歴史哲学、歴史家

2023年7月22日 (土)

入院中に考えたこと 4.ヨーロッパ文明崩壊の危機  アメリカの政治情勢などをめぐって

「入院中に 考えたこと」シリーズの最後に、

歴史の歩み に 棹さす
ヨーロッパ文明崩壊 を 目指す勢力 が
アメリカを中心 に 勢力 を 拡大していて、

2024年のアメリカ大統領選挙は、
歴史の今後を左右する 一っ大決戦 となるのでは、
と、心配されること について
お話しさせていただきます。

今回は、
ヨーロッパ文明の危機の状況について
お話し察せていただきます。



    ************



1.ヨーロッパ文明は、

絶対君主に対して、
一つ一つ国民(人民)の権利を認めさせて
その積み重ねによることにより
個人の権利を築いてきました。

そして、
国民により選出された代表の集まりである
議会が、
決定したルールを、法律とすること が
長い時間をかけて 確立してきたのです。

基本的人権をはじめとする 個人の権利 は、
このようにして確立してきたのです。

イギリスの下院議長 は、
スピーカーと呼ばれるそうです。

これは、
イングランド王 に 対して、
国民の権利 を 擁護するために
国民を代表して抗議したことから

下院議長が、

国王 に 抗議する人
(国民(議会)を代表して
 国王と話(交渉)をする人)
との 意味 から、
スピーカーといわれるようになった
とのことです。

このように、
王権は、
神から授けられたものであり、

国王は、
神以外の何物にも制限されない

(国民に対して何でもできる、妻と離婚するためには、
 臣下の大法官すら 処刑すらできる)
との

「王権神授説」を 標榜する 国王に対して、
議会が、国民(個人)の権利を擁護し、
時間をかけて確立してきたのです。

逆に言うと、
国民の権利に対して、

自由に行使してきた国王 を
機会があるごとに、
一つ一つ制限して
国王よりもぎ取ってきたのです。

国王を説得するために
用いた(使用した)武器が、
常識(コモン・センス)でした。

アメリカやイギリス で、

法律のことを「コモンロー」と呼ばれるのは、
法律とは、
誰でもが納得する常識に基づいて
形成されたルール(法律)なのだ、


即ち、
法律とは、
コモンセンス に 基づくものだ
と、いうことから、

「コモンロー」と、
呼ばれているのです。


2.アメリカにおいて、


トランプ大統領が出現して以来、
数世紀をかけて 積み重ねにより 確立してした
上記のヨーロッパ文明が、
崩壊の危機 に 面しているように 感じられます。

時あたかも
20世紀末に 500年継続した 国民国家の歴史 が 終了して
新たな歴史を歩み始めた、その時期に
「積み重ねの歴史」に対立する「繰り返しの歴史」サイドから
今まで 圧迫さされ、無視されてきた恨み を
晴らすかのような動き

言い換えると、
今まで積み重ねて確立してきたルールを根底からひっくり返して
支配権 を 奪って、自分たちの思うような支配を確立して、征服しよう
と、しているのでは?

と、感じられる動き が 生じているのです。

上記の動きは、2方面に存在します。
即ち、
「積み重ねの歴史」の国の内部における癌みたいな存在 と
「繰り返しの歴史」の国による、「積み重ねの国」に対する復讐戦です。

厄介なのは、
「積み重ねの歴史」の内部で増殖する癌みたいな存在ですので、
最初に後者について、簡単にご説明させていただきます。



2-1 「積み重ねの歴史」の国の外部で、

復讐に燃えている「繰り返しの歴史」の国の
チャンピオンは、

中共(中国共産党)です。

(注)一般に中国と呼ばれている存在を中共と呼ぶのは、
   現実を直視すると、現在 国共内戦 が 終了しておらず、

   チベットやウィグルなど 外国を侵略していますが、
   ホームグラウンドの支那(China)の盟主として
   支那全体 を 今現在 統治していないからです。

   これは、
   中共の習総書記が、台湾侵攻を主張しておられる
   ことから 明白だと思います。

中共 は、
ものづくりの基本 を 理解していないような 気がします。

例えば、
安かろう、悪かろうと
各地に 新幹線や地下鉄を輸出していますが、

トラブル続きで、現地の顰蹙 を 買っております。

要するに、
「繰り返しの歴史」の 国特有 の、工夫 を 積み重ねることができずに、
外国のものを パクッて(盗んで、真似して)
外見上 それらしいもの を 作れるにすぎません。

習総書記が、台湾侵攻を企てたら、

パレードの時は、壮観に見えた 軍隊 や 装備 も、

いざ 実戦 となると
中共軍 の 武器 の 故障 が 多発し、
パクリ故 の 使い物にならないことが
明らかになるでしょう。

(これは、
 中共 が 近年輸出した 新幹線や地下鉄の実績から
 ほぼ確実に予想できるでしょう。)

ですから、
第2次大戦後 80年近く戦い続けているアメリカ軍や
井上大将の戦略論を保有する日本の自衛隊とは、
まともに戦いにならないだろうと予想しています。

従い、
近く習総書記が台湾に侵攻しても、
侵攻開始直後 に、上記のことが判明し、

「繰り返しの歴史」の国は、
「積み重ねの歴史」の国とは 勝負にならないこと が、
改めて 明らかになると思います。

もし、この予測が外れたとしても、

無駄な 鉄道 や 住宅 を 作りまくって、
経済が疲弊している 中共 が、

4年間死闘を繰り広げた日米の連合軍相手に
歯を食いしばって、まとも に 戦えるはずがない

と、考えるのが
常識的ではないでしょうか?


2-2 「積み重ねの歴史」の国の内部での危機的状況

「積み重ねの歴史」の国の内部で、
今まで積み重ねてきた文明に危機をもたらしている
DSや極左勢力が、利用している

「積み重ねの歴史」の国に内在する根本的欠陥
について、

即ち
「積み重ねの歴史」の国を
現在まで 作り上げた 原動力 である
「法学」に 内在する欠陥 について
最初に お話しさせていただきます。


ヨーロッパにおいて ローマ法が始まって以来
現在まで、約3000年にわたって、
継続的に 発展してきました。

その結果、
現在の民法典に至っているわけですが、

法律を、
人類の行動の先回りして 制定しておくことが
不可能のため、

どうしても、
裁判官に委ねざる部分が生じるのは
やむを得ないことでした。

日本の法律でも、
憲法、民訴法、刑訴訟において

裁判官は、法律と良心に従って、裁判をする
と、規定されています。

言い換えると
法律が、制定されていない事柄については、
裁判官が、自分の良心に従って 判決 を 決定しなさい
と、規定されているのです。

法律とは、
人間社会の紛争を、だれが見ても これしか解決策がないなと
納得するような解決策を見つけ出すための人類の知恵の結晶なのです。

ですから、
良心に 従って判決を下す際には、

裁判官 が、
好き勝手 に 判決していい というわけではなく、

裁判官 が、
その経歴により育んできたリーガルマインド
(英米法ではコモンセンス)に従って
判決を下すことが、ルールとなっているのです。

これは、
法曹といわれる人にとり常識なのですが、
このことを奇貨として、

① 自分の考えは、絶対的に正しいので
  自分の考えにより 判断すればよい
② 自分の考えを実行するために
  障害となる法律や人物を
  
  無視し、
  必要とあらば、反対する(邪魔する)人物 を
  殺害しても 構わない
と、現在のアメリカにおいて、
DSや極左の人々が 主張し、行動するように
なっていることが、
「ヨーロッパ文明の危機」を
内部からもたらしているのです。

中世における 王権神授説の王様が、
現代において復活したような感じがしています。

これに加えて、
犯罪は、
当局に訴追されなければ、犯罪ではないとの現実があります。

言い換えると
犯罪事実 が あっても、
起訴されなければ、犯罪にならないのです。

日本においても
鳩山元首相が、多額の脱税をしていて、
一般人なら懲役刑で 刑務所に 収監されて刑務所生活を余儀なくされるのに

検察が訴追しないために、
前科者とならずに 自由に活動されておられることにより 
このことが、
ありうることを ご理解いただけると、思います。


これを利用して、
政治権力(政権)を掌握した陣営が、

対抗する政治勢力、
具体的にはトランプ陣営には、
極端な理屈をつけて訴追すると同時に、

自らの陣営、
即ち、民主党陣営やDS、極左勢力については、
犯罪事実があっても、これを無視して、訴追しないことにより
今まで積み重ねてきたヨーロッパ文明に危機をもたらしているのです。

例えば、
大統領で機密の解除権限のあるトランプさんが、
機密書類を持ち出したと刑事訴追され、裁判にかけられていますが、

大統領就任する前は、機密解除権限を持っていなかったバイデン大統領が、
上院議員時代以来、機密書類を持ち出して、自宅に放置していていても、
検察当局により おとがめなし
との不公平な取り扱いがされていると報道されています。


毎日の情報を拝見していると、
今回ご紹介した以上の出来事が情報として入ってきます。
今回は、
ものの考え方をご理解いただくための
必要最小限の事柄をご説明させていただきました。


3.最後に

今回の文明の危機は、
2016年 トランプさんが、大統領に就任された際に
「ワシントンの沼の水を抜く」と発言し、
ヨーロッパ文明 とりわけ アメリカ の 癌 を 摘出しようとしたことから 始まりました

実は、DSや極左を背後から操っている勢力が ちらちらと見え隠れしていますが、
明確に 正体 を 現していません。

今後、
この背後に隠れている正体が暴かれて、
アメリカ ひいては 「繰り返しの歴史」が築いてきた文明が
停滞している歩みを、元気に正しく軌道修正されることを 願っています。


追記

DSや 極左 の皆さん のみならず、バイデン政権やブッシュ政権時代のネオコンの
「歴史の終わり」のイデオローグ(哲学)の バックボーン となっている
ヘーゲルやマルクスの哲学が、
「繰り返しの歴史」に属する キリスト教から由来するのでは?
との仮説を
ご説明したブログ を ご紹介させていただきます。

是非とも ご覧いただいて、
1.キリスト教が いかにヨーロッパ文明の深いところまで 影響を及ぼしているか
  について お考えいただくと共に、
2.今回の問題を 考える際に あわせて考えていただくこと を、
願っています。

ヘーゲル「歴史哲学」における進歩史観やマルクスの史観は、キリスト教終末論のパクリでは?

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2016年3月25日 (金)

ヘーゲル「歴史哲学」における進歩史観やマルクスの史観は、キリスト教終末論のパクリでは?

ヘーゲルやマルクス、
更には、
フクヤマやE・H・カーの進歩史観について、

「なぜ、この様な妄想とも言うべき発想が生まれるのだろうか?」
と、長年 疑問に 思ってきました。


ヘーゲルの進歩史観について、

進歩という無限運動が、何故 目標に達したら、ストップするのか?とか、
自由の実現は、あり得ない とか、
歴史の進歩とは、何ぞや?とか

個別の事項に対する批判は、勿論あるのですが、

それ以前に

常識的に 妄想としか思えないような、
「歴史は、自由の実現という目的に向かって進歩する」という、

ヘーゲルの根本的な構想が、どこから生じたものなのか?、が、
本質的な疑問だったのです。


長年 考えるうちに、

進歩史観というものは、
「積み重ねの歴史」を、「繰り返しの歴史」に 路線を転換させるために、
作り出された理論ではないだろうか、

と、考えるようになりました。


(注)「積み重ねの歴史」「繰り返しの歴史」は、
    私一人だけの絶対的少数説ですので、

    ヘーゲルは、
    この様なお考えを、感覚的に持っておられたのでは?
    と、想像していたのです。


ヘーゲルの進歩史観は、

あるところ(目標達成)まで、歴史は 進歩(前進)するけど、
目標を達成したら、繰り返しの歴史に安住して、

それ以降、
歴史は進歩(前進)しなくなる、

と、説明すると、ぴったり当て嵌まります。


ヘーゲルが、
何故、この考え方に至ったかについて想像すると、

ヘーゲルやマルクスは、
「積み重ねの歴史」の重圧に耐えられないので、

一度走り出した「積み重ねの歴史」を、「繰り返しの歴史」に戻そうとして、
進歩史観という歴史観を創造したのでは?

と、説明すると、一応の回答となります。


多分、この様なことだろう、ほぼ結論が見えたな
と、感じているところで、

最近、
「ミレニアムの歴史」(J・P・クレーベル著、新評論)を、読み出してみたところ、
次の文章を読んで、あっと吃驚してしまいました。

(注) 「ミレニアムの歴史」は、

    キリストが再降臨して、最後の審判がなされると考えられた
    西暦1000年頃のヨーロッパの人々の<紀元1000年の恐怖>について

    記述された本です。


クレーベルは、次のように 記述されておられます。
(番号は、参考のため 私がつけました。)


「ユダヤ・キリスト教的終末論」は、

 1.<始まり>の時の
   無垢さと純粋さ を 再現するためには、

   再創造すべき世界 を 浄化して、<空>に しなければ ならない、
   という 古い信仰の立場 を なおも  とっている

   宇宙 が、
   新しい世界を生み出すためには、

   古いものは、
   全く根こそぎ 消え去らなければ ならないのである。


 2.その終末論 は、
   来たるべき宇宙開闢 を あらかじめ示したものであり、

   「新しい創造は、
    この世界 が 決定的に 廃されない限り起こり得ない。

    この世界を
    完全に再創造するためには、

    もはや 堕落したものを 再生するのではなく、
    古い世界 を 根絶することが 重要なのである。

    <始まり>の 至福状態 に 固執することは、
    存在したが故に 堕落した 全てのものの根絶 を
    要求することになる。

    初めの完全さ に 戻ることだけが、
    唯一の可能性 なのである。」

   (「   」の部分は、
    ジョルジュ・デュヴィ「紀元千年」よりの引用だそうです)


 3.この原初の完全状態というものに、
   ユダヤ・キリスト教的終末論は、新しく重要な概念を付与している。

   即ち、
   崩壊の後に再創造される世界は、

   原初に、
   アダムに提供された黄金時代の、最初の創造の世界 と 同じものとなろう。

   ただし、
   今度 再創造される世界は、永遠である。

   単に、終わりがないということではなく、
   この世界は、変わることがない。

   この世界は、あるがままに続き、
   発展も、進歩もない、完全であるが為に、

   確立された秩序 を 変えようとする 欲望や誘惑 の 何ものをも
   ・・・それが、善いものであり、悪いものであれ・・・
   この世界では 禁じられるのである。

   人間は、
   もはや 空腹、乾き、寒さ、病気、抑圧されたよう欲望 も
   何も感じないだろう。

   これが幸福なのだろうか?
   退屈 や モンテ・カッシーノの修道士達 を 苦しめた 不機嫌 さえも、
   もはや、全く感じない のだろうか?

