法学

2023年7月22日 (土)

入院中に考えたこと 4.ヨーロッパ文明崩壊の危機  アメリカの政治情勢などをめぐって

「入院中に 考えたこと」シリーズの最後に、

歴史の歩み に 棹さす
ヨーロッパ文明崩壊 を 目指す勢力 が
アメリカを中心 に 勢力 を 拡大していて、

2024年のアメリカ大統領選挙は、
歴史の今後を左右する 一っ大決戦 となるのでは、
と、心配されること について
お話しさせていただきます。

今回は、
ヨーロッパ文明の危機の状況について
お話し察せていただきます。



    ************



1.ヨーロッパ文明は、

絶対君主に対して、
一つ一つ国民(人民)の権利を認めさせて
その積み重ねによることにより
個人の権利を築いてきました。

そして、
国民により選出された代表の集まりである
議会が、
決定したルールを、法律とすること が
長い時間をかけて 確立してきたのです。

基本的人権をはじめとする 個人の権利 は、
このようにして確立してきたのです。

イギリスの下院議長 は、
スピーカーと呼ばれるそうです。

これは、
イングランド王 に 対して、
国民の権利 を 擁護するために
国民を代表して抗議したことから

下院議長が、

国王 に 抗議する人
(国民(議会)を代表して
 国王と話(交渉)をする人)
との 意味 から、
スピーカーといわれるようになった
とのことです。

このように、
王権は、
神から授けられたものであり、

国王は、
神以外の何物にも制限されない

(国民に対して何でもできる、妻と離婚するためには、
 臣下の大法官すら 処刑すらできる)
との

「王権神授説」を 標榜する 国王に対して、
議会が、国民(個人)の権利を擁護し、
時間をかけて確立してきたのです。

逆に言うと、
国民の権利に対して、

自由に行使してきた国王 を
機会があるごとに、
一つ一つ制限して
国王よりもぎ取ってきたのです。

国王を説得するために
用いた(使用した)武器が、
常識(コモン・センス)でした。

アメリカやイギリス で、

法律のことを「コモンロー」と呼ばれるのは、
法律とは、
誰でもが納得する常識に基づいて
形成されたルール(法律)なのだ、


即ち、
法律とは、
コモンセンス に 基づくものだ
と、いうことから、

「コモンロー」と、
呼ばれているのです。


2.アメリカにおいて、


トランプ大統領が出現して以来、
数世紀をかけて 積み重ねにより 確立してした
上記のヨーロッパ文明が、
崩壊の危機 に 面しているように 感じられます。

時あたかも
20世紀末に 500年継続した 国民国家の歴史 が 終了して
新たな歴史を歩み始めた、その時期に
「積み重ねの歴史」に対立する「繰り返しの歴史」サイドから
今まで 圧迫さされ、無視されてきた恨み を
晴らすかのような動き

言い換えると、
今まで積み重ねて確立してきたルールを根底からひっくり返して
支配権 を 奪って、自分たちの思うような支配を確立して、征服しよう
と、しているのでは?

と、感じられる動き が 生じているのです。

上記の動きは、2方面に存在します。
即ち、
「積み重ねの歴史」の国の内部における癌みたいな存在 と
「繰り返しの歴史」の国による、「積み重ねの国」に対する復讐戦です。

厄介なのは、
「積み重ねの歴史」の内部で増殖する癌みたいな存在ですので、
最初に後者について、簡単にご説明させていただきます。



2-1 「積み重ねの歴史」の国の外部で、

復讐に燃えている「繰り返しの歴史」の国の
チャンピオンは、

中共(中国共産党)です。

(注)一般に中国と呼ばれている存在を中共と呼ぶのは、
   現実を直視すると、現在 国共内戦 が 終了しておらず、

   チベットやウィグルなど 外国を侵略していますが、
   ホームグラウンドの支那(China)の盟主として
   支那全体 を 今現在 統治していないからです。

   これは、
   中共の習総書記が、台湾侵攻を主張しておられる
   ことから 明白だと思います。

中共 は、
ものづくりの基本 を 理解していないような 気がします。

例えば、
安かろう、悪かろうと
各地に 新幹線や地下鉄を輸出していますが、

トラブル続きで、現地の顰蹙 を 買っております。

要するに、
「繰り返しの歴史」の 国特有 の、工夫 を 積み重ねることができずに、
外国のものを パクッて(盗んで、真似して)
外見上 それらしいもの を 作れるにすぎません。

習総書記が、台湾侵攻を企てたら、

パレードの時は、壮観に見えた 軍隊 や 装備 も、

いざ 実戦 となると
中共軍 の 武器 の 故障 が 多発し、
パクリ故 の 使い物にならないことが
明らかになるでしょう。

(これは、
 中共 が 近年輸出した 新幹線や地下鉄の実績から
 ほぼ確実に予想できるでしょう。)

ですから、
第2次大戦後 80年近く戦い続けているアメリカ軍や
井上大将の戦略論を保有する日本の自衛隊とは、
まともに戦いにならないだろうと予想しています。

従い、
近く習総書記が台湾に侵攻しても、
侵攻開始直後 に、上記のことが判明し、

「繰り返しの歴史」の国は、
「積み重ねの歴史」の国とは 勝負にならないこと が、
改めて 明らかになると思います。

もし、この予測が外れたとしても、

無駄な 鉄道 や 住宅 を 作りまくって、
経済が疲弊している 中共 が、

4年間死闘を繰り広げた日米の連合軍相手に
歯を食いしばって、まとも に 戦えるはずがない

と、考えるのが
常識的ではないでしょうか?


2-2 「積み重ねの歴史」の国の内部での危機的状況

「積み重ねの歴史」の国の内部で、
今まで積み重ねてきた文明に危機をもたらしている
DSや極左勢力が、利用している

「積み重ねの歴史」の国に内在する根本的欠陥
について、

即ち
「積み重ねの歴史」の国を
現在まで 作り上げた 原動力 である
「法学」に 内在する欠陥 について
最初に お話しさせていただきます。


ヨーロッパにおいて ローマ法が始まって以来
現在まで、約3000年にわたって、
継続的に 発展してきました。

その結果、
現在の民法典に至っているわけですが、

法律を、
人類の行動の先回りして 制定しておくことが
不可能のため、

どうしても、
裁判官に委ねざる部分が生じるのは
やむを得ないことでした。

日本の法律でも、
憲法、民訴法、刑訴訟において

裁判官は、法律と良心に従って、裁判をする
と、規定されています。

言い換えると
法律が、制定されていない事柄については、
裁判官が、自分の良心に従って 判決 を 決定しなさい
と、規定されているのです。

法律とは、
人間社会の紛争を、だれが見ても これしか解決策がないなと
納得するような解決策を見つけ出すための人類の知恵の結晶なのです。

ですから、
良心に 従って判決を下す際には、

裁判官 が、
好き勝手 に 判決していい というわけではなく、

裁判官 が、
その経歴により育んできたリーガルマインド
(英米法ではコモンセンス)に従って
判決を下すことが、ルールとなっているのです。

これは、
法曹といわれる人にとり常識なのですが、
このことを奇貨として、

① 自分の考えは、絶対的に正しいので
  自分の考えにより 判断すればよい
② 自分の考えを実行するために
  障害となる法律や人物を
  
  無視し、
  必要とあらば、反対する(邪魔する)人物 を
  殺害しても 構わない
と、現在のアメリカにおいて、
DSや極左の人々が 主張し、行動するように
なっていることが、
「ヨーロッパ文明の危機」を
内部からもたらしているのです。

中世における 王権神授説の王様が、
現代において復活したような感じがしています。

これに加えて、
犯罪は、
当局に訴追されなければ、犯罪ではないとの現実があります。

言い換えると
犯罪事実 が あっても、
起訴されなければ、犯罪にならないのです。

日本においても
鳩山元首相が、多額の脱税をしていて、
一般人なら懲役刑で 刑務所に 収監されて刑務所生活を余儀なくされるのに

検察が訴追しないために、
前科者とならずに 自由に活動されておられることにより 
このことが、
ありうることを ご理解いただけると、思います。


これを利用して、
政治権力(政権)を掌握した陣営が、

対抗する政治勢力、
具体的にはトランプ陣営には、
極端な理屈をつけて訴追すると同時に、

自らの陣営、
即ち、民主党陣営やDS、極左勢力については、
犯罪事実があっても、これを無視して、訴追しないことにより
今まで積み重ねてきたヨーロッパ文明に危機をもたらしているのです。

例えば、
大統領で機密の解除権限のあるトランプさんが、
機密書類を持ち出したと刑事訴追され、裁判にかけられていますが、

大統領就任する前は、機密解除権限を持っていなかったバイデン大統領が、
上院議員時代以来、機密書類を持ち出して、自宅に放置していていても、
検察当局により おとがめなし
との不公平な取り扱いがされていると報道されています。


毎日の情報を拝見していると、
今回ご紹介した以上の出来事が情報として入ってきます。
今回は、
ものの考え方をご理解いただくための
必要最小限の事柄をご説明させていただきました。


3.最後に

今回の文明の危機は、
2016年 トランプさんが、大統領に就任された際に
「ワシントンの沼の水を抜く」と発言し、
ヨーロッパ文明 とりわけ アメリカ の 癌 を 摘出しようとしたことから 始まりました

実は、DSや極左を背後から操っている勢力が ちらちらと見え隠れしていますが、
明確に 正体 を 現していません。

今後、
この背後に隠れている正体が暴かれて、
アメリカ ひいては 「繰り返しの歴史」が築いてきた文明が
停滞している歩みを、元気に正しく軌道修正されることを 願っています。


追記

DSや 極左 の皆さん のみならず、バイデン政権やブッシュ政権時代のネオコンの
「歴史の終わり」のイデオローグ(哲学)の バックボーン となっている
ヘーゲルやマルクスの哲学が、
「繰り返しの歴史」に属する キリスト教から由来するのでは?
との仮説を
ご説明したブログ を ご紹介させていただきます。

是非とも ご覧いただいて、
1.キリスト教が いかにヨーロッパ文明の深いところまで 影響を及ぼしているか
  について お考えいただくと共に、
2.今回の問題を 考える際に あわせて考えていただくこと を、
願っています。

ヘーゲル「歴史哲学」における進歩史観やマルクスの史観は、キリスト教終末論のパクリでは?

| | コメント (0)

2022年4月19日 (火)

トランプ大統領は、「本当は 大統領になってはいけない人間だった のかな?」

ウクライナでの戦争が勃発した頃、
友人から

トランプ大統領 は,
「本当は、大統領に なってはいけない人だったのかな?」
とのメール を いただきました。

長年の友人であり、本音で会話をしてきた友人なので、
「マスコミしか 情報源のない人 の 事実から 遮断されている人 の 言ですね」
と、思わず書いてメールしてしまいました。

今回は、
「何故、このように考えたのか」
「国民国家から地域共同体 を経て 世界連邦 に 歩み始めた歴史 の 現在」
について、
皆様に、お話しするのも 意味あることでは?
と 考えて、

