イスラム、アラブ

2007年12月 3日 (月)

「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」についての一つの対話

ホームページに掲載した「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」に関連して、
貴重なコメントをいただきました。
その返事を、ご参考までに掲載させていただきます。


          ********** 


メールありがとうございました。

メールを拝見して、
 「ヨーロッパと日本」という地域 と、
  他の地域、という、
  空間的な地域対応の二区分になるのでしょうか?

 私は、
 他の地域だって、
 知識・技術・情報伝達が整えば、
 積み重ねの歴史になるだろうと思うのですが。」

とのご意見について、少しご説明させていただきます。


          ********** 


1.「ヨーロッパと日本」という地域と、他の地域、という、
  空間的な地域対応の二区分になるのでしょうか?  について 

ヨーロッパは、
長い年月の間、
色々な民族が移り住んできて重なり合っていますので、

ヨーロッパ史の特色の一つに、
「多重性」と「多様性」があると思っています。 

 (注) この点に関しては 
     次の「ヨーロッパの基礎視座」をご参照ください。
     http://chuuseishi.la.coocan.jp/030516.htm



ですから、
ヨーロッパという地域を一括りで見るのではなく、

ヨーロッパで、
「積み重ねの歴史」を 生み出しだし、発展拡大させてきたのは、

 ベルギー(フランドル)から パリ に出てきた
 クローヴィス以降 の「フランク族」を 中核とする

  「フランドル から 北フランス に かけての人々」 と

  「アンジュー家(プランタジネット朝)以降のイングランド人」の

  ヨーロッパの中でも、
  「一部の限られた地方」の人々だったのでした。

私が、
彼らを、 ヨーロッパの「歴史の担い手」と位置づける理由がここにあります
と、説明させていただいています。

ヨーロッパの中でも
他の人々と異なった「特異な気質、エートス」を持った人々が、

スポット的に
上で述べた地方 に 存在していたのだろう と 思っています。 

例えば
フランスは、
クローヴィス以来 彼らが推進力となって、

 南フランスやブルターニュ、フランドルの南部、

 神聖ローマ帝国の領土だった
 プロヴァンス、フランシュ・コンテ、アルザス・ロレーヌを併合して

現在のフランスという国を作り上げてきたのでした。 

この「積み重ねの歴史」が、

自然科学のみならず、
社会科学、人文科学などの諸科学をを発展させ、

資本主義経済をもたらし、
現在の激烈な競争社会をもたらしたのですが、

この辺の経緯は、
「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」 を お読みください。 


一つ申し上げたいのは、

人類の歴史の中で、
「積み重ねの歴史」を作り上げてきたのは、
上記の人々と日本人だけだと感じていますが、

だからといって、

「積み重ねの歴史」が、
人間に 幸せをもたらす歴史 とは、一概に言えない
と 思いますし、

この二つの民族が、
「他の民族より優れている」と「言っているのではない」ことを
ご理解ください。


また、
「積み重ねの歴史」の成果で優れているのは、
「物質的な面」のみであり、

「精神的な面」では、
「繰り返しの歴史」と同等であると、

「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」で述べていることを、
ご理解いただければ幸いです。

私は、
「繰り返しの歴史」の方が、
人間に優しく 人間性にマッチした歴史だと感じています。

ですから、
他の民族を見下している と 感じられる
ヨーロッパ人(含むアメリカ人)に対して、

あなた方こそが、
ユニークで 特殊な歴史をもっている人々なのですよ
と、客観視した 幾分 批判的な立場から 記述しています。 


「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」の最後で書きましたが、
この二つの民族の持つ「気質、エートス」が、
この様な 特異な歴史 をもたらした原因だろう と 思っていますが、

