イギリス

2022年7月18日 (月)

歴史の違いは 料理 にも 差異をもたらすのでは?

何年か前、ドイツに旅行した際に、
ベルリンを訪問したことがありました。

夕食を食べようと、ガイドブックを開いてみると、
「ソニー広場のレストランが評判である」
との記述がありましたので、訪れてみることにしまた。

クリーム系のシチューを注文したのですが、
一口食べて、家内と顔を見合わせてしまいました。

出された料理は、
無理やり飲み込んだ はるか昔の小学校の給食レベルの味で、

現在においては レストランの料理として提供されるレベルに
およそ遠く及ばない まずい料理 だったのです。


あまりのひどさに
家内とホテルに帰ろうと話しあって、食事を中断してホテルに帰りました。

ホテルに戻るってから、口直しに ベルリンの名物料理といわれていた、
ソーセージにカレーをかけた料理を注文しました。

出された料理を一応食べましたが、
これが、ドイツの首都であるベルリンを代表する料理か
と、びっくりしてしまいました。

日本では、
お祭りの屋台で売られているような
ソーセージにどこにでもあるうま味もこくもないないカレーをかけただけの料理
だったのです。

それをベルリンを代表する料理だ と、
一流ホテル(ウエスティンホテル)で 堂々と提供されているのです。

当時は、
ドイツの料理は、評判通りまずいな と、思っただけで、
一つの思い出となったのですが、

最近、「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」を考えるとき、
歴史の違いを表している象徴的な現象が、この思い出では?
と、考えますので 少しお話しさせていただきたいと思います。


家庭料理で煮込み料理を作る際には、
多量の野菜や肉を煮込んで作るのではないでしょうか。

長時間これらを煮込むことによって
肉や野菜からうまみ成分が出てきて、おいしく仕上がります。

レストラン料理では、見た目も大切ですから、
野菜 や 肉は、
必要最小限に抑えて、色添えみたいな役割となりますので

料理をおいしくすために
ブイヨン(出汁)やバター(油脂分)を 隠し味として使用して
仕上げるのではないでしょうか。

ところが、
ベルリン で 経験したことは、
スープ を作る際に ブイヨンやバターを使用しないで、
客 に 提供しているのです。

ですから、
我々の世代 が 経験した 小学校の給食 の まずい料理 と 同じようなもの が
提供されたのだろう と、思います。

60年近く前に
大学1年の時 に 南ドイツ から オーストリーに3週間ぐらい
バス旅行をしたことがありました。

その時に、
毎日 食事のたびに 炭酸系のリンゴジュースを支給されて飲んだのですが、
うまれてから初めて飲むリンゴジュース は、
最初 は 口に合いませんでしたが、

毎日飲むうちに、おいしさが分かってきて、
今では大好物の一つとなっています。

このように、
最初は 口に合わなくとも、
飲んだり食べたりしているうちに 味が分かってきて、
評価 が 変わることがあります。

ドイツ人 は、
ブイヨンの使わない料理 を 毎日食べているうちに、

それなりに おいしさを感じて
料理とは、こういうものだ と 思い込んで過ごしているのでしょう。

ですが、これは、
「繰り返しの歴史の国」であるドイツで生じたことであり、

「積み重ねの歴史の国」においては、
料理 を もっとおいしくする方法なないだろうか と、工夫 を 重ねる人 が 出てきて、

試行錯誤しているうちに、
ブイヨン を 加えると、もっと料理がおいしくなる
と、気が付くのではないでしょうか。

数年前に、
ドナウ川クルーズを レーゲンスブルクからブタペストまで楽しんだことがります。

利用したクルーズ船は、
日本企業の 「ニッコウトラベル」(JALさんの子会社ではありません)さんの所有船で、
料理を担当してくだっさったシェフは、ルーマニア人とのことでした。

実は、家内が ドナウ川クルーズは一度経験したいけど、
ローヌ川クルーズと比べて 料理 が まずいのでは?
と、逡巡していたのです。

ところが、
実際には、毎日提供される食事は、素晴らしいもので、
日本人の団体だからと言って提供された日本料理は、
日本人が作ったのではと思えるほどの出来栄えでした。

「ニッコウトラベル」さんに聞いてみると、
シェフを日本に呼んで、日本料理を含めて徹底的に教育しているとのことでした。

なるほど、それでおいしい料理を提供していただいているのだな、
と、感謝したのですが、

出されるスープには、
ブイヨンは使用していないなと感じられました。

シェフも、プロの料理人ですので、
日本で教育する際に、
初歩の初歩であるブイヨンの作り方までは、
教程に入っていなかったのでしょう。

ですから、
ベルリンとはまるで比較にならないレベルの大変おいしいスープでしたが、

やはりルーマニア人は、
繰り返しの歴史の国の人だなと、感じた次第です。

 

フランスは、
「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」の人々が 半々の国ですが、
指導者層は、「積み重ねの歴史」に属する人でした。

例えば、
渡辺一夫先生は、16世紀後半の宗教戦争の時代
ユグノー(新教)、カトリック、ユグノーと対立した3派の指導者は
「積み重ねの歴史」の地域である北フランス出身者だったと記述されておられます。

フランスは、
クローヴィスがベルギーよりパリに南下して建国した国であり、
支配層は、「積み重ねの歴史の国」の人々でした。

フランス料理は、
16世紀フランス王家に嫁いだメディチ家がもたらした
イタリア料理より発展したもであり
フランス王の宮廷をはじめとるる貴族の城館において 発展した料理なのです。

それが、フランス革命により
宮廷や貴族の城館に雇われていたシェフが失業したため
パリなどの町に出てレストランを開業したため、庶民にもフランス料理が広まり
国民的な料理として発展し現在に至っているのです。


イングランドは、
ノルマンディーからフランドルにかけての人々が、
ルマンディー公ウィリアムに率いられてイングランドに侵入して
現在に至る イングランド史 が 始まりました。

ノルマンディー公ウィリアムが征服した直後の イングランドは、
支配階級のノルマン人と、
アングロ・サクソン人やケルト人、ローマ人の末裔からなる
被支配階級との間に画然たる差がありました。

言葉からして、
支配階級のノルマン人は、フランス語、
被支配階級の人々は英語を使用していたのです。

ですから、
支配階級にとりブリテン島の領地は、征服した植民地みたいなもので、
本拠は、ノルマンディーからフランドルの間の地域だったのです。

その後、
イングランド王家のヘンリー2世が、アキテーヌ女公アリエノールと結婚して
スコットランド国境からピレネーに至るフランスの西半分の膨大な地域を支配する
アンジュー帝国 を 構築したのですが、

ヘンリー2世の息子ジョン王が、
フランス王フィリップ2世に フランスよりイングランドに駆逐されてしまい、

ジョン王の後継者が、
フランス領土奪回のためフランスを百年戦争を戦ったのですが、
最終的にフランスに敗北し、
ブリテン島の王朝としての歴史を歩むことになったのです。


その後、
イングランド王が、革命により断頭台で斬首されたころもありましたが、

フランスのように 共和制になることもなく、イングランド王が存続したために、
宮廷や貴族の城館で雇われていたシェフが 失業して、
庶民相手にレストランで営業するようなことが生じなかったのです。

これが、
イングランド料理は、まずい料理である との評価になった 一番の原因では?
と、考えています。

イングランド料理のまずさを象徴する例えとして
「イングランドでおいしい料理を食べたければ、朝食を2回食べればよい。」
と、云われています。

イングランドの朝食は、おいしいとの定評があるのです。
このことは、
イングランド料理を評価する際のヒントになるのでは?
という気がしています。


イングランドで 本当においしい料理は、
おそらく 宮廷や貴族の城館で食されているのではないでしょうか。

宮廷や貴族の城館で働いていたシェフが、
失業することもなく過ごしてきたため、

町のレストランの料理レベルが、上昇しなかったことが、
イングランド料理は、
まずい との評価 が 定まった原因ではないでしょうか?


例えば、
ティーで提供されるお菓子は、上質なものです。

特に、
クロテットクリームとジャムをスコーンを付けたものは、

トースト に バターとジャムを付けたものよりも
数段上質たと思います。

このクロテットクリームとジャムをつけたスコーンを食していたのは、
城館に住んでおられた貴族ではないでしょうか。


ロンドンで駐在員をしていた友人から、
最もおいしい紅茶は、イングランドより輸出を禁止されていて、
英国人が独占している

と、聞いたことがあります。

また、
ある年の正月休みに訪れたエジンバラの駅前のホテルで食したスモークサーモンは、
生涯最高のスモークサーモンでした。

日本人の大好きなイチゴと生クリームのショートケーキの原型は、
イングランド料理だと聞いたことがあります。

思いつくままに、イングランドの料理について述べさせていただきましたが、
私は、本当のイングランドの最高の料理を知らないのだろう
と、想像しています。

彼らは、
外国人に知らせずに、
自分たちのインナーサークルで 最高の上質な料理を楽しんでいるのだろう
と、想像しています。

私は、そのごくごく一部 を
垣間見ただけのような気がしています。


イタリアは
繰り返しの歴史の国です。

ローマ帝国終焉後、
ゴート人やランゴバルド人に支配された後、
ドイツ人が、神聖ローマ皇帝をしてイタリア政策を実施するのだといって
イタリアを支配していました。

その間に
ロンバルディアでは都市国家が栄て、

フリードリヒ2世没後 ドイツ勢力が衰えると
イタリア人の民族の祭典というべき イタリア・ルネサンスという 民族の祭典 を
繰り広げたのですが、

イタリア中部より南は、
ローマ教皇庁が フランス勢力を導入した後、
アラゴンに支配される経験をしたのち、

最終的に、
ハプスブルグ家 が イタリア全体を支配することになり、

19世紀半ば、トリノの宮廷がイタリアを統一するまで、
外国に支配される歴史を経てきました。

ところが、
繰り返しの歴史の国であるイタリアが、
積み重ねの歴史の国の象徴でもあるフランス料理の母国だ
と、いうのです。

残念ながら、
この疑問に対する回答を現在のところ持ち合わせていません。

確かに、
イタリアは海に囲まれていて、新鮮な食材が豊富な国であり、
おいしい料理がたくさんあることは事実です。

また、
フランス料理のように凝った調理法ではなく、
新鮮な食材を生かした料理が多い感じもしています。

例えていうと、
フランス料理とイタリア料理の差は、

日本で言うと京(京都)料理と加賀(金沢)料理の差に相通じるものがあるのでは?
と いう気が しています。

でも、
ドイツでさえ、

「繰り返しの歴史」をそのまま体現する料理 を 現在まで引き継いでいるのに、

ドイツ以上に「繰り返しの歴史の国」であるイタリアが、
なぜ あのような料理 を 保持しているのか、についての説明 が 思いつきません。


敢えて推測すると、

ローマ帝国時代 に 料理の基本が確立して、
それが、
20000年近く保持されてきているのでは?
と いう妄想しか 思いつきません。

この問題は、
ローマ帝国が「積み重ねの歴史」なのか、「繰り返しの歴史」なのか、
の 問題 と 深くかかわっていますので、

私の人生に 残された時間を考えるとき、
これから取りかかるには 大きな問題すぎるな
と、現在感じていますが、
他方、いつかギボンのローマ帝国衰亡史を読んでみたいなとも願っていますので
ひょっとして 考えるチャンスが訪れることが あったらな と 願っています。