   (クレベール「ミレニアムの歴史」24㌻)


あっと驚いたのは、

最後の審判の後、
天上のエルサレム が 地上に降りてくることは、知っていましたが、

降りてきた地上のエルサレムが、どのようなものか について、
勉強不足で 知らなかったものですから、

今回の記述 を、読んでいるうちに、
ヘーゲルの進歩史観で  自由が実現した後、進歩が止まった世界が
地上のエルサレム と 重ね合わされて、閃いたからです。


クレベールは、

中世の人は、
神が、6日間で世界を作り、7日目に休まれたのと同様に、

 

千年を、7回繰り返す度に、
神の重要な奇跡を行って、人類を教え導いた と、考えていた。


キリストの降誕 は、
6回目の千年の時代の初めに起こったことで、

キリストの千年後に、
最後の審判を経て、最後の千年が始まると、考えていた

と、記述されておられます。


クレーベルの記述を読んでいると、

キリスト教は、
千年毎の循環論の中に、

イエス・キリストの降誕以後の千年について、
最後の審判に向けて、歴史が歩んでいく との 直線論を導入したところが、

他の宗教と異なっている と、おっしゃっておられるような 気がしました。


そして、これこそが、
ヘーゲル の おっしゃっておられる 歴史哲学そのもの ではないでしょうか。

ヘーゲルの論理に従って考えると、
「自由の実現」した後は、地上のエルサレムが実現するので、
歴史の歩みがストップするのは当然のことなのだろう
と、納得できます。



最後の審判に向けて、歴史が歩んで行く との
キリスト教の考え方 は、

歴史の発展過程において、
資本主義が出現し、革命により社会主義から共産主義社会に至る
との マルクスの史観にも、ぴったり当て嵌まります。

その資本主義において、

資本家が、
労働者を搾取し、公害をまき散らして、疫病を流行らせ、
労働者始め大半の人民の塗炭の苦しみの上に、
支配者として、諸悪の根源として、君臨する様子は、

まさに、
資本家は、「反キリスト(アンチ・キリスト)」である と、言えるでしょう。


この資本家に対して、
労働者が立ち上がって、革命により資本者を打倒して、
新たな社会を作るとのドラマは、

神の審判の後に、地上のエルサレムが出現する話 と、そっくりです。

そして、
完全無欠な地上のエルサレムの代わりに、
完全無欠な労働者の楽園である共産主義社会が実現すれば
歴史の歩みが停止すると考えるのは、自然のことだったのでしょう。

でも、
これは、歴史が証明しているように
妄想によるイリュージョンだったのです。


いずれにしても
マルクスにおいても、

ヘーゲル同様、
社会主義社会を経て 共産主義社会が実現すると、
歴史の歩みは、ストップしますので、

これは、
地上のエルサレムは、完全無欠で、変わりようがない との
キリスト教の考えを、コピーしたものでは?
と、言いたくなるくらい、同じのもの であるような 気がします。


ネオコンのフクヤマの
「リベラルな民主主義」の実現により歴史が終わるとの歴史観も、

ヘーゲルの亜流と共に、
キリスト教の終末論の焼き直しと言うべきでしょう。



今回、考え込されたのは、

1.キリスト教が、
  如何に、
  ヨーロッパ人の心の奥底にまで 染み込んでいるか、

  キリスト教の影響力が、如何に根強いか
  に、ついてでした。


  「宗教(キリスト教)は、アヘン」と言ったマルクスでさえ、

  その歴史観の根本は、
  キリスト教の終末論という妄想に基づいているのですから、

  ヨーロッパ人は、
  お釈迦様の手の外に出られなかった孫悟空と同様に、

  キリスト教の歴史観から離れられないのだな、
  と、ため息をついています。


2.キリスト教 は、
  基本的には 「繰り返しの歴史」の世界 の 宗教 ですから、
  (循環論のベースの中に 一部 直線論(進歩論)を含んだ歴史観)

  ヨーロッパ人 が、
  ヨーロッパの歴史 が
  「繰り返しの歴史」から「積み重ねの歴史」に転換していることを認識せずに、

  相変わらず
  「繰り返しの歴史」の発想で、現在の歴史を刻んでいることに、
  憂慮に絶えません。


  即ち、
  今まで、何回か述べてきたように

  「積み重ねの歴史」は、凶暴な性格 を 持った歴史 ですから

  自分たちの刻んでいる歴史 の 凶暴性 に 気がつかずに、
  世界をリードして、歴史を積み重ねている危険性を、憂慮しているのです。

 

 

 

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2015年1月22日 (木)

「積み重ねの歴史」で、積み重ねられるもの

先日、友人と食事をしながら
「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」について話をしました。

友人は、私の考え方を良く理解されていて、
あっという間に、楽しい時間が過ぎたのですが、

話している内に、
従来の私の説明で足りてない部分があることに気がつきました。


即ち、
「積み重ねの歴史」で、

1.「積み重ね」の対象となるのは、

  その社会の全分野ではなく、一部の分野であることと、

  しかも、
  積み重ねの対象となる分野でも、
  積み重ねられない部分が あること


2.積み重ねの歴史に参与する人は、

  その社会の全員ではなく、ごく一部の人であること
  しかも、
  参与する一部の人も、常に参与するわけではないこと


3.積み重ねの歴史の国において、対象となる分野の全てにおいて、
  コンスタントに、絶え間なく積み重ねられているわけでもないこと。

  言い替えると、
  ある分野で、積み重ねが一定の成果を得るレベルに達すると、
  それ以降、積み重ねが、停滞してしまうこともあること。、

について、ご説明が不十分だったなと反省しています。


今回は、
この点についてお話しさせて頂き、

「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」について、
更に、考えを深めていきたいと思います。



1.「積み重ね」の対象となるのは、

  その社会の全分野ではなく、一部の分野であることと、
  しかも、
  積み重ねの対象となる分野でも、積み重ねられない部分が
  あること




  積み重ねの歴史は、
  ある人が、「ちょっとこう工夫すると便利になるのでは」との
  人類の営みの中でどこにでもあることから始まります。

  この工夫が、世の中に知られていくと、
  更に工夫しよう、改善しよう、とする人々が出て来ます。

  以前の工夫に、
  更なる工夫を積み重ねることをする人が、何人も出て来て、
  絶え間なく工夫や改善が行われていると、

  競争が生じ、加速度的に改善が進むようになり、
  同時に、
  激烈な競争社会となっていくのです。

  この様に、
  工夫や改善が、コンスタントに積み重ねられる歴史が、
  「積み重ねの歴史」です。


  これに比べて、
  「繰り返しの歴史」では、

  工夫や改善をする人が出て来ても、
  その人限りの単発的なものに終わってしまって、
  折角の工夫や改善が積み重ねられません。

  ここに、
  「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」の根本的な違いが
  あるのです。



  「積み重ねの歴史」は、
  前回お話ししたように、例外的な歴史であり、
  限られた場所でしか生じないのは分かるのですが、

  何故、
  「積み重ねの歴史」が、

  西北ヨーロッパと日本で生じたのか?
  「積み重ねの歴史」を生み出した背景にある 動機、エートス とは
  何なのか?

  とのことへの説明 が、
  現時点では 明確に出来ないのが残念であり、
  私にとっての 今後の最大の宿題でもあるのです。


  「積み重ねの歴史」において、
  積み重ねられるものは、改善、工夫が可能なもの、

  具体的には、
  技術であり、
  自然科学・人文科学・社会科学といった学問等です。

  例えば、
  イギリスで、産業革命が勃興したのは、
  「積み重ねの歴史」がもたらしたものでした。

  ですから、
  「積み重ねの歴史」においても、
  積み重ねが不可能な 芸術などの人間の才能に関する分野等は、
  積み重ねの歴史とはなりません。



  ちょっと困惑されるかも知れませんので、
  事前にお詫び申し上げますが、

  実は、
  積み重ねの歴史の対象となる分野でも、

  厳密にには、
  全てが対象となるわけでもありません。

  逆に、
  積み重ねの歴史の対象とならない芸術などの分野においても、
  積み重ねられるものもあるのです。


  例えば、法学は、

  刑事裁判において、

  誤判を生じない為、

  言い替えると、
  犯人を、
  間違いなく認定する為の法手続や証拠法等の法的技術を、

  ローマ法以来、長い歴史を通じて積み重ねてきました。

  また、
  民事裁判においても、

  社会紛争を未然に防止し、紛争を合理的に解決に導く
  法的技術を、積み重ねてきました。

  しかし、
  実際の刑事裁判において、犯人と認定された人は、
  如何に、法的技術を駆使して蓋然性を深めようと、

  厳密には、推定であり、
  裁判官の認定、決断に依存しているのです。

  民事裁判においても、
  長い歴史を通じて、法的技術を磨き上げ、
  法解釈の方向性を高めてはいますが、

  裁判の最後に、
  どちらを勝たせるか、
  どちらの言い分に軍配を上げるか

  の 最終決定は、裁判官の判断なのです。

  従って、
  法学教育の初っぱなにおいて、法的技術を講義する前に、

  学生は、
  リーガルマインドを持つようにと、何度も何度も教えられるのです。

  また、
  リーガルマインドへの適性がない人は、

  いくら法律知識を習得したとしても、
  優秀な法律家にはなれないのです。


  この様に、
  積み重ねの歴史の分野と思われる学問や技術においても、
  全てが積み重ねられるものではないことをご理解下さい。

  積み重ねが可能なもののみが、積み重ねられるのです。


  スポーツは、
  繰り返しと積み重ねの両方の性質を持った分野だろうと思います。

  例えば、
  100㍍競走で、
  10秒を切ることがなかなか出来ませんでしたが、

  10秒を切る選手が現れたら、
  その後には、何人も10秒を切る選手が出て来ました。

  10秒を切ることは、
  基本的には、選手の早く走れる才能によるもので、
  その意味では、繰り返しの歴史の分野であるのですが、

  スポーツ医学やトレーニング法の改善という
  積み重ねの歴史の分野のサポートにより、

  同じ選手が、
  従来より、より早く走れるようになったことも相まって、
  10秒の壁を突破できたのであり、

  一度、10秒を突破する人が現れたら、
  その後、続く人が、何人も出てくるのです。

 

  芸術の分野は、
  一般的には、繰り返しの歴史の分野だと思われています。

  確かに、
  ミロのビーナス や、
  ミケランジェロの「ダヴィデ」や「ピエタ」、
  ロダンの「考える人」   は、

  天才のみがなし得る彫刻であり、その人限りの世界 だろう
  と、思います。

  でも、
  例えば、
  音楽の演奏を考えると、才能と技術が相携えているのです。

  人を感動させる演奏は、
  最終的には演奏者の才能によりますが、

  前提たる演奏技術を習得して始めて、
  その人の才能も開花するのです。

  また、
  演奏に、楽器を使いますので、

  楽器の改良、改善により、
  聴衆の感動を強めることも可能になったのです。

  例えば、
  チェンバロよりピアノの方が、音の強弱を強く演奏できますので、

  ピアノの出現により、
  演奏者の表現能力を、より一層 聴衆にアピールできるように
  なったのです。



2.積み重ねの歴史に参与する人は、

  その社会の全員ではなく、ごく一部の人であること
  しかも、
  参与する一部の人も、常に参与するわけではないこと



  第2点目については、
  特に、ご説明しなくてもご理解頂けると思います。

  工夫や改善の能力は、人によって差があります。

  また、
  アイディアが溢れるほどわき出た人が、
  ある時期を過ぎると、バタッと止まってしまうこともあります。

  老化により、研究や工夫する能力が衰えることもあり得ます。

  逆に、
  一生を通じて、工夫や改善を積み重ねる人もいるでしょう。


  この様に、
  積み重ねの歴史においても、
  積み重ねの歴史に参与する人は限られていて、

  積み重ねに参与しない大半の人は、
  繰り返しの歴史に 安住しているのです。

  でも、
  社会全体をみると、

  個人 ないしは 複数の人が、
  絶え間なく工夫や改善に努力していることが見られるのだろう
  と、思います。

  また、
  ある期間途切れた後に、
  先人の工夫や改善を、改めて積み重ねようという人が現れることも
  ありうると思います。



3.積み重ねの歴史の国において、対象となる分野の全てにおいて、
  コンスタントに、絶え間なく積み重ねられているわけでもないこと。

  言い替えると、
  ある分野で、積み重ねが一定の成果を得るレベルに達すると、
  それ以降、積み重ねが、停滞してしまうこともあること。




  第3点目については、日本を例にご説明させて頂きます。

  積み重ねの歴史の典型例の一つに「海軍」をあげることが出来ます。

  明治以来太平洋戦争で敗戦するまでの日本海軍をみると、
  第3点の典型的な例であるなと、感じられます。


  日本は、
  明治維新以降、欧米の軍事技術を導入して、
  一世代という短い期間で、近代的な陸海軍を築き上げ、
  日清戦争、日露戦争に勝利して、世界を驚かせたのでした。

  その後、
  坂の上の雲を目指して、努力してきた目標を達成して、
  一安心したのか、

  さらなる工夫や改善をおろそかにして、
  繰り返しの歴史に安住してしまった、

  即ち、
  ある一定期間積み重ねの努力をした後、
  繰り返しの歴史に安住してしまった組織の典型のような
  気がします。


  勿論、
  日本の陸海軍は、ともに、きまじめな軍人組織でしたので、

  ご本人達は、
  意識としては、さらなる努力をしていたし、
  その努力の跡をたどることが出来るのですが、

  第三者の私から見ると、
  その努力自体が、マンネリ化していて
  繰り返しの歴史というべきもの になっていたような感じ が
  しています。


  ここでは、海軍を例にとって、
  その辺について簡単に見てみたい と、思います。


  ロシアのバルチック艦隊を完膚なきまでに勝利した日本海海戦は、
  まさに世界海戦史の金字塔というべきものでした。


  日本海軍は、

  日本海海戦の勝利に安住して、
  積み重ねの歴史をストップさせてしまったのではなく、

  ご本人の意識としては、
  その後も、「勝って兜の緒を締めよ」と、
  軍艦の整備 に 力を入れたのです。

  その結果、
  世界で最先端の戦艦を建造し、

  その後開発された航空機に着目して、
  ゼロ戦 を 始めとする名機を生み出し、
  世界最強の空母艦隊を保有したのでした。

  このような努力は、
  太平洋戦争の劈頭の真珠湾攻撃、

  それに引き続いた、
  マレー沖の海戦で、イギリスの最新鋭戦艦を沈没させて、
  世界の海戦のあり方を大転換させたのでした。


  技術的な分野については、
  この様に積み重ねの努力をしていたのですが、

  海戦に対する頭の体操、
  即ち、
  軍事戦略面において、

  19世紀型の軍艦による海戦に固執する 繰り返しの歴史に
  安住したのが、日本海軍の致命傷となったような
  気がしています。

  即ち、
  海軍は、

  仮想敵国の米国との戦争を想定して、
  毎年 海戦計画を策定していたのですが、

  日本海海戦の勝利をもう一度と、

  日本近海においてアメリカ艦隊を邀撃し、
  艦隊決戦による速戦即決で勝利する計画を、
  毎年 繰り返していたのです。

  日本海海戦時点より 大幅に軍事技術が進歩した
  今後の日米戦争のあり方に思いを致さずに、

  日露戦争の栄光をもう一度出来る と、妄想して、
  繰り返しの歴史に安住していたのです。


  太平洋戦争が開戦した年である 昭和16年1月 においても、
  海軍は、同様の計画を作成していました。

  この計画に対して、
  当時航空本部長だった井上成美さんは、

  「明治の頭で、昭和の軍備」を考えていると厳しく批判し、
  その会議の1週間後に、「新軍備計画論」を提出しました。


  「新軍備計画論」は、

  日米を通じて唯一太平洋戦争の海戦のあり方を、
  正確に予想していてたものでした。

  日本は、
  最新鋭の航空艦隊と戦闘機 と共に
  アメリカが考えてもいなかった 井上さんの戦略論 を
  持っていたのですが、

  ただ、
  海軍の大半は、その有難味に気がつかず、

  19世紀型の艦隊による短期決戦を妄想して、
  実際の戦いがどうなるかについて、思い至らなかった のです。

  要するに、
  アメリカとの戦争についての有り様について、
  深く 考えていなかったのです。

  また、
  「この作戦計画では、アメリカに勝てない」
  との批判的な意見が出て来たら、
  
  東郷元帥が出て来て、

  「私を始め、海軍は、毎年 天皇陛下に、
   この作戦計画でアメリカに勝利できる」
  と、言ってきたのに、

  「この作戦計画では勝利できないというのなら、
   陛下に噓をついたことになる」

  と、頭ごなしに押さえ込まれたのでした。


  実際に 太平洋戦争が始まると、

  井上さんの見通し通りの推移 を 辿ったのですが、

  その事実を素直に認識して対処したのは アメリカでした。


  先ほど、
  海軍が、日本海海戦の勝利後も、
  積み重ねの努力はしたけど、

  その努力自体が、
  繰り返しの歴史に安住したように見える
  と、申し上げたのは、

  新鋭戦艦の建造や空母艦隊を創設するという開発行為を、

  何が、海軍という組織の目標 か、

  その目標に向かって、
  何を、改善工夫せねばならないか、

  との検討 を 経て 開発に従事したのではなく、

  職場で 毎日繰り返す 定例の作業、日常業務 として 行った
  と、思われるからです。


  大切なのは、
  「日本海軍にとり、何が大切か、

   そのために、
   何を せねばならないか」
  との思考であり、

  それにより
  問題としてあげられた課題を、工夫改善するのが、

  積み重ねの歴史なのです。


  井上成美さんの「新軍備計画論」は、
  まさに その思考の結果であり、

  それが理解されず、受け入れられなかった
  ということが、

  海軍全体が、繰り返しの歴史に安住していた
  ということを 表しているのだろう と、感じられます。


  海軍においては、

  工夫改善 自体 が、
  昨日行った続きを 毎日繰り返す 日常の定例業務
  となっていた と、いうべきであり、

  即ち、

  1.新鋭戦艦や航空艦隊の存在理由は 何か?、

  2.今後の海戦において、
    どのように位置づけ、活用するのか?