何故、
そのような「気質、エートス」を持つようになったのかについては、
今後 思索を深めて行きたい と 思っています。


          ********** 


2.他の地域だって、
  知識・技術・情報伝達が整えば、積み重ねの歴史になるだろう
  と、思うのですが
  について 

他の地域も、
条件さえ揃えば、自ずから「積み重ねの歴史」になるはず というのは、

理屈ではありえても、
現実の歴史では殆どありえないことだろう
と、思っています。

歴史というものは、

少数のエリートではなく、
その社会を担う大多数の人々の「気質、エートス」により
築かれるもと思います。

ちょうど、
42km走るのは、マラソン選手は可能であっても、
私をはじめ大多数の人には不可能であるように、

「積み重ねの歴史」を担っていくには、
向き不向き が あるのです。 

「積み重ねの歴史」は、人間の本性に反していて、
普通の人にはつらく、耐え辛い歴史であり、

歴史を担う大多数の人々が、
自らの意志で「積み重ねの歴史」に耐えていこうとなるとは
思えません。

先ほど述べたように、
ヨーロッパの一角 と 日本人 だけが、

不思議なことに
そのような歴史を担う「気質、エートス」があった
と、いうことだと思います。 

この点については、

「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」で、

ベルリンの壁崩壊後
西ドイツに行った東ドイツの人々が
数年してもとの東ドイツに戻った例 と

20世紀初め
トルコが、西欧化に踏み切ったのに、
1世紀たっても当初のもくろみは達成できていない例

を、紹介させていただきました。

問題は、
「積み重ねの歴史」のヨーロッパが、世界制覇して、

激烈な競争社会に、

当事者の意思を無視して
有無を言わせずに 無理やり 全世界の人々を
巻き込んでしまう状況が、現出していることです。

世界の大多数の人々が、

今までの「繰り返しの歴史」を放棄して、
「積み重ねの歴史」に乗り換えなければ、

この競争社会で生き延びることが、
不可能であるのみならず、
今まで以上の悲惨な生活に 追い込まれるのです。

先ほど、
殆どありえないであろうと申し上げたことが、
強制される状況になっているのです。

しかも、
強制している欧米の人々が、
そのことに鈍感であるのみならず、

ネオコンの如く
強制することが正義であり、十字軍的使命である考えて、
イラクなどに攻め込んでいるのです。

「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」のエートスは、
本質的に異なりますので、

この乗り換えを強制された人々が、
違和感を覚えて、イライラするのは当然です。

これが、
アルカイダなどの暴発や、

穏健なイスラム社会の人々でも、
欧米に対してイラついている原因だろう と、思います。 

これを克服するには、
その社会を教育により抜本的に変革して、
一部のエリートだけではなく、

これから時代を担う人全員が
「積み重ねの歴史」がもたらした激烈な競争社会に、
適応できるようにするしかないだろうと思います。

この実現は、
人間性に反していますので
可能と思われ、「道遠し」と呆然となってしまいますが、

他に上手い方法が思いつきませんので、
それこそ
コツコツと積み重ねていかねばならないだろうと考えて、

「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」で、
柄にもなく提言させていただきました。


以上、
私が考えていることの概略ですが、

このメールをお読みになった後
一度
私のホームページの「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」を
お読みいただければと願っています。

次をクリック下さい。 
http://chuuseishi.la.coocan.jp/070717.htm

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2007年8月10日 (金)

「イスラム過激原理主義」

暫く中断していた 過去に読んだ本の「読書禄」を
再開させていただきます。


藤原和彦著
「イスラム過激原理主義」(中公新書)


90年代の中東の原理主義のテロ化について
全く知らなかったので興味深かった。

ルクソール事件で 過激な無差別テロは、
国民の信頼を喪失して 中止せざるを得なかったとのことですが、

そうであれば、
彼らは 全くの狂信集団ではない表れで
対処の仕方があるということなのだろうと思います。 


だとしたら、
アメリカみたいに、有無を言わさず 押さえつけるのではなく
イスラムのモノの考え方をよく理解した上で 対処すれば
全く解決が出来ないというわけではないでしょうか?


