
と 喧伝されたのが、最近 ほとんど聞かれなくなったのは、

一時 の 流行言葉(はやりことば)だったのだろう、
本当に90年代に歴史が大きく動き出したことを 理解していなかったのだな、
と、皮肉を込めて 最近の世の中の動きを見ています。

このように
管理単位が拡大しているのに
いつまでたっても 日本という国民国家 を 単位 で 議論されておられるのが、
不思議でなりません。

30年前に、私が
「歴史が、500年間の国民国家の歴史が終了して、
 地域共同体を経由して世界連邦への歩みを始めた。」
と、申し上げても、理解される方が、私の周りに 一人 も おられませんでした。

このように
歴史への感度が低い方が、経済学者となっておられて、
学校で 学んだ 知識 を 糧 に 毎日を過ごされ、生活されておられる結果

いつまでたっても 日本国内のGDPだけを見て、

失われた30年 と 日本を卑下し、貶める議論ばかり を
「意図的に」に展開されておられのでは?
と、つぶやいています。

「意図的でない」としたら、
「馬鹿丸出し」ということになりますので、

子供の時から大秀才として自他ともに認めて、
周囲から ちやほやされて育った経歴の方が、
学者の大半の方でしょうから、

まさか そういうことは ないだろう
との前提で、お話しさせていただきました。

いずれにせよ、
門外漢の私には、経済学は、需要と供給に関する学問
と、思われますので、

これからの歴史の歩みにおける下での 需要と供給について

言い換えると
管理単位が、従来の国民国家より拡大した世界における
需要と供給の関係について、

および
今後の内外(日本と外国や国際機関)の
経済政策 と 国際関係(外交)の在り方について

ご説明していただける学者の方が
登場されることを 期待しています。




2.トランプ大統領を生み出した 歴史的必然性


先ほどから、

国民国家の歴史より 地域共同体、世界連邦への歴史の歩みが始まった
と、申し上げていますが、

歴史 が、大転換しても、
その時点で
大々的に看板などにより 周知徹底されるわけでは ないのです。

歴史の転換 というものは、
あとから気が付いたら、あの時転換していたな
と、気が付く類 の 性格のもの なのです。

1990年代当時、
先ほど申し上げたように、
メガコンペティション、
経済のグローバル化 など と
喧伝されましたが


詳しく調べたわけではありませんが、
これらの経済現象が、

歴史 が、500年単位の時代が終了して 大転換した結果である
との認識は、一般には 全くと言ってよいほど ありませんでした。

ですから、
経済のみならず 政治の世界においても、
従来通りの 感覚 や 考え方 で、社会 が 運営されてきたのです。

でも、歴史は、
確実に 転換して 国民国家より地域共同体への歩みを始めているのです。

この歴史状況下において、
例外的な政治家として 頭角を現した のが、
トランプ大統領だ と 考えています。

トランプ大統領を、来るべき歴史の担い手である
と、評価しているわけではありません。

逆に、
歴史に逆行するナショナリストの政治家
歴史 に 棹(さお)さした政治家 として、

後世で評される政治家だろう
と、考えています。

というのは、
歴史への感覚 が 鋭い政治家だけが、

無意識にしろ、無自覚にしろ
来るべき地域共同際の世界 を 感じることができるのだろう
と、思います。

その歴史への感覚 の 鋭い政治家 は、
歴史の歩み を 感じるゆえに、または、感じる能力があるが故に

来るべき地域共同体の社会(世界)
において、

自分が属する国、自分がリードする国が、
しかるべき地位、

言い換えると
地域共同体をリードする地位

になるように もっていきたいい
と、考えて、行動 を 開始するのです。

そのためには、
現在政治を担当している国が、
ライバルの諸国の中で 際立った存在 と なっておらねばならない
と考えるのだと思います、

ですから、
表面に現れた 地域共同体 への動き
例えば、EU や TPP に 反対する政治行動 を とるようになるのです。

従って、

その他大勢の、凡庸な 私利私欲を追求するために
政治 を 生活の糧、生業(なりわい)としている 人々

現在の社会潮流 に 漫然 と 流されているような 人々
に とっては、

理解のできない政治行動をとるのです。

これが、

トランプ大統領が、
歴史の動きに敏感で、無自覚にせよ 目覚めているが故に

同僚の政治家 や 大手マスコミ から
集中砲火を浴びる原因だろう

と、思います

即ち、

自分の指導する国 の 利益 が、
仲間の国(友好国)よりも 優越するため の 政策、

トランプ大統領に即して言うと、
MAGA(Meke America Great Agein)が、

まさに その表れ と いうべきだ と 思います。


アメリカ合衆国は、

現在でも、
世界 で 唯一 の 地域共同体からなる国家 ですが、

トランプ大統領 の 政策 は、
いくつも地域共同体 が 存在し、並列するようになっても、

その中において
アメリカ合衆国 が、リーダーシップ を とり続けることのできる国(地域)
であるために、
アメリカ合衆国 を 強化するための政策 だったのだな、

と、後の世で 評価される政策なのだろう
と、思います。

トランプ大統領 が、
TPPより脱退したのも、この現れではないでしょうか。

即ち、
現時点で、アメリカ合衆国が、

日本や環太平洋諸国と、経済面で競争するのは避けた方が、得策である
(あけすけに言うと、
 正面から勝負すると 負ける可能性が大であり、
 アメリカのリーダーシップ、国益 を 損ねることになる)

と、判断されたのでしょう。

このように、無意識、無自覚にせよ
来るべき 将来(社会)において、
自分の国に しかるべき地位 を 確保しておこう
と、考えて

時代の流れに 一見する と 逆行する政治家が、現れ始めたことが、
歴史が地域共同体の世界に向けて 歴史が、
歩み始めたことのあかしであろう
と、考えています。


国民国家の歴史が、
1200年頃 歩みを開始してから
1490年代に 現実の国民国家の歴史として確立するまでに、
約300年 かかりましたし

その後、500年間 国民国家の歴史が継続しました。

このことから推測すると、

地域共同体としての歴史が はっきりとした姿を現すまでには、
数百年単位の時間 が 必要だろう

と、想像していますので、

来るべき時代の担い手となる政治家像を、
明確にお話しすることは、現在の私にはできませんが、

トランプ大統領のような

歴史の歩みに 一見すると 逆行するような政治家 が 現れた ことこそ が、
地域共同体の世界 に 向けて
歴史 が 歩んでいるあかしだ と、考えています。

もし、フランス の ルペン氏 が
今回のマクロン氏との再選挙で勝利して、フランス大統領に就任されておられたら、

トランプ大統領 と 同じような政治路線

即ち、
フランス を 偉大な国 にして 
ヨーロッパ の リーダー国としての地位 を 確立しよう

と、されたのでは ないでしょうか。

また、
英国 の ジョンソン首相 も
本質は、このような系譜に属する政治家だろう
と、考えています。

(現在 バイデン大統領の子分のような政治活動をされておられますが、

 これは、
 英国 の 現在の力、国際政治における立場 を 考えて、
 不本意ながら 政治判断をされておられるのでは?

 と、推測しています。

 ちょっと、甘すぎの評価とのご批判 を 受けることを、自覚していますし、
 甘んじて受けさせていただきたいと考えてえいます。)


ですからですから、

「積み重ねの歴史」のリードする 英米仏 三国 において、

トランプ大統領 が
2024年の大統領選挙で 復活して、
英国 ジョンソン首相 や フランス ルペン氏 と
タイアップしながら、競い合って 世界がリードする世界

言い換えると
共演しながら、しのぎあう世界 を、
生きているうち に 見ることができればな
と、願っています。 



3.「繰り返しの歴史」による 「積み重ねの歴史の国」への復讐
   ・・・ウクライナ戦争 を 生み出した 根本原因 について(仮説)・・・


1990年代に歴史が大転換して 30年ほどたった現在、
歴史の底流でうごめいていると思われる もう一つの現象 は、
「繰り返しの歴史」からの反撃、復讐です。

「繰り返しの歴史」による反撃は、2つの方面から現れました。

1つは、
アメリカで、トランプ大統領が出現した結果
それまでは、裏からアメリカを支配していた ディープステートが、

トランプ大統領への反動という形で
政治の表舞台 に でてこざる を 得なくなり、
その存在が、だれの目にも明確に認識されるようになりました。

2つ目は、
中共が台頭してきて、アメリカと覇権争いに名乗りを上げていることです。

(注)中共について、
   敢えて中国とは記載せず、中共と記述させていただきます。

   中共は、
   中華人民共和国を支配している政党であり、

   国共内戦は、支那本土で敗北した 蒋介石 が
   台湾 に 逃げ込んだため、現在においても決着がついていないので

   中共が支配する国が、支那を代表する国家 即ち 中国ではない
   と、考えます。

   習近平さんが、
   台湾 を 虎視眈々 と 狙っていること自体が、その表れだ と 思います。

   従って、中共を、
   中国共産党 と 中華人民中華共和国 の 両方 を 表す単語 として
   使用させていただきます。

支那(China)は、典型的な「繰り返しの歴史の国」です。

ですから、
「積み重ねの歴史の国」のように、

三大発明みたいなもの は、あったものの
自らの工夫に基づいて 技術 を 前進させることができませんでしたが、

でも。
広大な国家からなる中華帝国の盟主でしたので、
プライドだけは、非常に高く、

周辺の国 を 見下して、
朝貢をさせては 米つきバッタのように服従させる歴史
を 繰り返してきました。

ですから、
帝国主義時代になり
「積み重ねの歴史の国」により、覇権 を 掌握されて、

戦争に敗北し、屈服せざるを得ない状況 になったときの屈辱感 は、
第三者には、窺い知れないものがったのだろうと思います。

中共 が、
政権奪取し、外国から技術を導入して、

見よう見まねで、それらしい体裁の国家 として整えて、
アメリカ に 対抗できる 大国 に 復活したと 自負し、誇示していますが、

内実は、
相変わらず張子の虎 であり、実質 が 伴わっていない
と、思われます。

経済が発展し、世界の工場と誇っている のも、
安価な労働力と膨大な人口による潜在的な市場の魅力に引き付けられた
積み重ねの国を中心とした 投資によるものですし、

彼らが誇る新幹線についても、
日本をはじめとする外国の技術を持ってきただけのものです。

驚異的なGDPの成長率を 誇っていますが、
成長率を支えているのが、
全国で膨大な数の膨大な数の住宅建設です。

(住宅 を 建設すれば、GDP は 増加しますが、

 全く利用しない住宅は、いつの日か撤去せざるを得なくなるので、
 GDPに実質的な寄与はないと考えます。)

彼らが誇ることができるのは、
ハッキング技術をはじめとしたパクリの技術ではないでしょうか。

中共は、
数千年来の「繰り返しの歴史の国」であり、
新たなものを 生み出して 育てていく能力 は、
一朝一夕には 構築できないこと を 理解すべきだと思います。

いずれにせよ、
いつの日か 生じるであろう 中共による 台湾侵攻 により、
虚勢を張っているだけなのか、どうか、
彼らの真価 が 露になる と 思われます。

注)中共により台湾侵攻 が、
  簡単に 撃退して、侵入を阻止できる
  と、考えているわけではありません。

  中共が、本腰を入れて台湾を攻撃して来たら
  今回のウクライナ戦争を上回る 深刻な事態になることを
  覚悟しておくべき だと 思います。

  ですから、ここで申し上げたいのは、
  中共 と ディープステート を 比較した時、

  アメリカ を 乗っ取った ディープステート が、
  中共 の 何倍も 力を 持っているだろう、

  ディープステートがもたらす影響の深刻さ に おいても、
  中共とは 比べるべくもないだろう

  と、考えていること を
  ご理解いただければ 幸いです。



従って、
当面 今後の歴史で重視すべきは、

 

中共ではなく


「積み重ねの歴史」に鍛えられ、育まれた
ディープステートによる復讐 を

注視すべきでは?と、考えています。

ディープステートは、

現在
アメリカ の 支配権 を 入手し、

ヨーロッパでは、
NATO を 東欧に拡大して、ウクライナまで迫り

ロシアを挑発して ウクライナ戦争を勃発させ、
世界大戦を引き起こそう と、

人類の脅威 としての本性 を 見せ始めています。


ところで、
ディープステートとは、何者なのでしょうか?

私も、確たる事実をつかんでいるわけでないので
確言はできませんが、

以前から、ユダヤ人ではないだろうか
と考えてきました。

主な 理由 は、次の通りです。

① ユダヤ人ぐらいしか、
  「積み重ねの歴史」に 対抗し得る
  「繰り返しの歴史」に 属する民族 を 思い当たらないこと。

  ユダヤ人が優秀な民族であることは、自他ともに認められています。
  また、資金力に優れています。

  イスラエル建国の際、
  アメリカ に 募金活動に派遣された 当時の外相(のちの首相)が、
  一晩の集会で、膨大な額の募金を集めたこと は、語り継がれています。

② ソロスさんなど、
  政治の裏で活動されておられる ユダヤ人の名前 が、
  時々 垣間見られたこと

③ ヨーロッパ社会では、白人の中での序列が厳しく
  ユダヤ人は、東欧人などと同様に
  2級白人 と 位置づけられ、区別されて
  屈辱的な歴史を経てきていること。

  (反ユダヤの歴史 を 読むと、ユダヤ人の立場からは
   何も悪くないのに、突然周囲から攻撃され、乱暴された
   との記述がされていますが、

   全く何もないのに 周囲 が 攻撃するはずがない ので
   ユダヤ人が、周囲に対してどのような行動をとられたのか
   知りたいなと思っているのですが、

   本を書く人にとり、都合の悪いことは記述するわけがないな
   と、独り言をつぶやいています。)


今回 の ウクライナ戦争 で、

ウクライナ大統領 のスポンサー が、
バイデン大統領と関係の深いエネルギー企業のトップで、

お二人ともユダヤ人であることを知り、

やはり ウクライナ と アメリカ の ディープステート は、
つながっているのだな、との考え が、深まりました。

だとすると、
今回のウクライナ戦争は、

ディープステートが、けしかけた戦争の可能性もあるのでは
と、考えています。

というのは、

ウクライナ大統領が、ビデオメッセージされる際に、

資金援助、武器援助 は 依頼されますが、
戦争を終結するためのあっせん行為を依頼することはない
と共に

アメリカをはじめとする西側諸国に、
ウクライナ戦争への参加を 呼びかけているからです。

私には、
いかにも 世界戦争への拡大を意図していて

武器商人でもある ディープステートの指令 に 基づいて、
行動しているように 聞こえるのですが、

事の真相は、
時間 が たつにつれ 明らかになっていくでしょうから

断定せずに 仮説として覚えておいて、
時間の経過 を 待つことが 大切だな と、考えています。

いずれにせよ、
ウクライナ戦争が勃発した際に、

この戦争は、
西側諸国が主張するような 善と悪との戦争ではなく、
悪と悪との戦争ではないかな、

言い換えると
(ディープステートの指令に基づいて)
ウクライナ と アメリカ が、
ロシアを挑発し、追い込んで、

コーナーに追い詰められたプーチンが
ウクライナを攻撃開始したのでは?

と、感じたことが 正しかったのでは、

との仮説も、成立しうるのでは
と 考えて、

時間の経過を待とう と、思っています。


ここまでお話しして、ネットを開いたら、

アメリカ の フォックス が、
ウクライナ大統領 に 単独インタビューした
との話が 流れていました。

フォックスのインタビュアーが、

ウクライナ大統領に
「アゾフ大隊は、ナチスか?」と直截に質問したところ、

ウクライナ大統領 が、
「アゾフ大隊 は、ナチスである。
 アゾフ大隊 は、ウクライナ に 数多く存在する ナチスの大隊 の 一つ です。
 ウクライナ の すべての軍隊 は、ナチスによって 構成されている。」
と、明確に回答されたそうです。

このインタビューは、
ネットで流されたそうですが、

不思議なことに、

ネットでは、
このナチスについての やり取りの部分 は、消されているそうです。

更に、ネットでは、
次のような解説がありました。

ウクライナ大統領 が、大統領選挙の際に、

当時、東ウクライナ で 生じていた
ロシア軍 との 戦闘 を 終結させること を、
公約として掲げて当選したそうです。

大統領就任後、
ウクライナ軍に停戦命令を発したのですが、

現地 の アゾフ大隊 が、命令に従わなかったので、
大統領 自ら 現地に赴いて、
アゾフ大隊 を 説得したそうです。

その際、アゾフ大隊から

「ナチス は、国会議員 にも 多数いるぞ。
 命が惜しければ。われわれ に 従え」
と、脅迫されて、

それ以来 ウクライナ大統領 は、
アゾフ大隊(ナチス)の言いなりになったとのことです。

ネットでは、更に

ドイツのヒットラーのナチスも、
ロシア革命 で ソ連を建国した レーニン も
少数派だったけど、

暴力を使って、多数派を従えた。

同じことが
ウクライナで生じている。

この話を聞いて、

この話 に ついての 証拠 が 提示されていません から、
仮説として 覚えておこうと考えていますが、

万が一にも この話 が 真実なら、

今後、世界中 で この方法を用いて暴れまわる連中 が
生じるかもしれないな、

と、感じました。


また、
アゾフ大隊は、

アメリカのCIAの支配下に服している
との話もありました。

この情報が伝える アゾフ大隊の行動により
ウクライナで生じていることは

ディープステートが、
BLM を 使って、

不法選挙、不正選挙 により
アメリカ合衆国を乗っ取った アウトローのやり方と

共通点 が あるような 気も しています。

これも、
時間の経過とともに、真実が明らかになる
と、思いますが、

事態の推移 を 観察する際の 着目点の一つでは?
という気がしています。


今回 お話ししたいことは、以上ですが、
ご参考までに、蛇足として

日本人は、
80年近く 戦争をしていませんので、
長年歴史の本を読んできた経験から

ニュースを聞かれる際に
気になっている点、
知っておられた方がよいのでは
と、思われる点 と

また、ディープステート が
アメリカ を 乗っ取った経緯 など について
お話しさせていただきます。



蛇足1.
ウクライナ戦争 における残虐行為 の受け取り方について


ヨーロッパ中世史の歴史の本 を 読んでいると、

当時の軍隊は、
傭兵隊だったこともあり、

数か月 包囲して攻略した町 を 占領した際に、

3日3晩 兵士は、略奪、殺人、強姦など
更には
奴隷制のある地域では、住民 を 奴隷にするなど

何をしてもかまわないとのルールだった。

このルールは、
神聖ローマ皇帝カール5世 ですら
黙認せざるを得なかった

との、記述に巡り合います。

また、
軍隊の司令官(勿論 貴族です、フランスなどの王族 もいました)は、
盗賊の親分だった との記述にも お目にかかります。

これは、
国家 が 整備されていなかったため、

軍事予算 が、
国から まともに 支給されないので、

司令官自ら が、

自給自足、

言い換えると
市民から 強奪せざるを得なかったこと

を、意味しています。


海軍も同様で、

オスマン・トルコの海軍司令長官 は、
アルジェの海賊の親分でしたし

キリスト教徒側も、

例えば、
オスマン・トルコ と 戦った
マルタ騎士団の艦隊司令官 は、

イスラム側 からすると
キリスト教徒 の 海賊の親分 でした。

オスマン・トルコ も、
キリスト教徒の艦隊 も、

敵と戦うとき以外の 日常 は、
海賊行為をしていたのです。


戦場とは、
狂気が支配する空間であり、

そこに存在する人間の大半は、
通常の社会生活から隔絶された 狂気を帯びた人間
なのです。

ですから、
通常の社会、通常の生活では ありえない、
許されない行動 が 支配する空間 なのです。

平和な通常生活下 の 日本人 にとり、

戦場 の 生のニュース に 接すると、
理解を越えた 悍ましく 聞くに堪えない残酷さ を
感じるのだろうと思います。

日本人 も、
太平洋戦争 の 戦場 や 空襲下において、
狂気 が 支配する 地獄の経験 を してきました。

しかし、
戦争 が 終了して80年近くたった現在、
地獄の体験をされた方は、少数となり、

その他の人々は、
想像するしかない状況 に なっています。

ですから、
残酷なニュースに接した時、

ナチス は 別にして、

我々と 同じような人間 が、
狂気 に 支配される地獄 に
放り込まれた結果かも しれないな と、

想像力 を たくましくしていただいて
受け止めていただければな
と、願っています。


蛇足2.
ディープステート の アメリカ支配 の 経緯
及び
海外への支配拡大 について



ディープステートが 正体を現したきっかけは、

現在唯一の地域共同体国家である
アメリカ合衆国 で

「繰り返しの歴史」に属するディープステートによる
トランプ大統領への反動
との形 で 現れました。


ネットによると

2016年 の大統領選挙で、
最初 トランプ大統領は、泡沫候補扱い でしたが、

共和党の予備選で、
ブッシュ王朝 が 出馬させた ブッシュ一族の一人 を、

ブッシュ大統領(息子)が、
9.11の際に、飛行機 を ハイジャックにより、
ニューヨーク の ワールドセンタービル などに
突撃させる作戦 の 指揮 を するために アメリカに滞在していた
ビン・ラディン を、

サウジアラビアの要請により、
全米の飛行禁止措置 にも かかわらず、大統領権限を行使して
サウジ が 派遣した 飛行機 に 搭乗させて 逃亡させた

との スキャンダル を 暴露して、
共和党の予備選を勝ち抜き、

民主党のヒラリーと対決したのでした。

なお、 この予備選の経緯により

同じ共和党に属しながら、
トランプ大統領とブッシュ一族とは、犬猿の仲となったそうです。


当時の 民主党サイド は、
よもや ヒラリー が、敗北するはずがない
と、高を括っていたのですが、

選挙結果は、

得票数では、
ヒラリー が 勝利したものの、

大統領選挙人数 では、
トランプさんが勝利して、

トランプさん が、大統領に就任したのです。


当時のアメリカ は、
ディープステートが 陰で支配して、

2016年 の 大統領選挙では
ヒラリーさん を 大統領 に する予定 でした。

この計画 が くるってしまったので、
2020年の大統領選挙では、

ディープステートが
中共 と タイアップするとともに、

本性 を 露にして
総力を挙げた不正選挙により、

無理やり バイデン候補 を 大統領 に 就任させたのですが、

その後 時間がたつにつれて、
ディープステート の アメリカ支配、および その悪行、無法ぶり が 露にり、
国民の支持 を 大幅に 減らして

多くの 民主党 の再選議員のうち 多くが
当選がおぼつかないために 出馬取りやめにする人が続出し、

共和党 も、
トランプさんが 支持する人しか、党内選挙で勝ち抜くことができなくなり、

今年の中間選挙 と 2024年の大統領選挙では、

トランプさんの率いる 共和党 が
(従来のリノ が 支配する共和党 ではありません)
勝利するだろう
と 一般的なコンセンサス と なっているよう に 思われます。