  3.他にもっと優先する課題はないのか?
  等々 を、検討をせずに、

  それが、
  「自明の研究課題だから」ということだけで
  開発していたのです。

  この様に、海軍は、
  まさに井上成美さんが批判したように、

  「明治の頭」で留まって、
  無意識のうちに 繰り返しの歴史 を 辿っていたのです。


  海軍が、

  井上さんの戦略論に基づいて準備したとしても、
  アメリカに敗北したという結果は、変わらなかったでしょう。

  でも、
  井上さん、米内さん、山本さんは、

  海軍左派トリオといわれて、
  ナチスとの同盟に命をかけて反対したのでした。

  逆に、
  日本を戦争への道に引きずり込んだのが、

  繰り返しの歴史に安住して、
  戦艦による決戦 を 主張していた

  東郷元帥や久邇之宮などの人々 だったのです。

  注; 左派トリオの皆さんが一致団結して反対している間は、
     ドイツとの同盟は締結できませんでした。

     彼らが、
     定期異動で、海軍省のポストより離れた後に
     ドイツとの同盟が締結され、

     日本が、支那事変を抱えながら、
     アメリカとの戦争の道に踏み込んだのでした。


  ですから、

  もし、井上さんの戦略論が、
  海軍 で 採用されるような状況だったら、

  海軍が、日本海海戦後も、
  積み重ねの歴史を積み重ねていたということであり、

  その様な海軍であれば、
  井上さんらの左派トリオの主張が、海軍の主張となって

  日本が、
  ドイツ と 同盟することもなかったでしょうし、

  アメリカと戦って敗戦することもなかっただろう
  と、想像しています。

  勿論、
  当時の日本で、

  井上さんの考え方が採用される可能性は皆無だったので、

  歴史のIFにもならないことを承知で申し上げたことを、
  一言附言させて頂きます。
  

  注 ;   井上成美さんの「新軍備計画論」については、
      次のブログを参照下さい。

  井上成美伝記刊行会「井上成美」(3)
  ・・・ 航空本部長「新軍備計画論」 ・・・
  http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_1046.html


  以上、
  人間の本性は、繰り返しの歴史てあり、

  積み重ねの歴史の国においても、
  一定期間、積み重ねにより成果を得ると、

  本人達は、
  積み重ねをしているつもりなのに、

  意識せずに、
  繰り返しの歴史に組織が安住してしまうことがあることを

  ご説明させて頂きました。



  一つ認識しておかねばならないことは、

  積み重ねの歴史は、

  歴史的には、
  少数の積み重ねに参与する人々が積み重ねを行い、

  残りの大半の人は、
  その成果 を 享受していた ということです。

  その積み重ねの歴史が進んで来た
  20世紀 に おいては

  歴史の積み重ねに、

  個人 だけでなく、
  法人 も 参与するようになったのです。

  国家が、
  いろいろな研究に参与するのは勿論、

  民間企業でも、
  研究所を設置して、生き残りをかけた開発競争 を
  行っているのです。


  積み重ねの歴史の国においても、
  もともと 積み重ねのマインドを持った人は少数であり、

  法人が、
  積み重ね競争に参入するようになると、

  積み重ねの歴史の担い手として適性のない人

  即ち、
  繰り返しの歴史に属する人も 参与するようになり、

  場合によっては、

  適性のない人が、
  その組織 を、リードすることが生じるのです。

  先ほどご紹介した日本海軍は、
  まさに その典型例でした。


  井上成美さんのような
  積み重ねの歴史の申し子でなければ、

  組織を適切にリードすることが 不可能なことを、
  海軍の経緯は教えているのだろう
  と、思います。


  問題を、
  更に 困難にするのは、

  「積み重ねの歴史の担い手 として 適性ある人 は、
   学校の成績が優秀な人である」
  と、いうわけでもないことです。

  これも、
  海軍の歴史が教えているところだと、思います。


  学校の成績が良い人の大半 は、

  教えられた知識を理解し、習得することに
  適性がある人 なのです。


  積み重ねの歴史の担い手としての 適性ある人 とは、
 
  工夫や改善、

  言い替えると、

  自分独自に、
  事の本質を深く考えて探求し、

  柔軟な思考を駆使して、
  新たなもの を 創造する人 なのです。


  ですから、
  高度な学問的素養 が 要求される 現在 においては、

  学校成績の優秀者の中から、

  積み重ねの歴史を担える 適性を持つ人 を、
  どのようにしてピックアップするのか が、

  求められているのだろう と、思います。

  しかも、
  そういう人が、

  いろいろな分野において、絶え間なく存在することが、
  その国の国力を高めることになるのです。


  日本は、明治以来、

  東大や京大などの一流校を卒業した学校秀才が、
  優秀な人と考えられてきました。

  私の経験でも、
  彼らは、本当に優秀であり、
  彼らを 否定すべきではない と、思っています。


  しかし、繰り返しになりますが、

  我々が属している「積み重ねの歴史」において
  求められるは、

  彼らの中から、

  どの人が、
  積み重ねの歴史を担っていける人なのか を
  見つけ出す為の方法論 を、

  確立することなのです。

  このことが、
  今後の日本 に 求められる
  最重要課題の一つなのだろう と、考えています。



  日本の組織においては、

  「あの人は、バランスが良い」というのが、
  人物評価の大きな尺度でとなっている
  と、感じられます。


  要するに、

  話したり、一緒に仕事をしていて、

  気持ちよく仕事が出来て、
  発言も 常識的で、

  その意味で 説得力ある人 が、
  好まれているような 気がします。

  でも、

  この評価によりピックアップされた人の 大半 は、
  人格円満、組織に波風は立てない人であり、

  繰り返しの歴史においては、
  恙無く組織運営できるでしょうが、


  積み重ねの歴史で 積み重ね を 担うには、

  その組織の目標を指し示すことが出来る リーダ が
  求められますので、

  「バランス」とは別の選考基準 が、
  必要なのだろう と、思います。


  勿論、
  バランスの良く、積み重ねの担い手としても適性のある人 が
  おられたなら、

  その人が最も望ましいのは、言うまでも ありませんが、

  通常、
  バランスの良さ と、
  積み重ねの歴史の担い手としての適性 は、

  相反することが多いの が 残念です。


  先ほどご紹介した井上成美さんも、

  バランスという面では、
  米内さんや山本さんより大分劣っていた気がします。

  だからこそ、

  優秀な人が集まっていた日米海軍の中で唯一人、
  「新軍備計画論」を発想し、計画としてまとめ上げることが
  出来たのだろう と、思います。

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2015年1月 8日 (木)

私流(わたしりゅう)「歴史とは何か」

ティエスの「国民アイデンティティの創造」を読みながら、

「歴史とは何か」ということを、つくづく考えなければ、
という宿題が、浮かび上がってきました。

というのは、
例えば、

ギリシア史とは何なのか?
ギリシア史は、一つの歴史とは言えないのでは?

ということに対する解答が必要だな と、いうことが
浮かび上がってきたからです。


もう少し ご説明させて頂きますと、
古代ギリシアは、

ローマにより併合され、ローマの一部となりました。

そのローマも、東西に分かれ、
東ローマがビザンツ帝国に変容していきます。

ビザンツ帝国は、
ギリシア人の帝国 と 言われていますが、

ギリシア本土は、
ビザンツ帝国の一部にすぎず、

ビザンツ帝国の歴史=ギリシアの歴史
というわけにはいきません。

しかも、ビザンツ帝国に、
スラブ人が侵入してきて、ギリシアにも定住しましたから、
ギリシア人との混血 が 進んだのでしょう.。

即ち、

それ以降、
ギリシアに住んでいる人は、

民族的にも、
古代のギリシア人と異なっているのです。

(尤も 古代ギリシア人も、混血により出来た民族です。)

ですから、
古代のギリシア人の後裔が、ギリシアに住んでいた、
と、ストレートに言うことはできません。

その後、
南イタリアのノルマン人が、ギリシアに攻め込んだり、

第4回十字軍の後、
フランス人を中心とする十字軍国家が幾つも建国され、

ギリシアを支配しました。

ビザンツ帝国が、
オスマントルコに滅ぼされた後は、

イスラム国家のオスマントルコの支配で、
近世まで数百年過ごしています。

この様な経緯を経て、
現在のギリシアがあるわけですが、

今まで述べた経緯を、

単に記述するだけでは、
ギリシア史を語ったということにはならず、

ギリシア史とは何なのか?
との疑問しか残らないと思います。


実は、同じことが、
イタリア史にも言えます。

イタリアは、
ローマ帝国が建国された地域ですが、

西ローマ末期以降、
ゴート族、
ランゴバルド族、

更には
フランク が 侵入し、

また、
南イタリアは、
ビザンツ帝国が支配していたのです。

中世になっても、
ドイツの皇帝が、イタリア政策といって、

1250年 フリードリヒ2世が没するまで、
イタリアに遠征してきましたし、

  注 ; フリードリヒ2世は、ドイツ人ですが、
     イタリア生まれで、生涯イタリアで過ごしました。

ドイツの皇帝 の イタリア政策 と 平行して、

ロンバルディアでは、都市国家が発達し、
中部イタリアでは、 ローマ教会領となり、
南イタリアは、   ノルマン人が支配していました。


フリードリヒ2世没後、

ローマ教皇が、
フランスのシャルル・ダンジューをイタリアに引き入れて、
ホーエンシュタウフェン家を滅ぼして、

その後、2世紀半程度、
イタリア人の民族の祭典である
イタリア・ルネサンスが花咲きましたが、

その間でも、

シチリア島は、
スペインのアラゴン、

南イタリアの半島部分は、
フランスのアンジュー家の末裔が支配した後
スペインのアラゴン家が、シチリアと共に ナポリも支配しました。

百年戦争を終えたフランスが、
ミラノとナポリの支配権を主張して

15世紀末からイタリアに侵入し、

アラゴンの後裔のハプスブルク家と、
イタリアを巡って、16世紀半ばまで争い

その後、ハプスブルグ家が、 イタリアを支配しました。
(教皇領を除く)

19世紀の後半に、

ハプスブルクに対する独立戦争には負けたけど、
独立を果たした、という 不思議な経緯 により、

本来的には
イタリアの諸侯ではない サボイア家 が、
イタリアを統一したのです。

この様な経緯ですので、
イタリア史を記述するとなると、

どのような視点から 記述するのか?

イタリア史とは、
一つの歴史と言って良いのか?

との議論が生じてきます。

山川出版社に、
世界歴史大系という大学レベルの教科書叢書
が、ありますが、

欧米の主要国の歴史が、とっくに出版されているのに、
イタリア史が大幅に遅れているのは、
その様な難しさがイタリア史にはあるからでしょう。


更に、
スペイン史にも、疑問が生じます。

通常述べられる スペイン史の概略 は、

ローマ帝国の後、
西ゴートが支配していたが、

8世紀初め、イスラムが侵入して、
ピレネー山脈の麓まで追い詰められたスペイン人が、

レコンキスタを行って
15世紀末にイスラム教徒を追い出して、

カスティリアとアラゴンが合体したスペインを作って、
現在に至っている、ということでは ないでしょうか。

でも、これでは、
8世紀から15世紀末までの間、
スペインを支配した イスラム教徒 が、

どのようにスペインを支配したのか
との視点が、欠落しています。

この間に、イスラム教徒は、
アルハンブラ宮殿 に 象徴される 大変高度な文明 を、
スペイン で 作り上げていますし、

ヨーロッパの近代文明の基礎となった
ローマ・ギリシア文明を、

ヨーロッパ人は、
主に、スペインから 取得しているのです。

ヨーロッパ人にとって大切で重要な
スペインでの文明の契受については、

例えば、
「12世紀ルネサンス」といった
個別テーマにより記述されていますが、

そもそも、スペインが、

ヨーロッパの先生 と いうべき地域になった
理由や経緯 を 正面から見据えた

スペインのイスラム王朝の歴史について、

ヨーロッパ人の歴史家は、
あまり興味をもっていないような気がします。

スペインを支配したイスラム王朝の歴史を
除外したら、

スペイン史を語ったことに なるでしょうか。

逆に、
今日に直接つながらないイスラム王朝の歴史を
記述した場合、

スペインの歴史というのは、
一つの歴史と いうことが出来るのか?

スペインのイスラム王朝の歴史は、
現在の我々に、
どのような意味、価値があるのだろうか?

との疑問も生じることになります。


以上、
歴史について、
私の念頭にあった疑問・問題意識を
述べさせていただきましたが、

これらの問題を解決するには、
「歴史とは何か」についての解答が、
必要となりますので、

「歴史とは何か」についての
私の2015年時点での考えを

以下に、ご紹介させていただきます。



「歴史とは何か」を考える時に、
大きな論点 が 2つあります。


「一つ目の論点」は、

歴史は、
人間を介して 記述されますので、

人間の観察、

言い替えると、
歴史が、人間というプリズムを通ると、

どのようなものになるのか、
どのような性格を帯びているのか、
です。


「二つ目の論点」は、

歴史の本質とは、
との 歴史自体が持つ性格 についての分析です。


「一つ目の論点」:
即ち、
「人間に記述された歴史の性格」については、

例えば、
次のような論点があります。

1.歴史書には、
  全ての事実が記述さるわけではない。

  日記をつけたとして、
  今日朝起きてから 寝るまでの全ての事実を記
  述するのではなく、

  自分が大事だと思うこと を 記述しますよね。

  これと同じように、
  歴史家も、

  歴史資料に書いてある全て事実 を
  記述するのではなく、

  歴史資料の中で大切なものを、
  自分の価値観により 選択して 記述しているのです。

  他の歴史家が、大切だと思う事実でも、

  その歴史家にとって 価値が低ければ、
  記述されることはありません。


  ですから、
  歴史書は、
  歴史家の価値観に基づいた歴史である
  とも 言えるのです。

  一つの歴史(例えば、フランス革命)について、

  いろいろな人が、
  いろいろな視点から その歴史 を 記述しているのは、

  歴史家の価値観が 多様である故に、

  歴史に対する見方、
  分析の切り口が、幾つも生じるからです。


  また、、
  古い時代の歴史資料の大半は、紛失しており、

  現在残っている歴史資料は、
  全ての歴史資料のほんの一部分にすぎず、

  現在残っている歴史資料を、
  全て読み込んだとしても、

  大半のピースが失われたジグゾーパズルを基に、
  完成した絵を想像するようなものなのです。



2.歴史家は、
  後世の歴史家からは、その時代の制約を受けた記述だな、
  と、言われるものである。

  中世人が、
  「我々は、巨人の肩に乗った小人である」と言っていますが、

  これは、
  現在の我々にも当てはまる真理なのです。

  この例えの趣旨は、
  現代人は、過去の遺産があるから、

  過去の人より遠くが見える、
  いろいろなものが見える  と、解釈されていますが、

  過去の人々が、
  どこに行ったのか、

  言い替えると、
  どのような行動をとってきたのか ということも、

  現代人の ものの見方の制約 になっている

  言い替えると、
  現代人の価値観 を 制約している
  と、いうことが出来ると思います。

  時代の制約の中には、
  その時代の技術水準による認識の制約 も 含まれます。


3.フランス革命の大家であられた遅塚先生は、
  遺著の端書きで、

  「歴史学は、
   仮説としての ある解釈 を 提示して、

   読者の選択肢 を 豊富ならしめる ということに 
   尽きるであろう。

   (仮説提示者としての研究者は、
    同時に、
    他の研究者の提示する仮説 の 読者 である。)

   歴史学という営み の 目指すところは、

   読者が、
   歴史について 思索を巡らすための素材 を 提供すること
   に、尽きるであろう。


   本書において、
   革命的テロリズムに関する
   私(遅塚)の拙い解釈を提示するだけでなく、

   フランス革命を生きた男の姿の一端 を 描くことによって、
   読者の思索のための ささやかな素材 を 提供したい
   と、思っている」

   と、記述されておられます。 

  (遅塚忠躬「フランス革命を生きたテロリスト」29㌻) 