以上、ヨーロッパ諸国の料理にまつわる雑感 を
お話しさせていただきましたが、

私の雑感について
お付き合いくださり ありがとうございました。

 

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2016年7月 3日 (日)

イギリスのEU離脱についてのちょっとした論点

2016年7月1日


今回のイギリスのEU離脱について、

メールをいただいた友人に、
次のような返信をしましたので、ご参考までにご紹介させていただきます。


1.今回の問題は、世界を揺るがす政治的、経済的大事件なのだろうか? 


  
今回の離脱は、
  歴史上の視点からは、興味ある問題ですが、

  現実の
経済や政治上の視点からは、
  マスコミが騒ぎ立てるほどの大事件なのか?との気がしています。


  
冷静に考えると、
  
イギリスが、EUから分かれるだけですよね。

  イギリスは、
  
ユーロを使用せず、独自通貨を使用していますし、
  EUを離脱しても、関税などの貿易協定は現状と変わらないでしょう。


  大分前(といっても5年以内ですが)
  ユーロスターで、パリからロンドンに行ったとき、

  パリの駅で、空港のパスポートコントロールと同じ手続きが必要なのには
  びっくりしました。


  EUのほかの国への移動は、
  フランス国内の移動と変わりませんでしたので、


  イギリスは、
  EUに加盟していても、EUとは一定の距離を置いているのだなと、
  
実感しました。


  ですから、
  イギリスがEUを離脱しても、一過性のショックはあったとしても
  根本的に、今までと何が変わるのか?について、
  私にはよくわかりません。


  今更、
  EUとイギリスの間で、関税障壁合戦をするとは思えません。


  ロンドンからフランクフルトにヨーロッパの金融センターが
  移動したとしても、


  ヨーロッパというコップの中の移動であって、
  世界的にはどうという問題ではないのでは?
という気がします。


  
マスコミは、
  今日の為替や株がこのように変動したから大変だ
  と、目先のことを言うばかりです。

  
リーマンショック並みの問題だというなら、
  そのメカニズムを説明してほしい と、
  マスコミ、有識者にお願いしたいと思います。


  
勿論、
  イギリスの離脱を引き金にして、EUがばらばらになってしまうなら、

  これから、
  今後の歴史の歩みについて、いろいろな問題が生じるかもしれませんが、


  イギリスのEU離脱自体の直接の政治的、経済的な影響は、
  一過性のショックで終わるのでは?という気がしています。


  歴史の歩みにいろいろ問題が生じるということで、
  すぐに頭で浮かんでくる大変重大な問題点は、

  イギリスとEUの離脱交渉がまとまるまでの間に、、、
  
  ① イギリスに追随して、EUから離脱する国が現れたり、
  ② EUと直接結びつきたいと要求する地域が、
    独立を主張するなどにより、

  EU各国において、国民国家解体の問題が表面化して、

  
EU全体が大揺れして、
  ひいては世界中が大変な動乱に巻き込まれるかもしれないことです。

  このこととが表面化したら、今回のイギリスのEU離脱は、
  歴史の流れにおいるエポックメイキングな事件だったとの評価が、
  なされるようになるかもしれません

  この意味から、EU全体の動向については、

  短期的な 表面上の現象がどうなるかとの視点でなく、
  長期的な視点、今後の歴史動向との視点から
  注視していかねばならないだろうと考えています。 





2.新たな類型の民族問題の出現


  
 
今回の離脱の原因 が、
  民族問題であることを知った時には、びっくりしました。



  私は、恥ずかしながら、
  
当初、今回の離脱問題は、主権のあり方についての議論だろう
  と、想像していました。

  
ですから、
  
イギリスで、国会議員が殺されたことが、国民投票に影響する
  との報道が、イギリスでなされているのを見て、


  何故、関係があるのだろうか? 
  と、理解できませんでした。

  日本のテレビのニュースでは、
  何故、事件が生じたのかについては説明がなかったのです。



  
これは、日本のマスコミが、

  
いかに、偏向した(偏った)報道をしているか、
  いかに、自分の都合の悪い事実
を伝えないのか、
 
  を、改めて示していると思います。


  世界の最先進国の一国であるイギリスで、
  マスコミの忌み嫌う民族問題、人種問題から
  EUの離脱問題が生じたということは、

  尖閣問題や舛添問題により朝鮮や中国への反感を強めている
  日本人には隠しておきたいこと、都合の悪いことだったのでしょう

  と、今回の問題の本質を理解してから、感じました。



  イギリスの国会議員殺害事件について理解できないのは何故だろう?
  と、こ
の点に注目してネットなどを見てみると、

  
今回の国民投票の原動力は、主権のあり方は二次的な問題で、

  
一次的には、
  外国人が、無制限に流入してくることを
  EUが押し付けてくることへの反感から生じた問題だ と知り、

  
それでは、
  ユダヤ人排斥と同質の問題ではないかと、ある意味びっくりしました。


  即ち、
  EUの拡大により東方諸国の人々が、
  EU域内で自由に移動できることを利用して、
  蟻が蜜に群がるようにイギリスに押しかけていることに、加えて、

  直近では、
  イスラム系の難民と称する人々が、どっと押し寄せてくるのを、
  EUが、受け入れろ と、押し付けていることに
  イギリス人の反感が高まって、

  そんなEUなら、離脱してしまえと、
  国民投票にまで至ったということでした



  私は、
  
ブッシュのイラク戦争の時に、今後の歴史の波乱要因は、

  民族族問題、
  
強盗国家(独裁国家)、
  アメリカなどの覇権国家、
  
の 3つであろう と、考えていました。


  民族問題については、

  国民国家のタガが緩んだことを契機にして
  国民国家に 不本意ながら所属させられてきた 主権を奪われた地方 が、
  独立を要求したり、
  直接、地域共同体につながりたいと要求することにより、

  国民国家のタガがますます緩んで、国民国家が解体して、
  収拾が困難な事態が生じるのではと考えていました。

  例えば、
  バスク人やクルド人がそうでした。

  また、
  ベルギーのようにフランス系とドイツ系の分離のような問題もありました。
  スコットランドの独立についての国民投票も、この動きの一つでしょう。


  その意味で、今回のような、

  ① 地域共同体内の地域間格差、経済格差が原因での民族の大移動や、
  ② 地域共同体の外の人々が、
    豊かな生活を求めて大量に流入してくることによる
    受け入れ国による反感が生じて、民族問題が発生することは、

  現代という歴史段階において登場した、新たな類型の民族問題でしょう。


  なお、
  難民問題は、
  ある国で内紛や内乱が生じても、関係各国の連携により収束されて、
  基本的には、歴史を揺るがすような大量の難民は発生しないものです。


