憲法を素直に読むと、個別的自衛権も、自衛隊も、違憲では?・・・最近の憲法論議は、憲法9条が規定していない事態への対処の議論なのでは?
憲法9条の議論について、
少しずつ認識を深めて、幾つかのブログを書かせて頂きました。
本ブログも、その一里塚ですが、
長文であるために、
異例ではありますが、申し上げたいことを
本文の前に箇条書きさせて頂きます。
(2016年5月10日 追記)
< 本ブログの主旨 >
1.憲法9条 が、規定しているもの
平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、
軍隊などの戦力の放棄、交戦権を禁止している。
従い、
自衛隊 は、
違憲の存在である 軍隊 であり、
交戦権が禁止されている以上、
個別的自衛権の行使 も、違憲である。
2.憲法9条が、規定していないもの
・・・憲法9条 の 空白、瑕疵・・・
① 諸国民、とりわけ周辺諸国が、
公正でなく、信義に悖る国家である場合の
対処の規定 が、欠落していて、
憲法9条には、規定の空白が存在する。
② 憲法9条が規定する理念を実現するための
方策、方法論について 規定が 欠落している
3.今回の安保法案の議論の本質
上記2.の 憲法9条の空白 を 埋めるもの である。
このことは、
護憲派野党 でさえ、
憲法9条が明白に禁止、放棄している
自衛隊と個別的自衛権 を、合憲 と 解釈していることからも、
明かである。
4.今回の安保法案が生じた事情
憲法9条は、
諸国民が、平和を愛好し、公正且つ信義に足ると
検証抜きに 勝手に決めつけて、
高らかに軍隊と戦争を放棄する
と、宣言したが、
その後の推移 は、
諸国民、
とりわけ
周辺諸国(中国、韓国、北朝鮮)が、
憲法が、前提とした
公正で信義に足る存在でない どころか、
憲法9条の存在を奇貨として
わが国領土への侵略の意思を露わにする との
憲法9条が規定している外の事態 が、生じたために、
憲法9条の空白を埋める法律の制定の必要が生じた
と、考えるべきだろう。
これは、
改憲による 憲法の空白を埋める方策 を 阻止している
国民感情、政治状況 に 対処して
法律(自然法、慣習法)が、
法律自体に備わっている 空白を埋める 自然治癒力 が 発動して
(自然法、慣習法 の 自律的状況対処能力)
半世紀以上にわたって
慣習法の憲法 が 生成してきている
と、言うべきものであろう。
5.筆者の願い
① 憲法に欠陥、空白があるなら、
空白について憲法論議を深めて、
空白を埋めるために どう改憲すべきかを 正面から議論して
国会としての本来的な機能を果たして頂きたいと願っている。
② 憲法9条の理想は、
いつの日にか、歴史が必ず実現する 崇高な理念 である。
日本人が、他国に先駆けて
20世紀半ばに、永久平和の理念を憲法に明記したことは、
フランスの人権宣言、
アメリカの独立宣言 に、匹敵する
歴史上の金字塔とも言えるもの であると、同時に、
この理念を、
実現するべく努力が、未来永劫課されている と、
日本人一人一人が、深く認識し、銘記すべきである。
従って、
改憲論議の際に、
周辺国家の目先の侵略だけに目を奪われて
憲法9条の理念を削除すべきではなく、
憲法の理念 を 実現するためには、どうすべきか、
との発想により
憲法の改正を 検討すべきであろう。
以下に、
本ブログの本文を記載します。
国会の論戦について聞こえてくること を
おおざっぱに整理すると、
与野党ともに、
「個別的自衛権と自衛隊は合憲」だとして、異論がなく、
「集団的自衛権」について、
与党(自民党・公明党)は、合憲、
野党は、違憲
と、主張が別れているように感じています。
しかし、
憲法9条を、素直に読むと、
自衛権(個別、集団の両方) も、
自衛隊 も、
違憲では?としか
読めないのではという気がしますし、
もし、
個別的自衛権 が 合憲だとすると、
何故、
個別的自衛権を発動して、
竹島や北朝鮮に誘拐された人々を
取り返しに行かないのでしょうか?
何故、
尖閣や小笠原の領海侵犯する中国船を、
実力で排除しないのでしょうか?
更には、
長年にわたって、外国より、
領土が侵犯され、
国民が誘拐されているのに、
何故、
自衛権の発動についての具体的な議論 が、
国会でなされないのでしょうか?
との疑問が湧いて来る と、同時に、
最後の論点は、
国会や内閣 の 怠慢であり、
義務違反、国民への背信行為 では?