  私も、

  「歴史家の著作は、
   歴史フィールドから 謎を見つけ出して、
   その謎解き を することである。

   だからこそ、歴史家が、
   謎解きに失敗して 間違えていることが 多多あるので、

   その間違いを 見つけることも、
   歴史書を読む 一つの醍醐味 であり、楽しみだ」

  と、感じています。


以上、
「一つ目の論点」で議論される3つの論点を、
例示で、ご紹介しましたが、

他にも いろいろな論点 があり、

「一つ目の論点」は、
「歴史とは何か」について考えるとき、
避けては通れない論点だろうと思います。


この「一つ目の論点」については、
E.H.カー「歴史とは何か」(岩波新書)で
詳しく書かれておりますので、そちらをご参照下さい。



私が、今回お話ししたいのは、
「歴史の本質とは?」との「二つ目の論点」です。


E.H.カーも、
今ご紹介した「歴史とは何か」において
「進歩としての歴史」との章で

ヨーロッパ人の進歩史観について、
カー流の解釈を記述されておられますが、

ヨーロッパ人の独善、独りよがりだな
と、首を傾げています。


歴史には、
「共通するパターン」があるのでは と、
私には思われます。

即ち、
一人の強い人間を 中心に
(通常は、男ですが、巫女の場合もあります)

部族が纏まり、
周辺の部族を併合して、ある地域を支配するようになります。


この様な 地域を支配する部族 が、相争って、
国が出来、

遠い地方との交易も、
更には、
外国への侵略 や 外国との連合 も 始まります。


この様に成立した国が、存亡を繰り返すのが、
人間の歴史だろう と、感じられます。

国を運営する為には、
各分野でいろいろな技術や技法、スキルが必要ですが、

一般的には、
数千年間 殆ど改善が見られない のが 通常です。

また、
生産力も需要も限度があるので、

競争は制限され、
都市内 では ギルドを育成して、
市民の共存共栄の実現 を 目指したのです。


ですから、
人類の歴史は、

この様な国の存亡を繰り返す
繰り返しの歴史 が、原則でした。


最初に述べた ギリシア では、

いろいろな人が、ギリシアに入ってきて、
それぞれの歴史を刻んできているのです。

即ち、
幾つもの歴史が、重なり合って いるのです。

このことが、
以前 私が、ホームページの「ヨーロッパの基礎視座」で

ヨーロッパは、
多様性、多重性を持った「地域の歴史」である
と、申し上げた所以です。

  「ヨーロッパの基礎視座」
  http://chuuseishi.la.coocan.jp/030516.htm



以上のことを勘案すると、

歴史とは、
存亡を繰り返した人々の足跡であるのだろう と、思います。

即ち、
歴史を担った人々 の 歩んだ足跡 なのです。


ですから、
後世の人間にとり、

歴史は、
それ自体 価値や意味 を 持ちません。

そのような歴史に、価値や意味 が 生じるのは、

歴史家(人)が、
価値や意味を認めて、
歴史書に記述したり、議論をするから です。

歴史家(人)が、価値や意味を見いださない歴史は、
放置され、忘れ去られているのです。



従って、
今までのお話しを結論づけて、歴史を定義するとしたら、

 「歴史とは、

  その歴史の担い手 の 足跡の中 で、
  人(歴史家)が、価値や意味を認めたものである。」

と、いうことになると思います。

  注 ; 「その歴史」と述べたのは、

     同じ地域でも、いろいろな歴史が積み重なっていて、
     その一つ一つが、独立した歴史だからです。

     最初にお話しした ギリシア、イタリア、スペインの歴史を
     思い起こして頂ければ幸いです。



この定義は、

無味無臭で、何という味気ない定義なんだろう と、
最初、私自身が感じていたぐらいですから、

お読みいただいている皆さんは、
もっとネガティブな感じをお持ちになられておられるだろう

と、推察しています。


でも、

葉っぱを 削ぎ落とし、
幾つもの枝を 切り落として、

歴史という 大木の幹だけ を 残す作業を行ったら
この様な定義になったのです。


ヘーゲルや、カーの進歩史観などは、
歴史の本質を述べているのではなく、

ある時期の
イギリスやフランスなどの西ヨーロッパの諸国の歴史の性格
を、述べているにすぎないような気がします。

即ち、

彼らは、
人類の歴史の中の
ごく一部の歴史の性格 を 語っているのであり、

人類全般の歴史の本質を
的確に言い表しているのではない
と、私には感じられます。




先ほど、
人類の歴史は、「繰り返しの歴史」 が 原則でした
と、申し上げましたが、

原則があれば、例外が あるのです。


その例外が、
 「積み重ねの歴史」 です。


「積み重ねの歴史」とは、

次の時代に、
前の時代に蓄積されたものの上に、

更に 改善を積み重ねていく 性格の歴史 を 言います。


「繰り返しの歴史」は、

ある時点で,
今までの経験がリセットされて、
歴史が、仕切り直されるのですが、


「積み重ねの歴史」は、

過去の蓄積の上に、
新たな改善、工夫が積み重ねられるのです。


この「積み重ねの歴史」は、
激烈な競争を生み出しました。

何故か というと、

Aという人も、Bという人も
「積み重ね(進歩、改良)」をするとなると、

「積み重ね」が 少しでも優れている方が、採用されて、

言い換えると、
勝利して

敗れたほうは、
努力の甲斐もなく捨て去られ、
捲土重来を期すことになるのです。


ですから、
「積み重ねの社会」においては、

雪だるま式に
色々なアイディアにもとずく改良があらわれる 反面、

色々なアイディア同士 の 激しい生存競争が 生まれて、
競争に敗れた アイディア は、捨て去られるのです。


この点
「繰り返しの歴史」では、

お互い従来どおりの生活をすれば良いわけですから、
「積み重ねの歴史」ほどの競争 が 生じることがありません。


ここに、
「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」の
質的な差の本質 が あるのです。



この様な歴史が生まれたのは、
世界中で2ヶ所しかありませんでした。

一つは、
クローヴィスのフランクの後裔と

10世紀にノルマンディーに定住した
ノルマン人 ロロ 及び その一族 の 後裔の人々、

具体的には、

ノルマンディーから
ベルギー南部一帯を中心にした地域に
住んでいた人々です。


その後、

クローヴィスが、
パリに進出して、フランス王国を支配するようになりましたし、

又、1066年
ノルマンディー公ウィリアム征服王が、イングランドを征服して
現在につながるイングランドの歴史を始めました。

更には、
16世紀 ハプスブルク家のスペイン王フィリップ2世と争って、
アントワープからオランダに移住した人々も、
積み重ねの歴史の担い手でしたし

イングランドやオランダから
アメリカに移住した人々(WASP)も該当します。



もう一つの地域が、
我が 日本 です。

全く不思議なことですが、
西北ヨーロッパの人々 と 日本人 は、
私には 一卵性双生児 のように 思えて仕方ありません。

福沢諭吉が「親の敵」と言ったように、
日本人は、現在においても、

江戸時代までの封建社会 を
古くて、しかも 悪しき社会 と、感じているようですが、


江戸時代までの日本の歴史 は、

西北ヨーロッパと同質の「積み重ねの歴史」だった
のです。

それが証拠に、

明治時代、
ヨーロッパ史学 を 日本史 に 適用したとき、

ヨーロッパ史学の 概念やテクニカルターム、時代区分 を、
右から左に 全て利用できたのでした。

ヨーロッパ以外の国で、
こんな国は、他にありません。


小学校の時に、
関孝和(1642~1708 享年 66才)が、

ニュートン(1643~1727 享年 84才)と同じ頃に
日本独自に発展した和算で 微積分 していた と 聞いて、

どうして
ローマ数字と同じような漢数字で、数学が出来るのだろう?
本当だろうか?
と、訝しく感じたことを未だに覚えています。

家内が、
最近 たまたま 和算の歴史の本を読んだので、
その本の話を聞いたら、

彼らは、
そろばん で 計算していたとのことです。

そういえば、そろばんは、
私の子供時代(昭和30年代)まで、世界最速の計算機でした。

また、
そろばんの名人は、人間コンピュータ と いうべき
暗算の名人 ですので、

それなら、
関孝和が、微積分も出来たはずだ と、納得しました。


家内 によると、

πも、
当時の世界で最高レベルの桁数の計算をしていたそうです。


伊能忠敬(1745~1818 享年 73才)が、
日本地図を作成したのは 有名な話ですが、

彼は、
隠居後、江戸幕府の天文方に入って 学問を修めているのです。

現代で言えば、
高卒の方が、中年以降、大学の学部課程 を 飛び越して、
東大の理学部天文学科の大学院に入って、

大学の学部時代に学ぶ学問をこなした上に、
更に、高度な学問 を 修めたようなものです。

これは、
如何に当時の庶民の学問レベルが、高かったか
を、現しているもの と、思えます。


一般庶民も、寺子屋で、
習字やそろばん を 習得していましたので、

当時の日本は、
ヨーロッパより 高い識字率 だったのでは?
という感じさえ しています。

(第二次大戦後、アメリカ軍が、

 どうせ 日本人なんて、レベル が 低いのだろう と、考えて、
 日本人の識字率を調査したら、

 100%だったので、 「アメリカでも あり得ないことだ」と、
 びっくり仰天したとのことです。)


経済においても、

米(こめ)についての中央市場 が、
大阪の堂島 に 設置されていて、

世界で最初の先物相場が あったそうです。


江戸時代は、
各藩に分かれて 分立していたような感じが しますが、

先物相場は、
資本主義が 発達しない と 登場しないものですから、

江戸時代において、
既に、日本全体をカバーする 統一した経済圏 が 成立し、
資本主義 が 発達していたのでしょう。

絵画においても、浮世絵が、
フランスの印象派の画家達に大変な影響を与えました。

江戸時代の浮世絵 は、
印象派の画家 の 先を行っていたからです。

この様に、芸術面でも
日本は、
ヨーロッパの最先端と同じ水準に達していた部門もあったのです。


ですから、

明治になって、
ヨーロッパ文明 を 受け入れる と、
決意してから たった20~30年で、

ヨーロッパの学問を
日本の大学 で、
日本人 により
日本語 で 授業することが 出来たのです。

また、
日清戦争、日露戦争で、日本が勝利して、
欧米を始め世界中を驚かしましたが、

考えてみれば、
「積み重ねの歴史」の日本が、
「繰り返しの歴史」だった清やロシアに勝利するのは、
当たり前だったのかも知れません。


トルコや韓国をみると、
「繰り返しの歴史」の国が、
「積み重ねの歴史」に転換しようとしても、
なかなかできるものではない、

有り体に申し上げると、
不可能に近いことが 明らかになっています。

江戸時代
鎖国をしていた 日本 が、

一世代という 非常な短期間で、
欧米に肩を並べるまで国を作り上げたのは、

日本が、
西北ヨーロッパと同質の「積み重ねの歴史」の国だったからだ

明治維新の時点で、
ヨーロッパ文明と 本質が 同レベルの文明 を
保持していたからだ と、考えると、納得がいきます。



ヨーロッパに話 を 戻しますと、

積み重ねの歴史の国は、
現在のフランス、イングランド、オランダ、
それに、
ドイツだろうと思っています。

近世において、
最初に植民地を巡って争ったのが、
フランス、イギリス、オランダであったのは、

これらの国が「積み重ねの歴史」で、
競争社会ができあがっていたからだと思います。


ドイツは、
中世以来「繰り返しの歴史」の国でした、

それが「積み重ねの歴史」に転換したのは、
プロシアがナポレオンに敗北したからだと思います。

敗北によりプロシアが目覚めて、
一大決心をして「積み重ねの歴史」に転換し、

19世紀後半、
ビスマルクやモルトケといった天才を輩出して、

ハプスブルク家の支配地域を除くドイツを統一し、
ドイツ全体を、「積み重ねの歴史」に巻き込みました。

更には、

フランス・ナポレオン3世を打ち負かして、
ナポレオンに敗れた屈辱を晴らし、

フランスに奪われた、アルザス、ロレーヌという
中世以来のドイツ領土を取り戻したのです。

(最近、ドイツを見ていると、
 「繰り返しの歴史」の国に、先祖返りしたのでは?
 だから、China に 親近感を持つのでは?
 との感じが 否めません。)


この様な「積み重ねの歴史」を もたらしたものは何か?
「積み重ねの歴史」を作り上げたエートスは 何か?

が、私にとっての探求すべき歴史の最大の謎であり、

老い先短いながらも、生きている内に、
この謎解きが出来たらなと願っています。



一つ感じているのは、
「積み重ねの歴史」の国は、

王の権威の性格が、「繰り返しの歴史」の国と異なるのでは?
ということです。


ベルギーの歴史家 ピレンヌ は、次のように記述しています。

「ユーグ・カペーからフィリップ1世までというもの、
 フランスの王権は 存続するだけで、満足していた。

 ユーグ・カペー フランス王在位  987~ 996  9年間
 フィリップ1世  フランス王在位 1060~1108 48年間

 フランスの王権は、非常に控えめで、
 大封臣達の間において見ると、殆どそれと分からぬ位である。

 後代が、記憶に止めているこの時代の人名は、
 国王の名前ではなく、封建大諸侯の名前である。
 (封建大諸侯の名前を挙げていますが略しています。)

 ・・・・・・・・

 大封臣達によって取り囲まれ、
 その陰に隠れてほそぼそと生きている王権が、

 如何に無力になったにしても、
 それにもかかわらず、
 王権は、その未来の力の原理を内蔵していた。


 何故なら、
 封建制というものは、

 事実の上では、
 国王権力を麻痺させるにしても、

 法理の上では、
 それ(国王権力)を無傷のままにしておいたからである。


 国王を指名し、国王の権力を簒奪していた
 大諸侯も、

 カーロリンガ的な古い王権の観念を、
 他の観念で 置き換えることは しなかった。

 国王は、
 その権力を 大諸侯から得ているものだと考えて、

 国王の権限は、
 大諸侯の意思によって制約されているのだ
 という考えは、

 彼らには浮かんでこなかった。


 国王の選挙は、
 教皇及び司教の選挙 と 事情が同じだった。

 即ち、
 それ(国王の選挙)は、

 選ばれる人物だけに かかわりがある のであって、
 その人物に
 権力が 与えることは 出来なかった。

 (選挙は、人を選ぶ のであって、
  その人に 権力を 授けるもの ではなかった。)