注)リノ Rino ライノ

  Repabulicann in name only
     名ばかりの共和党員 の略語

  現実には、
     トランプ派以外の共和党員 を 意味している と、思われます。

  彼らは、
  ディープスレート が 裏で操る 民主党、共和党の
  アメリカ の 2大政党 の 政治構図 を長年 演じてきたのでは?
  と、推測しています。

バイデン大統領 は、
民主党 の 得票数 を 増加させるために、

毎年 数百万単位 で 不法移民を入国させて、
その人々 を
共和党の地盤の州 に 送り込んで、
劣勢 を 挽回しよう と されておられますが、

そのために、
メキシコとの国境 での 非人道的な状況 や、
犯罪者 が、多量に 米国に入国して、治安 を さらに悪化するなどの、
悪影響 が 生じていて、

心あるアメリカ人 の 顰蹙 を 買っていますが、

バイデン大統領は、それよりも
自分(民主党)が 勝利するのが 大事だ と ばかりに、

国民 を ほったらかしにして、
大統領権限 を 振り回しておられますので、

かえって
トランプ大統領の人気 が 高まっているのではないか
と 想像しています。


長年 アメリカ合衆国 を 陰 で 支配してきた、
ディープステートの支配力 は 見事なものでした。

2020年の大統領選挙 が 終了して、
1月 の 大統領就任式迄 の間、

トランプ大統領 は、
ただ一人 ぽつんと孤立していたのです。

ディープステート が、

ホワイトハウス の ペンス副大統領以下の閣僚
および 各省庁の官僚、

上下両院 の 議員、
民主党が支配する州 のみならず、共和党の支配する州 も、

並びに
最高裁以下の司法部門

の 司法、行政、立法 の 三権
はじめとして、
マスコミや 大企業 と

全米 を 支配下にお さめていることが、
露になったのです。

更には

暴力実行部隊の組織 である BLM
に 加えて、

軍事力 を 握っている 軍隊 も
支配下 に おさめていたのでした。


私は、トランプ大統領 が、
選挙違反 の 取り締まりの 最高責任者 なのに、

民主党 の 選挙違反 を 何故捜査しないのか、
不思議でならなかったのですが、

トランプ大統領 が 命令しても、

実際に捜査する司法省以下の捜査当局 が
ディープステートに 支配されていて、

「笛 吹けど 踊らず」の状況であることを、
トランプ大統領 が 察知されたのでしょう。

また、いざとなれば、
ディープステート は、

支配下にある BLM や 軍隊 を使って、
トランプ陣営 を 武力で制圧すること も 理解されていたのでしょう。

1月6日の状況など から 推察すると、

トランプ大統領 は、
1月20日 の 大統領就任日 の 直前迄、

このことを ご存じなかった のだろう、

もしくは、
ご存じであっても、

武力(力)による解決
ではなく

憲法などのルール に従って 勝利したい
と、考えられたのだろう

と、推察されます。


というのは、

大統領選挙で、
民主党 が 不正により 大統領 を 奪っても、
最高裁 で ひっくり返すことができるように、

最高裁の判事の任命 を 強行して、
共和党系の判事 を 多数派としておいたからです。

また、1月6日
上院議長のペンス副大統領が、
上院での選挙結果を決定する際に、

憲法の規定 に 従って、
不正がある州 の 選挙結果については、

各州の議会 に 選挙結果の検討 を
差し戻すこと で、
民主党による 不正選挙を 阻止できる

と、考えておられた
と、推察できるからです。

でも、
ディープステート は、
トランプ大統領 の 上を 行っていました。

即ち、
最高裁長官 を 抑えていて、

最高裁長官 に、
法学の原則 を ゆがめさせて、
選挙不正 を 正当化したのです。

簡単 に 経緯 を お話しすると、

トランプさんを 勝利させた テキサス州 が、
バイデンさん を 勝利させた 他の州 を 選挙違反 で 訴えたのです。

アメリカ合衆国 は、
50の邦(州、State)からなる 地域共同体の国ですから、

各州が、その州(邦)の 憲法や法律 に 従って
選挙を行っている限りにおいては、

他の州 が、
裁判 で 是正 を 訴えることが できないのです。

分かりやすい例え で 申し上げると、
ヨーロッパのEU で、
大統領選挙 を 行う と 仮定した場合、

フランス が、
フランス の 憲法や法律 に 従って 選挙している限りに おいては、

ドイツ が、EUの裁判所 に
フランスにおける選挙結果の是正 を 訴えることが
できない のと 同様です。


ですから、
連邦裁判所は、

訴えられた裁判 が、
連邦裁判所 の 管轄 に 属するものかどうか を
裁判する前 に判断する のです。

このため、この段階で、
テキサスは、

当事者適格がない

即ち、
当事者として 裁判する資格がない
と、門前払いされたのです。

でも、これは、
遠い日本から見ている私にも、不当なことでした。

テキサス州 が 訴えた州 では、
立法府である議会 が、
憲法や法律 の 改正 を してないのに、

法律の改正資格を持たない
選挙管理当局 が、

勝手に 選挙ルール を 変更して、
バイデンさん に 勝利させていたのです。

(私は、
2020年 の 大統領選挙 に おいて、
無記名投票 であること を 良いことに

民主党 が、
バイデン票を 偽造して
バイデンさん の 得票数 に 含ませたのでは?

そうするために
選挙管理当局が 勝手にルール を 色々変更したのでは?

と、想像しています。) 


ですから、

連邦最高裁長官 が、
テキサス州 を 門前払いする際に、

同僚判事 に、

恫喝 を 用いて
ディープステート の 意思 を 貫徹させたのです。

即ち、
「もし、裁判になれば、
 テキサス州 が 勝利するだろうが、

 テキサス州 が 勝利したら、
 アメリカ合衆国 が 内戦となるだろう

 その時、君たちは(同僚の判事 は)
 その責任 を 取れるのか?」

と、長官 が 恫喝したのです。

その結果 が、

テキサス州 は、当事者ではない
との 門前払い だった のですが、

テキサス州の選挙結果 が、
他の州 の 不法行為 により 阻まれ、

他の州 での 不法行為 が なければ
テキサス州 の 選挙結果 が
大統領選挙 の 結果 と なってたはず だったので、

テキサス州は、当然 当事者であり、

ましてや、
この訴訟 の 原告に

被告の州の不正行為により
統領選挙 で 敗北認定された 大統領候補 だった

当時者である トランプさん が
加わって いましたので

連邦最高裁 による 門前払いの決定 は、
全く 支離滅裂な決定であることは
明白でした。


このようなことが できたのは、
実は 法学 に 欠陥があったからです。

法学は、

人間の社会活動 について
色々と 細々(こまごま)としたルール
を 定めていますが、

人間活動 の すべてをカバーする ルール を
人間 の 活動 に 先んじて 制定しておくことは
不可能であるため、

裁判官 が 判断する際には、
ルール(法律)に 加えて、

ルールー が 定められていない場合 に 備えて

裁判官が、
裁判官の保持するリーガルマインド(良心)により
判断するように と 定めているのです。

リーガルマインド(良心)による 判断 は、
ルール が ない場合の 最後の手段 であるはず ですが、

裁判官 が その気になれば、

ルール を 無視して、
裁判官 の 好きなような決定 を しても よろしい
と いうことになります。

通常の裁判では、上級裁判所があり、
そこで 不合理な判決、身勝手な判決 を
是正することが できますが、

最終審である
連邦裁判所の長官 率いる 最高裁の判事の多数 が、

法(ルール)を 無視して、私利私欲 で 決定したら、
是正の方法 が ありません。

ディープステート は、

「いざ鎌倉」という場合に備えて
法学の盲点 を
隠し玉 に しておいたのです。

1月6日の
「バイデン大統領が 勝利した」との 上院での決定 も、

ディープステート が
事前に ペンスさん を 送り込んでいたので、

ディープステートの意図 を
貫徹させることが できたのでした、

このように、ディープステート は、

2020年の大統領選挙に際して、
完璧に 支配 を 貫徹させるための方策 を
見事なほどに 準備していたのです。

でも、この方法は、

国民が主権を持ち、国民が大統領を選挙で決定する
民主国家においては、

1回限りしか 使えない方法 だったこと が、
ディープステート に とっての不幸 でした。

バイデン大統領 が 就任して1年経過するうちに、

2020年 や 2016年の
大統領選挙 における 旧悪 の一部 が
露(あらわ)に なってきて、

民主党が、
国民の怒りを買う状況になってきました。

例えば、

2016年の選挙の際に、
トランプ大統領 が、
ロシア の プーチン大統領 と共謀して 陰謀を働いたと、

トランプさん の ロシア疑惑 を 民主党 が 主張して、
トランプ大統領 を 窮地に貶めよう との工作
を したのですが、

最近になり、

この陰謀 は、
民主党 や ヒラリーさん が、
捏造した証拠 に よるものだったことが、明らかになって、

民主党 や ヒラリーさん に
罰金 が 科せられています。

また、
ウクライナ に 内政干渉をした との 理由 で
トランプ大統領 が 下院 で 弾劾されましたが、

これは、

バイデン大統領 が オバマ政権時代 副大統領 として、
ウクライナ に 乗り込み、

米国の援助 が 欲しければ、
汚職を追求している 検事総長 を 罷免しろ

と、内政干渉し、
圧力をかけて 屈服させたこと に対して、

トランプ大統領 が、
ウクライナ大統領 に

ちゃんと経緯を調べて対処してほしい
と、お願いしたことが 原因でした。

バイデン大統領 は、
副大統領時代 に 米国の公的資金 を 私的に利用して、
当時のウクライナ大統領 を 恫喝したことを、

自慢している動画を、
私も、ネットで拝見して、

なんで 自分 が 犯罪 を 犯したことを
自白して 自慢するのだろうか?

と、不思議に思ったこと を 覚えています。

バイデン副大統領 が、
ウクライナ政府 を 屈服させた後 の 後日談については、

息子さんのハンターさんがらみの事件として、
今後 事実 が 明らかになっていく と 思います。


バイデン大統領は、
2020年の大統領選挙に際して 選挙前に

「我々は、これまでにない不法組織 を 作り上げた」と、発言し、
日本でもネット に ニュースとして掲載されました。

私 は、これを読んで、
全く理解できず、困惑したこと を 覚えています。

というのは、

犯罪 を 犯した犯人 が、
取り調べ を 受けていないのに、自白すること は あり得ない

と、考えていたからです。

でも、
大統領選挙 が 進むにつれ、

バイデン大統領 が
真実を語っていたこと が 明らかになりました。

ですから、

アメリカ合衆国内で、
なぜこの発言 が 問題視されないのだろう と、

私には、理解できない 大いなる謎 となっています。


以上により、

ディープステートは、

2020年に 政権 を 奪回しましたが、
正当な方法 で 奪回したのではないこと と、

トランプさん以外 の 従来の共和党 や 民主党 の 大半の皆さんは、
来るべき時代を担う グローバリスト ではなく、

19世紀型 の 私利私欲 を 貪りつくせる利益 を 求めた 帝国主義者
と 同じような感性 を 持っている人々 だ

と、感じています。

(帝国主義者も、
 アヘン戦争で見るがごとく、全世界に飛躍して
 私利私欲をむさぼっていた グローバリストでもありました。)


先ほど述べたように、

来るべき地域共同体 が 成立した後に 登場する
本当のグローバリスト は、

まだ 歴史の舞台 に 大きな力を持って 登場していないのでは?
と、感じています。


以上 ディープステートが

トランプ大統領の出現 で 追い込まれて、
選挙不正までして大統領職を奪回した経緯
について お話ししましたが


次に、

彼らが、外国(米国外)での 活動の本質 について、
私の仮説 を お話しさせていただきます。



ディープステートは、
武器商人も兼ねています。

これが、アメリカ合衆国が、
第2次大戦後、戦争を継続してきました一番の理由であろう
と、想像しています。

大量に 武器 を 消耗する戦争 を 勃発させるために、
ディープステートが、アメリカの大統領や議会 に
絶えず 働きかけていたのでしょう。

その結果、例えば、
ブッシュ大統領(息子)時代
イラクに対して 無理やり戦争原因 を 捏造して、戦争 を 仕掛けた
と 考えると 得心がいきます。


また、ネットによると

アフガニスタンで、
パイプラインの交渉が 8月に 決裂した報復として、
9.11の攻撃 を うけたので

その報復として、ブッシュ大統領(息子)が、

その翌月の10月に
フガニスタン戦争を 勃発させたとのことです。


トランプ大統領は、
その任期の4年間で 戦争を開始しなかった
稀有な大統領だった と、聞いたことがあります。

これも、
トランプ大統領 が

ディープステート が 裏で操っている
マスコミ の 餌食 と なっている原因なのでしょう。

そのトランプ大統領でさえ、
シリア に 大量のミサイル を 撃ち込んでいます。

このように ディープステートは、
戦争のきっかっけ を 画策しながら 活動していた
と、想像したら 合点がいきます。

今回のウクライナ戦争において、

ロシアのプーチン大統領が、
NATO が、ウクライナまで 拡大してきていること を 非難していますが、

一理あるのでは?
という気 が しています。

今回のウクライナ戦争のニュースに接していて
違和感を感じるのは、

開戦前 に、バイデン大統領 が
異常なほど、ロシアに対して戦争をけしかけていたことでした。

また、
ウクライナの大統領 も、
何か うさん臭さ を 感じていました。

ネットで、
ウクライナ大統領のスポンサーは、

バイデン大統領の息子さん を 取締役 に雇用した
エネルギー会社のオーナーだ
と、いわれています。

もし、これが真実であるなら、

ウクライナ大統領 と バイデン大統領 が、
つながることになります。

そういえば、
プーチン大統領が、

ウクライナの大統領の支配下 に ナチスが存在している
と、指摘した時、

ネットによると、
アメリカ が、
ウクライナの大統領 は ユダヤ人だから、

ナチス を 支配下に持つはずがない
と、主張している
と、聞こえてきました。

このニュース に 接して、

ナチス と 関係 が あるはずない
と、断定しているにもかかわらず、

その証拠 が 提示されていないことに
違和感 を 感じていました。

ですから、
ウクライナ大統領の周囲 に
ナチス が 存在することもありうるのでは
と、感じ始めていたところに

ウクライナ大統領 が、

イスラエル で 演説をして
イスラエルの議員さん を 怒らせた
との話 が、飛び込んできました。

ウクライナ大統領は、

第2次大戦中 ナチス が ウクライナで行った蛮行 と 同じことを
ロシア が しているので、支援してほしい
と、依頼したそうですが、

このことが、
イスラエルの議員さんたち を 怒らせた原因だ
との 解説 が ありました。

その解説によると、

第2次大戦後、アメリカ は、
ニュルンベルク裁判などで ドイツのナチスに対して
厳しい措置を取ったけれど、

ウクライナのナチス に対しては、何もしなかったので、
現在まで ウクライナでは ナチスが存続している。

この連中を使っている
ウクライナ大統領に対して、

ウクライナも、
ナチスと同じようなことをしているではないか と、

同じユダヤ人で 事情をよく知っている イスラエルの議員さん が
怒ったとのことなのです。

これも、
証拠 の 提示もない 単なるお話 なので、確信 が 持てませんが、

もし、
イスラエルの議員さんが 怒ったことが、事実なら、
この話 は 真実ではないだろうか?
という気がしています。

その後 の 推移をみると、

ウクライナのナチス は、
アゾフ大隊と呼ばれている組織で、

ギリシア での
ウクライナ大統領のメッセージの際、

アゾフ大隊の幹部 が 発言したことに対して、
ギリシアが、
「なんで ナチス を 喋らせるのか」と、

 怒ったとの話 も ネットでありました。

また、
ウクライナ が、
ロシア軍の虐殺 を 発表するたびに、

実は、ウクライナ側の犯行である
との 否定する話が出てきまが、

ウクライナ で
ナチス が 生き残っていた との話が、ある限り

ウクライナの発表は 本当だろうか
との疑念 を 拭うことができません。


申し上げたいことは、

ロシアのプーチン大統領 は、
戦争 を 始めた張本人 であり、
弁解の余地もなく ワル(悪)です。

だからといって、
攻撃されたウクライナ側 が 善だ
と いうことには、ならないだろう
と、考えています。

ウクライナこそが、

ディープステート とつながって
戦争 を 勃発させように 事態を導いた
一方の当事者ではないだろうか、

との疑念 が 拭えず、

今回のウクライナ戦争 は、
悪対悪の争いではないだろうか
という気がしています。

これは、
ウクライナ大統領が、ことあるごとに、

各国に 世界大戦を呼び込もうと 呼びかけて、
武器 や 資金援助 を 求めますが、

戦争終結 に 尽力してほしい との 依頼 は
一切ないことから、

武器商人 の 片棒 を 担いで
武器商人 に 操られて

戦争を拡大しようとして 発言しているのでは?
と疑われても しょうがないのでは

と、感じられるからです。

いずれにせよ、
このまま ずるずると 戦争 が 継続していると、
本当に 世界大戦になるかもしれませんので、

本当 は、
アメリカのバイデン大統領あたりが イニシアチブ を 取って、

戦争終結 の 方向 に 事態 を リードすること が
求められている と、思うのですが、

ディープステートの一員である とともに、
金のにおい を かぐと、
そちらに なびいていく お人柄 で、

開戦前に プーチン大統領 を
戦争するようけしかけていましたので

期待 が 持てないな
と、嘆息しています。



以上、長々とした話を
最後までお読みいただきありがとうございました。





 

 

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2021年10月14日 (木)

フランスとドイツは、積み重ねの歴史の国?それとも 繰り返しの歴史の国?

知人より、掲題の質問 を 受け、次のような回答 を しました。
少し面白いテーマなので、
ご参考までに書き写してご参考に供させていただきます。


          **********


結論から申し上げると

フランスは、

積み重ねの歴史 の 担い手 が、半分
繰り返しの歴史 の 担い手 が、 半分 の国で

これが、
イングランドとの植民地争奪戦(第2次百年戦争)で
フランスが、イングランド に 後れを取った原因 だろう
と、思っています。


ドイツは、

本来的に 繰り返しの歴史の国でした。

フランス革命後
ナポレオンに敗れたプロイセンが、奮起して
プロイセンを 積み重ねの歴史の国に転換させ

ビスマルクやモルトケなどの天才を輩出して
ドイツを統一し、ヨーロッパで覇を唱えるまでの
積み重ねの歴史の国に転換させたのですが

1990年 冷戦終了後、
繰り返しの歴史の産物であるマルクス主義を信奉する
東ドイツを合併したことにより

繰り返しの歴史の国に先祖返りして
繰り返しの歴史の国に戻ってしまった
と、感じられるのが、現在のドイツだと思います。

ドイツに対して、このような感じを持ったのは、
50年以上前に 大学に入学した年の秋に
3週間 南ドイツやオーストリアを中心にバス旅行した経験と

数年前に
ドイツ旅行した経験を比較して 感じたことなのです。

50年前には、
西ヨーロッパの国を訪れたな
との感じを持ちましたが、

数年前は、
ドイツの資本主義の心臓部であるフランクフルトにおいてさえ
冷戦時代の東方の国と思えるほどの 陰鬱さ、沈滞 を 感じて
驚愕したことが忘れられません。


以下、
フランス史とドイツ史の概略をご説明させていただきます。




1.最初に、

  フランスとドイツの国の成り立ちを理解するための前提として
  ヨーロッパと日本の「封建関係」について、
  一言述べさせていただきます。


日本の封建関係 は、
家臣は、主君に忠誠を尽くして、二君に仕えない
のに反して

ヨーロッパでは、
主君と家臣は、契約関係であり、
すく数の主君を持つ者 も ざらにあることが

異なる点である、
とよく言われますが、

私は、
これに疑問を持っていて、
これが、
ヨーロッパ理解を過つ原因になるのでは?
と、感じています。

ヨーロッパにおける封建関係が、
契約関係だとの認識には、同意しますが
日本の封建関係については、
疑問を持っています。


日本の封建関係は、
二層構造になっているのでは?
と、感じられます。

即ち
主君と家臣との関係 と
対等な 主君同士の 主従関係(契約関係)
(例えば、織田信長と徳川家康、豊臣秀吉と徳川家康)

最初の 主君と家臣との関係は、
一般に言われている通りの
複数の主君に仕えない との封建関係です。

二つ目の
対等な主君同士の主従関係(契約関係)とは、
ヨーロッパの封建関係と同質の
利害に基づく関係だろう と、感じられます。

例えば、徳川家康は、
織田信長や豊臣秀吉が存命中は、
信長や秀吉に従順に従っていましたが、

秀吉没後
豊臣家を打倒できる状況になると、

従来の主従関係を無視して、
豊臣家 に 牙をむいて 滅亡させて、
徳川幕府 を 創始しました。

これは、
ヨーロッパの封建関係と、
全く同質のもののように感じられます。


ヨーロッパで
日本のような主君と家臣の関係が一般化しなかったのは、
地域における権力構造が異なっているからのよう に
思われます。

この点への理解が、
ヨーロッパの歴史理解の前提となるような気がしています。

日本においては、
一つの国(尾張の国とか、美濃の国)の主君は、
原則そして 一人でした。

ところが、
ヨーロッパでは、一つの土地に、複数の主君が存在していました。

例えば、中世の北フランスは、
フランドル伯の領地でしたが、

同時に、
同じ土地に対して
フランス王も 国王としての宗主権 を 有していたのです。

更に、
神聖ローマ皇帝(ドイツ王)も、
フランドル伯の君主としての権利を主張していましたし、

フランドルとの緊密な経済関係を有するイングランドも
領土を奪取しようとして 派兵する動きも見せていました。


このように、
一つの領土 に 対して、権利 を 主張する 複数の君主 が 存在したことが

日本におけるような
主君 と 家臣 との 封建関係 が 成熟せず(一般化せず)に

日本における 君主間の契約関係しか
ヨーロッパにおいて成立しなかった原因では?
と、感じられます。


(注)ヨーロッパにおいても、
   主君と家臣の関係は、一般化はしなかったものの
   当事者間では、存在していたことを否定するものではありません。

   尼子家再興 に 奮闘した 山中鹿之助 のような 家臣 も 存在しましたし、
   武士道 と 同質と思われる の騎士道 も ヨーロッパに 存在していました。

   歴史というものは、
   All or Nothing と、明確に区分できるものではなく
   常にグレーゾーンが存在することを、 ご理解ください。



2.フランス史 の 概略

フランスは、

500年ころ ベルギー の トゥルネー から パリ に 進出してきた
クローヴィス が、建国した国です。

西フランク滅亡後(消滅後)
カペー朝が、 フランス王に選出され、

フランス革命まで
カペー朝の血統(本家の血統が途絶えた後は、分家の血統)が
支配しました。


フランス王に即位したカペー朝は、
フランス王として フランス全土に対する統治権を
理論上は持っていましたが、

実際に統治できていたのは
イール・ド・フランス(パリ周辺)
せいぜい パリからオルレアンまでの地域でした。

即ち、
パリ周辺の 弱小領主が、弱小ゆえに
フランス王に即位したのでした。

ドイツでも、
ハプスブルグ家 が 皇帝 に 選出されたように

フランスでも
強大な諸侯 は、フランス王 への 即位 を 阻まれたのです。


カペー朝がフランス王に即位した当時 の
フランス の 領土範囲は

東は、
シャンパーニュまでで
ロレーヌも アルザスも 神聖ローマ帝国(ドイツ)の領土でした。

また、
ソーヌ川、ローヌ川の東側も、
神聖ローマ帝国の領土で、フランスの統治権の範囲外でした。

パリの西側 は、
北のノルマンディーからピレネーまで
フランス王の宗主権の範囲内でしたが、

実際には、
ノルマンディー公、アンジュー伯、アキテーヌ公などが
統治、支配していて
フランス王の宗主権は、名目だけの存在でした

更に、
ブルターニュ公国、トゥールーズ伯は、
フランス王より独立していて、
フランス王の宗主権も及びませんでした。

(注)トゥールーズよりプロヴァンスにかけては、
   南のアラゴンとの統合の方 に 動いていたのでは?
   と、感じられます。

   アラゴン と トゥールーズ および プロヴァンス
   の 統合 を 阻止するため が、

   13世紀前半 に
   フランス王家とイングランド王家が
   プロヴァンス伯家の4姉妹 と 政略結婚した理由では?
   と、想像しています。

また、
北フランス は、フランドル伯の領土 でした。

先ほど述べたように
フランドル伯は、ほぼ独立していて、

その上位に、
フランス王、神聖ローマ皇帝(ドイツ王)、イングランド王が
宗主権を主張して けん制しあう 複雑な政治模様 を 呈していました。

(注)第4回十字軍 が、ビザンツ帝国 を 滅ぼして、
   フランドル伯が、十字軍 が 建国したラテン帝国の初代皇帝 に
   即位しています。

   また、
   フランドル伯家 が、短期間で血統 が 断絶した後
   フランドル伯の娘と結婚した カペー朝の分家が
   その後の皇帝に即位しています。

   フランス王ルイ9世 が、 聖遺物を購入して
   パリの シテ島で、サント・シャペルを建立したのは、
   このような関係があったからでしょう。


フランスの歴史を一言で申し上げると、

パリ周辺の弱小領主が、
フィリップ2世以降 フランス王の宗主権を活用して
周辺の大諸侯 を
駆逐するか or 服従させるか、または 併合して、
統治権 を 拡大、確立し、