友人へのお詫びかたがた、
現在の歴史段階についての 私の見方、

更には、
最近勃発した ウクライナ戦争の根底に横たわる と 考えられるもの
について、お話しさせていただきます。



    * * * * * * * * * *



1.1990年ころに、
  約500年間続いた国民国家の歴史が終了して、
  地域共同体から世界連邦への歴史が 歩み始めた
  と、考えています。

「積み重ねの歴史」
(北フランスからベネルックス諸国 よりイングランド、更にはアメリカ
 の地域 と 日本)
の 諸国 が、

「繰り返しの歴史」(「積み重ねの歴史の国」以外の国)に 勝利して、
チャンピオン決定戦となり、

決勝トーナメントだった
第一次大戦、第二次大戦 に 勝ち残った アメリカ と ソ連 が、

チャンピオン決定戦である冷戦(第三次大戦)を
約半世紀 戦って、
アメリカが最終的に勝利したのが 1990年ころでした。

熱戦
即ち
米ソの直接対決にならず、

冷戦という
中国の国共内戦 から始まって アフガニスタンに至る
代理戦争による消耗戦になったのは、

米ソともに 原水爆を保有して、
米ソ両国共に 直接対決すると、世界の破滅であることを
流石に理解していたからだろうと思います。

勝利したアメリカも、
単独で世界を支配する力がないことは、勝利後すぐに 明白となり、


歴史は、
新たな歩み、
新たなステージでの 歩みを 始めたのです。

決勝戦に出場した
アメリカ も、ソ連も、

国民国家ではなく、地域共同体、

言い換えると
連邦制 の 国家組織 でした。

これが、
「積み重ねの歴史」の源であった
米ソと比べて 規模の劣る 国民国家だった
ヨーロッパ諸国 や 日本 が、

準決勝で敗退した原因でした。

また、
国民国家の歴史を大転換させ、国民国家の歴史を終焉させた
一番の原因 は、

「技術の進歩」により

経済管理単位 や 政治管理単位 が、
即ち
社会の「管理単位」が、

国家レベルでは 収まらなくなり、
より拡大した地域を管理単位をせざるを得なくなったことが
根本原因です。

例えば、
日本が 「失われた30年間」と言われ、
GDPが伸び悩んで、あとから日本を追いかけていた 中共 に 追い抜かれた
と、よく聞きますが、

これも、
経済の管理単位が拡大した結果、
言い換えると
日本国内に収まりきらなくなった日本経済が、
外国にまで拡大した結果

日本国内だけ見たら、
停滞しているにすぎなかったからです。

何故このようなことが生じたのかというと、
従来、日本国内に立地していた工場が、
競争力を維持するために外国に移転していったからです。

例えば、
トヨタさんの生産台数は、

1990年代頃は数百万台だったのが、
現在では1000万台レベルまでに 飛躍的に増加しています。

このように、
個別企業レベルで見ると、

もし、日本経済が拡大して 需要が増加しても

外国 で 増設した工場の 生産を増やして、
外国から 日本に 製品を持ち込んで、日本の国内需要 を 満たす体制
を 構築しているのです。

ですから、
日本の需要に対して、日本プラス外国の生産(供給)を見たときに、

供給 が、常に 国内需要を 上回っているで、
日本の物価が上がらず、GDPも足踏みをした結果となったのです。


でも、
何故かしら、日本は豊かな国となりました。
経済が停滞しているのに、豊かさを実感するようになったことを、
不思議 と 思われませんか?

世界一の債権国となり、
外国への援助 や 国際協力の規模 も、

私が若い頃
数億円から 精々 数百億円 だったものが、

現在では、
平気で 数兆円規模 に 拡大しています。


われわれの日常生活も、
豊かになったと感じられていませんか。

例えば、

私の若い頃
エアコンは、一家の1台あるのが普通でしたが、

現在では、
各部屋に1台設置されておられる家庭 が
増えておられるのではないでしょうか。

車も、高根の花で、
「いつかはクラウン」とのPRフレーズ (キャッチフレーズ)が
広まりましたが、

豊かになった現在の日本では、
クラウンも一つの選択肢であるとともに、

高根の花だったクラウン自体の生産 が、
終了しようとする時期を迎えています。

これは、
豊かになった日本の需要のレベルが上昇して、
いろいろな選択肢 を ユーザーが持てるようになった結果
はないでしょうか。

以上お話ししたことが、

ネット を 拝見していると、
以上でお話しした視点からの議論や研究が
経済学者の皆さんから、聞こえてこないような気がしています。

90年代に
メガ・コンペティション(大競争の時代)
経済のグローバル化
と 喧伝されたのが、最近 ほとんど聞かれなくなったのは、

一時 の 流行言葉(はやりことば)だったのだろう、
本当に90年代に歴史が大きく動き出したことを 理解していなかったのだな、
と、皮肉を込めて 最近の世の中の動きを見ています。

このように
管理単位が拡大しているのに
いつまでたっても 日本という国民国家 を 単位 で 議論されておられるのが、
不思議でなりません。

30年前に、私が
「歴史が、500年間の国民国家の歴史が終了して、
 地域共同体を経由して世界連邦への歩みを始めた。」
と、申し上げても、理解される方が、私の周りに 一人 も おられませんでした。

このように
歴史への感度が低い方が、経済学者となっておられて、
学校で 学んだ 知識 を 糧 に 毎日を過ごされ、生活されておられる結果

いつまでたっても 日本国内のGDPだけを見て、

失われた30年 と 日本を卑下し、貶める議論ばかり を
「意図的に」に展開されておられのでは?
と、つぶやいています。

「意図的でない」としたら、
「馬鹿丸出し」ということになりますので、

子供の時から大秀才として自他ともに認めて、
周囲から ちやほやされて育った経歴の方が、
学者の大半の方でしょうから、

まさか そういうことは ないだろう
との前提で、お話しさせていただきました。

いずれにせよ、
門外漢の私には、経済学は、需要と供給に関する学問
と、思われますので、

これからの歴史の歩みにおける下での 需要と供給について

言い換えると
管理単位が、従来の国民国家より拡大した世界における
需要と供給の関係について、

および
今後の内外(日本と外国や国際機関)の
経済政策 と 国際関係(外交)の在り方について

ご説明していただける学者の方が
登場されることを 期待しています。




2.トランプ大統領を生み出した 歴史的必然性


先ほどから、

国民国家の歴史より 地域共同体、世界連邦への歴史の歩みが始まった
と、申し上げていますが、

歴史 が、大転換しても、
その時点で
大々的に看板などにより 周知徹底されるわけでは ないのです。

歴史の転換 というものは、
あとから気が付いたら、あの時転換していたな
と、気が付く類 の 性格のもの なのです。

1990年代当時、
先ほど申し上げたように、
メガコンペティション、
経済のグローバル化 など と
喧伝されましたが


詳しく調べたわけではありませんが、
これらの経済現象が、

歴史 が、500年単位の時代が終了して 大転換した結果である
との認識は、一般には 全くと言ってよいほど ありませんでした。

ですから、
経済のみならず 政治の世界においても、
従来通りの 感覚 や 考え方 で、社会 が 運営されてきたのです。

でも、歴史は、
確実に 転換して 国民国家より地域共同体への歩みを始めているのです。

この歴史状況下において、
例外的な政治家として 頭角を現した のが、
トランプ大統領だ と 考えています。

トランプ大統領を、来るべき歴史の担い手である
と、評価しているわけではありません。

逆に、
歴史に逆行するナショナリストの政治家
歴史 に 棹(さお)さした政治家 として、

後世で評される政治家だろう
と、考えています。

というのは、
歴史への感覚 が 鋭い政治家だけが、

無意識にしろ、無自覚にしろ
来るべき地域共同際の世界 を 感じることができるのだろう
と、思います。

その歴史への感覚 の 鋭い政治家 は、
歴史の歩み を 感じるゆえに、または、感じる能力があるが故に

来るべき地域共同体の社会(世界)
において、

自分が属する国、自分がリードする国が、
しかるべき地位、

言い換えると
地域共同体をリードする地位

になるように もっていきたいい
と、考えて、行動 を 開始するのです。

そのためには、
現在政治を担当している国が、
ライバルの諸国の中で 際立った存在 と なっておらねばならない
と考えるのだと思います、

ですから、
表面に現れた 地域共同体 への動き
例えば、EU や TPP に 反対する政治行動 を とるようになるのです。

従って、

その他大勢の、凡庸な 私利私欲を追求するために
政治 を 生活の糧、生業(なりわい)としている 人々

現在の社会潮流 に 漫然 と 流されているような 人々
に とっては、

理解のできない政治行動をとるのです。

これが、

トランプ大統領が、
歴史の動きに敏感で、無自覚にせよ 目覚めているが故に

同僚の政治家 や 大手マスコミ から
集中砲火を浴びる原因だろう

と、思います

即ち、

自分の指導する国 の 利益 が、
仲間の国(友好国)よりも 優越するため の 政策、

トランプ大統領に即して言うと、
MAGA(Meke America Great Agein)が、

まさに その表れ と いうべきだ と 思います。


アメリカ合衆国は、

現在でも、
世界 で 唯一 の 地域共同体からなる国家 ですが、

トランプ大統領 の 政策 は、
いくつも地域共同体 が 存在し、並列するようになっても、

その中において
アメリカ合衆国 が、リーダーシップ を とり続けることのできる国(地域)
であるために、
アメリカ合衆国 を 強化するための政策 だったのだな、

と、後の世で 評価される政策なのだろう
と、思います。

トランプ大統領 が、
TPPより脱退したのも、この現れではないでしょうか。

即ち、
現時点で、アメリカ合衆国が、

日本や環太平洋諸国と、経済面で競争するのは避けた方が、得策である
(あけすけに言うと、
 正面から勝負すると 負ける可能性が大であり、
 アメリカのリーダーシップ、国益 を 損ねることになる)

と、判断されたのでしょう。

このように、無意識、無自覚にせよ
来るべき 将来(社会)において、
自分の国に しかるべき地位 を 確保しておこう
と、考えて

時代の流れに 一見する と 逆行する政治家が、現れ始めたことが、
歴史が地域共同体の世界に向けて 歴史が、
歩み始めたことのあかしであろう
と、考えています。


国民国家の歴史が、
1200年頃 歩みを開始してから
1490年代に 現実の国民国家の歴史として確立するまでに、
約300年 かかりましたし

その後、500年間 国民国家の歴史が継続しました。

このことから推測すると、

地域共同体としての歴史が はっきりとした姿を現すまでには、
数百年単位の時間 が 必要だろう

と、想像していますので、

来るべき時代の担い手となる政治家像を、
明確にお話しすることは、現在の私にはできませんが、

トランプ大統領のような

歴史の歩みに 一見すると 逆行するような政治家 が 現れた ことこそ が、
地域共同体の世界 に 向けて
歴史 が 歩んでいるあかしだ と、考えています。

もし、フランス の ルペン氏 が
今回のマクロン氏との再選挙で勝利して、フランス大統領に就任されておられたら、

トランプ大統領 と 同じような政治路線

即ち、
フランス を 偉大な国 にして 
ヨーロッパ の リーダー国としての地位 を 確立しよう

と、されたのでは ないでしょうか。

また、
英国 の ジョンソン首相 も
本質は、このような系譜に属する政治家だろう
と、考えています。

(現在 バイデン大統領の子分のような政治活動をされておられますが、

 これは、
 英国 の 現在の力、国際政治における立場 を 考えて、
 不本意ながら 政治判断をされておられるのでは?