との 根源的な怒りさえ 含んだ 疑問 が 生じてきます。
今回は、
この辺の謎を考えてみたいと思います。
憲法は、
憲法前文で
「平和を愛する 諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存 を 保持しようと決意した」
と、表明した上で、
憲法第9条 (戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認)で、
1.日本国民は、
正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争 と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、
陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。
と、定めています。
わが国の憲法を、素直に読むと、
「わが国の存立を考えたら、ここまで思い切って良いのかな?」
と、思われるほど、極端なことを書いています。
即ち、
近隣の皆さんを信頼してますから、
紛争が起こって、
近隣の皆さんが、わが国に攻めてきても、
わが国は、
反撃のための戦争は、勿論、
武力を見せつけて、
皆さんを屈服させることもしませんし、
そのための 軍隊及び軍隊類似の武力も、
日頃から保有しません、
と、宣言した上で、
わが国に、
交戦権、
即ち、
外国との戦闘行為 を 禁止する
と、書いてあるとしか、理解できません。
言い換えると、
皆さんが、
わが国を攻めてきても、
わが国は、
反撃や抵抗も しないし、
どうぞ、
好き勝手に占領して下さって結構です。
何故、
このようなことを 言うかというと、
近隣の皆さんは、
そんなことをする人ではないと、
皆さんの信義を信頼し、信じているからです。
と、規定している と 読めます。
だとすると、
憲法の規定が、この様なのに、
与野党とも、
「個別的自衛権」「自衛隊」は、合憲だとしている根拠は、
どこにあるのでしょうか?
「個別的自衛権」とは、
わが国が攻撃されたら、反撃する権利
ということですし、
「自衛隊」は、
外国の攻撃に対して反撃するための組織ですから,
両方とも、
憲法9条と正面から衝突すのではないでしょうか。
従って、
憲法を素直に読むと、
「個別的自衛権」も
「自衛隊」も、
憲法9条で、禁止されている としか
読めないのではないでしょうか。
どう読めば、
合憲だと言えるのでしょうか?
憲法学者の宮沢先生も、
先生の憲法のコンメンタール(憲法の逐条解説)で、
「自衛戦争の名目で 侵略戦争が、
行われてきたことがあるので、
日本国憲法は、自衛戦争をも禁止している」
と、記述されおられます。
宮沢先生の学説は、
通説ではなかったのではないでしょうか?
いつから、
宮沢先生の説が否定されるようになったのでしょうか?
また、
その理由は、何なのでしょうか?
実は、
小学校で憲法の話を聞いて以来、
「自衛隊」が、
どうして、憲法上、認められるのかな?
軍隊ではないとしても、その他の戦力では?
ということが、
常に、私の頭の片隅に存在する 疑問、謎の一つでした。
与党(自民党、公明党)は、
個別的自衛権のみならず、集団的自衛権も
即ち、
自衛権全部 を、合憲だと主張し、
法案を提出されておられます。
そして、
最高裁の砂川判決 を 根拠として あげておられます。
砂川判決は、
「かくのごとく、同条(憲法第9条)は、
同条に、
いわゆる戦争を放棄し、
いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、
しかし、もちろん
これによりわが国が、主権国として持つ固有の自衛権は、
何ら否定されたものではなく、
わが憲法の平和主義は、
決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。
憲法前文にも明らかのように、
われら日本国民は、
平和と維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を、
地上から永遠に除去しようとつとめている
国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、
全世界の国民と共に、
ひとしく恐怖と欠乏から免れ、
平和のうちに生存する権利を有することを
確認するのである。
しからば、
わが国が、
自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために
必要な自衛のための措置をとりうることは、
国家固有の権能の行使として、
当然のことといわなければならない。
(以下略)」
と、判示されておられます。
この判決を読んで、
特に、
「主権国として持つ固有の自衛権は、
何ら否定されたものではなく、
わが憲法の平和主義は、
決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである」
との文章は、
最高裁が、
憲法を無視して、自分で判断しますよ
と、おっしゃっておられるのでは、
と、感じられ、吃驚してしまいました。
当時の最高裁長官で、砂川判決の裁判長をされた
田中先生の補足意見を読んで、
先生のお考え、
ひいては、
砂川判決の本当の狙いが、
理解できたような気がしています。
田中先生は、
「我々は、
その解釈について争いが存する憲法九条二項をふくめて、
同条全体を、
一方、
前文に宣明されたところの
恒久平和と国際協調の理念からして、
他方、
国際社会の現状並びに将来の動向を洞察して、
解釈しなければならない。
字句に拘泥しないところの、
すなわち、