 権力は、神に由来するもの であるからして、

 それを左右することは、
 人間の力ではできなかったのである。

 この点では、
 全ての人の考え が、一致していた。

 国王は、

 神の僕、
 (神の)代理人であった。

 カペー朝が 敬虔に保持していた 聖別式 が、
 国王の聖職者に近い性格を

 立証する と、同時に
 強固にしていた。


 国王は、この儀式から、

 彼(国王)を、
 比類のない位置に置き、

 彼(国王)を、
 ユニークな、並ぶもののない性格の人物にした 道徳的優越
 を 引き出したのであった。


 封臣達に囲まれた国王 を、

 一種の大統領、
 一種の同等者中の第一人者 primus inter pares に
 なぞらえることほど、

 誤った考えはないであろう。


 国王と封臣達の間には、
 共通の尺度など なかった のである、

 国王は、

 封臣達の手の届かぬところ
 に 位置していて、

 不可侵の存在 だったのである。

  出所;ピレンヌ「ヨーロッパの歴史」(創文社)
  216~218㌻より抜萃
  なお、(  )は、私が補足しました。


フランス王が、

カロリング朝的な 古い王権の観念 を 有していた とか、
神の代理人だった とかが 理由なのかどうか、
私には判断がつきませんが、

フランス王が、
中世初期に、別格の 侵すベからざる存在 であり、

フランス王国の全体を
支配する権能を持っている と、観念されていたのは
確かだと思います。


例えば、
アキテーヌ女公だったアリエノールは、
最初、
フランス王ルイ7世と結婚しました。

アキテーヌ大公は、
トゥールーズ伯への宗主権を持っていましたが、
トゥールーズ伯が臣従しなかったので、

アリエノールは、夫のルイ7世に、
トゥールーズ伯への遠征をさせましたが、失敗しました。

その後、
アリエノールは、イングランド王ヘンリ2世と再婚して、

再度、
夫のヘンリ2世に、トゥールーズ伯を攻撃させたのです。

ヘンリ2世は、
ブラバン傭兵隊 を 用いていて、
トゥールーズ伯 を 攻撃すれば、撃破が確実だった
のですが、

トゥールーズ伯の陣営に、
フランス王ルイ7世(アリエノールの最初の夫)が、
応援に 駆けつけていた為、

ヘンリ2世は、
宗主のフランス王には攻撃できない と、
軍を 引き上げたのです。


ルイ7世は、
ノルマンディ公、アンジュー伯、アキテーヌ大公でもある
ヘンリー2世の主君 だったのです。

また、
ヘンリ2世は、イングランド王でもありましたので、

ここでフランス王 を 撃破したら、
イングランド王たる自分も、
いつか 臣下に 撃破されるかも知れない
と、考えて 自重したのかもしれません。


フランス王が、
フランス王国全体の支配権を有する との
権限 を 行使したのは、

ルイ7世の息子 フィリップ2世(オーギュスト)でした。

当時フランス王は、

パリ周辺のイールド・フランスしか
領有していませんでしたが、

ライバルのイングランド王は、

北は、スコットランドから
南は、ピレネー山脈までの

フランス王を上回る領土 を 支配していたのです。


ですから、
フィリップ2世は、

最初、
イングランド王 リチャード獅子心王 と戦っては
負け を 繰り返していたのです。

リチャード獅子心王 が、戦死後、
後を継いだジョン王(欠地王)に対して、

ジョン王が、

貴族のフィアンセを略奪して自分の妻にした事件
を梃子に、

ジョン王に対する 国王の裁判権 を 行使して、

不服従のジョン王 を
フランスから追い出したのです。


フランス王フィリップ2世は、

ジョン王が持っていた
ノルマンディーからピレネーまでのフランスの西半分の領土を

一度も支配したことがないにもかかわらず、
フランス王国 を 支配する権限 が あるとして、
ジョン王 を 裁いたのでした。

この様に、
フランス王やイングランド王が、
実際に支配していなくても、

フランス王国やイングランド王国を支配する権能を有する
との概念は、

フランスは、
フランス革命まで 継続し、

イギリスは、
現在も 継続していますが、

ドイツでは、
中世の半ば に なくなり、

イタリアでは、
最初から ありませんでした。


この概念が、

国の統合をもたらし、
「積み重ねの歴史」が歩む際に 大きな支え に なったのでは、
という気がしています。


日本も、
平安時代から 天皇は、国の象徴 であり、
幕府などの 実際の政権 は 別にあっても、

日本国の統治者は、天皇である との 統合の概念 が、
途切れることなくありました。


「積み重ねの歴史」にとって、
この概念は、
非常に大切な意味をもっているような気がしています。


「積み重ねの歴史」が、

「繰り返しの歴史」より
上等、上質な歴史である と、いうことではありません。


「積み重ねの歴史」が、

「繰り返しの歴史」より優れているのは、
技術やスキルの分野 です。


確かに、
武器が発達し、

そのお陰で ヨーロッパ が、世界制覇して、
日本とタイを除く 世界中 を 植民地にして
搾取したのです。

また、
産業機械、交通、通信等々の技術 も 発展させて、
確かに 便利な生活 を 実現しました。

しかし、反面、
公害問題が生じ、人々の健康 を むしばむことも 生じています。

更には、原水爆といった、
人類を破滅させるようなものまで創り出しているのです。


この様な技術やスキルの分野における発展 を
「進歩」と 錯覚して、

ヨーロッパ人は、
歴史は 進歩するもの と 信ずるようになりました。


ヘーゲルも、
マルクスも、
最初にご紹介したE.H.カーにおいても
然りです。


しかし、
「歴史の進歩」という考え方が、
真実 を 捉えているのでしょうか。



ランケは、
「歴史は進歩する」との考え方に
反対しておられますので、

ランケの「世界史の流れ」の冒頭での反対論の一部
を ご紹介します。


< ランケの記述 >

 「物質的なもの」に関係ある領域では、
 無条件の「進歩」が認められる。

 この方面では、非常な異変でもない限り、
 退歩と言うことは先ずおこりえない。


 ところが、

 「精神的な方面」では、
 「進歩」は認められない。

 道徳、宗教、哲学、政治学、歴史記述では、
 進歩 は ない。

 キリスト教とともに、
 真の道徳と宗教が現れて以来、
 この方面では進歩は起こりえない。

 プラトンのあとには、
 もはや
 プラトンは、現れ得ない。

 シェリングが、
 プラトン を 凌いだ とは 思えない。

 プラトンやアリストテレスが完成した
 最古の哲学 で 十分である。


 何びとも、
 ツキディデスより偉大な歴史家だ と、
 自負することはできない。

   「ランケの歴史哲学」
   http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_d322.html


私は、
このランケの考え方と同じ考え方をしています。

ランケに、
「何びとも、ツキディデスより偉大な歴史家だと
 自負することはできない。」
と、言われて、

反論できる歴史家は いないだろう と 思います。



更に、
「積み重ねの歴史」で困ったことは、

「積み重ねの歴史」から距離を置いて、
自分独自の「繰り返しの歴史」を続けたい と、思っている人々を、

無理矢理
巻き込んでしまう 凶暴性 を、持っていることです。


「積み重ねの歴史」は、

先ほど「繰り返しの歴史」の国である
トルコと韓国の例をご紹介したように、

「繰り返しの歴史」の国の人々にとって、
受け入れがたい歴史なのです。


しかし、
この歴史に参加しなければ、

未来永劫貧困のままの生活 を 続けなければならないし、
「積み重ねの歴史」が生み出した便利で快適な生活を
享受できないのです。

「繰り返しの歴史」の国の人々は、
韓国に見るが如く、

「積み重ねの歴史」の本質を、理解出来ず、
身につけることも適わないい国民であり、

パクリで、見よう見まねの それらしきもの を 作れたとしても、
一本立ちして、
独自に開発し、競争に参加していくことが出来ないのです。

ネットで、
韓国軍の不祥事をおもしろおかしく報じられていますし、
直近では、
仁川空港のリニアシステムの工事が終わって2年も経つのに、
未だに開業できない と、報じられています。

また、
ロッテが建設中の高層ビルの下層部分で、
建設途中に ビルの使用を開始したら、

建物に ひびが入り、
地下の水族館では 水槽の水が漏れ出した
と、報じられています。

この種のニュースは、
私みたいな者でさえ いくらでもご紹介できるくらい沢山あり、


韓国が、

日韓併合以来100年経っても
「積み重ねの歴史」を身につけることが出来なかったことを
露わにしているのです。

中国も、
新幹線を作ったとか、
アメリカに対抗できる戦闘機を作った
と、自慢していますが、

所詮、
パクリであり、模倣であって、
すぐにメッキが剥がれる代物なのです。

この様に、
これからの人類において、最大の問題点は、

「積み重ねの歴史」が巻き込んだ、
「積み重ねの歴史」に適応できない「繰り返しの歴史」の国の人々を
どのようにするのか、では ないでしょうか。


最近まで、私は、

彼らを教育すれば解消できるだろう
と、考えていましたが、

最近の韓国を 見ていると、

彼らは、
プライドは異常に高いけれど、
見てくれだけを気にするだけで、中味が伴わず、

パク・クネ大統領ではないけれど、

1000年経っても
自発的に自分自身を改造できないだろう
と、愕然とし、
暗澹たる気持に陥っています。




最後に、
E.H.カーの「歴史は進歩する」との考え方について、
少しご紹介させていただきます。


カーは、歴史論を 2回、

最初 は、
1951年 BBC(イギリス放送協会)で講演した「新しい社会」で、

2度目は、
1961年 ケンブリッジ大学で講演した「歴史とは何か」で、
述べておられます。


両方とも、
「歴史は進歩する」との考え方は変わりませんが、


「新しい社会」では、
歴史は、
「自由の実現に向けて進歩する」と述べておられたのが、


10年後の「歴史とは何か」では、

「進歩の信仰は、

 自動的な 不可避的な過程 を 信じる という意味 ではなく、
 人間の可能性の漸次的発展を信じる という 意味です。


 人類が追求する具体的な目的は、

 時々、
 歴史のコースの中から現れてくるもので、

 何か歴史の外にある源泉から現れるもの
 ではありません。


 私は、
 人間の完成可能性 や
 地上における未来のパラダイスなど を
 信じているつもりはありません。

 この限りでは、私は、

 完成は、
 歴史の内では実現され得ない、と説く

 神学者や神秘主義者 と 同意見
 ということになるでしょう。

 しかし、私は、
 ゴールへ向かう 限りない進歩、

 即ち、
 我々が必要としたり 考えたりすることが 出来るような、
 限度というものを 持たぬ進歩 の 可能性

 と、言うことで、満足しようといます。


 カーは、
 「ゴール」について、
 文中で次のような注釈をつけています。

  → ゴールといっても、

    私たちが、
    それに向かって前進して 初めて規定されうるような、
    その有効性は、
    それに到達する過程で 初めて証明されるような ゴール
 


 この進歩の観念がなかったら、
 一体 社会は、
 どうして生き延びて行くことが出来るか分かりません。

 ・・・・・・・」 と、

歴史の進歩のゴール を、

自由の実現から、
その時々に現れる目的に、
変えておられます。

  出所  ; E.H.カー 「新しい社会」  171~172㌻
       E.H.カー 「歴史とは何か」 176~177㌻



カーは、「新しい社会」において、
「繰り返しの歴史」を、次のように否定しています。


「私(カー)とトインビーとの違いは、

 彼(トインビー)が、
 歴史 を 繰り返すもの と 見るのに反して、

 私(カー)が、
 それ(歴史)を 連続的なもの と 見る点にあります。


 彼(トインビー)にとっては、

 歴史とは、
 同じことが多少の変化を伴って、
 異なった文脈に繰り返し現れる
 と、いうことになりますが、


 私(カー)にとっては、

 歴史は、
 事件の連続であって、

 これについて 一つ断言できること は、
 それ(歴史)は、
 絶えず前進して行くもので、二度と同じ場所へ戻ってこない
 と、言うことだけであります。


 この相違は、
 当然、歴史の与える教訓をどう見るかという点に
 影響して参ります。


 この相違は、
 歴史の本質に関する 根本的な考え方 に 基づくもの であります。

 トインビーの見方は、
 シュペングラーの見方と同様に、
 2世紀近く歴史的思想に絡みついている
 歴史と科学との類推の上に立っているのです。

 この類推は誤っています。

 確かに、
 科学は、同じドラマの繰り返しです。

 というのは、登場人物が、
 過去の意識を持たぬ動物 か 無生物だから です。


 これに反して、

 歴史では、
 ドラマの繰り返しは不可能であります。

 何故なら、
 2度目の上演の時は、

 登場人物が、
 既に予想される結末 を 意識しているからです。

 ですから、
 最初の上演の本質的な条件 は、
 2度と これを組み立てることが 出来ないわけです。


 2つの世界大戦の間のことですが、
 ある有名な軍事評論家が、

 1914年から1918年にわたる
 陸戦の諸条件 を 検討して、

 これらの条件が なお生きている と、断定し、

 そして
 ,次の戦争でも、
 守勢国(フランス)が、攻勢国(ドイツ)に勝つであろう
 と、予言したことがあります。


 彼の客観的推理は、
 確かに正しかったのでしょう。

 しかし、
 彼は、1つの要素 を 見落としていたのです。

 即ち、
 ドイツの将軍達が、1918年の不幸な結末を
 2度目の上演 で 繰り返してはならぬ  と、
 決心したいたこと を 見落としていたのです。

 1940年には、
 この予言された結果とは正反対の結果を
 生み出すことが出来たのです。

 人間は、
 過去を 意識しているものですから、

 歴史が、
 再び 繰り返すことは 不可能なのであります。」

  出所 ; E.H.カー 「新しい社会」  10~11㌻



更に、カーは、
「繰り返しの歴史」に属する人々を、
歴史なき民族」と決めつけています。


「現代の歴史は、

 歴史が、過去 を 問題とする と共に、
 未来をも 問題とするところから 始まるもの であります。

 現代人が、
 過去の暗がりをジッと見つめているのは、

 そこから、
 薄暗い未来を照らす微かな光を得たい
 と、願っているからなのです。


 逆に言うなら、
 前途に対する いろいろな 抱負や懸念 が、
 過去に対する現代人の洞察 を 鋭くしているわけです。

 未来の意識 が なければ、
 歴史は、ありません。


 19世紀に ハプスブルク帝国という

 大きな塊を形作っていた諸国家
 及び
 将来の諸国家の中には、

 自分たちの未来に無関心な、
 所謂「歴史なき民族」が、ありました。


 けれども、

 彼らが、
 未来に向かって抱負を持ち始めるや否や、

 彼らは、
 自分たちの過去の歴史を発見 或いは 発明したのでした。


 過去と未来との間には、

 絶えず作用があり、
 また
 相互作用があります。


 過去と現在と未来とは、

 互いにつなぎ合わされて、
 果てしない一本の鎖になっているのです。」



以上ご紹介したカーの考え方について、
いくつかコメントさせていただきます。


1.「歴史は、自由の実現というゴールに向けて進歩する」
  との考え方を変更したのは、

  さすがに、
  この考え方のおかしさに気がついたからでしょう。

  進歩は、
  永続的に続く運動(ムーヴメント)であり、
  ある地点で終了するものではありません。

  また、
  人間社会において、
  全ての人が自由を取得することは、あり得ず、

  必ず調整が、必要とされるのです。

  (例えば、人を殺す自由は、認められないでしょう。)



2.「歴史とは何か」で、カーが述べておられた

  歴史は、
  その時々の目標に向かって進歩し、

  その目標が実現すれば、
  次なる目標に向かって進歩するという考え方は、

  私の「積み重ねの歴史」の考え方と、
  一見にているように思われるかも知れませんが、

  似て非なるものなのです。


  カーは、
  歴史全体=人間社会全体が進歩する
  と、述べておられますが、

  私は、
  人間社会の活動の一部である 技術やスキル が、
  積み重ねられて改良していく
  と、申し上げているのであって、

  人間社会全体が、
  より良くなる=進歩する と、
  申し上げているのではないのです。

  注 ; 技術やスキルには、
     工学系等の自然科学だけでなく
 
    法律技術、統治スキルのような
    社会科学、人文科学も含みます。


  「積み重ねの歴史」により、
  確かに 生活は便利になりました。

  例えば、
  東京とヨーロッパを12時間で移動できることは、
  夢のようなことです。


  でも、
  「人間の幸せ」といったことに目を向けると、

  人間にとって便利になったことが、
  幸せが増加したこと に なるでしょうか。

  私には、
  江戸時代の人 と 現在の我々と比べて、
  我々が 幸せになった とは 思えません。

  江戸時代の人々には、
  それなりの苦労もあったし、不便もあったでしょう。

  でも、
  人間としての幸せという面では、
  我々と同じではないのかな? という気が しています。

  この意味で、

  歴史が、進歩した とか、
  歴史は、進歩するものであるとは、
  言えないような気がします。



3.カーは、
  ハプスブルク帝国の一部の人々を、
  「歴史なき民族」と決めつけています。

  東ヨーロッパの人々には、
  歴史がなかったといっているのです。

  また、
  第2次大戦の際に、

  ドイツが、
  第1次大戦の教訓をもとに、対策を打ったことを、

  歴史が 繰り返さない 証拠 に 挙げておられます。


  これらのことは、

  カーが、
  「繰り返しの歴史」についての認識が全くない
  と、いうことを表白しているのです。


  フランスとドイツの戦いの例は、

  「積み重ねの歴史」の国では、歴史は 繰り返さない
  という例であげるなら、理解できます。


  「積み重ねの歴史」の国で、
  歴史が 繰り返さないから といって、

  人類の歴史全般において
  歴史は 繰り返さないこと の 証拠である
  と、考えるのは、

  あまりにも
  子供じみているのではないでしょうか。


  カーが、

  ハプスブルク帝国の一部の人々を
  「歴史なき民族」と決めつけことは、

  歴史の本質を、いみじくも現しています。


  カーは、

  東ヨーロッパに人々は、「歴史なき民族」と、
  他人のこと を いっているようですが、

  実は、
  カー自身の内心の考え を、吐露しているのです。


  「歴史なき民族」といわれた 東ヨーロッパの人々 にも、
  過去の思い出 や 伝承 は あるのです。

  ということは、
  歴史があるのです。


  それを、
  「歴史なき民族」とおっしゃったということは、

  カーにとって、
  東ヨーロッパの人々の歴史が、
  価値や意味 を 持たないからです。

  彼らの歴史の価値も、意味も 認めませんよ
  との、
  カー自身の考えを、表白しているのです。


  先ほど申し上げたように、
  歴史自体は、無価値であり、無意味なのです。

  その歴史に、
  何らかの価値や意味を認めて、論じる人が出現して始めて、
  歴史に価値が生じ、意味を持つようになるのです。



4.「歴史は進歩する」との考え方は、

  私には、
  世界制覇した「積み重ねの国」である
  西ヨーロッパ諸国 の 自己を正当化する為のイデオロギー
  のような 気がします。

  しかも、ヨーロッパ人が
  このイデオロギーが、正当であるとの確信、信念
  を、持つようになったのは、

  キリスト教が育んで、ヨーロッパ人のバックボーンとなった信念、

  即ち、
  「私の考えは、神の考えと同一だから、
   絶対的に義(ただ)しい」
  との確信 に、拠るものなのでしょう。


  そう考えると、

  「何故、大学では、即ち、ヨーロッパ人は、
   ギリシア・ローマと16世紀以降の歴史しか議論しないのだろう」
  という

  私が大学に入学した時の疑問が
  解けたような気がしています。


 注 ; 「私の考えは、神の考えだから
     絶対的に義(ただ)しい」については、

     次のブログをご参照下さい。

    キリスト教の本質についての幾つかの謎解き ・・・・・
    1.一神教のキリスト教が、
      世界宗教(普遍宗教)になったわけ(仮説)
    2.キリスト教が、
      異端を生み出し、
      幾つもの宗派に分裂したわけ(仮説)
    3.キリスト教が、殺人宗教となったわけ(仮説)
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-4431.html


    ヨーロッパ人、アメリカ人の行動原理(仮説) ・・・・
    キリスト教謎解きの旅 の 終わりにあたって
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-8f11.html



補足; 本ブログの補足を、
     次のブログで記述しましたので
     ご覧頂ければ幸いです。

    「積み重ねの歴史」で、積み重ねられるもの 
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-c1f2.html

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2012年11月12日 (月)

2012年11月 民族、国家、積み重ねの歴史 についての 友人との対話

私のホームページの「積み重ねの歴史 と 繰り返しの歴史」を
お読み頂いた友人からご質問を頂きました。


「積み重ねの歴史 と 繰り返しの歴史」
http://chuuseishi.la.coocan.jp/070717.htm



友人からの質問

1.「〇〇人」の定義?(民族の定義とは?)