  (注) 「大量の難民は発生しない」について

      内戦においても、
      数十万人~100万人単位の難民は発生します。

      ここで、「大量の難民」というのは、

      難民を口実として、豊かな社会に引き寄せられて
      流れ込んでくる数千万人の人々のことを 指しています。

      ドイツの首相は、
      上記に対する歴史認識が欠落していた故に

      近視眼的に、数十万人単位の人 を 受け入れるつもりで
      数千万単位になり得る人を、ヨーロッパに呼び込む政策を実施して

      ヨーロッパ社会の安定を脅かした と、評されるのだろうと思います。



  今回の現象により表面化したことは、

  難民問題が発生すると、それに便乗して経済的に豊かな国や地域に移動する
  数千万人単位の大量の予備軍 が 存在するので、

  彼らの大量移動に対してどのような対策をとるのか、という
  人類の英知が試されていると言っても過言ではない課題が
  重くのしかかってきたことでしょう。

  ブッシュのイラク戦争(「歴における現在」再論)
  http://chuuseishi.la.coocan.jp/030830.htm



  今回のイギリス人の外国人に対する反感は、

  どのような価値観により評価するかにより、
  是非の判断は異なると思いますが、

  彼らが、そう考え、要求するようになった心情は、理解できます。



  即ち

  受け入れ側の都合を考えずに、
勝手によその国に入り込んできて、

  
受け入れ国であるイギリスのルールを無視して、
  平穏な生活の脅かすような
やりたい放題しでかして、

  社会福祉などの社会的なサービスやメリットを要求し、享受する、
  というような連中に、
イギリス人が、反感を持つのは 当然のことでしょう。


  アメリカでも、
  
トランプ氏が共和党の大統領候補にまで抬頭したのは、
  同質の問題があったからです。


  中国の共産党政権が崩壊して、内乱状態になり、
  
数千万人単位の中国人が、難民と称して 日本に押し寄せてきたら、
  
今回のイギリスの比ではない大問題が日本で生じるでしょうから

  今回のイギリスのEU離脱問題をもたらした 新たな類型の民族問題は、
  日本が他山の石として、真剣に検討すべきものだと思われます。


  
この問題が生じる根本は、
  
民族移動の起点となった国家の無責任さが原因ですが、

  
実際に生じた問題をどう対処すべきか、
  
政治・経済的にも大変な難問を人類は背負い込んだな
  という気がしています。

  
これも、
  今まで想定していなかった
  国民国家から地域共同体への移行の際に生じる一つの問題でしょう。

注) 国民国家より地域共同体への移行の際とは、
   国民国家のタガが外れているのに、地域共同体が確立していない
   過度期 を、意味します。




従来類型の民族問題
即ち、
このブログの最初で述べたように、

主権を奪われた地域が、EUと直接結びつきたいと要求する動きである
スコットランドの動向も、注視していかねばならないでしょう。

というのは、
スコットランドの要求が、

① EU加盟のため 独立を要求する 国民国家の中のある地域が
  現れるとともに

① そのような地域の独立により、
  国民国家である自分の国が解体されるのを防ぎたい
  いくつもの国が、

  国民国家のタガをはめなおすために、
  イギリスに追随して、EUより離脱することにより

  EU自体の解体の可能性が現実化する可能性もありうるからです。


スコットランド首相が、
EU議長に「EU残留」=「スコットランドの独立」を意向表明した直後に、
フランスとスペインが、即座に否認しましたが、

これは、
フランス、スペイン両国で、スコットランドと同じように地域が
EUと直接結びつく=独立の動きが表面化することを
警戒したからなのでしょう。

 
スペインは、
バスク問題がすぐに思いつきますが、

最近では、
バルセロナ分離問題が、より大きな問題として
クローズアップされてきています。

バルセロナ分離というと、
日本人にはピンと来ないと思いますが、

要するに、
15世紀に統合したしたカスティリャとアラゴンの分離、分裂
即ち、
スペインの分裂を意味しているのです。

そんな問題を抱えたスペインが、
スコットランドの要求を、「はい、わかりました」と、
受け入れるはずがないのは、当然です。

フランスが拒否した理由は、私にはわかりません。

フランスは、
パリのフランス王権が、外国を含む各地方を併合して
出来上がった国ですので、

日本では報道されていない分離、独立問題があるのかもしれません。
  

このように、

① 国民国家のタガが緩んで、
  
国民国家が解体するムーヴメントが生じること、
② また、
  国民国家の解体の動きを阻むために、
  EUから分離する国が、ドミノ倒し的に発生して、
  EUの解体に向かうムーヴメントが生じること

に、注目せねばならないことを認識しておくべき
だろうと思います。


アメリカも、今後

WASPの支配力が落ちてきて、
国家が分裂するまでに至らないとしても、
国としてばらばらになって、
各地方が分立していくような気がしています。



技術の進歩により、

統治単位、経済単位が従来の国民国家に収まることができなくなり、

さらに拡大した単位である地域共同体に、

長期的な歴史は動いて、収斂するはずであり、

その先には、

地球連邦への道があるだろう と、確信していますが、
  

その動きの過程では、

今回のように、地域共同体も、従来の国民国家も 無視した、

アナーキーな状況が生じることがあることが、

頭ではなく、実地で理解できたということが、
今回の教訓ではないでしょうか。
 


歴史というのは、いろいろな紆余曲折を経るもので
今回の英国の離脱も、後から振り返ると
大きな歴史の流れに棹さす、泡のようなものだった
と、評価されるだろうと感じられますがすが、


渦中に於いては、
今後の動向の視界が不透明なことは否めないため、

歴史に対する野次馬の私にとって、
今後の動向がどうなるか興味津々です。
  

その意味で、

もう少し若ければ、もうちょっと歴史観察を楽しめるのに、

と、残念がっています。
 
 
 

ちょっと本筋から離れますが、
 

ロンドン市が、イギリスより独立しようとの声を上げているのに、

「面白い」と、微苦笑しています。


ロンドンは、

イングランド史で、特別の地位と役割を果たしてきて、

国の中の独立国家のような存在として、
イングランドを左右するほどの力を持っていた町でしたが、


21世紀になっても、

中世と同じようなメンタリティーを彼らが持っているのだな、

と、確認できたのは、収穫でした。


今回のような問題が日本で生じても、

東京が、日本より独立しようなどの動きはあり得ませんよね。
 

都市間の外交で、「市の鍵」を贈呈することをよく見ますが、

中世においては、
降伏した際に、市長が征服者に実際に使用していた市門の鍵を
渡すのが通例でした。


今回、
城壁に囲まれた中世の町が、ロンドンに忽然と現れて、

「市の鍵を、イングランドには渡さないぞ」と叫んでいるような
感じがして、面白がっています。


3.ヨーロッパの「繰り返しの歴史」への傾斜
  
ヨーロッパが、
「積み重ねの歴史」から「繰り返しの歴史」に移るのでは、と感じたのは、

フォルクスワーゲンの事件の時でした。

あのドイツも、
「積み重ねの歴史」の負担に耐えられないのかと、
感慨深くニュースを見ていました。



また、
パリやロンドンを訪れる度に
この数十年で、彼らの植民地だった人が多数働くようになったのを見て、


フランスもイギリスも、
「帝国主義時代の重荷を背負って大変だな」と感じながら、
「それにしても、よく我慢して、受け入れているな」と、感じていました。


更には、
イギリスの政治が、イギリスらしさが薄れてきたな、

その原因は、
イギリス人でない人々(具体的には、植民地から移住してきた人)が
増加したからではないかしら?
と、感じていました。


アメリカも、先ほど述べたように、

WASPの支配力が衰えてきて、「積み重ねの歴史」が薄れているのは、


スペイン系などの移住者が増加して、自分たちの勝手な主張をして

社会を混乱させているからのような気がします。


もともと、
ヨーロッパやアメリカで、
「積み重ねの歴史」を担う人は、少数派でしたので、


その少数派が、さらに比率を下げて、僅少派になると、

「繰り返しの歴史」の国と、そんなに変わらなくなってしまうような
気がしています。


「繰り返しの歴史」の国である
中国や韓国 を 見ても、

「繰り返しの歴史」の国でも、
「積み重ねの国」が今まで積み重ねてきた技術、知識を、
パクることができ、それらしいものを作ることもできることが
分かります。


ただ、
「繰り返しの歴史の国」は、

既存の技術や知識に新たな上乗せができないだけなのです。

それはそれでよいのでは、と考えれば、それでよいのです。


ヨーロッパやアメリカには、ごく少数の人ではありますが、
「積み重ねの歴史」を担える人がいるでしょうから、

それなりに、
「積み重ね」が行われるかもしれませんが、


組織だって、ぐいぐいと歴史を積み重ねていくことは
できるのかな?
と、疑問に感じています。



今回のイギリスの国民投票で感じるのは、

フランスとドイツの政治面における「繰り返しの歴史」化です。

ドイツ首相は、東ドイツの出身で、
マルクス主義の教えが、骨の髄までしみ込んでいる人でしょう。

ですから、
行動の端々に、「繰り返しの歴史」が見え隠れしてくるのでは?
と、感じられます。


フランスは、
共産党の勢力がヨーロッパの中でも大きな国です。

トッドさんをはじめとして、多数の知識人が、
マルクス主義者 ないし そのシンパ なのでしょう。


マルクス主義が、
「繰り返しの歴史」の世界の思想である、
との私の仮説については、
次のブログを参照いただければ幸いです。


ヘーゲル「歴史哲学」における進歩史観やマルクスの史観は、
キリスト教終末論のパクリでは?
http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-6e04.html



今回のイギリスの問題も、

EUをリードするフランスとドイツの指導者、
特に、ドイルの首相が、
引き金を引いた と、言ってもよいのではないだろうか
と、感じています。



4. 過去の地域共同体(含む共同体類似)とEUの違い


歴史上の地域共同体の前例は、
アメリカ合衆国です。

13の邦(State)が、
アメリカ合衆国という一つの地域共同体を作ったのです。

各州(各邦)は、 主権を保持していましたが、
一つの地域共同体となるために、
外交権は、地域共同体の政府である連邦政府に委任しました。


地域共同体類似の存在は、

16世紀末のフランスと
19世紀の日本(明治維新)

が、思いつきます。



アメリカは、
建国後100年足らずで、黒人奴隷を巡って南北戦争になりました。

黒人奴隷問題で、北部と南部の意見が衝突して、
南部が、「それなら主権を行使する」と、連邦から離脱したのです。

原因は別ですが、「主権の行使による離脱」という経緯は、
今回のイギリスのEU離脱と同じです。


今回のEUは、イギリスの離脱を認めていますが、

当時の北部、即ち リンカーン大統領は、
南部の離脱を認めず、武力での解決となりました。

もし、南部が勝利していたら、
アメリカは南北に分かれていたのです。

アメリカの統一が維持できたのは
リンカーン大統領が、
「統一
(主権)を維持するとの断固たる決意」をもって
戦争に勝利したからです。


 
16世紀末のフランスとは、
所謂、「3アンリの戦い」を指しています。


フランスは、
15世紀末にフランス王権が中央集権を確立して、
ほぼ現在のフランスの中央集権国家を形成しました。

(正確には、現在のフランス領土と比べると、
 ロレーヌ、アルザス、サヴォイ、フランドル南部など
 抜けている部分も多いです。)