但し、
ビン・ラディンみたいに 民衆に立脚しない連中は 
どうだか分かりませんが・・・


でも
ビン・ラディンといえども
イスラムの民衆の世論の支持がなければ 生存できないのでは
と思われますから、地道な努力が必要ではないでしょうか。


著者の藤原さんは、
9.11の 1ヵ月半後に この様な本を出版したことから分るように
なかなかの力量のある方だと感じられ、感心しました。

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2007年7月13日 (金)

「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」

私のホームページ「ヨーロッパ中世史年表」 の 「年表から」 に
「「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」」との文章を、掲載しました。

このブログ同様 ご訪問いただき、お読みいただければ幸いです。

 < ホームページ >
   「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」
   http://chuuseishi.la.coocan.jp/070717.htm


世界の大半の歴史は、
「繰り返しの歴史」なのに、

ヨーロッパ史 と 日本史 は、
「積み重ねの歴史」という特異な歴史である

と、今までホームページで幾つかの文章で書いてきました。


ヨーロッパの歴史家が、
歴史の「進歩」についてよく述べていますし、

ヘーゲルやマルクスの歴史の進歩についての歴史哲学が、
有名なのは、承知していたのですが、

ヨーロッパの歴史が、
「進歩」してきたといわれても、
何を持って「進歩」というのか、との 躊躇があって、

「進歩」の代わりに、
「積み重ね」との言葉を使ってきました。 

今回は、
「積み重ねの歴史」をキーワードにすると、

ヨーロッパが、
世界制覇して、現在の世界をリードするようになった理由や、

ヨーロッパに先行していた 中国やイスラム が、
ヨーロッパに 遅れをとった理由 について

単純明快に 説明できるのでは と 考えて、文章をまとめてみました。

また、この機会に、
今まで色々書いてきた私のヨーロッパ史に対する「仮説」の一覧を
掲載させていただきました。

今回の文章は、
若い頃から 疑問に思い、考え続けてきたテーマ を まとめたもので、

個人的には、
自分なりの歴史観が一段落したなと、感慨深いものを感じています。

ヨーロッパ史についてのちょっと変わった視点の歴史観を
読んでやっても良い とのご奇特な方がおられましたら、
是非ともお読みいただきコメントでも頂戴できれば幸いです。

尚、本ブログ に
  「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」についての一つの対話
  との文章も、掲載していますので、お読みいただければ幸いです。

    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_4971.html


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2007年5月13日 (日)

「ヨーロッパとイスラム」

内藤正典著
「ヨーロッパとイスラム」(岩波書店)



一見イスラムに寛容に見えるEUが、
実は そうではないということを 明快に述べた書です。

また、
ヨーロッパとイスラムの根源的な溝を
これまた 明快に分析していいます。 


ヨーロッパ、アメリカとイスラムの関係を考える際の必読書
と、言える書物だと思います。


一つ
私と見方が異なるのは、

ヨーロッパの「世俗主義」と「キリスト教」とを分けて、

「世俗主義」が、
イスラムと対立していると分析をしている点です。


「世俗主義」も、
「キリスト教」も、ヨーロッパの部分を構成するものであり、
同じエートスで、根源は一つではないだろうか。

長い歴史で培われてきた人間としての根源的なエートスが、
イスラムとヨーロッパとで対立しているのであり、
根が深く、解決が困難な問題なのであろうと思われます。


その解決には、
まず ヨーロッパ側に、
他人を人と思わないヨーロッパ人の「偏狭性」「唯我独善性」が、
「なぜもたらされたのか」との謙虚な分析に基く理論構築が、
求められるのだろうと思いますが、

ヨーロッパ人の性格から考えて、
「八百屋で魚を求めるようなもの」であろうと、
悲観的にならざるを得ません。


また、
イスラム人側も、

「アラーの規範が 全生活に及ばないイスラム外の社会もあるのだよ」
ということを 理解する必要があるのだろうと思われますが、

これまた
ヨーロッパ側に求めるのと同様に、実現が難しい問題でしょう。


第三者として遠く離れた岡目八目の視点からみると、

そもそも
ヨーロッパやアメリカが、
イスラム世界という他人の家に、土足で侵入したことが発端なので、

基本的には
加害者であるヨーロッパ、アメリカ側が、
反省に基く何らかの対応をとるべきであろう と、思います。

この点は 著者と同感です。



追記

ヨーロッパ史が世界制覇した理由、
他の地域の歴史と比べたときの際立った特徴
及び 今後の考えるべき課題等について、

「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」 と 題した文章を、
ホームページに掲載しました。

http://chuuseishi.la.coocan.jp/070717.htm

併せてお読みいただければ幸いです。

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