 と、推測しています。

 ちょっと、甘すぎの評価とのご批判 を 受けることを、自覚していますし、
 甘んじて受けさせていただきたいと考えてえいます。)


ですからですから、

「積み重ねの歴史」のリードする 英米仏 三国 において、

トランプ大統領 が
2024年の大統領選挙で 復活して、
英国 ジョンソン首相 や フランス ルペン氏 と
タイアップしながら、競い合って 世界がリードする世界

言い換えると
共演しながら、しのぎあう世界 を、
生きているうち に 見ることができればな
と、願っています。 



3.「繰り返しの歴史」による 「積み重ねの歴史の国」への復讐
   ・・・ウクライナ戦争 を 生み出した 根本原因 について(仮説)・・・


1990年代に歴史が大転換して 30年ほどたった現在、
歴史の底流でうごめいていると思われる もう一つの現象 は、
「繰り返しの歴史」からの反撃、復讐です。

「繰り返しの歴史」による反撃は、2つの方面から現れました。

1つは、
アメリカで、トランプ大統領が出現した結果
それまでは、裏からアメリカを支配していた ディープステートが、

トランプ大統領への反動という形で
政治の表舞台 に でてこざる を 得なくなり、
その存在が、だれの目にも明確に認識されるようになりました。

2つ目は、
中共が台頭してきて、アメリカと覇権争いに名乗りを上げていることです。

(注)中共について、
   敢えて中国とは記載せず、中共と記述させていただきます。

   中共は、
   中華人民共和国を支配している政党であり、

   国共内戦は、支那本土で敗北した 蒋介石 が
   台湾 に 逃げ込んだため、現在においても決着がついていないので

   中共が支配する国が、支那を代表する国家 即ち 中国ではない
   と、考えます。

   習近平さんが、
   台湾 を 虎視眈々 と 狙っていること自体が、その表れだ と 思います。

   従って、中共を、
   中国共産党 と 中華人民中華共和国 の 両方 を 表す単語 として
   使用させていただきます。

支那(China)は、典型的な「繰り返しの歴史の国」です。

ですから、
「積み重ねの歴史の国」のように、

三大発明みたいなもの は、あったものの
自らの工夫に基づいて 技術 を 前進させることができませんでしたが、

でも。
広大な国家からなる中華帝国の盟主でしたので、
プライドだけは、非常に高く、

周辺の国 を 見下して、
朝貢をさせては 米つきバッタのように服従させる歴史
を 繰り返してきました。

ですから、
帝国主義時代になり
「積み重ねの歴史の国」により、覇権 を 掌握されて、

戦争に敗北し、屈服せざるを得ない状況 になったときの屈辱感 は、
第三者には、窺い知れないものがったのだろうと思います。

中共 が、
政権奪取し、外国から技術を導入して、

見よう見まねで、それらしい体裁の国家 として整えて、
アメリカ に 対抗できる 大国 に 復活したと 自負し、誇示していますが、

内実は、
相変わらず張子の虎 であり、実質 が 伴わっていない
と、思われます。

経済が発展し、世界の工場と誇っている のも、
安価な労働力と膨大な人口による潜在的な市場の魅力に引き付けられた
積み重ねの国を中心とした 投資によるものですし、

彼らが誇る新幹線についても、
日本をはじめとする外国の技術を持ってきただけのものです。

驚異的なGDPの成長率を 誇っていますが、
成長率を支えているのが、
全国で膨大な数の膨大な数の住宅建設です。

(住宅 を 建設すれば、GDP は 増加しますが、

 全く利用しない住宅は、いつの日か撤去せざるを得なくなるので、
 GDPに実質的な寄与はないと考えます。)

彼らが誇ることができるのは、
ハッキング技術をはじめとしたパクリの技術ではないでしょうか。

中共は、
数千年来の「繰り返しの歴史の国」であり、
新たなものを 生み出して 育てていく能力 は、
一朝一夕には 構築できないこと を 理解すべきだと思います。

いずれにせよ、
いつの日か 生じるであろう 中共による 台湾侵攻 により、
虚勢を張っているだけなのか、どうか、
彼らの真価 が 露になる と 思われます。

注)中共により台湾侵攻 が、
  簡単に 撃退して、侵入を阻止できる
  と、考えているわけではありません。

  中共が、本腰を入れて台湾を攻撃して来たら
  今回のウクライナ戦争を上回る 深刻な事態になることを
  覚悟しておくべき だと 思います。

  ですから、ここで申し上げたいのは、
  中共 と ディープステート を 比較した時、

  アメリカ を 乗っ取った ディープステート が、
  中共 の 何倍も 力を 持っているだろう、

  ディープステートがもたらす影響の深刻さ に おいても、
  中共とは 比べるべくもないだろう

  と、考えていること を
  ご理解いただければ 幸いです。



従って、
当面 今後の歴史で重視すべきは、

 

中共ではなく


「積み重ねの歴史」に鍛えられ、育まれた
ディープステートによる復讐 を

注視すべきでは?と、考えています。

ディープステートは、

現在
アメリカ の 支配権 を 入手し、

ヨーロッパでは、
NATO を 東欧に拡大して、ウクライナまで迫り

ロシアを挑発して ウクライナ戦争を勃発させ、
世界大戦を引き起こそう と、

人類の脅威 としての本性 を 見せ始めています。


ところで、
ディープステートとは、何者なのでしょうか?

私も、確たる事実をつかんでいるわけでないので
確言はできませんが、

以前から、ユダヤ人ではないだろうか
と考えてきました。

主な 理由 は、次の通りです。

① ユダヤ人ぐらいしか、
  「積み重ねの歴史」に 対抗し得る
  「繰り返しの歴史」に 属する民族 を 思い当たらないこと。

  ユダヤ人が優秀な民族であることは、自他ともに認められています。
  また、資金力に優れています。

  イスラエル建国の際、
  アメリカ に 募金活動に派遣された 当時の外相(のちの首相)が、
  一晩の集会で、膨大な額の募金を集めたこと は、語り継がれています。

② ソロスさんなど、
  政治の裏で活動されておられる ユダヤ人の名前 が、
  時々 垣間見られたこと

③ ヨーロッパ社会では、白人の中での序列が厳しく
  ユダヤ人は、東欧人などと同様に
  2級白人 と 位置づけられ、区別されて
  屈辱的な歴史を経てきていること。

  (反ユダヤの歴史 を 読むと、ユダヤ人の立場からは
   何も悪くないのに、突然周囲から攻撃され、乱暴された
   との記述がされていますが、

   全く何もないのに 周囲 が 攻撃するはずがない ので
   ユダヤ人が、周囲に対してどのような行動をとられたのか
   知りたいなと思っているのですが、

   本を書く人にとり、都合の悪いことは記述するわけがないな
   と、独り言をつぶやいています。)


今回 の ウクライナ戦争 で、

ウクライナ大統領 のスポンサー が、
バイデン大統領と関係の深いエネルギー企業のトップで、

お二人ともユダヤ人であることを知り、

やはり ウクライナ と アメリカ の ディープステート は、
つながっているのだな、との考え が、深まりました。

だとすると、
今回のウクライナ戦争は、

ディープステートが、けしかけた戦争の可能性もあるのでは
と、考えています。

というのは、

ウクライナ大統領が、ビデオメッセージされる際に、

資金援助、武器援助 は 依頼されますが、
戦争を終結するためのあっせん行為を依頼することはない
と共に

アメリカをはじめとする西側諸国に、
ウクライナ戦争への参加を 呼びかけているからです。

私には、
いかにも 世界戦争への拡大を意図していて

武器商人でもある ディープステートの指令 に 基づいて、
行動しているように 聞こえるのですが、

事の真相は、
時間 が たつにつれ 明らかになっていくでしょうから

断定せずに 仮説として覚えておいて、
時間の経過 を 待つことが 大切だな と、考えています。

いずれにせよ、
ウクライナ戦争が勃発した際に、

この戦争は、
西側諸国が主張するような 善と悪との戦争ではなく、
悪と悪との戦争ではないかな、

言い換えると
(ディープステートの指令に基づいて)
ウクライナ と アメリカ が、
ロシアを挑発し、追い込んで、

コーナーに追い詰められたプーチンが
ウクライナを攻撃開始したのでは?

と、感じたことが 正しかったのでは、

との仮説も、成立しうるのでは
と 考えて、

時間の経過を待とう と、思っています。


ここまでお話しして、ネットを開いたら、

アメリカ の フォックス が、
ウクライナ大統領 に 単独インタビューした
との話が 流れていました。

フォックスのインタビュアーが、

ウクライナ大統領に
「アゾフ大隊は、ナチスか?」と直截に質問したところ、

ウクライナ大統領 が、
「アゾフ大隊 は、ナチスである。
 アゾフ大隊 は、ウクライナ に 数多く存在する ナチスの大隊 の 一つ です。
 ウクライナ の すべての軍隊 は、ナチスによって 構成されている。」
と、明確に回答されたそうです。