2.「〇〇国」の定義?(国の定義とは?)

3.長い歴史の中で、何が積み重ねられたり繰り返されるのか?
  つまるところ、その実体の核心?


ご参考までに、友人への回答をご紹介させて頂きます。



1.〇〇人の定義(民族の定義)について


まず、
「地球上に、純粋な(ピュアーな)民族というものは存在しない」
と、考えるべきだと思っています。

人類は、
地球上どこででも、移動を繰り返していますので、

何れの土地でも、
いくつもの民族が歴史を塗り重ねていったと考えています。



従い、
「民族とは何か」を、定義するとしたら、

「自分たちは〇〇人だとのアイデンティティーを持った人間の集団」
というのかな、と考えています。


アイデンティティーの内容は、
宗教、言語、その他色々ありますので、特定はしない方がよいと思います。


この定義だと、

国を持たない
or 持たなかった
バスク人、クルド人、ユダヤ人、ジプシー(ロマ)の人々も、

定義に入ってくると思います。


混血や戦争などで吸収された人々も、
長年その土地に住むにつれて、時間の経過と共に

その民族に同化していって、

アイデンティティーを持つようになったのだろうと思います。

同化しない人、アイデンティティーを持てない人は、
なんかのタイミングを見計らって、
別の地域に移住していったのだろうと思います。


また、後から来た民族が、支配者となって、
以前から住んでいる人々を同化し、融合していくことも多かったと思います。



私は、
このような民族同士の融合を、「つるぼ」のような感じを持っています。


例えば、
日本は、シベリアや朝鮮半島、更には、中国や南方から舟でやってきた人々が、
日本という「るつぼ」で同化して一つの民族を形成したのだろうと思います。


その後、
朝鮮半島から来た人々(天皇家の祖先、騎馬民族かも知れません)が、
西の方から徐々に征服していって、
日本という国の骨格を作ったのだろうと思います。


平安時代初期に、
太秦に秦氏という帰化人が住んでいたと日本史で学びましたが、
彼らは、天皇家が半島から連れてきた側近なのでしょう。



東方への征服活動は、
鎌倉時代初期 源頼朝の平泉の藤原氏征伐でとりあえず終わりました。

源頼朝が、征夷大将軍に任じられた、ということが、

まだ、この時点で
東方への征服活動が行われていた、
または、
意識されていたことの表れだと思います。



藤原氏征伐は、
弟の源義経の根拠を潰す為でしたが、

日本武尊の東方遠征から始まった、征服活動の終着点と見るのが、
大きな歴史感覚による見方だと思っています。


ですから、
北海道は、函館周辺を除いて、
江戸時代が終わるまで、中央政府の支配が及んでいませんでした。


また、
沖縄は、薩摩の島津家が征服しましたが、自治を保っていました。


これらが、明治以後日本に編入されたのです。

(注) 北海道と沖縄は、
    明治以前も、日本の領土でしたが、
    中央政府の行政は及んでいなかった、ということです。

    中央政府の行政が及んでいたかどうかを論じているのであって
    日本の領土であったかどうかを論じているのではないことに
    ご注意下さい。



北海道のアイヌ人は、

明治以後、大半が日本人に同化され、

同化されなかった人々が、少数残ってアイヌ人を名乗っています。

アイヌ人は、
鎌倉時代には、関東地方のも住んでいたそうで、
東方征服により征服され、同化された人々なのです。


沖縄は、
北海道と違って、明治以降、日本人が大量に移住しませんでしたから、

沖縄の人々は、日本人に支配されていると感じて、

左派勢力や中国などのエージェントに踊らされている人が出てきているのが、
今日この頃の状況だと思います。


沖縄の人々は、
フランスのブルターニュ人と似た性格の歴史経過を
持っている人々だと思います。



最近、政治の世界で、
民主党には、帰化した朝鮮人の議員が多いとか、
在日の人々が、民主党に影響力を行使していると話題になり、

その反動で、
反朝鮮、反韓国の動きも出てきていますが、


これらの朝鮮人も、
長い歴史の流れの中では、日本という「るつぼ」の中で、
同化吸収されていくだろうと思います。


ただ、短期的には、

韓国の、彼らを使って、日本を支配しようとか、
日本を思うように動かそうとする動きには、

それなりの対処は必要でしょう。

これは、
中国の沖縄に対する工作活動についても言えることです。





2.〇〇国の定義(国の定義)について


国家というものは、
長い歴史の中では 「もろいもの」「不確かなもの」
という感じがしています。



従い、定義するとしたら、
「ある政治権力が、支配し、統治している地域に対する通称」
と、言うことでしょうか。




我々は、
500年続いた国民国家の最期の局面の時期に、
生まれ育って40才ぐらいまで過ごしてきました。



ですから、
国家というものは、確固たるもののような印象を持っていますが、

実は、
「たが」が外れたらすぐ分解してして、
ばらばらになってしまう存在なのです。



これは、
冷戦終了後あっという間に崩壊した
ソ連を思い起こしていただければ、
すぐにご理解頂けると思います。



ヨーロッパで
500年間にわたって形成され継続してきた「国民国家」というものは、


歴史のある時期の一時的な産物であり、
国内に居住する 多様な民族を 「国民」として 認定した国家なのです。

国家 という スキーム の中で
色々な民族が 共存して「一つの国民」を 形成しているのです。

日本のように
自然発生的に 同一民族 が 国家(民族国家)を 形成したのではなく、

それなりの必然性 があったにしても
ある地域において 人為的に「国家というスキーム」を 形成したのが
国民国家なのです。



歴史が地域共同体から世界連邦への歩みを勧めていく内に、
分裂して、いくつもの部分に分解していく国民国家が、
いくつも生じるだろうと思っています。


チェコスロバキアが、そうですし、
ベルギーも、連邦になりました。

スコットランドがイングランドから分離するかどうかの投票が実施される
とのニュースが報じられています。

ブルターニュが、フランスから分離するかも知れませんし、
バスク人やクルド人も、独立し、
北イタリアが、アンブロシア共和国として独立するかも知れません。

このように、
地域共同体、ヨーロッパの場合はEUに、
直接つながりたいとの地方の意志が、

国民国家を分解させる力をもたらすのだろうと思います。


アジアにおいても、

多民族国家である中国の
共産党政権が崩壊し、
共産党支配の「たが」が外れれば、
チベットやモンゴルなどの地域が、分離独立するでしょう。



以上のことは、
以下のホームページで、幾つか書いていますので、
お読み頂ければ幸いです。



1.ヨーロッパの基礎視座
http://chuuseishi.la.coocan.jp/030516.htm


2.歴史における現在
http://chuuseishi.la.coocan.jp/000801.htm


3.ブッシュのイラク戦争(「歴史における現在」再論)
http://chuuseishi.la.coocan.jp/030830.htm


4.ベルギーへの誘い
http://chuuseishi.la.coocan.jp/070411.htm






3.長い歴史の中で、何が積み重ねられたり繰り返されるのか?


積み重ねの歴史をもたらしたものは、「競争」です。


この過酷な競争に、実際に耐えて、歴史を積み重ねてきた人たちが、


歴史上

フランドルから北フランスにかけての人々とアンジュー家以降のイングランド人という

ヨーロッパ人の一部  日本人だけだったのだろう と、考えています。


ですから、
「歴史において積み重ねられるもの」は、「競争の対象となるもの」です。


言い換えると、
「工夫により、現状より良くなるもの、便利になるもの」です。


典型的なものが、「技術」でしょう。


また、
資本主義社会みたいな「社会システム」も、
競争を促進するものとして考えるべきでしょうが、

これは、
競争に耐えた人々が、競争の中で作りだしてきたものです。


競争の対象とならないものは、
「価値」に関するものです。



芸術や哲学などは、競争の対象とはならないと思います。

ただご注意願いたいのは、


例えば、

芸術は、技術を前提にして価値があるということです。

楽器を弾くためには、
演奏技術を習得して、名人上手となった上で、

その演奏が、人を感動させる価値がなければ、
歴史に残る演奏家とならないのです。



人々を感動させる価値は、一つではありません。

芸術家が個性を発揮して、色々な形態で人々を感動させることは、
名画が沢山あることを考えればご納得頂けると思います。



この技術と価値が並存していることは、

例えば、
法律学や歴史学にも言えます。


法律的なスキル(技術)や歴史的な知識は、
積み重ねることは出来ますが、


例えば、
訴訟でどちらを勝たせば良いのかという、
比較衡量による価値判断や、


ある歴史の意味についての価値の判断は、
積み重ねのできないものなのであり、

人によって見解が異なりうるものなのです。



また、蛇足ですが、
ホームページにも書きましたように、


競争というものが、
人間にとってどれほど過酷なもので、辛いものかを

お考え頂ければと願っています。


何故、

世界中で、一部のヨーロッパ人と日本人だけが、
競争に耐えるエートスを持っていたのか、が、

私の一番の疑問であり、これからの研究テーマです。


ところが、
これをどうやって切り込んだらよいのか、方法論が見つからず、

犬も歩けば棒に当たるだろうと、
とりあえず現在はキリスト教関連の本を読んでいます。




ご指摘の中国は、
近年まで、繰り返しの歴史だと考えています。


注意すべきは、積み重ねの歴史は、

繰り返しの歴史に属する人々も、非人間的な積み重ねの歴史が、
否応なしに巻き込んでしまうという、残虐な凶暴性が存在していることです。



もし、巻き込まれるのを拒否したり、参加し損ねると、
置いてきぼりを食ってしまって、貧困にあえがねばならないのです。


よりよい生活、より便利な生活をしたければ、
自分たちの歴史を積み重ねの歴史に切り替えなければならないのです。



本質的には 繰り返しの歴史だった中国が、
積み重ねの歴史、具体的には、資本主義競争社会に参加しました。


今までの所、順調に推移してきた一つの要因は、
地力(独力)だけでテイクオフするのではなく、


日本の物心面での援助(資金援助、技術援助)があったことが
大きいのだろうと思います。



このまま、参加し続けて、それなりの地位を保っていくのか、
脱落はしないけど、競争について行けず後塵を拝するのか、

それとも、
脱落して元の繰り返しの歴史に戻ってしまうのか、

今後の推移を見るべきだろうと思っています。


私は、
旅ネズミと同じように、
一度競争社会が始まったら、後戻りすることははないと考えていますので、
どれだけの力が中国人にあるのかを注目しています。



今後の人類の歴史における懸案 は、
競争社会に入りたくとも入れない人々、国々を、
どのようにケアーしていくかと言うことだろうと思っています。


例えば、

トルコは、20世紀初めに積み重ねの歴史に参画しようとしましたが、
うまくいっていません。



これは、
中国と違って、日本のような側面援助する国がなかったから、
地力(独力)だけでは力不足で、やっていけないことを示していると思います。


韓国や台湾が、いち早くテイクオフ出来たのも、


第二次大戦前の日本の統治により、
教育、インフラなどの条件整備されていたこと
 と、

例えば
日韓条約締結時の
、当時の韓国の国家予算の2倍以上の
日本から韓国への賠償・援助が、
大きな要因(発射台)となっていると思います。


ですから、
韓国、台湾、中国など援助して、テイクオフさせた経験を踏まえて、
他の国々のテイクオフに資する援助を、どれだけ、どのようにするのかが、
今後の日本の大きな課題だろうと考えています。



とりあえずは、近間のアジア諸国でしょうが

イスラム世界やアフリカ、東欧、地中海諸国、
更には、地球の裏側の中南米にも、

視野を広げるべきでしょう。




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2008年3月 8日 (土)

「新しい社会」での カーの「進歩史観」

カー は、
「新しい社会」の最後で、彼の「進歩史観」を、要約して記述しています。

カーの「進歩史観」は、
「歴史とは何か」でも、記述されていますが、

「新しい社会」の記述の方が、まとまっているのと、
「新しい社会」は、現在入手が困難だと思いますので、
抜書きしてご紹介させていただきます。


          **********


私(カー)は、
決して「19世紀風の意味での進歩」を信じているのではありません。


私(カー)は、
「科学の法則」に似た「歴史の法則」があって、

社会現象はこれに従って、絶えず一定の規則的過程 を 通じて、
一層高い条件へ進んで行く

(また、法則に従って、
 順次に 或いは 絶えず 交代に 前進したり、没落したり)

など と、考えているのではないのです。

同様に、私(カー)は、
歴史の過程を通じて、「神の摂理」が働き、
人間の善行を賞し、その罪を罰する とも、信じていません。

私(カー)は、
何か、進歩の「客観的定義」を提供するとも、申しますまい。

「進歩」とは、
文字通り「進んでいくこと」です。 

人間にとって、信ずるに値し、努力に値すると思われる「目的」に向かって、
意識的に進んでいくことです。

これ等の目的や、
それによって刺激される活動 には、

人間のあらゆる目的や活動と同じく、
「善」と「悪」とが、色々な割合 で 相混じっています。

或る「グループ」乃至「時代」の 目的や活動 は、
「同時代」の人々 乃至 「次の時代」の人々によって、
淘汰され、テストされ、受け容れられ、斥けられます。

しかし、
人間の「善」が、「悪」に対抗する力 を 持っていて、

単に 船を浮かせて 航海させるだけでなく、
「ゴール」或いは「使命」という 気持ちを吹き込むと、
信ずるのでなければ、

(この信仰が、
 或る宗教 や 非宗教的信念によって 支持される と 否とに 関 しません)

疑いもなく、
「進歩」ということは、「無意味」であります。


確かに、
「進歩の仮説」がなければ、「歴史」はありません。

人間が、歴史に現れるのは、
過去があること気づいたときであり、

過去の業績を、
未来の業績の出発点として意識的に利用するときであります


「非歴史的民族」とは、
「理想」のない民族であり、
前方を見ないが故に、「過去」を見ない民族なのです。

「未来」への信仰こそ、
「過去」への有意義な関心の一つの条件なのです。

しかし、
進歩の「内容」を規定せよ、と求められたら、

私(カー)は、「自由」という、
使い古された言葉へ立ち戻らねばなりません。


また、
若し、現在、私達が進もうとする「ゴール」を規定せよ、と求められたら、

私は、
近代の偉大な業績であった「少数者のための自由」に対立させて、
「万人のための自由」乃至「多数者のための自由」
を、挙げねばなりません。


この「自由」を規定せよ、と、求められたら、

私(カー)は、
ペルジャーイェフの定義 「創造的活動のための機会」
に、すぐるものはないと思います。

この定義の中には、
「必然性の承認」というような
古い、いやに消極的な定義も含まれています。

といいますのは、
「創造的活動」は、それが 追及されるときの 条件の理解 を
含んでいるからです。


「政治」の世界は、「歴史」の世界であります。
(今日、政治的でないものがありましょうか。)