更には、
神聖ローマ帝国 や、
独立諸侯だった
フランドル伯の一部、ブルターニュ公、トゥールーズ伯より
領土を併合していって

フランスという国 を 統合、統一していった歴史
と、いえるでしょう



積み重ねの歴史の担い手は、
北フランスからフランドルにかけての地域の人々ですので、

フランス の 大部分の地域 では、
繰り返しの歴史の人々 が 居住しているのです。

従って、
フランスにおいては、積み重ねの歴史の担い手は、
少数派というべきでしょう。

しかし、
積み重ねの歴史の担い手が、
カペー朝が、フランス各地を併合する際に
主導的役割を果たしたのでは と、想像しています。

言い換えると、
フランスという国 を
リードし、形成した人 との側面から 観察すると

少数派の積み重ねの歴史の地域の人々が リードしたのでは
との 少し 別の見方 になるような気がしています。

例えば、
16世紀後半 フランスは、
宗教戦争の嵐 が 吹き荒れました。

この時期、宗教戦争をリードしたのは、
北フランス出身の人々だ
と、 渡辺一夫先生は、記述されておられます。

カルバン派
カトリック、
それに
ユマニスト の3派 が 現れましたがが、

その3派 の リーダー は、
全員 北フランス出身者だった というのです。

渡辺先生は、
繰り返しの歴史の地域である
ロワール川下流地方出身のラブレー研究における 世界的権威
で あられましたが、

その先生が、
16世紀後半 の フランス を 分析して、
フランス を リードしたのは、北フランス出身者だ
と、考えておられるのです。

ですから、
フランス史において、
北フランス出身者の影響力 は、無視できないのでは?
と、想像しています。



3.ドイツ史 の 概略

フランクの支配が終了して、ドイツ史と歩み始めたとき
ザクセン朝が、ドイツ王に即位しました、

ドイツは、フランク解体過程で
中フランク(ロタールの国)が、ドイツに編入されたため

ドイツ王が、
神聖ローマ皇帝 を 名乗る とともに

ローマ帝国の本拠だった、イタリア の支配に注力して
ドイツ国内の統治がおろそかになりました。

ザクセン朝の男系血統が断絶して、
ザクセン朝の娘 と 結婚した シュタウフェン朝 が、
ドイツ王 を 引き継いだ後 も、状況 は 変わりませんでした。

というよりは、
更にイタリアの統治 に 注力し、

中世最大の皇帝 と いわれる フリードリヒ2世 においては、
イタリア生まれのパレルモ育ちだったこともあって、

ドイツにはほとんど赴かずに、
イタリアの王様として 生涯 を 過ごしています。

神聖ローマ帝国(ドイツ王)に
北と南から攻められる状況に陥った
教皇権 と ロンバルディアなどのイタリア都市国家が、

シュタウフェン朝に 対抗するために、

フランス を
イタリア に 引き入れて
ヨーロッパ史 を 大きく動かすことになるのですが、

今回とは別の話なので、割愛させていただきます。


皇帝不在(国王不在)のドイツは、
不在の間 に、大諸侯 が 割拠する 領国体制 を 確立しました。

この領国体制が、
19世紀初頭 ナポレオン に ドイツ が 敗北するまでの
500年以上 継続しています。

その間の歴史は、
繰り返しの歴史であり、

積み重ねの歴史を重ねて、実力を蓄えた
イングランドやフランスの後塵を拝したのです。

後塵を拝した表れとして、
フランス王より一つ格上の皇帝だったドイツ王(神聖ローマ皇帝)が
イングランド王やフランス王の家臣として、
先頭に従軍した例をご紹介させていただきます。

フリードリヒ2世に対立した ヴェルフェン家 のオットー4世は、
イングランド王 ジョン王の家臣として、

1214年 ブーヴィーヌの戦いに出陣し、
フィリップ2世に敗北し ドイツに逃げ帰っています。

オットー4世の父は、シュタウフェン朝の皇帝を対立して 敗北し、
ドイツから追放された際に
妻の実家のプランタジネット朝(アンジュー家)を頼って亡命しました、

オットー4世も、父に従って フランスに赴き
ポワトゥー伯として、プランタジネット朝の家臣として働いたのです。

ですから、
ジョン王が、フィリップ2世と戦った際に、
ドイツよりはるばるフランスに出陣し、
ジョン王の家臣として フィリップ2世 と 戦ったのです。


カール4世も、
1346年クレシーの戦いで、
主君である フランス王 に 従って、出陣しています。

カール4世のルクセンブルク家は、事実上フラン王の家臣でした。
カール4世自身も、フランスの宮廷で育っています。


カール4世 は、自分の名前 を
崇拝する フランク王 シャルルマーニュに因んだカールとしました。

シャルルマーニュ
即ち、
シャルル大帝のシャルルは、ドイツ語ではカールなのです。

(フランス語のシャルルマーニュを、
 日本で カール大帝 と 呼ばれるのは そのためです。)

カール4世は、
ドイツ王に即位して間もなく、
父ボヘミア王(チェコ王)ヨハネスに従って、
フランス王の許に はせ参じたのです。

尚、カール4世 は、父 クレシーの戦いで戦死した後
ボヘミア(チェコ)王として、国民から敬愛された国王でした。

カール4世の娘さんが、
イングランド王と結婚したことにより、

カール4世 を 敬愛していた チェコ人 が、
イングランド に 多数 留学して、
ウィクリフの教え を チェコ に 持ち帰り、

チェコで
フス派 が 勃興して、
フス戦争(宗教戦争)を もたらしました。


少し横道にそれましたので、話を戻しますと、

ドイツは、
繰り返しの歴史である 領国体制が、
19世紀初め に ナポレオンに敗北するまで継続しました。

このため、
激烈なイングランドとの積み重ねの歴史を競ってきたフランスに対抗できず、
簡単に敗北してしまいました。


ナポレオンに敗北後、
プロイセンが、奮起して、プロイセンを積み重ねの歴史に転換させ
ビスマルクやモルトケなどの天才を輩出して、

19世紀後半に フランスを破り
中世末に フランスに奪われた ロレーヌとアルザスを
ドイツに取り戻したのです。

現在 ストラスブール大学に、
フランス唯一の プロテスタント の 神学部 が 存在するのは

もともと アルザスが、
ドイツだった との経緯 に よるものだろう と、思います。

(注)アルザスは、
   中世において、ドイツ の 政治における心臓部 でした。

   シュタウフェン朝の宮廷は、
   ストラスブールの北のアグノー(Haguenau、ハーゲナウ)に
   所在していて、

   リチャード獅子心王の母 アリエノールが、
   ローヌ川の南の ポワトゥーから 船で ライン川 を 河口から遡って
   身代金を運んだ先が 

   現在においては
   フランス国内の町だったのです。

20世紀に入り、ドイツは
ヨーロッパ
更には 世界制覇 を 目指して
第一次大戦、第二次大戦 と 戦いましたが、
アメリカに 敗北して 挫折しました。

冷戦終了後
西ドイツが、東ドイツを併合して
戦前のドイツに戻りましたが

文化的というか、歴史的というか
ドイツとしての国の立ち位置が

積み重ねの歴史の国から
繰り返しの歴史の国に 先祖がえりをしたような気がしています。

今後、このままでは、
激烈な国際競争の中で、

ドイツが、
経済面で後れを取ることになろうかと思いますので、

ドイツが、いつ目覚めて 積み重ねの歴史の国に復帰するのか
それとも
イタリアみたいな繰り返しの歴史の国のまま推移するのか
注目していく必要があるのでは、と感じています。

というのは、
ドイツの動向が、今後のEUの動向を左右する
大きなファクターとなるのでは?と感じられるからです。

また、
アメリカと中共の間で、戦争が勃発したら、
繰り返しの歴史の国であるドイツの動向も 注目されるのでは?
と、思われるからです。



 

 

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2017年6月 9日 (金)

EUは、一度解体の憂き目にあうのでは?    第3回 EUが、地域共同体の歴史の前例と 異なる点

「EUは、一度解体の憂き目にあうのでは?」について、

第1回に、
EUが主権を持たないこと と、
マルクス主義の影響について

第2回に、
EUが解体の可能性が生じた原因について
述べさせていただきました。


    EUは、一度解体の憂き目に あうのでは?

    第1回 2017年5月現在
         EUに対する処方箋
 http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-30c6.html

    第2回 2017年5月現在
         EUの 問題点の所在 と 前回の処方箋の理由
 http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-159e.html



私は、
ヨーロッパの歴史の本を少しずつ読みながら、
毎日を過ごしています。

その中で、
歴史の流れを概観するときに、


20世紀末に、
500年来の国民国家の歴史より、

地域共同体
更には、
地球連邦への道 を 歩み出し、

その最先端に位置するのが EUであると、

EUに
大変な期待して その動向を見てきました。


最近、
そのEUが、変調を来しているので、

今回ブログに気になる点 を
書かせていただいたのですが、

EUの歴史上の先例 と 比較して、
ちょっと心配だな と、感じたことが
発端でした。


今回は、
この点について、お話しさせていただきます。




     **********




EUのような
地域共同体の歴史上の前例は、アメリカ合衆国です。

更に、
地域共同体類似の国民国家における前例
として、

 ① 明治維新後の日本 と、
 ② 16世紀末 3アンリの戦い の フランスが

あげることができます。


(注) 国民国家は、

    独立性の強い各地方 を、
    国民国家とのタガ を はめて 成立しています。

    その意味で 国民国家 は、
    地域共同体 の サイズ を 一回り小さくした共同体
    なのです。



これらの共同体 及び 国民国家 に 共通することは、

成立してから100年内に、

歴史の歯車 を 逆転さそうとする
反動による 深刻な分裂の危機 を、克服していることです。


分裂の危機 を 克服できたのは、

  1.地域共同体(国民国家)が、
    「主権」を持っていて、

    主権を発動して、
    軍事力により反動を 断固撃破したことと、

  2.その際に、
    強力なリーダーシップ を 持った

    「政治的な指導者(リーダー)」
    即ち
    「政治家 又は 政府」 が、存在したことです。


簡単に、
それらの経緯を、振り返ってみたいと思います。




アメリカ合衆国は、

13の邦(くに)が、それぞれの主権を維持しながら
一つの連邦を結成してできた国です。


子供の頃、

時代設定が戦前 の テレビドラマ を 見ていると、
警察が、犯罪者 を カーチェースで追跡している場面で、

犯罪者 が、
州境を越えてしてしまったら、

警察が、
追跡をあきらめて、くるりと引き返しているシーン
が、ありました。


これは、

各州が、主権を保持していて、

ある州の警察権は、隣の州には及ばないから、
このようなことが生じたのです。

即ち、州境 が、
国民国家にとっての 国境だったのです。


そのアメリカ(アメリカ合衆国)も
建国から200年を経過して、

今や、
50の邦(50州)で構成される大国となりましたが、

その間に、

各邦(各州)の主権 と 連邦政府の主権 との 調整 を
進展させて、

一つの地域共同体としての 円滑な運営 を 築いていて、

EUや、
今後成立するであろう 地域共同体 の

お手本となるべき 地域共同体 にまで 進化してきています。


それでも、

例えば、

ロスアンゼルス州が、
合衆国より 離脱するかもしれない 等のニュース が

時折 聞こえてきますので、

邦(くに)が集まって 結成された 地域共同体である
生い立ちの本質 は、

依然として 残っていること を、
我々も、認識しておくべきだ と、思います。


アメリカは、

18世紀後半に、
イギリスより 独立しましたが、

19世紀 に入って、
奴隷制 を 存続させるかどうかで 国論が二分され、

奴隷制の存続を主張する 南部諸州 が、
合衆国より分離、独立したため、

これを認めない北部 と、
4年間の南北戦争にまで 発展しました。

アメリカ合衆国の統一 を、
断固たる決意で押し通した リンカーン大統領 の
強力なリーダシップ もあって、

北部が勝利し、南部が屈服して、
元の鞘に収まったのです。


南北戦争とは、

要するに、

既得権に固執して、
奴隷制を維持しようとした 南部諸州の反動 が、

地域共同体の維持 を 主張する
北部諸州 に、屈服した戦い でした。

言い換えると、
現状 を 維持したいとする 守旧派 が、

歴史の流れに棹さそうとして、
敗れ去った戦い だったのです。




明治政府は、
「廃藩置県」を 断行して、

各藩に分かれていた 日本 を、
国民国家 にしたのでした。


「廃藩置県」の断行 により、

その後生じた、西南戦争に至る
不平士族の反乱の鎮圧 を 可能にしたのでした。


不平士族の反乱 は、

「士族中心だった時代 に 戻そう」とする
反動そのもの でした。

士族軍最強と言われた 薩摩軍 を、
明治政府が、

徴兵した軍隊により 勝利したことで、
歴史の歯車の逆転 を 阻止したのです。



フランス
「3アンリーの戦い」とは、

16世紀後半の
宗教戦争の最終局面の戦い です。

フランスは、

13世紀 フィリップ2世 が、
国民国家への道を歩み始めて以来、

15世紀末まで、フランス王が

現在のフランス各地 を 併合して、
(当時は、外国の領地だった地方も含めて)

国民国家 を 形成してきました。

百年戦争後の内紛 を 収拾して
(ブルゴーニュ公国のフランスよりの離反)

国民国家 を 成立させた直後の
1494年 に、

シャルル8世 が、
イタリア に 攻め込み、

ハプスブルグ家(カール5世)とのイタリア戦争
を 開始して、

その後 半世紀間
戦争に明け暮れました。


イタリア戦争の間の、16世紀前半に、
フランス国内にカルヴァン派(ユグノー)が勃興し、

国内問題に注力せざるを得なくなったため、
イタリア戦争を終結させて、

16世紀後半は、
カトリックとユグノー(カルヴァン派)の宗教戦争 に
明け暮れたのです。


その結果、

1588年12月
フランス王 アンリ3世が、
ギーズ公アンリをブロワで暗殺し、

ギーズ公を殺害した フランス王 アンリ3世 も、
翌年(1589年)8月に 復讐で殺されて、

カルヴァン派(ユグノー)の アンリ4世 が、
フランス王 に 即位し、

9年後 の 1598年 に
有名な ナントの勅令 を 発布したのです。


一般の歴史書は、以上のような概略で
記述されているかと 思いますが、

バイルーが記述した「アンリ4世」には、

表面的な宗教戦争の裏側で、
別の局面があった

と、記述されています。

地域共同体を考える上で、
大変 参考になる と 思われますので、

結論だけ、
簡潔に ご紹介させていただきます。


 (注) バイルー「アンリ4世」新評論社

     バイルーは、
     1951年生まれ、フランスの政治家

     1993~1995年 文相
     フランス民主連合(UDF)総書記を経て、
     民主勢力党(FD)党首

     「アンリ4世」は、1994年出版
     (文相時代に出版されたようです)

     バイルーは、政治家ですが、
 
     その著書「アンリ4世」 は、
     650㌻に及ぶ大著で、

     内容的にも、
     歴史家 が 書かれた伝記 と 遜色なく、

     政治家 故に、
     歴史家にない視点 から 記述された名著だろう、
     と、思います。



フランス王 アンリ3世 が、

ブロワで
ギーズ公アンリ を 殺害したときの
フランスの政治情勢 を、

バイルー は、
次のように記述されておられます。


 1.フランス王 アンリ3世は、
   ロワール川流域 の いくつかの都市 を
   支配するだけで、

   ロワール川の北半分 の フランス は、
   ギーズ公 アンリ が、

   ロワール川の南半分 の フランス は、
   アンリ・ド・ナヴァール(アンリ4世) が

   支配していた。


 2.ギーズ公アンリ が、暗殺されなかったら、

   (従って、 
    フランス王アンリ3世 も 暗殺されなかったら、)

   フランス は、
   北フランス と 南フランス の
   2つの国 に 分かれただろう。

   アンリ・ド・ナヴァールは、

   南フランスに、自分の根拠を固めて、
   フランス王国の征服 という むなしい企て を
   行わなかっただろう。


 3.アンリ4世 が 支配する 南フランス連合 は、
   現代民主主義 を 予告していた。

   議会が、主権を持ち、
   アンリ4世 は、護民官であったが、

   護民官とは、

   南フランス連合創設時においては、
   南フランス連合軍総司令官であり、

   議会の方針に従って 軍事行動する役割 だった。


   (注) バイルーは、

       「アンリ4世 が、
        南仏連合州護民官 に 選出された以上

        その規則 に従って 支配し、
        議会の意思 を 尊重していかなくては ならなかった」

       と、記述されておられます。

       アンリ4世は、

       議会との軋轢 を 生じないようにしながら
       ナヴァール王として行動していたのだろう

       と、思いますが、
       ストレス も 相当あったのでしょう。

       バイルー によると、アンリ4世 は、
       次のような弱音 を 吐いているそうです。

       「もう一度、議会を開く と 言われたら、
        私は、気が狂ってしまう。」
       (1588年 12月22日 愛人 コリザンドへの書簡)


 4.ギーズ公アンリは、

   封建的精神により
   フランス王への権力の集中化 に 逆行する要求 をして、

   王国の組織 を 分散化しようとした。

   地方の支配者に、大きな権力 を 与え、
   有力貴族   に、地位 を 与えようとした。

   フランス王国 を、
   北部は、ギーズ一族、
   南部は、アンリ4世 に 分割しようとしていた。

   都市の自主独立 という
   中世的伝統 を 甦らそうとしていた。



要するに、


アンリ4世 は、

フランス王 アンリ3世 が、暗殺された後、

フランス王権による中央集権化 を 実現して、
歴史の歯車 を 前進させましたが、


ギーズ公アンリは、その逆で、

フランス王の下で

中央集権化したフランス、
言い換えると
国民国家として成立したフランス を、

歴史の歯車 を 逆回転させて、
中世の封建体制 に 戻そうとしていたのです。


即ち、

アンリ4世は、

守旧派の反動であるギーズ公アンリ
と、対決していたのです。


歴史に、IFは禁物ですが、

もし、
ギーズ公アンリが健在な中で、

アンリ3世が、
アンリ4世より先に没して、

アンリ4世が、
フランス王に即位したら、


アンリ4世が、

実際に即位後
フランスを平定した同じ方法、手段を利用して、

ギーズ公アンリ陣営(リーグ)を切り崩して、
フランスを統一しただろうと感じられます。


フランス王アンリ3世が、
1590年8月 に 暗殺されて、

1598年4月 の ナントの勅令まで、

ギーズ公陣営(リーグ)を切り崩すのに
10年近くかかっていますので、

ギーズ公アンリが 健在 との 要素(ファクター)
を 付け加えたら、

さらに
時間がかかっただろうことは、予想されますが、


アンリ4世 が、
途中で暗殺されなければ、

早晩 フランスを平定できたのでは
とのような 気がしています。


地域共同体の歴史上の前例 を 概観すると、

政治は、
利権の奪い合いである以上、

時代が前進する際には、

既得権 を 失うのを 阻止したい との
守旧派による反動が生じてくるものだ

ということだろう と、思います。


また、

現状 を 維持したい、
今までの環境 を 変えたくない、

との保守的な信条 は、
誰でも持っているものなのです。


その反動 を 打ち砕いて、
前進するためには、

従来は、

暴力(軍事力)を背景にした
権力者の断固たるリーダーシップによる
主権の行使 が、必要でした。


ところが、
現代のEUを考えると、

従来のように、
軍事力を行使して、力によって目的を達することが
できない時代 に なったことが、

歴史上の前例 と 大きく違う点だろう
と、思います。

話し合いで
新たな共同体 を 形成せねばならない との

歴史上における 新たな課題 を
克服せねばならないのです。


必ず現れる
共同体への前進 を 妨害、阻止しようとする
様々な勢力に対して、

どのような対処 を すればよいのか、

EU議会で、
どの様な方法で 喧々諤々の議論をするか、

知恵者が集まって、
密かに 戦略 を 練ると共に

EU内の世論形成を図らねばならないでしょう。

今回
「EUが、一度解体の憂き目にあうのでは?」との題で、
ブログを書かせていただいた理由がここにあります。



地域共同体は、
「積み重ねの歴史」が生み出したものである以上、

「積み重ねの歴史」と相反する歴史である
「繰り返しの歴史」が、

地域共同体 の 前進を阻む反動 を 生み出すのだろう
と、考えられます。


「繰り返しの歴史」の最右翼に位置するのが、
キリスト教であり、

それに依拠する
ヘーゲル、マルクスの歴史哲学であろうと考えます。


冷戦終了後 日本人にとって、

マルクス主義は、
過ぎ去った過去の遺物のような感じを持っておられる方が
多いのでは?

と、感じていますが、

宗教 を 信じない人 が 増加している中で、

ヨーロッパ精神の根幹である
キリスト教神学を背景とする マルクス主義の影響力 は、

EUのリーダーであるフランスとドイツにおいて
今まで以上に強力になるのでは?

という気がします。


この点は、
私の仮説にすぎませんので、

今後の動向をよく見守りながら、
考えていきたいと思っています。



今回の連載に終わるにあたって、

EUが 解体するのでは?
との 私の心配が、

杞憂に終わることを願っていますし、

万一、
EUが解体するような事態になっても、

いつの日か、
不死鳥のごとく 必ず復活するであろう
と、確信していますことを 申し上げさせていただきます。


というのは、

現状でも、技術の進歩により、

統治単位、経済単位が、従
来の国民国家では収まりきらず、

地域共同体規模の単位にせざるを
得なくなっているからです。


言い換えると、

そのような管理単位の拡大という現実 に
対処するため、

EU が 成立したし、
EU の 存在理由があるのです。

今まで縷々お話ししたように、

歴史の進展に対して、
歴史の歯車を逆転さそうとする 強力な反動 が、
必ず現れますが、

ヨーロッパの皆さんが、
歴史の本質を 正しく認識されて、

そのような反動の動きを封じるための
適正な方策を講じ、

歴史の歩みを、
遠回りせずに 最短距離で
つつがなく進展させてくださること を
願ってやみません。





追記 2018年 12月20日記述



高校で世界史を学んだときに

1589年に アンリ4世が即位して
何で ナントの勅令が 9年後に発布されたのか、

フランス王なら すぐに発布すれば良いものを?