このインタビューは、
ネットで流されたそうですが、

不思議なことに、

ネットでは、
このナチスについての やり取りの部分 は、消されているそうです。

更に、ネットでは、
次のような解説がありました。

ウクライナ大統領 が、大統領選挙の際に、

当時、東ウクライナ で 生じていた
ロシア軍 との 戦闘 を 終結させること を、
公約として掲げて当選したそうです。

大統領就任後、
ウクライナ軍に停戦命令を発したのですが、

現地 の アゾフ大隊 が、命令に従わなかったので、
大統領 自ら 現地に赴いて、
アゾフ大隊 を 説得したそうです。

その際、アゾフ大隊から

「ナチス は、国会議員 にも 多数いるぞ。
 命が惜しければ。われわれ に 従え」
と、脅迫されて、

それ以来 ウクライナ大統領 は、
アゾフ大隊(ナチス)の言いなりになったとのことです。

ネットでは、更に

ドイツのヒットラーのナチスも、
ロシア革命 で ソ連を建国した レーニン も
少数派だったけど、

暴力を使って、多数派を従えた。

同じことが
ウクライナで生じている。

この話を聞いて、

この話 に ついての 証拠 が 提示されていません から、
仮説として 覚えておこうと考えていますが、

万が一にも この話 が 真実なら、

今後、世界中 で この方法を用いて暴れまわる連中 が
生じるかもしれないな、

と、感じました。


また、
アゾフ大隊は、

アメリカのCIAの支配下に服している
との話もありました。

この情報が伝える アゾフ大隊の行動により
ウクライナで生じていることは

ディープステートが、
BLM を 使って、

不法選挙、不正選挙 により
アメリカ合衆国を乗っ取った アウトローのやり方と

共通点 が あるような 気も しています。

これも、
時間の経過とともに、真実が明らかになる
と、思いますが、

事態の推移 を 観察する際の 着目点の一つでは?
という気がしています。


今回 お話ししたいことは、以上ですが、
ご参考までに、蛇足として

日本人は、
80年近く 戦争をしていませんので、
長年歴史の本を読んできた経験から

ニュースを聞かれる際に
気になっている点、
知っておられた方がよいのでは
と、思われる点 と

また、ディープステート が
アメリカ を 乗っ取った経緯 など について
お話しさせていただきます。



蛇足1.
ウクライナ戦争 における残虐行為 の受け取り方について


ヨーロッパ中世史の歴史の本 を 読んでいると、

当時の軍隊は、
傭兵隊だったこともあり、

数か月 包囲して攻略した町 を 占領した際に、

3日3晩 兵士は、略奪、殺人、強姦など
更には
奴隷制のある地域では、住民 を 奴隷にするなど

何をしてもかまわないとのルールだった。

このルールは、
神聖ローマ皇帝カール5世 ですら
黙認せざるを得なかった

との、記述に巡り合います。

また、
軍隊の司令官(勿論 貴族です、フランスなどの王族 もいました)は、
盗賊の親分だった との記述にも お目にかかります。

これは、
国家 が 整備されていなかったため、

軍事予算 が、
国から まともに 支給されないので、

司令官自ら が、

自給自足、

言い換えると
市民から 強奪せざるを得なかったこと

を、意味しています。


海軍も同様で、

オスマン・トルコの海軍司令長官 は、
アルジェの海賊の親分でしたし

キリスト教徒側も、

例えば、
オスマン・トルコ と 戦った
マルタ騎士団の艦隊司令官 は、

イスラム側 からすると
キリスト教徒 の 海賊の親分 でした。

オスマン・トルコ も、
キリスト教徒の艦隊 も、

敵と戦うとき以外の 日常 は、
海賊行為をしていたのです。


戦場とは、
狂気が支配する空間であり、

そこに存在する人間の大半は、
通常の社会生活から隔絶された 狂気を帯びた人間
なのです。

ですから、
通常の社会、通常の生活では ありえない、
許されない行動 が 支配する空間 なのです。

平和な通常生活下 の 日本人 にとり、

戦場 の 生のニュース に 接すると、
理解を越えた 悍ましく 聞くに堪えない残酷さ を
感じるのだろうと思います。

日本人 も、
太平洋戦争 の 戦場 や 空襲下において、
狂気 が 支配する 地獄の経験 を してきました。

しかし、
戦争 が 終了して80年近くたった現在、
地獄の体験をされた方は、少数となり、

その他の人々は、
想像するしかない状況 に なっています。

ですから、
残酷なニュースに接した時、

ナチス は 別にして、

我々と 同じような人間 が、
狂気 に 支配される地獄 に
放り込まれた結果かも しれないな と、

想像力 を たくましくしていただいて
受け止めていただければな
と、願っています。


蛇足2.
ディープステート の アメリカ支配 の 経緯
及び
海外への支配拡大 について



ディープステートが 正体を現したきっかけは、

現在唯一の地域共同体国家である
アメリカ合衆国 で

「繰り返しの歴史」に属するディープステートによる
トランプ大統領への反動
との形 で 現れました。


ネットによると

2016年 の大統領選挙で、
最初 トランプ大統領は、泡沫候補扱い でしたが、

共和党の予備選で、
ブッシュ王朝 が 出馬させた ブッシュ一族の一人 を、

ブッシュ大統領(息子)が、
9.11の際に、飛行機 を ハイジャックにより、
ニューヨーク の ワールドセンタービル などに
突撃させる作戦 の 指揮 を するために アメリカに滞在していた
ビン・ラディン を、

サウジアラビアの要請により、
全米の飛行禁止措置 にも かかわらず、大統領権限を行使して
サウジ が 派遣した 飛行機 に 搭乗させて 逃亡させた

との スキャンダル を 暴露して、
共和党の予備選を勝ち抜き、

民主党のヒラリーと対決したのでした。

なお、 この予備選の経緯により

同じ共和党に属しながら、
トランプ大統領とブッシュ一族とは、犬猿の仲となったそうです。


当時の 民主党サイド は、
よもや ヒラリー が、敗北するはずがない
と、高を括っていたのですが、

選挙結果は、

得票数では、
ヒラリー が 勝利したものの、

大統領選挙人数 では、
トランプさんが勝利して、

トランプさん が、大統領に就任したのです。


当時のアメリカ は、
ディープステートが 陰で支配して、

2016年 の 大統領選挙では
ヒラリーさん を 大統領 に する予定 でした。

この計画 が くるってしまったので、
2020年の大統領選挙では、

ディープステートが
中共 と タイアップするとともに、

本性 を 露にして
総力を挙げた不正選挙により、

無理やり バイデン候補 を 大統領 に 就任させたのですが、

その後 時間がたつにつれて、
ディープステート の アメリカ支配、および その悪行、無法ぶり が 露にり、
国民の支持 を 大幅に 減らして

多くの 民主党 の再選議員のうち 多くが
当選がおぼつかないために 出馬取りやめにする人が続出し、

共和党 も、
トランプさんが 支持する人しか、党内選挙で勝ち抜くことができなくなり、

今年の中間選挙 と 2024年の大統領選挙では、

トランプさんの率いる 共和党 が
(従来のリノ が 支配する共和党 ではありません)
勝利するだろう
と 一般的なコンセンサス と なっているよう に 思われます。

注)リノ Rino ライノ

  Repabulicann in name only
     名ばかりの共和党員 の略語

  現実には、
     トランプ派以外の共和党員 を 意味している と、思われます。

  彼らは、
  ディープスレート が 裏で操る 民主党、共和党の
  アメリカ の 2大政党 の 政治構図 を長年 演じてきたのでは?
  と、推測しています。

バイデン大統領 は、
民主党 の 得票数 を 増加させるために、

毎年 数百万単位 で 不法移民を入国させて、
その人々 を
共和党の地盤の州 に 送り込んで、
劣勢 を 挽回しよう と されておられますが、

そのために、
メキシコとの国境 での 非人道的な状況 や、
犯罪者 が、多量に 米国に入国して、治安 を さらに悪化するなどの、
悪影響 が 生じていて、

心あるアメリカ人 の 顰蹙 を 買っていますが、

バイデン大統領は、それよりも
自分(民主党)が 勝利するのが 大事だ と ばかりに、

国民 を ほったらかしにして、
大統領権限 を 振り回しておられますので、

かえって
トランプ大統領の人気 が 高まっているのではないか
と 想像しています。


長年 アメリカ合衆国 を 陰 で 支配してきた、
ディープステートの支配力 は 見事なものでした。

2020年の大統領選挙 が 終了して、
1月 の 大統領就任式迄 の間、

トランプ大統領 は、
ただ一人 ぽつんと孤立していたのです。

ディープステート が、

ホワイトハウス の ペンス副大統領以下の閣僚
および 各省庁の官僚、

上下両院 の 議員、
民主党が支配する州 のみならず、共和党の支配する州 も、

並びに
最高裁以下の司法部門

の 司法、行政、立法 の 三権
はじめとして、
マスコミや 大企業 と

全米 を 支配下にお さめていることが、
露になったのです。

更には

暴力実行部隊の組織 である BLM
に 加えて、

軍事力 を 握っている 軍隊 も
支配下 に おさめていたのでした。


私は、トランプ大統領 が、
選挙違反 の 取り締まりの 最高責任者 なのに、

民主党 の 選挙違反 を 何故捜査しないのか、
不思議でならなかったのですが、

トランプ大統領 が 命令しても、

実際に捜査する司法省以下の捜査当局 が
ディープステートに 支配されていて、

「笛 吹けど 踊らず」の状況であることを、
トランプ大統領 が 察知されたのでしょう。

また、いざとなれば、
ディープステート は、

支配下にある BLM や 軍隊 を使って、
トランプ陣営 を 武力で制圧すること も 理解されていたのでしょう。

1月6日の状況など から 推察すると、

トランプ大統領 は、
1月20日 の 大統領就任日 の 直前迄、

このことを ご存じなかった のだろう、

もしくは、
ご存じであっても、

武力(力)による解決
ではなく

憲法などのルール に従って 勝利したい
と、考えられたのだろう

と、推察されます。


というのは、

大統領選挙で、
民主党 が 不正により 大統領 を 奪っても、
最高裁 で ひっくり返すことができるように、

最高裁の判事の任命 を 強行して、
共和党系の判事 を 多数派としておいたからです。

また、1月6日
上院議長のペンス副大統領が、
上院での選挙結果を決定する際に、

憲法の規定 に 従って、
不正がある州 の 選挙結果については、

各州の議会 に 選挙結果の検討 を
差し戻すこと で、
民主党による 不正選挙を 阻止できる

と、考えておられた
と、推察できるからです。

でも、
ディープステート は、
トランプ大統領 の 上を 行っていました。

即ち、
最高裁長官 を 抑えていて、

最高裁長官 に、
法学の原則 を ゆがめさせて、
選挙不正 を 正当化したのです。

簡単 に 経緯 を お話しすると、

トランプさんを 勝利させた テキサス州 が、
バイデンさん を 勝利させた 他の州 を 選挙違反 で 訴えたのです。

アメリカ合衆国 は、
50の邦(州、State)からなる 地域共同体の国ですから、

各州が、その州(邦)の 憲法や法律 に 従って
選挙を行っている限りにおいては、

他の州 が、
裁判 で 是正 を 訴えることが できないのです。

分かりやすい例え で 申し上げると、
ヨーロッパのEU で、
大統領選挙 を 行う と 仮定した場合、

フランス が、
フランス の 憲法や法律 に 従って 選挙している限りに おいては、

ドイツ が、EUの裁判所 に
フランスにおける選挙結果の是正 を 訴えることが
できない のと 同様です。


ですから、
連邦裁判所は、

訴えられた裁判 が、
連邦裁判所 の 管轄 に 属するものかどうか を
裁判する前 に判断する のです。

このため、この段階で、
テキサスは、

当事者適格がない

即ち、
当事者として 裁判する資格がない
と、門前払いされたのです。

でも、これは、
遠い日本から見ている私にも、不当なことでした。

テキサス州 が 訴えた州 では、
立法府である議会 が、
憲法や法律 の 改正 を してないのに、

法律の改正資格を持たない
選挙管理当局 が、

勝手に 選挙ルール を 変更して、
バイデンさん に 勝利させていたのです。

(私は、
2020年 の 大統領選挙 に おいて、
無記名投票 であること を 良いことに

民主党 が、
バイデン票を 偽造して
バイデンさん の 得票数 に 含ませたのでは?

そうするために
選挙管理当局が 勝手にルール を 色々変更したのでは?

と、想像しています。) 