立法者が、当初持っていた心理的意思ではなく、
その合理的意思にもとづくところの 目的論的解釈方法 は、
あらゆる法の解釈に共通な原理として、
一般的に認められているところである。
そして、このことは、
特に、憲法の解釈に関して、強調されなければならない。」
と、補足意見を述べておられます。
この補足意見については、前回お話ししていますので、
詳細はそちらをご覧下さい。
砂川判決(砂川事件最高裁判決)における 慣習法憲法の生成
http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-f6aa.html
田中先生がご指摘のように、
憲法九条を、
憲法前文の趣旨も踏まえて、解釈すべきだということは、
その通りですが、
目的論的解釈方法は、
条文に書いてあることの解釈、
即ち
説明ですから、
白を 黒と 言うことは、できないはず です。
憲法九条は、
明確に、
わが国の交戦権を禁止してますので、
外国が日本に攻め込んできても、
わが国が、
反撃して戦争することはできないのです。
別の言い方をすると、
「自衛権」を 禁止しているのです。
砂川判決は、
法律家の常識に従って、
主権国家が、
自衛権を持つのは当たり前である との前提に立って、
「主権国として持つ固有の自衛権は、
何ら否定されたものではなく、
わが憲法の平和主義は、
決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである」
と、おっしゃっておられるのですが、
わが国憲法は、
「主権」を 奪われた状況下において、
連合軍、
具体的には、米国から、
押しつけられた憲法であり、
わが国に、
未来永劫「自衛権を認めない」との前提 に 立っていて、
砂川判決とは、
議論の根本たる前提 が、異なっているのです。、
憲法制定当時、米国は、日本を、
永久に
無防備国家、軍事的抵抗力を持たない国家に 貶めおこう
として、憲法9条を押しつけてきたのです。
法律家の常識では、
自分の身を守ること、
即ち、
自衛権は、
常識であり、
当然の権利として認められているのです。
ところが、米国は、
終戦後の日本に対して、この自衛権を認めず、、
しかも、
米国ではなく、
わが国自らが、
自衛権の放棄を宣言する形の憲法 を 押しつけて、
永久に、
わが国を無防備国家に貶めておこうとしたのです。
そして、
わが国を、無防備国家のままに貶める憲法9条は、
わが国が主権を回復しても、改正されずに、
現在まで、厳然と存続し続けているのです。
ですから、法律論としては、
主権を奪われていたときに制定した憲法が、
主権回復後の憲法として不適当であるならば、
砂川判決のように、
憲法を無視して、
主権国家は自衛権を持つのは当然、常識である
というような 法律家の奥の手である マジック
即ち、
詭弁 を 使うべきでなく、、
正面から正々堂々と、
改憲により対処すべきなのです。
要するに、本件は、、
「解釈論」で、対処するのではなく、
「立法論」で、対処すべき本質の事柄なのです。
最高裁が、
砂川判決で、あのように判示せざるを得なかった事情
即ち、
主権国家の裁判所が、
自国の存立に危機をもたらし、
外国の侵略 を 容認するような判決 は
出せないし、
さりとて、
憲法改正は、事実上不可能だった事情 は、
十分理解していますが、
それでも、
田中先生が、補足意見で述べられているような、
目的論的解釈と称して、
憲法9条の条文や単語の意味を、全く無視して、
憲法の前文だけにより、
自分に都合の良いような解釈をすることに、
重大な疑問を呈せざるを得ないのでは?
法律家として、
許されることではないのでは?
という疑問を、拭い去ることができません。
憲法9条が、
主権を奪われた占領下に制定されたものであり、
しかも、米国が、
わが国を永久に無防備国家のままに貶め置こうとして
押しつけたものであることは、
田中先生を初め、
砂川判決に参与された最高裁の判事の方々にとり、
勿論、釈迦に説法だったと、思います。
田中先生からは、
「まともに 法律の勉強もしてないくせに、
子供じみた生意気言うな」
とのお叱りが、聞こえてくるような気がしています。
砂川判決の当時、
憲法9条の改正は、
国民の総意として不可能でした。
国民は、
法律家の常識、人類共通の常識よりも、
太平洋戦争中、
政府により、虫けらのように屠殺された経験を
二度としたくない、
戦争なんて考えたくもない
と、考えて、改憲に反対だったのです。
最高裁が、砂川判決で、
邪道とも言える解釈 を されたのは、
国民の安全、生存に対する責任を有する
三権(立法、行政、司法)の一翼を担う 司法権 としての
ぎりぎりの決断、
唯一の選択肢であり、
究極の非常手段だったのだろう
と、私には思われます。
(注) 虫けら、屠殺 との過激な言葉を
敢えて使用したことについて
次のブログを 参照頂ければ幸いです。
集団的自衛権論議で欠けてる視点・・・慣習法の憲法の生成・・・
http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-b14a.html
ですから、
田中先生が、補足意見で、
「立法者が、当初持っていた心理的意思ではなく」と、
立法の経緯を無視して判断する
と、宣言されたのでしょう。
私には、この文章は、
憲法9条を無視するとの宣言と共に、
法律家として邪道な解釈をすることに対する
弁解、釈明 を されておられるような気がしてなりません。
この文章から、
わが国がこの様に貶められる状況に至ったことに対する
田中先生の無念さ、悲しみ,痛み を しみじみと感じていますが、
先ほど述べたように、
法律家として、許されることなのかな?