それから100年もたたないうちに、宗教戦争が勃発し、

3アンリの戦いで、

アンリ4世が最終的に勝利して、ブルボン朝を創始した と、
歴史の本に書いてありますが、

フランソワ・バイルー「アンリ4世」の伝記を読むと、
 

3アンリの戦いのとき、
フランスは南北戦争勃発必至の状況だった
と、記述されています。

一言でいうと、

フランス王アンリ3世は、

ロワール川のいくつかの町しか支配していない
室町将軍みたいな存在で、
  
ロアール川以南には、

南部共和国の大統領のような存在のアンリ4世、
  
ロワール川の北には、

中世の封建社会にフランスを戻そうとした諸侯代表の
ギーズ公アンリが、
にらみ合っていたとのことです。
 
 
実際には、

室町将軍のような存在のフランス王アンリ3世が、
ギーズ公を殺害し、

 
その報復に、 

アンリ3世も、ギーズ公陣営の刺客に殺害されて、
  

アンリ4世が、フランス王に即位したのですが、
 

もし、ギーズ公アンリが暗殺されていなければ、
北フランスと南フランスの戦いが生じて、

フランスは、
北フランスと南フランスの2国が並立していたかもしれない
と、バイルーは記述されておられます。
 

  
アンリ4世即位してから、
北フランスのギーズ公アンリの配下の諸侯を
一人一人、金銭や地位で屈服させていき、

最後に残ったブルターニュ大公を降伏させて、
ナントの勅令で、フランスの統一をなしとげました。
 

即位からナントの勅令まで、
10年近くの道のりが必要だったのです。
 

実は、
さらに、その後も反抗を続けたサヴォイ公 を、
17世紀初頭に、アルプスの向こうのトリノに追い出して、
本当の意味の平定が終了しているのです。


このような経緯を見ていると、

アンリ4世の「主権を死守して、フランスの統一は維持せねばならない」
との決意が、
大きく結果をもたらしたなと、感じられます。
  

  
  

19世紀の日本は、明治維新です。
 

明治維新直後に、廃藩置県を実施して、大名を東京に呼び寄せ、

明治政府が、各藩を直接統治するようにしたのが、

明治維新の成功の秘訣だろうと考えています。

廃藩置県により、
明治政府が、各藩の主権を取り上げたことが、

その後の不平士族の乱に直面しても、
統一を維持できたた理由なのだろう と、思います。
  

 

このように、過去の地域共同体の例を見ると、

各地方の分立していた主権(統治権)を、中央政府が召し上げたことが、

地域共同体の分裂を阻止し、統一を維持した秘訣だろうと思います。
 
 
この点、

EUは、各国の主権をそのままにしていますので、
 

EUが、主権を有する単独の統治体となっていないことが、

分裂するとしたら、分裂をもたらす大きな原因だろうと思います。
 

 

ギリシアの経済危機の例を見ても、
 

現状においては、ドイツに 主権があるわけですから、

いくら ギリシャより 貿易で利益を得ているから と 言って、
 

ドイツや、ドイツの個別企業の債権を、「棒引きにしろ」と
要求するのは、
乱暴すぎる議論でしょう。
 

 

しかしながら
もし、EUが、主権を持っていれば、

EU全土から、税金を徴収して、地域交付金として
ギリシアやイタリアなどの地域に、
配布することになります。

 

現状においては、EUに主権がないため、このような対処ができず、

EUの地域的な経済問題が生じても、
各国のにらみ合いに終わるしかないのです。
 

 

そうこうしているうちに、
 

今回のイギリスの民族問題が勃発して、

イギリスが離脱を決意する事態になりました。
 
 

これも、

もし、EUに主権があれば、

EU全体の視点から、対処することが可能なのだろうと思いますが、
 

現実には、

ドイツやフランスなど各国のばらばらの対応で、

まともな対処ができない状況になっていて、

 それが原因で、EUの分裂の危機が訪れているのです。
 

 

 

過去の地域共同体を見ると、

地域共同体ができて、100年以内に分裂の危機が
持ち上がっていますので、
 

戦後70年を経たEU が、 

これまでに主権を持たずに来たことが、

分裂の危機をもたらしているのだろうと言えると思います。

 

その意味から、

EUは、これから大変な難局に直面するでしょう。
 

 
これを乗り切れるのか否かは、私には判断がつきませんが、

一つだけ言えることは、 

 

国民国家より地域共同体への動きというのは、
 

技術の進歩により、
統治単位、経済単位が拡大したことによるものである以上、 

 

いつの日にかは、

一つの主権を持った地域共同体が現れることは、
間違いないだろう
と、思います。

 

この実現する日が、

10年後なのか?

100年後なのか?

それとももっと先なのかは、 

人類が、どれだけ賢くなっているかによって、決まると思います。 



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2008年7月22日 (火)

フス派 と ウィクリフ

歴史の中には、
「気にはなるけど、放置したまま」になってしまう事柄があります。

昔、高校で、
「ウィクリフの考え方が、
 イギリスへの留学生によりチェコに輸入され、
 フス派に影響を与えた」
と、学んで、

「フランスやイタリア等ではなく、
 何故
 チェコ人が、イングランドに 留学したのかな」

「ウィクリフは、
 何故
 チェコだけに広まったのかな」

と、気にはなりましたが、
それ以来40年以上、放置してきました。

  ウィクリフ 生没年 1320頃~1384 享年 64才位
  フス     生没年 1370頃~1415 享年 45才位

最近、
ゴンサレスの「キリスト教史 上巻」を読んでいたら、

「当時、
 イングランド王リチャード2世が、ボヘミアの王女の結婚していた関係で、
 多くのチェコ人学生が、イングランドで学んでいた。

 このため、
 ウィクリフの著作は。彼らによってボヘミア(チェコ)にも持ち込まれた。」
との記述を読んで、

びっくりすると共に、
早速「ウィキペディア(英語版)」で、調べてみました。

  出所;ゴンサレス「キリスト教史 上巻」374㌻


リチャード2世は、

1382年1月22日
神聖ローマ皇帝 兼 ボヘミア王 カール4世の娘  アン・オブ・ボヘミア と
結婚しているのです。

アンは、可哀想なことに、
12年後の 1394年6月7日に ペストで没しています。

リチャード2世は、
1396年 フランス王 シャルル6世の娘 イザベラ と再婚しています。

  アン       生没年 1366年7月11日~1394年6月7日 享年 27才
  リチャード2世 生没年 1367~1400 享年 33才
  カール4世   生没年 1316~1378 享年 62才

アンは、
父カール4世が没してから、15才で イングランドに嫁いでいます。

10代のアンが嫁いだイングランドに、
チェコ人が、多数留学したというのですから、

チェコ人が、イングランドに留学したのは、
アンの父親である カール4世へのチェコ人の親愛の情の表れでは、
と 思われます。

カール4世は、
チェコ人に よほど好かれていた王様だったのでしょう。

そのカール4世の息子 ジギスムントが、
1415年
コンスタンツ公会議 で フスを だまし討ちみたいな形で 処刑し、

チェコ人の反乱(フス戦争 1419~1436)を招いたのは、
避けることの出来ただろう 残念な歴史の一つだと思います。

カール4世は、

皇帝の選挙制を確定させた 1356年の「金印勅書」や、

1348年 
ドイツでの最初の大学として プラハ大学を創設したことが有名ですが、

私には、
1346年 クレシーの戦いに、

歴代ドイツ王(皇帝)の中で、フランス王の臣下として参戦した
ただ一人のドイツ王(皇帝)として、印象に残っています。

クレシーの戦いでは、
カール4世の父 盲目のボヘミア王 ヨハンが、 戦死しています。

ヨハンは、
目が見えないのに、敗戦と知って、
馬に体をくくりつけて、敵陣に飛び込んでいったのですから、
殺されるのは当たり前ですが、

それだけ、
主君のフランス王への忠誠心が篤かったのだろうと、思います。

ルクセンブルク朝以外のドイツ王(皇帝)で、
外国の王様の臣下だったのは、

1214年
ブーヴィーヌで フランス王 フィリップ2世 と 戦った、オットー4世がいます。

オットー4世は、
皇帝に即位する前に、

アンジュー家(プランタジネット朝)ジョン(欠地王)の臣下(ポワティエ伯)として
仕えていました。

オットー4世の主君のイングランド王ジョン(欠地王)が、
ブーヴィーヌの戦い の事前の戦いで敗れていたため

ブーヴィーヌの戦いには参戦できませんでしたので、
形は、
皇帝とフランス王の戦いとなりました。



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2008年3月 8日 (土)

「新しい社会」での カーの「進歩史観」

カー は、
「新しい社会」の最後で、彼の「進歩史観」を、要約して記述しています。

カーの「進歩史観」は、
「歴史とは何か」でも、記述されていますが、

「新しい社会」の記述の方が、まとまっているのと、
「新しい社会」は、現在入手が困難だと思いますので、
抜書きしてご紹介させていただきます。


          **********


私(カー)は、
決して「19世紀風の意味での進歩」を信じているのではありません。


私(カー)は、
「科学の法則」に似た「歴史の法則」があって、

社会現象はこれに従って、絶えず一定の規則的過程 を 通じて、
一層高い条件へ進んで行く

(また、法則に従って、
 順次に 或いは 絶えず 交代に 前進したり、没落したり)

など と、考えているのではないのです。

同様に、私(カー)は、
歴史の過程を通じて、「神の摂理」が働き、
人間の善行を賞し、その罪を罰する とも、信じていません。

私(カー)は、
何か、進歩の「客観的定義」を提供するとも、申しますまい。

「進歩」とは、
文字通り「進んでいくこと」です。 

人間にとって、信ずるに値し、努力に値すると思われる「目的」に向かって、
意識的に進んでいくことです。

これ等の目的や、
それによって刺激される活動 には、

人間のあらゆる目的や活動と同じく、
「善」と「悪」とが、色々な割合 で 相混じっています。

或る「グループ」乃至「時代」の 目的や活動 は、
「同時代」の人々 乃至 「次の時代」の人々によって、
淘汰され、テストされ、受け容れられ、斥けられます。

しかし、
人間の「善」が、「悪」に対抗する力 を 持っていて、

単に 船を浮かせて 航海させるだけでなく、
「ゴール」或いは「使命」という 気持ちを吹き込むと、
信ずるのでなければ、

(この信仰が、
 或る宗教 や 非宗教的信念によって 支持される と 否とに 関 しません)

