韓国

2021年8月 1日 (日)

ゴールポストを動かしたのはどっち?・・・日韓関係悪化をもたらした両国の歴史の違い

日韓両国の関係が悪化し、
お互いに、相手国が ゴールポストを動かしている
と、非難しあって、

場合によっては
断交もありうるのでは との泥沼に入り込んでいます。


私は、

1.両国ともに、ゴールポストは動かしていない。
2.見解の相違は、
  お互いに、歴史の違いに気が付かず、
  自分の立場から相手を非難しあっているからなのでは?

と、感じています。

日韓両国の悪化を理解するには、
現在の歴史状況を 理解する必要があるのでは?
 
更には、
現在の歴史の大きな潮流の対立の一つの表れでは?

と、感じられますので、
今回、このテーマを取り上げさせていただきました。



     **********



結論から申し上げると、

日韓関係悪化 の 原因 は、
お互いの 異なる歴史によるもの であり、

両国の関係悪化 を 冷却化させる ためには、
しばらくの間 お互いの交流 を 遮断するしかないのでは?

と、考えられます。


お互いの異なる歴史とは、

日本 は、
世界で 最も ピュアな「積み重ねの歴史」の国 であるのに 反して

韓国 は、
典型的な「繰り返しの歴史」の国であることです。

「積み重ねの歴史」とか「繰り返しの歴史」と、
勝手な記述をして申し訳ございません。

でも、この歴史概念について、
最初からご説明するとなると、大変な時間がかかりますので、

恐縮ですが、
過去 の 私の ホームページや 本ブログ の 記述 を ご覧いただくことを願って

ここでは、
簡単に 結論だけ申し上げさせていただきます。


「積み重ねの歴史」とは、
過去の歴史 を 踏まえて、更に 歴史 を 積み重ねる歴史 です。

過去の人が、
工夫を重ねたものを、

自分の代になって、
さらに工夫 を 積み重ねることにより
積み重ねられていく歴史 を 言います。

例えば、
明治になり、日本にパンが輸入されるようになりました。

これを見た木村屋さんが、
パンの中に 日本古来の餡子 を 入れて、アンパンを工夫しました。

更に、
カレーパン、クリームパン、ジャムパンなどの
欧米にはない菓子パンが日本で登場するようになりました。

このような例は、
日本人にとり普通のことで、

新たなものに対した時、そのままそれを使用するのではなく
何かしら工夫、改善できないものかと、思案するのが通常ですが、
世界的にみると、稀有な例なのです。

このように、
与えられたものを、
云われた通り、工夫を加えず繰り返すのではなく、

何らかの工夫を加えて、新たなものを作り出そうとする
気質を持った人々により 作られた歴史 を

「積み重ねの歴史」とみなしています。


これに反して、
「繰り返しの歴史」は、

従来のものを工夫を加えず、
云われた通りしようとする気質の人々の軌跡(歴史)です。

言い換えると
代がわりすると、
過去の経緯 は ご破算にし、無視して無かったことにして、
自分流の方法 で 新たに 進みなおす歴史 なのです。

 
「積み重ねの歴史」の担い手たる気質を持った人々は、
歴史上 世界中で2か所しかいませんでした。

一つは、
ベルギーあたりより、北フランス、イングランド、
時代が下って アメリカに移住し
現在 の WAPSの祖先 の人々であり、
(プロテスタント の アングロサクソン人の白人)

もう一つは、
わが日本人なのです。

ヨーロッパ組の人々は、
近世になり 産業革命により技術力を大幅に発展させ、

その軍事力により
独力で 独立 を 維持した 日本を除いて
世界中 を 植民地化して、世界制覇しました。

(例外は、英仏の勢力圏の間で 緩衝国だった タイです。)

現在においても、
彼らの考え方 が、世界基準となり、

民主主義、基本的人権、法の支配など の価値観 が
世界のルールとなっています。

これに反して、
上記以外の人々は、「繰り返しの歴史」の人々で、
「積み重ねの歴史」の国々の植民地となり支配されて、
服従を強いられてきましたが、

第二次大戦後独立し、
そのチャンピオンである中共を先頭に、

「積み重ねの歴史」の諸国に対して 対峙し、対抗するまでに
なってきました。


中共 を 見るがごとく、
「繰り返しの歴史」の諸国 は、
「積み重ねの歴史」の国のように、新たなものを創造することはできませんが

「積み重ねの歴史」の諸国 が 作り出したもの を 導入して、
現在においては ハッキングなどにより 盗んで、

それらしいものを 作るだけの技術力 を 身に着けてきていて、

彼らなりの知恵 を 巡らして、
「積み重ねの歴史」の諸国 を 乗っ取ろうとするまで に
到ってます。

従って、
従来型の「積み重ねの歴史」の 諸国間の競争 に 加えて、

「繰り返しの歴史」が、
「積み重ねの国」を 乗っ取って、支配権を奪取しようとしていることに
「積み重ねの国」が対抗する 紛争 が 付け加わっているのが、

現在の歴史状況 というべきだ と、理解すべきと考えています。

このように考えると、

2020年のアメリカの大統領選挙は、
「繰り返しの歴史」である ディープステートが、中共 と 同盟 を 締結して、

アメリカ連邦議会 の 民主党のみならず、共和党 を 支配下におさめ


更には、
行政府である ホワイトハウス、各省庁
および
各州政府、アメリカ軍 の 乗っ取り に 成功して
支配権を確立し、

「積み重ねの歴史」である米国の乗っ取りの仕上げとして
米国大統領のポストを取得しようとした一大決戦だった
のであり、

不正選挙により、
トランプ大統領 に 勝利して
見事 当面4年間 の アメリカ の 支配権の奪取 に 成功した戦いだった

と、後世の歴史家に評される事件だった と 思います。

ディープステートから無視された 主権者である アメリカ国民 が

アメリカ国民を 無視した「繰り返しの歴史」のディープステート に対して、
無視された アメリカ国民 が 今後 どのような判断 を 下すのか によって、

 「繰り返しの歴史」であるディープステート が、
アメリカ を 屈服させ、支配することに成功するかどうか、
決まるだろう と 思われますので、

世界史 の 帰趨を決定するであろう 今後のアメリカの動向
とりわけ、
2022年の議会選挙 と 2024年の 大統領選挙 を

注視していかねばならないと考えています。


(注)2020年 の アメリカ大統領選挙 が、
   不正選挙だったと、過激な断定を述べさせていただきました。

いろいろな事実 が 表れ、報道されてる中、
私が、不正選挙だ と 断定するに至った報道 は、

民主党を支援したビックテックの1社が、
社内選挙で
郵送投票 は、不正 が 生じるからとの理由 で 禁止したとの報道です。

この会社は、
大統領選挙では、郵送投票に賛成し、推進していました。

ということは、
郵送投票 で 不正 が 行われることを 知りながら、
郵送投票 を 推進したことになりますので、
不正選挙により 民主党 を 勝たそうとした と、いわざるを得ないし、

民主党 が、郵送投票を推進したということは、
不正選挙により、大統領選挙に勝利して、米国の乗っ取りを図った
と、判断せざるを得ない と、考えられるからです。


話が少し横道にそれて申し訳ございません。

話を 韓国 に 戻して、
韓国の行動 を 「繰り返しの歴史」の観点から ご説明し、
日韓関係悪化の原因 を 述べさせていただきます。

「繰り返しの歴史」の国ででは、
前の王朝 を 打倒、駆逐して 創始した 新たな王朝 は、

前の王朝の事績 を 否定、抹殺し、
自らの正統性 を 国民 に 周知徹底するためのPRに努めています。

「繰り返しの歴史」である 中国歴代王朝が、
王朝 が、創始するたびに 歴史書を作成したのは、

自分たちの王朝 の 正統性 を 誇示し、
前王朝 の 悪逆非道 を PRするために、作成した
と、高校で学んだ記憶があります。

現在 韓国の前王朝 は、朝鮮を併合した 戦前の日本 であり、
韓国 が 全力で反日活動を繰り広げるのは、このためと思われます。

更に、
韓国は、5年ごとに大統領が交代します。

韓国 の 大統領の交代 は、
「繰り返しの国」の王朝においては、王様(皇帝)の交代に相当します。

「繰り返しの歴史」の国でも、
王様の交代 は、通常、親から子供に引き継がれますので、
子供 が 親 を 否定することは、あまりありませんが、

韓国の場合 は、選挙による交代ですので、
王朝の交代と同様、
前大統領の事績 は、後任大統領 の 非難の対象 となり、
全て が なかったもの と、全否定されます。

大統領 が、5年任期 を 終了して 退任した後
起訴され、投獄される理由はここにあります。

後任の大統領の憎悪 や 政治的立場 により、
前大統領 が 死刑判決を受けることもありますが、

しばらくして 恩赦により 下獄して(釈放されて)、

その後は、
国家的な催し の際に
大統領経験者 としての(前官)待遇 を 平気 で 与えるし、

ご本人 も、当然のごとく 受け入れています。

死刑判決 が 出ても、処刑されないで
恩赦により 下獄できるのは、お互い様だからです。

即ち、
前任大統領を 訴追しれ、有罪判決を下させた 対立党出身の後任大統領 が、
5年後 退任した後に 反対の立場 になると、
報復を受けるのが慣例となっていますので、

もし死刑判決を下させた大統領経験者を 本当に 処刑してしまうと、

前大統領を処刑させた大統領も
退任後 死刑判決を下されて 処刑されることになるからです。

自分の命を失うことを避けるため、
エンドレスの決定的な対立(殺し合い)を 避けるため、

対立党の前大統領 を
痛めつけるだけ 痛めつけることはしても、

自分の命 を 失うことになるようなことはしない、
との 功利的な判断 が 背後にある と 考えると、

死刑判決後の恩赦も 納得できるのでは?と考えています。

(恩赦 を 賛成しているのではなく、
 恩赦 が 生じる理由 に あきれながら、事情 は 認識できるといっているだけです。

  理解できる、即ち 同意できる と、申し上げているのでは ないこと を 
 ご理解くださるよう お願いします。)


「繰り返しの歴史」の国である 韓国では、
他人の行ったことは、自分には全く関係がないのです。

ですから、
過去に前任者が何をしようとも、
自分はそれに拘束されずに、自分の判断で、
ことに対処すればよいと考えておられるのです。

ここに、
日本人 が、韓国はゴールポストを動かす と 判断する原因 が あります。

前任者 が、日本 と 約束したことは、
韓国内では、
後任大統領 にとり 全くなかったものと考えられているのです。

ですから、
後任大統領 の 設定するゴールポスト は、
前任大統領 が 設定したゴールポスト と 異なることは
当たり前なのです。

「積み重ねの国」では、
政権党が交代しても、国は継続していますので、

前政権 が 外国と約束したことは、
後任の政権 も 拘束され、引き継がれるもの と 考えられています。

ところが、
韓国 は、この考え方と別の 異なる考え方 を しているのです。

ですから、
一度 国と国とで約束したことは、守るべきだ と、
交渉の席に臨んだ日本 が、

韓国 は、
政権交代 により ゴールポスト を 動かした、
約束を守らない国だ と 断じて
非難しても、

ご当人 の 韓国側 は、

前政権 と 交代したのだから、
自分たちのゴールポスト を 設定するのは当たり前で、

逆に、
誠実に交渉しない 日本 は、
外交儀礼 に 反する けしからない国である

と、なるのです。

東京オリンピック を 機会 に、日本と交渉しよう、
と 韓国が 交渉 を 申し入れたのに、

日本が、誠実に 交渉に応じないで、交渉を拒否するのは
外交儀礼 に 反すして けしからない、と、

韓国が、上から目線で 日本 を 非難していますが、

その根本に、
過去に 締結した 韓国に都合の悪い条約 は、
現政権とは無関係 である との考えが 根底にあることにより 生じているのでしょう。


要するに、
現在の日韓関係の悪化 は、

「積み重ねの国」と「繰り返しの国」では、
ものの考え方 が 全く異なることを 理解せずに、

自分たちの考え方、価値観を 相手も共有している
と、即断したことにより生じた紛争では?
と、思われます。

「積み重ねの歴史の国」である 欧米 および 日本 は、
19世紀以来、圧倒的な軍事力で、世界を植民地化し、
覇権 を 確立して 世界制覇し、

自分たちの価値観 が、
世界の共通ルールだ と 確立した と、考えているのですが、

現在に至って、
「積み重ねの国」のチャンピオンである中共 を 先頭にして、

今まで 屈服、服従 を 余儀なくされてきた
「積み重ねの諸国」が、反撃を開始しているのです。

韓国 は、 親分の 中共の背中から、
何を 言っても、何をしても 許してもらえる
と、なめきった 日本 に 対して、
傍若無人な態度をとるようになったのです。

(アメリカに対しては、
 流石に 日本に対するような傍若無人な態度をとっていません。)

私自身は、
基本的人権の尊重、民主主義、法治主義などの
「積み重ねの歴史の国」が 築いてきた価値観 に 賛同していますが、

日本が有する価値観 と 異なる価値観 を 所有する人々、

自分さえよければ、他人のことなど構わない との考え方 で
物事 に 対処する人々 が 構成している国 が、

19世紀以来の屈服の歴史に対する復讐を開始してきていること
を、冷静に認識すべきだと思います。

先ほど述べたように、
「繰り返しの歴史の国」においては、

政権が交代すれば、
前政権が約束したことは、なかったことになるのです。

例えば、
河野談話の際、これさえ認めてくれれば、
今後一切要求しない との 韓国側の言葉 を 信じたところ、

後の政権から、蒸し返し要求されて、だまされた と、
日本政府が 憤慨した

との報道を、見たことがあります。

約束した韓国の交渉担当者は、
その後、交渉担当者の地位から退いて

日本に対して
2度と 蒸し返しては いないのですから、
云ったこと を 守っている ということになります。

彼らにしたら、
他人である後の政府 が、どう云おうが、どう行動しようが、
約束した当人には 関係ないのです。

また、後の政権にとって、
前任の政権が、約束したことは、
自分の政権とは全く関係のないことなのです。

このように、韓国人 は、

自分以外の他人が 約束したことは、
自分には 関係なく、

自分の都合がよければ、その約束に従うし、
都合が悪ければ、無視すればよい

と、考えていると推定せざるを得ないのです。


ですから、
日本 は、韓国のある政権 と 約束しても、
良いとこ取り されて

韓国側に都合の悪いこと は、
その後の政権 に 引き継がれない と、認識すべきです。

(以上が、慰安婦問題の不可逆的最終解決をひっくり返した
 韓国側の論理だと 推定しています。)


現在の韓国大統領が、
日本に 交渉しよう と 申し入れてますが、

現在の大統領と合意しても、
1年後に退任された後 は、

後任の大統領により
その合意はなかったもの と、白紙に戻され、
新たな交渉を 要求されることになるのです。

そして、その5年後、
大統領 が 交代すれば、
また、最初から交渉を繰り返さなければならないことになります。

ですから、
日本が、一度 譲歩したことは、エンドレス に 譲歩 を繰り返し、
謝罪し続けなければならなくなるのです。

即ち、
韓国側より、

日本の譲歩 は、
私(その時の韓国大統領)以外の第三者(前の韓国大統領)に したものだから、

交渉当事者の私(その時の韓国大統領)に、ちゃんと 譲歩 を し直せ
と、主張されて、

5年ごとに、
譲歩が 繰り返し繰り返し 更新するよう迫られることになるのです。

朴前大統領 の「1000年謝り続けろ」との発言は、
上記のことを意味しているのです。


日本 は、「積み重ねの歴史の国」ですので、
このようなことは、想像を絶することでありますが、

「積み重ねの歴史」自体が、
世界史の中で 特異の存在であり、絶対的な少数派であること を 認識して、
多数を占める「繰り返しの歴史の国」との付き合い方を考えるべきでしょう。


少なくとも、
韓国に対して、ある時 その時点の政権 と 一度約束しても、
次の政権 が、その約束を引き継ぐことが期待できない以上、

日本のマイナスを避けるためには、
何の約束もしない状態(ゼロの状態)を 維持せざるを 得ないのでは?
と、思われます。

即ち、
国交 を 断絶し、何の約束もない状態 に 持ち込んで、
しばらく様子を見るしか、選択肢がないではないでしょうか?



最後に、

韓国が、
「うそつき」と言われるような行動をとるようになった、
歴史的由来についての仮説 を、ご紹介させていただきます。



韓国(朝鮮)は、
数千年の間、支那の属国でした。

ということは、
日本にはなかった奴隷 と 同じ境遇 に
あったのではないでしょうか。

奴隷は、
主人 の 財産 即ち 所有物 であり、
何も所有せず、失うものは命しかありませんから
(その命も、主人のものでした)

後先を考えずに、
その状況から逃れられれば、それでよい
とする境遇に貶められたのでしょう。

ですから、

その場を逃れるためには、ウソをついても構わない

自分を正当化するために、
すぐにばれるウソでも、その場を切り抜けられるなら構わない

との習慣が 身についたのでしょう。

しかも、
ウソだけでなく、

事実でなくとも、その場で 一番都合の良いことを
発言し、行動するように なったのではないでしょうか。





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2020年5月18日 (月)

「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」の 根本的な差異 について・・・日韓両国の 異なる本質について

昨年の米中対立は、
戦争一歩手前の土壇場 に 向かっているような 印象 を 受ける
今日この頃ですが、

以前お話ししたように、
米中対立の本質は、

「積み重ねの歴史の国」が、
世界中 を 植民地制覇したことに対する

「繰り返しの歴史の国」のチャンピオンである
チャイナ が、

「積み重ねの歴史の国」の決勝戦で勝利した
チャンピオンである米国に対して

あるべき地位(盟主の地位)を 回復すべく 挑戦しているのだ
と、考えて、

2つ の 歴史の本質 について、考える毎日を過ごしています。


そうした中で、
本日(2020年5月16日)2チャンネルニュース速報+ナビの記事に

「積み重ねのの歴史」と「繰り返しの歴史」は、
水と油であり、交わることがあり得ない本質であること を

簡潔に明らかにした文章 に 巡り会いましたので、
ご紹介させて頂きます。


2チャンネルニュース速報+ナビ
【中央日報】 約束の差を理解してこそ韓日葛藤は解消

この記事は、
韓国の中央日報さん の 「日韓葛藤の原因」について
論じた記述ですが、

「繰り返しの歴史」に属する人の本質を、
表白している文章 に 思われます。

 

  中央日報の記事

  まず、(日韓間には)文化的な違いが存在するが、
  その一つが約束に対する認識の違いだ。

  1.韓国で約束をするということは、
    「ほかの特別な事情がなければ」という、

    約束より さらに重要な事情 が ある場合 は
    相手 を 説得できる という 無言の前提 が 入っている。

  2.これに対し、
    日本 で 約束をするというのは、

    「人の力 で 統制不可能な天災地変 でない限り」という、
    先約 を 最優先する前提 がある



中央日報さんの記事を拝読して、
ちょっと違うのでは、と感じるのは、私だけではないのでは
と、思います。

約束には、「特段の事情 が 生じない限り」との 留保 が ついている
と、おっしゃいますが、

逆の立場に立つと、
特段の事情 を 否定しているのでは ないでしょうか。

例えば、
韓国と同じ「繰り返しの歴史の国」である チャイナ は、

約束(契約)を盾にして、
借款の返済 が 出来なくなった国から、
港湾などの 重要施設や地域 を 租借するなど、

特段の事情 を 無視して
「積み重ねの歴史の国」が帝国主義時代に行った蛮行と
同じような蛮行を、行っている

と、報道されています。

これに反して、
帝国主義時代 を 終了(卒業)した
「積み重ねの歴史の国」(日米欧)は、

返済不能に陥った国に対して、特段の事情 を 勘案して、

返済猶予 や 債権放棄をして、
再建するための援助 を 行うようになっています。


又、
「積み重ねの歴史の国」(日本)では、

一度約束したからと行って、
特段の事情 を 全く認めない法体系 には なっていません。

民法総則 で、
心裡留保や公序良俗違反、更には、無効の法理 が
規定されています。

また、
「事情変更の原則」が、例外的な場合、認められています。

このように、
「積み重ねの歴史の国」(日米欧)は、

一度約束したら、証文を楯に、相手の事情を 金輪際 認めず、
契約の履行 を 迫る訳ではありません。

日韓関係の歴史を振り返っても、

約半世紀 に 亘って
日本 が、韓国の事情に配慮してきたことは、

「最近の日本政府は、以前とは異なる」
との 韓国の皆さんの声 が 聞こえてくることでも、明かです。


以上 で 述べたように、

日本でも、
約束(契約)した後でも、特段の事情が生じた場合は、
お互い話し合う との原則 は、存在しているのです。

従って、考えるべきことは、

特段の事情 が 生じたら、協議する とか 協議しない
と いうことでは なく、

再協議 を しなければならない程の「特段の事情」とは、
どの程度のものか、についてでは ないでしょうか。

「約束しても、後でひっくり返るなら、約束しない方 が 良い」
との考えが、一般化したら、
約束 が 成立しなくなりますので、

一度成立した 約束 を 反故にして
改めて 約束をし直す 特段の事情 とは、

当事者双方 が、納得するような「重大な事情」
でなければならないでしょう。

約束を真摯に実行することなく、再協議を求めるとか
舌の根も乾かぬうちに、態度をひっくり返す
との態度を行いながら

「特段の事情」が生じたと、主張しても、
相手にされないことに 思い至って頂ければ 幸いです。


一度成立した 合意 を 変更する と 云うことは、

「約束したことが 実現しないなら、
 約束 は 無意味だ、

 そんな相手と約束しない方が良い」
との 考え方 が 生じて、

「今後一切の約束は、出来ませんね」との態度 に
一方の当事者 を 追いやる危険 が 潜んでいることに

考えを及ぼして頂ければな と、思います。


「積み重ねの歴史の国」(日米欧)は、

社会 が 恙なくスムーズに過ごせるために
どの様なルール であれば 良いのか?

妥当な解決に導くためには
どの様なルール が 良いのか?