もっと丁寧な理由の説明、
あけすけに言うと、
本音の理由 を 説明されれば 良いのに
と、ブツブツつぶやいています。
孫悟空が、
お釈迦様の手の外に出ることができなかったように、
この砂川判決は、
憲法が厳然と存在する以上、
前回お話しした通り、
竹島にしろ、
拉致問題、
更には、
尖閣、小笠原諸島において、
日本政府をして、
自衛権を行使させる迄には至りませんでした。
また、
砂川判決に従って自衛権を、
即ち
主権を行使しないことに対して、
誰からも、
「おかしいじゃないか」との指摘がありませんでした。
即ち、
砂川判決に従って、
(首相などの)誰かが、
自衛権を行使しようとしても
憲法9条が阻んでいるのです。
ですから、
野党やマスコミの皆さんは、
憲法により「日本が守られている」と、主張されますが、
日本国憲法により守られているのは、
不法行為 を 好き勝手に やり放題 行った
「韓国、北朝鮮、中国」だった、
即ち、
強盗や誘拐犯というべき国 が、
憲法9条によって守られていることが、
明確になってきたのです。
逆から申し上げると、
わが国は、
憲法9条 が あるが故に、
領土や領海が、侵略され、
国民が、誘拐されても
取り戻すことができないのです。
尖閣諸島にたいする中国の侵略や、
韓国大統領による 竹島上陸、天皇への冒涜発言、
更には、
中国の小笠原諸島における珊瑚強奪など
中国や韓国の傍若無人の振る舞いに対して、
日本国政府は、
憲法9条に縛られて、傍観するだけでしたが、
これらの事件により、
わが国の国民一人一人が、
「わが国の領土は、我々自らが守らねばならない」
と、考えるようになりました。
このことは、
憲法9条から離れた国民的合意 が、
地滑り的に形成された という、
大変な地殻変動が国民の間に生じたことを
意味しています。
憲法9条が、わが国ではなく、
周辺の強盗国家を守っている と申し上げても、
従来のような
違和感や反発 を、感じられなくなったのは、
この様な国民意識の変化によるものでしょう。
また、
この様な国民意識の変化が、
前々回の衆院総選挙で、自民党が、民主党を打倒し、
圧倒的多数の勝利を得たのは所以の一つでした。
更には、
護憲を標榜する野党やマスコミまでもが、
個別的自衛権や自衛隊は合憲だと
認めざるを得なくなったのです。
この国民意識の変化は、
砂川判決で最高裁の判事の方々が
直面された問題の本質を、
国民一人一人が、共有するようになった
と、言っても良いのだろうと思います。
でも、
政府自民党は、
この様な状況の変化があっても、
国民は、改憲に慎重であること を
心すべきでしょう。
太平洋戦争で、
国民が、政府により虐げられたトラウマは、
戦後70年を経ても、解消していないのです。
次に、
野党、マスコミの
「個別的自衛権」「自衛隊」合憲論について、
考えてみたいともいます。
野党の皆さんは、
護憲を旗印に政治活動を行っておられます。
今回も、
安倍首相は、憲法9条に違反して、戦争をしようとしている と、
マスコミを使って大キャンペーンを張り、
安倍内閣に逆風を吹かせることに成功しています。
一方で、
野党の皆さんが、
「個別的自衛権」「自衛隊」が合憲される理由について、
説明されておられる内容は、聞こえてきません。
今までお話ししたように、
元々 憲法9条は、
集団的自衛権どころか、
個別的自衛権も禁止していますし、
ましてや、
自衛隊みたいな戦力は持たない
と、宣言しているのです。
私には、
野党の皆さんが、
どのようなロジックで合憲とされるのか、
想像することができません。
野党の皆さんは、
自衛隊が創設されたとき、
違憲と主張されておられました。
それが、
どのような経緯で、
どのようなロジックで、
合憲に転換されたのでしょうか。
野党の皆さんは、
政府・自民党に対して、
解釈改憲してきている と、非難していますが、
ご自身の解釈を変更した理由については、
説明しないで良いとお考えなのでしょう。
政府自民党は、
主権国家になったからには改憲すべき、
を、旗印に、結党以来活動していますので、
その是非はともかく、
その行動について、
論理的には理解できます。
しかし、
野党の皆さんは、
護憲を旗印に、憲法9条を守れ、と主張して、
活動しているのです。
だとしたら、
野党の皆さんの主張は、
憲法9条に従ったもの、
即ち、
自衛権を否定し、
外国が侵略していたら、
何ら抵抗なく、彼らの好き勝手にさせる
と、いうことではないでしょうか。
ここで、
本筋からちょっと離れた冗談を 述べさせて頂きます。
野党の皆さんが、
何故、
中国や朝鮮(韓国・北朝鮮)の主張と同じ対応を、
何かにつけて主張されるのかが、やっと分かりました。
護憲は、
わが国国民を欺くための旗印であって、
野党の皆さんは、
中国や朝鮮の先兵となって、
日本への工作活動に従事している人々だったのですね。
そう考えると、
野党の皆さんの護憲の旗印が、クリアに理解できます。
冗談はさておき、真面目な話、
野党の皆さんのおっしゃる護憲とは、何なのでしょうか。
素直に考えると、
憲法9条を守る ということのように 思えますが、
野党の皆さんは、
憲法9条とは 真逆の主張に 基づいて