歴史が示す「条件」や、「可能性の知識」を 抜きにして、
「価値ある政治活動」を、行うことは出来ません。


「歴史」がなければ、「自由」はありませんし、
逆に、
「自由」がなければ、「歴史」はないのです。


この講演で、私(カー)は、

 過去 と 未来
 客観性と主観性
 決定 と 自由

この両者の「相互作用の過程」を、示そうと試みてまいりました。

これ等は、
「歴史」の本質的要素、
「自由」の本質的要素
と、思います。


また、私(カー)は、
そこから引き出し得るものは、

科学者 に 期待するような「絶対不変」の判断ではなく、
歴史 及び 政治の研究に属する「批判的洞察」であること
を、示そうと試みてまいりました。

そして、この「批判的洞察」は、
絶えず、他の人々の洞察に修正を加えようとするものでありますが、

また、
それ自身、耐えざる批判と修正とに服するものであります。


歴史における唯一の絶対者は、「変化」であります。

今日、私達の眼前で絶えず「変化」を遂げていく世界、
そういう世界に、私達が住んでいることは、誰も疑いはないでしょう。

  (出所;カー「新しい社会」171㌻~173㌻)


          **********


以上が、
カー の「進歩史観」の抜書きですが、
幾つか、感想を述べさせていただきます。


1.カーも、やはり「ヘーゲルの徒」であるなとの印象が否めません。

  ヘーゲルの「歴史哲学講義」で、述べさせていただいたように、
  「ゴール」のある「進歩」 との 「テーゼ」は、矛盾しているのです。


  (注) 矛盾している理由については、「歴史学講義 上、下」をご参照ください。
      http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_ed14.html

  また、
  「自由」は、カーが本書で述べているように、

  A自由 を 実現する為には、
  B自由 を 抑制せざるをえないものであり、

  「全ての自由」の実現は、
  永久に実現しないもの、ありえないものなのです。

  更には、
  「万人のための自由」
  「多数者のための自由」は、

  カーの生きている時代に現れた20世紀的な、
  即ち
  「特定の時代」の「一時的な」目標であり、

  「少数者のための自由」が、
  19世紀には持っていた価値が、20世紀には喪失したことと
  同じことが、理屈上は 将来起こりえますので、

  歴史を通じた「普遍的な目標」とはいえないのです。


  カーは、マルクスを
  「弁証法がもはや作用しない「階級なき社会」と言う「絶対的な目標」を設定する。」
  と、批判していますが、

  カー自身が、「進歩史観」で、
  歴史の名を借りた「政治目標」「ユートピア」 を、表明しているのだろう
  と、感じます。

   「危機の二十年」
   http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_0938.html


  「政治」というものは、
  「目的」たる「旗」を立てて、それの実現に努力するものであり、

  カーが、
  「政治の世界」は「歴史の世界」であるといっているのは、
  いみじくもそのことを告白しているような気がします。

  カーが、「危機の二十年」で、
    こうなると、
    ユートピアニズムが、リアリズムの城塞に侵入してゆくことになる。

    そして、
    ある「有限の目標」に向かって「連続しているー無限ではないー過程」を
    心に描くことが、
    政治思考の一条件であることが分ってくる。

  と、記述している通りだと思います。

     (出所;カー「危機の二十年」174㌻)


2.「進歩の仮説がなければ、歴史はありません。」以下の記述で、
  歴史的民族と非歴史的民族を分けているのも、ヘーゲル的であり、

  カーが、
  ヨーロッパの歴史しか念頭においていない現われだろうと思います。

  この辺の点については、
  ホームページの「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」で
  述べさせていただいていますので、ご参照いただければ幸いです。

    「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」
    http://chuuseishi.la.coocan.jp/070717.htm


          **********


2月以来、カーの本を何冊か読んできて、

カーの史観について、
私なりの感じがつかめて一段落したような気がしています。

カーを研究するには、
更に カーの歴史記述を 読むべきだと思いますが、

カー研究を目指して、カーの本を読んだわけではありませんので、

カーについては、ひとまず終わりにして、
私の興味の順位に従って、
カー以外の方の本を読んでみようと考えています。

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2008年3月 7日 (金)

「新しい社会」

E.H.カー著
「新しい社会」(岩波新書)


          **********


本書は、
1951年5月~6月に カーがBBC放送で講演した内容を本にしたものです。

内容的には、
10年後にケンブリッジ大学で講演した
「歴史とは何か」と対(つい)になる本で、

ヘーゲルの「歴史哲学講義」流の構成に例えると、

 「歴史とは何か」が、総論 で、
 「新しい社会」  が、各論

との感じがしています。


本書は、

フランス革命以降 ブルジョアが担った「資本主義」が、

20世紀になり、
大衆民主主義の「新しい社会」に移り変わっていく事情 を 説明しています。

歴史哲学や、フランス革命以降19世紀の歴史の大きな流れに
興味をもたれておられる方には、是非ともお勧めしたい本です。


カーは、

「民主主義を存続させるには、
 この一つのコース・・・社会主義的計画経済・・・しかない(60㌻)」
と、記述していますので、


私などは、
すぐに「ソヴィエト・ロシアの社会主義」を思い浮かべてしまいますが、

カーの考えている「新しい社会」は、
「社会民主的な福祉国家」とでもいうべき社会です。


カーは、
外交官として約20年間携わった経験から、

国際政治学(国際関係論)やロシアに興味を持ち、

戦後
1917年から1929年までの詳細な「ソビエト・ロシア史」を記述しました。

また、
ヘーゲルやマルクスの哲学をよく研究していますが、

その拠って立つスタンスは、
本質的には、マルクス主義者でも、社会主義者でもなかったのです。


ですから、
訳者の清水幾太郎さんが、

「新しい社会は、言うまでもなく、社会主義社会です」
と、言い切っておられることに、躊躇を感じます。


カーが、本書を書いてから 約半世紀後に読んでみて、

中世に シャルトルのベルナルドゥス が 述べた
「当代の人たちは、偉大な過去の巨人の肩に乗る小人」

との言葉 を 思い出しました。


例えば、

先ほどご紹介したように
「民主主義を存続させるには、

 この一つのコース・・・社会主義的計画経済・・・しかない(60㌻)」
と、記述していますが、

現実には、
資本主義は生き残り、
社会主義は敗退したので、

カーの見通しは外れてしまいました。


これは、
アメリカを中心とする資本主義国が、

各人の自由に経済活動を実現しつつ、
弊害をミニマイズした社会を目指して努力してきたからであり、

ソ連の社会主義は、カーも記述しているように、

 支配階級がすぐ生まれて、平等な社会などはありえないとか、
 権力者は堕落するとか、
 計画に従えばよいとなると、国民の自発性を奪ってしまうことになるとか、

根本のとことで、
人間性に対する間違った洞察に基づいていたのだろうと思います。


また、カーは、

19世紀には、
失業すれば飢餓に苦しむことになるという「飢餓の鞭」により、
プロレタリアートの労働意欲を維持してきたが、

「福祉国家」では、
満たされた労働者の労働意欲をどうやって維持するかが、問題である、

と、心配しています。


これは、もっともな心配で、

東側陣営が、
西側陣営に敗北し崩壊した 大きな要因であろうと思われます。


西ヨーロッパでは、
資本主義の弊害をミニマイズしながら、競争を維持しましたので、

会社が倒産して苦労するのは避けたい との モチベーション が 働いて、
労働者の労働意欲が喪失するどころか、高められたのでした。


本書の最後に、
カーの「進歩史観」について、要約していました。


ちょっと長い抜書きになりますので、
稿を改めて、ご紹介させていただきますので、
そちらもご参照いただければ幸いです。

  「新しい社会」での カーの「進歩史観」
  http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_567d.html



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2008年3月 2日 (日)

「ナショナリズムの発展」

E.H.カー著
「ナショナリズムの発展」(みすず書房)


           

          **********



1945年第2次大戦終了後に、

これからの国際関係のポイントを論じた本で、
カーの 歴史を透徹した記述 に、感服しました。


本書 は、

前半で、
ナショナリズムの歴史 を述べた後、

後半で、
第2次大戦後の国際関係は、

民族的色彩の希薄な アメリカ、イギリス(連邦)、ソ連 の 三大国(3極)が、
国際的安全のイニシアティヴをとり、

「社会正義」という共同の理想が統一的な目的となるのであろう
と、予測しています。


また、

ナショナリズムは、終焉したが、

すぐに世界機構に移行せず、
中間的な政治単位により、国際政治、国際関係が、担われる


と、分析しています。


このように 本書 は、

ナショナリズムの時代が終わったあとの国際政治のポイント
を、記述していますので、

英文の題名 「Nationalism and After」 を、
「ナショナリズムの発展」と訳されたのは、不適当であり、誤解をもたらす訳だ
と、感じています。



私が驚嘆するのは、

ヨーロッパが再生するには、EUの実現が不可欠である

と、本書の最後で 見通している点 です。


多分、
冷戦が始まる前の 第2次大戦終了直後の時点で、
このような分析をなしえた人はいないだろう と、思われますので、

その部分を、「抜書き」してご紹介させていただきます。



西ヨーロッパ諸国の状態 は、イギリスよりも深刻であり、
ある点では、まさしく悲劇的である。


第一に、

西ヨーロッパは、
世界が今や抜け出そうとしている「民族的な時代」を生み出した地域である。

西ヨーロッパは、
軍事的、経済的土台が、取り返しのつかぬまでに壊された基礎の上に、

各独立国が、
おのおのの伝統に頑強にしがみついているところの基礎の上に、
組織されている。


第二に、

西ヨーロッパは、

たとえ、生命力 を 新たにし、
かって 栄光に輝いたが、今では、新しい生成を押さえつけている
「伝統の束縛」 から 脱れえたとしても、

西ヨーロッパを、
「半球」または「広域」時代 の 他民族文明の列に 加えるに必要な
「指導力と力」の 焦点は、やはり存在しない。


   ・・・・・・・・・・・・


ヨーロッパの運命に、もっとも影響を及ぼしうる
2つの ヨーロッパの国 -- ロシア と イギリス -- が、
東と西の両極に位しながら、

(ロシアとイギリス の) いずれも、
全的 または 一義的には、ヨーロッパの国ではない
ということである。


従って、
見通しは、いまだに暗く 不安定である。


分散されたヨーロッパが、

過去の「民族的憎悪と衝突」を越えて、
内部から「新しい統一的指導力」を吹き上げ、

それが

イギリスからも、
ロシアからも、

独立して 立場を発展し、保持することを、可能にすることも、
あるいは考えられよう



しかし、
そのような展望は、いまだに地平線上に現れていない。


これが、実現しないならば、

ヨーロッパ諸国は、

ロシア 及び イギリス とのますます密接な関係の中に、
引き込まれていくのを免れないだろうと思われる
。 


ロシアと東ヨーロッパ諸国の間には、
そのような結びつきの徴候 が、すでに存在している。 

その自然な帰結は、

イギリスと西ヨーロッパ諸国の間の
西方の伝統に適った言葉で言うならば、

より緊密な連携 なのであろう。


そのような連繋は、

狭義の政治的なものよりは、
軍事的、経済的なものとなり、

共通の利害を、強固な基礎とする であろう。

同一の安全保障問題が、全地域にとって共通なのである。


また、
西ヨーロッパ諸国の多くは、

 国際収支の混乱、
 外国貿易への高度の依存、及び
 輸入原料を使用する工業の発展から生ずる経済再調整

という、同じ問題に直面している。


社会正義に対する同一の挑戦に、

全ての国が、
立ち向かい、また、それを受け入れるであろう。


そうして、各国は、

ソヴィエト の 国家独占イデオロギー とも、
アメリカ の 無制限競争イデオロギー とも

異なる原則に立った解答 を見出そうとする
同一の欲求 により 結ばれるであろう。



   ・・・・・・・・・・・・


合同軍事組織 と、同様に、
共通の経済計画 によってのみ、

イギリスを含む 西ヨーロッパ は、
統一された力と信頼感を持って、将来に直面することが出来るであろう。

古い伝統の持つ 矜持と偏見 が、

過去の再び帰らないのを信じようとしない人々 の 固有の保守主義
と、同様に、

そのような進路 を 阻んでいる。


しかし、
ヨーロッパ と 世界 は、
ナショナリズムの時代の残した余波の中で、その均衡を取り戻すには、

「古い伝統」を捨て、
「新しい伝統」を 創造せねばならないのである。


   (出所;カー「ナショナリズムの発展」105㌻~107㌻)



上記の文章で、

イギリスを、
アメリカ合衆国と読み替えた方が、良いのだろうと思います。


カーは、イギリス人ですので、
リアリストといっても、さすがに自分の国への愛国心から、

イギリスは、
従来通りアメリカやソ連と対等であって欲しい
と、願っていたのでしょう。

(略しましたが、カーは、ご紹介した上記の文章の前に、
 今後のイギリスのあるべき方策について記述してます。)



今から歴史を振り返ってみると、

ヨーロッパ人は、
カーが、「西ヨーロッパが再生するには、これしかない」
と、記述したとおりのことを、成し遂げたのでした。


第2次大戦直後に喝破した カーも 見事ですし、
実際にそれを実現したヨーロッパ人も たいしたものだ
と、感心しています。


日本も、
立派に復興したと 自他共に自負していますが、

ヨーロッパも、負けず劣らず
1000年以上にわたって積み重ね、蓄えてきた力を発揮して、
この歴史的偉業をよくまあ実現したものだと感心しています。



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2008年2月28日 (木)

「危機の二十年」

E.H.カー著
「危機の二十年」(岩波文庫)



          **********



カーの伝記「誠実という悪徳」で、

「地域共同体について最後の少し言及し、
 それに関して、
 第二次大戦後「ナショナリズムの発展」で、さらに詳しく述べている」

と、読みましたので、読んでみました。


この本で、私がこの本で知りたかったのは、

① カーの進歩史観の所以 と、
② 地域共同体についてカーがどのように考えていたかです。


「第一次大戦から 第二次大戦の間 の 20年間について書いている」
とのことでしたので、

「カーは、歴史家だから 当然 歴史書だろ」
と、思い込んでいたものですので、読んでみて ビックリしました。


この本は、
第二次大戦の直前に書かれた「国際政治学、国際関係論の教科書」
ともいうべき本です。


考えてみれば、

カーは大学を出てから約20年間外交官でしたので、
国際関係論の本を著述するのは、当然のことでした。

多分 カーは、
国際関係論の創始者の一人だろうと思います。


そういう訳で、
期待した歴史書ではなく、
大学時代の教科書みたいな本を読む羽目になって、
勉強嫌いの生地が出てしまい、

少し読んでは中断して 放置する連続で、
大変な時間がかかってしまいました。


書いてある内容は、
私には、
現在では、当たり前のこと、常識的なことだな、
と、思われることですが、

国際政治学の基本的な視点を記述している教科書として、
現在でも十分通用する本だと思います。


多分、
国際関係論を勉強しようとする方には
必読の本だと位置づけられているのだろうな、
と、感じました。


国際政治は、
軍事力だけではない広い意味の「力」と「道義」の両方が組み合わされている
というのが、

カーの論理の原点ですが、

ここでは、
本書を要約するのではなく、

私が面白いと思った点を、幾つか抜書きしてご紹介させていただきます。



          **********



1.ヘーゲルとマルクスについて

  カーは、

  国際政治へのアプローチは、
  ユートピアン と リアリスト の 2つの立場がある と、論じていますが、

  首尾一貫徹底してリアリストであることは不可能であるとして、
  ヘーゲルやマルクスを例示しています。


  言い換えると、
  ヘーゲルやマルクスの論理矛盾を、次のように指摘しています。


  一貫したリアリズムは、

  実質的な政治思考 の 本質的な構成要素 であると思われる
  4つの事柄 を 考慮に入れていない。

  < 政治思考 の 本質的な 4つの構成要素 >

    限定された目標
    心情的な訴え

    道徳的判断の権利
    行為の為の根拠


  「政治」を、「無限の過程」として考えることは、

  結局において、
  「人間の心に合わない」か、あるいは、「分らない」ことであろう。

  同時代の人に訴えようとする政治の考察者は、
  いずれも意識するとしないを問わず、「有限の目標」を置くことになる。・・・


  (リアリストの)マルクスは、
  人間の 思惟と行動 とを、弁証法の相対主義 に 溶け込ましてしまって、

  弁証法がもはや作用しない
  「階級なき社会」 という 「絶対的な目標」を 設定する。

  これは、
  全くヴィクトリア朝風に 全世界がその方向に動いていると、
  マルクスが信じた 遥か彼方の事態であった。


  このうように、リアリストは、
  ついには、自らの「根本原理」を否定して、
  歴史的過程の外に、「究極の現実」を想定する。


  エンゲルスは、
  ヘーゲルに対して この非難を向けた 最初の一人 であったのであり、

  「ヘーゲルの体系の独断的な内容全体は、
  「絶対の真理だ」と宣言されることで、

  それは、
  あらゆる教条的なものを解消していくはずの 彼の弁証法的方法 と
  全く矛盾することになる」と、述べている。


  しかし、マルクスが、

  プロレタリアートの勝利において、
  弁証法的唯物論の過程に終止符を打つとき、
  全く同一の批判に自らをさらすことにならざるを得なかった。


  こうなると、
  ユートピアニズムが、リアリズムの城塞に侵入してゆくことになる。

  そして、
  ある「有限の目標」に向かって「連続しているー無限ではないー過程」を
  心に描くことが、政治思考の一条件であることが分ってくる。


   (出所;カー「危機の二十年」174㌻)