ですから、

連邦最高裁長官 が、
テキサス州 を 門前払いする際に、

同僚判事 に、

恫喝 を 用いて
ディープステート の 意思 を 貫徹させたのです。

即ち、
「もし、裁判になれば、
 テキサス州 が 勝利するだろうが、

 テキサス州 が 勝利したら、
 アメリカ合衆国 が 内戦となるだろう

 その時、君たちは(同僚の判事 は)
 その責任 を 取れるのか?」

と、長官 が 恫喝したのです。

その結果 が、

テキサス州 は、当事者ではない
との 門前払い だった のですが、

テキサス州の選挙結果 が、
他の州 の 不法行為 により 阻まれ、

他の州 での 不法行為 が なければ
テキサス州 の 選挙結果 が
大統領選挙 の 結果 と なってたはず だったので、

テキサス州は、当然 当事者であり、

ましてや、
この訴訟 の 原告に

被告の州の不正行為により
統領選挙 で 敗北認定された 大統領候補 だった

当時者である トランプさん が
加わって いましたので

連邦最高裁 による 門前払いの決定 は、
全く 支離滅裂な決定であることは
明白でした。


このようなことが できたのは、
実は 法学 に 欠陥があったからです。

法学は、

人間の社会活動 について
色々と 細々(こまごま)としたルール
を 定めていますが、

人間活動 の すべてをカバーする ルール を
人間 の 活動 に 先んじて 制定しておくことは
不可能であるため、

裁判官 が 判断する際には、
ルール(法律)に 加えて、

ルールー が 定められていない場合 に 備えて

裁判官が、
裁判官の保持するリーガルマインド(良心)により
判断するように と 定めているのです。

リーガルマインド(良心)による 判断 は、
ルール が ない場合の 最後の手段 であるはず ですが、

裁判官 が その気になれば、

ルール を 無視して、
裁判官 の 好きなような決定 を しても よろしい
と いうことになります。

通常の裁判では、上級裁判所があり、
そこで 不合理な判決、身勝手な判決 を
是正することが できますが、

最終審である
連邦裁判所の長官 率いる 最高裁の判事の多数 が、

法(ルール)を 無視して、私利私欲 で 決定したら、
是正の方法 が ありません。

ディープステート は、

「いざ鎌倉」という場合に備えて
法学の盲点 を
隠し玉 に しておいたのです。

1月6日の
「バイデン大統領が 勝利した」との 上院での決定 も、

ディープステート が
事前に ペンスさん を 送り込んでいたので、

ディープステートの意図 を
貫徹させることが できたのでした、

このように、ディープステート は、

2020年の大統領選挙に際して、
完璧に 支配 を 貫徹させるための方策 を
見事なほどに 準備していたのです。

でも、この方法は、

国民が主権を持ち、国民が大統領を選挙で決定する
民主国家においては、

1回限りしか 使えない方法 だったこと が、
ディープステート に とっての不幸 でした。

バイデン大統領 が 就任して1年経過するうちに、

2020年 や 2016年の
大統領選挙 における 旧悪 の一部 が
露(あらわ)に なってきて、

民主党が、
国民の怒りを買う状況になってきました。

例えば、

2016年の選挙の際に、
トランプ大統領 が、
ロシア の プーチン大統領 と共謀して 陰謀を働いたと、

トランプさん の ロシア疑惑 を 民主党 が 主張して、
トランプ大統領 を 窮地に貶めよう との工作
を したのですが、

最近になり、

この陰謀 は、
民主党 や ヒラリーさん が、
捏造した証拠 に よるものだったことが、明らかになって、

民主党 や ヒラリーさん に
罰金 が 科せられています。

また、
ウクライナ に 内政干渉をした との 理由 で
トランプ大統領 が 下院 で 弾劾されましたが、

これは、

バイデン大統領 が オバマ政権時代 副大統領 として、
ウクライナ に 乗り込み、

米国の援助 が 欲しければ、
汚職を追求している 検事総長 を 罷免しろ

と、内政干渉し、
圧力をかけて 屈服させたこと に対して、

トランプ大統領 が、
ウクライナ大統領 に

ちゃんと経緯を調べて対処してほしい
と、お願いしたことが 原因でした。

バイデン大統領 は、
副大統領時代 に 米国の公的資金 を 私的に利用して、
当時のウクライナ大統領 を 恫喝したことを、

自慢している動画を、
私も、ネットで拝見して、

なんで 自分 が 犯罪 を 犯したことを
自白して 自慢するのだろうか?

と、不思議に思ったこと を 覚えています。

バイデン副大統領 が、
ウクライナ政府 を 屈服させた後 の 後日談については、

息子さんのハンターさんがらみの事件として、
今後 事実 が 明らかになっていく と 思います。


バイデン大統領は、
2020年の大統領選挙に際して 選挙前に

「我々は、これまでにない不法組織 を 作り上げた」と、発言し、
日本でもネット に ニュースとして掲載されました。

私 は、これを読んで、
全く理解できず、困惑したこと を 覚えています。

というのは、

犯罪 を 犯した犯人 が、
取り調べ を 受けていないのに、自白すること は あり得ない

と、考えていたからです。

でも、
大統領選挙 が 進むにつれ、

バイデン大統領 が
真実を語っていたこと が 明らかになりました。

ですから、

アメリカ合衆国内で、
なぜこの発言 が 問題視されないのだろう と、

私には、理解できない 大いなる謎 となっています。


以上により、

ディープステートは、

2020年に 政権 を 奪回しましたが、
正当な方法 で 奪回したのではないこと と、

トランプさん以外 の 従来の共和党 や 民主党 の 大半の皆さんは、
来るべき時代を担う グローバリスト ではなく、

19世紀型 の 私利私欲 を 貪りつくせる利益 を 求めた 帝国主義者
と 同じような感性 を 持っている人々 だ

と、感じています。

(帝国主義者も、
 アヘン戦争で見るがごとく、全世界に飛躍して
 私利私欲をむさぼっていた グローバリストでもありました。)


先ほど述べたように、

来るべき地域共同体 が 成立した後に 登場する
本当のグローバリスト は、

まだ 歴史の舞台 に 大きな力を持って 登場していないのでは?
と、感じています。


以上 ディープステートが

トランプ大統領の出現 で 追い込まれて、
選挙不正までして大統領職を奪回した経緯
について お話ししましたが


次に、

彼らが、外国(米国外)での 活動の本質 について、
私の仮説 を お話しさせていただきます。



ディープステートは、
武器商人も兼ねています。

これが、アメリカ合衆国が、
第2次大戦後、戦争を継続してきました一番の理由であろう
と、想像しています。

大量に 武器 を 消耗する戦争 を 勃発させるために、
ディープステートが、アメリカの大統領や議会 に
絶えず 働きかけていたのでしょう。

その結果、例えば、
ブッシュ大統領(息子)時代
イラクに対して 無理やり戦争原因 を 捏造して、戦争 を 仕掛けた
と 考えると 得心がいきます。


また、ネットによると

アフガニスタンで、
パイプラインの交渉が 8月に 決裂した報復として、
9.11の攻撃 を うけたので

その報復として、ブッシュ大統領(息子)が、

その翌月の10月に
フガニスタン戦争を 勃発させたとのことです。


トランプ大統領は、
その任期の4年間で 戦争を開始しなかった
稀有な大統領だった と、聞いたことがあります。

これも、
トランプ大統領 が

ディープステート が 裏で操っている
マスコミ の 餌食 と なっている原因なのでしょう。

そのトランプ大統領でさえ、
シリア に 大量のミサイル を 撃ち込んでいます。

このように ディープステートは、
戦争のきっかっけ を 画策しながら 活動していた
と、想像したら 合点がいきます。

今回のウクライナ戦争において、

ロシアのプーチン大統領が、
NATO が、ウクライナまで 拡大してきていること を 非難していますが、

一理あるのでは?
という気 が しています。

今回のウクライナ戦争のニュースに接していて
違和感を感じるのは、

開戦前 に、バイデン大統領 が
異常なほど、ロシアに対して戦争をけしかけていたことでした。

また、
ウクライナの大統領 も、
何か うさん臭さ を 感じていました。

ネットで、
ウクライナ大統領のスポンサーは、

バイデン大統領の息子さん を 取締役 に雇用した
エネルギー会社のオーナーだ
と、いわれています。

もし、これが真実であるなら、

ウクライナ大統領 と バイデン大統領 が、
つながることになります。

そういえば、
プーチン大統領が、

ウクライナの大統領の支配下 に ナチスが存在している
と、指摘した時、

ネットによると、
アメリカ が、
ウクライナの大統領 は ユダヤ人だから、

ナチス を 支配下に持つはずがない
と、主張している
と、聞こえてきました。

このニュース に 接して、

ナチス と 関係 が あるはずない
と、断定しているにもかかわらず、

その証拠 が 提示されていないことに
違和感 を 感じていました。

ですから、
ウクライナ大統領の周囲 に
ナチス が 存在することもありうるのでは
と、感じ始めていたところに

ウクライナ大統領 が、

イスラエル で 演説をして
イスラエルの議員さん を 怒らせた
との話 が、飛び込んできました。

ウクライナ大統領は、

第2次大戦中 ナチス が ウクライナで行った蛮行 と 同じことを
ロシア が しているので、支援してほしい
と、依頼したそうですが、

このことが、
イスラエルの議員さんたち を 怒らせた原因だ
との 解説 が ありました。

その解説によると、

第2次大戦後、アメリカ は、
ニュルンベルク裁判などで ドイツのナチスに対して
厳しい措置を取ったけれど、

ウクライナのナチス に対しては、何もしなかったので、
現在まで ウクライナでは ナチスが存続している。

この連中を使っている
ウクライナ大統領に対して、

ウクライナも、
ナチスと同じようなことをしているではないか と、

同じユダヤ人で 事情をよく知っている イスラエルの議員さん が
怒ったとのことなのです。

これも、
証拠 の 提示もない 単なるお話 なので、確信 が 持てませんが、

もし、
イスラエルの議員さんが 怒ったことが、事実なら、
この話 は 真実ではないだろうか?
という気がしています。

その後 の 推移をみると、

ウクライナのナチス は、
アゾフ大隊と呼ばれている組織で、

ギリシア での
ウクライナ大統領のメッセージの際、

アゾフ大隊の幹部 が 発言したことに対して、
ギリシアが、
「なんで ナチス を 喋らせるのか」と、

 怒ったとの話 も ネットでありました。

また、
ウクライナ が、
ロシア軍の虐殺 を 発表するたびに、

実は、ウクライナ側の犯行である
との 否定する話が出てきまが、

ウクライナ で
ナチス が 生き残っていた との話が、ある限り

ウクライナの発表は 本当だろうか
との疑念 を 拭うことができません。


申し上げたいことは、

ロシアのプーチン大統領 は、
戦争 を 始めた張本人 であり、
弁解の余地もなく ワル(悪)です。

だからといって、
攻撃されたウクライナ側 が 善だ
と いうことには、ならないだろう
と、考えています。

ウクライナこそが、

ディープステート とつながって
戦争 を 勃発させように 事態を導いた
一方の当事者ではないだろうか、

との疑念 が 拭えず、

今回のウクライナ戦争 は、
悪対悪の争いではないだろうか
という気がしています。

これは、
ウクライナ大統領が、ことあるごとに、

各国に 世界大戦を呼び込もうと 呼びかけて、
武器 や 資金援助 を 求めますが、

戦争終結 に 尽力してほしい との 依頼 は
一切ないことから、

武器商人 の 片棒 を 担いで
武器商人 に 操られて

戦争を拡大しようとして 発言しているのでは?
と疑われても しょうがないのでは

と、感じられるからです。

いずれにせよ、
このまま ずるずると 戦争 が 継続していると、
本当に 世界大戦になるかもしれませんので、

本当 は、
アメリカのバイデン大統領あたりが イニシアチブ を 取って、

戦争終結 の 方向 に 事態 を リードすること が
求められている と、思うのですが、

ディープステートの一員である とともに、
金のにおい を かぐと、
そちらに なびいていく お人柄 で、

開戦前に プーチン大統領 を
戦争するようけしかけていましたので

期待 が 持てないな
と、嘆息しています。



以上、長々とした話を
最後までお読みいただきありがとうございました。





 

 

| | コメント (0)

2021年5月21日 (金)

2020年 アメリカ大統領選挙 の 本質 について の  ちょっとした仮説 ・・・第1回 法学の欠陥 が 露になった 大統領選挙である点

2020年のアメリカ大統領選挙は、
1月20日 バイデンさんが大統領に就任して、
1件落着したはずなのに

いまだに、
昨年の大統領選挙の正統性について 疑念が 燻り続いていて、
いくつかの州で、監査が実施されています。

形式的には、
昨年の大統領選挙の正統性が承認されたはずなのに、
何故だろう

と、首をかしげながら 数か月考えているうちに
多分、こういうことかな
との仮説が 浮かんできましたので、

ご参考までに、お話しさせていただきます。



今回の大統領選挙で、テキサス州が、激戦州の選挙が
各州の憲法に違反した選挙であると訴えたことに対して

連邦最高裁が、テキサス州を門前払いしたのですが、

門前払いをした理由が、
普段は表面化しない 法学の持つ本質的な欠陥が、露になった
と、思われますので

最初に、この点についてお話しさせていただきます。


1.アメリカが地域共同体の国であることについて

アメリカ連邦最高裁が、
訴訟の審理に入る前に テキサス州を門前払いをしたことについて、
日本人には理解がしがたいことだと思いますので

アメリカが、日本のような国民国家ではないために、

憲法の位置づけが、日本 と異なること
を、最初に、ご説明させていただきます。

アメリカは、
各州(邦 クニ)が集まってできた国(地域共同体)なのです。

日本の感覚だと、

各州が、日本の各県 と 同じような感じ を
持たれるのだろう と、思いますが、

アメリカ を 考える際には、

日本ではなく、
EU と 置き換えて 考えた方 が、
正確な理解ができるのでは?