疑いもなく、
「進歩」ということは、「無意味」であります。


確かに、
「進歩の仮説」がなければ、「歴史」はありません。

人間が、歴史に現れるのは、
過去があること気づいたときであり、

過去の業績を、
未来の業績の出発点として意識的に利用するときであります


「非歴史的民族」とは、
「理想」のない民族であり、
前方を見ないが故に、「過去」を見ない民族なのです。

「未来」への信仰こそ、
「過去」への有意義な関心の一つの条件なのです。

しかし、
進歩の「内容」を規定せよ、と求められたら、

私(カー)は、「自由」という、
使い古された言葉へ立ち戻らねばなりません。


また、
若し、現在、私達が進もうとする「ゴール」を規定せよ、と求められたら、

私は、
近代の偉大な業績であった「少数者のための自由」に対立させて、
「万人のための自由」乃至「多数者のための自由」
を、挙げねばなりません。


この「自由」を規定せよ、と、求められたら、

私(カー)は、
ペルジャーイェフの定義 「創造的活動のための機会」
に、すぐるものはないと思います。

この定義の中には、
「必然性の承認」というような
古い、いやに消極的な定義も含まれています。

といいますのは、
「創造的活動」は、それが 追及されるときの 条件の理解 を
含んでいるからです。


「政治」の世界は、「歴史」の世界であります。
(今日、政治的でないものがありましょうか。)

歴史が示す「条件」や、「可能性の知識」を 抜きにして、
「価値ある政治活動」を、行うことは出来ません。


「歴史」がなければ、「自由」はありませんし、
逆に、
「自由」がなければ、「歴史」はないのです。


この講演で、私(カー)は、

 過去 と 未来
 客観性と主観性
 決定 と 自由

この両者の「相互作用の過程」を、示そうと試みてまいりました。

これ等は、
「歴史」の本質的要素、
「自由」の本質的要素
と、思います。


また、私(カー)は、
そこから引き出し得るものは、

科学者 に 期待するような「絶対不変」の判断ではなく、
歴史 及び 政治の研究に属する「批判的洞察」であること
を、示そうと試みてまいりました。

そして、この「批判的洞察」は、
絶えず、他の人々の洞察に修正を加えようとするものでありますが、

また、
それ自身、耐えざる批判と修正とに服するものであります。


歴史における唯一の絶対者は、「変化」であります。

今日、私達の眼前で絶えず「変化」を遂げていく世界、
そういう世界に、私達が住んでいることは、誰も疑いはないでしょう。

  (出所;カー「新しい社会」171㌻~173㌻)


          **********


以上が、
カー の「進歩史観」の抜書きですが、
幾つか、感想を述べさせていただきます。


1.カーも、やはり「ヘーゲルの徒」であるなとの印象が否めません。

  ヘーゲルの「歴史哲学講義」で、述べさせていただいたように、
  「ゴール」のある「進歩」 との 「テーゼ」は、矛盾しているのです。


  (注) 矛盾している理由については、「歴史学講義 上、下」をご参照ください。
      http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_ed14.html

  また、
  「自由」は、カーが本書で述べているように、

  A自由 を 実現する為には、
  B自由 を 抑制せざるをえないものであり、

  「全ての自由」の実現は、
  永久に実現しないもの、ありえないものなのです。

  更には、
  「万人のための自由」
  「多数者のための自由」は、

  カーの生きている時代に現れた20世紀的な、
  即ち
  「特定の時代」の「一時的な」目標であり、

  「少数者のための自由」が、
  19世紀には持っていた価値が、20世紀には喪失したことと
  同じことが、理屈上は 将来起こりえますので、

  歴史を通じた「普遍的な目標」とはいえないのです。


  カーは、マルクスを
  「弁証法がもはや作用しない「階級なき社会」と言う「絶対的な目標」を設定する。」
  と、批判していますが、

  カー自身が、「進歩史観」で、
  歴史の名を借りた「政治目標」「ユートピア」 を、表明しているのだろう
  と、感じます。

   「危機の二十年」
   http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_0938.html


  「政治」というものは、
  「目的」たる「旗」を立てて、それの実現に努力するものであり、

  カーが、
  「政治の世界」は「歴史の世界」であるといっているのは、
  いみじくもそのことを告白しているような気がします。

  カーが、「危機の二十年」で、
    こうなると、
    ユートピアニズムが、リアリズムの城塞に侵入してゆくことになる。

    そして、
    ある「有限の目標」に向かって「連続しているー無限ではないー過程」を
    心に描くことが、
    政治思考の一条件であることが分ってくる。

  と、記述している通りだと思います。

     (出所;カー「危機の二十年」174㌻)


2.「進歩の仮説がなければ、歴史はありません。」以下の記述で、
  歴史的民族と非歴史的民族を分けているのも、ヘーゲル的であり、

  カーが、
  ヨーロッパの歴史しか念頭においていない現われだろうと思います。

  この辺の点については、
  ホームページの「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」で
  述べさせていただいていますので、ご参照いただければ幸いです。

    「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」
    http://chuuseishi.la.coocan.jp/070717.htm


          **********


2月以来、カーの本を何冊か読んできて、

カーの史観について、
私なりの感じがつかめて一段落したような気がしています。

カーを研究するには、
更に カーの歴史記述を 読むべきだと思いますが、

カー研究を目指して、カーの本を読んだわけではありませんので、

カーについては、ひとまず終わりにして、
私の興味の順位に従って、
カー以外の方の本を読んでみようと考えています。

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2008年3月 7日 (金)

「新しい社会」

E.H.カー著
「新しい社会」(岩波新書)


          **********


本書は、
1951年5月~6月に カーがBBC放送で講演した内容を本にしたものです。

内容的には、
10年後にケンブリッジ大学で講演した
「歴史とは何か」と対(つい)になる本で、

ヘーゲルの「歴史哲学講義」流の構成に例えると、

 「歴史とは何か」が、総論 で、
 「新しい社会」  が、各論

との感じがしています。


本書は、

フランス革命以降 ブルジョアが担った「資本主義」が、

20世紀になり、
大衆民主主義の「新しい社会」に移り変わっていく事情 を 説明しています。

歴史哲学や、フランス革命以降19世紀の歴史の大きな流れに
興味をもたれておられる方には、是非ともお勧めしたい本です。


カーは、

「民主主義を存続させるには、
 この一つのコース・・・社会主義的計画経済・・・しかない(60㌻)」
と、記述していますので、


私などは、
すぐに「ソヴィエト・ロシアの社会主義」を思い浮かべてしまいますが、

カーの考えている「新しい社会」は、
「社会民主的な福祉国家」とでもいうべき社会です。


カーは、
外交官として約20年間携わった経験から、

国際政治学(国際関係論)やロシアに興味を持ち、

戦後
1917年から1929年までの詳細な「ソビエト・ロシア史」を記述しました。

また、
ヘーゲルやマルクスの哲学をよく研究していますが、

その拠って立つスタンスは、
本質的には、マルクス主義者でも、社会主義者でもなかったのです。


ですから、
訳者の清水幾太郎さんが、

「新しい社会は、言うまでもなく、社会主義社会です」
と、言い切っておられることに、躊躇を感じます。


カーが、本書を書いてから 約半世紀後に読んでみて、

中世に シャルトルのベルナルドゥス が 述べた
「当代の人たちは、偉大な過去の巨人の肩に乗る小人」

との言葉 を 思い出しました。


例えば、

先ほどご紹介したように
「民主主義を存続させるには、

 この一つのコース・・・社会主義的計画経済・・・しかない(60㌻)」
と、記述していますが、

現実には、
資本主義は生き残り、
社会主義は敗退したので、

カーの見通しは外れてしまいました。


これは、
アメリカを中心とする資本主義国が、

各人の自由に経済活動を実現しつつ、
弊害をミニマイズした社会を目指して努力してきたからであり、

ソ連の社会主義は、カーも記述しているように、

 支配階級がすぐ生まれて、平等な社会などはありえないとか、
 権力者は堕落するとか、
 計画に従えばよいとなると、国民の自発性を奪ってしまうことになるとか、

根本のとことで、
人間性に対する間違った洞察に基づいていたのだろうと思います。


また、カーは、

19世紀には、
失業すれば飢餓に苦しむことになるという「飢餓の鞭」により、
プロレタリアートの労働意欲を維持してきたが、

「福祉国家」では、
満たされた労働者の労働意欲をどうやって維持するかが、問題である、

と、心配しています。


これは、もっともな心配で、

東側陣営が、
西側陣営に敗北し崩壊した 大きな要因であろうと思われます。


西ヨーロッパでは、
資本主義の弊害をミニマイズしながら、競争を維持しましたので、

会社が倒産して苦労するのは避けたい との モチベーション が 働いて、
労働者の労働意欲が喪失するどころか、高められたのでした。


本書の最後に、
カーの「進歩史観」について、要約していました。


ちょっと長い抜書きになりますので、
稿を改めて、ご紹介させていただきますので、
そちらもご参照いただければ幸いです。

  「新しい社会」での カーの「進歩史観」
  http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_567d.html



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2008年3月 2日 (日)

「ナショナリズムの発展」

E.H.カー著
「ナショナリズムの発展」(みすず書房)


           