という工夫を を、
ローマ法以来 3,000年 に亘って 積み重ねて
現在 に 至っています。

今回、中央日報さんがご指摘 の
「特段の事情」についての工夫 も、

この積み重ねの歴史の中に 含まれています。


日本 は、「積み重ねの歴史の国」であり、
韓国 は、「繰り返しの歴史の国」です。

従って、

別々の 価値観 や モラル を 保持している
隣国同士ですので

「もう これ以上 おつきあいできませんね」
との事態 が 生じて 断交に至ること を 回避して
お互い円満 に 過ごすためには、

最低限 約束したことを守ることが、
求められるのではないでしょうか。

異なる価値観の国同士、どの様に過ごせば良いのか
との観点から、日韓関係 を 考えて頂ければ
と、願っています。


追記 2020年5月17日 記述


昨日お話しした、
中央日報さんの記事に対する感想を読み直してみたら
2つのことを感じて、苦笑してしまいました。

1.一つ目の苦笑は、

  表題と文章の中身が異なるではないか
  羊頭狗肉とは、このことだ
  と云うことです。

  ですから、
  表題に関する追記をさせて頂くことにしました。

2.もう一つ の 苦笑 は、

  私は、
  天の川銀河 の中の 太陽の位置 のように
  日本人社会の中で、中心からずっと離れた縁 に いる人間ですが、

  それでも
  最初考えた文章 と 大幅に異なる文章 に 変貌したということは、

  日本人 が 持つ 他人に対する 配慮、遠慮 が、
  他の方よりは 非常に少ないながらも、あるのだなと、
  改めて苦笑しました。

  嫌韓感情が強まった 現在の 日本人でも
  他人と 話すときには、
  その人に対する 配慮や遠慮 が あるのです。

  朝鮮(北朝鮮、韓国)に対しても、
  内心では怒りに燃えていても
  表に出すときには、本心を露わにすることはないのです


さて、以下で
「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」の本質についての
総論的なお話 を 2点 簡単に させて頂きます。


第1点

人間の歴史は、
個々の人間 の 活動の集積 の 足跡 ですが、

個々の人間 の 活動の根底 は、
自分にとり 如何に都合が良いか
との判断 に 従って行動するものだ

と、思います。

あけすけに申し上げると

自分の利益 を 最優先で判断し、
自分の利益のためには、他人の利益など関係ない
との態度を取るもの では ないでしょうか。

要するに、
自分にとって有益なものを得ようとして
活動することだ と、思われます。

この点において、
「積み重ねの歴史の国」と「繰り返しの歴史の国」において、
異なるところはありません。

異なる点は、行動する際に、
「自分にとり有益なもの」に 対する考え方 が 異なるのです。


「繰り返しの歴史の国」では、

自分にとり有益はことは何か、について
多分、考えることが 少ないのではないでしょうか。

即ち、
より多くの経済的利益(金銭)を 得るには どうすれば良いか、
自分の出世 に 都合 が 良い方法は なにか

仲間内 で 有利な地位 を つくには どうしたらよいのか 等々
即物的な利益 が 中心となるのではないでしょうか。


「積み重ねの歴史の国」では、

上記の即物的な利益 は、
勿論一番重要視されることですが、

その即物的な利益を得るために、
何をすれば一番良いか という工夫 を 加えること

言い換えると、
物質的な利益以外のものに、着目することがあることが

繰り返しの歴史の国」の人々 と、
決定的に異なる点ではないか と、思われます。

「積み重ねの歴史の国」は、
工業製品の分野で、工夫を積み重ねて、世界制覇したわけですが、

それ以外の分野でも、
その分野毎 に いろいろな工夫 を 加えています。

例えば、
刀の扱い方についても、
どうすれば相手を斬り殺すことが出来るか、について
それぞれ工夫を凝らし、極めた人が、

初めは、
人斬り包丁の扱い方という、剣術だったものを、
剣道とレベルまで引き上げてたのです。

護身術でだった柔術 も、
柔道のレベルまで 引き上げられています。

更に、
剣術使い の 集まりだった 侍の集まりが、
武士道のレベルまで 引き上げられています。

以上のことは、
例えば、剣 の 扱い方 を 工夫している内に、

単なる 剣 を 扱う術 から
質的な転換 が 図られたこと を
意味しているのだろうと思います。


これは、剣道に限らず、
茶道、華道など、人間活動 の 全ての分野 において、
それぞれで 工夫 を 加えて、

単なる技術 から
大げさにいうと 哲学的なレベルまで 引き上げているのです。

日本人の好きな言葉に
「道を究める」という言葉がありますが、

単なる 技術(スキル)の向上 ではなく、
スキルの向上すると共に、
ものの考え方 も 向上させていくのが、

「積み重ねの歴史の国」の 人々 の 特色だろう
と、思われます。

私は、
「積み重ねの歴史の国」に生まれ育った人間なので、

「繰り返しの歴史の国」の人々について、
確信を持って お話しする自信はありませんが、

人生 を 積み重ねる内 に 感じたことは、

「繰り返しの歴史の国の人々は、
今 申し上げた工夫 とは 無縁の人々なのでは?と
いう感じ を 持っています。

今回の中央日報さんの記事を拝見した際に、
最初に感じたこと は、このことでした。

利害が対立する問題について、それなりの合意をする
と、云うことは、

お互い 譲歩し合いながら、

これは、自分は取るけど、
こちらは、相手に差し上げよう
と、考えて、

合意に達するものだ と 思います。

合意 に 達する と、いうことは、
100% 一方の言い分 を 通すということではなく、

お互い 妥協し合いながら、解決に導く
と、いうことではないでしょうか。

従って、
日韓間の条約 は、
互いに 不満の部分 を 持ちながら 合意に達した、
謂わば、
「ガラス細工のようなもの」だろう と 推察しています。

ですから、
政府間 で 合意した条約 について、

後から見ると、
一方の国の立場から、不満と感じられる部分があっても、

相手との話し合いの中で、
その不満について 議論した上で 出した結論 で あることを、
認識すべきだと思います。

もし、一方の当事者が、
交渉テーブルの俎上に載せなかった失策があった場合は

相手国に是正を求めるのではなく、
自国内で 処理すべき事柄だ と 考えるのが
常識的な判断、大人の判断 ではないでしょうか。

ブログにも書きましたとおり、
自分の都合から 合意 を 勝手に破棄するような国 は、

その後、どこの国からも
条約 を 締結してもらえなくなり、

世界の孤児 に なるであろうこと を、
深く考えて頂ければ と、願っています。


第2点

先ほど述べたように
日本は、「積み重ねの歴史の国」であり、
韓国は、「繰り返しの歴史の国」です。

今回の中央日報さんの記述は、
両者の歴史の根底の価値観、モラールが異なっていることを
明らかにしています。

中央日報さんの記事では、
「約束より さらに重要な事情 が ある場合 は
 相手 を 説得できる という 無言の前提 が 入っている。」
と、一方の当事者は、約束を変更する権利を持っていると
記述し、

ここが、日本と異なることである と、書いておられます.


要するに、

自分に都合の悪いことは、約束を無視して良い

「積み重ねの歴史の国」と「繰り返しの歴史の国」は
価値観が異なる

との表明でもあるのです。


異なる価値観について、
善悪 を 判定することは 出来ません。

例えば、

ウソをついても良い。

人を騙しても構わない
うかつに騙される人間が わるい。

自分の利益のためには、人を殺しても良い。

との価値観を持つ 人や社会 に対して、

別の価値観を持つ人間が、非難したり、説教しても
意味が無いのです。

お互いの乖離を解決するために、
戦争という武力解決が、歴史の原則でしたが、

武力解決も 所詮 一時的な解決にすぎず、
長い歴史においては、怨念を生むだけに過ぎないのです。

ですから、
価値観が異なることを認識して、

そういう人とつきあっているのだと割り切って、
付き合いを継続するか、

価値観が異なる人とはつきあえないと割り切って、
つきあわなくなること、即ち「断交」しか、

論理的な選択肢がありません。

韓国の皆さんは、
日本には何を言っても許される(反日無罪)し、
日本は、受け入れてくれると、

日本をなめきっておられるように感じられます。

また、
日本人の大半を占める一般人の感情を無視して、

政界、官界、マスコミ、企業などの
日本社会の一部(指導層)への工作によって

日本の政策や世論を思うがママに動かせると、
思い込んでおられるように感じられます。


現在、日本国内では、
嫌韓感情が大きなうねりとなっていることを
認識されるべきでしょう。

韓国が、
現在の姿勢を変更せずに、このまま進んでゆくと
日本国内で、このうねりが、表面化し

韓国の工作に籠絡された一部が、どんなにフタをしようとしても
抑えることは不可能となり、

先ほど申し上げたように、
論理的には、「断交」しか選択がないという事態に
日韓関係が、追い込まれること を ご理解下さい。











 

 

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2020年1月14日 (火)

ゴーン氏海外逃亡により表面化したヨーロッパ文明と日本文明との差異・・・対外PR省 新設提言

この前のブログ
「米中対立 の 根底に潜む ヨーロッパ文明 の 解決不能な難問」で、

「積み重ねの歴史の国」であるヨーロッパ文明は、
文明内で共有したモラルに依存する部分が大きく、

「繰り返しの歴史の国」が、
ヨーロッパ文明(含む 日米)に対して
今まで征服されてきた意趣返しする際に

ヨーロッパ文明 が 共有するモラル を 逆用して、
攻撃してくるので、

今後は、
この攻撃に対して 対処する方策を、緊急に作成せねばならない
と、述べさせて頂きました。


このようなことを、毎日 考えながら過ごしている中で、
今回 の ゴーンさんの海外逃亡 の ニュース に 接して、

ゴーンさんが 非難する 日本の司法制度 について、
家内 と 話している中で、

同じ「積み重ねの歴史の国」である、欧米と日本でも、

モラルの違いから、
司法制度のあり方も 一見 真逆に見えることがあるな
と、感じられましたので、

今回は、
この辺について、少しお話しさせて頂きます。


     **********


最初に、
きっかけとなった、家内との会話をご紹介させて頂きます。

なお、家内は、
長年 国選弁護(刑事裁判)に 数多くかかかわってきた
元弁護士 です。

1.ゴーン氏 の
  「日本の刑事裁判は、有罪率が 99%で、有罪推定の国である」
  との批判をしている との報道 に対して

  私が、家内に
  「裁判になった事件だけを見ると、
   ゴーンさんのおっしゃる通りかもしれないが、

   検察 に 警察より 送検された 多くの犯罪 が、
   起訴されていない。
   (裁判 に 持ち込まれてない)

   何故、
   日本政府は、その点を海外にPRしないのだろうか。

   日本の検察 は、
   外国の予審判事のような役割 も 持っていることを、
   もっと 海外に 周知徹底すべきではないだろうか。」

  と、話したところ

2.家内 は、私の話 を 肯定した上で、

  次のような
  元弁護士、かつ 推理作家らしい 意外な謎解き
  を 言い始めました。

  「日本 も、推定無罪の国 から
   アメリカみたいな 推定有罪の国 に 根本的な転換を図らねば、
   海外からの批判 は 解消しない。」

  これに対して、私が、
  「一般的には、逆だと云われてないか?

   即ち、
   日本 は、推定有罪の国 で、
   欧米のような 推定無罪の国 と 異なるのが問題だ

   と、批判されているのでは?」
  と、答えると、

  「ゴーンさん を 初め、海外から 日本の検察は、

   人質捜査、
   弁護人不在の取り調べ
   取り調べに可視化が必要等と
   非難されているけど、

   このような批判 が 生じる根本原因 は、
   裁判所 が、推定無罪に忠実すぎるからだ。」と、

  更に 私には チンプ ンカンプン で、
  さっぱり理解できない話 を するのです。

  訝しがっている 私に、追い打ちをかけるように、

  「内心の故意 についての 裁判所 の 証明の要求 が、
   厳しすぎることが、検察 が 批判される原因である。」

  と、ますます訳の分からないことを言い出しました。

  そこで、謎解きを求めますと、

  「例えば、殺人罪では、
   殺意(殺す意志、殺す故意)が 必要とされるけど、

   被告人 が、殺意 があったか なかったのか(内心の故意)
   に ついての 本当のところ は、本人しか分からない。

   裁判所は、推定無罪 が 原則だからといって
   被告人の殺意 が 証明されなければ、殺人罪 は 適用しない。

   ところが、
   殺人の故意があったかどうかは,内心の問題なので
   被告人本人 が「殺意 が ありました」と、云わない限り、
   他に 証拠がないので 殺意 が あった とは 認定できない。

   これが、
   検察が、被告人に、自白を求める原因であり、

   被告人に自白させるための検察の捜査について
   いろいろ 批判されることになる。

   今回、良い機会なので、アメリカのように
   裁判所が、内心の故意について、自白がなくとも、
   外形標準 を 採用して

   即ち、
   これだけの事実 が あれば、殺意があった と、認定できるだけの
   周辺事実の証明 が あれば、

   殺意があった(内心の故意があった)
   と、認定して、殺人罪を適用するようにすれば良い。

   言い換えると
   「推定無罪」の 日本 も、
   アメリカ のように
   「推定有罪」の国 に 変貌すべきである。

   そのかわり、欧米と同じように
   捜査の可視化(取り調べを映像として残すこと)や
   弁護士同席での取り調べなど、
   どんどん 認めるべきである。

   そうなれば、被告人(弁護士も含めて)は、
   否認することも、黙秘することも、自由に行って良いが

   検察が、
   殺意に関する外形標準 を 証明すれば

   即ち
   このような事実が証明されたら、
   一般的には殺意があったと認定できる との事実 を
   検察 が 証明すれば、

   被告人から、これを覆す証明が無い限り、
   殺意 を 認定することにしたら 良い。

   例えば、三浦事件(ロス疑惑事件)で、

   日本では 無罪となったのに、アメリカで逮捕された三浦さんが、
   有罪必至だと観念して、拘留中に自殺をしている。

   これは、
   日本で、裁判所 が 無罪判決を出したのは、

   三浦さんが、否認し続けて 自白しなかったので
   (内心の)故意の証明がなかった と認定して、

   言い換えると、

   殺意 の 証拠がない と 認定して
   無罪判決 に至ったのであろうけど、

   外形標準(推定有罪)を 採用しているアメリカでは、

   殺意はなかった と 主張しても、
   周辺事実から、殺意 を 認定されて死刑になることを

   三浦さん本人 が、自覚していたのであろう
   だからこそ、三浦さんは、 拘留中 に 自殺したのはないか。


   検察は、

   当然 このことを 良く承知しているので、
   (日本では、自白がなければ、
    裁判所が、殺意の証明 がないと 認定すること)

   取り調べの際には、
   内心の故意を証明するために、自白 を 得ようとして、

   いろいろな手法、手段 を 用いるので、   、
   人質捜査だ、人権無視だ と、

   批判されることになる。」


3.殺意(内心の故意)の認定 を どうするかについては、
  考え方の方針の問題で、
  決定するまでには、いろいろな検討を経る必要がある
  と、思いますが、

  要するに、
  変更するか どうか の 問題ですから、

  最高裁の判例変更とか、国会の立法により
  変更することは 可能だ と、思います。

  でも、
  表面上 欧米と同じように変更すれば、
  それで済む問題 でしょうか?

  私は、
  欧米人と日本人の法意識、法感情について
  根本的な差異がある以上、

  表面上の対応を 見かけ欧米流に変更しても、
  日本では定着しないのでは との疑念 を 持っています。

  日本の歴史 を 見ても
  中国や欧米から どっと導入しても、

  時間が経つ内に、日本流に取捨選択して、
  いつの間にか 日本独自のものに 変容させてきたのが
  日本人、日本文化では ないでしょうか

  「推定無罪」との原則は、
  何もヨーロッパ文明の専有物ではありません。

  日本でも、
  江戸時代 大岡裁判のときでも、
  基本的な原則だった ような気が します。

  というのは、
  江戸時代、取り調べの際に、拷問が用いられたのは、

  日本人が、内心の故意について、
  本人しか分からないこと を 認識していたからでは
  ないでしょうか。

  犯罪 を 犯そうとする故意 が あったのかどうかは、
  本人しか分からないのです。

  例えば、
  ナイフ で 人を刺したことは、
  誰の目にも明白だったとしても、

  殺そうと思って(殺意をもって)刺したのか、
  たまたま ナイフを持っていたので、弾みで刺したのか は、
  本人しか 分からないのです。

  江戸時代に、
  外形的に故意があったと思われるときには、
  拷問を用いてでも 自白させた と 云うことは、

  本人しか分からないことは、
  本人 が しゃべらなければ、証明できない との法意識が、
  江戸時代の日本人にも あったからではないでしょうか。

  勿論、拷問により、
  ウソの自白 を 引き出すこともあり得ますので、

  果たして 正しい方法だったかどうか、
  定かには 断定できませんが、

  日本人は、
  基本的には ウソをつかない との性格がある と
  認識されていた との 前提を考えると、

  行き過ぎがあったかどうかは別にして、
  自白がなければ、故意 は 認定できない との
  法意識、法感情 が、江戸時代でもあった

  と、考えても良いのではないかと思います。

  欧米人は、例えば魔女裁判や異端審問で、
  無罪の人間 を 有罪に仕立てるために
  拷問を使用しました。

  人間は、自分と同じことをすると思いがちですから、
  日本人が、欧米人が拷問と感じることをしていたら

  自分と同じように、
  無罪の人間を有罪にするためにするのだ、
  と、思い込んでいるのでしょう。

  前回のブログで、
  「積み重ねの歴史の国」の人間には、
  「繰り返しの歴史の国」の人間が持っているモラルを
  理解できない、とお話ししましたが,

  それと同じように
  欧米人は、日本人の持っているモラル、法意識を
  理解できないし、
  理解しようともしないのです。

  私が、欧米人は、唯我独尊であると 感じる所以です。

  ですから、
  外形標準 で 内心の故意を認定することにしても、
  日本人の法意識、法感情 に なじまないのでは?
  との 私の疑問 に、

  家内 も 否定せず、
  「確かに、例えば、帝銀事件で 死刑判決を受けて、
   死ぬまで再審請求をして、私は殺していない
   と、主張した 死刑囚 は、

   結局 死刑を執行されずに、天寿を全うしたので、

   日本では、
   外形標準 で 内心の故意 を 認定するようにしても

   内心の故意 を とことん否定する人間 に 死刑を執行するのは、
   日本人の法意識、法感情からして なじまないかもしれない。」

  と、肯定したのでしょう。

  日本の裁判所 は、
  外圧 や 世論の動向 により、判断 が 左右される傾向 が
  ありますので、

  ゴーンさんの逃亡により、
  人質捜査とか、人権蹂躙 との批判 に 耐えきれずに、

  外的標準で 内心の故意 を 認定するように
  判例 を 変更するかもしれませんが、

  日本人の法感情 が、今までご説明したものであることから、

  明治以来、
  少なくとも、戦後70年間に亘って

  「自白がなければ 殺意を認定しない」
  と、維持されてきたこと を 勘案すると

  内心の故意 に ついて 判例変更しても、

  死刑判決 は 確定したけど、
  死刑の執行 は 今まで以上に行われなくなることが
  生じるのではないでしょうか。

  従って、
  裁判所の態度 を 変更するのではなく、

  日本人の法感情 を、欧米に広く説明して、
  正面から 日本の実情、日本人の法感情 の 理解 を
  深めて貰う努力 をすべきでしょう。

  日本の司法制度に対する批判は、

  現在においても
  20世紀初頭の黄禍論以来の
  欧米人の日本人に対する偏見、蔑視 が 根底にある
  と、思われますので、

  なおさら
  このような努力 を 日本政府 は、注力すべきだと思います。

  更には、
  慰安婦問題 や 徴用工(応募工)問題、南京虐殺問題など、
  いわれなき日本を貶めるための攻撃、

  あえていうと
  でっち上げのウソ に 基づく 周辺諸国の反日活動に対して、

  今までの外務省 は、
  効果的な対応をしてこなかった実績があります。

  今後
  「繰り返しの歴史の国」による
  「積み重ねの歴史の国」への攻撃 が、
  今まで以上に 激しく行われ、

  今まで以上 に 日本政府 が、
  反日活動に対する 厳しい対応 を 迫られることが
  予想されますので、

  反日活動 を 粉砕する対応 が、
  政府 に 求められるように なるのでは ないでしょうか。

  このような活動は、現状の外務省では、対応ができない
  と、考えられますので、

  新たに「対外PR省」の設置 が、必要 と 思われます。

  何故、
  外務省では対応できないと考えるのでしょうか。

  現在、外務省 は、
  方面別に専門家を養成しています。

  例えば、
  チャイナスクールとか、ロシアンスクール とか
  言われるのは、この現れでしょう。

  ですから、外交官 は、
  民間企業の営業マン と 同じような立場、境遇
  ではないでしょうか。

  営業マン は、
  客先に気に入られることが、
  営業成績を上げる前提となりますので、

  客先の要望 を
  自分の会社で 如何に実現できるかによって、
  営業マンの力量 が 判断されます。

  また、
  自社の事情を客先に説明しすぎて、客先の要望 に 添わない為に
  客先より 担当者 を 交替して欲しい と 云われたら、

  その時点で、
  その営業マン は、失格 ということに なります。

  外交官も、同じではないでしょうか。

  入省以来、その方面の専門家として養成されているからこそ、
  相手国の意向 に 日本 が 沿うようにすることによって、

  担当する相手国より 評価して貰い
  自らの昇進 に つながるのでは
  と、想像しています。

  対日の工作活動の一環として
  外務省 に 潜り込む工作員 は、論外としても、

  まじめに 外務省 に 入省した人 も、
  昇進を勘案して、相手国に気に入られるため、
  日本の国益 に 反する行動 を 取るようになるこ とが
  あり得るのでは と、想像しています。

  これは、官僚になったた友人が、
  学生のときに述べていた抱負(初心)が、
  その後 言動 が 変化したのを見ていますので、

  外務省でも 十分あり得ることだ と、考えています。

  ですから、
  相手国の意向 に 反する 日本国としてのPR は 勿論、
  日本に対して 敵対的な反日活動する国 に対して
  ロビー活動などにより対抗する行動 を 取ることは、

  民間企業の営業マンと同じ体質であると想像できる
  現在の外務省では、対応ができない
  と、判断せざるを得ません。

  日本国 の 国益 を 守るために
  対外活動する専門部署の新設 が 必要では、
  と、考える所以です。

  対外PR省の主な役割 は、
  次の3つでしょう。

  1.欧米人と異なる 日本人の法感情、ものの考え方 を、
    対外的に説明し、理解を深めて貰う活動

  2.慰安婦、旭日旗、竹島、尖閣、南京大虐殺など
    敵対的な反日活動 に 対抗して、嘘 を 暴き、

    日本 の いわれなきレッテル を
    相手国政府や、ロビー活動、海外マスコミ にPRして
    是正する活動

  3.日本文化などの、一 般的な日本紹介

  対外PR省が設置されても、日本文化の紹介以外は、
  現在 外務省が行っていない活動、
  もしくは、
  片手間でおこなっている活動ですので、

  外務省にとり、特に支障が生じることはないと思います。

  即ち、
  対外PR省 設置後 も、

  外務省は、
  従来通りの活動 を 継続することとなると思います。




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2019年12月25日 (水)

米中対立 の 根底に潜む ヨーロッパ文明 の 解決不能な難問

人類の歴史 は、
20世紀末(1989年)に500年来続いた国民国家の歴史が終焉して、
地域共同体更には地球連邦への歩みが始まったと考えています。

国民国家の歴史 の 最終局面
即ち、
帝国主義の時代 は、

第一次大戦 が、準々決勝、
第二次大戦 が、準決勝
冷戦(第三次大戦)が、決勝戦であり

人類の歴史 は、
アメリカ が、決勝戦で ソ連 に 勝利した途端 暗転し

国民国家 が 終了して
国民国家から地域共同体へ向けて、歩み出したのです。

(注)冷戦 は、
   原水爆 が 存在するようになったため、

   直接、米国とソ連 が 熱戦 を 繰り広げることが できなくなり、
   代理戦争の形で、半世紀近く 戦われて、

   1989年12月 マルタ島沖 サミット で
   (米国大統領 と ソ連のゴルバチョフ の 会談)
   終結すると ほぼ同時に、ソ連 が 崩壊しました。


冷戦が、終結してから 30年経った今年(2019年)に、
米中対立 が 勃発(表面化)しましたが、

その歴史的意味合いについて、どう理解すれば良いのか
困惑してしまいました。

歴史は、
500年間の国民国家の歴史が、決勝戦である冷戦 により 終了し
地域共同体、ひいては 世界連邦に向けて、
新たな歩み を 開始しているのですから、

米中対立を、歴史の歩みの中で

どの様に位置づけられるのか?
どのように理解すべきなのか?

について、困惑したのです。

そこで、
改めてヨーロッパ史 を 顧みてみたときに

米中対立 の 根底 には、
ヨーロッパ が築いてきた ヨーロッパ文明 の根底に潜んでいた
解決不能な問題 が

言い換えると
求めても 得ることのできない「青い鳥」が、露わになり、
大きく ヨーロッパ文明 に 立ちふさがっているのでは?

と、考えるようになりました。

従って、
ヨーロッパ文明、ひいては 人類の歴史 は、

「国民国家から地域共同体への道」

言い換えると
「茨の道」ではありますが、解決可能な道 を 歩み始めた
と、同時に

ヨーロッパ自身 の根底に 潜んでいた 解決不能な問題 が、
表面化して、その克服に 直面せざるをえなくなって


その意味で、
ヨーロッパ自身(含むアメリカ、日本)、更には 人類全体 が

新たな転換、体質改善 を
正面から取り組まねばならない状況 が 現在である

といえる と、思います。


即ち、
ヨーロッパ文明 及び 人類 は、

技術の発展に伴って、管理単位が拡大せざるを得ないことにより
国民国家より地域共同体へのスキーム変更 を

如何にして スムーズに 成し遂げるか という 課題と共に、

今まで 世界制覇したヨーロッパ文明 の 奥底 に 潜んでいた
これまで経験したことがない大きな歴史的課題 に 直面している

と、言えるのだろうと思います。


国民国家から地域共同体への動きについては
ホームページやこのブログで 何回か書かせて頂きましたので

今回は、
ヨーロッパ文明 の根底に潜んでいた 解決不能な難問
即ち
求めても 得ることのできない「青い鳥」について

少し お話しさせて頂きます。



   **********



1.難問が浮かび上がってきた経緯
  ・・・ヨーロッパ史 概観・・・


解決不能な難問 の 所在 を、ご理解頂くために
簡単に ヨーロッパ史を振り返ってみたいと思います。


ヨーロッパ文明 は、

ローマ に 侵入してきた フランク族 を 初めとする蛮族(ゲルマン人)
とりわけ
北フランス から ベルギー辺りに 住み着いた人々 が

ほぼ 1500年かけて、
居住地 を 拡大しながら 築き上げてきました 文明 を
核 と しています。

彼らは、蛮族といわれるように、

最初は、
ギリシア、ローマ文明 と 比すべくもない
およそ 文明から 遠い存在の持ち主 でしたでした。

それが、時代 を 経る毎に、
外部の文明を吸収し、レベルを上げていって、
(「積み重ねの歴史」を 積み重ねて)

 
16世紀には、
それまで 先生としてきた「繰り返しの歴史」のイスラム文明 と
肩 を 並べるまでになったのです。

(注)1571年 レパント の 海戦 が

   「積み重ねの歴史」の ヨーロッパ が、
   「繰り返しの歴史」の イスラム と
   肩 を 並べるに至ったことを 象徴する事件

   言い換えると
   人類の歴史における 転換点、分水嶺
   のような 気がしています。


その後

ヨーロッパ における 技術面の進歩、
とりわけ
兵器の発達 が 著しく、

ヨーロッパ諸国 は、新大陸の発見以降
大航海時代 を 経て、世界中に進出し、

19世紀には、
日本を除く世界中 を ヨーロッパの植民地として
支配するようになりました。

(注)タイ が、植民地 とならなかったのは、
   イギリス と フランス の 間に挟まれた 緩衝国 だったからです


最初に申し上げた 帝国主義の時代 とは、

「繰り返しの歴史」の国々 を 征服し 世界制覇して

謂わば
予選リーグ で 勝ち残った と云うべき
ヨーロッパ諸国間 で 戦われた

決勝トーナメント における チャンピオン決定戦 でした。

(注)ヨーロッパ には、
   ヨーロッパ文明 を 構成する アメリカ、日本なども 含みます。


20世紀 に 3度に亘る 戦いの結果、

皮肉なことに
本家というべき ヨーロッパ 諸国 が 脱落して、

いち早く 地域共同体 を 形成していた 分家筋にあたる アメリカ が、
この決勝戦 に 勝利したのです。


アメリカ と ソ連 の 決勝戦 は、代理戦争で戦われましたが、
本質は、地域共同体同士 の 総力戦 でした。

アメリカ は、
一見 国民国家として歴史 を 歩んできたように 思われていますが、

その本質は、
13の国(States)が 集まって 地域共同体 を 形成して 建国し、
現在 は、50の国(states)からなる 地域共同体 ですし、

ソ連 も、ロシア が、
ソ連邦 という域内諸国家を「内なる植民地」とし、
これに加えて
東欧という「外となる植民地」を 糾合して形成した 地域共同体 でした。


このため、
地域共同体 より 規模において
一回り も 二回り も 劣る 国民国家だった

ヨーロッパ列強(英、仏、独)と 日本 が、
決勝戦 に 進出できなかったのは、

当然の結果というべきでしょうし

第2次大戦後、ヨーロッパで 地域共同体が形成されたのも
当然の論理的帰結だろう と、思います。

(注)EUの今後について、ご興味のおありの方は
   次のブログ を ご参照頂ければ 幸いです。

   EUは、一度解体の憂き目にあうのでは?