と、考えています。

即ち、
アメリカの各州は、国(邦、クニ)であり、

各州が、
EUにおける フランスやドイツのようなっ独立した加盟国で、

アメリカ合衆国 が、加盟国全体のEUに相当するのです。

日本の憲法 は、
各州の憲法 と 同じような位置づけであり、

アメリカ憲法は、
EUの基本条約のような、各州が 連邦に 加盟する際に 締結した
連邦条約 なのです。

即ち、
アメリカ憲法は、

日本政府が締結したTTP条約(国際条約)みたいなものなのです。
ですから、
アメリカ憲法を改正する際には、各州の批准 が 必要なのです。

従って、アメリカの連邦最高裁は、
EUの最高裁、もしくは、国際司法裁判所のような存在であり、

テキサス州が、
北部の激戦州の大統領選挙について、連邦最高裁に提訴するということは、

EUにおいて、
フランスが、実施したEU大統領選挙について、

フランスにとり外国であるけど EU加盟国である ドイツ が、

フランスが、
EU基本条約に反して、
フランスの憲法違反のEU大統領選挙を実施した

と、訴えるようなものなのです。

アメリカでは、

大統領選挙について、
全国一律の選挙法 で 行うのではなく、

(独立国である)各州が、
その州の憲法 に 従って、大統領選挙 を 実施することになっていて

アメリカ大統領の選挙の具体的な方法は、
各州の判断に任せているのです。

各州は、
自分たちが制定した憲法 に 従っていさえすれば、
どのような方法で、大統領選挙を行っても構わないのです。

従って、連邦最高裁は、
各州が 各州の憲法に従った選挙 を 実施している限り

介入できない、
言い換えると、
審理の対象 に できないのです。


米国大統領選挙 を、

独立国である EUに加盟している各国 が、
それぞれの国の憲法 に 従って、EU大統領 を 選出するのと
同じである

と、お考えいただければ、
違和感なく ご理解いただけると思います。


ですから、
テキサス州に、北部の激戦州の大統領選挙について、
各州の憲法に違反した選挙を行った

と、訴え を 提起された(持ち込まれた)連邦最高裁 は、
テキサス州の訴えの審理に入る前に、

連邦最高裁 が 審理する対象たる 憲法違反の事案 か どうか

即ち、
連邦条約 に 違反している事案 か どうか について
まず最初に 判断せねばならないのです。


今回も、テキサス州の訴えに対して
この手順を踏みました。

連邦最高裁が、訴えられた州に対して、
意見を求めたのは、このためなのです。

訴えられた各州 は、

各州 が 責任もって 大統領選挙 を 行っているので、

(テキサスの訴えは、内政干渉であり、
 自分の州にとって 外国と同じ存在である)テキサス州 が、
とやかく言う 筋合いのもの ではない

と、ある意味もっともな回答 を 連邦最高裁に したのでした。


訴えられた各州からの回答を踏まえて、
連邦最高裁の判事が審理した結果、

テキサス州には、当事者適格がない、
即ち、
よその州の大統領選挙に対して 訴訟する 主体の資格 がない
と判断して、門前払いをしたのです。


このことが、現在に至るまで、
昨年の大統領選挙の正統性に対して、疑念を持たれる原因
と なったのです。

私は、法律家ではないので、事実認定をするため
証拠法に従って 証拠能力を判断する 知識 も 能力 も
ありませんので、

ネットで報じられた ニュース により
私が 通常の常識 と 考える判断基準で、この文章を書いています。

ですから、法律専門家のお立場から、
私の話が、落語の長屋談義 と 同じである と 判断されて

法律的には異なるよ と、指摘されることが 十分あり得ますので、

あくまで、私が考えた「仮説」であるということを ご理解いただいたうえで、
お読みくださるようお願いします。



2.門前払いした アメリカの 連邦最高裁 の 決定に対する
  今日に至るまで続く 世論の疑念 について


連邦最高裁 が、
テキサス州の訴えを門前払いしたことが、何故問題なのでしょうか。

形式的には、
テキサス州の訴えを 連邦最高裁が門前払いしたことで
激戦州の大統領選挙の結果について 正統性が 与えられたのですが、

国民の中には、
正統性がないのでは?との感じを持っている人 が、多数いるので、

バイデンさんが就任して半年近くたっても、
疑念がくすぶり続けているのです。

多数の人がが、疑念を持った 主な理由 は、
次の通りだと思われます。

A.激戦州の大統領選挙において、
  激戦州が、各州の憲法の規定に反する方法(違憲の方法)で
  選挙を行った と、報道されているのです。

  ですから、
  激戦州の違憲の方法 で 行った選挙 で、
  テキサス州が選出しトランプ候補が敗退したのが、
  正統性のある選挙結果であるか?との疑念 が くすぶり、

  いまだに、連邦最高裁の決定 を 否定する世論 が、
  無視できない比率 で 存在しているのではないでしょうか。


B.テキサス州が、当事者適格がないとした
  連邦最高裁の判断についても、

  納得でしてない人 が、いるのだろうと思われます。


  報道によると、
  激戦州は、明らかに 違憲の選挙方法(彼らの州の憲法と異なる選挙方法)を
  採用していたので、

  このような 不正選挙の結果、
  バイデン候補が選出されることになったのであれば、

  ひっくり返されたテキサス州が、訴えを提起する資格があるのではないか

  更には、
  テキサス州の訴えの原告に、
  訴え提起後、トランプ候補も原告に加わっているのです。

  トランプさんは、
  今回の大統領選挙の当事者であり、

  トランプさんに当事者適格がないとなると、
  だれが当事者の資格を有するのでしょうか


C.門前払いをした連邦最高裁 の 審議 に 際して、
  連邦最高裁長官が、

  「テキサス州の訴えを受理して、審議したら、テキサス州が勝訴するだろう。

   そしたら、
   アメリカ は 騒乱状態 になり 収拾 が つかなくなるが、
   その責任を、最高裁判事の皆さん が 負うことができるのか?」

  と、おっしゃったと報じられています。

  これは、脅迫ではないでしょうか。

  連邦最高裁長官が、憲法解釈により 同僚判事 を リードするのではなく
  同僚の判事 を 脅迫して、
  本来受理する事案 を 不当に 門前払いに 持ち込んだのでは?

  と、疑念を持つ人が多数存在しているのでしょう。
  これも、今日まで 尾を引いている原因と 思われます。


3.露になった 法学の欠陥 について


法学の社会における役割は、秩序の維持です。
そのために、
ローマ法以来 3,000年にわたり、法学を積み重ねてきました。

学者のみならず、
紛争を裁定して、決着させる裁判所の実務家(裁判官や弁護士)が、
従来のルールでは対応が不可能な新たな事案に対して
判例 を 積み重ね、時により 判例を変更する工夫を講じた結果、
 
今日では、
人間活動における 紛争 や 犯罪 に対して、
ほぼ対応 が 可能なルール が 整うようになりました。

然りながら、

今後の人間活動の変遷に応じた 全ての変遷、変化に対して
対応するルール が できているのか と、考えるとき、

残念ながら、
それはあり得ない と、言わざるを 得ないのです。

人間活動の変遷により、
技術の進歩による新たなルール が 必要となることもありますし、

人間の価値観の変化により、
従来のルールを変更せざるを得なくなることもあります。

これらを先回りして、ルールを設定しておくことは、
人間の能力を超える 不可能なことなのです。

ですから、
既存のルールに対処できない場合は、
裁定する裁判官の自由意志 に 任せることにしたのです。

紛争を妥当な結論で決着させる方法を見つける能力を
リーガルマインドと言いますが、

法学は、
リーガルマインドを身に着けた裁判官のその時の判断に委ねたのです。

更に、
三審制を設定して、
下級審が、リーガルマインドに反する判決を下したとしても

上級審 で 是正できる機会 を 2度設定しておけば、
まず問題がないだろうと考えて

長年の試行錯誤の結果、
裁判制度として 確立してきたのです。

でも、
裁判官 が リーガルマインドによらず、
他の意図 から 裁判 を 捻じ曲げてしまうことが

事実上 殆どあり得ない と、言うことはできても
皆無である と、言い切ることは できませんでした。

今回 連邦最高裁 が、
テキサス州 を 門前払いにした 決定 は、

皆無ではありえないこと が 現実化したのです。

最高裁の決定は、最終決定であり、
今回の大統領選挙の正統性 を 裏書きするものですが、

常識的に見て、
だれもが 納得するもの では ありませんでした。

リーガルマインド による決定 は、
全ての人 が、賛同するもの では なくとも

大多数の人が、
この決定なら 仕方がないだろう と、
この決定だったら、関係者も 納得して 従うのでは
というもの でなければ なりませんが、

激戦州が、
違憲の方法 で 選挙を行ったこと が 明らかである 以上、

テキサス州の訴え を 受理して、審理する義務 が、
連邦最高裁 に あったにもかかわらず、

連邦最高裁長官は、
受理したら、テキサス州が勝利するが、
その判決が、全米 を 解決不能な騒乱状態 に 陥らせることになる と、
同僚の裁判官 を 脅迫して、

民主党という一党派 に 肩入れした結果 を もたらす判断 を
強制したのです。

連邦最高裁長官に、唯々諾々と従った 同僚の判事は、

アメリカの連邦裁判官は、任期が終身で、
一度任用されたら、生涯身分が保障されているにもかかわらず、

責任 と 義務 を 放棄したのです。

連邦最高裁長官が、脅迫した
との言い方が、 不穏当、不適当 だとしても

違憲の方法で選挙を行ったということが、
報道により明白であるとしたら、

連邦最高裁長官及び 決定に賛成した連邦最高裁判事の皆さんは、

判事の立場 を 放棄して、
民主党 に 加担して、法学の欠陥 を あらわにさせた

法学 に対する 裏切り者だ
との 烙印 を 押されても しかるべきなのでは?