という気がして、

その理由が理解できず、
不思議でしょうがありませんでした。

当時は、これを詮索する方法もなく、
更に、
目先の大学受験がありましたので、

そんなことは後回しにして、
無理矢理飲み込んで暗記しましたが、

それから半世紀以上たって、
やっと の謎解きができで、ある種の感慨に耽っています。



ギーズ公 アンリが 没していないのに

アンリ4世が
ナントの勅令 を発布するまで

即ち
諸侯を屈服させるまでに

9年もかかったのですから、


国民国家の形成を阻もうとする反動勢力の力が
如何に強かったかを、

思い至ればならないと思いますし、

今後EUを始めとする 地域共同体 を 形成する際に
最大の障害であることを認識して
とりかかねばならないと思います。



また
その前提として

国民国家から、地域共同体を経て 世界連邦へ
歴史が歩んでいるのだ との 認識を

世論のコンセンサス となるような努力を
せねばなりません。


30年前、1990年代の初めに

1989年 冷戦が終了して、
500年に亘る国民国家の時代が終わり、

地域共同体を経て世界連邦への歴史の歩みが始まった
と、感じて、

その旨を 当時所属していた会社で話したら、

全員から、
何を言っているのか と全く無視されたことがありました。

その中には、
本当に頭の良い人だなと日頃から尊敬していた先輩も
おられて、がっかりしました。


それではと、
専門家は どうお考えなのだろうか?
と、期待して、

堀米先生の後を継がれた木村尚三郎先生の講演を
お聞きしたら、

「先の見えない時代なので、
 お互いに肌に触りながら過ごしている」
と、おっしゃっていたので、

歴史を感じられない人が、
歴史の知識があるからといって

我が国の歴史の第一人者として君臨しているのか
と、がっかりしました。


その後、大分経ってから

塩野七生さんの著書 を お読みしていたら、

「我々(高坂正堯さんと塩野七生さん)は、
 2人とも 20世紀末の時点で

 500年続いた西欧文明は崩壊するのではないか
 という、不安を共有していた」

(塩野七生「想いの軌跡」220㌻ 
 新潮社 2012年12月20日発行)

との文章を読んで、

国民国家の歴史が終焉したことを
認識されておられるのはさすがだけど、

(少ない読書量の中ではありますが、
 20世紀末に500年来の歴史が終焉したとの
 唯一の記述でした)

そのヨーロッパが、
国民国家より 新たな歴史の歩みを
力強く始めたことを感じられないのだな、

と、がっかりして、

その後
塩野さんの著作を読む気が失せてしまいました。



1990年代は、
メガコンペティション(大競争)や
経済のグローバル化 との議論 が
盛んに為されていましたが、

人類の技術力が、
国民国家の国境の枠には収まらなくなったので、

国境を越えて経済圏が拡大した
との、

歴史の本質からの議論が為されず、
目先の現象についての議論が大半だった
ような気がします。


現在、
グローバル化の終焉が良く話題になりますが、

1990年代の
メガコンペティション や
経済のグローバル化 についての議論 と

目先の事象を追いかけているな との
同じような薄っぺらさを感じます。


歴史というものは、
長い時間をかけて進んで行くのです。


国民国家に向けての歴史の歩みは、

フランスにおいて
12世紀末から13世紀初めの
フランス王フィリップ2世の時代から始まりましたが、

フランスの国内戦争である100年戦争 や
ブルゴーニュ公国の分離の動き を 終息させて、

15世紀末に
国民国家としての一応の体裁を形成するまでに、
200年かかっているのです。

その後、
国民国家としての歴史の歩みが始まりましたが、

300年経った フランス革命後になって、

漸く パリからカレーまで通行税を取られずに
ものを運ぶことができるようになった、

との記述 を 読んだ記憶があります。

これは、
フランス革命後になって、
フランスの中央政府の主権が 漸く確立したこと を
意味していますので、

フランス政府が
統治権を国中くまなく及ぼさせるのに

国民国家が成立してから、
300年かかっていたことを示しています。

他方、1793年には

フランス革命により
国民国家のタガが緩んだことを奇貨として、

ブルターニュ が、
フランスより分離独立しようと 反乱したことも
認識しておかねばならないことでしょう。


このように、
過去の歴史を概観すると、

EUが、
国民国家のような、強固な統治組織に変容するには、

大変長い時間をかけた
地道な努力が必要だろうと考えます。

その過程には、
今まで述べたように、

解体の憂き目に 何度も遭遇することも
あり得るのではないでしょうか。

目先の事象に一喜一憂せずに、

人類の技術力の発展に伴った 統治単位 が
とのような形態であるべきか、の

歴史の本質に基づいた議論と方策が、
求められるし、

人類にとっての
最大の課題の一つであろう
と、感じられます。



最後に、
人間の世の中について喝破した 
鴨長明の一節を記述させて頂きます。

  「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

   よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、
   久しくとどまるたる例(ためし)なし。

   世の中にある人と栖(すみか)と、又かくの如し。」

  (鴨長明「方丈記」講談社学術文庫13㌻)


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2017年5月22日 (月)

EUは、一度解体の憂き目にあうのでは?    第2回 2017年5月現在 EUの 問題点の所在 と 前回の処方箋の理由

前回のブログで、

現在のEUは、

1.主権を持っていないことと、
2.キリスト教神学が生み出したマルクス主義の影響により、

場合によっては、解体の憂き目に遭うことがあり得るのでは、
との趣旨を 述べさせて頂きました。


前回のお話は、
EUについて日頃考えている事の結論を述べたものであり、

何故そのような結論になったのかについては、
文章が長くなるので割愛しまししたので、

今回改めて、
今回解体を心配するようなことになった事情について、
お話しさせて頂きます。


  前回のブログ

  EUは、一度解体の憂き目にあうのでは?
  ・・・2017年5月現在 EUに対する処方箋
  http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-30c6.html



    **********



1.地域共同体であるEUは、

技術の進歩により、
行政や統治の範囲が拡大に伴って

封建制から国民国家に変遷してきた歴史の
次の段階に現れる組織体 なのです。


地球上の各地域に於いて、

現在は、
国民国家が、統治単位の原則となっていますが、

今後、
技術が更に進歩することにより、
統治単位が拡大し、

いくつもの地域共同体が形成されることになる
と、考えています。


更に、先の話をすると、

数百年後には、
地域共同体が合体して 地球連邦が形成されるでしょう。

そのときには、
人類は、地球の外への進出を開始しいているのでは、
と、期待しています。



中世の封建時代には、技術レベルが低かったため、
統治の範囲 も 限られたもの でした。


例えば、
フランスの歴史家 マルク・ブロックは、

フライジング司教オットーの次の記述を紹介して、
封建制の時代における権力の限界を述べておられます。

 「これらの権力全てに共通していたた特徴の一つは、

  端的に弱体だということでないまでも、

  少なくともその効果が、
  常に一時的だったという性格だからである。

  しかも、この欠陥は、

  野心が大きくなればなるほど、
  また、
  意図された行動の範囲が広ければ広いほど、

  顕著に現れた。

  ・・・略・・・

  1157年 オットー・フォン・フライジングは、

  無邪気にも、そう書けば

  彼の英雄フリードリヒ・バルバロッサ
  (神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世)を 称揚することになる
  と、信じて、

  <アルプスの北に 立ち返るや、
    まさに 彼がそこにある という事実によって
    フランク人(’ドイツ人の意味である)の間に
    平和が戻り


  <彼の不在によって、
    イタリア人から平和が奪われた


  と、述べている。

  勿論、
  人的結合の絆の執拗な競合も、
  付け加えておかねばならない。

  13世紀半ば(1200年代半ば)になってもなお、
  フランスの一慣習法は、

  ある貴族の一身専属的家臣が、

  その主君の名分を奉じて、
  王と戦っても適法であり得る場合があること

  を、認めている。


  出所;マルク・ブロック「封建社会」504㌻ 岩波書店


マルク・ブロックは、

前段に於いて、

当時の技術力では、
一人の君主が統治できる範囲には限界があった

と、述べておられるのです。


この際に技術の中には、

情報伝達や交通手段などの
物理的な技術だけでなく、

統治技術なども含まれること を
お含みください。


言い換えると、

中世最大の君主だった
神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世ですら、

イタリアから ドイツに 戻れば、

目が届く    ドイツ  は 統治できても、
目が届かない イタリア は 統治できなかった。

逆に、
ドイツ より イタリア に 赴けば、

イタリア は、統治できるが、
ドイツ  は、統治できなくなったと

おっしゃっておられるのです。


これは、
当時の統治技術力では、

ドイツ と イタリア の 両地域 を
統治することは不可能だったこと

を、意味しています。


後段では、

フランス国内に於いて、封建契約により、

フランス王は、

契約当事者の 直臣 を コントロールできたが、

契約当事者でない直臣の家来、
即ち、
陪臣 は、 コントロールできず、

場合によっては、

陪臣が、
フランス王に刃向かうことがあり得たし、

法的にも
承認されていた と、記述されておられます。


これも、
統治技術が未発達だったために、

フランス王の

コントロールできる範囲、
威令が届く範囲、

即ち、
統治できる範囲 に,

限度があったことを示しています。



その後、
時代が進むにつれて、技術の進歩により

国民国家が形成され、

更には、
地域共同体が、

形成されるようになったのです。


この経緯については、
次のホームページの拙文をご参照ください。


   歴史における現在
   *** 国民国家 から 世界連邦へ ***
   http://chuuseishi.la.coocan.jp/000801.htm

   ブッシュ の イラク戦争
   ( 「歴史における現在」再論 )
   http://chuuseishi.la.coocan.jp/030830.htm



2.現在のEU に 解体の可能性、

  言い換えると
  イギリスやフランスの EUよりの脱退の動き を
  生じさせたのは、

  外部の人々 の 流入問題 です。


  これには、

  ① EU外 からの流入 と
  ② EU内部の移動 による流入 の

  二つの問題 があります。


  私の想像ですが、

  イギリスも、フランスも、
  多数の植民地を抱えていましたので、

  第二次大戦 終了後より 現在まで、

  植民地だった人々を 多数受け入れて
  大変な負担を背負ってこられたのだろう

  と、思います。


  といのは、

  パリやロンドンを訪れる度に、

  フランス や イギリス の 外から来られた人々
  (植民地から移住して来られたのだろうと思われる人々)

  の 多さに、びっくりして、

  「日本人だったら、我慢ができないのでは?

   帝国主義時代に植民地を持った負の遺産に対する返済を、
   今払わされているのだな。

   フランス人やイギリス人も、

   日本人が、
   朝鮮人に対して持っているのと同じような感覚を
   持っておられるのだろうに。」

  と、感じていたからです。


  今回の問題は、

  従来の負担 に 加えて、
  (植民地時代の負の遺産)

  EUになったことにより、
  更なる 過重な負担 を 強いられ事態 に対して、

  イギリス国民 の 皆さん が、

  「もう これ以上の負担はお断り」という感情を
  お持ちになったのではないだろうか

  と、推測しています。


  日本人も、

  戦前植民地だった朝鮮人の流入への負担
  に対する疲労感が、限度に 近づいていますので、

  日本人と 同じような感情 を 持ちながら、

  帝国主義時代の負の遺産であると、
  我慢してきた イギリス人やフランス人が、

  引き受ける 義務も 義理も ない
  更なる新しい負担 を 負わされる状況に直面して、

  爆発 又は 反発 されておられるのだろう
  という気が、しています。


  イギリス人やフランス人が、このような感情を持つのは、
  非難も否定もできないだろうと思います。

  例えば、

  今まで苦労して作り上げてきた、社会保障制度を、

  「我々 は、
   イギリス人やフランス人 と 同じ人間 なのだから、

   今日 到着したので、
   イギリス人やフランス人と同じレベルの便益 を 享受させろ」

  と、当たり前のような顔をして、要求されたら、

  「ちょっと待ってくれ」と、言いたくなるのは、
  自然の感情だろう と 思います。

  今まで、

  税金 を 納めて、
  国家に対して 行政サービスへの負担 を してきたからこそ、

  国民として、対価としての便益 を 享受しているのに、

  何の 貢献もしていない
  何の 負担もしていない

  昨日今日 現れた異邦人 が、
  「便益の享受は、当然の権利だ」
  と、主張したら、

  誰でも、
  「何様なのか?」と、反発するだろうと思います。


  現在は、

  国民国家の体制 が 原則ですので、

  国家 が、
  その国の国民の面倒とみる義務 が あるのです。


  ですから、

  よその国が、
  豊かで、自分の国より生活水準が高いのであれば、

  自分の国も、
  豊かで、生活水準が高い国になるよう努力すべきなのです。


  技術が進歩して、
  簡単に 移動できるようになったから といって、

  蟻が 蜜に群がるように、
  ぞろぞろ移動してきては いけないのです。


  もし、そのような事態が生じたら、

  受け入れ側は、
  断固拒否して、本国に送り返すべきなのです。

  そうしなければ、

  民主主義国家においては、
  国民の反発が高まり、政権が交代して、

  もっと極端な 反発や拒否反応 が 生じてしまうのです。


  今回の、イギリスやフランスの動きは、
  その萌芽が生じているな と、感じられます。


  今回のフランス大統領選挙において、

  上記のような視点からの報道がなかったような
  気が しています。

  これでは、

  藪医者が、ああだこうだと
  とんちんかんな処方を繰り返しているのと同じでは?

  と、何ともさみしい気持ちで 報道に接していましたのが、
  残念なことです。


  
  EUの外からの移動が、大きな問題になったのは、

  ドイツのメルケル首相が、
  難民と称する イスラム圏からの人々 の 受け入れ を
  表明したこと が 発端でした。

  あのとき、

  ドイツは、
  80万人の労働力不足 を 抱えているので、

  それに充当すれば良いと判断した
  と、報道されていた記憶があります。


  私は、
  その報道を聞いて、


  西ドイツが、

  戦後人手不足に苦しんで、
  トルコから大量の労働者を導入したことで、
  大変な苦労を背負ってしまい、

  彼らを、
  トルコに 帰国させるのに 大変な苦労をした

  と、聞いていましたので、


  メルケルさんは、

  そのことをご存じないのだろうか、
  東ドイツのご出身なので、安易に考えておられるのでは?

  との疑念が生じたことと、

  EU内には 国境がないので、

  一度 ドイツに入れるということは、
  EU全体に波及する問題なのに、

  関係国間の個別的なやりとりではなく、

  EU全体からの大局的な視点からの議論、
  EUとしての方針の議論 を、
  しないで良いのかな

  と、考えていました。

  
  その後、

  関係諸国を巻き込んだ大変な問題となり、

  私から見ると、

  EUが、
  主権を持たないことが、問題を大きくした最大の原因では?

  と、考えるようになったのです。


  前回申し上げたように、

  EUの運営、統治に責任を持つ人がおられれば、

  ドイツやその他の国の
  個別問題 や独自問題としてでなく、

  EU全体の問題として

  言い換えると
  EUが、問題の当事者として

  どう対処すれば良いのかとの視点からの検討が
  なされることになるだろうに、

  そのような仕組みになっていないことが、
  最大の問題 だろうな

  と、考えたのです。



  EU内部の移動 の 問題 は、

  EU外からの移動 より
  EUにとって もっと身近な大問題だろう

  と、思います。


  イギリスが、この問題で、
  EU離脱 を 宣言するまでに なりました。


  私には、

  EU は、
  EU域内の移動の自由 を 各国に 押しつけるだけで、

  そのための いろいろな施策 を 実施せずに
  放置していたことは、

  無責任の誹り を 免れない と、思います。


  EUが拡大するときに、日本国内で、

  「EUのやっていることを アジア で 例えると、

   日本とタイの間の経済格差 と
   同じくらいの格差 が ある国が、

   一つの共同体に組み込んで やっていこうとしているので、
   本当に うまくできるのだろうか?」

  との趣旨の懸念 を 読んだ記憶 が あります。


  経済格差に大きな開きがある国 を 加盟させる際に、

  その国を、
  どの様に引き上げていくのかの方策を
  EU を 持っていなければ、

  EU域内 で、

  搾取される地域、
  又は
  植民地と同じような地域を

  造り出すことになります。

  即ち、

  住民 の 教育レベル を 上昇させ、
  企業 を 誘致して 雇用 を 創出し、

  その地域が、

  独力で 維持発展できるよう に 育成し
  その地域の人々の暮らしのレベル を 上昇させて、

  住民が、
  安心して 生活できるように せねばならないのです。


  また、

  競争力に劣る国 が、
  ハンディなしの経済競争をすれば

  競争力のある国の餌食 に なってしまうのです。


  EU は、
  このような国を加盟させた後のケアを、
  本気になって やったのでしょうか。

 
  例えば、

  国民国家時代において

  イタリアでは、

  タラントに 新鋭製鉄所を建設するなどして
  後進地域の南イタリアの産業振興に力を入れて
  いろいろな施策を実施しましたが、

  成果 は 上がりませんでした。

  従って、
  我々の生み出した富を、南イタリアという どぶ に 捨てるのか
  との 北イタリアの不満 が 高まり、

  そんなことなら、
  北イタリアだけで独立しようか
  との声まで上がるようになった と、聞いています。


  また、

  チェコ・スロヴァキア では、
  後進地域のスロヴァキア に 集中的に投資をしましたが、

  スロヴァキアは、
  ソ連崩壊後、早々にチェコから分離独立してしまいました。

  このように、民族問題も絡んでくるのです。


  このように、

  本来的に大変な困難を伴うことを、
  EUは、有効な手立てをせずに 放置した

  と、言われても 仕方がない状況 の中で


  先進地域に、
  EU が、

  「EU域内の移動の自由を認めたので、
   無制限に受け入れろ」
  と、押しつけたら、

  限度を超えれば、

  イギリスのように、「さよなら」と言って
  EUより去って行く国が現れてくるのは、

  当たり前のこと では ないでしょうか。


  EUのリーダ国の一角を占めるフランスでさえ、

  この動きが、
  今回の大統領選挙で表面化してきたのです。


  以上のことに、正面から対処するためには、

  各国に任せるのではなく、

  EUが、主権を持って、
  主体的に 自ら どのようの統治せねばならないか
  と、考えて、

  責任を持たねばならない と、思います。


  単に、

  理屈の上から、
  もしくは
  理想に従えば、「こうせねばならない」との
  「畳の上の水練」では、

  せっかくの地域共同体を
  瓦解させる結果を もたらすことしか生じないのでは
  ないでしょうか。


  勿論、
  主権 を 剥奪されるEU構成国 は、大反対するでしょうから、

  どの様にすれば、
  どの様な方法で、

  EUが、
  主権 を 持つことができるようになるのか

  について 深く考えて、
  慎重に実行せねばならないことは

  言うまでもありません。


  国民国家から地域共同体への歴史の歩みを
  本当に理解している 各国の政治家 は、

  来たるべき地域共同体で
  自分の国が有利な地歩を築くにはどうすれば良いのか
  について、深く考えて、行動するでしょう。


  当然、
  主権を 地域共同体に明け渡す際には、
  できるだけハードルを高くすることを考えるはずです。


  現状のEUは、

  軍事力を持たず、
  交渉で、主権を獲得せねばならないポジションですから、

  殆ど不可能というべき交渉を成功させねばならない事を
  覚悟せねばなりません。


  時間がかかる交渉ですが、
  交渉している間に、今回のイギリスみたいに、
  「それなら失礼」と EUから脱退されたら、
  その時点でTHE END ですので、

  技術の進歩を期待して時間を稼ぎ、熟柿が落ちるのを待つ
  というわけにも行かないのが、難しいところなのです。


  更に、

  現状のEUには、

  自分が所属する国民国家の為ではなく

  主権を持った組織体 である EU を
  代表する覚悟と意欲を持った人物、

  自分の全身全霊を賭して、EUを運営、統治していくのだ
  と、覚悟している人物が

  おられないような気がします。


  おられない理由の最大の原因は、
  そのような人物が、表舞台に登場してもらったら困るので、
  
  EUに、
  主権に関する責任権限を持たせないようにしているからだ
  と、思いますので、

  この意味からも EUは、
  一度は解体の憂き目に遭うのではと思わざるを得なくなります。

  EUに関係する政治家、
  及び
  世論 を リードする マスコミや知識人 が、

  歴史の歩みについての理解 を 深めて、
  歴史の歩んでいる先についてのコンセンサス を

  形成することが、まずやらねばならないことだ と、思います。


  その意味で、

  歴史の歩み を 素直に認識できないドグマ を 持って
  歴史の歯車 を 逆転さそうとする論理 を 構築している

  マルクス主義を信奉する人々の影響力を
  排除することも 必要でしょう。




    EUは、一度解体の憂き目に あうのでは????

    第1回 2017年5月現在 EUに対する処方箋
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-30c6.html

    第2回 2017年5月現在 EUの 問題点の所在 と 前回の処方箋の理由
    (今回)
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-159e.html

    第3回 EUが、地域共同体の歴史の前例と 異なる点
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/post-fef6.html

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2017年5月11日 (木)

EUは、一度解体の憂き目にあうのでは?                        第1回 2017年5月現在 EUに対する処方箋

今回のフランス大統領選挙で、
EUよりの離脱に反対のマクロンさんが大統領に選ばれましたので、

EUの存続について、
多くの方が一安心されておられるのだろうと思います。


私も、フランスが、
イギリスのように、EUよりの離脱を宣言するようなことは、
当面避けられたのだろうと、考えていますが、

EUの抱える問題や欠陥が、解消されなければ、
5年後、あるいは、10年後に、あるいは、もっと先の将来に於いて

一度は、
公約に、EUよりの離脱を掲げたフランス大統領が
登場する可能性

あるいは、
EUそのものが、空中分解してしまう可能性を、
否定できないのでは?
と、考えています。


勿論、100年単位の歴史を概観したときには、

技術の進歩により、行政、統治の単位が、
国民国家から地域共同体に拡大することを
止めることはできない と、確信していますので、

いずれは、
現在、EUが現在抱えている問題や欠陥が解消されるであろう
と、考えていますが、

歴史の歩みをスムーズに進めるために、
問題点を あえて俎上にあげて、

欠陥を除去すべきではないだろうか
と、考えますので、

今回は、
あまり議論されない というより お目にかからない

EUの抱える 現状の問題点、除去すべき欠陥 とは何か、
について

今後の歴史の歩みに 少しでも貢献できればと願って
簡単に お話させて頂きます。




    *********




EUが現在抱える問題点、除去すべき欠陥は、
次の2点に集約されると考えています。

 

1.制度上の問題点、欠陥

  EUが主権を持たず、
  各国が主権を依然として保持していること

  即ち
  EUは、独自の主権を持たねばならないこと


2.マルクス主義 からの脱却 が 必要であること

  積み重ねの歴史の一過程である地域共同体=EU  を
  理解しない 繰り返しの歴史に属す政治家、

  とりわけ
  マルクス主義へのシンパシーを持つ政治家が

  EU の リーダーシップ を 握って
  運営、統治することを、避けねばならない


この欠陥 故に、

EUの解体への動きをもたらした問題への対処が、
不十分となり

場合によっては、
EUを、最悪 一旦 解体に追い込むことになるのでは?