   第1回 2017年5月現在 EUに対する処方箋

   第2回 2017年5月現在 EUの 問題点の所在 と 前回の処方箋の理由

   第3回 EUが、地域共同体の歴史の前例と 異なる点


また、決勝戦において
地域共同体 として より緊密な紐帯 を 持つまでに 深化した
アメリカ が、
ソ連 に 勝利したのも、順当な結果というべきものでした。

決勝戦 で 勝ち抜いた そのアメリカ も、

勝利して間もなく、歴史の現段階 においては
1つの国(1つの地域共同体)である アメリカ が、
世界 を 支配するには(世界制覇するには) 力足らずであること
を、露呈しましたので、

これからの時代は、
地域毎に 形成される 地域共同体 の 共存共栄、
戦争でない フェアーな競争の時代 に なるのでは? と、

国連好きな日本人らしく
私は、密かに 希望を 膨らまして 大いに 期待していました。


ところが、このような状況の中で、

米中対立、
即ち
アメリカ と チャイナ の 正面衝突 が、勃発したのです。

私は、困惑しながらも、

対立が生じた所以 を 紐解くには、
もう一度、ヨーロッパ史 を 振り返って

対立 が 生じた所以 は 何か?
今まで 見落としていた 要素 は 何だろうか?

更には、
米中対立 の 本質 について、深く考える必要が あるのでは?

と、考えるようになりました。


というのは、

チャイナは、
ヨーロッパ文明を構成する諸国のような
「積み重ねの歴史」の国ではなく、
「繰り返しの歴史」の国(地域共同体)であり、

「積み重ねの歴史」で 勝ち抜いた チャンピオン の アメリカ と、
直接 武力(戦争)で 争ったら、

冷戦後崩壊し 敗れ去って消滅した ソ連同様、
勝負にならないことは、明かですので、

「何故、チャイナ が アメリカ に 対抗できる のだろうか?」
「何故、アメリカが  チャイナ を
 相手するに足る ライバル として 扱っているのか?」
との 謎解き が、求められている
と、思われるからです。


この謎解き を あれやこれや考えている内に
今回 お話しする
「ヨーロッパ文明 の根底に潜んでいる 解決不可能な難問」
が 見えてきましたので

今回お話しさせて頂こうと考えた次第です。




2.ヨーロッパ文明 の根底に潜む 解決不能な 難問

以下の拙文は、私の歴史分析からの理論上の仮説であり
歴史を考える上でのご参考になれば と
お話しするものです。

特定の国を非難するものでないことを ご了解下さい。



ヨーロッパ文明の解決不能な難問 とは、
何なのでしょうか。

具体的なイメージを持って頂くために
「ニュースソースの秘匿」を例に挙げて ご説明させていただきます。


「ニュースソースの秘匿」は、
ヨーロッパ文明 が 長年苦労して 築き上げた 金字塔の一つ です。

マスコミが、
事実 を 正確に 真実 を 報道するには、
そして
それを維持するには

報道する 当該ニュース を
どこから、誰から、取得したのか について、

裁判 で 刑事罰 を 課されるぞ と 脅かされても
証言を拒否して 守らねばならないケース が あったのです。


その為、

記者の方の中には、刑事罰を覚悟して、
自分自身の人生や生活を犠牲にしてまでも

「ニュースソースの秘匿」を 守るために戦った方 が おられました。

そして、
その戦いの歴史 を 積み上げることにより、
ヨーロッパ(含む アメリカ)において

「マスコミ は、ニュースソース を 秘匿する義務がある」との
社会的なコンセンサス が、徐々に 形成されてきました。

この「ニュースソースの秘匿」は、
「真実、事実に基づくニュースである」

即ち
「ウソでないし、フェイクニュースは報道しない」
との モラル を 前提としていました。

そして、その前提は、

報道するマスコミや記者 を 信頼して
証拠の提示を求められないで 認められていたのです。

もう一度確認しますと、
「ニュースソースの秘匿」は、

「ウソ を つかない」との
ヨーロッパ文明のモラル に 従うこと を 前提にして
成り立った原則だったのです。

もし、
記者 が、「ニュースソースの秘匿」の原則を悪用して

即ち、
モラル に 反して
ウソ を 報道する事態 が 何度も生じたら、

「ニュースソースの秘匿」など、認められるか
との 世論の高まりによって 認められなかったでしょう。

その意味で、
ヨーロッパのマスコミ の 長年の 努力 と 苦闘 の 結果
漸く勝ち取った成果 でも あったのです。

ヨーロッパ文明 が、世界制覇して、
この「ニュースソースの秘匿」も、世界に広まり、
マスコミ報道 の 基本的な原則の一つ と なったのですが、

ヨーロッパ文明 の モラル に 属さない
端的に言うと
ヨーロッパ文明の外にいた「繰り返しの歴史」の国の人々にとって、

「ニュースソースの秘匿」は、
自分 の 好き勝手 に 世の中 を 誘導できる 便利な武器 となり、

平気で ウソ を 報道 で まき散らして、
自らの政治行動 の 武器 として 利用するように なったのです。

いかにもありそうな「ウソ」を報道しても、
ニュースの根拠であるソースを開示することを拒否できますので、

でたらめなニュースを世間に広めて、印象操作により
敵と見做す相手にダメージを与えることが簡単にできるのです。

日本 に おいても、朝日新聞 の、
戦後 間もなくの 共産党 伊藤律会見 や
その後の 珊瑚報道、更には 慰安婦報道と、

ウソ を 平気で 報道して、恬として恥じない態度に、
さすがの日本国民 も あきれて、最近 どんどん読者を失っている
と、ネットで言われていますし、

日本は、
ヨーロッパ文明と同じ「積み重ねの歴史の国」ですから、

このようなマスコミの態度に反応して
「ニュースソースの秘匿」への日本国民の支持が、
従来ほどではなくなってきている のでは ないでしょうか。

最近 ネットでは、マスコミは、
「マスコミ」とよばれず「マスゴミ」と ゴミ扱いされているのも、
このような 信用失墜の現れ のような気がします。


ヨーロッパ文明のモラルに属さないことを、
日米のマスコミ は、
大々的に有効に利用して活用している
と、感じられます。

日本から眺めているので、漠然とした感じですが、

日本 の 野党 や マスコミ の 安倍首相攻撃と
アメリカ の 民主党 や マスコミ の トランプ大統領攻撃 が、
同じような性質 に 見えるのは、私だけでしょうか。


これらの原因 は、

「繰り返しの歴史」の人には、
「積み重ねの歴史」の国におけるモラル に 拘束されないし、

「積み重ねの国」を 攻撃する際の 武器 となる
との原則に従っていると言うべきでしょう。

「ニュースソースの秘匿」の原則から、

ウソをつかない、真実のみを報道すること
を 除いたら、
「ニュースソースの秘匿」は、早晩存続できなくなることを、

「繰り返しの歴史」の人々
及び
それに従っている工作員 の 皆さんには、分からないのです。

特に
「積み重ねの歴史」に所属する(日米の)マスコミの方は、

マスコミ は、

市民代表(国民代表ではない)で
無冠 の チャンピオンであり、
何をやっても 許される と、勘違いして、

「報道の自由」とは、
自分たちが好き勝手に(フェイクニュースを)報道することだ
と 傍若無人に 振る舞っていて

現在のマスコミ が あるのは、
先輩達 が 長年の苦労と努力の歴史 を 積み重ねた結果であること に
思い至らないのです。



3.解決不能の難問 の 本質
・・・「繰り返しの歴史の国」による モラル無視・・・


ヨーロッパ文明の 基本構造は、
「ニュースソースの秘匿」の例と同様なのです。

即ち
社会秩序の維持を担う法学において
事細かな法律=ルール を 定めていますが、

人間社会の全ての現象を
個別的に 先回りして決めておくことができないことから、

最終的には、

裁判官のリーガルマインド
即ち、
モラルによる判断
に、委ねているのです。

この点については、
「法学」は、他の学問 と 異なる本質 を 有する学問であることについて
で、詳しく述べていますので、
ご興味のおありの方は、そちらをご参照下去るようお願いします。


ですから 難問の本質 は、
ヨーロッパ文明自体 そのものであり
謂わば、
自分の細胞 が 変質した ガンみたいなもの なのです。


ヨーロッパは、世界制覇し、
武力で「繰り返しの歴史の国」を屈服させ、従わさせました。

逆の立場 の 支配された人々 の 屈辱 は、
いかばかりだったのでしょうか。

今回の米中対立は、
今まで抑圧されてきた「繰り返しの歴史の国」のチャンピオンによる
反撃の最初の狼煙 のようなもの のように感じられます。

「繰り返しの歴史の国」の人々は、
「積み重ねの歴史の国」のように、新たなものを積み重ねること は
不得意かもしれませんが、

積み重ねられて できあがったものを、
それらしいものに「まねすること」は できるのです。

チャイナは、旧ソ連から
ジェット機や空母、原水爆、ロケットまで入手しています。

力を蓄えてきた これからのチャイなの矛先 は、
アメリカの先端技術でしょう。

これに対して
アメリカ は、チャイナのサイバー攻撃 を 非難していますが、

アメリカ の 先端技術 を、
チャイナ が 入手しようとして、アメリカに禁止されたら、

自らが 作ることが できない以上、ロジカルには
アメリカ の コンピューター に 潜入して
盗むしか 手段 は ないでしょう。

「積み重ねの歴史の国」に 属する人々 なら、
泥棒は、そのモラル が、抑止力 に なるのでしょうが、

「繰り返しの歴史の国」に属する人々は、

ヨーロッパ文明のモラル の 外の存在 ですから
自らのモラルに従って行動する故に、

ヨーロッパ文明のモラル が、抑止力になることは
あり得ないとのいうのが 論理的な結論でしょう。

従って、一見 国家ぐるみで
ヨーロッパ文明のモラル を 無視しているように
見えるのではないでしょうか。

言い換えると

うまく盗めた人間は、 国民的英雄ですし、

ハッカーの能力を有する人を、
高額の報酬で雇用して働かせるのです。



人は、所属する組織のモラルに従います。

日本人は、日本のモラルに
欧米人は、欧米のモラルに従うのです。

日本と欧米は、同じ「積み重ねの歴史の国」ですので

両者のモラルを比較すると、
似通っていて、大きな差異がない故に、

欧米人が、日本人に、欧米のモラルを 主張しても、
大きな違和感 や 摩擦 が 生じません。


同じように、
「繰り返しの歴史の国」の人々も、
彼らの国のモラル に 従うのです。

彼らのモラルは、経てきた歴史の性格が異なる故に、
ヨーロッパ文明のモラルと大いに異なります。

従って、
彼らが、外国人と接触する際に、
国内の日常生活と同じように、
彼らのモラル に 従って行動すると、

「積み重ねの歴史の国」のモラルと 大きく乖離している故に
衝突や摩擦が生じるのです。

困ったことに、
世界制覇した「積み重ねの歴史の国」の人々は、

全くモラルが異なる、

言い換えると
別の世界に住んでいると言えるくらい
価値判断の基準となるモラルが 異なる人々が

存在すること
 及び
彼らのモラル および そこから生じる 考えや行動 を

理解できないし、

敢えて、極論すると、
そのような人々がいることを、 想像すら できないのです。

ですから、
「繰り返しの歴史の国」の人々も、
世界制覇した「積み重ねの歴史の国」が、
築いてきたモラルに従って ものを考え、行動する義務がある
と、考えているのです。

「積み重ねの歴史の国」が、世界制覇した結果、
国際関係において
「積み重ねの歴史の国」のモラルが 適用される建前
に なっていますので、

この差異を
「繰り返しの歴史の国」の知恵者が、意図的に利用し、
 
「繰り返しの歴史の国」は、
ヨーロッパ文明のモラルを素知らぬふりをして

国内で行動するのと同じように
彼らのモラルに従って 自然体で 行動することにより

「積み重ねの歴史の国」に、
攻撃を仕掛けることが可能となるのです。

例えば、
「ウソをついても、騙される方が悪い」
「約束は、都合が悪ければ 破っても構わない」
とのモラルを有する国の人が、

国際関係において
「積み重ねの歴史の国」に対して、
国内での行動と同じように振る舞えば、
その結果は、明かでしょう。


ですから、
アメリカ が、どうしても我慢ができないなら、
チャイナ を 武力で叩くしか方法がないのですが、

現代は、原水爆 が 存在する時代で
「繰り返しの歴史の国」である チャイナ も、既に 所有しているため、

トランプ大統領 は、
レーガン大統領のソ連攻撃に倣って
今回 経済戦争 を 仕掛けざるを得なかった のでしょう。

即ち、
武力で 屈服させられないので
経済力で 屈服させようとしているのです。


これが、米中対立が生じた原因についての
私の仮説です。


今後は、
今まで抑圧された反動として、

チャイナ以外の「繰り返しの歴史の国」も、
ヨーロッパ文明に対して挑戦してくるようになる と 思われます。

その一つの現れ が、
最近の日韓関係 の 本質では ないでしょうか。


彼らが 攻撃する際には、
ヨーロッパ文明の一番の弱点、アキレス腱 を ついてくる
と、思われます。

即ち、

ヨーロッパ文明が築いたルール に 一見 従うふりをして、
そのルール の 中核部分 を 構成している モラル を 無視して
攻撃してくるのです。


先ほどご紹介した例えの通り、

韓国 は、
「約束したこと を 守る」
「ウソついたら いけない」との モラル を
無視しています。

受けて立つ ヨーロッパ文明 は

人間の活動の全てにに対して、
事前にルールを定めることが不可能故に
モラルに依存している部分が多いため

ヨーロッパ文明のモラル を 無視して攻撃されると、
現状では 無防備なのです。

というより
モラルが異なる ヨーロッパ文明の外の人々が行う行為に対しては

本質的に お互いの価値観 が 異なるため
対応 が、不可能ですので、
対処療法 が、現状では 未確立 である というべきでしょう。


このような「繰り返しの歴史の国」の人々は、
彼らの文明のモラル に 従って行為すること を 理解した上で
彼らの ヨーロッパ文明のモラル無視に どう対処するのか、

「積み重ねの歴史の国」が、
その方法論 の 早急な確立 を 迫られていること
を、認識して、

早急に 対処すべきでしょう。


外交用語に
「価値観を共有する」との文言がありますが、

「積み重ねの歴史の国」と「繰り返しの歴史の国」は、
価値観を共有することは、絶対にあり得ない ことを
肝に銘じるべき でしょう。

私は、
「繰り返しの歴史の国」の人々も、
赤ん坊の時から「積み重ねの歴史の国」の教育を施せば、

1世代もすれば、
「繰り返しの歴史の国」が「積み重ねの歴史の国」に 変貌するのでは
と、期待していました。

ところが、
戦前に この経験をした韓国 が、
戦後 日本統治から離れたら、もとの「繰り返しの歴史の国」に
先祖返りをしていますので、

教育により「繰り返しの歴史の国」を変革するのは不可能だ
と、身にしみて理解しましたので、

今では、
教育により対処する方法は、対策とはなり得ないと 確信しています。

考えてみたら、
それぞれの国 において
連綿と続いた歴史の結果が、現在ですので、

短期的な方法や手段で、対処することは
不可能であり、意味がないのは 当たり前のことです。

もし、その国のモラル(例えば、韓国民のモラル)を
教育で 根底から変えることが可能だ としても、

数百年、
朴槿恵流の言い方をすると 1,000年以上の歳月
が、必要でしょう。

ですから、先ほど申し上げたように、

「積み重ねの歴史の国」は、
「繰り返しの歴史の国」自身の変革を 試みるのではなく

彼らの 復讐攻撃 に どう対処するのか、
早急に抜本的な対策 の 確立 が、求められているのだろう
と、思います。

ブッシュ大統領 の 言い方をすると
「繰り返しの歴史の国」に対する、新たなテロ戦争
みたいなものでしょう。

現在、日本も
韓国の反日攻勢 に さらされていますので、

以上述べたことが、本質として 根底に 潜んでいることを
担当されておられる方々が、ご理解下さったうえで

対処方法を立案下さることを 願っています。



追記 2019年 12月27日 記述


4.「積み重ねの歴史」の 内部 の 異分子 ユダヤ人 


現在、米中対立 が、表面化して、
リング上での戦い と なっていますが、

ヨーロッパ文明の諸国
とりわけ
アメリカ に 潜り込む際

チャイナが先例として
参考にしてきたと思えるのが、ユダヤ人では?
との気がします。


ユダヤ人が、

歴史に埋没せず、民族としてのアイデンティティー を、
約2,000年間 維持してきた理由 については、
次のブログ を ご参照下さい。

「ネイションという神話」
第1回 ユダヤ人が、民族として存続した理由
第2回 ディアスポラ(離散の民)について


ユダヤ人は、

19世紀 世界制覇 を 実現した ヨーロッパ文明 内部 に
唯一 異分子として 残った「繰り返しの歴史」の民族でした。

彼らは、
事ある毎に迫害され、ゲットーに隔離されてきました。
自らの国家の庇護がなく、
迫害されても 個人、個人で対応せざるを得なかったため

他の住民から、後ろ指を指されないように、
ひっそりと目立たないように、
しかも、
揚げ足を取られないように 生活していたのだろう
と、思います。

ただ、
ユダヤ民族としてのアイデンティティー を
約2,000年来維持してきた

ヨーロッパ文明の外に位置する
ユダヤ教、及び ユダヤ民族のモラル を
頑なに守り通してきたのでした。

ですから、
住んでいる地域の法律には 形式的には守るけど、
法律 を 支えている モラル は、無視して 守らず、
ユダヤのモラル を 忠実に 従っていたのです。

このことは、
「ベニスの商人」を思い起こして頂ければ、
ご理解頂けるのでは、と思います。

要するに、ユダヤ人は、
ヨーロッパ文明のモラルの外に存在する
ヨーロッパ文明内での 異質の民族でした。


この異質で、
ヨーロッパ文明のモラル に 従わない行動 が

ユダヤ人 が、ヨーロッパ で
嫌われて、迫害 を 受ける原因 になったのでは?

との仮説 が、成立するのでは と、感じられます。 


ユダヤ人は、
迫害を常に念頭に置いて生活をせざるを得ないため、

頼りにしたのは、
逃亡の際に持ち運べるお金、宝石類、貴金属でした。

それと同時に、
できるだけ財産を増加させて、事業 を 拡大させることにより
ヨーロッパ文明内での 発言力の増大 に 傾注してきました。

アメリカ で、
有名な財閥家族 に ユダヤ人 が 多く見られるのは その為です。

産業界、金融界で重きを置くようになったユダヤ人は、
マスコミや政界に食い込むようになります。

アメリカのマスコミは、殆どユダヤ資本だとのことですし、
(最近は、チャイナ資本も進出しているとのことです)
政治の世界でも、
ユダヤ人の意向に原則として従っているような感じがします。

少なくとも、アメリカ政府は、

イスラエルと同盟関係以上の関係

即ち、
イスラエル政府の意向に従って、
すくなくとも
相談しながら

政策 を 遂行しているような 気がしています。

従って、現代アメリカにおいては、
舞台の袖で、ユダヤ人 が 政治家の振り付け を 施している
と、言っても 過言ではない様な感じがします。


チャイナ は、
このような ユダヤ人の行動、影響力 を 参考にして、

自分たちも 同じような存在 となって、
アメリカを操ろうとしたのではないでしょうか。(仮説)

近年、
マスコミやハリウッドを買収して 世論 を コントロールし、
ロビー活動の自由を活用して、金をばらまいて、

特に、民主党 に 影響力と行使しようとしてきたのでは
ないでしょうか。

例えば、

クリントン大統領やオバマ大統領は、
中国と親密だと云われていますが、

時々、親族の方とチャイナの関係が、
マスコミで話題となることがありますので、

単なるおつきあい以上の経済的な関係があるのでは?
との気がしています.


朝鮮人の日本における行動を、チャイナが、
アメリカで、同じような行動を行う と、仮定すると、

チャイナは、自国民 を
どんどん アメリカ に 送り込んで 帰化させて、

アメリカ人 を 金で動かすだけでなく、

アメリカ に 送り込んだの人々の 2世、3世 を 使って
アメリカをコントロールしようとするのではないでしょうか。

目標は、
チャイニーズ系アメリカ人のアメリカ大統領 の 実現でしょう。

もし、以上のことが、現実に行われたとしたら
これは、外国に対する内政干渉 そのもの ですので

ヨーロッパ文明のモラル では、許されざるもの ですが、
ヨーロッパ文明の外に位置する チャイナにとっては、
何の問題のない、当たり前のこととなります。

この行為を、
ヨーロッパ文明のモラル に 従って

「あるはずがない」と、否定してかかるのは、
大きな錯誤だと 云わざるを得ない と、思います。

トランプ大統領 が、

マスコミの 報道 を、信用しないどころか
フェイクニュースと正面から非難して、

ツィッター を 使用して 直接国民に呼びかけているのは、
マスコミ支配 に 対抗するためですが、

そのマスコミの後ろに、チャイナが存在しているとしたら

大げさにいうと、
アメリカを 内から蝕んで 存亡の危機をもたらす事態
ではないでしょうか。


ユダヤ人 と チャイナ の 違い は

ユダヤ人は、
ローマ以来住み着いていた社会の隅っこで
ひっそりと生活することから始めました。

平穏な生活をするために、
自分を守るために、
できることを努力したのです

これに反して、チャイナは

ヨーロッパ文明の外の人間であり
自分の利益のため との 個人的事情により、
移住してきている人々なのです。

言い換えると、欧米人にとって

ユダヤ人は、
異質の人だけど 昔なじみの人々 でしたが

チャイナは、
最近面識ができた 初対面の人みたいな存在なのです。

面識もなく 性格も 不明な人 が、
大っぴらに その社会 の モラルに反すること を 平気で行えば、

その経済活動 で 便益 を 得たり、
買収されて 工作員 となった 人間 以外の 普通の人から、

嫌われて、迫害され、つまはじきにされるのは、
人間社会においては当たり前のことでしょう。

(注)アメリカでの 韓国人攻撃 が、時々ニュースを賑わすのは
   このことが原因であるような気がしています。


「繰り返しの歴史の国」の人々は、
ヨーロッパ文明のモラルの外に存在する人々ですから、

ヨーロッパ文明が築き上げてきたモラールに拘束されず、
平気でそれに反する行動 を 取るのです。

このことは、
ユダヤ人 や チャイナ に 限らないことは、

「繰り返しの歴史の国」である 最近の韓国の反日活動を見ても、
ご理解いただけると思います。

本日(2019年12月27日)
韓国憲法裁判所が、 日韓の慰安婦合意について

「政治的合意で、法的拘束力がない。
 文書を取り交わしておらず、批准もされていないものだ」
と、吃驚するような判決を下しました。

これは、朝鮮人が、
「繰り返しの歴史の国」の人々であり、

「積み重ねの歴史の国」であるヨーロッパ文明が
築き上げてきたモラルの外に位置していることを表しています。

ヨーロッパ文明側(含む日本人)からすると
アウトロー、無法者の所業ですが、

彼らにしたら、
「何が悪いのか?」と、云うことでしょう。

このような行動を取ると、
諸外国から金輪際相手にされなくること

即ち
条約などの合意は、締結できなくなることに
思い至らないのです。


従って
日本が、ヨーロッパ文明のモラルに従って
安倍首相 が、文在寅大統領に
「約束を守れ」と 強く主張しても、何の効果も生まれないのです。

彼らが従っている モラル は、
「約束 は、都合 が 悪ければ 破って構わない。」
「ウソついて、人を騙しても構わない。
 ウソを信じて、騙される人間が 悪い(馬鹿である)」
と言うことなのです。

「積み重ねの歴史の国」は、世界制覇した故に、
自分たちのモラル以外 あり得ないと思い込んでいるのですが、

実は、
「繰り返しの歴史の国」のモラルは、
「積み重ねの歴史の国」の人にとって、
想像 を 絶するもの では ないでしょうか?