2.国際共同体、世界共同体


  カーは、
  国際共同体の成立の難しさについて、次のように述べています。

  現在、EUが 現実のもの と なっていますが、
  EUを考える際にも、非常に参考となる切り口だろう と 思います。


  諸国家をその構成単位とする
   「世界的規模の共同体(コミュニティ)」が存在する、
  という 一般的な考えが、実際にあるのであり、

  諸国家の道義的義務の観念は、この考えと密接に結ばれている。


  あたかも「世界共同体」というものが存在するかのように、
  人々は語り、

  一定限度では、そのように考えて行動する為に、
  「世界共同体」が存在するのである。・・・


  他面、

  このよう措定された「世界共同体」が、
  国家を含めて、より規模の小さい諸共同体をまとめて統合している
  と、考えることは、
  危険な幻想ということになろう。


  我々が、「世界共同体」というものについて、
  それがこのような統合の基準となるほど 十全のものでない面 を 検討するなら、

  我々は、国際道義について、
  それが十全のものとされない 根本的理由 を 知る鍵 を 見出すことになろう。


  「世界共同体」は、
  主として、2つの面において十全とは言えない。

  ① 共同体の構成者間に、
    「平等の原則」が適用されていないのであり、

    実際にこの原則は、
    「世界共同体」において適用が容易ではない。


  ②  「全体の福利」が、
    「部分の福利(加盟国の個々の福利)」 に 優先する原則が、
    十分によく「統合された共同体」 の必要条件であるが、

    これが、
    一般に「認められない」のが実情である。


     (出所;カー「危機の二十年」296㌻)



3.カー は、

  「今後の国際関係の目指すべきポイント」について、
  次のように述べています。


  平等に対する要求は、次のように推移した。

  フランス革命 ; 個人間の平等
  19世紀    ; 社会的集団(社会的階級)間の平等
  第1次大戦後 ; 国家間の平等


  マルクスが、

  孤立した「個人」は、
  人間の権利や平等の為の戦いにおいて、実際的な単位でありえない、
  としたのは正しかったが、

  「究極の単位」は、

  「社会階級」であると考えて、
  国家的単位の結合性と包括性を無視したのは誤っていた。・・・


  20世紀には、

  「国家」が、
  平等や支配に対する人間の野望が集中される「最高の単位」となった。

  世界的動乱となる脅威を与えた不平等は、

  「個人」間の不平等ではなく、
  「階級」間の不平等でもなく、

  「国家」間の不平等だった。・・・


  今日の我々は、「国家」を、
  人間社会の「究極のグループ・ユニット」として取り扱う という
  「誤謬」を犯すことはない。

  我々は、「国家」が、

  政治的力の焦点として「果たして 役立つ単位」か、
  そのような単位として「最善のものか、最悪のものか」、

  それらのことを 論議するのに ためらうことはない。


  しかし、いずれにせよ、

  「何故そうなのか」、
  「何が「国家」に取って代わることになりそうか」、
  などについて

  我々は設問しておかなければならない。



  この主題を熟考してゆくと、自然に 二つの問い方 になってゆく。


  ① 世界における

    政治的な力の もっとも広範で、もっとも包括的な「諸単位」は、
    どうしても「領土的性質のもの」であるのか?


  ②  もしそうであるなら、それらの単位として、

    現在の「国民国家」の形態を 先ず選ぶことになり、
    それを保持してゆくのか?


  「現在」は、
  明らかに領土的形態をとってはいる。

  これを到達点として、
  「過去の歴史」は、その目標に向かって徐々に進展してきた
  と、読まれがちである。


  そして、政治権力は、

  もっとも原始的な社会においてさえ、
  領土の保有と全く分離されたものではなかった。


  だが、
  「中世期以前の歴史上多くの時代」において、

  力は、領土主権以外の地盤の上に、
  見かけはーそして、一部は実際的にもー基礎づけられてきた。・・・


  「近代史の前期」には、

  国境は、
  今日ほどに厳密に限界を画定されておらず、

  それらの性質も、
  今日のように無常に強制される障壁としてのものではなかった。


  すでに述べたように、

  何らかの「国際的な権力形態」を組織し、維持することが、
  今日ほど明らかに不可能だと思われる時代はなかったのである。


  現代の「軍事的及び経済的技術」が、
  「権力」と「領土」とを 熔接して 分かつことを出来なくしたと思われる。


  「政治的力」が、

  「領土」ではなくて、

  「人種」ないし「信条」あるいは「階級」を 基礎として 組織化されるような世界 
  を、想像することすら、現代人にとっては難しい。

  しかし、
  「現在の政治単位の境界線を超えたイデオロギー」への訴えが、
  持続的に行われていることを無視することは出来ない。


  歴史上「永続するもの」は、殆どないのである。

  そして、
  力の領土的単位が、その少ないものの一つであるとするのは軽率であろう。


  しかし、
  これを捨てて、何か他の形態の組織された集団の力を取り上げるのは、
  あまりに革命的である。


  そうだとすると、

  現時期における国際政治に当てはめて、
  その新体制に適用されるものは殆どないことになる。

  国際関係は、
  新しい構成の集団関係によって、取って代わられることになるのであろう。

   ・・・・・・・・・

  一つの方向には、
  「統合」への明らかに目立つ趨勢があり、

  そこには、
  「絶えず拡大」する「政治的 及び 経済的な単位」の形成が見られる。

  この趨勢は、
  19世紀の後期に起こり、

  情報組織 及び 力の技術的手段の進歩につれて、
  大規模な資本主義 及び 産業主義の発達とともに、
  緊密な関連を持っているようである。

  第一次世界大戦は、この展開をはっきりと浮彫りにした。


  (第一次大戦後も)
  集中化の過程は、なお続いた。

  自立経済が目標 と 見做されることが 強くなるほど、
  それだけ単位は 大きくならなければならなかった。


  アメリカ合衆国は、アメリカ大陸

  イギリスは、スターリング・ブロック

  ドイツは、
  中欧を再構成して、バルカンに圧力をかけ

  ソヴィエト・ロシアは、
  広大な領土を拓いて、工業、農業生産のしきしまった単位に発展

  日本は、
  自国の支配下に、「東亜」の新しい単位 を 作り出そうと試みた


  これらの事態は、

  6 ないし 7つの 高度に組織化された単位 への
  政治力 及び 経済力 の 集中化 と、いうことで、

  それらの単位の周囲には、
  自らはこれというほどの独立の動きをしない 衛星的諸単位が
  取り巻いて廻っていたのである。


  この趨勢にたいして、
  他方では、次のような兆候が現れていた。

  過去百年間における、技術的、工業的 及び 経済的発達が、
  実力のある「政治単位」の大きさを、ますます増大してゆくことを求めていたが、

  大きさにも 「規格」というものがあり、
  それ以上大きくなれば、分解せざるを得ない「限度」というものがあり、
  それらのことを実証する諸徴候があげられる。


  しかし、
  そのような規格にかかわる法則が、何か働くとしても、
  それを正確に定式化することは不可能である。

  この問題は、
  恐らくいかなるほかの問題よりも、
  次の2、3世代にあたる世界史のコースを決定するものである
  と、思われる。


   (出所;カー「危機の二十年」410㌻~416㌻)



戦前のブロック経済を、

帝国主義的な現象面からの観点だけではなく、

技術の進歩による経済単位、経済圏の拡大であるとの
歴史の視点からの 本質をついた分析は、

カーの秀でた才能を示した卓見だと思います。


このような視点を有していたので、戦前において いち早く、

「地域共同体への歩み」 を、
確信もって指摘することが出来たのだろうと思います。
カーは、

ご紹介した文章に続いて、次の文章を記述して本書を終えています。


  この革命の革新は、
  政策の試金石 としての 経済的な実質利益 の 放棄 にある。

  「雇用」のほうが、「利益」よりも重視され、
  「社会的安定」が、「消費」の増大よりも、

  そして、
  「平等な分配」が、「最大生産量」よりも、

  それぞれ重要なものとされることになる。


  国際的には、
  この革命は、ある種の諸問題を複雑にするが、
  他の諸問題の解決 を、助けることになる。

  力が、
  国際関係 を 全面的に支配する限り、

  軍事的必要に、他のあらゆる利益が従属することになり、

  それが、危機を激化され、
  そして、
  戦争そのものの全体主義的性格の前触れとなる。


  しかし、
  力の問題が解決され、道義がその役割を回復すると、
  情勢に希望が現れる。

  「経済的利益」が、
  「社会的目的」に「従属」することの 率直な容認 と、

  「経済的に良いこと」が、
  必ずしも「道義的によいこと」ではないという認識とが、

  国家的分野から国際的分野にまで拡がってゆかなければならない。


  国家経済 から、
  「利潤追求の動機」を除去していく傾向は、

  その除去の一部を、
  対外政策からも行われることを 容易にするはずである。


  政治的理由から
  「非生産的な産業」を 助成すること、

  経済政策の一目的としての「利潤最大化」に代えて、
  妥当な「雇用水準」を確保しようとすること、

  「社会的目的」のために、
  「経済的利益」を犠牲にする必要を認識することなど、

  これらのことが、
  実際に行われるようになればなるほど、

  ますます これらの「社会的目的」が、
  国境によって限界を画され、制約さえ得ないことが、
  誰にもよく理解されることになろう。


  これもまた、一つのユートピアではある。

  しかし、

  それは、「世界連邦」の未来像とか、
  より完璧な「国際連盟」というような青写真よりも、
  近年の「進歩」の線に、よりよく沿っているのである。


  そのような「連邦」とか「連盟」などという
   高雅な「上部構造」を考えるのは、

  まず、
  それを「構築する地盤」を掘り進めて 調べ上げるまで
  待たなければならないことである。


   (出所;カー「危機の二十年」429㌻~431㌻)




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2008年2月21日 (木)

「誠実という悪徳」

ジョナサン・ハスラム著
「誠実という悪徳」(現代思潮新社)




          **********



六本木の本屋さんで、この本を見つけました。

「誠実と言う悪徳」との題名を見て、
ヘーゲルのことを言っているのかなと思って見たら、

E.H.カーの評伝だと知り、ちょっと意外な感じがしました。

   E.H.カー 生没年 1892年6月28日~1982年11月4日 享年 90歳



E.H.カーの「歴史とは何か」を読んだ際に、

① ギリシア学者であったカーが、何故ソ連の研究者になったのか、

  即ち
  ギリシアとソ連とどのような関連があったのか、

ということと、

② カーの進歩史観のよって来るものは何か、の

2つの点 に 興味を持ったのが、伝記を読む気になった理由です。


先ず、
カーは、ランケと同様に、
高校、大学で ギリシア語を専攻したのでした。

非常に優秀な学生で、
何にもなかったら、そのまま大学に残って
ギリシアの研究者の道を歩んだのでしょうが、

第一次大戦が勃発した事と、
大学で闘病生活をしたため、兵役に就けなかったので、

卒業後 外務省の臨時職員となったのです。


外務省では、ロシア担当となり、
すぐに、ロシア専門家として頭角を現して、
パリ講和会議にも 随員として参加しています。


私は、
「歴史とは何か」を読んだときには、

カーの興味が、
ヘーゲル→マルクス→ソ連の順で遍歴したのでは、
と、想像していたのですが、

実際は、
戦争が勃発したので 腰掛で入った外務省で、
たまたま担当したのがソ連だったのが、
ソ連研究者になった経緯だったのです。


その後、
約20年間 臨時職員のまま 外務省に勤務した後に 学者になり、

戦後に、
30年かけて膨大な「ソビエト・ロシア史」を叙述したのですが、

マルキストでない客観的な視点からのロシア革命の詳述 が、
今でも高く評価される所以であろうと思います。


カーの ロシア革命の評価 は、
次の友人宛の手紙 で 要約されると思われます。

「自分は、物質的な豊かさに恵まれているのに、

 それをもたない人々が、物質的な安定を要求すると、
 それを卑しめ見下す人がいます。

 貧しい人々が、
 物質的安定を獲得するための戦いに加わると、

 それを犯罪だと、いとも簡単に言って 非難する人がいます。


 私は、
 そのような人を見ると、いらいらしてきます。

 私は、
 ロシア革命の成果が、単に物質的なものだとは考えていません。

 五十年前、
 人口の80%が読み書きできない農民だった国が、

 今や、
 他のどの国にも負けないほどの高い教育率を保っています。

 現在、
 多くの科学分野で最前線にあり、
 他のどの先進国にも負けないほどの複雑で高度な国家組織を
 作り上げ、運営しています。

 現在、
 五千万人いるホワイトカラーの 父親と祖父は、かっては貧農であり、
 その曽祖父は、農奴であった事実 を、あなたはどう思いますか。

 これらの事実をすべて帳消しにし、
 我々の持っている長所や洗練さ欠けているから
 という理由で、

 全ては起きるべきではなかった、などということができるでしょうか。

 私にはできません。


 私は、
 私にできる限り多くの事実を、できる限り公平に語るつもりです。

 そして、
 個々の事実について、非難すべきは非難するつもりです。

 しかし、私は、
 これら全ての 歴史的プロセルに対する「告発状を起草する」つもりはありません。

 それは、
 道徳的にも歴史的にも、正しくありません。」


   出所 「誠実と言う悪徳」 359㌻



カーは、上記の考えを実行するために、

1917年から1929年までの詳細な「ソビエト・ロシア史」を
記述したのだろうと思います。


カーの評伝の著者ハスラムの次の記述が、印象に残りました。


「カーは、

 「1914年(カー 22歳)にあるひとつの文明が滅びた。

  そして、
  第一次大戦が残した廃墟さえも破壊しつくしたのが、第二次大戦だった」

 と、書いている。


 彼(カー)は、
 残された人生の時間を、まさにこの代替物を探し求めるのに費やしたのだ。

 そして、
 1980年の終わりまでに、

 なんら実証できないユートピアを捜し求めても、全く無駄である、という事実 と、
 自分自身との折り合いを つけなければならなかったのである。」


   出所 「誠実と言う悪徳」 434㌻



ハスラムは、

残された人生の時間とは、人生の最晩年の1980年頃を言っているのであろう
と、思いますが、

私には、
大学卒業してからのカーの人生全て を 象徴しているような気がしています。

期待していたソ連が、無残に崩壊するのを見ずして亡くなったのが、
せめてもの救いだったのだろうと思います。


カーとソ連との係わり合いは、今回分りましたが、
進歩史観を信じる所以は、良く判りませんでした。

カーの著作を少し読んでみようと思っています。



                

 

 

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