と、感じられるのです。



1.EUが主権を持たず、各国が 主権を依然保持していること

  即ち
  EUは、独自の主権を持たねばならない
  に、ついて


 ① いずれの国家においても、地方間で経済格差があり、

   中央政府が主権を行使して
   その格差を是正しようと努力しています。

   即ち、
   国民から徴収した税金により、
   経済格差の是正を行っているのです。

   ところが、
   EUは、主権を持っていませんから、

   EU全体から税金を徴収して、
   事態に応じた 経済格差の是正するための
   機動的な対処や補助金の分配をすることが
   できないのです。

   これが、
   この前の、ギリシアの経済危機の場合に露呈した問題
   なのです。

   あのときは、

   ドイツに対して、
   ギリシアとの貿易により 大幅な黒字を得たのだから、

   その何割かを ギリシアに返却しろとか、
   借金を棒引きにしろ等の、

   全く無茶な議論が 聞こえてきました。

   通常の経済活動で、利益を得たからといって、

   その取引の相手が 倒産しかかったら、
   得た利益の一部を放出しろ等の主張が、

   世の中で通用するものではありません。


   普通の国民国家なら、

   政府が、経済的に疲弊した地方に
   徴収した税金から補助金を弾力的に支出して、

   緊急事態を乗り越えるものなのです。


   ところが、
   EUが、主権を持っていないが故に、

   このような対処ができず、
   小田原評定を繰り返すばかりでした。


 ② もう一つ、全く議論されない 隠れた大きな問題 は、

   EUの政策当局者が、

   通常の国民国家の為政者のような責任感 を
   持たなくなっていることです。

   ここでの 政策当局者 には、

   行政はもとより、
   立法、司法の当局者も含みます。


   国家を運営する為政者が、
   根底に於いて守らねばならないことは、

   国民(構成員)の安全と平和の維持です。


   ところが、
   この国民の安全と平和の維持 は、

   主権を保持する EU内の各国の責任となり、
   EUが、責任を持たないために、

   EUの為政者の判断する際の根底に、

   地域構成員の安全と平和の維持との観念 が
   欠落してしまうのです。


   最近、家内が、ネットで、

   イギリスが、犯罪の被疑者
   (犯罪の疑いをかけられて警察が取り調べた人)のDNAを

   データーベースで保存していたら
   EUの裁判所が、禁止判決を下した と、報じていた

   と、申していました。

   EU裁判所の判事は、

   人権の保護、プライバシーの保護などの観念から
   判決を下したのだと 想像しますが、

   主権を持っている 各国の裁判官 だったら、

   これらの観念 と
   国民の安全と平和の維持とを 比較考量して、

   別の判断を下しただろうと思われます。


   というのは、
   身近な日本の例をご紹介させて頂いて、
   ご理解を深めて頂きたいと思います。


   まず、第一に、

   日本でも、
   警察が、監視カメラを設置し始めたとき、

   野党やマスコミの皆さんから
   根強い反対 を 唱えられました。

   EUの裁判所は、
   取り調べを受けた人のDNAでも禁止したのに

   日本の警察は、
   単に、道路を通っただけの人の写真 を 撮っているのです。

   私も、この話を聞いて 最初 びっくりしましたが、
   治安の確保のために 仕方がないな と、感じました。

   多分、この感覚が、
   国民のコンセンサスだったのだろう と、思います。

   ですから、
   野党やマスコミの皆さんの 反対運動 も 盛り上がらず

   いつの間にか、
   反対運動も、立ち消えになったのだろう、

   少なくとも、
   目立たなくなったのだろうと思います。


   一方、警察は、

   監視カメラの設置をし続けて、

   例えば、
   靖国神社のトイレ爆破未遂事件の犯人が、
   犯行場所のトイレからホテルまでの逃走経路を、

   監視カメラで 全て把握したと報道されていました。

   また、
   ベトナム人の女の子を殺害した事件では、

   こんな辺鄙な所にも カメラを設置しているのかと、
   ニュースを見てびっくりする経験もしました。

   このように、日本全国どこにでも
   監視カメラが設置されるようになったので、

   野党やマスコミの皆さんが、
   反対運動を大いに盛り上げてしているか と、思いきや、

   靖国神社の事件でも
   ベトナム人の女の子の殺害事件でも、

   監視カメラがこのように写していましたと、
   当たり前のように報道していて、

   日頃のマスコミらしさがないな と、
   期待を裏切られて がっかりしました(笑)。


   EUの裁判所の判事だったら、
   監視カメラの設置を始めたときに、
   禁止命令 を 出したでしょう。

   他方、

   国民の安全に 責任を持っている 日本政府 は 勿論、
   日本の裁判所も、

   禁止命令 を 出すことは なかったのです。


   また、国民も、

   この程度のプライバシーの侵害よりは、
   犯罪捜査を優先すべきだ との 黙示の承認 を、
   政府、警察に与えていたのです。



   次に、第二の例として、
   社会党の村山首相をご紹介させて頂きます。


   村山首相は、

   戦前からの左翼の闘士であり、
   自衛隊の違憲 を 主張してきた 社会党の幹部 でした。

   ところが、
   自民党との連立政権の首相に就任された後には、

   自衛隊を 違憲として 廃止する のではなく、

   自衛隊を合憲と認めて、
   自衛隊の閲兵するまでに 変節されました。


   これは、

   日本国の宰相として、
   国民の安全 と 平和 を 維持する重責 を 担った以上、

   従来の 気楽な(失礼)野党時代とは 異なった判断 に
   至った と、考えるべきでしょう。


   あの鳩山首相ですら、
   いろいろ迷走したあげくではありましたが、

   首相としては、
   辺野古への移転 を 認めざるを得なかったのです。

   これも、
   日本の宰相として、
   国民の安全と平和の確保する重責 を 担る 首相 として、

   個人的な見解と異なる判断 を
   せざるを得なかった結果だろう と、思います。


   このように、
   主権国家の為政者の 一端を担えば、

   大半の人が
   国民の安全と平和の確保 が、
   最も 重要な判断基準 となるのです。


   ところが、
   先ほどのEUの裁判官の例に見るがごとく、

   あるいは、
   日本の野党の日頃を見るがごとく、

   国民(構成員)の安全と平和の重責 を
   担っていない人物 による 判断 は、

   ある意味 気楽な、ノー天気というべき結論 に
   至るのです。

   これは、
   たまに聞こえてくる EUのいろいろな議論 を 知ると、

   国民(構成員)の安全と平和を担っていない人の議論だな、

   その意味で、
   無責任の人たちの議論だな

   と、感じることでもあります。


   分かり易く言うと、

   例えば、民進党のような
   政権に責任のない、その意味で無責任な野党が、

   野党の感覚のまま
   国家の運営 を しているようなものだ と、
   お考え頂ければ、わかりやすいのでは と、思います。




2.マルクス主義 からの脱却 が 必要であること

  積み重ねの歴史の一過程である地域共同体=EU
  を 理解しない

  繰り返しの歴史に属す政治家、
  
  とりわけ
  マルクス主義への シンパシーを持つ政治家 が

  EU の リーダーシップ を 握って 運営、統治することを、
  避けねばならない

  と いうことについて


   
  日本において マルクス主義は、

  大学などの教育機関、マスコミ、官公労などを拠点として、
  それなりの存在感 を 誇っておられますが、

  コミンテルンも、ソ連も、最早なくなった現在、

  往時の影響力は、
  大幅に減少したような感じ を 持っています。


  ところが、

  ヨーロッパでは、日本と異なり、

  現在でも、
  有力な歴史哲学であり、政治理念であり続けている
  と、思われますので


  何故、そうなのか、

  また、

  マルクス主義が、
  今後の歴史における阻害要因となるであろう

  と 考える所以を、最初に ご説明させて頂きます。
  


  マルクス主義は、

  ヘーゲルの
  「歴史は、自由の実現に向けて進歩する」との歴史哲学を、

  マルクス流 に アレンジした
  「ヘーゲル亜流の歴史哲学」です。


  「リベラルな民主主義の実現を以て歴史が終わる」
  と、主張する

  ブッシュ大統領時代のネオコンのイデオローグ フクヤマさんや、
  E・H・カーも、

  同様に
  ヘーゲル亜流の哲学の信奉者なのです。


  私には、

  ヘーゲルの歴史哲学は、
  キリスト教のヨハネ黙示録の変形版 だと 感じられます。

  ヨハネ黙示録は、
  歴史が、何度も 繰り返した後に、
  キリスト が 現れ、

  その後、
  最後の審判 に向かって 歴史は 進歩するが、

  最後の審判 が 近づくと、

  アンチ・キリスト が 現れ、
  戦争 や 疫病、飢饉 により

  人類が、惨憺たる惨状 を 経験した後、

  神とキリストが現れて、

  最後の審判 を 行い、
  地上に、天上のエルサレム(天国)が 降りてくる

  というものだそうです。


  ヘーゲルの歴史哲学 と ヨハネ黙示録 は、
  構造的に 同一 であり、

  マルクスの歴史哲学 は、

  ヘーゲル以上に ヨハネ黙示録とそっくり
  というべきものだ と 思います。


  マルクスは、
  歴史が発展するが、

  資本主義に至って、
  資本家の横暴、搾取や公害などにより

  労働者が痛めつけられるが、

  最後に
  労働者が立ち上がって、革命を起こし、

  社会主義から共産主義社会を実現して、

  人類は、
  幸福な生活を送るようになる

  と、主張しています。


  ヨハネ黙示録の

  「アンチキリスト」    を 「資本家」
  「神とキリスト」     を 「労働者」
  「地上のエルサレム」 を 「共産主義社会」

  に 置き換えると、
  全く同じロジック の話であり、

  マルクス主義は、
  「キリスト教の一分派」と いうべきだ
  と 考えています。


  この点が、

  日本とヨーロッパで マルクス主義の位置づけが、
  異なっている原因であり、理由ではないでしょうか。

  日本では、

  キリスト教が、
  根付いていませんので、

  輸入されたマルクス主義も、

  コミンテルン や ソ連 が、
  歴史の舞台から退場した後には、

  根無し草になってしまったのです。

  ところが、
  ヨーロッパでは、

  現在でも
  キリスト教 を 根源とする文明 が 健在ですから、

  その一分派である マルクス主義 も、

  ヨーロッパ社会に於いて
  重要な位置づけ を なされている のだろう
  と、思います。


  現代においては、
  神を 信じない人 が 増加していますので、

  神を信じない ヨーロッパ人 に とって

  キリスト教と 同じロジックのマルクス主義 は、
  非常に受け入れられやすい歴史哲学だろう

  と、思います。


  マルクス が、
  「宗教は、アヘンだ」とおっしゃったからといって、

  その歴史哲学 が、
  全く キリスト教から 離れているわけでは なく、

  マルクス主義、
  更には
  マルキスト(マルクス主義者)は、

  ヨーロッパにおいては
  キリスト教の土壌 を 栄養分として育ったものである
  と、考える方が、

  より説得力があるように思われます。


  (注) マルクス主義 と ヨハネ黙示録の関係 については、
      次のブログを参照ください

      ヘーゲル「歴史哲学」における進歩史観や
      マルクスの史観は、
      キリスト教終末論のパクリでは?
      http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-6e04.html




  次に、
  マルクス主義が、

  積み重ねの歴史の産物である EU の
  今後 に対する阻害要因になる理由 を

  お話させて頂きます。


  マルクス主義 の 土壌となった キリスト教 は、

  千年毎の循環論の中に、
  イエス・キリストの降誕以後 の 千年について、

  最後の審判に向けて、歴史 が 歩んでいく
  との 直線論 を 導入し、

  最後の審判 を 経て

  地上のエルサレム(天国) という ゴール に
  人類が到達して、幸福になる

  と、教えていますので、

  このように キリスト教の教えは、

  基本的に、
  繰り返しの歴史に属するものであり、

  キリスト教に育まれたマルクス主義 も 同様の
  「繰り返しの歴史」に属するもの と、

  いうことができます。

  私は、歴史は、
  「繰り返しの歴史」と「積み重ねの歴史」の2種類あり、

  「繰り返しの歴史」に 属する人は、

  「積み重ねの歴史」を 理解することが、できないし

  「積み重ねの歴史」の 担い手になることも不可能である
  と、考えています。

  従って、
  「積み重ねの歴史」が、
  国民国家 より 地域共同体 に 歩んだ結果である
  EU を、

  「積み重ねの歴史」の担い手しか 担うことができないし、

  「繰り返しの歴史」の担い手が、担ったら、
  とんでもない混乱 が 生じるであろう

  と、考えています。


  例えて言うと、

  車の運転 を 知らない人 が、
  自動車 を 運転したときに 生じる 同じような事態 が

  EU で 生じるであろう
  と、考えています。


  (注) 「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」について
      ホームページの次の拙文 を ご覧下れば幸いです。

      「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」
      http://chuuseishi.la.coocan.jp/070717.htm


  (注) 「繰り返しの歴史」より「積み重ねの歴史」への
      移行の困難性 について、次のブログを参照ください。

      「繰り返しの歴史」の国は、1000年経っても変わらない???
       ・・・中国、韓国は、相変わらず「繰り返しの歴史」の国である
       http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/1000-c9e7.html



  次に、

  EUをリードする
  フランスとドイツの政治家リーダーの
 
  マルクス主義へのシンパシーについて
  お話しさせて頂きます。


  フランスは、
  マルクス主義が強い支持を得てきた国なのです。

  例えば、

  第2次大戦開戦時、

  もし、ドイツがフランスを占領しなかったら
  共産党政権が誕生していたとのことです。

  今回の大統領選挙でも、
  共産党だけで2割ほどの得票を得ていますし、

  大統領に就任したマクロンさんも、
  社会党に入党されておられましたので、

  マルキストとは言わないまでも、
  マルクス主義に シンパシーを持った政治家 だと
  想像しています。


  トッドさん の 本を読むと、

  マルクス主義のシンパシー を 持った方は、

  (ウィキペディアによると、
   トッドさんは、共産党に 入党したことも あるようですから、
   多分 マルキスト なのでしょう)

  「積み重ねの歴史」を 感じて 認識し、理解することが
  できないのだな と、ため息 を ついた思い出 が あります。

 エマヌエル・トッド他「グローバリズムが世界を滅ぼす」(文春新書)
 エマヌエル・トッド 「「ドイツ帝国」が世界を破滅させる」(文春新書)


  今回の大統領選挙 で、

  共産党が、EU離脱 を 主張されましたが、

  「積み重ねの歴史」より「繰り返しの歴史」に、
  歴史の歩み を 切り替えたいのだろう

  と、推察しています。

  でも、
  歴史の歩みを切り替えるには、

  技術の進歩 を ストップさせ、
  更には、
  退化させて、

  行政 や 統治、
  更には
  経済の管理単位 を

  現状より 縮小させなければ
  不可能なことなのです。


  この切り替えするために、

  単に、
  EUから 離脱して、国民国家の単位 に 戻しただけでは、

  実は、何にも解決にならないことを、
  マルクス主義者の方 は 理解できていない のです。


  要するに、
  トッドさん と 同様に、

  歴史の歩みに対する無理解 に 基づいて、
  無駄な回り道 を する政策 を 掲げておられるのです。


  何回か、
  ホームページやブログで お話ししてきたように、


  「積み重ねの歴史」は、

  我々に有意義なもの を 多数与えてくれる 反面

  非常に 凶暴な歴史 であり、

  人間にとって
  過酷で、好ましいものではなく

  「繰り返しの歴史」の方が、
  人間に対する 親和力がある歴史 である

  と、考えています。


  ただ、

  ヨーロッパの一部と、日本で始まった
  「積み重ねの歴史」の歩みというのは、

  旅ネズミ と 一緒で、

  動き出したら 止めることのできない
  自動機械みたいなもの なのです。


  「積み重ねの歴史」の歩み を 止めることが できないなら

  どのようにしたら、
  うまく折り合いを つけることが できるのだろうか

  ということを 考えて、
  対処していかねばならない

  と、考えています。


  そのためには、

  まず、
  歴史 を 素直に感じて、理解し、認識すること が、
  必要でしょう。

  マルクス主義 を 信奉する方 は 勿論、

  キリスト教世界のみならず、
  「繰り返しの歴史」に住んでいる方に

  このことを ご理解頂くのは、
  至難のことだろう と、考えますので、

  微力ながら、
  このブログで 繰り返し お話しさせて頂いているのです。

  「積み重ねの歴史」そのもの である
  地域共同体=EU を、

  どの様に 深化、発展するのが良いのか
  を、考えるとき、

  「繰り返しの歴史」の世界の方に、

  「積み重ねの歴史」について
  身にしみてご理解頂かねばならないし、

  ご理解頂くことが 一番の問題なのだろう

  と 思い、
  この文章を綴っているのです。


  
  EUで、一番強力な国家 である ドイツ は、

  東独出身のメルケルさんが、
  10年あまり 首相として統治され来ました。

  東独出身の方ですので、

  マルクス主義 を 徹底的に骨 の髄まで
  たたき込まれた方なのだろう と、想像しています。

  メルケルさんが、
  長年 統治されてた結果 なのかどうか 分かりませんが、

  数年前、ドイツ旅行したとき、

  半世紀以上前に
  南ドイツからオーストリアにかけて
  3週間ばかりバス旅行したときの印象 と、

  極端に異なっているのに びっくりしました。


  50年前の旅行したときは、
  西ヨーロッパに来たなと感じましたし、

  その後、
  フランスやイギリス、イタリアなどの他の国に旅したときとも

  半世紀以上前に得た ドイツの印象、イメージ と
  違和感 を 感じることが ありませんでした。

  また、
  他の国では、

  例えば、フランスでは、

  40年ぐらい前に得た印象と 現在感じる印象を
  比べたときに

  数年前 ドイツで感じたような違和感 を
  感じること は ありません。


  数年前のドイツの印象は、

  例えて申し上げると、
  以前 「スパイ大作戦 ミッション・インポシブル」という
  テレビ番組がありましたが、

  その番組で描かれた
  冷戦時代の東欧 と 同じような印象 が したのです。

  西ヨーロッパ の 明るい、開放感溢れる自由さ を
  感じられなかったのです。

  どうして ドイツが、
  こんなに印象が変わったのだろう と、
  訝しく思っていたのですが、

  一緒に行った家内も、
  同じような印象を持っていて、

  私の独りよがりではないなと 確認できました。


  多分、ドイツの印象が変わったのは、

  マルクス主義の下で育った メルケルさん が
  統治することによって、

  ドイツが、
  「積み重ねの歴史」の国から 「繰り返しの歴史」の国に
  先祖返りをしたことによるのだろう

  と、想像しています。

  ドイツは、
  もともと、繰り返しの歴史の国でした。

  ナポレオンに敗戦した後、プロイセンが奮起して、
  「積み重ねの歴史」の国に 抜本的に大変革し、

  ビスマルクやモルトケなどの天才を輩出したことにより、
  ヨーロッパで有数の国にのし上がったのです。

  もともと、日本とドイツは、
  お互いに 親近感を持ち合っている国でした。

  ところが、
  最近では 肌合いが合わない、疎遠の国 に
  なっていますし、

  ドイツ人も、
  以前のような日本への親近感を表さなくなったな

  と、感じています。

  逆に、ドイツは、

  中国 と 緊密な関係 を 持つようになったな
  と、感じられます。

  ドイツと中国の間が、
  経済的な関係以上の親密さ を 感じるのは、

  同じマルクス主義の下で育った 指導者同士だ
  ということもあるのでしょうが

  それ以上に、
  お互い「繰り返しの歴史」の国だからこそ、

  同じような感覚を感じるのではないだろうか、
  と、想像しています。

  日本 が、
  ドイツ と 肌合い が 合わなくなったのも、

  日本 が、
  「積み重ねの歴史の」国である のに反して、

  ドイツ が、
  先祖返りして「繰り返しの歴史」の国 に なったから
  のような 気が しています。


  ドイツが、
  「繰り返しの歴史」の国になったな と 感じた
  もう一つの出来事 は、

  フォルクスワーゲンのディーゼルの不正事件 です。

  中国や韓国 の 企業 が、やりそうなことを、
  ドイツ を 代表するメーカー が、どうしてしたのだろうと、

  ニュース が 報じられたとき、
  訝しく 感じられましたが、


  今から考えると、

  ドイツ が
  「繰り返しの歴史」の国に 先祖帰りしたなら、

  努力のせずに、安易にごまかすこと を
  考えることのは あり得るのでは と、納得しています。

  多分、
  このまま ドイツ が 突き進んだら

  我々 が 今まで持っていた ドイツのイメージ を
  大幅に 変更しなければならない時 が
  来るような気が します。


  本題の戻って、

  ドイツが、
  「繰り返しの歴史」の国に 先祖帰りしたならば、

  「積み重ねの歴史」がもたらしたる 歴史的存在である EU の
  歴史的な必然 や 使命 を、

  フランス 以上に 理解せず、

  むやみやたらに
  方向外れの とんちんかんな政策 を 振りかざして、

  EU を 混乱に陥れる 元凶 になるのでは、
  との可能性を 否定できないだろうと思われます。


  EUの豊かさ に 引きよらせて、
  イスラム圏から 多数の人 が 押し寄せたとき、

  メルケルさんは、
  誤った判断 を されましたが、

  これからも
  同じような 間違った判断 を 繰り返して、

  場合によっては、
  EU の 解体の危機 を もたらすのでは、
  と、危惧しています。



  以上、

  EU を リードする
  フランス と ドイツ の リーダー を 概観すると

  国民国家 から 地域共同体に 発展させた
  「積み重ねの歴史」のなんたるかを
  理解されておられない政治家が、

  イニシアチブを発揮して
  政治 を リードされておられるのでは
  との疑念が、ぬぐいきれません。


  EUの今後は、

  人類の歴史にとっても、

  また、
  我々日本人にとっても、

  重大関心事でありますので、

  目先の事象に囚われず、

  歴史の歩みの本質や
  歴史における現在の意味や使命 を

  十分に理解された上で、

  EU を
  地域共同体の先例である アメリカ合衆国 のような
  主権を持った 有機的な組織体 にするためには、

  どのようなステップ を 踏んで行くのがよいのか、
  について、

  明確に ゴールを指し示して、
  強力に 推進する リーダシップ を 持った政治家 が
  現れることを、

  心から祈念しています。




    EUは、一度解体の憂き目に あうのでは?

    第1回 2017年5月現在 EUに対する処方箋
    (今回)
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-30c6.html

    第2回
    2017年5月現在 EUの 問題点の所在 と 前回の処方箋の理由
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-159e.html

    第3回 EUが、地域共同体の歴史の前例と 異なる点
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/post-fef6.html

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2016年7月 3日 (日)

イギリスのEU離脱についてのちょっとした論点

2016年7月1日


今回のイギリスのEU離脱について、

メールをいただいた友人に、
次のような返信をしましたので、ご参考までにご紹介させていただきます。


1.今回の問題は、世界を揺るがす政治的、経済的大事件なのだろうか? 