ですから、
一度約束した条約を 自分の都合で破るのは、
彼らのモラル上、当たり前のことであり、

多分、安倍首相に「約束を守れ」といわれた文在寅大統領は、
「何故、そんなことを云うのか?頭がおかしいのでは?」
と、内心 舌 を 出して、
軽蔑の眼で 安倍首相を見ているのでしょう。


従って、
彼らを動かすには、
経済制裁などの 実力 で 屈服させるしか 方法がないのです。

そろそろ、断交 の 前段階である
韓国 を 経済的に 即死させる 金融制裁 を 行う時期が、
近づいているような気がします。


チャイナは、1,000年以上にわたって
宗主国として 力尽くで 朝鮮 を 従わせてきたようです。

というのは、ネットを拝見していると
チャイナの外相が、日本も チャイナ同様の対処を韓国にしたら
と、助言されておられるようだからです。

朝鮮人は、頭を力で押さえつけるチャイナには、従順に従い
易しく、援助して助ける日本には、
上から目線 で 説教 を たれるし、

日本から金銭や技術を いつでも もぎ取ることができると
なめきっているのです。

また、朝鮮人が、
日本国内 に 入り込んで、マスコミ や 産業界だけでなく
官庁、自民党、内閣にまでも、影響力を及ぼして、

日本を貶めようと工作していることは、
ネットの普及により 明らかになってきました。

困ったことに、

A.2世、3世の朝鮮系日本人 が、

  必要に応じて「日本人 を 代表して」と 名乗り、
  実質 朝鮮人として 朝鮮 の為の 工作活動 に
  従事していることと、

B.韓国や北朝鮮国籍 の 在日朝鮮人が、

  朝鮮名 を 名乗らず、
  通名など の 日本人の名前 を 使用していることが、

ことを複雑にしています。


これらの攻撃に対して反発し、対抗する動きが、
嫌韓感情と云われるものです。

韓国人は、
日本で 自分たちを攻撃されると、ヘイトだ と、喚き散らかせて、
条例などの制定をさせていますが、

韓国国内では、
日本でヘイトと云われているものは、
「幼児のおままごと」のように思われるくらい の
論外な反日活動を行っていますので、

今後、これにも 対抗措置 を 執るべきでしょう。


また、
慰安婦や徴用工(応募工)を初めとして、
竹島、旭日旗やレーダー照射問題、仏像不返還など、
ヨーロッパ文明のモラルに反する韓国の主張、宣伝に対して、

外務省 が、責任を持って、
断固たる対応 を とられることを期待しています。

このことにより、
外務省 が、
ネットで「害務省」といわれている汚名 を
雪ぐ日が来ることを願っています。


少々過激な文章となってしまいましたが、

人間の性格として、

自分のモラルは、他人にも理解してもらえるだろうと
アプリオリに期待するものだろうと思います。

ましてや、欧米人は、
地球上全ての地域を制覇したヨーロッパ文明のモラルは

英語などと同様に、
世界共通の理解事項だ=世界基準だ と、
思い込んでいるのでしょうが、

ここが、盲点なのだろう と、思われます。

最近のチャイナ や 南北朝鮮の行動 を 見ていると、
彼らのモラルは、
ヨーロッパ文明が培ったモラル とは 全く異なっていて

しかも、
彼らは、ヨーロッパ文明を無視して、

「ウソに騙される人間が悪い」
「約束は守らなくてもよい」
「ヨーロッパ文明のモラルは、
 自分の都合に合わせて 曲解して利用すべきだ」等の

自分たちの都合の良いモラル に従って行動している
と、考えるべきではと感じられます。

従って、
地球上の歴史には、
「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」の
2つの世界が、別々に 並列して 存在し、

21世紀に入り、
「積み重ねの歴史」に屈服してきた「繰り返しの歴史」の復讐 が
モラルの差異を梃子に 開始されていて、

米中対立は、
その最初に大きく表面化した事件であること


しかも、
このことは、日本にとり対岸の火事ではなく

日韓関係、尖閣問題、更には沖縄に対して
日本人自身に火の粉が既に降りかかっている
重大な現実であることを

ご認識いただいて、お考え下さるようお願い申し上げます。


ユダヤ人は、
ヨーロッパ文明内部の異分子でしたが、

ヨーロッパ文明の範囲内で、
自分たちへの迫害を防御し、自分の利益を追求しました。

21世紀の「繰り返しの歴史の国」の人々は、

ヨーロッパ文明の外にいて、
ヨーロッパ文明のモラルを無視するか、
都合の良い部分をつまみ食いして

自分たちを侵略した ヨーロッパ文明 に復讐して

貶め、没落さそうとしていることへの 認識と防御 が、
緊急に求められているのでは、と思われることを、

ご理解いただき、行動に移して頂ければ幸いです。


                        以 上



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2018年4月 2日 (月)

日韓の歴史の本質の違いについて・・・第2回 韓国のムーヴィングゴールポストや反日は「繰り返しの歴史」がもたらしたのでは?

前回は、
日本が、「積み重ねの歴史」の国であることについて
お話しさせて頂きましたが、

今回は、
韓国について、「繰り返しの歴史」の国であると考えると、
得心がいくことが多いのでは?
と、考えましたので、その点についてお話しさせて頂きます。


韓国について、
日本人である私が いろいろ申し上げるのは、
何かにつけ差し障りがあるかと思いますので、

ここでは、
日本人が日頃首をかしげて訝る事項について
私の仮説の結論部分だけを、簡潔にお話しさせて頂きます。


韓国は、
日本と異なる歴史の本質を持った国だと考えています。

即ち、

日本は、
世界にも類例が少ない「積み重ねの歴史」の国であるに対して

韓国は、
世界の通常の国と同じように「繰り返しの歴史の国」だと考えています。


誤解されるといけませんので、一言注記させて頂きますが、

「積み重ねの歴史」の国である 日本が、

韓国より 優れているとか、
韓国に比して 立派な歴史である

と、考えている訳ではありません。

歴史の本を読んでいる内に、
歴史には、2種類あるなと気がつき、

2種類の歴史を切り口にして歴史を見ていくと、
今まで漠然としていたことが明確に理解できるな

と、考えているからです。


個人的には、

「積み重ねの歴史」より「繰り返しの歴史」の方が、
人間の本性にマッチしているし、

だからこそ、
大半の国が、「繰り返しの歴史」となったのだろう
と、考えています。



ここでは、

最近、日本で言われているいくつかの点についての
私の仮説の結論を
「繰り返しの歴史」の切り口から分析していきたいと思います。



1.韓国は、
「ゴールポスト」を動かす国である 事について。


「繰り返しの歴史」の国は、

政権なり、王朝が、交代すると、今までのことは全てご破算になって、
一からやり直しになります。

言い換えると、

前の王朝(前政権)のやったことは、全くないこととして、
新たに 白地の上に 自分の考えを、全て展開していくのです。


日韓の政治交渉において、

「ゴールポスト」が変更すると日本側が感じるのは、
このためだろうという気がしています。


例えば、慰安婦問題に於いて

朴槿恵政権が設定した「ゴールポスト」に、

後継の文在寅政権は、
全く別個に、一から「ゴールポスト」を設定しているのです。


ですから、
日本サイドから見ると、

大統領が変更したら、韓国はゴールポストを動かした
と、見えるのだと思いますが、

文在寅大統領にしてみたら、
自分のゴールポストは以前から一つしかなく、
さらさら動かしていない と、考えているのでしょう。


朴槿恵政権は、
日韓の慰安婦合意が成立した後、

誠実に遵守したとは言えないまでも

基本的には、
日本に対してゴールポストを変更しなかったような感じを
持っていますが、

文在寅政権になり、
朴槿恵政権が行った 日本との約束 を 無視して、

文在寅大統領独自のゴールポストに変更したい
と、考えているのでしょうが

日本や米国などの圧力を受けて、
外交の場で、正面切っての実現ができないため、

正式の交渉の場で 主張しなければ 良いのだな と、
裏に回って、

自分の設定するゴールポストに変更させたのと同じ状況を
実質的に 作りだそうと、いろいろ画策しているというのが
現在のところでしょう。


ですから、日本政府は、

日韓合意を遵守する気がさらさら無い韓国に対して、
遵守せざるを得ない状況に追い込む戦略 を 構築して
対処していかなければならないと考えて、
いろいろな施策を打っておられるのだろうと推察しています。

これには、相当の覚悟が必要でしょう。

場合によったら、
日韓断交、経済戦争も視野に入れなければならない日が
訪れることもあり得る と、
覚悟されておられるのかもしれません。



2.韓国が、「反日」を国是とする理由

これも、
韓国が「繰り返しの歴史」の国であることを考えると、
「反日」は当然のことだな と、簡単に氷解します。

先ほど述べたように、
「繰り返しの歴史」の国では、王朝が交替すると、
全てが、一から仕切り直しされるのです。

そして、
現在の王朝の正統性を主張するために、
前の王朝の事跡を 悪し様に全否定して 地獄の底に放り込むのです。


現在の韓国では、

大統領経験者は、全員が、
亡命したり、暗殺されたり、投獄されたり、自殺に追い込まれていますが、

これも、大統領の交替が、
一種の王朝の交替と考えると、得心がいきます。


現在の韓国の前の王朝は?と考えるまでもなく、

現在の韓国は、
日本が敗戦したから、棚ぼたで 米国により建国された国なのです。

従って、
前の王朝が 日本だ と、考えると、

現在の韓国が、
歴史を捏造してまでも 日本を悪し様に非難し、
機会がある毎に 日本から 多額の資金や便益を ゆすり取ろう
としていることが、理解できます。


韓国が気がついているかどうか 不確かですが、

通常の王朝の交替では、
前の王朝がこの世界から退場して、いわば故人となっていますので、

何を言っても、何をやっても、
反撃されることがありませんが、

日本は、
厳然と存在していて、
事と次第によっては、反撃があり得ることです。


日本人は、

戦前のことは、
帝国主義列強も同じようなことをしたからといって、正当化することもなく、

戦後、朝鮮に対して、
できるだけのことをしよう との世論 を 背景に、

日本政府が、対処してきました。

ですから、
韓国に対して、内心おかしいではないかな と 思うことがあっても、
黙って見過ごしてきているのです。

ところが、
最近の韓国の行動は、限度を超えており、
さすがの日本人も、腹に据えかねて、

世論が、朝鮮に、
日本として 言うべきことを言い、反撃すべき事は反撃するべきである
との方向に動き出しているのです。


謂わば 故人となった前王朝に対するのと 同じような感覚で、
言いたい放題、やりたい放題を行って、

韓国が、
歯止めが無い状態を このまま継続すれば、

両国間の関係が破局を迎えることになるのでは?
と、危惧しています。


まずは、
日本が 統治した時代の歴史 について
捏造をせずに、
ありのままの歴史を再構築することが

韓国が、
まず最初にしなければならないことでしょう。

その為には、
今まで扇動してきた国民に、
真実を知らしめる勇気を持った政治家が、求められているのでは
ないでしょうか。

そのような政治家が現れなければ、
日韓関係の将来は暗い と、言わざるを得ないなと、
嘆じています。


以上、
韓国に大変厳しい文章になってしまったなと、
我ながらびっくりしています。

日韓関係の将来が、明るいものになるように

更には、
韓国が、世界の孤児にならないために、

韓国が自覚して、
苦い薬を飲む勇気と能力を持っていることを願っています。

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日韓の歴史の本質の違いについて・・・第1回 「積み重ねの歴史の国 日本

「繰り返しの歴史」と「積み重ねの歴史」の視点が、
歴史をみる際のツールとして非常に役立つものだな
と、感じています。

今まで、ホームページやこのブログで、いろいろお話しさせて頂きましたので、

「繰り返しの歴史」と「積み重ねの歴史」についての定義などは、
今回省かせて頂いて、

このツールを使って日本と韓国を見てみたいと思います。



1.「積み重ねの歴史」の国 日本


日本は、「積み重ねの歴史」の国であり、
韓国は、「繰り返しの歴史」の国です。


日本人が、「積み重ねの歴史」の担い手であることは、
NHKの「イッピン」という番組を見る度に、痛感しています。

「イッピン」は、各地の工芸品の現在を紹介する番組ですが、

毎回、
若い職人さんが、伝統に従いながら、

少しでも良いものをつくろう、
伝統工芸品を、現代に適合したもののしよう、

と、工夫されておられて、

彼らの作品は、
伝統を伝えながら、現代を超えた時代性を持った作品に
仕上がっているのを見る度に、

日本人は、本当に「積み重ねの歴史」の担い手なのだな
と、感心じています。


日本人にとって当たり前のことですが、

日本人は、
教えられたことを 単純に繰り返すのではなく、
必ず 自分なりの工夫 を付け加えることが、

他の国の人と異なる点だと思いますし、
「積み重ねの歴史」の担い手たる所以だと思います。


例えば、
明治時代にパンの製法が輸入された際に、

木村屋さんが、
パンに餡子を入れてれて「あんパン」をつくられました。

又、
カレーパンやクリームパン、チョコレートパン、はてはメロンパンなど、
欧米には存在なかったパンが、日本で、つくられています。

中華料理でも、「ラーメン」、
イタリア料理でも「ナポリタン」等、

単に、教えられたものつくるだけでなく、
工夫を加えて、新たなものを創造するのが、

日本人の特質の一つではないでしょうか。


勿論、
工夫すれば何でも良いという訳ではありません。

私の父は、コントラバスの奏者でしたが、
その父から、子供の頃に、

大工さんが、コントラバスを見て、
コントラバスの背中に引出をつくれば便利だと考えて、作ってしまった
との話を聞いたことがあります。

コントラバスは、バイオリンなどと違って大きな楽器ですので、
物理的に、引出を作る空間はありますが、

そんなことをしたら、
楽器本来の目的を損ねてしまいます。

多分、父の作った笑い話だろう
と、子供心に思いましたが、

今考えると、
日本人だったら、本当にするかもしれないな、
と、感じられます。


このように、
工夫することが、全てプラスの方向に向かう訳ではありませんが、

日本人一人一人が、行動する際に、
何か、従来と異なる、新しい工夫をしようすることが、

日本全体を、
「積み重ねの歴史」を歩ませている原因だろうと、思います。


この日本人の遺伝子は、
製造業にも脈々と受け継がされていると感じています。


最近、
自宅の「便器」と「皿洗い機」、「ガスコンロ」を 交換しました。

別に故障があって使えなくなったからではありません。

トイレが、
少し前に故障したときに TOTOさんに修理をお願いしたのですが、

そのとき、
この便器が、次に故障したら、
部品の保存期間が終了していて、部品がないため 修理ができませんので、
その際には、新品に交換して下さい、
と、言われましたので、

いつ故障するか分からないし、毎日使うものだから、
故障しないうちに交換しておこうということで、交換したのです。

皿洗い機 も、ガスコンロ も、同じ理由で交換しました。

交換したものの、
なんで、部品をもっと長期間保管して、サービスしてくれないのだろうか
と、内心不満に思っていました。

実は、この不満は、
常々、家電やその他の日本の製造業全般に対する
不満でもあり、疑問でもあった のです。


今回、便器などを買い直して、
その理由が分かったような気がしています。

一年ほど前に、息子が、リフォームして トイレも 新しいものに代えました。

その便器と、今回の便器を比べてみると、
たった1年しか違わないのに、明らかに改善の後が見られるのです。

TOTOさんは、
絶え間なく毎年少しずつ改良を加えているのでしょう。

だとしたら、
当然部品も変更になるでしょうから、

もし、30年間 故障に備えて部品を用意するとなると、
尋常でない経費負担となるのでは? と、気がつきました。

そう考えると、

10年間も部品を用意されておられることは、
大変なことだし、感謝すべきでは

と、いう気がするようになりました。


自動車や家電、その他日常に使う機械類を買い換えると、
従来使っていたものより格段に改良が加えられていることに、

びっくりすると共に 感謝も してきたのですが、

その裏返しとして、
故障したときの部品の保存期間が短くなることは、
ある意味当然のことではないでしょうか。

10年間 改良を加えられない製品だったら、
故障に備えて、30年くらい部品を用意しておくのは
メーカーとしての義務だろうと思いますが、

毎年毎年、改良を加えて、部品もどんどん変更されていくなら、
激烈な経済競争に晒されているメーカーとしては、
故障に備えて部品を用意しておく期間に 限りが生じるのは
仕方が無いことでは?と、納得しました。

従って、
新たな工夫を加え続けて、
「積み重ねの歴史」の一翼をになっている企業に対して、

過度な要求をお願いする訳にはいかないだろう
と、考えを改めました。


日本が、「積み重ねの歴史」の国で、
新たな工夫が日々加えられている一つの表れが、

戦後 建築された、立派なビルディングが、
現在 どんどん建て替えられて、街並みが変化していることも
その一つではと考えています。

有楽町の都庁が 作られたとき、
丹下先生の傑作で、後世の残る歴史的建築となると言われましたが、
現在 取り壊され、面影も残っていません。

パリの街並みは、
19世紀半ばオスマンがつくった建物が、現在でも使われているのに、

ニューヨークのエンパイアステートビルは、現在でも健在なのに

なんで日本は、どんどん建て替えられるのだろうか、
と、疑問に思っていました。

でも、
ビジネス戦争の基地である建物が、
最新のテクノロジーを駆使した機器を使えるような構造でなければ、
建て替えざるを得ないのではないでしょうか。

例えば、
私が勤めていた企業は、30年前に新築されたビルに移ったのですが、
それから20年も経たないうちに、
OA機器の配線を床下に張り巡らすスペースがないので、使いづらい
との話が出てきました。

技術の進歩に、建物が対応していなければ、
いっそのこと建て直そうということになるのだろうと思います。

要するに、
最新の機器を使うことによって、投資に見合う対価が得ることができるなら、
企業としてその方向に動くのは、経済合理性の見地から当たり前のことでしょう。

建物が、どんどん建て替えられると言うことは、
それだけ、
日本における技術の進歩のスピードの激しさの現れのような気がします。

言い換えると、
日本の「積み重ねの歴史」が、幾何級数的に積み重ねられている現れ
ではないでしょうか。

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2015年7月21日 (火)

憲法を素直に読むと、個別的自衛権も、自衛隊も、違憲では?・・・最近の憲法論議は、憲法9条が規定していない事態への対処の議論なのでは?

憲法9条の議論について、
少しずつ認識を深めて、幾つかのブログを書かせて頂きました。

本ブログも、その一里塚ですが、
長文であるために、

異例ではありますが、申し上げたいことを
本文の前に箇条書きさせて頂きます。

(2016年5月10日 追記)


< 本ブログの主旨 >


1.憲法9条 が、規定しているもの

  平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、
  軍隊などの戦力の放棄、交戦権を禁止している。

  従い、
  自衛隊 は、
  違憲の存在である 軍隊 であり、

  交戦権が禁止されている以上、
  個別的自衛権の行使 も、違憲である。


2.憲法9条が、規定していないもの
  ・・・憲法9条 の 空白、瑕疵・・・


  ① 諸国民、とりわけ周辺諸国が、
    公正でなく、信義に悖る国家である場合

    対処の規定 が、欠落していて、
    憲法9条には、規定の空白が存在する。

  ② 憲法9条が規定する理念を実現するための
     方策、方法論
について 規定が 欠落している


3.今回の安保法案の議論の本質

  上記2.の 憲法9条の空白 を 埋めるもの である。

  このことは、
  護憲派野党 でさえ、

  憲法9条が明白に禁止、放棄している
  自衛隊と個別的自衛権 を、合憲 と 解釈していることからも、
  明かである。


4.今回の安保法案が生じた事情

  憲法9条は、

  諸国民が、平和を愛好し、公正且つ信義に足ると
  検証抜きに 勝手に決めつけて、

  高らかに軍隊と戦争を放棄する
  と、宣言したが、


  その後の推移 は、

  諸国民、

  とりわけ
  周辺諸国(中国、韓国、北朝鮮)が、

  憲法が、前提とした
  公正で信義に足る存在でない どころか、

  憲法9条の存在を奇貨として
  わが国領土への侵略の意思を露わにする との

  憲法9条が規定している外の事態 が、生じたために、

  憲法9条の空白を埋める法律の制定の必要が生じた
  と、考えるべきだろう。


  これは、
  改憲による 憲法の空白を埋める方策 を 阻止している
  国民感情、政治状況 に 対処して

  法律(自然法、慣習法)が、
  法律自体に備わっている 空白を埋める 自然治癒力 が 発動して
  (自然法、慣習法 の 自律的状況対処能力)

  半世紀以上にわたって
  慣習法の憲法 が 生成してきている

  と、言うべきものであろう。


5.筆者の願い

  ① 憲法に欠陥、空白があるなら、
     空白について憲法論議を深めて、

     空白を埋めるために どう改憲すべきかを 正面から議論して
     国会としての本来的な機能を果たして頂きたいと願っている。 

  ② 憲法9条の理想は、
     いつの日にか、歴史が必ず実現する 崇高な理念 である。

     日本人が、他国に先駆けて
     20世紀半ばに、永久平和の理念を憲法に明記したことは、

     フランスの人権宣言、
     アメリカの独立宣言 に、匹敵する
     歴史上の金字塔とも言えるもの であると、同時に、

     この理念を、
     実現するべく努力が、未来永劫課されている  と、
     日本人一人一人が、深く認識し、銘記すべきである。


     従って、
     改憲論議の際に、

     周辺国家の目先の侵略だけに目を奪われて
     憲法9条の理念を削除すべきではなく、

     憲法の理念 を 実現するためには、どうすべきか、
     との発想により

     憲法の改正を 検討すべきであろう。 






以下に、
本ブログの本文を記載します。




国会の論戦について聞こえてくること を
おおざっぱに整理すると、

与野党ともに、
「個別的自衛権と自衛隊は合憲」だとして、異論がなく、

「集団的自衛権」について、

与党(自民党・公明党)は、合憲、
野党は、違憲

と、主張が別れているように感じています。


しかし、
憲法9条を、素直に読むと、

自衛権(個別、集団の両方) も、
自衛隊 も、

違憲では?としか
読めないのではという気がしますし、


もし、
個別的自衛権 が 合憲だとすると、

何故、
個別的自衛権を発動して、
竹島や北朝鮮に誘拐された人々を
取り返しに行かないのでしょうか?

何故、
尖閣や小笠原の領海侵犯する中国船を、
実力で排除しないのでしょうか?

更には、
長年にわたって、外国より、

領土が侵犯され、
国民が誘拐されているのに、

何故、
自衛権の発動についての具体的な議論 が、
国会でなされないのでしょうか?


との疑問が湧いて来る と、同時に、

最後の論点は、
国会や内閣 の 怠慢であり、
義務違反、国民への背信行為 では?

との 根源的な怒りさえ 含んだ 疑問 が 生じてきます。



今回は、
この辺の謎を考えてみたいと思います。




憲法は、

憲法前文で

「平和を愛する 諸国民の公正と信義に信頼して、
 われらの安全と生存 を 保持しようと決意した」

と、表明した上で、


憲法第9条 (戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認)で、

 1.日本国民は、
   正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、

   国権の発動たる戦争 と、武力による威嚇又は武力の行使は、
   国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。


 2.前項の目的を達するため、

   陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
   国の交戦権は、これを認めない。

と、定めています。




わが国の憲法を、素直に読むと、

「わが国の存立を考えたら、ここまで思い切って良いのかな?」
と、思われるほど、極端なことを書いています。


即ち、

近隣の皆さんを信頼してますから、
紛争が起こって、
近隣の皆さんが、わが国に攻めてきても、

わが国は、
反撃のための戦争は、勿論、

武力を見せつけて、
皆さんを屈服させることもしませんし、

そのための 軍隊及び軍隊類似の武力も、
日頃から保有しません、

と、宣言した上で、

わが国に、
交戦権、

即ち、
外国との戦闘行為 を 禁止する

と、書いてあるとしか、理解できません。


言い換えると、

皆さんが、
わが国を攻めてきても、

わが国は、
反撃や抵抗も しないし、

どうぞ、
好き勝手に占領して下さって結構です。

何故、
このようなことを 言うかというと、

近隣の皆さんは、
そんなことをする人ではないと、
皆さんの信義を信頼し、信じているからです。

と、規定している と 読めます。


だとすると、
憲法の規定が、この様なのに、

与野党とも、
「個別的自衛権」「自衛隊」は、合憲だとしている根拠は、
どこにあるのでしょうか?