と、感じられます。


政治がらみの裁判 は、
党派性 が 表面に 明白に出てきますので、

裁判官でさえ 政治任用 が 当たり前とされる
アメリカの裁判所 に おいても

個々の案件においては、
党派性ではなく、法律=ルールに従って行われた と、
だれもが 納得するような裁判 でなければ なりません。

今回 の テキサス州 への 門前払い の 決定 は、

法学の仮面 を かなぐり捨てて、
一党派 を 何が何でも 勝利させる ために 形式的な正統性 を 付与しようとの

法学者として、あるまじき 唾棄すべき行状

即ち
一種 の 暴力的なクーデター であり

アメリカ司法史上
最悪なスキャンダル、
最悪の汚点 だ

と、いうべき事件ではないでしょうか。




| | コメント (0)

2020年12月25日 (金)

2020年 米国大統領選挙で 改めて認識したこと・・・ 第3回 慣習法(コモン・ロー)の 根底にある法意識 について



2020年 米国大統領選挙について
今まで 2回にわたり お話しさせていただきましたが、

今回は、
米国の根底を支える慣習法(コモン・ロー)について、

即ち
今回 改めて 認識させられた
日本と異なる歴史の中で 形成された
イングランドや米国の皆さんの根底を支える法意識に ついて
お話しさせていただきます。




          *************




連邦最高裁が、テキサス州の訴えを門前払いした時、

トランプ大統領が、
最高裁で決着すると選挙前からおっしゃっておられましたので、

流石に
「これで終わったのか、残念だな」と、落胆していましたら、

「まだ、方法はある。次は、1月6日だ」との話が伝わってきて、
吃驚しました。

1月6日に、
今回の大統領選挙の選挙人の投票を開票するとき、

連邦議会で異議が出たら、
連邦議会ないしは、上院議長でペンス副大統領が、訂正できる
との規定が、憲法に記述されている、とのことなのです。


連邦最高裁の決定が、最終解決ではなく、

「司法部門 が、
 仕事を放棄したら、または、国を裏切ったら、
 議会 が 決定できる」

との規定を 憲法に記述しておいた
米国の建国の父の深謀遠慮 に 感心したのです。


米国 は、
イギリスとの戦争に勝利して、独立を勝ち取った際に、

建国の父は、
将来、イギリスの米国国内での工作により イギリスと内通した者が、
米国の議会、行政、司法を乗っ取る場合に備えて、
憲法を制定したのだろう と、思います。

今回の大統領選挙において、

建国の父が予想した イギリス ではなく、
中国共産党が、内政干渉を行って、米国を乗っ取ろうとした と、

(断定はできませんが)
遠い日本から見ていても 思われますので、
まさに、建国の父たちが用意した憲法の出番となったのでしょう。



驚いたことは、
以上のことだけではありませんでした。

選挙人の選挙の日に、
一部の州で、共和党の議員が議会に集まり、

共和党議員 が 選挙人 を 勝手に選出して、
そのリスト を ワシントン に 送付したのです。

憲法には、

選挙人の選挙 に 異議がある場合は、
各州の議会 が、選挙人を選出して、大統領選挙 が できる
との規定があると、云われていましたが、

議会の 一部の政党 が、
議会とは別に、私的に集まって 選んだ 選挙人のリスト
に 基づく大統領選挙結果を、

11月3日の選挙に基づく選挙人の選挙の結果と、
場合によっては、
同等の扱いをされて、連邦議会で審議されるかもしれない

と、知らされて、
日本では、ありえないな と、吃驚したのです。

私は、ここに、
アングロ・サクソンの皆さんと、日本人との間の、
歴史の違いから生じた 法意識の差異 について 考えさせられたのです。

即ち、

1.裁判所が、暴動が起きるからと言って、
  訴えを門前払いすることはあり得ない。

2.最高裁の決定が、紛争の最終決定である

が、日本人の感覚では、常識となっていますので、

アングロ・サクソンの皆さんと日本人との法意識の違いについて、
吃驚しながら、考えさせられたのでした。


国 が 決定したことは、
たとえ反対であっても、逍遥としてその決定に従う
というのが、

日本人の法感情、法意識 だと 思います。

例えば、
赤穂浪士は、幕府の決定に納得がいかなかったので、
吉良邸に討ち入って、主君の仇を討ちましたが、

その結果、
切腹との幕府の判決が決定されたら、従順に従いました。

また、佐倉惣五郎は、
「直訴はご法度、違反は、家族ともども 磔」との法を承知の上で、直訴を行い、
自身は、家族とともに、磔の刑に処されたのでした。

このように、日本では、
国の決定にどうしても納得がいかない人間が生じた場合、

追い詰められてぎりぎりに追い込まれた一部の人が、
抗議のための行動を起こすことが生じますが

その結果についての国の判決には、従順に従う
とのコンセンサス が、あったのだろうと思います。

判決を下す当局も、
抗議した人に対しては、法に従った判決を下しますが、

事件 が 生じた原因については、
2度と起こらないように できるだけの措置 を とったのです。

ですから、
抗議した者を始めとした民衆も、納得して
当局の決定 に 従ったのです。

従い、日本においては、
根底において 支配者当局に対する 確固たる信頼 が あった
と、いうべきでしょう。

これに反して、アングロ・サクソンでは、
民衆の意向を無視して、国王をはじめとする支配当局が行動したのでは
ないでしょうか。

これに対して、
ひとたび反乱が生じたら、国王を捕らえて処刑して、亡き者としたあと、
自分たちが政権を奪取しなければ、終わらなかったのでしょう。

今回の、各州において、選挙人を勝手に選出した 共和党の議員の対応は、
この歴史を踏まえたアングロ・サクソンの伝統によるものではないだろうか
と、感じられました。

要するに、
アングロ・サクソンの皆さんにとって、
「法」よりも 自分たちの意向が上位にあるということなのでしょう。

ですから、
自分たちの意向に反する事態が生じたら、

たとえ 法があったとしても、
法を無視して、自分たちの意向を押し通すことが正義だ
と、感じておられるのではないでしょうか。

ここが、
歴史上 国王を斬首するような 革命 を 経験していない日本人には、
理解しがたい ヨーロッパ精神の根本にあるものだろう
と、思います。

三権分立とか、代表(間接)民主制というものは、
この根底にある法感情 を 礎石として、構築されたものなのでしょう。

日本人は、
明治維新に、ヨーロッパが構築した構造物 を 継承しましたが、

ヨーロッパにおいて その土台となっていた源(根源)については、
理解していないような気がします。

(明治時代の日本人は、
 ヨーロッパ文明の膨大な構築物を学ぶのが先決であり、

 その土台となったものに対して 手が回らなかったうえに
 経験がないだけに、想像すらできなかったのでしょう。)

法 というものは、
民衆 が 実現したいものを 実現するためのものであり、
民衆 が 欲しなければ、現存する法を壊して、作り直せばよい
ということが、根底にあるのではないでしょうか。

例えば、
ローマ時代、コンスル(執政官)は、
軍隊の歓呼(による同意)によって、就任 が 承認された
といわれています。

もし、兵士の歓呼(同意、信任)がなくなれば、
その執政官は、支配者の地位から放逐されたのでした。

従って、
兵士一人一人が、支配者を決定できる という意識 が あった故に
ある兵士 が、不服 に 思うことが生じたら、

不服に 賛同する人 が、
「彼の考え が 法である」と、主張することが あり得たのだろう
と、思われます。

今回 の、各州における 共和党の議員の皆さん の 行動は、
この伝統に基づくものであり、

この行動 を 見た人々が、

法に従った選挙人の選挙結果と同等の扱い(地位)を、
共和党の皆さんの選出に与えるのでは?
と、遠い日本から見て感じられるような状況になる根本に、

今まで述べたような アングロ・サクソンの皆さん の 根底にある法意識 が
もたらしているのでは ないでしょうか。

法の「ウソ」を深く考えられた
末弘源太郎先生や来栖三郎先生の到達点が、

お二人とも
「成文法から慣習法に(戻すべき)」ということでした。

「成文法は、法ではなく、法源であり、法は、判決に現れる」
とされる来栖三郎先生の記述を拝見して、

「でも、
 判決を言い渡されたとたん、法は、シャボン玉のように はじけてなくなり、
 その判決は、法源の一つになってしまうので

 慣習法の世界 では、
 法 が 存在しなくなる、ないし 法が明示されていない状況が続く
 ということになるので、

 法文 が 明示されている 成文法 の体系 を、慣習法に変更するのは、
 歴史 を 逆行させることであり、ありえないのでは?」
と、考えていました。

しかし、
今回、法とは、民衆一人一人が納得できないときには、
自分たちが 法を作ればよい とすることが、
ヨーロッパの法の根底 に 横たわっている
と すると、

「議会 でしか 法の改廃 が できない」とする
成文法の考え方より、

慣習法の社会のほうが、時代の変動に柔軟に対処できる
ということになるのでは?

という気が、しないでもありません。

米国の連邦最高裁が、
判決 を 梃子に、法律や法概念に 新たな展開を示した
(法 を 創造してきた)
と、言われるのは、このことによるのでしょう。

法の創造権能 は、

実は、連邦の最高裁だけでなく、
米国の市民一人一人が、潜在的に持っている権能ではないだろうか?

との仮説、疑問が、
今回の大統領選挙で、浮かんできました。

勿論、これを承認すると、
社会が大混乱に陥って、収拾がつかなくなり、

それこそ「万人による 万人に対する戦い」が
生じる恐れが ありますので、

一概に
「そうすべき」とか「そうあるべきである」とは 言えない
と、 思いますが、

「積み重ねの歴史」を積み重ねてきた アングロ・サクソンの皆さんが、
このような考え を 根底にお持ちになっておられること を 認識して、

「法とは何か」について、今後考えていくべきでは?
という気が、しています。

慣習法 は、
中世以来のレベルの低いものの考え方を引きずっているので

3000年来 築いてきて、成文法として 抽出された法概念 で、考えるべきだ
と、私も、従来から 考えてきましたが、

ひるがえって考えると、
人間社会 の 秩序維持が、法の目的ですので、

中世において、
多くの賛同 を 得た考え方 を

封建遺制だ と 切り捨ててしまうのは
いかがなものかな?

近代化された成文法が、
中世を引きずっている慣習法より優れている
とは、一概に言えないのでは?

と、考えるようになりました。

我が国 の 法学教育 や 法曹 の 皆さんは、
日常業務において、
法解釈学に もっぱら追われておられる毎日を
過ごされておられる と、思いますが、

法解釈学の根底に存在する
法とは 何か?
法が 存在する理由は、奈辺にあるのか?

慣習法と 成文法との関係は?
慣習法の機能は?
という

法学の原点について 考え直していただく必要性 を
今回の米国大統領選挙で 求められているのでは?
という気がします。

この点について、
素人の 口幅ったい言い方 と なりますが

ロースクールで学んで、慣習法のスペシャリストであらせられる
アメリカの弁護士資格をお持ちの方も、

成文法と慣習法について
虚心になって お考え直し頂ければ、と願っています。




| | コメント (0)

2020年12月22日 (火)

2020年 米国大統領選挙 で 改めて認識したこと・・・ 第2回 テキサス州の訴えを門前払いした連邦最高裁の決定について



2020年の米国大統領選挙に関して、

前回は、
1.米国は、地域共同体であること
2.米中戦争に関する頭の体操

を、お話しさせていただきました。

今回は、その続きとして、
 ネットで話題になった
 テキサス州の訴え を 門前払いした 連邦最高裁の決定 について
簡単に お話しさせていただきます。




          *************




3.テキサス州の訴えを門前払いした
  連邦最高裁 の 決定 について


私は、
法律の専門家でもなく、

アメリカ法について 全く知識を持たない
単なる歴史愛好家 ですので

法的な論点についての議論については、
全くの無知であり、

単なる素人の疑問をお話しさせていただくことを
最初に お詫びさせていただきます。


第一 の 疑問 は、
「当事者適格」について です。

半世紀も前、法学部の授業で、
今回話題になった「当事者適格」という言葉が、
頭の上を通り過ぎたような記憶があります。

たしか、裁判の原則の一つに、

関係した当事者しか、裁判に参加できない ということがあり、
関係ない第三者は、訴えを提起できない

とのお話だったような気がします。


今回 「当事者適格」がないとされた テキサス州 が、
本当に 当事者と認められない存在 だったのでしょうか?