  
今回の離脱は、
  歴史上の視点からは、興味ある問題ですが、

  現実の
経済や政治上の視点からは、
  マスコミが騒ぎ立てるほどの大事件なのか?との気がしています。


  
冷静に考えると、
  
イギリスが、EUから分かれるだけですよね。

  イギリスは、
  
ユーロを使用せず、独自通貨を使用していますし、
  EUを離脱しても、関税などの貿易協定は現状と変わらないでしょう。


  大分前(といっても5年以内ですが)
  ユーロスターで、パリからロンドンに行ったとき、

  パリの駅で、空港のパスポートコントロールと同じ手続きが必要なのには
  びっくりしました。


  EUのほかの国への移動は、
  フランス国内の移動と変わりませんでしたので、


  イギリスは、
  EUに加盟していても、EUとは一定の距離を置いているのだなと、
  
実感しました。


  ですから、
  イギリスがEUを離脱しても、一過性のショックはあったとしても
  根本的に、今までと何が変わるのか?について、
  私にはよくわかりません。


  今更、
  EUとイギリスの間で、関税障壁合戦をするとは思えません。


  ロンドンからフランクフルトにヨーロッパの金融センターが
  移動したとしても、


  ヨーロッパというコップの中の移動であって、
  世界的にはどうという問題ではないのでは?
という気がします。


  
マスコミは、
  今日の為替や株がこのように変動したから大変だ
  と、目先のことを言うばかりです。

  
リーマンショック並みの問題だというなら、
  そのメカニズムを説明してほしい と、
  マスコミ、有識者にお願いしたいと思います。


  
勿論、
  イギリスの離脱を引き金にして、EUがばらばらになってしまうなら、

  これから、
  今後の歴史の歩みについて、いろいろな問題が生じるかもしれませんが、


  イギリスのEU離脱自体の直接の政治的、経済的な影響は、
  一過性のショックで終わるのでは?という気がしています。


  歴史の歩みにいろいろ問題が生じるということで、
  すぐに頭で浮かんでくる大変重大な問題点は、

  イギリスとEUの離脱交渉がまとまるまでの間に、、、
  
  ① イギリスに追随して、EUから離脱する国が現れたり、
  ② EUと直接結びつきたいと要求する地域が、
    独立を主張するなどにより、

  EU各国において、国民国家解体の問題が表面化して、

  
EU全体が大揺れして、
  ひいては世界中が大変な動乱に巻き込まれるかもしれないことです。

  このこととが表面化したら、今回のイギリスのEU離脱は、
  歴史の流れにおいるエポックメイキングな事件だったとの評価が、
  なされるようになるかもしれません

  この意味から、EU全体の動向については、

  短期的な 表面上の現象がどうなるかとの視点でなく、
  長期的な視点、今後の歴史動向との視点から
  注視していかねばならないだろうと考えています。 





2.新たな類型の民族問題の出現


  
 
今回の離脱の原因 が、
  民族問題であることを知った時には、びっくりしました。



  私は、恥ずかしながら、
  
当初、今回の離脱問題は、主権のあり方についての議論だろう
  と、想像していました。

  
ですから、
  
イギリスで、国会議員が殺されたことが、国民投票に影響する
  との報道が、イギリスでなされているのを見て、


  何故、関係があるのだろうか? 
  と、理解できませんでした。

  日本のテレビのニュースでは、
  何故、事件が生じたのかについては説明がなかったのです。



  
これは、日本のマスコミが、

  
いかに、偏向した(偏った)報道をしているか、
  いかに、自分の都合の悪い事実
を伝えないのか、
 
  を、改めて示していると思います。


  世界の最先進国の一国であるイギリスで、
  マスコミの忌み嫌う民族問題、人種問題から
  EUの離脱問題が生じたということは、

  尖閣問題や舛添問題により朝鮮や中国への反感を強めている
  日本人には隠しておきたいこと、都合の悪いことだったのでしょう

  と、今回の問題の本質を理解してから、感じました。



  イギリスの国会議員殺害事件について理解できないのは何故だろう?
  と、こ
の点に注目してネットなどを見てみると、

  
今回の国民投票の原動力は、主権のあり方は二次的な問題で、

  
一次的には、
  外国人が、無制限に流入してくることを
  EUが押し付けてくることへの反感から生じた問題だ と知り、

  
それでは、
  ユダヤ人排斥と同質の問題ではないかと、ある意味びっくりしました。


  即ち、
  EUの拡大により東方諸国の人々が、
  EU域内で自由に移動できることを利用して、
  蟻が蜜に群がるようにイギリスに押しかけていることに、加えて、

  直近では、
  イスラム系の難民と称する人々が、どっと押し寄せてくるのを、
  EUが、受け入れろ と、押し付けていることに
  イギリス人の反感が高まって、

  そんなEUなら、離脱してしまえと、
  国民投票にまで至ったということでした



  私は、
  
ブッシュのイラク戦争の時に、今後の歴史の波乱要因は、

  民族族問題、
  
強盗国家(独裁国家)、
  アメリカなどの覇権国家、
  
の 3つであろう と、考えていました。


  民族問題については、

  国民国家のタガが緩んだことを契機にして
  国民国家に 不本意ながら所属させられてきた 主権を奪われた地方 が、
  独立を要求したり、
  直接、地域共同体につながりたいと要求することにより、

  国民国家のタガがますます緩んで、国民国家が解体して、
  収拾が困難な事態が生じるのではと考えていました。

  例えば、
  バスク人やクルド人がそうでした。

  また、
  ベルギーのようにフランス系とドイツ系の分離のような問題もありました。
  スコットランドの独立についての国民投票も、この動きの一つでしょう。


  その意味で、今回のような、

  ① 地域共同体内の地域間格差、経済格差が原因での民族の大移動や、
  ② 地域共同体の外の人々が、
    豊かな生活を求めて大量に流入してくることによる
    受け入れ国による反感が生じて、民族問題が発生することは、

  現代という歴史段階において登場した、新たな類型の民族問題でしょう。


  なお、
  難民問題は、
  ある国で内紛や内乱が生じても、関係各国の連携により収束されて、
  基本的には、歴史を揺るがすような大量の難民は発生しないものです。


  (注) 「大量の難民は発生しない」について

      内戦においても、
      数十万人~100万人単位の難民は発生します。

      ここで、「大量の難民」というのは、

      難民を口実として、豊かな社会に引き寄せられて
      流れ込んでくる数千万人の人々のことを 指しています。

      ドイツの首相は、
      上記に対する歴史認識が欠落していた故に

      近視眼的に、数十万人単位の人 を 受け入れるつもりで
      数千万単位になり得る人を、ヨーロッパに呼び込む政策を実施して

      ヨーロッパ社会の安定を脅かした と、評されるのだろうと思います。



  今回の現象により表面化したことは、

  難民問題が発生すると、それに便乗して経済的に豊かな国や地域に移動する
  数千万人単位の大量の予備軍 が 存在するので、

  彼らの大量移動に対してどのような対策をとるのか、という
  人類の英知が試されていると言っても過言ではない課題が
  重くのしかかってきたことでしょう。

  ブッシュのイラク戦争(「歴における現在」再論)
  http://chuuseishi.la.coocan.jp/030830.htm



  今回のイギリス人の外国人に対する反感は、

  どのような価値観により評価するかにより、
  是非の判断は異なると思いますが、

  彼らが、そう考え、要求するようになった心情は、理解できます。



  即ち

  受け入れ側の都合を考えずに、
勝手によその国に入り込んできて、

  
受け入れ国であるイギリスのルールを無視して、
  平穏な生活の脅かすような
やりたい放題しでかして、

  社会福祉などの社会的なサービスやメリットを要求し、享受する、
  というような連中に、
イギリス人が、反感を持つのは 当然のことでしょう。


  アメリカでも、
  
トランプ氏が共和党の大統領候補にまで抬頭したのは、
  同質の問題があったからです。


  中国の共産党政権が崩壊して、内乱状態になり、
  
数千万人単位の中国人が、難民と称して 日本に押し寄せてきたら、
  
今回のイギリスの比ではない大問題が日本で生じるでしょうから

  今回のイギリスのEU離脱問題をもたらした 新たな類型の民族問題は、
  日本が他山の石として、真剣に検討すべきものだと思われます。


  
この問題が生じる根本は、
  
民族移動の起点となった国家の無責任さが原因ですが、

  
実際に生じた問題をどう対処すべきか、
  
政治・経済的にも大変な難問を人類は背負い込んだな
  という気がしています。

  
これも、
  今まで想定していなかった
  国民国家から地域共同体への移行の際に生じる一つの問題でしょう。

注) 国民国家より地域共同体への移行の際とは、
   国民国家のタガが外れているのに、地域共同体が確立していない
   過度期 を、意味します。




従来類型の民族問題
即ち、
このブログの最初で述べたように、

主権を奪われた地域が、EUと直接結びつきたいと要求する動きである
スコットランドの動向も、注視していかねばならないでしょう。

というのは、
スコットランドの要求が、

① EU加盟のため 独立を要求する 国民国家の中のある地域が
  現れるとともに

① そのような地域の独立により、
  国民国家である自分の国が解体されるのを防ぎたい
  いくつもの国が、

  国民国家のタガをはめなおすために、
  イギリスに追随して、EUより離脱することにより

  EU自体の解体の可能性が現実化する可能性もありうるからです。


スコットランド首相が、
EU議長に「EU残留」=「スコットランドの独立」を意向表明した直後に、
フランスとスペインが、即座に否認しましたが、

これは、
フランス、スペイン両国で、スコットランドと同じように地域が
EUと直接結びつく=独立の動きが表面化することを
警戒したからなのでしょう。

 
スペインは、
バスク問題がすぐに思いつきますが、

最近では、
バルセロナ分離問題が、より大きな問題として
クローズアップされてきています。

バルセロナ分離というと、
日本人にはピンと来ないと思いますが、

要するに、
15世紀に統合したしたカスティリャとアラゴンの分離、分裂
即ち、
スペインの分裂を意味しているのです。

そんな問題を抱えたスペインが、
スコットランドの要求を、「はい、わかりました」と、
受け入れるはずがないのは、当然です。

フランスが拒否した理由は、私にはわかりません。

フランスは、
パリのフランス王権が、外国を含む各地方を併合して
出来上がった国ですので、

日本では報道されていない分離、独立問題があるのかもしれません。
  

このように、

① 国民国家のタガが緩んで、
  
国民国家が解体するムーヴメントが生じること、
② また、
  国民国家の解体の動きを阻むために、
  EUから分離する国が、ドミノ倒し的に発生して、
  EUの解体に向かうムーヴメントが生じること

に、注目せねばならないことを認識しておくべき
だろうと思います。


アメリカも、今後

WASPの支配力が落ちてきて、
国家が分裂するまでに至らないとしても、
国としてばらばらになって、
各地方が分立していくような気がしています。



技術の進歩により、

統治単位、経済単位が従来の国民国家に収まることができなくなり、

さらに拡大した単位である地域共同体に、

長期的な歴史は動いて、収斂するはずであり、

その先には、

地球連邦への道があるだろう と、確信していますが、
  

その動きの過程では、

今回のように、地域共同体も、従来の国民国家も 無視した、

アナーキーな状況が生じることがあることが、

頭ではなく、実地で理解できたということが、
今回の教訓ではないでしょうか。
 


歴史というのは、いろいろな紆余曲折を経るもので
今回の英国の離脱も、後から振り返ると
大きな歴史の流れに棹さす、泡のようなものだった
と、評価されるだろうと感じられますがすが、


渦中に於いては、
今後の動向の視界が不透明なことは否めないため、

歴史に対する野次馬の私にとって、
今後の動向がどうなるか興味津々です。
  

その意味で、

もう少し若ければ、もうちょっと歴史観察を楽しめるのに、

と、残念がっています。
 
 
 

ちょっと本筋から離れますが、
 

ロンドン市が、イギリスより独立しようとの声を上げているのに、

「面白い」と、微苦笑しています。


ロンドンは、

イングランド史で、特別の地位と役割を果たしてきて、

国の中の独立国家のような存在として、
イングランドを左右するほどの力を持っていた町でしたが、


21世紀になっても、

中世と同じようなメンタリティーを彼らが持っているのだな、

と、確認できたのは、収穫でした。


今回のような問題が日本で生じても、

東京が、日本より独立しようなどの動きはあり得ませんよね。
 

都市間の外交で、「市の鍵」を贈呈することをよく見ますが、

中世においては、
降伏した際に、市長が征服者に実際に使用していた市門の鍵を
渡すのが通例でした。


今回、
城壁に囲まれた中世の町が、ロンドンに忽然と現れて、

「市の鍵を、イングランドには渡さないぞ」と叫んでいるような
感じがして、面白がっています。


3.ヨーロッパの「繰り返しの歴史」への傾斜
  
ヨーロッパが、
「積み重ねの歴史」から「繰り返しの歴史」に移るのでは、と感じたのは、

フォルクスワーゲンの事件の時でした。

あのドイツも、
「積み重ねの歴史」の負担に耐えられないのかと、
感慨深くニュースを見ていました。



また、
パリやロンドンを訪れる度に
この数十年で、彼らの植民地だった人が多数働くようになったのを見て、


フランスもイギリスも、
「帝国主義時代の重荷を背負って大変だな」と感じながら、
「それにしても、よく我慢して、受け入れているな」と、感じていました。


更には、
イギリスの政治が、イギリスらしさが薄れてきたな、

その原因は、
イギリス人でない人々(具体的には、植民地から移住してきた人)が
増加したからではないかしら?
と、感じていました。


アメリカも、先ほど述べたように、

WASPの支配力が衰えてきて、「積み重ねの歴史」が薄れているのは、


スペイン系などの移住者が増加して、自分たちの勝手な主張をして

社会を混乱させているからのような気がします。


もともと、
ヨーロッパやアメリカで、
「積み重ねの歴史」を担う人は、少数派でしたので、


その少数派が、さらに比率を下げて、僅少派になると、

「繰り返しの歴史」の国と、そんなに変わらなくなってしまうような
気がしています。


「繰り返しの歴史」の国である
中国や韓国 を 見ても、

「繰り返しの歴史」の国でも、
「積み重ねの国」が今まで積み重ねてきた技術、知識を、
パクることができ、それらしいものを作ることもできることが
分かります。


ただ、
「繰り返しの歴史の国」は、

既存の技術や知識に新たな上乗せができないだけなのです。

それはそれでよいのでは、と考えれば、それでよいのです。


ヨーロッパやアメリカには、ごく少数の人ではありますが、
「積み重ねの歴史」を担える人がいるでしょうから、

それなりに、
「積み重ね」が行われるかもしれませんが、


組織だって、ぐいぐいと歴史を積み重ねていくことは
できるのかな?
と、疑問に感じています。



今回のイギリスの国民投票で感じるのは、

フランスとドイツの政治面における「繰り返しの歴史」化です。

ドイツ首相は、東ドイツの出身で、
マルクス主義の教えが、骨の髄までしみ込んでいる人でしょう。

ですから、
行動の端々に、「繰り返しの歴史」が見え隠れしてくるのでは?
と、感じられます。


フランスは、
共産党の勢力がヨーロッパの中でも大きな国です。

トッドさんをはじめとして、多数の知識人が、
マルクス主義者 ないし そのシンパ なのでしょう。


マルクス主義が、
「繰り返しの歴史」の世界の思想である、
との私の仮説については、
次のブログを参照いただければ幸いです。


ヘーゲル「歴史哲学」における進歩史観やマルクスの史観は、
キリスト教終末論のパクリでは?
http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-6e04.html



今回のイギリスの問題も、

EUをリードするフランスとドイツの指導者、
特に、ドイルの首相が、
引き金を引いた と、言ってもよいのではないだろうか
と、感じています。



4. 過去の地域共同体(含む共同体類似)とEUの違い


歴史上の地域共同体の前例は、
アメリカ合衆国です。

13の邦(State)が、
アメリカ合衆国という一つの地域共同体を作ったのです。

各州(各邦)は、 主権を保持していましたが、
一つの地域共同体となるために、
外交権は、地域共同体の政府である連邦政府に委任しました。


地域共同体類似の存在は、

16世紀末のフランスと
19世紀の日本(明治維新)

が、思いつきます。



アメリカは、
建国後100年足らずで、黒人奴隷を巡って南北戦争になりました。

黒人奴隷問題で、北部と南部の意見が衝突して、
南部が、「それなら主権を行使する」と、連邦から離脱したのです。

原因は別ですが、「主権の行使による離脱」という経緯は、
今回のイギリスのEU離脱と同じです。


今回のEUは、イギリスの離脱を認めていますが、

当時の北部、即ち リンカーン大統領は、
南部の離脱を認めず、武力での解決となりました。

もし、南部が勝利していたら、
アメリカは南北に分かれていたのです。

アメリカの統一が維持できたのは
リンカーン大統領が、
「統一
(主権)を維持するとの断固たる決意」をもって
戦争に勝利したからです。


 
16世紀末のフランスとは、
所謂、「3アンリの戦い」を指しています。


フランスは、
15世紀末にフランス王権が中央集権を確立して、
ほぼ現在のフランスの中央集権国家を形成しました。

(正確には、現在のフランス領土と比べると、
 ロレーヌ、アルザス、サヴォイ、フランドル南部など
 抜けている部分も多いです。)

それから100年もたたないうちに、宗教戦争が勃発し、

3アンリの戦いで、

アンリ4世が最終的に勝利して、ブルボン朝を創始した と、
歴史の本に書いてありますが、

フランソワ・バイルー「アンリ4世」の伝記を読むと、
 

3アンリの戦いのとき、
フランスは南北戦争勃発必至の状況だった
と、記述されています。

一言でいうと、

フランス王アンリ3世は、

ロワール川のいくつかの町しか支配していない
室町将軍みたいな存在で、
  
ロアール川以南には、

南部共和国の大統領のような存在のアンリ4世、
  
ロワール川の北には、

中世の封建社会にフランスを戻そうとした諸侯代表の
ギーズ公アンリが、
にらみ合っていたとのことです。
 
 
実際には、

室町将軍のような存在のフランス王アンリ3世が、
ギーズ公を殺害し、

 
その報復に、 

アンリ3世も、ギーズ公陣営の刺客に殺害されて、
  

アンリ4世が、フランス王に即位したのですが、
 

もし、ギーズ公アンリが暗殺されていなければ、
北フランスと南フランスの戦いが生じて、

フランスは、
北フランスと南フランスの2国が並立していたかもしれない
と、バイルーは記述されておられます。
 

  
アンリ4世即位してから、
北フランスのギーズ公アンリの配下の諸侯を
一人一人、金銭や地位で屈服させていき、

最後に残ったブルターニュ大公を降伏させて、
ナントの勅令で、フランスの統一をなしとげました。
 

即位からナントの勅令まで、
10年近くの道のりが必要だったのです。
 

実は、
さらに、その後も反抗を続けたサヴォイ公 を、
17世紀初頭に、アルプスの向こうのトリノに追い出して、
本当の意味の平定が終了しているのです。


このような経緯を見ていると、

アンリ4世の「主権を死守して、フランスの統一は維持せねばならない」
との決意が、
大きく結果をもたらしたなと、感じられます。
  

  
  

19世紀の日本は、明治維新です。
 

明治維新直後に、廃藩置県を実施して、大名を東京に呼び寄せ、

明治政府が、各藩を直接統治するようにしたのが、

明治維新の成功の秘訣だろうと考えています。

廃藩置県により、
明治政府が、各藩の主権を取り上げたことが、

その後の不平士族の乱に直面しても、
統一を維持できたた理由なのだろう と、思います。
  

 

このように、過去の地域共同体の例を見ると、

各地方の分立していた主権(統治権)を、中央政府が召し上げたことが、

地域共同体の分裂を阻止し、統一を維持した秘訣だろうと思います。
 
 
この点、

EUは、各国の主権をそのままにしていますので、
 

EUが、主権を有する単独の統治体となっていないことが、

分裂するとしたら、分裂をもたらす大きな原因だろうと思います。
 

 

ギリシアの経済危機の例を見ても、
 

現状においては、ドイツに 主権があるわけですから、

いくら ギリシャより 貿易で利益を得ているから と 言って、
 

ドイツや、ドイツの個別企業の債権を、「棒引きにしろ」と
要求するのは、
乱暴すぎる議論でしょう。
 

 

しかしながら
もし、EUが、主権を持っていれば、

EU全土から、税金を徴収して、地域交付金として
ギリシアやイタリアなどの地域に、
配布することになります。

 

現状においては、EUに主権がないため、このような対処ができず、

EUの地域的な経済問題が生じても、
各国のにらみ合いに終わるしかないのです。
 

 

そうこうしているうちに、
 

今回のイギリスの民族問題が勃発して、

イギリスが離脱を決意する事態になりました。
 
 

これも、

もし、EUに主権があれば、

EU全体の視点から、対処することが可能なのだろうと思いますが、
 

現実には、

ドイツやフランスなど各国のばらばらの対応で、

まともな対処ができない状況になっていて、

 それが原因で、EUの分裂の危機が訪れているのです。
 

 

 

過去の地域共同体を見ると、

地域共同体ができて、100年以内に分裂の危機が
持ち上がっていますので、
 

戦後70年を経たEU が、 

これまでに主権を持たずに来たことが、

分裂の危機をもたらしているのだろうと言えると思います。

 

その意味から、

EUは、これから大変な難局に直面するでしょう。
 

 
これを乗り切れるのか否かは、私には判断がつきませんが、

一つだけ言えることは、 

 

国民国家より地域共同体への動きというのは、
 

技術の進歩により、
統治単位、経済単位が拡大したことによるものである以上、 

 

いつの日にかは、

一つの主権を持った地域共同体が現れることは、
間違いないだろう
と、思います。

 

この実現する日が、

10年後なのか?

100年後なのか?

それとももっと先なのかは、 

人類が、どれだけ賢くなっているかによって、決まると思います。 



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2015年1月 8日 (木)

私流(わたしりゅう)「歴史とは何か」

ティエスの「国民アイデンティティの創造」を読みながら、

「歴史とは何か」ということを、つくづく考えなければ、
という宿題が、浮かび上がってきました。

というのは、
例えば、

ギリシア史とは何なのか?
ギリシア史は、一つの歴史とは言えないのでは?

ということに対する解答が必要だな と、いうことが
浮かび上がってきたからです。


もう少し ご説明させて頂きますと、
古代ギリシアは、

ローマにより併合され、ローマの一部となりました。

そのローマも、東西に分かれ、
東ローマがビザンツ帝国に変容していきます。

ビザンツ帝国は、
ギリシア人の帝国 と 言われていますが、

ギリシア本土は、
ビザンツ帝国の一部にすぎず、

ビザンツ帝国の歴史=ギリシアの歴史
というわけにはいきません。

しかも、ビザンツ帝国に、
スラブ人が侵入してきて、ギリシアにも定住しましたから、
ギリシア人との混血 が 進んだのでしょう.。

即ち、

それ以降、
ギリシアに住んでいる人は、

民族的にも、
古代のギリシア人と異なっているのです。

(尤も 古代ギリシア人も、混血により出来た民族です。)

ですから、
古代のギリシア人の後裔が、ギリシアに住んでいた、
と、ストレートに言うことはできません。

その後、
南イタリアのノルマン人が、ギリシアに攻め込んだり、

第4回十字軍の後、
フランス人を中心とする十字軍国家が幾つも建国され、

ギリシアを支配しました。

ビザンツ帝国が、
オスマントルコに滅ぼされた後は、

イスラム国家のオスマントルコの支配で、
近世まで数百年過ごしています。

この様な経緯を経て、
現在のギリシアがあるわけですが、

今まで述べた経緯を、

単に記述するだけでは、
ギリシア史を語ったということにはならず、

ギリシア史とは何なのか?
との疑問しか残らないと思います。


実は、同じことが、
イタリア史にも言えます。

イタリアは、
ローマ帝国が建国された地域ですが、

西ローマ末期以降、
ゴート族、
ランゴバルド族、

更には
フランク が 侵入し、

また、
南イタリアは、
ビザンツ帝国が支配していたのです。

中世になっても、
ドイツの皇帝が、イタリア政策といって、

1250年 フリードリヒ2世が没するまで、
イタリアに遠征してきましたし、

  注 ; フリードリヒ2世は、ドイツ人ですが、
     イタリア生まれで、生涯イタリアで過ごしました。

ドイツの皇帝 の イタリア政策 と 平行して、

ロンバルディアでは、都市国家が発達し、
中部イタリアでは、 ローマ教会領となり、
南イタリアは、   ノルマン人が支配していました。


フリードリヒ2世没後、

ローマ教皇が、
フランスのシャルル・ダンジューをイタリアに引き入れて、
ホーエンシュタウフェン家を滅ぼして、

その後、2世紀半程度、
イタリア人の民族の祭典である
イタリア・ルネサンスが花咲きましたが、

その間でも、

シチリア島は、
スペインのアラゴン、

南イタリアの半島部分は、
フランスのアンジュー家の末裔が支配した後
スペインのアラゴン家が、シチリアと共に ナポリも支配しました。

百年戦争を終えたフランスが、
ミラノとナポリの支配権を主張して

15世紀末からイタリアに侵入し、

アラゴンの後裔のハプスブルク家と、
イタリアを巡って、16世紀半ばまで争い

その後、ハプスブルグ家が、 イタリアを支配しました。
(教皇領を除く)

19世紀の後半に、

ハプスブルクに対する独立戦争には負けたけど、
独立を果たした、という 不思議な経緯 により、

本来的には
イタリアの諸侯ではない サボイア家 が、
イタリアを統一したのです。

この様な経緯ですので、
イタリア史を記述するとなると、

どのような視点から 記述するのか?

イタリア史とは、
一つの歴史と言って良いのか?

との議論が生じてきます。

山川出版社に、
世界歴史大系という大学レベルの教科書叢書
が、ありますが、

欧米の主要国の歴史が、とっくに出版されているのに、
イタリア史が大幅に遅れているのは、
その様な難しさがイタリア史にはあるからでしょう。


更に、
スペイン史にも、疑問が生じます。

通常述べられる スペイン史の概略 は、

ローマ帝国の後、
西ゴートが支配していたが、

8世紀初め、イスラムが侵入して、
ピレネー山脈の麓まで追い詰められたスペイン人が、

レコンキスタを行って
15世紀末にイスラム教徒を追い出して、

カスティリアとアラゴンが合体したスペインを作って、
現在に至っている、ということでは ないでしょうか。

でも、これでは、
8世紀から15世紀末までの間、
スペインを支配した イスラム教徒 が、

どのようにスペインを支配したのか
との視点が、欠落しています。

この間に、イスラム教徒は、
アルハンブラ宮殿 に 象徴される 大変高度な文明 を、
スペイン で 作り上げていますし、

ヨーロッパの近代文明の基礎となった
ローマ・ギリシア文明を、

ヨーロッパ人は、
主に、スペインから 取得しているのです。

ヨーロッパ人にとって大切で重要な
スペインでの文明の契受については、

例えば、
「12世紀ルネサンス」といった
個別テーマにより記述されていますが、

そもそも、スペインが、

ヨーロッパの先生 と いうべき地域になった
理由や経緯 を 正面から見据えた

スペインのイスラム王朝の歴史について、

ヨーロッパ人の歴史家は、
あまり興味をもっていないような気がします。

スペインを支配したイスラム王朝の歴史を
除外したら、

スペイン史を語ったことに なるでしょうか。

逆に、
今日に直接つながらないイスラム王朝の歴史を
記述した場合、

スペインの歴史というのは、
一つの歴史と いうことが出来るのか?