          **********



1945年第2次大戦終了後に、

これからの国際関係のポイントを論じた本で、
カーの 歴史を透徹した記述 に、感服しました。


本書 は、

前半で、
ナショナリズムの歴史 を述べた後、

後半で、
第2次大戦後の国際関係は、

民族的色彩の希薄な アメリカ、イギリス(連邦)、ソ連 の 三大国(3極)が、
国際的安全のイニシアティヴをとり、

「社会正義」という共同の理想が統一的な目的となるのであろう
と、予測しています。


また、

ナショナリズムは、終焉したが、

すぐに世界機構に移行せず、
中間的な政治単位により、国際政治、国際関係が、担われる


と、分析しています。


このように 本書 は、

ナショナリズムの時代が終わったあとの国際政治のポイント
を、記述していますので、

英文の題名 「Nationalism and After」 を、
「ナショナリズムの発展」と訳されたのは、不適当であり、誤解をもたらす訳だ
と、感じています。



私が驚嘆するのは、

ヨーロッパが再生するには、EUの実現が不可欠である

と、本書の最後で 見通している点 です。


多分、
冷戦が始まる前の 第2次大戦終了直後の時点で、
このような分析をなしえた人はいないだろう と、思われますので、

その部分を、「抜書き」してご紹介させていただきます。



西ヨーロッパ諸国の状態 は、イギリスよりも深刻であり、
ある点では、まさしく悲劇的である。


第一に、

西ヨーロッパは、
世界が今や抜け出そうとしている「民族的な時代」を生み出した地域である。

西ヨーロッパは、
軍事的、経済的土台が、取り返しのつかぬまでに壊された基礎の上に、

各独立国が、
おのおのの伝統に頑強にしがみついているところの基礎の上に、
組織されている。


第二に、

西ヨーロッパは、

たとえ、生命力 を 新たにし、
かって 栄光に輝いたが、今では、新しい生成を押さえつけている
「伝統の束縛」 から 脱れえたとしても、

西ヨーロッパを、
「半球」または「広域」時代 の 他民族文明の列に 加えるに必要な
「指導力と力」の 焦点は、やはり存在しない。


   ・・・・・・・・・・・・


ヨーロッパの運命に、もっとも影響を及ぼしうる
2つの ヨーロッパの国 -- ロシア と イギリス -- が、
東と西の両極に位しながら、

(ロシアとイギリス の) いずれも、
全的 または 一義的には、ヨーロッパの国ではない
ということである。


従って、
見通しは、いまだに暗く 不安定である。


分散されたヨーロッパが、

過去の「民族的憎悪と衝突」を越えて、
内部から「新しい統一的指導力」を吹き上げ、

それが

イギリスからも、
ロシアからも、

独立して 立場を発展し、保持することを、可能にすることも、
あるいは考えられよう



しかし、
そのような展望は、いまだに地平線上に現れていない。


これが、実現しないならば、

ヨーロッパ諸国は、

ロシア 及び イギリス とのますます密接な関係の中に、
引き込まれていくのを免れないだろうと思われる
。 


ロシアと東ヨーロッパ諸国の間には、
そのような結びつきの徴候 が、すでに存在している。 

その自然な帰結は、

イギリスと西ヨーロッパ諸国の間の
西方の伝統に適った言葉で言うならば、

より緊密な連携 なのであろう。


そのような連繋は、

狭義の政治的なものよりは、
軍事的、経済的なものとなり、

共通の利害を、強固な基礎とする であろう。

同一の安全保障問題が、全地域にとって共通なのである。


また、
西ヨーロッパ諸国の多くは、

 国際収支の混乱、
 外国貿易への高度の依存、及び
 輸入原料を使用する工業の発展から生ずる経済再調整

という、同じ問題に直面している。


社会正義に対する同一の挑戦に、

全ての国が、
立ち向かい、また、それを受け入れるであろう。


そうして、各国は、

ソヴィエト の 国家独占イデオロギー とも、
アメリカ の 無制限競争イデオロギー とも

異なる原則に立った解答 を見出そうとする
同一の欲求 により 結ばれるであろう。



   ・・・・・・・・・・・・


合同軍事組織 と、同様に、
共通の経済計画 によってのみ、

イギリスを含む 西ヨーロッパ は、
統一された力と信頼感を持って、将来に直面することが出来るであろう。

古い伝統の持つ 矜持と偏見 が、

過去の再び帰らないのを信じようとしない人々 の 固有の保守主義
と、同様に、

そのような進路 を 阻んでいる。


しかし、
ヨーロッパ と 世界 は、
ナショナリズムの時代の残した余波の中で、その均衡を取り戻すには、

「古い伝統」を捨て、
「新しい伝統」を 創造せねばならないのである。


   (出所;カー「ナショナリズムの発展」105㌻~107㌻)



上記の文章で、

イギリスを、
アメリカ合衆国と読み替えた方が、良いのだろうと思います。


カーは、イギリス人ですので、
リアリストといっても、さすがに自分の国への愛国心から、

イギリスは、
従来通りアメリカやソ連と対等であって欲しい
と、願っていたのでしょう。

(略しましたが、カーは、ご紹介した上記の文章の前に、
 今後のイギリスのあるべき方策について記述してます。)



今から歴史を振り返ってみると、

ヨーロッパ人は、
カーが、「西ヨーロッパが再生するには、これしかない」
と、記述したとおりのことを、成し遂げたのでした。


第2次大戦直後に喝破した カーも 見事ですし、
実際にそれを実現したヨーロッパ人も たいしたものだ
と、感心しています。


日本も、
立派に復興したと 自他共に自負していますが、

ヨーロッパも、負けず劣らず
1000年以上にわたって積み重ね、蓄えてきた力を発揮して、
この歴史的偉業をよくまあ実現したものだと感心しています。



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2008年2月28日 (木)

「危機の二十年」

E.H.カー著
「危機の二十年」(岩波文庫)



          **********



カーの伝記「誠実という悪徳」で、

「地域共同体について最後の少し言及し、
 それに関して、
 第二次大戦後「ナショナリズムの発展」で、さらに詳しく述べている」

と、読みましたので、読んでみました。


この本で、私がこの本で知りたかったのは、

① カーの進歩史観の所以 と、
② 地域共同体についてカーがどのように考えていたかです。


「第一次大戦から 第二次大戦の間 の 20年間について書いている」
とのことでしたので、

「カーは、歴史家だから 当然 歴史書だろ」
と、思い込んでいたものですので、読んでみて ビックリしました。


この本は、
第二次大戦の直前に書かれた「国際政治学、国際関係論の教科書」
ともいうべき本です。


考えてみれば、

カーは大学を出てから約20年間外交官でしたので、
国際関係論の本を著述するのは、当然のことでした。

多分 カーは、
国際関係論の創始者の一人だろうと思います。


そういう訳で、
期待した歴史書ではなく、
大学時代の教科書みたいな本を読む羽目になって、
勉強嫌いの生地が出てしまい、

少し読んでは中断して 放置する連続で、
大変な時間がかかってしまいました。


書いてある内容は、
私には、
現在では、当たり前のこと、常識的なことだな、
と、思われることですが、

国際政治学の基本的な視点を記述している教科書として、
現在でも十分通用する本だと思います。


多分、
国際関係論を勉強しようとする方には
必読の本だと位置づけられているのだろうな、
と、感じました。


国際政治は、
軍事力だけではない広い意味の「力」と「道義」の両方が組み合わされている
というのが、

カーの論理の原点ですが、

ここでは、
本書を要約するのではなく、

私が面白いと思った点を、幾つか抜書きしてご紹介させていただきます。



          **********



1.ヘーゲルとマルクスについて

  カーは、

  国際政治へのアプローチは、
  ユートピアン と リアリスト の 2つの立場がある と、論じていますが、

  首尾一貫徹底してリアリストであることは不可能であるとして、
  ヘーゲルやマルクスを例示しています。


  言い換えると、
  ヘーゲルやマルクスの論理矛盾を、次のように指摘しています。


  一貫したリアリズムは、

  実質的な政治思考 の 本質的な構成要素 であると思われる
  4つの事柄 を 考慮に入れていない。

  < 政治思考 の 本質的な 4つの構成要素 >

    限定された目標
    心情的な訴え

    道徳的判断の権利
    行為の為の根拠


  「政治」を、「無限の過程」として考えることは、

  結局において、
  「人間の心に合わない」か、あるいは、「分らない」ことであろう。

  同時代の人に訴えようとする政治の考察者は、
  いずれも意識するとしないを問わず、「有限の目標」を置くことになる。・・・


  (リアリストの)マルクスは、
  人間の 思惟と行動 とを、弁証法の相対主義 に 溶け込ましてしまって、

  弁証法がもはや作用しない
  「階級なき社会」 という 「絶対的な目標」を 設定する。

  これは、
  全くヴィクトリア朝風に 全世界がその方向に動いていると、
  マルクスが信じた 遥か彼方の事態であった。


  このうように、リアリストは、
  ついには、自らの「根本原理」を否定して、
  歴史的過程の外に、「究極の現実」を想定する。


  エンゲルスは、
  ヘーゲルに対して この非難を向けた 最初の一人 であったのであり、

  「ヘーゲルの体系の独断的な内容全体は、
  「絶対の真理だ」と宣言されることで、

  それは、
  あらゆる教条的なものを解消していくはずの 彼の弁証法的方法 と
  全く矛盾することになる」と、述べている。


  しかし、マルクスが、

  プロレタリアートの勝利において、
  弁証法的唯物論の過程に終止符を打つとき、
  全く同一の批判に自らをさらすことにならざるを得なかった。


  こうなると、
  ユートピアニズムが、リアリズムの城塞に侵入してゆくことになる。

  そして、
  ある「有限の目標」に向かって「連続しているー無限ではないー過程」を
  心に描くことが、政治思考の一条件であることが分ってくる。


   (出所;カー「危機の二十年」174㌻)



2.国際共同体、世界共同体


  カーは、
  国際共同体の成立の難しさについて、次のように述べています。

  現在、EUが 現実のもの と なっていますが、
  EUを考える際にも、非常に参考となる切り口だろう と 思います。


  諸国家をその構成単位とする
   「世界的規模の共同体(コミュニティ)」が存在する、
  という 一般的な考えが、実際にあるのであり、

  諸国家の道義的義務の観念は、この考えと密接に結ばれている。


  あたかも「世界共同体」というものが存在するかのように、
  人々は語り、

  一定限度では、そのように考えて行動する為に、
  「世界共同体」が存在するのである。・・・


  他面、

  このよう措定された「世界共同体」が、
  国家を含めて、より規模の小さい諸共同体をまとめて統合している
  と、考えることは、
  危険な幻想ということになろう。


  我々が、「世界共同体」というものについて、
  それがこのような統合の基準となるほど 十全のものでない面 を 検討するなら、

  我々は、国際道義について、
  それが十全のものとされない 根本的理由 を 知る鍵 を 見出すことになろう。


  「世界共同体」は、
  主として、2つの面において十全とは言えない。

  ① 共同体の構成者間に、
    「平等の原則」が適用されていないのであり、

    実際にこの原則は、
    「世界共同体」において適用が容易ではない。


  ②  「全体の福利」が、
    「部分の福利(加盟国の個々の福利)」 に 優先する原則が、
    十分によく「統合された共同体」 の必要条件であるが、

    これが、
    一般に「認められない」のが実情である。


     (出所;カー「危機の二十年」296㌻)