活動されておられるのではないでしょうか。
不可解!と、
言わざるを得ない気がします。
また、
自衛権には、
「個別」と「集団」の 2つが あります。
砂川判決でも、
国連憲章は、全ての国に「両方を認めている」
と、判示されておられます。
なのに、
個別的自衛権 と 集団的自衛権 を 区分して、
一方は「合憲」、
他方は「違憲」と、主張されるロジックが、
チンプンカンプンで、理解できません。
野党の皆さんは、
大衆を扇動するためには、
論理などどうでも良く、
「個別的自衛権」「自衛隊」は、合憲だ と、
主張しなければ、国民世論の支持を得られない、
反政府のキャンペーンを張っても、共感を得られない、
と、お考えになられたから、
合憲論に転じたのではないだろうか、
と、邪推したくなるのは、私だけでしょうか。
今国会の論戦が、
不毛である と、揶揄されていますが、
政府与党を攻める立場の
野党の皆さんやマスコミの論理構成の根本 が、
即ち、
集団的自衛権 が 違憲である との主張の根本 が、
この様に
支離滅裂であることが、議論がかみ合わず、
お互いの主張 を 言い放しにしている原因
ではないでしょうか。
また、
最初のお話ししたように、
個別的自衛権が、合憲なら、
個別的自衛権を行使して
何故、
竹島や、北朝鮮に誘拐された人々を
取り返そうとしないのでしょうか、
野党の皆さんが、賛成すれば、その気になれば、
明日にでも、竹島はわが国に帰ってくるのです。
(自衛隊による奪還、救出作戦は、
短期間で終了するでしょう、との意味です。)
また、
尖閣や小笠原で中国が侵入して、
わが国の財産を強奪したときに、
何故、
武力で排除しようと、主張されなかったのでしょうか。
とりわけ、尖閣の時は、
現在の野党が、政権を担当していましたよね。
何故、あの当時
個別的自衛権を行使するどころか、
宗主国様に対するような
腰が引けた対応を されたのでしょうか?
中国船の行状のビデオを、
ひた隠しに隠そうとしたことは、
中国様の意図の実現するための
中国の指令に従った工作活動の一環だった
のでしょうか。
あの当時、
横浜での日中首脳会談における
首相の卑屈でおどおどした振る舞いには、
吃驚する以前に、
唖然として声も出ませんでしたが、
わが国の宰相が、
あれほどわが国を貶めたことは、
なかったのだろうと思います。
この様に、
野党の皆さんが行っておられることは、
言行不一致、
疑惑の塊
と、言わざるを得ないのではないでしょうか。
こう考えると、
個別的自衛権は、合憲というのは、
実は、
国民を欺くメッキであって、
メッキの下の本心は別ですよ、
と、行動で示しておられるのでしょうか?
野党の皆さんも、
国政に対する一端の責任を
有しておられますので、
あえて、
厳しい苦言を述べさせて頂きましたことを、
ご了解ください。
最後に、
今まで述べてきたように、
憲法9条は、
何故この様な粗末な扱いをされるのでしょうか。
護憲を自称される人々でさえ、
憲法9条が禁止している 個別自衛権 や 自衛隊 を
合憲だと認めておられるのです。
ここで、
砂川判決を、もう一度思い出して頂きたいと思います。
田中先生は補足意見で、
1.憲法前文に宣明されている
恒久平和と国際協調の理念 と、
2.国際社会の現状並びに将来の動向 を
洞察して 解釈すべきだ
と、主張されておられます。
では、
憲法9条関連について
憲法前文は、
どのような内容を規定しているのでしょうか。
箇条書きに、
列挙してみたいと思います。
1.日本国民は、
政府の行為によって、
戦争の惨禍が起こらないよう決意する
2.日本国民は、
恒久の平和を念願し、
人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚し、
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した
3.われらは、
平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を
地上から永遠に除去しようと努めてゐる
国際社会において、
名誉ある地位 を 占めたいと思ふ。
4.われらは、
全世界の国民が、
ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
平和のうちに生存する権利を有すること
を確認する。
5.われらは、
いづれの国家も、
自国のことのみに専念して
他国を無視してはならないのであつて、
政治道徳の法則は、普遍的なものであり、
この法則に従ふことは、
自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする
各国の責務である と、信ずる。
6.日本国民は、
国家の名誉にかけ、全力をあげて
この崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
以上お読み頂いてご理解頂けるように、
憲法は、
その前文において 憲法9条 の条件を
記述しているのですが、、
直接的には、次の3項目でしょう、
① 平和を愛する諸国民 の 公正と信義 に 信頼して、
われらの安全と生存 を 保持しようと決意した。