スペインのイスラム王朝の歴史は、
現在の我々に、
どのような意味、価値があるのだろうか?

との疑問も生じることになります。


以上、
歴史について、
私の念頭にあった疑問・問題意識を
述べさせていただきましたが、

これらの問題を解決するには、
「歴史とは何か」についての解答が、
必要となりますので、

「歴史とは何か」についての
私の2015年時点での考えを

以下に、ご紹介させていただきます。



「歴史とは何か」を考える時に、
大きな論点 が 2つあります。


「一つ目の論点」は、

歴史は、
人間を介して 記述されますので、

人間の観察、

言い替えると、
歴史が、人間というプリズムを通ると、

どのようなものになるのか、
どのような性格を帯びているのか、
です。


「二つ目の論点」は、

歴史の本質とは、
との 歴史自体が持つ性格 についての分析です。


「一つ目の論点」:
即ち、
「人間に記述された歴史の性格」については、

例えば、
次のような論点があります。

1.歴史書には、
  全ての事実が記述さるわけではない。

  日記をつけたとして、
  今日朝起きてから 寝るまでの全ての事実を記
  述するのではなく、

  自分が大事だと思うこと を 記述しますよね。

  これと同じように、
  歴史家も、

  歴史資料に書いてある全て事実 を
  記述するのではなく、

  歴史資料の中で大切なものを、
  自分の価値観により 選択して 記述しているのです。

  他の歴史家が、大切だと思う事実でも、

  その歴史家にとって 価値が低ければ、
  記述されることはありません。


  ですから、
  歴史書は、
  歴史家の価値観に基づいた歴史である
  とも 言えるのです。

  一つの歴史(例えば、フランス革命)について、

  いろいろな人が、
  いろいろな視点から その歴史 を 記述しているのは、

  歴史家の価値観が 多様である故に、

  歴史に対する見方、
  分析の切り口が、幾つも生じるからです。


  また、、
  古い時代の歴史資料の大半は、紛失しており、

  現在残っている歴史資料は、
  全ての歴史資料のほんの一部分にすぎず、

  現在残っている歴史資料を、
  全て読み込んだとしても、

  大半のピースが失われたジグゾーパズルを基に、
  完成した絵を想像するようなものなのです。



2.歴史家は、
  後世の歴史家からは、その時代の制約を受けた記述だな、
  と、言われるものである。

  中世人が、
  「我々は、巨人の肩に乗った小人である」と言っていますが、

  これは、
  現在の我々にも当てはまる真理なのです。

  この例えの趣旨は、
  現代人は、過去の遺産があるから、

  過去の人より遠くが見える、
  いろいろなものが見える  と、解釈されていますが、

  過去の人々が、
  どこに行ったのか、

  言い替えると、
  どのような行動をとってきたのか ということも、

  現代人の ものの見方の制約 になっている

  言い替えると、
  現代人の価値観 を 制約している
  と、いうことが出来ると思います。

  時代の制約の中には、
  その時代の技術水準による認識の制約 も 含まれます。


3.フランス革命の大家であられた遅塚先生は、
  遺著の端書きで、

  「歴史学は、
   仮説としての ある解釈 を 提示して、

   読者の選択肢 を 豊富ならしめる ということに 
   尽きるであろう。

   (仮説提示者としての研究者は、
    同時に、
    他の研究者の提示する仮説 の 読者 である。)

   歴史学という営み の 目指すところは、

   読者が、
   歴史について 思索を巡らすための素材 を 提供すること
   に、尽きるであろう。


   本書において、
   革命的テロリズムに関する
   私(遅塚)の拙い解釈を提示するだけでなく、

   フランス革命を生きた男の姿の一端 を 描くことによって、
   読者の思索のための ささやかな素材 を 提供したい
   と、思っている」

   と、記述されておられます。 

  (遅塚忠躬「フランス革命を生きたテロリスト」29㌻) 


  私も、

  「歴史家の著作は、
   歴史フィールドから 謎を見つけ出して、
   その謎解き を することである。

   だからこそ、歴史家が、
   謎解きに失敗して 間違えていることが 多多あるので、

   その間違いを 見つけることも、
   歴史書を読む 一つの醍醐味 であり、楽しみだ」

  と、感じています。


以上、
「一つ目の論点」で議論される3つの論点を、
例示で、ご紹介しましたが、

他にも いろいろな論点 があり、

「一つ目の論点」は、
「歴史とは何か」について考えるとき、
避けては通れない論点だろうと思います。


この「一つ目の論点」については、
E.H.カー「歴史とは何か」(岩波新書)で
詳しく書かれておりますので、そちらをご参照下さい。



私が、今回お話ししたいのは、
「歴史の本質とは?」との「二つ目の論点」です。


E.H.カーも、
今ご紹介した「歴史とは何か」において
「進歩としての歴史」との章で

ヨーロッパ人の進歩史観について、
カー流の解釈を記述されておられますが、

ヨーロッパ人の独善、独りよがりだな
と、首を傾げています。


歴史には、
「共通するパターン」があるのでは と、
私には思われます。

即ち、
一人の強い人間を 中心に
(通常は、男ですが、巫女の場合もあります)

部族が纏まり、
周辺の部族を併合して、ある地域を支配するようになります。


この様な 地域を支配する部族 が、相争って、
国が出来、

遠い地方との交易も、
更には、
外国への侵略 や 外国との連合 も 始まります。


この様に成立した国が、存亡を繰り返すのが、
人間の歴史だろう と、感じられます。

国を運営する為には、
各分野でいろいろな技術や技法、スキルが必要ですが、

一般的には、
数千年間 殆ど改善が見られない のが 通常です。

また、
生産力も需要も限度があるので、

競争は制限され、
都市内 では ギルドを育成して、
市民の共存共栄の実現 を 目指したのです。


ですから、
人類の歴史は、

この様な国の存亡を繰り返す
繰り返しの歴史 が、原則でした。


最初に述べた ギリシア では、

いろいろな人が、ギリシアに入ってきて、
それぞれの歴史を刻んできているのです。

即ち、
幾つもの歴史が、重なり合って いるのです。

このことが、
以前 私が、ホームページの「ヨーロッパの基礎視座」で

ヨーロッパは、
多様性、多重性を持った「地域の歴史」である
と、申し上げた所以です。

  「ヨーロッパの基礎視座」
  http://chuuseishi.la.coocan.jp/030516.htm



以上のことを勘案すると、

歴史とは、
存亡を繰り返した人々の足跡であるのだろう と、思います。

即ち、
歴史を担った人々 の 歩んだ足跡 なのです。


ですから、
後世の人間にとり、

歴史は、
それ自体 価値や意味 を 持ちません。

そのような歴史に、価値や意味 が 生じるのは、

歴史家(人)が、
価値や意味を認めて、
歴史書に記述したり、議論をするから です。

歴史家(人)が、価値や意味を見いださない歴史は、
放置され、忘れ去られているのです。



従って、
今までのお話しを結論づけて、歴史を定義するとしたら、

 「歴史とは、

  その歴史の担い手 の 足跡の中 で、
  人(歴史家)が、価値や意味を認めたものである。」

と、いうことになると思います。

  注 ; 「その歴史」と述べたのは、

     同じ地域でも、いろいろな歴史が積み重なっていて、
     その一つ一つが、独立した歴史だからです。

     最初にお話しした ギリシア、イタリア、スペインの歴史を
     思い起こして頂ければ幸いです。



この定義は、

無味無臭で、何という味気ない定義なんだろう と、
最初、私自身が感じていたぐらいですから、

お読みいただいている皆さんは、
もっとネガティブな感じをお持ちになられておられるだろう

と、推察しています。


でも、

葉っぱを 削ぎ落とし、
幾つもの枝を 切り落として、

歴史という 大木の幹だけ を 残す作業を行ったら
この様な定義になったのです。


ヘーゲルや、カーの進歩史観などは、
歴史の本質を述べているのではなく、

ある時期の
イギリスやフランスなどの西ヨーロッパの諸国の歴史の性格
を、述べているにすぎないような気がします。

即ち、

彼らは、
人類の歴史の中の
ごく一部の歴史の性格 を 語っているのであり、

人類全般の歴史の本質を
的確に言い表しているのではない
と、私には感じられます。




先ほど、
人類の歴史は、「繰り返しの歴史」 が 原則でした
と、申し上げましたが、

原則があれば、例外が あるのです。


その例外が、
 「積み重ねの歴史」 です。


「積み重ねの歴史」とは、

次の時代に、
前の時代に蓄積されたものの上に、

更に 改善を積み重ねていく 性格の歴史 を 言います。


「繰り返しの歴史」は、

ある時点で,
今までの経験がリセットされて、
歴史が、仕切り直されるのですが、


「積み重ねの歴史」は、

過去の蓄積の上に、
新たな改善、工夫が積み重ねられるのです。


この「積み重ねの歴史」は、
激烈な競争を生み出しました。

何故か というと、

Aという人も、Bという人も
「積み重ね(進歩、改良)」をするとなると、

「積み重ね」が 少しでも優れている方が、採用されて、

言い換えると、
勝利して

敗れたほうは、
努力の甲斐もなく捨て去られ、
捲土重来を期すことになるのです。


ですから、
「積み重ねの社会」においては、

雪だるま式に
色々なアイディアにもとずく改良があらわれる 反面、

色々なアイディア同士 の 激しい生存競争が 生まれて、
競争に敗れた アイディア は、捨て去られるのです。


この点
「繰り返しの歴史」では、

お互い従来どおりの生活をすれば良いわけですから、
「積み重ねの歴史」ほどの競争 が 生じることがありません。


ここに、
「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」の
質的な差の本質 が あるのです。



この様な歴史が生まれたのは、
世界中で2ヶ所しかありませんでした。

一つは、
クローヴィスのフランクの後裔と

10世紀にノルマンディーに定住した
ノルマン人 ロロ 及び その一族 の 後裔の人々、

具体的には、

ノルマンディーから
ベルギー南部一帯を中心にした地域に
住んでいた人々です。


その後、

クローヴィスが、
パリに進出して、フランス王国を支配するようになりましたし、

又、1066年
ノルマンディー公ウィリアム征服王が、イングランドを征服して
現在につながるイングランドの歴史を始めました。

更には、
16世紀 ハプスブルク家のスペイン王フィリップ2世と争って、
アントワープからオランダに移住した人々も、
積み重ねの歴史の担い手でしたし

イングランドやオランダから
アメリカに移住した人々(WASP)も該当します。



もう一つの地域が、
我が 日本 です。

全く不思議なことですが、
西北ヨーロッパの人々 と 日本人 は、
私には 一卵性双生児 のように 思えて仕方ありません。

福沢諭吉が「親の敵」と言ったように、
日本人は、現在においても、

江戸時代までの封建社会 を
古くて、しかも 悪しき社会 と、感じているようですが、


江戸時代までの日本の歴史 は、

西北ヨーロッパと同質の「積み重ねの歴史」だった
のです。

それが証拠に、

明治時代、
ヨーロッパ史学 を 日本史 に 適用したとき、

ヨーロッパ史学の 概念やテクニカルターム、時代区分 を、
右から左に 全て利用できたのでした。

ヨーロッパ以外の国で、
こんな国は、他にありません。


小学校の時に、
関孝和(1642~1708 享年 66才)が、

ニュートン(1643~1727 享年 84才)と同じ頃に
日本独自に発展した和算で 微積分 していた と 聞いて、

どうして
ローマ数字と同じような漢数字で、数学が出来るのだろう?
本当だろうか?
と、訝しく感じたことを未だに覚えています。

家内が、
最近 たまたま 和算の歴史の本を読んだので、
その本の話を聞いたら、

彼らは、
そろばん で 計算していたとのことです。

そういえば、そろばんは、
私の子供時代(昭和30年代)まで、世界最速の計算機でした。

また、
そろばんの名人は、人間コンピュータ と いうべき
暗算の名人 ですので、

それなら、
関孝和が、微積分も出来たはずだ と、納得しました。


家内 によると、

πも、
当時の世界で最高レベルの桁数の計算をしていたそうです。


伊能忠敬(1745~1818 享年 73才)が、
日本地図を作成したのは 有名な話ですが、

彼は、
隠居後、江戸幕府の天文方に入って 学問を修めているのです。

現代で言えば、
高卒の方が、中年以降、大学の学部課程 を 飛び越して、
東大の理学部天文学科の大学院に入って、

大学の学部時代に学ぶ学問をこなした上に、
更に、高度な学問 を 修めたようなものです。

これは、
如何に当時の庶民の学問レベルが、高かったか
を、現しているもの と、思えます。


一般庶民も、寺子屋で、
習字やそろばん を 習得していましたので、

当時の日本は、
ヨーロッパより 高い識字率 だったのでは?
という感じさえ しています。

(第二次大戦後、アメリカ軍が、

 どうせ 日本人なんて、レベル が 低いのだろう と、考えて、
 日本人の識字率を調査したら、

 100%だったので、 「アメリカでも あり得ないことだ」と、
 びっくり仰天したとのことです。)


経済においても、

米(こめ)についての中央市場 が、
大阪の堂島 に 設置されていて、

世界で最初の先物相場が あったそうです。


江戸時代は、
各藩に分かれて 分立していたような感じが しますが、

先物相場は、
資本主義が 発達しない と 登場しないものですから、

江戸時代において、
既に、日本全体をカバーする 統一した経済圏 が 成立し、
資本主義 が 発達していたのでしょう。

絵画においても、浮世絵が、
フランスの印象派の画家達に大変な影響を与えました。

江戸時代の浮世絵 は、
印象派の画家 の 先を行っていたからです。

この様に、芸術面でも
日本は、
ヨーロッパの最先端と同じ水準に達していた部門もあったのです。


ですから、

明治になって、
ヨーロッパ文明 を 受け入れる と、
決意してから たった20~30年で、

ヨーロッパの学問を
日本の大学 で、
日本人 により
日本語 で 授業することが 出来たのです。

また、
日清戦争、日露戦争で、日本が勝利して、
欧米を始め世界中を驚かしましたが、

考えてみれば、
「積み重ねの歴史」の日本が、
「繰り返しの歴史」だった清やロシアに勝利するのは、
当たり前だったのかも知れません。


トルコや韓国をみると、
「繰り返しの歴史」の国が、
「積み重ねの歴史」に転換しようとしても、
なかなかできるものではない、

有り体に申し上げると、
不可能に近いことが 明らかになっています。

江戸時代
鎖国をしていた 日本 が、

一世代という 非常な短期間で、
欧米に肩を並べるまで国を作り上げたのは、

日本が、
西北ヨーロッパと同質の「積み重ねの歴史」の国だったからだ

明治維新の時点で、
ヨーロッパ文明と 本質が 同レベルの文明 を
保持していたからだ と、考えると、納得がいきます。



ヨーロッパに話 を 戻しますと、

積み重ねの歴史の国は、
現在のフランス、イングランド、オランダ、
それに、
ドイツだろうと思っています。

近世において、
最初に植民地を巡って争ったのが、
フランス、イギリス、オランダであったのは、

これらの国が「積み重ねの歴史」で、
競争社会ができあがっていたからだと思います。


ドイツは、
中世以来「繰り返しの歴史」の国でした、

それが「積み重ねの歴史」に転換したのは、
プロシアがナポレオンに敗北したからだと思います。

敗北によりプロシアが目覚めて、
一大決心をして「積み重ねの歴史」に転換し、

19世紀後半、
ビスマルクやモルトケといった天才を輩出して、

ハプスブルク家の支配地域を除くドイツを統一し、
ドイツ全体を、「積み重ねの歴史」に巻き込みました。

更には、

フランス・ナポレオン3世を打ち負かして、
ナポレオンに敗れた屈辱を晴らし、

フランスに奪われた、アルザス、ロレーヌという
中世以来のドイツ領土を取り戻したのです。

(最近、ドイツを見ていると、
 「繰り返しの歴史」の国に、先祖返りしたのでは?
 だから、China に 親近感を持つのでは?
 との感じが 否めません。)


この様な「積み重ねの歴史」を もたらしたものは何か?
「積み重ねの歴史」を作り上げたエートスは 何か?

が、私にとっての探求すべき歴史の最大の謎であり、

老い先短いながらも、生きている内に、
この謎解きが出来たらなと願っています。



一つ感じているのは、
「積み重ねの歴史」の国は、

王の権威の性格が、「繰り返しの歴史」の国と異なるのでは?
ということです。


ベルギーの歴史家 ピレンヌ は、次のように記述しています。

「ユーグ・カペーからフィリップ1世までというもの、
 フランスの王権は 存続するだけで、満足していた。

 ユーグ・カペー フランス王在位  987~ 996  9年間
 フィリップ1世  フランス王在位 1060~1108 48年間

 フランスの王権は、非常に控えめで、
 大封臣達の間において見ると、殆どそれと分からぬ位である。

 後代が、記憶に止めているこの時代の人名は、
 国王の名前ではなく、封建大諸侯の名前である。
 (封建大諸侯の名前を挙げていますが略しています。)

 ・・・・・・・・

 大封臣達によって取り囲まれ、
 その陰に隠れてほそぼそと生きている王権が、

 如何に無力になったにしても、
 それにもかかわらず、
 王権は、その未来の力の原理を内蔵していた。


 何故なら、
 封建制というものは、

 事実の上では、
 国王権力を麻痺させるにしても、

 法理の上では、
 それ(国王権力)を無傷のままにしておいたからである。


 国王を指名し、国王の権力を簒奪していた
 大諸侯も、

 カーロリンガ的な古い王権の観念を、
 他の観念で 置き換えることは しなかった。

 国王は、
 その権力を 大諸侯から得ているものだと考えて、

 国王の権限は、
 大諸侯の意思によって制約されているのだ
 という考えは、

 彼らには浮かんでこなかった。


 国王の選挙は、
 教皇及び司教の選挙 と 事情が同じだった。

 即ち、
 それ(国王の選挙)は、

 選ばれる人物だけに かかわりがある のであって、
 その人物に
 権力が 与えることは 出来なかった。

 (選挙は、人を選ぶ のであって、
  その人に 権力を 授けるもの ではなかった。)

 権力は、神に由来するもの であるからして、

 それを左右することは、
 人間の力ではできなかったのである。

 この点では、
 全ての人の考え が、一致していた。

 国王は、

 神の僕、
 (神の)代理人であった。

 カペー朝が 敬虔に保持していた 聖別式 が、
 国王の聖職者に近い性格を

 立証する と、同時に
 強固にしていた。


 国王は、この儀式から、

 彼(国王)を、
 比類のない位置に置き、

 彼(国王)を、
 ユニークな、並ぶもののない性格の人物にした 道徳的優越
 を 引き出したのであった。


 封臣達に囲まれた国王 を、

 一種の大統領、
 一種の同等者中の第一人者 primus inter pares に
 なぞらえることほど、

 誤った考えはないであろう。


 国王と封臣達の間には、
 共通の尺度など なかった のである、

 国王は、

 封臣達の手の届かぬところ
 に 位置していて、

 不可侵の存在 だったのである。

  出所;ピレンヌ「ヨーロッパの歴史」(創文社)
  216~218㌻より抜萃
  なお、(  )は、私が補足しました。


フランス王が、

カロリング朝的な 古い王権の観念 を 有していた とか、
神の代理人だった とかが 理由なのかどうか、
私には判断がつきませんが、

フランス王が、
中世初期に、別格の 侵すベからざる存在 であり、

フランス王国の全体を
支配する権能を持っている と、観念されていたのは
確かだと思います。


例えば、
アキテーヌ女公だったアリエノールは、
最初、
フランス王ルイ7世と結婚しました。

アキテーヌ大公は、
トゥールーズ伯への宗主権を持っていましたが、
トゥールーズ伯が臣従しなかったので、

アリエノールは、夫のルイ7世に、
トゥールーズ伯への遠征をさせましたが、失敗しました。

その後、
アリエノールは、イングランド王ヘンリ2世と再婚して、

再度、
夫のヘンリ2世に、トゥールーズ伯を攻撃させたのです。

ヘンリ2世は、
ブラバン傭兵隊 を 用いていて、
トゥールーズ伯 を 攻撃すれば、撃破が確実だった
のですが、

トゥールーズ伯の陣営に、
フランス王ルイ7世(アリエノールの最初の夫)が、
応援に 駆けつけていた為、

ヘンリ2世は、
宗主のフランス王には攻撃できない と、
軍を 引き上げたのです。


ルイ7世は、
ノルマンディ公、アンジュー伯、アキテーヌ大公でもある
ヘンリー2世の主君 だったのです。

また、
ヘンリ2世は、イングランド王でもありましたので、

ここでフランス王 を 撃破したら、
イングランド王たる自分も、
いつか 臣下に 撃破されるかも知れない
と、考えて 自重したのかもしれません。


フランス王が、
フランス王国全体の支配権を有する との
権限 を 行使したのは、

ルイ7世の息子 フィリップ2世(オーギュスト)でした。

当時フランス王は、

パリ周辺のイールド・フランスしか
領有していませんでしたが、

ライバルのイングランド王は、

北は、スコットランドから
南は、ピレネー山脈までの

フランス王を上回る領土 を 支配していたのです。


ですから、
フィリップ2世は、

最初、
イングランド王 リチャード獅子心王 と戦っては
負け を 繰り返していたのです。

リチャード獅子心王 が、戦死後、
後を継いだジョン王(欠地王)に対して、

ジョン王が、

貴族のフィアンセを略奪して自分の妻にした事件
を梃子に、

ジョン王に対する 国王の裁判権 を 行使して、

不服従のジョン王 を
フランスから追い出したのです。


フランス王フィリップ2世は、

ジョン王が持っていた
ノルマンディーからピレネーまでのフランスの西半分の領土を

一度も支配したことがないにもかかわらず、
フランス王国 を 支配する権限 が あるとして、
ジョン王 を 裁いたのでした。

この様に、
フランス王やイングランド王が、
実際に支配していなくても、

フランス王国やイングランド王国を支配する権能を有する
との概念は、

フランスは、
フランス革命まで 継続し、

イギリスは、
現在も 継続していますが、

ドイツでは、
中世の半ば に なくなり、

イタリアでは、
最初から ありませんでした。


この概念が、

国の統合をもたらし、
「積み重ねの歴史」が歩む際に 大きな支え に なったのでは、
という気がしています。


日本も、
平安時代から 天皇は、国の象徴 であり、
幕府などの 実際の政権 は 別にあっても、

日本国の統治者は、天皇である との 統合の概念 が、
途切れることなくありました。


「積み重ねの歴史」にとって、
この概念は、
非常に大切な意味をもっているような気がしています。


「積み重ねの歴史」が、

「繰り返しの歴史」より
上等、上質な歴史である と、いうことではありません。


「積み重ねの歴史」が、

「繰り返しの歴史」より優れているのは、
技術やスキルの分野 です。


確かに、
武器が発達し、

そのお陰で ヨーロッパ が、世界制覇して、
日本とタイを除く 世界中 を 植民地にして
搾取したのです。

また、
産業機械、交通、通信等々の技術 も 発展させて、
確かに 便利な生活 を 実現しました。

しかし、反面、
公害問題が生じ、人々の健康 を むしばむことも 生じています。

更には、原水爆といった、
人類を破滅させるようなものまで創り出しているのです。


この様な技術やスキルの分野における発展 を
「進歩」と 錯覚して、

ヨーロッパ人は、
歴史は 進歩するもの と 信ずるようになりました。


ヘーゲルも、
マルクスも、
最初にご紹介したE.H.カーにおいても
然りです。


しかし、
「歴史の進歩」という考え方が、
真実 を 捉えているのでしょうか。



ランケは、
「歴史は進歩する」との考え方に
反対しておられますので、

ランケの「世界史の流れ」の冒頭での反対論の一部
を ご紹介します。


< ランケの記述 >

 「物質的なもの」に関係ある領域では、
 無条件の「進歩」が認められる。

 この方面では、非常な異変でもない限り、
 退歩と言うことは先ずおこりえない。


 ところが、

 「精神的な方面」では、
 「進歩」は認められない。

 道徳、宗教、哲学、政治学、歴史記述では、
 進歩 は ない。

 キリスト教とともに、
 真の道徳と宗教が現れて以来、
 この方面では進歩は起こりえない。

 プラトンのあとには、
 もはや
 プラトンは、現れ得ない。

 シェリングが、
 プラトン を 凌いだ とは 思えない。

 プラトンやアリストテレスが完成した
 最古の哲学 で 十分である。


 何びとも、
 ツキディデスより偉大な歴史家だ と、
 自負することはできない。

   「ランケの歴史哲学」
   http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_d322.html