「個別的自衛権」とは、

わが国が攻撃されたら、反撃する権利
ということですし、

「自衛隊」は、
外国の攻撃に対して反撃するための組織ですから,

両方とも、
憲法9条と正面から衝突すのではないでしょうか。


従って、
憲法を素直に読むと、

「個別的自衛権」も
「自衛隊」も、

憲法9条で、禁止されている としか
読めないのではないでしょうか。

どう読めば、
合憲だと言えるのでしょうか?


憲法学者の宮沢先生も、
先生の憲法のコンメンタール(憲法の逐条解説)で、

「自衛戦争の名目で 侵略戦争が、
 行われてきたことがあるので、

 日本国憲法は、自衛戦争をも禁止している」

と、記述されおられます。


宮沢先生の学説は、
通説ではなかったのではないでしょうか?

いつから、
宮沢先生の説が否定されるようになったのでしょうか?

また、
その理由は、何なのでしょうか?


実は、
小学校で憲法の話を聞いて以来、

「自衛隊」が、
 どうして、憲法上、認められるのかな?
 軍隊ではないとしても、その他の戦力では?

ということが、
常に、私の頭の片隅に存在する 疑問、謎の一つでした。



与党(自民党、公明党)は、

個別的自衛権のみならず、集団的自衛権も

即ち、
自衛権全部 を、合憲だと主張し、
法案を提出されておられます。

そして、
最高裁の砂川判決 を 根拠として あげておられます。



砂川判決は、

「かくのごとく、同条(憲法第9条)は、

 同条に、

 いわゆる戦争を放棄し、
 いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、

 しかし、もちろん
 これによりわが国が、主権国として持つ固有の自衛権は、
 何ら否定されたものではなく、

 わが憲法の平和主義は、
 決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。


 憲法前文にも明らかのように、

 われら日本国民は、
 平和と維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を、

 地上から永遠に除去しようとつとめている
 国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、

 全世界の国民と共に、

 ひとしく恐怖と欠乏から免れ、
 平和のうちに生存する権利を有することを

 確認するのである。


 しからば、

 わが国が、
 自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために
 必要な自衛のための措置をとりうることは、

 国家固有の権能の行使として、
 当然のことといわなければならない。

 (以下略)」

と、判示されておられます。


この判決を読んで、

特に、
「主権国として持つ固有の自衛権は、
 何ら否定されたものではなく、

 わが憲法の平和主義は、
 決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである」
との文章は、

最高裁が、
憲法を無視して、自分で判断しますよ

と、おっしゃっておられるのでは、
と、感じられ、吃驚してしまいました。


当時の最高裁長官で、砂川判決の裁判長をされた
田中先生の補足意見を読んで、

先生のお考え、

ひいては、
砂川判決の本当の狙いが、

理解できたような気がしています。


田中先生は、
「我々は、
 その解釈について争いが存する憲法九条二項をふくめて、
 同条全体を、

 一方、
 前文に宣明されたところの
 恒久平和と国際協調の理念からして、

 他方、
 国際社会の現状並びに将来の動向を洞察して、
 解釈しなければならない。

 字句に拘泥しないところの、

 すなわち、

 立法者が、当初持っていた心理的意思ではなく、
 その合理的意思にもとづくところの 目的論的解釈方法 は、

 あらゆる法の解釈に共通な原理として、
 一般的に認められているところである。

 そして、このことは、
 特に、憲法の解釈に関して、強調されなければならない。」

と、補足意見を述べておられます。

この補足意見については、前回お話ししていますので、
詳細はそちらをご覧下さい。

  砂川判決(砂川事件最高裁判決)における 慣習法憲法の生成
  http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-f6aa.html



田中先生がご指摘のように、

憲法九条を、
憲法前文の趣旨も踏まえて、解釈すべきだということは、
その通りですが、

目的論的解釈方法は、
条文に書いてあることの解釈、
即ち
説明ですから、

白を 黒と 言うことは、できないはず です。


憲法九条は、

明確に、
わが国の交戦権を禁止してますので、

外国が日本に攻め込んできても、
わが国が、
反撃して戦争することはできないのです。

別の言い方をすると、
「自衛権」を 禁止しているのです。


砂川判決は、
法律家の常識に従って、

主権国家が、
自衛権を持つのは当たり前である との前提に立って、

「主権国として持つ固有の自衛権は、
 何ら否定されたものではなく、

 わが憲法の平和主義は、
 決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである」

と、おっしゃっておられるのですが、


わが国憲法は、
「主権」を 奪われた状況下において、

連合軍、
具体的には、米国から、
押しつけられた憲法であり、

わが国に、
未来永劫「自衛権を認めない」との前提 に 立っていて、

砂川判決とは、
議論の根本たる前提 が、異なっているのです。、



憲法制定当時、米国は、日本を、

永久に
無防備国家、軍事的抵抗力を持たない国家に 貶めおこう
として、憲法9条を押しつけてきたのです。


法律家の常識では、

自分の身を守ること、

即ち、
自衛権は、

常識であり、
当然の権利として認められているのです。


ところが、米国は、

終戦後の日本に対して、この自衛権を認めず、、

しかも、
米国ではなく、

わが国自らが、
自衛権の放棄を宣言する形の憲法 を 押しつけて、

永久に、
わが国を無防備国家に貶めておこうとしたのです。


そして、
わが国を、無防備国家のままに貶める憲法9条は、

わが国が主権を回復しても、改正されずに、
現在まで、厳然と存続し続けているのです。


ですから、法律論としては、

主権を奪われていたときに制定した憲法が、
主権回復後の憲法として不適当であるならば、


砂川判決のように、

憲法を無視して、
主権国家は自衛権を持つのは当然、常識である
というような 法律家の奥の手である マジック

即ち、
詭弁 を 使うべきでなく、、

正面から正々堂々と、
改憲により対処すべきなのです。

要するに、本件は、、

「解釈論」で、対処するのではなく、
「立法論」で、対処すべき本質の事柄なのです。


最高裁が、

砂川判決で、あのように判示せざるを得なかった事情

即ち、
主権国家の裁判所が、

自国の存立に危機をもたらし、
外国の侵略 を 容認するような判決 は
出せないし、

さりとて、
憲法改正は、事実上不可能だった事情 は、
十分理解していますが、

それでも、
田中先生が、補足意見で述べられているような、

目的論的解釈と称して、
憲法9条の条文や単語の意味を、全く無視して、

憲法の前文だけにより、
自分に都合の良いような解釈をすることに、

重大な疑問を呈せざるを得ないのでは?

法律家として、
許されることではないのでは?

という疑問を、拭い去ることができません。



憲法9条が、

主権を奪われた占領下に制定されたものであり、

しかも、米国が、
わが国を永久に無防備国家のままに貶め置こうとして
押しつけたものであることは、

田中先生を初め、
砂川判決に参与された最高裁の判事の方々にとり、
勿論、釈迦に説法だったと、思います。


田中先生からは、

「まともに 法律の勉強もしてないくせに、
 子供じみた生意気言うな」
とのお叱りが、聞こえてくるような気がしています。


砂川判決の当時、

憲法9条の改正は、
国民の総意として不可能でした。

国民は、
法律家の常識、人類共通の常識よりも、

太平洋戦争中、
政府により、虫けらのように屠殺された経験を

二度としたくない、
戦争なんて考えたくもない

と、考えて、改憲に反対だったのです。


最高裁が、砂川判決で、
邪道とも言える解釈 を されたのは、

国民の安全、生存に対する責任を有する
三権(立法、行政、司法)の一翼を担う 司法権 としての

ぎりぎりの決断、
唯一の選択肢であり、

究極の非常手段だったのだろう
と、私には思われます。

(注) 虫けら、屠殺 との過激な言葉を
    敢えて使用したことについて
    次のブログを 参照頂ければ幸いです。

  集団的自衛権論議で欠けてる視点・・・慣習法の憲法の生成・・・
  http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-b14a.html



ですから、
田中先生が、補足意見で、

「立法者が、当初持っていた心理的意思ではなく」と、
立法の経緯を無視して判断する
と、宣言されたのでしょう。


私には、この文章は、
憲法9条を無視するとの宣言と共に、

法律家として邪道な解釈をすることに対する
弁解、釈明 を されておられるような気がしてなりません。

この文章から、

わが国がこの様に貶められる状況に至ったことに対する
田中先生の無念さ、悲しみ,痛み を しみじみと感じていますが、

先ほど述べたように、
法律家として、許されることなのかな?

もっと丁寧な理由の説明、

あけすけに言うと、
本音の理由 を 説明されれば 良いのに

と、ブツブツつぶやいています。



孫悟空が、
お釈迦様の手の外に出ることができなかったように、

この砂川判決は、
憲法が厳然と存在する以上、

前回お話しした通り、

竹島にしろ、
拉致問題、

更には、
尖閣、小笠原諸島において、

日本政府をして、
自衛権を行使させる迄には至りませんでした。

また、
砂川判決に従って自衛権を、

即ち
主権を行使しないことに対して、

誰からも、
「おかしいじゃないか」との指摘がありませんでした。


即ち、
砂川判決に従って、

(首相などの)誰かが、
自衛権を行使しようとしても

憲法9条が阻んでいるのです。


ですから、

野党やマスコミの皆さんは、
憲法により「日本が守られている」と、主張されますが、

日本国憲法により守られているのは、
不法行為 を 好き勝手に やり放題 行った
「韓国、北朝鮮、中国」だった、

即ち、
強盗や誘拐犯というべき国 が、

憲法9条によって守られていることが、
明確になってきたのです。


逆から申し上げると、

わが国は、
憲法9条 が あるが故に、

領土や領海が、侵略され、
国民が、誘拐されても

取り戻すことができないのです。




尖閣諸島にたいする中国の侵略や、
韓国大統領による 竹島上陸、天皇への冒涜発言、

更には、
中国の小笠原諸島における珊瑚強奪など

中国や韓国の傍若無人の振る舞いに対して、

日本国政府は、
憲法9条に縛られて、傍観するだけでしたが、

これらの事件により、
わが国の国民一人一人が、

「わが国の領土は、我々自らが守らねばならない」
と、考えるようになりました。


このことは、
憲法9条から離れた国民的合意 が、
地滑り的に形成された という、

大変な地殻変動が国民の間に生じたことを
意味しています。


憲法9条が、わが国ではなく、
周辺の強盗国家を守っている と申し上げても、

従来のような
違和感や反発 を、感じられなくなったのは、
この様な国民意識の変化によるものでしょう。


また、
この様な国民意識の変化が、

前々回の衆院総選挙で、自民党が、民主党を打倒し、
圧倒的多数の勝利を得たのは所以の一つでした。

更には、
護憲を標榜する野党やマスコミまでもが、

個別的自衛権や自衛隊は合憲だと
認めざるを得なくなったのです。


この国民意識の変化は、

砂川判決で最高裁の判事の方々が
直面された問題の本質を、

国民一人一人が、共有するようになった
と、言っても良いのだろうと思います。


でも、
政府自民党は、

この様な状況の変化があっても、
国民は、改憲に慎重であること を
心すべきでしょう。

太平洋戦争で、
国民が、政府により虐げられたトラウマは、

戦後70年を経ても、解消していないのです。





次に、
野党、マスコミの
「個別的自衛権」「自衛隊」合憲論について、
考えてみたいともいます。



野党の皆さんは、
護憲を旗印に政治活動を行っておられます。

今回も、
安倍首相は、憲法9条に違反して、戦争をしようとしている と、
マスコミを使って大キャンペーンを張り、

安倍内閣に逆風を吹かせることに成功しています。


一方で、

野党の皆さんが、
「個別的自衛権」「自衛隊」が合憲される理由について、
説明されておられる内容は、聞こえてきません。


今までお話ししたように、
元々 憲法9条は、

集団的自衛権どころか、
個別的自衛権も禁止していますし、

ましてや、
自衛隊みたいな戦力は持たない
と、宣言しているのです。


私には、
野党の皆さんが、

どのようなロジックで合憲とされるのか、
想像することができません。


野党の皆さんは、

自衛隊が創設されたとき、
違憲と主張されておられました。

それが、
どのような経緯で、
どのようなロジックで、

合憲に転換されたのでしょうか。


野党の皆さんは、
政府・自民党に対して、

解釈改憲してきている と、非難していますが、

ご自身の解釈を変更した理由については、
説明しないで良いとお考えなのでしょう。

政府自民党は、
主権国家になったからには改憲すべき、
を、旗印に、結党以来活動していますので、

その是非はともかく、
その行動について、
論理的には理解できます。

しかし、
野党の皆さんは、

護憲を旗印に、憲法9条を守れ、と主張して、
活動しているのです。

だとしたら、
野党の皆さんの主張は、

憲法9条に従ったもの、

即ち、
自衛権を否定し、
外国が侵略していたら、
何ら抵抗なく、彼らの好き勝手にさせる

と、いうことではないでしょうか。



ここで、
本筋からちょっと離れた冗談を 述べさせて頂きます。


  野党の皆さんが、

  何故、
  中国や朝鮮(韓国・北朝鮮)の主張と同じ対応を、
  何かにつけて主張されるのかが、やっと分かりました。

  護憲は、
  わが国国民を欺くための旗印であって、

  野党の皆さんは、

  中国や朝鮮の先兵となって、
  日本への工作活動に従事している人々だったのですね。

  そう考えると、
  野党の皆さんの護憲の旗印が、クリアに理解できます。


冗談はさておき、真面目な話、
野党の皆さんのおっしゃる護憲とは、何なのでしょうか。

素直に考えると、
憲法9条を守る ということのように 思えますが、

野党の皆さんは、
憲法9条とは 真逆の主張に 基づいて
活動されておられるのではないでしょうか。

不可解と、
言わざるを得ない気がします。


また、
自衛権には、
「個別」と「集団」の 2つが あります。

砂川判決でも、
国連憲章は、全ての国に「両方を認めている」
と、判示されておられます。


なのに、
個別的自衛権 と 集団的自衛権 を 区分して、

一方は「合憲」、
他方は「違憲」と、主張されるロジックが、

チンプンカンプンで、理解できません。


野党の皆さんは、
大衆を扇動するためには、
論理などどうでも良く、

「個別的自衛権」「自衛隊」は、合憲だ と、
主張しなければ、国民世論の支持を得られない、

反政府のキャンペーンを張っても、共感を得られない、
と、お考えになられたから、

合憲論に転じたのではないだろうか、
と、邪推したくなるのは、私だけでしょうか。


今国会の論戦が、
不毛である と、揶揄されていますが、

政府与党を攻める立場の
野党の皆さんやマスコミの論理構成の根本 が、

即ち、
集団的自衛権 が 違憲である との主張の根本 が、

この様に
支離滅裂であることが、議論がかみ合わず、

お互いの主張 を 言い放しにしている原因
ではないでしょうか。


また、
最初のお話ししたように、

個別的自衛権が、合憲なら、
個別的自衛権を行使して

何故、
竹島や、北朝鮮に誘拐された人々を
取り返そうとしないのでしょうか、

野党の皆さんが、賛成すれば、その気になれば、
明日にでも、竹島はわが国に帰ってくるのです。

(自衛隊による奪還、救出作戦は、
 短期間で終了するでしょう、との意味です。)


また、
尖閣や小笠原で中国が侵入して、
わが国の財産を強奪したときに、

何故、
武力で排除しようと、主張されなかったのでしょうか。

とりわけ、尖閣の時は、
現在の野党が、政権を担当していましたよね。

何故、あの当時
個別的自衛権を行使するどころか、

宗主国様に対するような
腰が引けた対応を されたのでしょうか?

中国船の行状のビデオを、
ひた隠しに隠そうとしたことは、

中国様の意図の実現するための
中国の指令に従った工作活動の一環だった
のでしょうか。

あの当時、
横浜での日中首脳会談における
首相の卑屈でおどおどした振る舞いには、

吃驚する以前に、
唖然として声も出ませんでしたが、

わが国の宰相が、
あれほどわが国を貶めたことは、
なかったのだろうと思います。

この様に、
野党の皆さんが行っておられることは、

言行不一致、
疑惑の塊

と、言わざるを得ないのではないでしょうか。


こう考えると、
個別的自衛権は、合憲というのは、

実は、
国民を欺くメッキであって、

メッキの下の本心は別ですよ、
と、行動で示しておられるのでしょうか?



野党の皆さんも、

国政に対する一端の責任を
有しておられますので、

あえて、
厳しい苦言を述べさせて頂きましたことを、
ご了解ください。
 
 
 
 
 
最後に、

今まで述べてきたように、
憲法9条は、
何故この様な粗末な扱いをされるのでしょうか。

護憲を自称される人々でさえ、
憲法9条が禁止している 個別自衛権 や 自衛隊 を
合憲だと認めておられるのです。



ここで、
砂川判決を、もう一度思い出して頂きたいと思います。


田中先生は補足意見で、

1.憲法前文に宣明されている
  恒久平和と国際協調の理念 と、

2.国際社会の現状並びに将来の動向 を
  洞察して 解釈すべきだ

と、主張されておられます。


では、
憲法9条関連について

憲法前文は、
どのような内容を規定しているのでしょうか。

箇条書きに、
列挙してみたいと思います。


1.日本国民は、

  政府の行為によって、
  戦争の惨禍が起こらないよう決意する


2.日本国民は、

  恒久の平和を念願し、
  人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚し、

  平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
  われらの安全と生存を保持しようと決意した


3.われらは、

  平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を
  地上から永遠に除去しようと努めてゐる

  国際社会において、
  名誉ある地位 を 占めたいと思ふ。


4.われらは、

  全世界の国民が、

  ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
  平和のうちに生存する権利を有すること

  を確認する。


5.われらは、
  いづれの国家も、

  自国のことのみに専念して
  他国を無視してはならないのであつて、

  政治道徳の法則は、普遍的なものであり、

  この法則に従ふことは、
  自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする

  各国の責務である と、信ずる。


6.日本国民は、

  国家の名誉にかけ、全力をあげて
  この崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


以上お読み頂いてご理解頂けるように、

憲法は、
その前文において 憲法9条 の条件を
記述しているのですが、、

直接的には、次の3項目でしょう、

① 平和を愛する諸国民 の 公正と信義 に 信頼して、
   われらの安全と生存 を 保持しようと決意した。


② 全世界の国民が、
   平和のうちに生存する権利 を 有する。


③ 普遍的な政治法則に従ふことは、各国の責務である。


即ち、
憲法9条で、

わが国は、
無防備国家を宣言していますが、

世界中の国々が、

とりわけ、
わが国の周辺の国 が、

 1.公正と信義に信頼できること

 2.全世界の国民の 平和に生存する権利 を 認めていること

 3.普遍的な政治法則に従うこと

を、前提条件 としているのです。



憲法前文の最後で、

憲法前文が掲げる崇高な理想と目的を達成することを
わが国の名誉にかけて誓う

と、宣言していますが、


具体的に、どのように達成するのか、

更には、

世界中の諸国、

とりわけ
周辺の諸国が、

憲法前文に記述するような国家でなかったときに、
どうするのか、

については、記述していません。


その辺のことは、
実際に憲法を運営する 日本政府 や 立法府

即ち、
憲法の下部に位置する 法律 に、
委任している

と、いうことなのでしょう。


ここに、憲法9条が、
無視され、継子扱いにされる原因があったのです。


世界中の諸国、

とりわけ、
わが国周辺の諸国が、

憲法前文に記述されているような国であったなら、

憲法9条も、
条文通りの扱いをされたのでしょう。


でも、
実際の世界は、

憲法前文が記述するような世界では
ありませんでした。

憲法9条の理想と現実には、
大幅な乖離があって、

即ち、
憲法9条の前提条件を満たすような諸国で
なかったため、

憲法9条を、
実現することができなかったのです。


田中先生が、

憲法の理念と共に
国際社会の現状並びに将来の動向 を洞察して
憲法9条を、解釈すべきだ

と、おっしゃる所以なのです。


北朝鮮は、
昔から強盗国家、誘拐国家、

即ち、
ならず者国家 でしたが、

それに加えて、最近になって、

中国の膨張 が 甚だしくなると共に、
韓国の反日活動 が 活発化し、

わが国も、
これらの動きに対処せざるを得ない事態が
生じてきました。


戦後一貫して憲法9条を支持してきた国民でさえ、

さすがに、中国や韓国が、
武力行使に出て来たときの備えをしておかねば
ならないのでは、という認識を、

共有するようになったのです。



政府自民党は、
さすがに政権政党として、主権が回復した以降

野党やマスコミの皆さんの妨害を受けながらも、
わが国の安全保障についての責任を果たしてきました。


しかし、
国民が、憲法9条の改正を望まなかったので、

憲法改正をできずに、
憲法の下部の法律の整備で、
責務を果たしてきたのです。


この状況を 客観的に見ると、

日本では珍しく、例外的に
慣習法、しかも、慣習法の憲法 が、生成してきた
と、いえると思います。

成文法に、瑕疵や空白があれば、
慣習法が、生成してきて補い、修復する

との法律の歴史的真実は、
日本においても当て嵌まっているのです。

憲法9条は、

現実と大幅に乖離していて、
憲法として 規定の空白 があります。

一義的には,
改憲で対処すべきなのですが、

国民が改憲を拒否して、
空白が埋められなかったため、

法律のもつ自然治癒力が機能して、
慣習法の憲法が生成してきたのです。



最高裁の砂川判決も、
この流れの中で理解すべきだろうと思います。


最高裁が、
憲法9条の解釈論としては、落第点と言うべき判決を、
あえてされたのは、

憲法の空白

即ち、
憲法前文の
「平和を愛する諸国民 の 公正と信義 に 信頼して」とは
真逆の国際環境下に
日本がおかれている反面、

国民感情が、
憲法改正を許さないことに対処して、

わが国の平和と安全を維持するために、
「判例法による慣習法の憲法の生成」というべき
「立法行為」を されたのです。


先ほど、
憲法9条の問題は、
解釈論ではなく 立法論で対処すべき
と、書きましたが、

最高裁は、
そのことは、百もご承知で、

黙って、
解釈のふりをして、
立法行為 を 断行されたのだろう と 思います。



自衛隊も、
この流れの中で 理解すべきだ と、思います。

後藤田氏が、
日経新聞の「私の履歴書」で、

「自衛隊創設当時、聞かれたら、
 自衛隊は、警察ではなく軍隊だ と、言っていた」

と、書かれておられました。


日本国政府は、文理解釈上、
自衛隊が、憲法9条違反なことは、
百も承知だったのだろうと思います。


自衛隊は、
憲法違反と見える組織だが、

憲法が規定していない事態、

即ち、
憲法の規定の空白に対処するために

創設するのだから、


憲法9条の規定の対象外、
憲法9条とは別の規範に従う組織である、

と、考えておられたのだろう
と、理解しています。

この「別の規範」が、
「慣習法の憲法」なのです。



従って、
個別自衛権や自衛隊が、
与野党共に、合憲とされておられるのは、

現行憲法が規定していない部分

即ち、
「憲法の規定の空白」を補完して生成してきた
「慣習法の憲法」に基づいている

と、解釈すべきだと思います。



この慣習法の憲法は、
まだ、生成過程にあると言うべきで、

その内容を、
現時点で確定的なことを申し上げるのは、
適当でないと思いますが、


先程来ご紹介してきた「砂川判決」を核として
生成してきていることは、確実ですので、


そのおおよその内容は、

田中先生の補足意見にあるように、
憲法前文に基づいて、憲法9条を否定するものになるのでは

と、想像しています。


即ち、

主権国家固有の自衛権(個別も、集団も、含みます)
を、認め

そのための軍隊を、保持すること
を 認め

国際紛争の解決手段としての自衛戦争、

即ち
交戦権 も、認めることに

なるのでは ないでしょうか。



以上の様に、理解すると、

砂川判決 及び 田中先生の補足意見について、
先程来、失礼も顧みずに、疑問を呈してきましたが、


田中先生が リードされた「砂川判決」は、

実は、
違憲立法審査権にもとづく「判例法の形成」、

即ち、
憲法が認めた
司法権による「慣習法の憲法」の立法行為 に他ならない、

通常の判決とは異なった、例外的な判決であり、

砂川判決を、
通常の解釈論に基づいて 判例評釈すると、

私が陥ったように、
その価値を、正確に評価できないどころか、

誤った評価に陥って、
価値を貶める結果になってしまう

と、理解をすべきだろうと思います。



その意味で、田中先生は、

日本で、最初に判例法の憲法 を 残された
と、称賛される業績を残され、

日本国民の平和と安全を維持するための、
貴重な財産 を 残された

歴史上の偉大な法律家のお一人であろう
と、尊敬しております。



慣習法の憲法の生成については、
先にご紹介した 次のブログ を 参照頂ければ幸いです。


  集団的自衛権論議で欠けてる視点・・・慣習法の憲法の生成・・・
  http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-b14a.html





以上、

憲法9条について、

とりわけ、
自衛権や自衛隊に関する論点について、
ご説明してました。

終わりにあたって、
2点 感想を述べさせて頂きます。


1.憲法9条は、今まで述べたように、
  「現実」から乖離した「理想」を宣言している規定
  というべきであり、

  それ故に、
  憲法9条を補う形で「慣習法の憲法」が生成されてきたことを、

  政府、国会を初め、
  国民全員が、認識すべきでだと思います。


  ヨーロッパ人にとって、法律は、
  ローマ法以来 3000年近く育んできたものであり、

  それ故に、
  成文法は、近年 (といっても、200年前ですが、)
  慣習法の上に 植林した森 であり、

  成文法に、
  瑕疵 や 空白 が あれば、

  生物が、
  自然に 傷を治癒するのと 同様に、

  慣習法 が 生成してきて、
  成文法 を 補い、修復すること を、
  身にしみて理解されておられる と、思います。


  日本人は、
  明治時代 に、ヨーロッパの法律 を 契受(輸入)してから、
  100年以上経過をしたといえども、

  歴史的観点から見た場合、非常に短期間の経験 であり、

  慣習法 が、
  成文法の瑕疵や空白 を 補い、修復するものだ
  と、いうことが、殆ど自覚されてないということ を、
  認識すべきだろう と 思います。



  国民の大半が反対する 改憲 が、

  判例法により、
  国民の知らないところで立法されるのは
  許されるものではない、

  と、反論される方がおられると思います。


  法律は、
  成文法だけだ と、思い込んでおられる方にとって、

  慣習法などという 訳の分からないものの存在は、
  お認めにならないだろう ということは、

  わが国の法学教育の実態から、理解できます。


  しかし、
  歴史を振り返ると、

  「法律」というものは、
  自律的な生き物である「慣習法」だったのです。


  成文法は、先ほど申し上げた様に、
  19世紀初頭フランスで作られたものなのですが、

  その地下水脈 には、

  成文法 を 補完する慣習法 が、
  脈々と 生き続けているのです。


  生身の人間が、傷つけば、
  「この傷は、そのまま回復させないのだ」と頭で思っても、
  肉体が、自然に治癒してしまいますよね。


  憲法9条の改憲反対論は、
  「この傷を そのまま回復させない」と言っていることと
  同じなのです。


  憲法9条は、

  「諸国民の公正と信義に信頼できる」ことを前提にして、
  規定されているのですが、

  その前提条件と異なる現実が生じたら、
  冷静に対処して、改憲をすべきなのです。


  ところが、

  我が国民は、
  戦前、政府に屠殺されまくったトラウマから
  回復していないし、

  野党が、
  戦前の政府の屠殺行為を、国民に思い出さすような宣伝をして、
  誘導するものですから、

  改憲できずに、今日に至っているのです。


  先ほど例示したように、

  我が国民は、
  「傷があるのに、回復させないで放置しておく」
  と、判断したのです。

  (ひょっとして、国民は、
   傷があること自体 気がついていないのかも知れません。)


  ところが、法律というものは、
  社会の生命維持機能 を 担っていますので、

  ご主人様である国民が、
  いくら「No」と言ったとしても、

  必要な治癒行為は、自然に行われるものなのです。


  言い換えると、

  我が国民が、
  行うべきこと を、行わなかったら、

  日本という生命体の生命維持装置が、
  自律的に補完しているのです。

  これが、
  「慣習法の憲法」の生成と、私が言う現象なのです。



  国民が、

  やるべきことを、冷静に判断せず、
  戦前のトラウマを忘れ去れず、感情的に反対しているから、

  日本という生命体の維持装置である法(慣習法)が、
  治癒行為を行ったのです。



  今のご説明で、
  納得できない方は、次の 極端な例を お考えください。


  もし、
  尖閣に、中国が攻め込んできたら、
  どのように対処されますか?