② 全世界の国民が、
平和のうちに生存する権利 を 有する。
③ 普遍的な政治法則に従ふことは、各国の責務である。
即ち、
憲法9条で、
わが国は、
無防備国家を宣言していますが、
世界中の国々が、
とりわけ、
わが国の周辺の国 が、
1.公正と信義に信頼できること
2.全世界の国民の 平和に生存する権利 を 認めていること
3.普遍的な政治法則に従うこと
を、前提条件 としているのです。
憲法前文の最後で、
憲法前文が掲げる崇高な理想と目的を達成することを
わが国の名誉にかけて誓う
と、宣言していますが、
具体的に、どのように達成するのか、
更には、
世界中の諸国、
とりわけ
周辺の諸国が、
憲法前文に記述するような国家でなかったときに、
どうするのか、
については、記述していません。
その辺のことは、
実際に憲法を運営する 日本政府 や 立法府
即ち、
憲法の下部に位置する 法律 に、
委任している
と、いうことなのでしょう。
ここに、憲法9条が、
無視され、継子扱いにされる原因があったのです。
世界中の諸国、
とりわけ、
わが国周辺の諸国が、
憲法前文に記述されているような国であったなら、
憲法9条も、
条文通りの扱いをされたのでしょう。
でも、
実際の世界は、
憲法前文が記述するような世界では
ありませんでした。
憲法9条の理想と現実には、
大幅な乖離があって、
即ち、
憲法9条の前提条件を満たすような諸国で
なかったため、
憲法9条を、
実現することができなかったのです。
田中先生が、
憲法の理念と共に
国際社会の現状並びに将来の動向 を洞察して
憲法9条を、解釈すべきだ
と、おっしゃる所以なのです。
北朝鮮は、
昔から強盗国家、誘拐国家、
即ち、
ならず者国家 でしたが、
それに加えて、最近になって、
中国の膨張 が 甚だしくなると共に、
韓国の反日活動 が 活発化し、
わが国も、
これらの動きに対処せざるを得ない事態が
生じてきました。
戦後一貫して憲法9条を支持してきた国民でさえ、
さすがに、中国や韓国が、
武力行使に出て来たときの備えをしておかねば
ならないのでは、という認識を、
共有するようになったのです。
政府自民党は、
さすがに政権政党として、主権が回復した以降
野党やマスコミの皆さんの妨害を受けながらも、
わが国の安全保障についての責任を果たしてきました。
しかし、
国民が、憲法9条の改正を望まなかったので、
憲法改正をできずに、
憲法の下部の法律の整備で、
責務を果たしてきたのです。
この状況を 客観的に見ると、
日本では珍しく、例外的に
慣習法、しかも、慣習法の憲法 が、生成してきた
と、いえると思います。
成文法に、瑕疵や空白があれば、
慣習法が、生成してきて補い、修復する
との法律の歴史的真実は、
日本においても当て嵌まっているのです。
憲法9条は、
現実と大幅に乖離していて、
憲法として 規定の空白 があります。
一義的には,
改憲で対処すべきなのですが、
国民が改憲を拒否して、
空白が埋められなかったため、
法律のもつ自然治癒力が機能して、
慣習法の憲法が生成してきたのです。
最高裁の砂川判決も、
この流れの中で理解すべきだろうと思います。
最高裁が、
憲法9条の解釈論としては、落第点と言うべき判決を、
あえてされたのは、
憲法の空白
即ち、
憲法前文の
「平和を愛する諸国民 の 公正と信義 に 信頼して」とは
真逆の国際環境下に
日本がおかれている反面、
国民感情が、
憲法改正を許さないことに対処して、
わが国の平和と安全を維持するために、
「判例法による慣習法の憲法の生成」というべき
「立法行為」を されたのです。
先ほど、
憲法9条の問題は、
解釈論ではなく 立法論で対処すべき
と、書きましたが、
最高裁は、
そのことは、百もご承知で、
黙って、
解釈のふりをして、
立法行為 を 断行されたのだろう と 思います。
自衛隊も、
この流れの中で 理解すべきだ と、思います。
後藤田氏が、
日経新聞の「私の履歴書」で、
「自衛隊創設当時、聞かれたら、
自衛隊は、警察ではなく軍隊だ と、言っていた」
と、書かれておられました。
日本国政府は、文理解釈上、
自衛隊が、憲法9条違反なことは、
百も承知だったのだろうと思います。
自衛隊は、
憲法違反と見える組織だが、
憲法が規定していない事態、
即ち、
憲法の規定の空白に対処するために
創設するのだから、
憲法9条の規定の対象外、
憲法9条とは別の規範に従う組織である、
と、考えておられたのだろう
と、理解しています。
この「別の規範」が、
「慣習法の憲法」なのです。
従って、
個別自衛権や自衛隊が、
与野党共に、合憲とされておられるのは、
現行憲法が規定していない部分
即ち、
「憲法の規定の空白」を補完して生成してきた
「慣習法の憲法」に基づいている
と、解釈すべきだと思います。
この慣習法の憲法は、
まだ、生成過程にあると言うべきで、
その内容を、
現時点で確定的なことを申し上げるのは、
適当でないと思いますが、
先程来ご紹介してきた「砂川判決」を核として
生成してきていることは、確実ですので、
そのおおよその内容は、
田中先生の補足意見にあるように、
憲法前文に基づいて、憲法9条を否定するものになるのでは