私は、
このランケの考え方と同じ考え方をしています。

ランケに、
「何びとも、ツキディデスより偉大な歴史家だと
 自負することはできない。」
と、言われて、

反論できる歴史家は いないだろう と 思います。



更に、
「積み重ねの歴史」で困ったことは、

「積み重ねの歴史」から距離を置いて、
自分独自の「繰り返しの歴史」を続けたい と、思っている人々を、

無理矢理
巻き込んでしまう 凶暴性 を、持っていることです。


「積み重ねの歴史」は、

先ほど「繰り返しの歴史」の国である
トルコと韓国の例をご紹介したように、

「繰り返しの歴史」の国の人々にとって、
受け入れがたい歴史なのです。


しかし、
この歴史に参加しなければ、

未来永劫貧困のままの生活 を 続けなければならないし、
「積み重ねの歴史」が生み出した便利で快適な生活を
享受できないのです。

「繰り返しの歴史」の国の人々は、
韓国に見るが如く、

「積み重ねの歴史」の本質を、理解出来ず、
身につけることも適わないい国民であり、

パクリで、見よう見まねの それらしきもの を 作れたとしても、
一本立ちして、
独自に開発し、競争に参加していくことが出来ないのです。

ネットで、
韓国軍の不祥事をおもしろおかしく報じられていますし、
直近では、
仁川空港のリニアシステムの工事が終わって2年も経つのに、
未だに開業できない と、報じられています。

また、
ロッテが建設中の高層ビルの下層部分で、
建設途中に ビルの使用を開始したら、

建物に ひびが入り、
地下の水族館では 水槽の水が漏れ出した
と、報じられています。

この種のニュースは、
私みたいな者でさえ いくらでもご紹介できるくらい沢山あり、


韓国が、

日韓併合以来100年経っても
「積み重ねの歴史」を身につけることが出来なかったことを
露わにしているのです。

中国も、
新幹線を作ったとか、
アメリカに対抗できる戦闘機を作った
と、自慢していますが、

所詮、
パクリであり、模倣であって、
すぐにメッキが剥がれる代物なのです。

この様に、
これからの人類において、最大の問題点は、

「積み重ねの歴史」が巻き込んだ、
「積み重ねの歴史」に適応できない「繰り返しの歴史」の国の人々を
どのようにするのか、では ないでしょうか。


最近まで、私は、

彼らを教育すれば解消できるだろう
と、考えていましたが、

最近の韓国を 見ていると、

彼らは、
プライドは異常に高いけれど、
見てくれだけを気にするだけで、中味が伴わず、

パク・クネ大統領ではないけれど、

1000年経っても
自発的に自分自身を改造できないだろう
と、愕然とし、
暗澹たる気持に陥っています。




最後に、
E.H.カーの「歴史は進歩する」との考え方について、
少しご紹介させていただきます。


カーは、歴史論を 2回、

最初 は、
1951年 BBC(イギリス放送協会)で講演した「新しい社会」で、

2度目は、
1961年 ケンブリッジ大学で講演した「歴史とは何か」で、
述べておられます。


両方とも、
「歴史は進歩する」との考え方は変わりませんが、


「新しい社会」では、
歴史は、
「自由の実現に向けて進歩する」と述べておられたのが、


10年後の「歴史とは何か」では、

「進歩の信仰は、

 自動的な 不可避的な過程 を 信じる という意味 ではなく、
 人間の可能性の漸次的発展を信じる という 意味です。


 人類が追求する具体的な目的は、

 時々、
 歴史のコースの中から現れてくるもので、

 何か歴史の外にある源泉から現れるもの
 ではありません。


 私は、
 人間の完成可能性 や
 地上における未来のパラダイスなど を
 信じているつもりはありません。

 この限りでは、私は、

 完成は、
 歴史の内では実現され得ない、と説く

 神学者や神秘主義者 と 同意見
 ということになるでしょう。

 しかし、私は、
 ゴールへ向かう 限りない進歩、

 即ち、
 我々が必要としたり 考えたりすることが 出来るような、
 限度というものを 持たぬ進歩 の 可能性

 と、言うことで、満足しようといます。


 カーは、
 「ゴール」について、
 文中で次のような注釈をつけています。

  → ゴールといっても、

    私たちが、
    それに向かって前進して 初めて規定されうるような、
    その有効性は、
    それに到達する過程で 初めて証明されるような ゴール
 


 この進歩の観念がなかったら、
 一体 社会は、
 どうして生き延びて行くことが出来るか分かりません。

 ・・・・・・・」 と、

歴史の進歩のゴール を、

自由の実現から、
その時々に現れる目的に、
変えておられます。

  出所  ; E.H.カー 「新しい社会」  171~172㌻
       E.H.カー 「歴史とは何か」 176~177㌻



カーは、「新しい社会」において、
「繰り返しの歴史」を、次のように否定しています。


「私(カー)とトインビーとの違いは、

 彼(トインビー)が、
 歴史 を 繰り返すもの と 見るのに反して、

 私(カー)が、
 それ(歴史)を 連続的なもの と 見る点にあります。


 彼(トインビー)にとっては、

 歴史とは、
 同じことが多少の変化を伴って、
 異なった文脈に繰り返し現れる
 と、いうことになりますが、


 私(カー)にとっては、

 歴史は、
 事件の連続であって、

 これについて 一つ断言できること は、
 それ(歴史)は、
 絶えず前進して行くもので、二度と同じ場所へ戻ってこない
 と、言うことだけであります。


 この相違は、
 当然、歴史の与える教訓をどう見るかという点に
 影響して参ります。


 この相違は、
 歴史の本質に関する 根本的な考え方 に 基づくもの であります。

 トインビーの見方は、
 シュペングラーの見方と同様に、
 2世紀近く歴史的思想に絡みついている
 歴史と科学との類推の上に立っているのです。

 この類推は誤っています。

 確かに、
 科学は、同じドラマの繰り返しです。

 というのは、登場人物が、
 過去の意識を持たぬ動物 か 無生物だから です。


 これに反して、

 歴史では、
 ドラマの繰り返しは不可能であります。

 何故なら、
 2度目の上演の時は、

 登場人物が、
 既に予想される結末 を 意識しているからです。

 ですから、
 最初の上演の本質的な条件 は、
 2度と これを組み立てることが 出来ないわけです。


 2つの世界大戦の間のことですが、
 ある有名な軍事評論家が、

 1914年から1918年にわたる
 陸戦の諸条件 を 検討して、

 これらの条件が なお生きている と、断定し、

 そして
 ,次の戦争でも、
 守勢国(フランス)が、攻勢国(ドイツ)に勝つであろう
 と、予言したことがあります。


 彼の客観的推理は、
 確かに正しかったのでしょう。

 しかし、
 彼は、1つの要素 を 見落としていたのです。

 即ち、
 ドイツの将軍達が、1918年の不幸な結末を
 2度目の上演 で 繰り返してはならぬ  と、
 決心したいたこと を 見落としていたのです。

 1940年には、
 この予言された結果とは正反対の結果を
 生み出すことが出来たのです。

 人間は、
 過去を 意識しているものですから、

 歴史が、
 再び 繰り返すことは 不可能なのであります。」

  出所 ; E.H.カー 「新しい社会」  10~11㌻



更に、カーは、
「繰り返しの歴史」に属する人々を、
歴史なき民族」と決めつけています。


「現代の歴史は、

 歴史が、過去 を 問題とする と共に、
 未来をも 問題とするところから 始まるもの であります。

 現代人が、
 過去の暗がりをジッと見つめているのは、

 そこから、
 薄暗い未来を照らす微かな光を得たい
 と、願っているからなのです。


 逆に言うなら、
 前途に対する いろいろな 抱負や懸念 が、
 過去に対する現代人の洞察 を 鋭くしているわけです。

 未来の意識 が なければ、
 歴史は、ありません。


 19世紀に ハプスブルク帝国という

 大きな塊を形作っていた諸国家
 及び
 将来の諸国家の中には、

 自分たちの未来に無関心な、
 所謂「歴史なき民族」が、ありました。


 けれども、

 彼らが、
 未来に向かって抱負を持ち始めるや否や、

 彼らは、
 自分たちの過去の歴史を発見 或いは 発明したのでした。


 過去と未来との間には、

 絶えず作用があり、
 また
 相互作用があります。


 過去と現在と未来とは、

 互いにつなぎ合わされて、
 果てしない一本の鎖になっているのです。」



以上ご紹介したカーの考え方について、
いくつかコメントさせていただきます。


1.「歴史は、自由の実現というゴールに向けて進歩する」
  との考え方を変更したのは、

  さすがに、
  この考え方のおかしさに気がついたからでしょう。

  進歩は、
  永続的に続く運動(ムーヴメント)であり、
  ある地点で終了するものではありません。

  また、
  人間社会において、
  全ての人が自由を取得することは、あり得ず、

  必ず調整が、必要とされるのです。

  (例えば、人を殺す自由は、認められないでしょう。)



2.「歴史とは何か」で、カーが述べておられた

  歴史は、
  その時々の目標に向かって進歩し、

  その目標が実現すれば、
  次なる目標に向かって進歩するという考え方は、

  私の「積み重ねの歴史」の考え方と、
  一見にているように思われるかも知れませんが、

  似て非なるものなのです。


  カーは、
  歴史全体=人間社会全体が進歩する
  と、述べておられますが、

  私は、
  人間社会の活動の一部である 技術やスキル が、
  積み重ねられて改良していく
  と、申し上げているのであって、

  人間社会全体が、
  より良くなる=進歩する と、
  申し上げているのではないのです。

  注 ; 技術やスキルには、
     工学系等の自然科学だけでなく
 
    法律技術、統治スキルのような
    社会科学、人文科学も含みます。


  「積み重ねの歴史」により、
  確かに 生活は便利になりました。

  例えば、
  東京とヨーロッパを12時間で移動できることは、
  夢のようなことです。


  でも、
  「人間の幸せ」といったことに目を向けると、

  人間にとって便利になったことが、
  幸せが増加したこと に なるでしょうか。

  私には、
  江戸時代の人 と 現在の我々と比べて、
  我々が 幸せになった とは 思えません。

  江戸時代の人々には、
  それなりの苦労もあったし、不便もあったでしょう。

  でも、
  人間としての幸せという面では、
  我々と同じではないのかな? という気が しています。

  この意味で、

  歴史が、進歩した とか、
  歴史は、進歩するものであるとは、
  言えないような気がします。



3.カーは、
  ハプスブルク帝国の一部の人々を、
  「歴史なき民族」と決めつけています。

  東ヨーロッパの人々には、
  歴史がなかったといっているのです。

  また、
  第2次大戦の際に、

  ドイツが、
  第1次大戦の教訓をもとに、対策を打ったことを、

  歴史が 繰り返さない 証拠 に 挙げておられます。


  これらのことは、

  カーが、
  「繰り返しの歴史」についての認識が全くない
  と、いうことを表白しているのです。


  フランスとドイツの戦いの例は、

  「積み重ねの歴史」の国では、歴史は 繰り返さない
  という例であげるなら、理解できます。


  「積み重ねの歴史」の国で、
  歴史が 繰り返さないから といって、

  人類の歴史全般において
  歴史は 繰り返さないこと の 証拠である
  と、考えるのは、

  あまりにも
  子供じみているのではないでしょうか。


  カーが、

  ハプスブルク帝国の一部の人々を
  「歴史なき民族」と決めつけことは、

  歴史の本質を、いみじくも現しています。


  カーは、

  東ヨーロッパに人々は、「歴史なき民族」と、
  他人のこと を いっているようですが、

  実は、
  カー自身の内心の考え を、吐露しているのです。


  「歴史なき民族」といわれた 東ヨーロッパの人々 にも、
  過去の思い出 や 伝承 は あるのです。

  ということは、
  歴史があるのです。


  それを、
  「歴史なき民族」とおっしゃったということは、

  カーにとって、
  東ヨーロッパの人々の歴史が、
  価値や意味 を 持たないからです。

  彼らの歴史の価値も、意味も 認めませんよ
  との、
  カー自身の考えを、表白しているのです。


  先ほど申し上げたように、
  歴史自体は、無価値であり、無意味なのです。

  その歴史に、
  何らかの価値や意味を認めて、論じる人が出現して始めて、
  歴史に価値が生じ、意味を持つようになるのです。



4.「歴史は進歩する」との考え方は、

  私には、
  世界制覇した「積み重ねの国」である
  西ヨーロッパ諸国 の 自己を正当化する為のイデオロギー
  のような 気がします。

  しかも、ヨーロッパ人が
  このイデオロギーが、正当であるとの確信、信念
  を、持つようになったのは、

  キリスト教が育んで、ヨーロッパ人のバックボーンとなった信念、

  即ち、
  「私の考えは、神の考えと同一だから、
   絶対的に義(ただ)しい」
  との確信 に、拠るものなのでしょう。


  そう考えると、

  「何故、大学では、即ち、ヨーロッパ人は、
   ギリシア・ローマと16世紀以降の歴史しか議論しないのだろう」
  という

  私が大学に入学した時の疑問が
  解けたような気がしています。


 注 ; 「私の考えは、神の考えだから
     絶対的に義(ただ)しい」については、

     次のブログをご参照下さい。

    キリスト教の本質についての幾つかの謎解き ・・・・・
    1.一神教のキリスト教が、
      世界宗教(普遍宗教)になったわけ(仮説)
    2.キリスト教が、
      異端を生み出し、
      幾つもの宗派に分裂したわけ(仮説)
    3.キリスト教が、殺人宗教となったわけ(仮説)
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-4431.html


    ヨーロッパ人、アメリカ人の行動原理(仮説) ・・・・
    キリスト教謎解きの旅 の 終わりにあたって
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-8f11.html



補足; 本ブログの補足を、
     次のブログで記述しましたので
     ご覧頂ければ幸いです。

    「積み重ねの歴史」で、積み重ねられるもの 
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-c1f2.html

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2014年12月12日 (金)

2014年7月 の フランスの地域圏の再編

JALさんの広報誌「AGORA」11月号に、

浅野素女さんが「地方のアイデンティティー」と題する
フランス地域圏の再編のニュースを紹介されておられました。


ティエス著「国民アイデンティティの創造」をご紹介した前回のブログで、
フランスの略史を述べましたが、

関連する 大変興味深いニュースですので、
簡単にご紹介させていただきます。



< 浅野素女さんの「地方のアイデンティティー」 抜き書き >

  出所 AGORA 2014年11月号 13㌻


1.この(2014年)7月、
  フランスの22の地方を、13に減らす法案 が、議会を通過した。

  フランスは、
  最小単位のコミューンが、33,500以上あり、

  その上に、96の県、
  更に、   22の地域圏に 区分される。

  今回は、
  地方行政の簡約化の為に、
  22の地域圏 を、13の地域圏 に、再編することになった。


2.22の地域圏 は、
  それぞれが歴史上、地形上の強力なアイデンティティーを持っているので、

  それを、
  政府主導で半分にすることは、そう簡単なことではなく、
  なんとか13に漕ぎ着けたのだが、不満はまだあちこちにくすぶっている。


3.浅野さんは、

  特に、
  アルザス、ロレーヌ、シャンパーニュ=アルデンヌ が、
  一つの地域圏になることに、注目されておられます。


  アルザスとロレーヌは、

  ドイツ(神聖ローマ帝国)に属していたとの歴史的な共通項があるので、
  頷けるが、

  それに、
  シャンパーニュ=アルデンヌ が一緒になるとは、・・・・

  と、記述されておられます。


  注;(神聖ローマ帝国)は、かんりにん が、補足しました。


4.次に、
  地域圏の首府が、どの都市になるかについて、注目されておられます。


  ① アルザス、ロレーヌ、シャンパーニュ=アルデンヌ

    アルザスのストラスブールは、
    欧州議会があって、ヨーロッパの首都と標榜しているけど、

    東端に位置する為に、
    西(ロレーヌ)のメッスに首府が奪われるかも知れない。


  ② 南フランスでは、トゥールーズとモンペリエが、
  ③ ノルマンディーでは、カーン、ルーアン、ル・アーヴルが、

    熾烈な争いが繰り広げられそうだ、と、記述されておられます。


5.更に、
  地域圏の名称がどうするのかも大問題である と、指摘されておられます。


6.最後に、
  地域圏の下部に位置する「県」が、
  現在所属している地域圏に所属するのが不満なら、

  来年(2015年)の地方選挙後に、別の地域圏に移籍も可能だそうで、


  ① ナント市が所属する ロワール=アトランティック県は、
    この機会に、ブルターニュに属したい意向であり、

  ② イール=ド=フランスの東北に位置する エーヌ県 は、

    ノールと合併されるはずの ピカルディから抜け出して、
    東隣の シャンパーニュ=アルデンヌ に 移りたい と、
    意向表明していて、

    あちこちで住民投票が準備されている と、記述されておられます。


以上、
浅野素女さんの貴重なニュースをご紹介しましたが、

私が印象に残ったのは、
1.アルザス、ロレーヌとシャンパーニュ=アルデンヌの合体
2.ナントのブルターニュへの復帰
3.ノルマンディーの首都争い   です。



1.アルザス、ロレーヌ と、シャンパーニュ=アルデンヌの合体


  アルザスは、

  中世において、神聖ローマ皇帝だったシュタウフェン朝の首府があった
  中世ドイツの心臓部とも言うべき地方なのです。

  フランスは、
  中世末期からちょっかいを出し始め、
  17世紀、30年戦争後に 軍事占領しました。

  それを、
  ビスマルクが、ドイツに取り返し、

  第一次大戦後、
  又、フランスが、取り戻したのです。

  ストラスブールに、
  プチフランスと称する地区がありますが、

  これは、
  ストラスブール、即ち、アルザスが、
  元々フランスではなかったから(こそ)、名付けられたのだろう
  と、思います。


  ロレーヌは、

  カロリング朝の故地であり、
  中世の始めから、フランスとドイツが、1,000年間争った地方ですが、

  中世では、
  神聖ローマ帝国が、領土権、支配権を維持してきました。


  フランスは、
  中世末期より介入を開始し、

  その後、
  本籍 神聖ローマ帝国、現住所 フランス という感じが続きましたが、

  正式に、フランスの領土となったのは、フランス革命の少し前です。


  この様に、
  アルザスとロレーヌは、

  神聖ローマ帝国の領土であったものを、
  フランスが占領した地方であり、

  シャンパーニュ=アルデンヌは、
  パリのあるイール=ド=フランスの東隣に位置する
  フランスにとって譜代とも言うべき地方なのです。


  ですから、
  この合体は、まさにフランスとドイツの合体であり、

  浅野さんが、
  本当に上手くゆくのかしら と、感じられのに、全く同感します。



  フランス と ドイツ(神聖ローマ帝国) との合体の観点からは、

  ソーヌ川両岸の ブルゴーニュ と フランシュ・コンテ
  リヨンと旧サヴォア領

  の合体も、興味があり、
  今後の推移を見ていきたいと思っています。

  また、
  リヨンは、フランス中央部のオーヴェルニュとも一緒になりますが、
  これも、今後の私の注目点の一つです。  



2.ナントのブルターニュへの復帰


  ナントは、
  中世の始めからブルターニュの首都でした。

  ブルターニュが、
  16世紀に、フランスに併合、植民地化され、

  ナントは、
  現在では、ブルターニュから切り離されていますが、

  ナントやブルターニュの皆さんのアイデンティティーは、

  500年間変わらず維持されてきたのだな、
  ここに至って、表面化したのだな、

  と、感慨深いものを感じます。


  数年前、
  ブルターニュを旅行したときに、

  ブルターニュの鉄道網は、
  パリ→レンヌ→ブルターニュ各地 と、張り巡らされていて、

  レンヌ と ナント、
  ブルターニュ南部の主要都市 ヴァンヌ と ナントの間は、

  支線扱いで、非常に使用の便が悪いと実感しました。


  ナントから、ヴァンヌやカンペールへの鉄道が、
  また、ナントとレンヌを結ぶ鉄道が、
  幹線となるのが自然だろう と、思います。

  この様に、
  本来、幹線になるべきものが、支線扱いにされているのは、

  フランス政府が、
  ナントを、ブルターニュから切り離すためにしたことなのでしょう。


  フランス革命の時に、
  ブルターニュが反乱した と、歴史書に記述されていますが、

  普通の日本人だったら、
  ブルターニュの外のナントでの反乱が、何故ブルターニュの反乱なのか?
  何故、ナントのロワール川に、反乱者の死体が浮かんだのか?
  と、訝しく感じられると思います。

  この様な疑問が生じるのも、
  フランス政府 の ナントとブルターニュを切り離そうとした政策 が、
  もたらしたものなのです。


3.ノルマンディーの首都争い

  浅野さんが、
  カーンも、ノルマンディの首府を競っている と、書かれておられますが、

  「カーンは、初耳だ」 と、感じられる方も、多いのではないでしょうか。


  私が、カーンを知ったのは、

  子供の時、
  第2次大戦の時の連合軍のノルマンディ上陸作戦を描いた
  「史上最大の作戦」という映画を見たときに、カーンが出て来て、

  「そんな町があるのだな」と、印象に残ったからです。


  カーンは、
  1066年イングランドを征服した
  ノルマンディー公ウィリアム征服公の本拠地であり、
  ノルマンディーの古都なのです。


  そのカーンが、
  ルーアンとノルマンディーの首都を競うということは、

  単なるノルマンディーというコップの中のヘゲモニー争いかも知れませんが、

  私には、
  中世の始めから連綿とつながった
  ノルマンディーの人々のアイデンティティーが、

  ここに来て表面化したのでは? と、感じられます。



以上、
浅野さんのニュースで感じたことをお話しさせていただきましたが、

このニュースからも、

国民国家は、人工物で、
「たが」が外れると、ばらばらになってしまう可能性を秘めたものだな
ということを、改めて、確認させられたな と、感じられます。

また、
日本でも同様ですが、

歴史により育まれた地域のアイデンティティは、
普段は、奥深く沈潜していて 表面に現れず、気がつきにくいものだけれども、

何かの拍子に必要が生じると 表に出て来て、
政治や経済をも動かす 強力な力を秘めているな とも、痛感しています。


前にも書きましたが、
今後のEUの推移を見るときに、

加盟各国とEUとの関係に付け加えて、
各国の中の地域が、どのようにEUと結びつきを持とうとしているのか
についても、

歴史を動かす原動力の一つのファクターとして、
注目していかねばならないと思います。

続きを読む "2014年7月 の フランスの地域圏の再編"

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