  民主党政権下での尖閣の事件の際の
  我が国民の反応 から類推すると、

  中国の工作員と思われる方を除く 普通の国民の方 は、
  中国の武力に対抗して、防衛すべきだ
  と、判断されるでしょう。


  現在は、平時ですから、

  野党の口車に乗せられて、
  安倍政権への支持率を落としていますが、

  実際に、
  その様な事態が起これば、別だと思うのは、
  私だけでではないだろうと思います。


  現実に、
  戦時が勃発してからでは、間に合わないこと、

  平時から、
  日頃 備えておかねばならないこと が、

  あることを、ご理解ください。


 
  今回の憲法9条論議は、

  このことを理解する格好の教材であり、

  戦後70年 生成してきた「慣習法の憲法」を、
  どのように扱うのかの 議論を、

  正面に据えた国会論戦を して頂ければな
  と、願っています。



  少なくとも、
  政府与党におかれては、

  憲法9条を改正せずに70年が経過したために、
  「慣習法の憲法」が生成してきた事実 を、

  正面から説明すべきでしょう。

  そうすることが、

  即ち、
  自然発生的な「慣習法の憲法」の存在を、
  国民的認識とすることが、

  憲法9条の改憲論議の促進に
  寄与することになるのではないでしょうか。



  安保法制についての国会での議論 は、
  憲法9条についての議論 とは別の

  憲法9条の空白を補って生成してきた
  「慣習法の憲法」に関する議論なのです。


  現在国会で行われている議論は、
  このことを、自覚せずに行われている
  と、言うべきであり、

  この自覚がないから、

  「個別的自衛権」や「自衛隊」は、合憲だが、
  「集団的自衛権」は、違憲等という

  法律論としては、珍妙な議論が、
  恥ずかしげもなく繰り広げられているのです。


  今回の安保法案は、

  憲法9条に基づくものではなく、
  (憲法9条によれば、違憲であることは明白です。)

  憲法9条が規定していない事態

  即ち
  憲法の規定の空白に対処するために生成してきた
  「慣習法の憲法」に基づいているものだ

  と、いうことの 国民的理解 を 深めるような審議 を
  願っています。



  野党やマスコミの皆さんにおかれましても、

  「個別的自衛権」「自衛隊」が、
  合憲だと主張されておられるのは、

  実は、
  憲法9条とは別のものである
  「慣習法の憲法」下における憲法論議なのだ
  と、いうことを、

  冷静に、深くお考えになって、自覚して頂き、

  更には、
  法的議論に耐えうる論理 を、構築して頂きたいな

  と、願っています。



2.前々回のブログや、
  前回のブログの最後にもお話ししたように、

  平和を希求し、
  その最終形態として自衛権も放棄したい
  との憲法の哲学は、貴重であり、

  今後の人類が実現すべき理想を示している
  と、考えられます。

 
  従って、
  現行憲法の理想は、
  そのまま大事に掲げ、維持すべきであり、

  ① その理想を、どのように実現するのか、

  ② 理想を実現するまで存在している
     「理想と現実のギャップ」を、どのように埋めていくのか、

  について、
  議論を深めて行くべきだと思います。


  憲法改正論議においても、
  憲法9条の理想を、抹消するのではなく、

  憲法9条の理想はあくまでも掲げながら、
  現実に、どう対処していくのか

  理想を、どのようにして実現していくのか
  との観点から、

  条文を追加する方策を考えるべきだ と、思います。



  人間は、
  数百年単位の長いスパンでの将来に対する認識は、
  持ちにくいものですが、

  歴史を振り返って、将来を見通すと、
  自ずから見えてくるものもあります。


  憲法が掲げる理想も、その様な種類のものであり、
  必ずや、いつの日か、確実に実現する理想を、
  憲法は、掲げていますので、

  憲法前文の最後に掲げてあるように、

  日本国民は、
  その実現に全力をつくさなければならないだろう、

  否、
  その実現は、日本国民の義務である と、思います。



   (参考) 憲法9条に関する ブログは、次の通りです。


    < 次回 の ブログ >

    憲法9条論議 の 混迷 は、
    法学の本質ーーリーガルマインドーーに、由来するのでは???

    ・・・ 法学は、キリスト教神学同様 科学でないこと と、
      法律家は、リーガルマインドを 実定法より優先すると考えていること
      について・・・

    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-e8ca.html



    < 今回 の ブログ > 

    憲法を素直に読むと、個別的自衛権も、自衛隊も、違憲では?
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-0b64.html

    < 前回 の ブログ > 

    砂川判決(砂川事件最高裁判決)における 慣習法憲法の生成
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-f6aa.html

    < 前々回 の ブログ >

    憲法9条論議で、忘れてはならない大事な論点
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-4176.html

    < 前々前回 の ブログ >

    集団的自衛権論議で欠けてる視点・・・慣習法の憲法の生成・・・
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-b14a.html

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2015年7月 6日 (月)

砂川判決(砂川事件最高裁判決)における 慣習法憲法の生成

最近の憲法論議の中で、砂川判決が話題になっていますので、
1959年12月16日の砂川事件の最高裁判決
(以下「本判決」といいます)を読んでみました。



本判決を一言で言うと、次のように要約できる と、思います。

1.わが国は、固有の自衛権を保有し、
  憲法は、無防備、無抵抗を定めたものではない。

2.(わが国を含む)全ての国が、国際連合憲章で、
  個別的自衛権と集団的自衛権の固有の権利を有すること
  を、承認されている

3.日米安全保障条約に基づいて日本に駐留する米軍は、
  わが国の戦力ではない。

4.条約は、高度の政治性を有するものであり、
  「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、
  裁判所の司法審査権の範囲外」である。



本判決は、
その後、各方面から無視され、現在に至っています。


本判決に反対の立場をとる野党、マスコミ、護憲勢力が、
無視するのは当然ですが、

本判決に利益を得たはずの政府、自民党からも無視されて、
折角認められた自衛権も発動されずにいるのです。


何故、
政府、自民党が無視し、従わなかったのでしょうか。

それは、
本判決は、致命的な欠陥
即ち、
本判決に従って行動したら、即座に憲法の規定と正面衝突する判決
だったからです。


例えば、

本判決が言い渡された時点で、
竹島は韓国に不法占拠されていました。

竹島は、日本の領土であって、

韓国の不法占拠は、
自宅に土足に盗賊が押し入ってきたのと同じ性格のものであり、

韓国は、
竹島に押し入ったときに、日本人を殺害までしているのですから、

日本政府が、
国内問題として、自衛権を持ち出すまでもなく、
警察権を行使して、排除するのが当然ですし、

ましてや、
最高裁が、自衛権の発動は合憲であるとの
お墨付きを出しているのですから、

日本政府が、
堂々と自衛隊を派遣して、韓国を竹島から排除するはずでした。


でも、

日本政府は、
その様な行動を、今現在に至るまでしていませんし、

世論も、
日本政府の不作為を非難していません。



政府が、自衛権を発動しなかったのは、

自衛隊が、竹島に近づいたら、
忽ち憲法9条が規定に反する事態が生じてしまうからです。


憲法9条の骨子は、

第1項で、

国権の発動たる戦争は、
国際紛争を解決する手段としては、永久に放棄する

と、宣言した上で、


第2項で、

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力の不保持 と、
わが国の交戦権を 禁止しているのです。



憲法9条により、
交戦権が禁止されているが故に、

日本政府は、
本判決が、自衛権を承認しているにもかかわらず、
日本国内である竹島の治安維持という自衛権の発動を見送って、
今日に至っているのです。


このことは、
尖閣や小笠原諸島を巡る中国との紛争でも、
同様の事態が生じています。

日本政府は、

憲法9条違反に直結することを 危惧して、
わが国の領海に侵入した中国船を、武力で排除せずに、
警告するだけで、指をくわえて傍観しているのです。


本判決が、
憲法9条と正面から衝突することを、

当時の最高裁長官で、本判決の裁判長を務められた田中先生は、
承知されておられたような気がしています。


田中先生は、
補足意見で 次のように述べておられます。

「我々は、
 その解釈について争いが存する憲法九条二項を含めて、

 同条全体を、

 一方、
 前文に宣明されたところの、恒久平和と国際協調の理念からして、

 他方、
 国際社会の現状並びに将来の動向を洞察して、

 解釈しなければならない。


 字句に拘泥しないところの、
 即ち、
 立法者が当時持っていた心理的意思でなく、

 その合理的意思に基づくところの目的論的解釈方法は、
 あらゆる法の解釈に共通な原理として
 一般的に認められているところである。


 そして、このことは、
 特に 憲法の解釈に関して 強調されなければならない。」



田中先生が述べておられることは、
法学概論で教えられ、
民法の講義の最初に、契約書の読み方として叩き込まれるもので、

法曹にとって常識とも言うべき事柄です。


でも、
田中先生は、
この時に教えられる もう二つのこと を、おっしゃっておられません。


一つは、
書いてある記述、字句に従って、素直に解釈することが原則であり、
その原則を達成するために、合目的解釈が要請されるし、
合目的解釈といっても、自ずから限界がある
と、いうこと。

二つ目は、
合目的解釈と恣意的解釈は、似て非なるものであり、
恣意的解釈はしてはならない、

言い換えると、
目的に沿った解釈をすべきで、

自分勝手な、
自分の都合を実現するための解釈、
牽強付会な解釈 は、

行ってはならないということです。


田中先生は、
「立法者が、当時持っていた心理的意思でなく」
と、おっしゃっておられますので、

先生の解釈が、

立法者と異なっていること、
または、
書かれてある文章と異なった解釈をされておられること

を、自覚されておられて、

目的論的解釈からして、
ご自分の解釈が正しい、と考えられておられるのです。


即ち、

立法者は、
わが国に自衛権を認めていないけれども、

(主権が回復した本判決の時点においては、)
わが国が、
主権国家として、自衛権を保有するのは、常識であり、

自衛権を保持しなければ、
わが国は存続していくことが出来ないので、

立法者の意思を無視して、解釈すべきである、
と、考えられたのだろう と、想像しています。



ですから、
本判決に従って行動すると、
すぐさま憲法とバッティングして、違憲の行動となってしまうのです。


この様に説明させて頂くと、
最高レベルの法学者の集まりである最高裁の判事の方が、
全員一致で本判決を下したのは何故であろう、
と、感じられるのではないでしょうか。


私は、
二つの可能性、

即ち、
本判決が、
憲法に反することを承知の上で、敢えて判決を下したか、
それに、気がつかなかったか、

の どちらかではないだろうかと、考えています。

大秀才の集まりである最高裁の判事の方々が、
全員一致で下した判決ですから、
前者の方だろうとは思っていますが、・・・・



いずれにせよ、

本判決は、
わが国の法解釈学の問題点を提起していると、私には感じられます。


問題とは、

1.法解釈する際に、3次元(縦、横、高さ)の範囲で解釈して、

  4次元、
  即ち、
  縦、横、高さ に 加えて、時間を要素にした解釈をしてない。

2.法源 を、
  国会で成立した成文法のみを対象として、

  慣習法や判例法が、日本でもあり得るということを、
  念頭に置いていない。



< 1.について >

法律は、
ある必要に基づいて、制定されます。

制定されて、時間が経つにつれて、
その法律が規制対象に対して、過不足があるかどうか、
自ずから判定されるようになり、

不足、不備がある場合は、
必要に応じて、法律が改正されるのです。

これは、
最高法規である憲法においても、免れないことなのです。


憲法9条は、
敗戦後、米国が、

日本を、
無防備国家、
抵抗能力が皆無の国家に、

永久に貶めておこうと考えて、
日本に押しつけたものです。

ですから、
田中先生が暗におっしゃっておられるように、
憲法9条は、自衛権を否定していました。


主権国家における自衛権の否定は、

法学の常識を持ち出すまでもなく、
一般常識からしても非常識な概念ですから、

憲法制定議会(国会)で、何とか修正しようと努力はされましたが、
主権のない悲しさで、
米国に拒否され、押しつけられて制定されたのでした。


主権国家が存立し続けるためには、
自衛権の保有は不可欠であり、

自衛権を否定する憲法9条は、

当然改正されるべきもの、
少なくとも、
わが国が、これからも、自衛権を保持しないでいくのか、どうか
について、検討すべき条文でした。

自民党が、
綱領に改憲を掲げたのは、政権政党として当然のことだったのです。



ところが、
以前におはなしした経緯で、

改正されるべき憲法9条が、そのまま現在まで存続してきました。


 注) 存続した経緯と理由については、次のブログを参照ください。

    集団的自衛権論議で欠けてる視点・・・慣習法の憲法の生成・・・
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-b14a.html



本判決は、
この様な経緯を勘案して、理解すべき判決だと思います。

「主権がないときに制定された憲法は、
 主権回復後は、然るべき解釈を変更すべきである」
と、本判決の裁判官の皆さんは、お考えになったのでしょう。


この推定が正しいとするならば、

本判決は、一般的には
法解釈の範囲や方法を逸脱したものであるといわざるを得ず、

主権国家として自衛権を保有すべきとお考えになるなら、
憲法を改正すべきと主張するべきだと考えます。


多分、
法解釈する立場の最高裁が、
立法論を唱えるのは、立場を逸脱しているとお考えになって、

説明を飛ばして、
アプリオリに主権国家が自衛権を持つのは常識である
と、判示されたのでないでしょうか。

私は、せめて、
主権を奪われていた時に制定された憲法9条の解釈は、
主権回復後は、こう解釈すべきである と、

憲法9条に関する新たなコンメンタール(逐条解釈)を
最高裁として提示すべきだったのでは?という気がしています。


(このように申し上げると、
 判決は事件の解決するための最小限の法解釈をするものだ
 との、お叱りが聞こえてきます。

 私が、この様なお叱りを承知の上で、
 憲法9条は、主権を奪われていたときに、
 自衛権を、米国から強要されて剥奪された経緯があるので、

 主権が回復したら、どのように解釈するかについて、
 改憲までの間の暫定的な解釈を提示するのが、
 違憲立法審査権を保有する最高裁の義務だったのではないでしょうか?

 と、問題提起をしているのです。)



< 2.について >

日本は、明治時代に、
ヨーロッパの法制を成文法の体系として契受しました。

従って、
法学教育においても、
成文法の解釈学が、法解釈の全てであるかのような教育をなされ、

英米法のような判例法や慣習法の法体系もあり得るということは、
言及されるだけで、法学の修練では無視されてきたのです。


ですから、
最高裁が違憲立法審査権を付与されても、

違憲立法審査権というものは、判例法を構築していくものだ
という認識も、覚悟もお持ちでなかったのでは? と、感じられます。


本判決が、
違憲立法審査権について

「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、
 裁判所の司法審査権の範囲外」である

と、表明されておられるのは、
この様な歴史の結果なのだろうと思います。


本判決の判断は、

腰が引けてて、
あけすけに申し上げると、義務を放棄した卑怯な表明である

と、感じられます。


それでいながら、

それまでわが国は、憲法9条により、自衛権を認めらてなかったのが、

本判決により自衛権を保持するように変更される、との
判例法による大変大胆な立法行為をおやりになっておられますので、


果たして、

やっておられることの自覚や覚悟を持っておられるのかな?
と、訝しく感じるのは、私だけなのでしょうか。


また、

本判決以前も、以後も、
違憲立法審査権に関する議論が深まっていませんが、

法曹は、何をされておられるのかな?
と、疑問に感じるのも、私だけなのでしょうか。





本判決で、

「日米安全保障条約に基づいて日本に駐留する米軍は、
 わが国の戦力ではない。」と、判示されておられますが、

本ブログのテーマから少し外れますので、
コメントは略させて頂きます。




以上、
本判決についての感想を述べさせて頂きましたが、

憲法9条の歴史を振り返るときに、
本判決は、やはりエポックメイキングの判決だったな、
日本では本当に稀な 裁判所による判例法(慣習法)の立法だったな
という気がします。




憲法9条は、
先程来申し上げているように、

米国が、
わが国が自衛権を剥奪して、永久に、無防備な国に貶めておこう
との意図に基づいてり制定された条文です。


ですから、
時間が進むに従って、

特に、
わが国が、主権を回復してみると、

憲法9条は、
非常に偏った規定で、
主権国家の憲法として不備である点が、はっきりしてきました。


以前にご紹介したように、

わが国は、
平和を愛好する諸国民の公正と信義を信頼して、
自衛権を放棄したのですが、

現実の周囲の国は

憲法が期待したような国民ではなく、
隙あらば、他国の領土をくすねとってやろうと

虎視眈々と狙っている国家であることが
明白になってきました。


憲法9条は、
この様な強盗国家が存在したら、どうするのか、について、
何も規定をしていないのです。

また、
世界中が、平和を愛好する諸国民の集まりであるように
実現するための方策も、指し示していないのです。


ですから、
主権回復後のわが国は、

現実に対処するために、
日米安保条約を締結し、
自衛隊の創設を初めとして、いろいろな法整備をすると共に、

野党やマスコミ、護憲派が解釈改憲と非難する憲法解釈の変更も
少しずつ行ってきているのです。


現在、政治の世界では、
個別的自衛権は認めるが、集団的自衛権は認めない
と、野党、マスコミ、護憲派は主張していますので、

本判決は、
政治の世界の先を行った判決である と、言うべきでしょう。

エポックメイキングな判決と申し上げた所以です。


それと同時に、

憲法9条が、いろいろな事情により改正できないため、
憲法9条が改正されたら、
それに基づいて制定されるであろう法律が整備されてきています。

本判決は、
これらの法整備の根拠となって後押しする 日本では希有な判例法であり、
その意味でも、エポックメイキングなのです。

本判決は、、
憲法9条を否定して、真正面から衝突する判例だからこそ、
憲法9条の不備を補う 慣習法の憲法 の骨格になったのであり、

本判決(判例法)の下に、
改憲後の憲法において整備されるであろう法律の生成が始まった
と、言っても過言ではないような気がしています。



今回、本判決を読んでみた結論として、

ちょっと乱暴と言わざるを得ない田中先生の
「合理的意思に基づく目的論的解釈」の必要性と正統性を、
改めて認識し、敬服しています。


ちょっと乱暴だというのは、本文でお話ししたように、

説明なしで、
「主権国家は自衛権を持つ」との結論だけを述べておられるからです。

(「説明している、判決をよく読め」と、先生からのお叱りが
 聞こえるようですが、私には、不充分な説明に感じるのです。)




最後に、
前回のブログで書いたように、

    憲法9条論議で、忘れてはならない大事な論点
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-4176.html


憲法9条は、欠陥を持った条文ですが、

平和を希求し、
その最終形態として、自衛権も放棄したいとの哲学は、貴重であり、

今後、人類が、
その理想を実現するように、努力すべき到達点を示していると思います。


その意味から、

憲法改正にあたっては、
現在の憲法9条の規定を抹消するのではなく、

完全平和主義を理想として掲げて、

その理想を、
わが国はこの様にして実現しようと思う、

また、
実現できるまでは、この様に対処していく

との規定に改正すべきだ と、考え、
是非とも、その様になることを願っています。


   (参考) 憲法9条に関する ブログは、次の通りです。

    < 次回 の ブログ > 

    憲法を素直に読むと、個別的自衛権も、自衛隊も、違憲では?
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-0b64.html

    < 今回 の ブログ > 

    砂川判決(砂川事件最高裁判決)における 慣習法憲法の生成
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-f6aa.html

    < 前回 の ブログ >

    憲法9条論議で、忘れてはならない大事な論点
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-4176.html

    < 前々回 の ブログ >

    集団的自衛権論議で欠けてる視点・・・慣習法の憲法の生成・・・
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-b14a.html


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2015年6月 1日 (月)

憲法9条論議で、忘れてはならない大事な論点

「集団的自衛権論議 で 欠けてる視点・・・慣習法の憲法 の 生成・・・」
 http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-b14a.html
を、読み直していて、