と、想像しています。
即ち、
主権国家固有の自衛権(個別も、集団も、含みます)
を、認め
そのための軍隊を、保持すること
を 認め
国際紛争の解決手段としての自衛戦争、
即ち
交戦権 も、認めることに
なるのでは ないでしょうか。
以上の様に、理解すると、
砂川判決 及び 田中先生の補足意見について、
先程来、失礼も顧みずに、疑問を呈してきましたが、
田中先生が リードされた「砂川判決」は、
実は、
違憲立法審査権にもとづく「判例法の形成」、
即ち、
憲法が認めた
司法権による「慣習法の憲法」の立法行為 に他ならない、
通常の判決とは異なった、例外的な判決であり、
砂川判決を、
通常の解釈論に基づいて 判例評釈すると、
私が陥ったように、
その価値を、正確に評価できないどころか、
誤った評価に陥って、
価値を貶める結果になってしまう
と、理解をすべきだろうと思います。
その意味で、田中先生は、
日本で、最初に判例法の憲法 を 残された
と、称賛される業績を残され、
日本国民の平和と安全を維持するための、
貴重な財産 を 残された
歴史上の偉大な法律家のお一人であろう
と、尊敬しております。
慣習法の憲法の生成については、
先にご紹介した 次のブログ を 参照頂ければ幸いです。
集団的自衛権論議で欠けてる視点・・・慣習法の憲法の生成・・・
http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-b14a.html
以上、
憲法9条について、
とりわけ、
自衛権や自衛隊に関する論点について、
ご説明してました。
終わりにあたって、
2点 感想を述べさせて頂きます。
1.憲法9条は、今まで述べたように、
「現実」から乖離した「理想」を宣言している規定
というべきであり、
それ故に、
憲法9条を補う形で「慣習法の憲法」が生成されてきたことを、
政府、国会を初め、
国民全員が、認識すべきでだと思います。
ヨーロッパ人にとって、法律は、
ローマ法以来 3000年近く育んできたものであり、
それ故に、
成文法は、近年 (といっても、200年前ですが、)
慣習法の上に 植林した森 であり、
成文法に、
瑕疵 や 空白 が あれば、
生物が、
自然に 傷を治癒するのと 同様に、
慣習法 が 生成してきて、
成文法 を 補い、修復すること を、
身にしみて理解されておられる と、思います。
日本人は、
明治時代 に、ヨーロッパの法律 を 契受(輸入)してから、
100年以上経過をしたといえども、
歴史的観点から見た場合、非常に短期間の経験 であり、
慣習法 が、
成文法の瑕疵や空白 を 補い、修復するものだ
と、いうことが、殆ど自覚されてないということ を、
認識すべきだろう と 思います。
国民の大半が反対する 改憲 が、
判例法により、
国民の知らないところで立法されるのは
許されるものではない、
と、反論される方がおられると思います。
法律は、
成文法だけだ と、思い込んでおられる方にとって、
慣習法などという 訳の分からないものの存在は、
お認めにならないだろう ということは、
わが国の法学教育の実態から、理解できます。
しかし、
歴史を振り返ると、
「法律」というものは、
自律的な生き物である「慣習法」だったのです。
成文法は、先ほど申し上げた様に、
19世紀初頭フランスで作られたものなのですが、
その地下水脈 には、
成文法 を 補完する慣習法 が、
脈々と 生き続けているのです。
生身の人間が、傷つけば、
「この傷は、そのまま回復させないのだ」と頭で思っても、
肉体が、自然に治癒してしまいますよね。
憲法9条の改憲反対論は、
「この傷を そのまま回復させない」と言っていることと
同じなのです。
憲法9条は、
「諸国民の公正と信義に信頼できる」ことを前提にして、
規定されているのですが、
その前提条件と異なる現実が生じたら、
冷静に対処して、改憲をすべきなのです。
ところが、
我が国民は、
戦前、政府に屠殺されまくったトラウマから
回復していないし、
野党が、
戦前の政府の屠殺行為を、国民に思い出さすような宣伝をして、
誘導するものですから、
改憲できずに、今日に至っているのです。
先ほど例示したように、
我が国民は、
「傷があるのに、回復させないで放置しておく」
と、判断したのです。
(ひょっとして、国民は、
傷があること自体 気がついていないのかも知れません。)
ところが、法律というものは、
社会の生命維持機能 を 担っていますので、
ご主人様である国民が、
いくら「No」と言ったとしても、
必要な治癒行為は、自然に行われるものなのです。
言い換えると、
我が国民が、
行うべきこと を、行わなかったら、
日本という生命体の生命維持装置が、
自律的に補完しているのです。
これが、
「慣習法の憲法」の生成と、私が言う現象なのです。
国民が、
やるべきことを、冷静に判断せず、
戦前のトラウマを忘れ去れず、感情的に反対しているから、
日本という生命体の維持装置である法(慣習法)が、
治癒行為を行ったのです。
今のご説明で、
納得できない方は、次の 極端な例を お考えください。
もし、
尖閣に、中国が攻め込んできたら、
どのように対処されますか?