3.カー は、

  「今後の国際関係の目指すべきポイント」について、
  次のように述べています。


  平等に対する要求は、次のように推移した。

  フランス革命 ; 個人間の平等
  19世紀    ; 社会的集団(社会的階級)間の平等
  第1次大戦後 ; 国家間の平等


  マルクスが、

  孤立した「個人」は、
  人間の権利や平等の為の戦いにおいて、実際的な単位でありえない、
  としたのは正しかったが、

  「究極の単位」は、

  「社会階級」であると考えて、
  国家的単位の結合性と包括性を無視したのは誤っていた。・・・


  20世紀には、

  「国家」が、
  平等や支配に対する人間の野望が集中される「最高の単位」となった。

  世界的動乱となる脅威を与えた不平等は、

  「個人」間の不平等ではなく、
  「階級」間の不平等でもなく、

  「国家」間の不平等だった。・・・


  今日の我々は、「国家」を、
  人間社会の「究極のグループ・ユニット」として取り扱う という
  「誤謬」を犯すことはない。

  我々は、「国家」が、

  政治的力の焦点として「果たして 役立つ単位」か、
  そのような単位として「最善のものか、最悪のものか」、

  それらのことを 論議するのに ためらうことはない。


  しかし、いずれにせよ、

  「何故そうなのか」、
  「何が「国家」に取って代わることになりそうか」、
  などについて

  我々は設問しておかなければならない。



  この主題を熟考してゆくと、自然に 二つの問い方 になってゆく。


  ① 世界における

    政治的な力の もっとも広範で、もっとも包括的な「諸単位」は、
    どうしても「領土的性質のもの」であるのか?


  ②  もしそうであるなら、それらの単位として、

    現在の「国民国家」の形態を 先ず選ぶことになり、
    それを保持してゆくのか?


  「現在」は、
  明らかに領土的形態をとってはいる。

  これを到達点として、
  「過去の歴史」は、その目標に向かって徐々に進展してきた
  と、読まれがちである。


  そして、政治権力は、

  もっとも原始的な社会においてさえ、
  領土の保有と全く分離されたものではなかった。


  だが、
  「中世期以前の歴史上多くの時代」において、

  力は、領土主権以外の地盤の上に、
  見かけはーそして、一部は実際的にもー基礎づけられてきた。・・・


  「近代史の前期」には、

  国境は、
  今日ほどに厳密に限界を画定されておらず、

  それらの性質も、
  今日のように無常に強制される障壁としてのものではなかった。


  すでに述べたように、

  何らかの「国際的な権力形態」を組織し、維持することが、
  今日ほど明らかに不可能だと思われる時代はなかったのである。


  現代の「軍事的及び経済的技術」が、
  「権力」と「領土」とを 熔接して 分かつことを出来なくしたと思われる。


  「政治的力」が、

  「領土」ではなくて、

  「人種」ないし「信条」あるいは「階級」を 基礎として 組織化されるような世界 
  を、想像することすら、現代人にとっては難しい。

  しかし、
  「現在の政治単位の境界線を超えたイデオロギー」への訴えが、
  持続的に行われていることを無視することは出来ない。


  歴史上「永続するもの」は、殆どないのである。

  そして、
  力の領土的単位が、その少ないものの一つであるとするのは軽率であろう。


  しかし、
  これを捨てて、何か他の形態の組織された集団の力を取り上げるのは、
  あまりに革命的である。


  そうだとすると、

  現時期における国際政治に当てはめて、
  その新体制に適用されるものは殆どないことになる。

  国際関係は、
  新しい構成の集団関係によって、取って代わられることになるのであろう。

   ・・・・・・・・・

  一つの方向には、
  「統合」への明らかに目立つ趨勢があり、

  そこには、
  「絶えず拡大」する「政治的 及び 経済的な単位」の形成が見られる。

  この趨勢は、
  19世紀の後期に起こり、

  情報組織 及び 力の技術的手段の進歩につれて、
  大規模な資本主義 及び 産業主義の発達とともに、
  緊密な関連を持っているようである。

  第一次世界大戦は、この展開をはっきりと浮彫りにした。


  (第一次大戦後も)
  集中化の過程は、なお続いた。

  自立経済が目標 と 見做されることが 強くなるほど、
  それだけ単位は 大きくならなければならなかった。


  アメリカ合衆国は、アメリカ大陸

  イギリスは、スターリング・ブロック

  ドイツは、
  中欧を再構成して、バルカンに圧力をかけ

  ソヴィエト・ロシアは、
  広大な領土を拓いて、工業、農業生産のしきしまった単位に発展

  日本は、
  自国の支配下に、「東亜」の新しい単位 を 作り出そうと試みた


  これらの事態は、

  6 ないし 7つの 高度に組織化された単位 への
  政治力 及び 経済力 の 集中化 と、いうことで、

  それらの単位の周囲には、
  自らはこれというほどの独立の動きをしない 衛星的諸単位が
  取り巻いて廻っていたのである。


  この趨勢にたいして、
  他方では、次のような兆候が現れていた。

  過去百年間における、技術的、工業的 及び 経済的発達が、
  実力のある「政治単位」の大きさを、ますます増大してゆくことを求めていたが、

  大きさにも 「規格」というものがあり、
  それ以上大きくなれば、分解せざるを得ない「限度」というものがあり、
  それらのことを実証する諸徴候があげられる。


  しかし、
  そのような規格にかかわる法則が、何か働くとしても、
  それを正確に定式化することは不可能である。

  この問題は、
  恐らくいかなるほかの問題よりも、
  次の2、3世代にあたる世界史のコースを決定するものである
  と、思われる。


   (出所;カー「危機の二十年」410㌻~416㌻)



戦前のブロック経済を、

帝国主義的な現象面からの観点だけではなく、

技術の進歩による経済単位、経済圏の拡大であるとの
歴史の視点からの 本質をついた分析は、

カーの秀でた才能を示した卓見だと思います。


このような視点を有していたので、戦前において いち早く、

「地域共同体への歩み」 を、
確信もって指摘することが出来たのだろうと思います。
カーは、

ご紹介した文章に続いて、次の文章を記述して本書を終えています。


  この革命の革新は、
  政策の試金石 としての 経済的な実質利益 の 放棄 にある。

  「雇用」のほうが、「利益」よりも重視され、
  「社会的安定」が、「消費」の増大よりも、

  そして、
  「平等な分配」が、「最大生産量」よりも、

  それぞれ重要なものとされることになる。


  国際的には、
  この革命は、ある種の諸問題を複雑にするが、
  他の諸問題の解決 を、助けることになる。

  力が、
  国際関係 を 全面的に支配する限り、

  軍事的必要に、他のあらゆる利益が従属することになり、

  それが、危機を激化され、
  そして、
  戦争そのものの全体主義的性格の前触れとなる。


  しかし、
  力の問題が解決され、道義がその役割を回復すると、
  情勢に希望が現れる。

  「経済的利益」が、
  「社会的目的」に「従属」することの 率直な容認 と、

  「経済的に良いこと」が、
  必ずしも「道義的によいこと」ではないという認識とが、

  国家的分野から国際的分野にまで拡がってゆかなければならない。


  国家経済 から、
  「利潤追求の動機」を除去していく傾向は、

  その除去の一部を、
  対外政策からも行われることを 容易にするはずである。


  政治的理由から
  「非生産的な産業」を 助成すること、

  経済政策の一目的としての「利潤最大化」に代えて、
  妥当な「雇用水準」を確保しようとすること、

  「社会的目的」のために、
  「経済的利益」を犠牲にする必要を認識することなど、

  これらのことが、
  実際に行われるようになればなるほど、

  ますます これらの「社会的目的」が、
  国境によって限界を画され、制約さえ得ないことが、
  誰にもよく理解されることになろう。


  これもまた、一つのユートピアではある。

  しかし、

  それは、「世界連邦」の未来像とか、
  より完璧な「国際連盟」というような青写真よりも、
  近年の「進歩」の線に、よりよく沿っているのである。


  そのような「連邦」とか「連盟」などという
   高雅な「上部構造」を考えるのは、

  まず、
  それを「構築する地盤」を掘り進めて 調べ上げるまで
  待たなければならないことである。


   (出所;カー「危機の二十年」429㌻~431㌻)




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2008年2月21日 (木)

「誠実という悪徳」

ジョナサン・ハスラム著
「誠実という悪徳」(現代思潮新社)