私にとって当然の前提である故に、
説明が不十分だった点に、気がつきましたので、
補足をかねて お話しさせて頂きます。



「集団的自衛権論議 で 欠けてる視点」 は、

憲法9条は、理想を高く掲げているけど、

① その理想が実現するための方策  と、

② 理想実現するまでの間の 理想と現実のギャップ を
  どのように埋めて
  どのように日本を防衛していくのか、

について規定していなかったので、
その空白を埋める「慣習法の憲法」が生成されてきている。

従って、
この2点(①と②)についての議論を深めて、
生成してきた「慣習法の憲法」を成文化すべきである、

というのが、論旨でした。


当然の前提として、説明不十分だなと、反省したことは、

憲法の掲げる理想を、維持すべきか、どうか、

即ち、
憲法の理想が、あまりにも現実と乖離しているので、

憲法の理想は、将来のこととして 一時棚上げし、
現実に対処することを第一優先にして、
憲法の規定としては、削除すべき か、どうか、

との議論に対する説明が欠如しているな、という点です。


憲法は、
あまりに理想に偏していて、現実と乖離しているために

現実の国際情勢の中では、我が国の足枷となって、
マイナスの効果を及ぼしていることが、最近明らかになってきた

と、お考えなる方が、多いのではないでしょうか。


例えば、
竹島は、韓国に不法占領されていますが、

英国は、
フォークランド島を不法占領したアルゼンチンに対して、
すぐに 軍隊を派遣して、断固として取り戻ています。

日本が、英国のように
竹島を断固として取り戻すことが出来ないのは、

憲法9条があるからだ、
という議論は、説得力があります。


また、
北朝鮮に拉致された日本人を、

長い間取り戻すことが出来ないどころか、
取り戻す目処さえ立っていませんが、

私の記憶違いでなければ、同じ敗戦国だった西ドイツは、
ハイジャックされたドイツ人を取り戻すために、
アフリカにまで特殊部隊を送り込んで、銃撃戦まで行いました。

これに較べて

我が国は、憲法があるから、
北朝鮮に特殊部隊を送り込んで、実力で取り返すことが出来ないし、

そもそも、
憲法があるから、北朝鮮が、我が国をなめきって、
土足で我が国に入り込んで拉致したではないか、

従って、
我が国が、必要なときに、他国と同じような行動が出来るように
憲法を改正すべきだ、

との主張も、一理あると思います。


また、
日本の船が、竹島に向かうと、韓国軍は発砲してきますが、

尖閣諸島の領海に中国軍が侵入してても、
発砲や武力行使できないのは、国益を損なうことだ、

ましてや、
小笠原諸島で、珊瑚を乱獲されても、
挙手傍観せざるを得ないような憲法は、もってのほかだ、
と、考えられる方もおられるでしょう。


もともと、憲法9条は、
アメリカが、我が国を、未来永劫、二度とアメリカに刃向かうことの出来ない
弱小国家のままでおらせる目的で押しつけたものであり、

このことは、
現在に至るまで、根底に連綿として継続していて、

現在でも、
国連の敵国条項は健在だし、

同盟国と言いながら
今回(2015年)安倍首相が、戦後初めて演説するまで、70年間も
アメリカ上下両院合同会議で、日本の首相に演説させなかったのが、

その証左である、との、主張も、
否定できないものがあると思います。



以上のような主張 を、理解した上で、

私は、
それでも、憲法の理想は維持すべきだし、

その実現に向かって、
我が国が、本気になって取り組むべきだと考えています。


憲法制定以来 現在まで、
憲法の理想を本気で実現しようとする人は、我が国にいませんでしたが、

これを、抜本的に変えて、
本気で憲法の理想の実現を目指すときに来ているし、

憲法の理想を実現する過程に生じる問題に対処し、解決するために、
憲法の空白を埋めるために、
この70年間に生成してきた「慣習法の憲法」を成文化すべき

というのが、
前回 お話ししたかったことのなのです。



というのは、

憲法の理想は、
いつの日か必ず実現されるものであるからです。


憲法9条が、

アメリカから押しつけられたものであるにせよ、
日本国憲法として一旦掲げて、70年間も我が国が維持してきた以上、

その理想を、ここで取り下げたら、
我が国を、後世の世界中の人々から、
蔑まれ、軽蔑される国家に貶めることになるからです。


憲法の理想を実現するまで、
歯を食いしばってでも、その実現に我が国が邁進して、
世界中の人々に働きかけをすれば、

逆に、
フランスの人権宣言やアメリカの独立宣言と同じレベルの称賛と敬意を
受けることになるだろう と、確信しています。


「憲法の理想は、いつの日か必ず実現されるものである」
と、申しましたが、

いつ実現するのだ とか
本当に実現する保証があるのか、

と、疑問に思われる方がおられると思います。


その様な方には、

憲法の理想は、
10年や20年という短期間で実現するものではなく、
100年、いや 数百年単位の歴史を経て実現するものである

ということをご理解くださるようお願い申し上げます。


例えば、

現在、愛知県知事が、隣の岐阜県を侵略しようとしている、
というニュースがながれたとしても、
誰も本気に思う人はいないでしょう。

でも、500年前には、
現在の愛知県知事に相当する織田信長が、美濃国を征服しているのです。


歴史は、
技術の進歩に従って、その管理単位、行政単位が拡大していきます。

500年前には、現在の県単位で、それぞれ独立国として分立していました。
それが、技術の進歩により
現在では、日本という国単位に 統一されているのです。


500年前から現在までの動きを、将来に引き延ばすと、
技術の進歩により、
将来においては、管理単位として国家では手狭となり、
地域共同体が、管理単位となる日が確実にやってくるだろうと推測できます。

その様な日が訪れれば、
地域共同体の内部での国家間の争いはあり得ないものとなります。


歴史の大きな流れを見ると、

1990年頃、冷戦の終了に伴い、
500年間続いた国民国家の歴史が終了して、
地域共同体から世界連邦への数百年単位の歴史の歩み
が、始まっているのです。

1990年代、この様なことを申し上げたら、
誰もまともに相手にして頂けず、寂しい思いをしましたが、

それから四半世紀経った現在では、
何人かの方には、ご理解して頂けるようになったのでは、
と、期待しています。

 

EUが、成立し、統一通貨のユーロが流通しているのは、
その歴史の流れの表れですし、

TPP交渉も、
アジアでの地域共同体への歴史の流れの萌芽だと考えられます。

注) TPP交渉に、諸手を挙げて無条件に賛成しろ と、
   申しているわけではありません。

   地域共同体が成立するまでは、
   利害やイニシアティヴを巡って、国家間の激烈なせめぎ合い
   が、ありますので、

   どうすれば国益を最大限実現することができるのか、について、
   従来以上に良く検討して、交渉に臨むべきだと思います。


以上が、
憲法の理想は実現するので、

現在 現実と理想が、いくら乖離していようと、
一度掲げた旗は降ろすべきではないと考える所以であり、

憲法論議の際に、忘れてはならない大事な論点である
と、考えています。



最後に、
1990年代に、国民国家の時代が終了して、

歴史が、地域共同体から世界連邦への歩みを始めた
と、語っても、
誰からも理解されなかった との思い出 を お話ししましたが、


最近読んだ本で、

19世紀、ヴィクトル・ユゴーが、
この歴史の流れを見抜いていたことを知り、

吃驚すると共に、
歴史の見方についての同志を見つけたと喜びました。


憲法の理想が実現する日が確実に来ることの一つの論拠として

ユゴーの記述を、
少し長くなって恐縮ですが、ご紹介させて頂きます。


出所 リュシアン・フェーブル著
    「”ヨーロッパ”とは何か?」299㌻~300㌻ (刀水書房)


フェーヴルは、
ヴィクトール・ユーゴの記述を、次のように引用しています。


  諸君

  戦争が、コミューンとコミューンの間、
       都市と都市の間
       地方と地方の間 に 存在していた

  4世紀も前の時代に、

  誰かが、

  ロレーヌ地方、ピカルディー地方、ノルマンディー地方、
  ブルターニュ地方、オーヴェルニュ地方、プロヴァンス地方、
  ドーフィネ地方、ブルゴーニュ地方

  に向かって、こう言ったとしよう。


  「あなた達が、最早、戦争をしなくなる日が訪れるだろう。
   軍隊を動員し、対峙させるようなことをしなくなる日が。

   そのとき、
   何を持って、軍隊の代わりをさせるか 知っておられるか。
   何をもって、歩兵、騎兵、大砲、小型軽砲、槍、剣の代わりをさせるか。

   投票箱 と、皆さんが呼ぶだろう、モミの木製の小箱だ。
   この箱から、何が出るかって

   議会だ。
   あなた達が生きていることを実感できる議会。
   魂のような議会。

   決定し、裁き、すべてを法に従って解決し、
   そして 各人に向かってこう言う、至上権を持つ人民の議会だ。

   お前の権利は、ここまで。
   ここから、義務が始まる。

   武器 を 置け 
   平和 に 暮らせと。

   そして、その日には、
   あなた達は、想念と利害と運命を一つにするだろう。

   抱き合い、お互いが対等で、
   同一の人種に属している と、認められるだろう・・・・・・。

   あなた達の名は、
   最早 戦争ではなく、文明となるだろう」。



  もし、
  当時、誰かがこの様に言ったとしたら、

  当時の実利的精神の持ち主、
  真面目な人々、
  政治家たちは、

  こぞって、こう叫んだことだろう。

  「夢想家め
   空ろな夢
   こいつは、人間のなんたるかを ちっとも知らない」。



  さて、今日に 話を移すなら、

  フランス、イギリス、プロイセン、オーストリア、
  スペイン、イタリア、ロシアに向かって、

  諸君は、こう言われる。
  私も、諸君と共に、こう言う人々の一人である。


  「あなた達の手から、武器が落ちる日が訪れるだろう。

   今日、
   ルーアン と アミアン    の間、
   ボストン と フィラデルフィアの間 で、

   戦争が起こることなど考えられない。

   それと同じように、

   パリ       と ロンドン の間、
   ペテルブルク と ベルリン の間、
   ウィーン    と トリノ   の間 で、

   戦争が起こることなど、あり得ず、 馬鹿馬鹿しく思われ、


   フランス、ロシア、イタリア、イギリス、ドイツ、
   大陸のすべての国民が、

   自らの特性 と 輝かしい個性 を 失わずに 融け合い、
   上位の一つに まとまりとなる日 が。


   ノルマンディー地方、ブルターニュ地方、
   ブルゴーニュ地方、ロレーヌ地方、アルザス地方など、

   我々のすべての地方 が、
   フランスの中で融け合ったのと 全く同じように・・・・・・。


   この様な物が、良く作られたものだと驚きながら、

   拷問用具を陳列するように、
   大砲を陳列する日が。


   アメリカ合衆国 と ヨーロッパ合衆国 という
   ニ大グループ が 向かい合い、海を越えて 手を差し伸べ合う。

   物産、商業、工業、技芸、才能を交換する。

   地球 を 開墾する。
   砂漠 に 植民する。

   創造主の見守る中で、被造物を改良する。

   人間の友愛 と 神の力 という、
   あの二つの無限の力 を 組み合わせ、

   そこから、
   万人の幸福 を 引き出す。

   この様な日 が、訪れるだろう」。


   (参考) 憲法9条に関する ブログは、次の通りです。

    < 次々回 の ブログ > 

    憲法を素直に読むと、個別的自衛権も、自衛隊も、違憲では?
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-0b64.html

    < 次回 の ブログ > 

    砂川判決(砂川事件最高裁判決)における 慣習法憲法の生成
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-f6aa.html

    < 今回 の ブログ >

    憲法9条論議で、忘れてはならない大事な論点
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-4176.html

    < 前回 の ブログ >

    集団的自衛権論議で欠けてる視点・・・慣習法の憲法の生成・・・
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-b14a.html



< 捕捉 > ユーゴ の 次の文章 についての 補足説明
       2020年2月21日記述

補足説明させて頂く「ユーゴの文章」は、次の通りです。

今日、
ルーアン と アミアン    の間、
ボストン と フィラデルフィアの間 で、

戦争が起こることなど考えられない。

それと同じように、

パリ       と ロンドン の間、
ペテルブルク と ベルリン の間、
ウィーン    と トリノ   の間 で、

戦争が起こることなど、あり得ず、 馬鹿馬鹿しく思われ、


フランス、ロシア、イタリア、イギリス、ドイツ、
大陸のすべての国民が、

自らの特性 と 輝かしい個性 を 失わずに 融け合い、
上位の一つに まとまりとなる日 が。


ノルマンディー地方、ブルターニュ地方、
ブルゴーニュ地方、ロレーヌ地方、アルザス地方など、

我々のすべての地方 が、
フランスの中で融け合ったのと 全く同じように・・・・・・。


リュシアン・フェーブル著
「”ヨーロッパ”とは何か?」299㌻~300㌻ (刀水書房)




ユーゴ は、

イタリアのハプスブルグからの独立戦争、
アメリカ南北戦争
の後に、記述したもの と 思われます。

「今日、
 ルーアン と アミアン    の間、
 ボストン と フィラデルフィアの間 で、

 戦争が起こることなど考えられない。」
について、


「ルーアンとアミアン」の間の戦争 とは、
百年戦争のことだろうと思われます。

百年戦争 とは、フランス国内の 覇権争いでした。

即ち、
イングランドは、
1066年 ノルマンディ公が征服した後、男系 が 断絶して、
アンジュー家と結婚した娘の系統である プランタジネット朝 が
統治しましたが、

13世紀初頭 フランス王フィリップ2世 が
ジョン王 の 失政をついて、

フランスの西半分から プランタジネット朝 を イングランド に
たたき出したことによる

イングランド王 の
フランス封建諸侯 としての フランス領土 の 奪回のための戦い
でした。

「ボストンとフィラデルフィア」は、
アメリカの南北戦争 を 指している のでしょう。

ですから、ユーゴ は、

19世紀後半において、

フランス と イングランド との 百年戦争 や、
アメリカの内乱 は、再び 起きないだろう

と、主張しているのです。


「それと同じように、

 パリ       と ロンドン の間、
 ペテルブルク と ベルリン の間、
 ウィーン    と トリノ   の間 で、

 戦争が起こることなど、あり得ず、 馬鹿馬鹿しく思われ、


 フランス、ロシア、イタリア、イギリス、ドイツ、
 大陸のすべての国民が、

 自らの特性 と 輝かしい個性 を 失わずに 融け合い、
 上位の一つに まとまりとなる日 が。


 ノルマンディー地方、ブルターニュ地方、
 ブルゴーニュ地方、ロレーヌ地方、アルザス地方など、

 我々のすべての地方 が、
 フランスの中で融け合ったのと 全く同じように・・・・・・。」

については、
ユーゴ が、間違っている と 感じる方 が おられるでしょう。


「パリとロンドン、ベルリンとペテスブルグ」

即ち
フランスとイギリス、ドイツとロシア は、
20世紀 に 総力戦 を 戦っています。

「ウィーンとトリノ」とは、
サヴォイア公が、ハプスブルグ家に戦いを挑んで、
イタリア を 統一したことを 指している と、思われますが、

オーストリとイタリア も、
第一次大戦 で、戦っています。


ここで、
ユーゴ が、おっしゃりたかったことは、

「数百年単位 では、国家間の戦争 が なくなるだろう」
と、いうことだろう と 思います。

第2次大戦後、EUが誕生して、
今日現在では、ユーゴが主張するように

ヨーロッパ各国間 で 戦争 が 勃発する可能性が、
非常に低くなっていることは、ご納得頂けるでしょう。

でも、ヨーロッパ各国 が、
フランス政府 と フランス国内 の 各地方の関係みたいな
EU の 一地方 としての存在 に なっていないことも、
ご納得頂けると 思います。

ですから、

21世紀初頭
即ち
現在 の ヨーロッパ は、

ユーゴ が 主張する 数百年単位の
ヨーロッパ への 移行過程の段階 にあることを
ご認識 頂ければ 幸いです。


ご紹介したユーゴの文章 は、
リュシアン・フェーブル著「”ヨーロッパ”とは何か?」(刀水書房)
の 最後に 掲載されていたものです。

リュシアン・フェーブル は、
現在のフランス歴史学界の主流である アナール学派 を、
マルク・ブロックと共に創設した フランス中世史学界の第一人者で、

第2次大戦中に フランス・アカデミー で、
1年間に亘り ヨーロッパの歴史 について 講義した その最後に、
結びに代えてユーゴの文章を紹介されたような感じをしていますが、

フェーブル自身 は、目下の戦争に目を奪われて、
ユーゴの文章 に 反対だったようです。

この点において、フェーブルは、
第二次大戦中、戦後 EUが誕生することを見通した
E・H・カーより 歴史家として相当劣ると感じる所以ですが、

1990年代初頭 冷戦終了後、
500年間 の 国民国家の歴史 が 終了して
数百年単位 の 地域共同体、世界連邦への歴史 が
歩み出した と、話したとき、

誰一人として 理解して頂けなかったことは、当然のことだろう
と、フェーブルの本 を 読んで納得した 思い出 が あります。


本文で申し上げた「憲法9条の理念の実現」に、
数百年単位の時間が必要だということは、

このユーゴの文章からも ご理解頂くこと を 願っています。






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2014年9月 1日 (月)

集団的自衛権論議で欠けてる視点・・・慣習法の憲法の生成・・・

ヨーロッパ史の本を、毎日読んで過ごしながら、
最近の集団的自衛権論議を見ていると、

人類の歴史においては、
長い間、慣習法こそが法律であって、

最近になって
(といっても、19世紀初頭、約200年前ですが、)

慣習法の土壌の上に、成文法が植林され、大きな森となったことにより
成文法だけが法律だと思われるようになったのだな、

でも、
成文法が、カバーしない部分、足りない部分については、
いつの間にか慣習法が生成されてきて、
成文法を補完するようになるものだから、

慣習法は、依然として、法律として生きていて、機能を果たしているのだな
と、感慨深く 感じるようになりました。



日本は、
明治時代にヨーロッパの法律を輸入、翻訳して
法律全般が 成文法の国となった 経緯 から、


慣習法は、

存在しないもの、
存在しても、成文法を補完するもので、
殆ど法的規範力がないもの

と、認識してきましたが、


その日本においてさえも、

成文法が規定していない部分
言い換えると
成文法の空白の部分については、

慣習法が、
成文法を補完して、自然に生成されてくるものだ との、

法律 の 本来の原則、
法律 の 本来的な生命力から依って来たる法則
を、強く感じる様になりました。


この様に申し上げると、
「法律を知らない素人論議だ」と、
法曹の皆さんから軽蔑され、一笑に付されるのだろうと思います。


法学部の授業は、
成文法の解釈技術者養成が授業の大半ですし、

日本において、成文法でない法規範は、
皆無に近いと言って良い状況ですので、

法曹の皆さんにとって
慣習法 は、無縁の世界だろうと思います。


しかし、

憲法9条を巡っては、
憲法の規定の空白が、確かにあり、

この70年間、
その空白を埋めるための慣習法が、
確実に生成されてきているのです。


慣習法の憲法が生成され、
法規範としての効力を持つようになって
憲法の空白が埋められてきたことは、

自衛隊の違憲論が影を潜めて、
自衛隊が、国民の間で承認されるようになり

今回の集団的自衛権論議で 野党が、
個別的自衛権でまかなえるので、集団的自衛権は要らないと

裏を返すと、
個別的自衛権までもが合憲である と、
認めるようになってきたことでも、明かなのです。


この様な事態は、
自衛戦争をも否定していた 憲法制定当初には
想定されていませんでした。


成文法は、
慣習法の土壌の上に植林された 人工物なのです。

成文法が、人工物であるが故に
成文法に、抜け や 瑕疵があって その修復が必要となったら、
慣習法の土壌から、必要とされる木が 自然に生えてきて、

ある時期、
その木が、成文法の法律として 国会で制定され、
母なる慣習法は、元の土壌に戻るのです。


憲法9条は、
日本では例外的に、この過程にある法律であることを、

専門家の皆様が、
改めてご認識されて、議論されることを願っています。

また、
法律家以外の 政治家や官僚、マスコミなどの関係者におかれても、

イデオロギー、党利党略に基づく議論ではなく、

法律とは何ぞや?
成文法とは何ぞや?との

法学の根底 を 出発点とする 憲法9条論議 が
なされるようになることを祈念しています。



憲法論議への一石となることを願って、
成文法と慣習法の観点から、

憲法9条における慣習法の憲法の生成について
私の考えるところを 以下において お話しさせて頂きたいと思います。



Ⅰ 憲法前文と憲法9条 の規定


お話に先立って、
憲法9条の理念を記述した憲法前文 と 憲法9条をお読みください。

なお、
私が気になるところを、太字で強調させて頂いておりますことをご了承ください。


憲法前文

日本国民は、
正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、

われら と われらの子孫のために、
諸国民との協和による成果と
わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、

政府の行為によって
再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、

ここに 主権が国民に存することを宣言し、
この憲法を確定する。


そもそも国政は、
国民の厳正な信託によるものであって、

その権威は 国民に由来し、
その権力は 国民の代表者がこれを行使し、
その福利は 国民がこれを享受する。

これは人類普遍の原理であり、
この憲法は、
かかる原理に基づくものである。

われらは、
これに反する一切の憲法、法令及び勅令を排除する。


日本国民は、

恒久の平和 を 念願し、
人間相互の関係を支配する崇高な理想 を 深く自覚するのであって、

平和を愛する 諸国民の公正と信義信頼して、
われらの安全と生存 を 保持しようと決意した。


われらは、

平和を維持し、
専制と隷従、圧迫と偏狭 を
地上から永遠に除去しようと努めている 国際社会 に おいて

名誉ある地位 を 占めたいと思う。


われらは、
全世界の国民 が、

ひとしく 恐怖と欠乏から免れ、
平和のうちに生存する権利 を 有すること を 確認する。


われらは、

いづれの国家も、
自国のことのみ に 専念して
他国 を 無視してはならない のであって、

政治道徳の法則は、普遍的なものであり、

この法則に従うことは
自国の主権 を 維持し、
他国 と 対等関係に立とうとする 各国の責務 である と 信ずる。


日本国民は、

国家の名誉にかけ、
全力をあげて この崇高な理想と目的 を 達成することを誓う




憲法第9条 (戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認)


1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
  国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
  国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。


2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
  国の交戦権は、これを認めない




Ⅱ 憲法前文 と 憲法9条 が、規定しているものと、規定してないもの


1.規定しているもの

  ① 憲法は、
    前文において、絶対的平和の実現という理想を高々と掲げて、

    その実現のために、
    他国に先駆けて軍隊及び軍隊同等の戦力を放棄すると規定しています。


    即ち、
    今後日本国が進むべき方向、理想を規定する
    と、同時に、

    日本国は、世界が絶対的平和の実現するように、努力する
    と、宣言しているのです。


    更に、日本国民に対して
    日本が今後目指す理想 と、理想の実現に向かっての努力義務
    を、命じているのです。


  ② 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
    軍隊を放棄した日本の安全を図っていくと、宣言しています。

    また、
    全ての国に共通する普遍的な政治道徳についても言及して、

    各国が、普遍的な政治道徳の責務を誠実に果たすであろうと
    日本が、信じることも 軍隊を放棄する根拠に挙げています。


    要するに、

    日本との関係を持つ諸国、
    とりわけ
    日本を攻撃する可能性がある 周辺諸国 が、

    普遍的な政治道徳に従った公正で信義に厚い国である
    ということを前提にして
    日本の武力放棄を宣言しているのです。


  ③ 「国権の発動たる戦争」と規定し、
    戦争のみならず、
    武力 即ち 軍隊を背景にした 軍事的な威嚇や行使をしない
    と、規定しています。



2.規定してないもの


  ① 憲法は、目指す理想を掲げるだけで、
    どのように実現するか、についての 具体的な方法論、方策は、
    規定していません。

    これは、法律以下に任せているのでしょう。

    言い換えると、
    実際に政治を運営する政府、国会に任せているのです。


  ② 軍隊及び軍隊類似の存在の放棄を規定していますが、
    警察権、警察活動については、規定していません。

    また、
    日本の安全は、平和を愛する諸国民を信頼するとだけ規定して、
    刑法が規定する正当防衛、緊急避難について、全く言及していません。

    警察活動、正当防衛、緊急避難などは、
    当然憲法は認めていると考えるのが、常識的な判断だろうと思いますが、
 

    自衛戦争をも否定している憲法が、
    
    自衛戦争と正当防衛、緊急避難とをどのように区別しているのか、
    についての定義が、なされていません。


Ⅲ 憲法に対する 日本人の対応


憲法は、理想を高く掲げて、
その実現を、日本国民に委ねたのですが、

戦後の推移を概観すると、
日本国民は、真面目に理想の実現に取り組まなかった
と、いうべきだろうと感じられます。


1.自民党

  戦後の一時期と最近の3年間を除いて、
  自民党(もしくはその前身の政党)が、戦後、継続して政権を担ってきました。

  現在の憲法は、
  アメリカに押しつけられた憲法であり、

  アメリカの占領が終了して、独立を回復すれば、
  占領下の憲法を改正するが通常であり、常識ですので、

  自民党もその常識に従って、
  憲法改正を党是として、発足しました。

  米ソの冷戦下において、憲法の理想の実現は不可能だし、
  それよりも、政権政党としては、
  目先の日本や国民の安全の確保が優先すると判断されて、
  日米安保体制を構築して日本の安全を維持してきたのです。


  自民党が担った日本政府は、アメリカの同盟国として行動し、
  永久平和な世界の実現のために、日本がイニシアティブをとることは
  ありませんでした。

  ですから、
  憲法の理想の実現を全く無視してきた とまでは、言えないまでも、
  結果として、憲法の理想を実現するための具体的な行動はとらなかった、
  と、言えると思います。