民主党政権下での尖閣の事件の際の
我が国民の反応 から類推すると、
中国の工作員と思われる方を除く 普通の国民の方 は、
中国の武力に対抗して、防衛すべきだ
と、判断されるでしょう。
現在は、平時ですから、
野党の口車に乗せられて、
安倍政権への支持率を落としていますが、
実際に、
その様な事態が起これば、別だと思うのは、
私だけでではないだろうと思います。
現実に、
戦時が勃発してからでは、間に合わないこと、
平時から、
日頃 備えておかねばならないこと が、
あることを、ご理解ください。
今回の憲法9条論議は、
このことを理解する格好の教材であり、
戦後70年 生成してきた「慣習法の憲法」を、
どのように扱うのかの 議論を、
正面に据えた国会論戦を して頂ければな
と、願っています。
少なくとも、
政府与党におかれては、
憲法9条を改正せずに70年が経過したために、
「慣習法の憲法」が生成してきた事実 を、
正面から説明すべきでしょう。
そうすることが、
即ち、
自然発生的な「慣習法の憲法」の存在を、
国民的認識とすることが、
憲法9条の改憲論議の促進に
寄与することになるのではないでしょうか。
安保法制についての国会での議論 は、
憲法9条についての議論 とは別の
憲法9条の空白を補って生成してきた
「慣習法の憲法」に関する議論なのです。
現在国会で行われている議論は、
このことを、自覚せずに行われている
と、言うべきであり、
この自覚がないから、
「個別的自衛権」や「自衛隊」は、合憲だが、
「集団的自衛権」は、違憲等という
法律論としては、珍妙な議論が、
恥ずかしげもなく繰り広げられているのです。
今回の安保法案は、
憲法9条に基づくものではなく、
(憲法9条によれば、違憲であることは明白です。)
憲法9条が規定していない事態
即ち
憲法の規定の空白に対処するために生成してきた
「慣習法の憲法」に基づいているものだ
と、いうことの 国民的理解 を 深めるような審議 を
願っています。
野党やマスコミの皆さんにおかれましても、
「個別的自衛権」「自衛隊」が、
合憲だと主張されておられるのは、
実は、
憲法9条とは別のものである
「慣習法の憲法」下における憲法論議なのだ
と、いうことを、
冷静に、深くお考えになって、自覚して頂き、
更には、
法的議論に耐えうる論理 を、構築して頂きたいな
と、願っています。
2.前々回のブログや、
前回のブログの最後にもお話ししたように、
平和を希求し、
その最終形態として自衛権も放棄したい
との憲法の哲学は、貴重であり、
今後の人類が実現すべき理想を示している
と、考えられます。
従って、
現行憲法の理想は、
そのまま大事に掲げ、維持すべきであり、
① その理想を、どのように実現するのか、
② 理想を実現するまで存在している
「理想と現実のギャップ」を、どのように埋めていくのか、
について、
議論を深めて行くべきだと思います。
憲法改正論議においても、
憲法9条の理想を、抹消するのではなく、
憲法9条の理想はあくまでも掲げながら、
現実に、どう対処していくのか
理想を、どのようにして実現していくのか
との観点から、
条文を追加する方策を考えるべきだ と、思います。
人間は、
数百年単位の長いスパンでの将来に対する認識は、
持ちにくいものですが、
歴史を振り返って、将来を見通すと、
自ずから見えてくるものもあります。
憲法が掲げる理想も、その様な種類のものであり、
必ずや、いつの日か、確実に実現する理想を、
憲法は、掲げていますので、
憲法前文の最後に掲げてあるように、
日本国民は、
その実現に全力をつくさなければならないだろう、
否、
その実現は、日本国民の義務である と、思います。
(参考) 憲法9条に関する ブログは、次の通りです。
< 次回 の ブログ >
憲法9条論議 の 混迷 は、
法学の本質ーーリーガルマインドーーに、由来するのでは???
・・・ 法学は、キリスト教神学同様 科学でないこと と、
法律家は、リーガルマインドを 実定法より優先すると考えていること
について・・・
http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-e8ca.html
< 今回 の ブログ >
憲法を素直に読むと、個別的自衛権も、自衛隊も、違憲では?
http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-0b64.html
< 前回 の ブログ >
砂川判決(砂川事件最高裁判決)における 慣習法憲法の生成
http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-f6aa.html
< 前々回 の ブログ >
憲法9条論議で、忘れてはならない大事な論点
http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-4176.html
< 前々前回 の ブログ >
集団的自衛権論議で欠けてる視点・・・慣習法の憲法の生成・・・
http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-b14a.html
| 固定リンク
| コメント (5)
| トラックバック (0)


最近のコメント