          **********



六本木の本屋さんで、この本を見つけました。

「誠実と言う悪徳」との題名を見て、
ヘーゲルのことを言っているのかなと思って見たら、

E.H.カーの評伝だと知り、ちょっと意外な感じがしました。

   E.H.カー 生没年 1892年6月28日~1982年11月4日 享年 90歳



E.H.カーの「歴史とは何か」を読んだ際に、

① ギリシア学者であったカーが、何故ソ連の研究者になったのか、

  即ち
  ギリシアとソ連とどのような関連があったのか、

ということと、

② カーの進歩史観のよって来るものは何か、の

2つの点 に 興味を持ったのが、伝記を読む気になった理由です。


先ず、
カーは、ランケと同様に、
高校、大学で ギリシア語を専攻したのでした。

非常に優秀な学生で、
何にもなかったら、そのまま大学に残って
ギリシアの研究者の道を歩んだのでしょうが、

第一次大戦が勃発した事と、
大学で闘病生活をしたため、兵役に就けなかったので、

卒業後 外務省の臨時職員となったのです。


外務省では、ロシア担当となり、
すぐに、ロシア専門家として頭角を現して、
パリ講和会議にも 随員として参加しています。


私は、
「歴史とは何か」を読んだときには、

カーの興味が、
ヘーゲル→マルクス→ソ連の順で遍歴したのでは、
と、想像していたのですが、

実際は、
戦争が勃発したので 腰掛で入った外務省で、
たまたま担当したのがソ連だったのが、
ソ連研究者になった経緯だったのです。


その後、
約20年間 臨時職員のまま 外務省に勤務した後に 学者になり、

戦後に、
30年かけて膨大な「ソビエト・ロシア史」を叙述したのですが、

マルキストでない客観的な視点からのロシア革命の詳述 が、
今でも高く評価される所以であろうと思います。


カーの ロシア革命の評価 は、
次の友人宛の手紙 で 要約されると思われます。

「自分は、物質的な豊かさに恵まれているのに、

 それをもたない人々が、物質的な安定を要求すると、
 それを卑しめ見下す人がいます。

 貧しい人々が、
 物質的安定を獲得するための戦いに加わると、

 それを犯罪だと、いとも簡単に言って 非難する人がいます。


 私は、
 そのような人を見ると、いらいらしてきます。

 私は、
 ロシア革命の成果が、単に物質的なものだとは考えていません。

 五十年前、
 人口の80%が読み書きできない農民だった国が、

 今や、
 他のどの国にも負けないほどの高い教育率を保っています。

 現在、
 多くの科学分野で最前線にあり、
 他のどの先進国にも負けないほどの複雑で高度な国家組織を
 作り上げ、運営しています。

 現在、
 五千万人いるホワイトカラーの 父親と祖父は、かっては貧農であり、
 その曽祖父は、農奴であった事実 を、あなたはどう思いますか。

 これらの事実をすべて帳消しにし、
 我々の持っている長所や洗練さ欠けているから
 という理由で、

 全ては起きるべきではなかった、などということができるでしょうか。

 私にはできません。


 私は、
 私にできる限り多くの事実を、できる限り公平に語るつもりです。

 そして、
 個々の事実について、非難すべきは非難するつもりです。

 しかし、私は、
 これら全ての 歴史的プロセルに対する「告発状を起草する」つもりはありません。

 それは、
 道徳的にも歴史的にも、正しくありません。」


   出所 「誠実と言う悪徳」 359㌻



カーは、上記の考えを実行するために、

1917年から1929年までの詳細な「ソビエト・ロシア史」を
記述したのだろうと思います。


カーの評伝の著者ハスラムの次の記述が、印象に残りました。


「カーは、

 「1914年(カー 22歳)にあるひとつの文明が滅びた。

  そして、
  第一次大戦が残した廃墟さえも破壊しつくしたのが、第二次大戦だった」

 と、書いている。


 彼(カー)は、
 残された人生の時間を、まさにこの代替物を探し求めるのに費やしたのだ。

 そして、
 1980年の終わりまでに、

 なんら実証できないユートピアを捜し求めても、全く無駄である、という事実 と、
 自分自身との折り合いを つけなければならなかったのである。」


   出所 「誠実と言う悪徳」 434㌻



ハスラムは、

残された人生の時間とは、人生の最晩年の1980年頃を言っているのであろう
と、思いますが、

私には、
大学卒業してからのカーの人生全て を 象徴しているような気がしています。

期待していたソ連が、無残に崩壊するのを見ずして亡くなったのが、
せめてもの救いだったのだろうと思います。


カーとソ連との係わり合いは、今回分りましたが、
進歩史観を信じる所以は、良く判りませんでした。

カーの著作を少し読んでみようと思っています。



                

 

 

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2007年10月 1日 (月)

「繁栄と衰退と」

岡崎久彦著
「繁栄と衰退と」(オランダ史に日本が見える)
(文芸春秋社)


          **********


本書は、
外交官であられた岡崎さんの憂国の書です。

「オランダが、イギリスに 敗北し 衰退した状況が、
 1990年頃までの日本と重ねあわせられるので、
 日本の将来を考える際の教訓が得られる」
との論証は、説得力があります。

過去の歴史は、現在や将来を考える上の参考になる
と、よく言われますが、

17世紀のオランダと日本の政治構造が、
これほどぴったりと重なっていることを指摘された岡崎さんに
敬意を表します。

特に、
オランダを衰退させた宰相 ヤン・デ・ウィットを髣髴させる

国益を無視して 党派の利益を優先する
小沢代表率いる民主党が、参議院で多数を占めるようになった
最近(2007年秋)の政治状況においては、

この本が書かれたときよりも、
議論されていることの重要性が高まっているな
と、感じられます。

(注)私は、
   民主党だけでなく、自民党に対しても、 距離を置いて見ています。


岡崎さんの政治的立場に
反感を持つ方もおられるのでは思いますが、

立場を問わず、
今後の日本の行く末を考えてみよう とされる方に、
一読をお勧めします。


          **********


本書は、
前半部分が、読みづらい本であろうと思います。

著者の意見を理解してもらうために、

16世紀から17世紀にかけての
ベルギー(スペイン領ネーデルランド)、オランダの歴史
を、記述していますが、

特に、
16世紀(1500年代)のスペインに対する独立戦争の経緯は、
読み進めるのが困難と感じられる方が、多いのではと思われます。

もし、
そのように感じられたら、

細かいことは 後から調べなおそう との 気楽なおつもりで、
是非とも読み進めて頂きたいと思います。

というのは、
この部分は、
著者が言いたいことを理解してもらうための
「前段の記述」であるからです。

また、
歴史書というのは、最初理解しづらくても、
一度読み終えて再読すると、よく理解ができるものであり、

本書も その典型であろう
と、思われるからです。

17世紀の記述になると、
イギリスとオランダ
その後、
フランスとオランダとの 単純な関係の歴史となるので、
読みやすくなるし、

この17世紀のオランダこそが、
著者が憂える日本 と 対比されるべき対象なのです。

ここまで来ると
その後は、
一気呵成に終わりの結論まで 読み終えることができる
と、思いますので、

くれぐれも 途中で中断されないように、
著者に成り代わってお願い申し上げます。


          **********


岡崎さんの歴史観は、

ギリシア、ローマのあとは、
中世を飛ばして
宗教改革以降に飛んでしまう、

ヨーロッパのアカデミックな伝統を引き継ぐものと思われ、

必ずしも
私と一致するものではないような感じがしています。

しかし、
本書の対象とする分析においては、
トータルの歴史観は大きな支障をきたすことにはならないので、

この点についてのコメントは、
別の機会にさせていただきたいと思います。




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2007年9月10日 (月)

「ベルギー ヨーロッパが見える国」

小川秀樹著
「ベルギー ヨーロッパが見える国」(新潮社 新潮選書)


          **********


ベルギーが、
オランダ語 と フランス語 の 2つに分かれることは 知っていましたが、

オランダ語圏とフランス語圏は、お互い 別の邦(くに)だけど、
ベルギーという国 は 従来どおり維持しよう と、いうことで、

国家の体制を、
「連邦制」に 最近変更したことを知り びっくりしました。


「国民国家が、
 地域共同体(地域連合)である EUに進化することにより、
 国家としてのタガが緩んで、

 国家の中のそれぞれの地域が、
 国家をスキップして 直接 EUにつながりたいと、今後求めるであろう。 

 だから、
 アンブロシウス共和国(北イタリア)やスコットランド、ウェールズが
 独立するかもしれない」
と、書いたことがありました。


この本を読んで、EUのお膝元であるベルギーで、
北イタリアやイギリスより早く
その事態が現実のものになっていることを知り、
感慨深いものがあります。


私の頭の中で考えていたことが、正しかったことが検証できたわけで、
個人的には喜ばしいことではありますが、

この事態が、
果して良いものなのかどうか、
今後どのような方向に進展するものなのか、
を、今後の大きな問題として 考えていかねばならないと 思います。


最後の方に
「周辺(辺境)理論」を記述されておらますが、

「周辺(辺境)理論」よりは、
「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」に分けて考える方が、
私には正しいような気がしています。


「周辺(辺境)理論」は、
一見もっともらしい歴史の考え方ですが、

よく考えると、
「歴史の担い手」を ぼやかすことができるので、

ヨーロッパ人にとって
都合が良いから主張された歴史観ではないだろうか
と、感じられます。


例えば、
「周辺(辺境)理論」を展開すると、
「風が吹くと桶屋が儲かる」と同じように、

他人様のご先祖様である「古代ギリシア人」を、

自分たちのご先祖様である と、
詭弁を 弄することができるようになりますので、

首を傾げざるを得ないなと思っています。



    ************


(注) スコットランドでも、
    つい最近 独立を目指す動き が 具体化し始めています。


    2007年8月14日
    英スコットランド自治政府 サモンド首相が、
    「スコットランドの未来を選択する国民的対話」と題した
    49ページの政策報告書を大々的に発表し、

    独立の是非を問う住民投票の2010年までの実施を
    目指すと意気込でいる。


    サモンド首相は、

    スコットランド独立 を 党是とす
    スコットランド民族党(SNP)の党首

    (出所;2007年8月18日 時事通信 の 記事)




    ************



補足 1.

小川さんの本に触発されて、
ホームページに「ベルギー への 誘い(いざない)」を
掲載させていただきました。

一度ご覧いただければ幸いです。

http://chuuseishi.la.coocan.jp/070411.htm



    ************


補足 2.

若い頃 「周辺(辺境)理論」は、

「文明の周辺(辺境)部分に現れる「マージナルマン」が、
新たな歴史の発展の原動力になるのでは」と、考えて、

歴史を分析する上で 大事な考え方だな と 思っていました。


その後、
ヨーロッパ中世史の歴史事象を
一つ一つ年表に記入していくうちに、

「周辺(辺境)理論」は、

ヨーロッパ人が、
自分の都合で作り出した 幾つかの理論、理屈の一つ だな
と、考えるようになりました。

そのため本文で書いたように、

歴史には、

ごく一部の民族の「積み重ねの歴史」と
人類の大半の民族の「繰り返しの歴史」があって、

その切り口から歴史を考えた方が、

ヨーロッパ史の本質を、
極端に言うとワンワードで、理解できるのでは、

と、考えています。


「周辺(辺境)理論」について直接言及していませんが、

ヨーロッパが、
世界中を征服して植民地にした理由、

中国やイスラムが、
ヨーロッパの後塵を拝した理由、

更には、
イスラム過激派が、
アメリカなどの西欧文明に挑戦する理由

の根本原因である「ヨーロッパ史の本質」について、

私なりに考えたことを

ホームページに
「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」 との題で
掲載させていただきました。

長文で恐縮ですが、
こちらもお読みいただければ幸いです。

http://chuuseishi.la.coocan.jp/070717.htm

 

 

 

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