2.野党、護憲勢力

  野党や護憲勢力の皆さんは、
  マルクス主義を信奉 もしくは 親近感を持っておられる方々
  を、中心とした 政治勢力でした。

  マルクス主義者は、
  モスクワの指令に基づいて 日本に革命を起こして、モスクワに日本を奉呈し、

  自分たちは、
  モスクワの代理人として、モスクワの指令に従って日本を支配すること
  を、目的としていました。

  戦後すぐに、ゼネストを計画して、革命を目指しましたが、
  占領軍に阻まれて実現できませんでしたが、

  いつの日か実現しよう、もしくは実現したい との願望を持って、
  政治に参画していたのです。


  彼らにとって、
  憲法9条は、日本の軍事力を弱体化させるものであり、
  自分たちの革命にとって大変都合の良いものでした。

  ですから、
  政治的スローガンとして、憲法擁護、憲法9条改正反対を唱えて
  日本の弱体化の固定を図ってきたのです。

  同時に、
  革命の実現に有利になるよう、
  例えば、アメリカの原爆は悪い原爆だが、ソ連の原爆は良い原爆であるなどの
  非常識な主張を平気ですると共に、

  日本やアメリカへの悪口雑言に反して、
  ソ連、中国などの共産圏諸国についての都合の悪い事実は
  口を拭って一言もしないとの態度だったのです。

  彼らは、
  日本を貶めることが目的でしたから、
  憲法が目指している永久平和の実現などは、どうでも良く、

  護憲、憲法改正反対は唱えても、口先だけで、
  憲法が求めていた永久平和な世界の実現のための具体的な活動などは、
  全く眼中にありませんでした。


3.日本国民

  憲法9条が、戦後70年間維持されてきたのは、
  日本国民が、憲法9条を支持してきたからです。

  占領が終って、独立が回復したら、
  占領軍に押しつけられた憲法は、改正されるのが普通であり、常識であるのに、
  なぜ改正されなかったのでしょうか。

  それは、
  太平洋戦争で、政府が、日本国民を「屠殺」しまくったため、
  もうその様なことは「御免だ」と、
  日本国民が、心底から考えるようになったからです。

  ここで、
  敢えて、政府が日本国民を「屠殺」しまくった、と過激な表現を使いました。

  それは、
  例えば、敗戦直前、
  45万挺の鉄砲しか9月末までに配給できないのに、150万人を徴兵して、
  武器も持たせずに米軍の攻撃の前に曝そうとしたからです。

  (注) 高木少将語録 第4回「陸軍の本土決戦論」
      http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-3f2d.html


  また、子供の時に父から聞いた話ですが、
  父の学んだ 広島文理大(現在の広島大学)附属中学の理科系の生徒さん達は、
  米軍が、新型爆弾を使うから、後学のためにどのようなものか見に行け
  と、わざわざ疎開先から広島に戻らされて、被爆したそうです。

  これは、
  アメリカが原爆を使用することを、事前に国内で広く知られていたことを
  意味していて、

  それでいながら、
  政府が、敗戦を認めず、漫然と時を過ごしていたこと、

  言い換えると、
  国民を屠殺してもかまわないと考えていたことの現れの一つであり、
  一事が万事だと 思います。


  「屠殺は、二度と御免だ」と考えた日本国民も、
  他国に先駆けて武力放棄して、他国の侵略を挙手傍観してまでも
  憲法の理想の実現に努力しようとは考えませんでした。

  ですから、
  自民党のアメリカとの同盟政策を支持して、自民党に政権を託してきたのです。

  でも、
  託しすぎて、自民党が憲法を改正し、
  またいつの日か、国民が政府により屠殺される事態が生じたら困りますので、
  改憲に必要な議席までは、自民党に与えませんでした。



以上、
政権を担当した自民党も、
自民党に反対する野党も、

更には、
日本国民も、

要するに、日本中で
憲法を、都合よく利用する人はいても、

本気で憲法の理想を実現しようとする担い手は誰もいない状態で、
今日まで至っているのです。



Ⅳ 憲法が想定していない事態の発生

もともと、憲法の理想と現実は、大きな乖離があったのですが、

憲法は、
その乖離をどのように埋めるか、具体的な道筋を示さず、

その実現を委ねられた 与野党 も、
それぞれの立場から、本気で理想を実現しようとはしませんでしたから、

大きな乖離があるがままに憲法制定してから70年近くが経てる間に、
憲法が前提としなかった次の2つの事態が生じました。


1.軍隊が、従来 警察活動だった分野も担当する時代になったこと

2.周辺諸国が、
  普遍的な政治道徳を持っておらず、
  公正と信義を信頼できないことが、明白となったこと。



1.軍隊が、従来 警察活動だった分野も担当する時代になったこと


  犯罪者、犯罪組織の実力が大幅にパワーアップしたことにより、
  その犯罪行為の取り締まる側が、従来の警察活動では対処しきれず、
  軍隊の力が必要となってきました。

  これが、初めてはっきりと認識されたのは、
  フセインのイラクが、クェートに侵入したときです。

  フセインのイラクのクェート侵入は、
  従来型の国権の発動たる武力の行使ではなく、
  完全な犯罪行為とも言うべきものでした。

  ですから、
  国連軍は組織されませんでしたが、
  アメリカを中心とする多国籍軍が、イラクをクェートより排除したのです。

  国家の犯罪行為に対しては、
  従来の警察活動では、取り締りが不可能であり、
  軍隊による警察活動が、これからは必要だと認識され、

  軍隊も、
  従来型の国権の発動たる戦争ではない活動もするようになったのだな、
  と、理解されるようになったのです。


  次に、
  9.11のときに、ブッシュ大統領が、「テロとの戦い」を宣言したことです。

  私は、この宣言を聞いたとき、
  ハイジャック犯の取り締まりなら、軍隊を使わないでも、
  従来型の警察活動で十分ではないかと、最初違和感を感じました。

  その後、
  アルカイダが、軍隊に匹敵するゲリラ戦を行う組織であり、
  アメリカ軍でさえ、なかなか対応に苦労する力を持ち主であることが
  明らかになり、ブッシュ大統領の宣言に対しても、違和感がなくなりました。

  この様な 軍隊の役割に警察活動が加わったことは、
  時代の推移により生じた憲法が想定していなかった事態です。


  実は、
  軍隊が、今まで警察活動を全く行っていなかったわけではありません。

  例えば、
  戦前、米騒動が生じたときに、軍隊が出動したとのことですし、
  戒厳令が発令されたら、治安維持は、警察ではなく軍隊の役割なのです。


  また、
  国道に不発弾が見つかったら、
  警察ではなく、自衛隊の処理班が出動します。

  これも、
  国権の発動たる戦争行為、武力の行使ではなく、
  警察活動に対する補完行為なのです。


  自衛隊は、
  戦後長い期間、地道に日本近海の機雷除去の作業を行ってきました。

  これにより、
  日本の掃海能力は、世界的に見て大変高いレベルにあると
  評価されるようになったのです。

  この作業を、
  戦争行為、武力の行使と言う人は 誰もいないでしょう。

  道路の不発弾処理と、海上の戦時中に敷設された機雷除去は、
  同じ性格のものなのです。


  今回、
  ホルムズ海峡に機雷が敷設された場合に、
  自衛隊を掃海作業に派遣することに対して、
  野党から憲法が禁止する武力の行使だとの主張がなされました。

  ホルムズ海峡は、
  世界貿易にとり、安全を確保しておかなければならない国際海峡なのです。

  そこに、機雷を敷設することは、
  国道に地雷を敷設するのと同じ行為であり、
  その除去は、警察行為であると、考えるべきでしょう。


  何処かの大学の先生が、
  日本の経済権益が侵害されるからといって自衛隊を派遣するのは、
  戦前中国に侵略したときの軍隊と同じ論理である、
  と、おっしゃっておられるのを読んで、あきれ果ててしまいました。

  某国に攻め込む事前準備のための掃海活動は、武力行使だと思います。

  しかし、今回議論となっているのは、
  日本が、
  日本向けだけでなく、
  全ての国に向けて航行するタンカーの安全を図ることです。

  国道に敷設された地雷を除去するのと同じ性格の行為が、
  どうして武力の行使となるのでしょうか。

  この様な議論が生じるのは、
  軍事行為、軍隊の活動に対して、
  帝国主義時代の認識しか持っていないことを表白していますね
  と,言わざるを得ません。

  戦前、海軍の年次計画に対して、
  「明治の頭」で考えていると、酷評した海軍首脳がいましたが、

  上記の議論は、
  21世紀において,19世紀の頭で軍隊を議論していると言われても
  仕方が無いのではないでしょうか。


  憲法前文には、
  全世界の国民が、
  平和のうちに生存する権利を有することを確認する、

  我々は、
  平和を維持しようと務めている国際社会において、
  名誉ある地位を占めたいと思う、と宣言しています。

  自らの生命の危険を顧みず、
  国際航路の安全を確保するために機雷を除去する作業をすることは、

  平和を維持することであり、
  日本が、国際社会に名誉ある地位を得るための具体的な努力
  ではないでしょうか。

  野党や護憲勢力の皆さんに、この様な視点が欠落しているのは、
  日本を貶めて、他国に日本を奉呈しようとして、護憲を主張してますよ
  と、表白しているのではないでしょうか。

  少なくとも、
  憲法の理想の実現など、眼中になく、どうでも良いこととおっしゃっておられる
  と、私には感じられます。



2.周辺諸国が、
  普遍的な政治道徳を持っておらず、
  公正と信義を信頼できないことが明白となったこと。


  最近の中国や韓国、北朝鮮の動向について、一々申し上げる必要は無いだろう
  と、思います。

  中国は、

  尖閣諸島について、資源があると分かったら領土を主張し初め、
  最近では、沖縄まで侵略しようとしています。


  韓国は、

  竹島を不法占拠している上に、
  日韓条約で解決済みの慰安婦問題を持ち出し、
  大統領を先頭に、歴史をねつ造して噓を全世界にばらまき、
  日本を貶めて、金をむしり取ろうとしています。

  日本は、
  日韓条約で、韓国に、当時の韓国の国家予算の2倍以上の資金を
  支払ったことを初めとして、

  その後も、ことある毎に、
  いろいろな分野で、多額の支援や技術援助をしてきました。

  韓国は、
  これらの日本の好意を、感謝するどころか、
  反日教育をして国民を扇動して、日本を貶めようとしている国であり、

  普通なら、
  国交断絶してもおかしくない行為
  19世紀なら、戦争になったであろう行為 をしている国なのです。


  北朝鮮は、

  朝鮮戦争で不法に南に侵略をしたり、
  その後も、
  日本の主権を踏みにじって、日本人を拉致してきた国なのです。


  以上概観したように、日本の隣国であるこれらの3カ国が、
  一般人なら犯罪者として扱われてもおかしくない国であることが明白となり、

  日本としても、
  憲法の理想は理想として、
  彼らの不法な攻撃への対応を考えねば、独立を維持していくことが難しいことが
  はっきりしてきました。

  更には、
  彼らが、日本国内での工作活動を活発に行っていることが、
  あぶり出されてきました。

  朝日新聞が、
  慰安婦のねつ造報道を自白したことにより明らかになったのように、

  日本のマスコミに、中国や朝鮮人 が 入り込んで、
  日本人が、日本を貶める内容の記事を書いている風を装って、
  工作活動をしてきたのです。

  (注) 朝鮮人とは、

      在日を含む 韓国人、北朝鮮人、
      並びに 日本に帰化した 朝鮮系日本人 を 指しています。

      また、
      朝鮮とは、韓国、北朝鮮 を 指しています。

      以下の記述も、同様です。

      なお、
      日本に帰化した朝鮮系日本人を朝鮮人と呼ぶのは、

      アメリカにおいて 米国に帰化した朝鮮人が
      アメリカのためでなく朝鮮のために活動しているので、

      彼らは、帰化した後も 依然として朝鮮に忠誠を誓っている
      と、判断したからです。


  政界においても、野党のみならず、
  政権与党である自民党にも、中国や朝鮮の工作員と思われる政治家の存在が、
  メッキがはがれるように、明らかになってきました。

  例えば、
  自民党の有力者だった小沢一郎氏や鳩山由紀夫氏は、
  民主党政権下において、中国や朝鮮の工作員ではないか、
  と、疑われるような行為をされておられることが、
  ネットが一般化したことにより、明らかになりましたし、

  最近では、
  自民党の重鎮で、派閥の長や主要大臣、党三役を経験された方が、
  共産党の機関誌である「赤旗」に寄稿されて、世間を唖然とさせる事態が
  生じています。

  また、自民党や政府関係者において、
  中国や朝鮮のための工作を行っているのではと、疑心暗鬼にさせられる方も、
  ちらほら見受けられます。

  この様に、
  中国や朝鮮が、日本のマスコミや政権中枢の奥深く入り込んで、
  日本を根っこから 腐らせて転覆させようとしていることに対して、
  対処が必要となってきたのです。

  このことは、
  日本国憲法が想定していなかった事態です。

  もしくは、
  その様な外国からの工作に対しては、
  日本の政治を担う与野党が一致結束して、
  憲法の理想を現実化するように努力すべし
  と、憲法が命じていたのです。

  ところが、先ほど申し上げたように、
  与野党だけでなく日本国民も含めて、憲法の理想の実現を、
  自分の使命だと思って、本気になって実現する体制からほど遠い状況が、
  戦後70年間続いてきたのです。



Ⅴ 慣習法の憲法の生成


以上述べた状況の中で、
自衛隊や日本の防衛を巡って、慣習法の憲法が生成されてきました。


慣習法の憲法が生成されてきた背景を、
もう一度列挙して整理させて頂きます。

1.憲法は、
  理想を宣言して、言い放すだけで、
  理想の実現するための具体的方策を指示してなかった。

2.憲法は、
  軍隊の保持のみならず、自衛戦争までも禁止しておきながら、

  侵略戦争と自衛戦争の区別
  軍事行動と警察行動の区別、
  自衛戦争と正当防衛、緊急避難との区別について、定義しなかった。

3.日本人は、
  憲法の理想を実現しようとする能動的な行動をとらなかったが、

  戦時中に国民が政府により屠殺されたトラウマが大きく、
  国民が、憲法改正も実施させずに
  理想と現実に大きな乖離があるままに約70年間放置されてきた。

4.時代の進展により、
  軍隊が、従来警察活動の分野とされていた業務も担当するようになった。

5.日本の周辺諸国が、
  憲法が前提とした、普遍的な政治道徳を持たず、
  公正と信義を信用できない国であることが、明らかになった。


今回の集団的自衛権についての議論において、
反対論者が、

解釈改憲に反対しながら、
自衛隊はもとより、個別的自衛権までもが合憲とおっしゃっておられるので
反対論者も、解釈改憲をされているではないか と、びっくりしました。

私は、
憲法解釈としては、自衛隊は違憲な存在だとせざるを得ないと考えています。

以前、日経新聞だったと思いますが、
後藤田氏が、警察予備隊を創設するときに、
「警察予備隊は、軍隊だ」とおっしゃっておられたと書いておられるので、

当時の政府は、
違憲の軍隊であることを承知で、自衛隊を創設されたのだなと、理解していました。


では、
違憲な自衛隊が、
何故、創設され、現在まで立派に運営されてきたのでしょうか。


それは、
先ほどから述べているように、

憲法は、理想を宣言しただけで、
外国が攻撃、侵略してきたときに、具体的にどのように対処するのかについて、
規定してなかったからです。

この憲法上の空白を埋めたのが、
自衛隊の創設であり、
慣習法の憲法が生成されてきたとお話しする所以なのです。

ですから、
慣習法の憲法という法的根拠を持った自衛隊を、廃止出来なかったのです。


集団的自衛権の反対される方が、政府の解釈改憲に反対と主張されるのは、
憲法の空白を認めず、空白を埋める慣習法の憲法を
ご理解されておられないためだ と、思われます。


自衛隊や集団的自衛権の議論は、解釈改憲ではなく、
憲法の規定がないところに、新たな慣習法の憲法を作ることなのです。

日本は、成文法の国ですから、
本来であれば憲法改正により9条を変更することが好ましいのですが、

戦時中 政府に屠殺されまくった日本国民が、
政府に改憲を許さなかったための、苦肉の策だったのです。


即ち、
日本国の安全に責任を持っていた政府、自民党が、
憲法の空白部分について、法律により対処して、
結果として、慣習法の憲法が生成されたのです。


これに反対する野党も、
政府自民党の現実への合理的な対応に対して、
反対を貫徹することが出来ませんでした。

従って、
いつの間にか、自衛隊が、その存在が承認されて合憲となり、
個別的自衛権までもを、与野党一致して認めざるを得なくなったのです。


以上が、
憲法、自衛隊、集団的自衛権についての戦後の歴史認識からのご説明ですが、

日本が成文法の国である以上、
やはりこの様な状況は好ましくないだろうと思います。


野党や護憲勢力までもが、
個別的自衛権まで認めるようになったのですから、

改憲論議は、改憲論議として別にするとして、

現行憲法においても、立法論としては、
憲法の理想は理想として、

① 理想をどのように実現するのかということと、
② その理想を実現するまでの間、日本をどのように防衛していくのか、
について、

憲法9条を補強する規定を、憲法に追加するのが望ましいのでは、
と、考えています。



追記  2014年9月4日付

早速このブログを読んで頂いた友人から、
次のようなコメントを頂き、返事しました。

友人のコメントは、
ブログを書いているときに、もう少しご説明しておいた方が良いのかな
と,考えた点のご指摘でしたので、

友人との対話をご紹介して、皆様の参考に供させて頂きます。


<友人のコメント>

もし、貴兄の言われたように、

平和憲法に係る慣習が数十年で生まれているのなら、
何か、慣習を慣習法へと具体的に変えて行くようなプロセスがいるように思います。
(立法か?、司法か?行政の出番ではないと思うのですが???)


<友人への回答>


「慣習法の憲法が、生成過程にある」というのが、
正確な言い方だろうと思います。

確かに、
中核部分は生成されてきたけれど、
最終的に、慣習法として固まったとは言えず、

これからも、慣習法の憲法は、
基本は変わらないけれど、もっと明確になっていくだろうと思っています。


慣習法は、
事実たる慣習が、徐々に法的効力を持つようになって、
最後には、成文法となるのです。


今回の対象は、憲法ですので、

日本人が、対象たる慣習を承認するようになると共に、

それと平行して、
慣習法としての法的効力を持つように生成される過程において、
当然、憲法の下位の法律 が、制定されてきてます。

今回で言うと、
自衛隊法とかその周辺の法律、
今回の集団的自衛権関連でこれから制定される法律などです。

憲法は、制定(規定)されていないけれど、
憲法が、制定(規定)されたとしたら、憲法の下位に制定されるべき法律が、
着々と整備されてきて、

これなら、
成文の憲法が制定されていないだけではないか
と、思われるようになってきたので、
慣習法の憲法が、生成されてきた と、申し上げたのです。


野党が、
政府自民党に対して、「解釈改憲」反対を主張していますが、

解釈改憲される度に、
憲法の空白を埋める法律が整備され、

法律の上位に存在する慣習法の憲法が徐々に姿を現してきている
と、私には感じられるのです。


慣習法の憲法が、
これからも変化するであろう 生成過程である というのは、

現状においては、
自衛権の発動について、理想を宣言する憲法に制約されて、
どこの国も保持している 全面的な自衛戦争 が、
現状では 依然認められていないからです。


政治の世界で、
「普通の国になる」とか、

反対派が、
「戦争の出来る国にしようとしている」と言われていますが、

これは、
まだ全面的な自衛権が認められていないことの現れだと思います。


本来 国が持っている自衛権を、制約なしに行使できるようになって初めて、
慣習法の憲法も完成するのだろうと思いますので、

現在は、
その進行過程にあるだろう申し上げたのです。


このことを、
ブログで はっきり書くと、

集団的自衛権に反対されておられる方から「けしからん」とお叱りを受けて、
ブログが炎上する事態になると困りますので、少しぼやかしました。


私が、
今回慣習法の憲法が生成されているな と、申し上げたのは、

憲法が理想を宣言しているだけで、現実にどのように対処するのか、

具体的には、
周辺諸国の侵略にどう対処するのかについての規定が空白だったのが、

戦後70年が経過するうちに、
自衛隊が創設され、国民の間に定着し、

国民が、
自衛のための戦争は受けて立たざるを得ないとの意識に変わってきて、


例えば、
尖閣に、中国が攻めてきたら防戦するのもやむなしとの意識になってきたので、

大変な意識の変革があったなのだな と、感じたからです。


憲法制定当時、
憲法学者の宮沢先生は、先生の憲法のコンメンタール(憲法の逐条解説)で、

「自衛戦争の名目で侵略戦争が行われてきたことがあるので、
 日本国憲法は、自衛戦争をも禁止している」
と、記述され、これが通説とされてきました。

この記述と、
先ほど述べた現在の日本人の意識、感覚の大変な違いを
お感じ願えれば と、思っています。


この違いは、
この70年間の推移により生じ、

創設当初、誰もが違憲だと内心感じていた自衛隊も、
今日では野党でさえ合憲というようになったのです。

(野党が、
 自衛隊を合憲と認めている と、言うと お怒りになるのであれば、

 少なくとも、
 自衛隊創設当初主張された 自衛隊は違憲だとの主張は 引っ込められた
 と、言えると思います。)


しかも、
尖閣への侵略の恐れがあり、

更には、
沖縄で街宣活動して、沖縄征服の野心を露わにしている中国に対して、

集団自衛権をも認めて、そのための法整備をしようというのは、

憲法の理想は理想として、
現実に日本が侵略されたら、自衛のための戦争もやむを得ない
との意識が 国民に定着して、

それに対処した法整備を政府が行い、
国民が、その政府自民党を支持していることであり、

これは、
現実に対して どう対処するかの慣習法の憲法が
生成されてきている事を意味していると、言えるのでは

と、感じたので、今回のブログを書いたのです。


識者の中には、
国際法は、自衛権として、個別も、集団も認めているのに、
個別の自衛権しか認めていないのは、憲法の欠陥であり、

国際法と異なる規定をしている憲法はおかしい
と、おっしゃる方がおられますが、

これは、
二つの意味で間違っていると思っています、


一つは、憲法解釈の問題で、

(アメリカの押しつけだけど、国民が圧倒的に支持してきた)
憲法の理想に基づいて

憲法は、交戦権を禁止していますので、
日本に 自衛戦争を含む 一切の戦争 を 認めていないのです。

言い換えると、

憲法は、
日本が攻められても、国を守るための自衛戦争を一切禁止している
というのが、現行憲法の正確な文理解釈なのです。

従って、
個別的自衛権も、当然 禁止されているのです。

時代が変わっても、憲法の規定は変わっていませんので、
憲法は変遷すると言って、
「書いてもいないことを 書いてある」と、解釈するのは、
日本が、法治国家ではなくなることになります。


個別的自衛権を、
憲法が認めていると解釈する 一つの方策 が、
このブログでご説明してきた論理なのです。

即ち、
憲法は、理想を宣言したものの、

① 理想を実現する方法論に関する規定 と
② 理想を実現するまで、日本が攻撃されたときの規定
についての空白があるため、

憲法の空白という欠陥に対処して
日本人が生成してきた 慣習法の憲法 が

「憲法の理想が、国際社会で実現する前に 日本が攻撃されたら、
 日本を防衛するのが当然だと、認めているから、
 日本が自衛戦争しても、憲法解釈上 違憲ではない」
と、しなければならないのです。

言い換えると、
現状では、憲法の空白という欠陥 を、
慣習法の憲法に従って、下位の法律で補っている
と、主張し、

最終的には、憲法裁判所である最高裁で、
この論理を認めてもらわなければ ならないのです。


日本では、
日本の法律の母国であるヨーロッパでは、
慣習法の上に成文法が存在しているのですが、

成文法の解釈学が法律の学習だとお考えになって、
慣習法への認識はおろか、
法制史もまともに学んでおられない大多数の法曹のお歴々に、

「このことを、理解して頂けるものなのでしょうか?」と、問われると、
「どうですかね・・・」と、言わざるを得ないのが、残念です。

ただ、
最高裁の判事の皆さんは、知恵者揃いですので、

この論理を認めないでも、他の方策を考えられて
違憲判決はお出しにならないだろう と、信頼し、確信をしています。

(注)他の大学は知りませんが、私の学んだ大学(法学部)で、
   西洋法制史の授業を受けていた人は、600人中、数えるほどでした。


二つ目は、
国際法は、現実にどう対処するかを定めた規定ですが、
日本国憲法は、理想を宣言したものである ということです。

即ち
国際法と憲法では、拠って立つ立場が、異なっているのです、


人類の歩みの 何歩も先の理想を 憲法に規定するのは、
それは、それでありうる と、思われます。

ですから、ブログでも書いたように、

議論すべきは、

憲法は、
理想を宣言するだけでなく、

1.理想に向かって、どのように現実を変革していくのかという、
  理想実現の為の方法論と、

2.理想が実現するまでの間の現実に、どう対処するのか

についても、規定すべきであったし、

自民党が主張する抜本的な憲法改正とは別に、

現行憲法の規定の追加の議論を、
今からでも おこなうべきでは と、申し上げたいのです。

                                以 上


   (参考) 憲法9条に関する ブログは、次の通りです。

    < 次々次回 の ブログ > 

    憲法を素直に読むと、個別的自衛権も、自衛隊も、違憲では?
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-0b64.html

    < 次々回 の ブログ > 

    砂川判決(砂川事件最高裁判決)における 慣習法憲法の生成
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-f6aa.html

    < 次回 の ブログ >

    憲法9条論議で、忘れてはならない大事な論点
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-4176.html

    < 今回 の ブログ >

    集団的自衛権論議で欠けてる視点・・・慣習法の憲法の生成・・・
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-b14a.html



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