テキサス州は、
トランプさんを大統領に選出していましたので、

他の州が、
憲法違反の方法で選挙を行った結果、

テキサス州が否定した バイデンさんが、大統領に選出されるとなると、

自分の州 の 正統な選挙結果 が、不当な方法で覆された と 考えて
異議申し立ての訴え を 提起するのは、

常識で判断すると、
当然のことだ と、是認されるのではないでしょうか。


また、
50の州は、合衆国憲法を批准していますので、
それに従う義務 が あります。

独立国である それぞれの州 に とって、
合衆国憲法は、
通常の国にとっての国際条約 と 同じような位置づけ
では ないでしょうか。

国際法違反 についての裁判をおこなうために
国際司法裁判所が 設置されているのと同様に

合衆国憲法違反の裁判を行うために
連邦裁判所が設置されたのではないでしょうか。

従って、ある州 が、
合衆国憲法を無視して、州は 独立国だから と いって、
勝手に、合衆国憲法と異なる法律 を 制定したことで

不利益を被った、ほかの州が提起した裁判は、
連邦裁判所 の 訴訟の対象となるのではないでしょうか。

今回の被告の州の行動は、
日韓条約を無視して 勝手な行動をとっている韓国と
同じ性格のものではないでしょうか?

素人判断で恐縮ですが、

テキサス州の訴えを門前払いするということは
連邦裁判所の設置した意義 を 否定するものであるように
感じられます。

ですから、
テキサス州が、当事者でないと否定した 最高裁の判断に
疑問が 持たれるのだろうと思います。


また、トランプさんが、
テキサス州の訴えに、原告として参加しています。

トランプさんが、

単なる訴訟参加したのか、
テキサス州とは別の訴えを提起して裁判を併合したのか
により

法的には 少し異なるようですが、

少なくとも、
今回の最高裁の門前払い の 決定 において
トランプさん についての言及 が、聞こえてこないことに、
大いに 疑問 を 感じます。

トランプさんは、
大統領候補で、当事者中の当事者ですし

当時、ネットで
「テキサス州は、当事者でないと、
 連邦最高裁 に 門前払いされるのを防ぐために、
 トランプさんが、原告に加わった」と、
トランプ陣営が説明している と 話題になっていましたから、

その人が訴えを、無視して お前は関係ないと門前払いするのは、
裁判所の決定として あり得ない のではないでしょうか。

テキサス州の訴えを門前払いしたことにより、
米国における司法部門の信頼が、失墜したのではないでしょうか。

国民の信頼を失った裁判所の行く末は、
野垂れ死のような予感がしますし、

同時に、
今後米国は、無法者が 好き勝手に跋扈する、地獄に転落するのでは?
という気がします。。


第二 の 疑問 は、

連邦最高裁 は、
判決の結果の社会情勢に 責任を持たねばならないのか?
と いうことです。


最高裁の門前払いの決定後、
ネットでは、

最高裁の決定の際に 最高裁の長官が、
「テキサス州の訴え を 受理して、テキサス州 が 裁判に勝利したら、
 暴動を生じて、大混乱が生じることになるが、

 最高裁の判事が、その責任を終えるのか。」
と、声を荒げて 主張し、ほかの判事を誘導したとの話題がされています。

(最高裁の事務局は、

 一つの部屋で合議したのではなく、リモートで合議したのだ
 と、否定しているようですが、

 マイクの前で、
 隣の部屋 に 聞こえるような 大声 を 出すことは あり得ますので、

 かえって、
 最高裁の長官 が、議論 を 無理やり リードしたこと を
 是認していることになるのでは?

 と、感じられます。)


もし、この話が真実だとすると、
次のような疑問 が 私の頭の中で 浮かんできました。

即ち、
裁判所 が 判決を出して、暴動 が 生じた場合、

その暴動 に 対処する責任 は、
司法部門ではなく、行政権 に あるのでは ないでしょうか。

裁判所は、
訴えを 法律的に判断することが 使命であり、

判決 ないし 決定が、適法であるかどうかについては、
責任を負わねばなりませんが、

その判決結果が、
どのような事態を及ぼすかについては、
責任を 負わないのではないでしょうか。

もし、法的判断のベースとなった法律が、
不都合な結果をもたらすようなものだったら、

立法府(議会)が、
法律 を 改正するべきだし、

その法律の不備 により、
暴動などの 不都合な事態 が 生じたら、

行政府が、
場合によっては 軍隊 を 使用してでも
事態を 収拾する責任 が あるのではないでしょうか。

それを、
最高裁の長官が、最高裁の判事に対して、

「暴動が生じた場合の責任 を 持てるのか」
と、脅迫するのは、筋違いだろうと思います。

最高裁の長官 が、
最高裁の判事たちにいうべきことは

「適法な判断をしたのか?」
であろう と 思います。


第三 の 疑問 は、

ネットの情報により、遠い日本から米国を眺めていると、

今回の最高裁の決定の本当のとことは、別の理由があるのでは?
との、疑念を持たざるを得ないのでは?
と 感じられます。

その 別の理由 を、表に出せないので

法律家 の 奥の手である「ウソ」を駆使して、
訴えを はぐらかしたのでは ないでしょうか?
との疑念 を 拭うことができません。


テキサス州 に 訴えられた 各州 が、
憲法違反して、選挙 を 実施したことは、

外形的な事実 であり
憲法違反 は 明らかですから、

連邦最高裁長官 が おっしゃた と
ネット で 話題になっている通り、

最高裁 が 受理して 裁判したら、
テキサス州 が 勝利して、

その後、
被告の州 に 憲法違反の選挙させた勢力 による 暴動 が
生じたかもしれません。

でも、それと同時に、
最高裁の判事の皆さんが、

脅迫されていて、その脅迫に屈したのでは?
との事態が、生じていたのでは?
との疑念 を 拭うことができません。


このこと は、
(脅迫 に 屈した ということ は、)

最高裁判所 にとっても
憲法違反の選挙 を 行わせた勢力にとっても

表面化したら不都合なこと ですので、

連邦裁判所 の 判事の皆さんは、

裁判 を 受理したら、
被告の州に 憲法違反を理由に 選挙無効の判決 を
下さねばならないのが 明白であるが故に

裁判 を 避けるために、
門前払いという 非常手段 を 用いた のでは ないでしょうか。


私が、
最高裁が脅迫されていたのでは?
との疑念を持つのは、

バイデン陣営の脅迫が、ネットでよく話題になると同時に、
現実に 不審な死を迎えている人のニュース が
報じられているからです。

たとえば、
ジョージア州知事のお嬢さんの婚約者が、交通事故で無くなっておられます。

公聴会で、

大統領選挙の集計作業 を 中断させて、関係者 を 帰宅させた後
隠していたバイデン票を取り出して、集計し、

突然 バイデンさんがトランプさんを追い抜いた現場の動画 を
ご覧になった ジョージア州知事が、

州務長官 に 再チェックを命じた翌日 に 起きた事故でした。

交通事故の翌日に、
ジョージア州知事が、態度を豹変させて、
州務長官への指示を取り消していますので、

脅迫 が あって、
従わなければこうなるぞとみせつけられたのでは?
との 邪推 が、浮かんできます。


また、
脅迫された人 の 家族、とりわけ 子供の通学先の学校を、
ネットでさらされた との話題 も 拝見しました。

脅迫者は、
単に、本人だけではなく、家族も脅しているのだな?

日本と異なり、
米国 では、各人 が 銃器を所持していますので、
自分はともかく、子供まで巻き添えにしたくないと考えて、
普通の人なら 脅迫 に 屈してしまうのでは?

と、考えると、
連邦最高裁 の 判事の皆さん が、
門前払いの決定 を された理由や動機 が、わかるような気がします。

尚、この点について、
日本と米国では、
安全 や 銃の取り扱い についてのルール が 異なっていますので、

日本人の感覚で、
連邦裁判所の判事の皆さん の 判断についての 是非 を
議論することは、差し控えるべきでは?

と、感じていますので、疑問(問題意識)のみを
お話しさせていただきました。

(注)上記の文章 は、
   門前払いの決定 に 賛成する と、申しているわけではないことを、
   念のため 申し添えさせていただきます。




| | コメント (0)

2020年1月14日 (火)

ゴーン氏海外逃亡により表面化したヨーロッパ文明と日本文明との差異・・・対外PR省 新設提言

この前のブログ
「米中対立 の 根底に潜む ヨーロッパ文明 の 解決不能な難問」で、

「積み重ねの歴史の国」であるヨーロッパ文明は、
文明内で共有したモラルに依存する部分が大きく、

「繰り返しの歴史の国」が、
ヨーロッパ文明(含む 日米)に対して
今まで征服されてきた意趣返しする際に

ヨーロッパ文明 が 共有するモラル を 逆用して、
攻撃してくるので、

今後は、
この攻撃に対して 対処する方策を、緊急に作成せねばならない
と、述べさせて頂きました。


このようなことを、毎日 考えながら過ごしている中で、
今回 の ゴーンさんの海外逃亡 の ニュース に 接して、

ゴーンさんが 非難する 日本の司法制度 について、
家内 と 話している中で、

同じ「積み重ねの歴史の国」である、欧米と日本でも、

モラルの違いから、
司法制度のあり方も 一見 真逆に見えることがあるな
と、感じられましたので、

今回は、
この辺について、少しお話しさせて頂きます。


     **********


最初に、
きっかけとなった、家内との会話をご紹介させて頂きます。

なお、家内は、
長年 国選弁護(刑事裁判)に 数多くかかかわってきた
元弁護士 です。

1.ゴーン氏 の
  「日本の刑事裁判は、有罪率が 99%で、有罪推定の国である」
  との批判をしている との報道 に対して

  私が、家内に
  「裁判になった事件だけを見ると、
   ゴーンさんのおっしゃる通りかもしれないが、

   検察 に 警察より 送検された 多くの犯罪 が、
   起訴されていない。
   (裁判 に 持ち込まれてない)

   何故、
   日本政府は、その点を海外にPRしないのだろうか。

   日本の検察 は、
   外国の予審判事のような役割 も 持っていることを、
   もっと 海外に 周知徹底すべきではないだろうか。」

  と、話したところ

2.家内 は、私の話 を 肯定した上で、

  次のような
  元弁護士、かつ 推理作家らしい 意外な謎解き
  を 言い始めました。

  「日本 も、推定無罪の国 から
   アメリカみたいな 推定有罪の国 に 根本的な転換を図らねば、
   海外からの批判 は 解消しない。」

  これに対して、私が、
  「一般的には、逆だと云われてないか?

   即ち、
   日本 は、推定有罪の国 で、
   欧米のような 推定無罪の国 と 異なるのが問題だ

   と、批判されているのでは?」
  と、答えると、

  「ゴーンさん を 初め、海外から 日本の検察は、

   人質捜査、
   弁護人不在の取り調べ
   取り調べに可視化が必要等と
   非難されているけど、

   このような批判 が 生じる根本原因 は、
   裁判所 が、推定無罪に忠実すぎるからだ。」と、

  更に 私には チンプ ンカンプン で、
  さっぱり理解できない話 を するのです。

  訝しがっている 私に、追い打ちをかけるように、

  「内心の故意 についての 裁判所 の 証明の要求 が、
   厳しすぎることが、検察 が 批判される原因である。」

  と、ますます訳の分からないことを言い出しました。

  そこで、謎解きを求めますと、

  「例えば、殺人罪では、
   殺意(殺す意志、殺す故意)が 必要とされるけど、

   被告人 が、殺意 があったか なかったのか(内心の故意)
   に ついての 本当のところ は、本人しか分からない。

   裁判所は、推定無罪 が 原則だからといって
   被告人の殺意 が 証明されなければ、殺人罪 は 適用しない。

   ところが、
   殺人の故意があったかどうかは,内心の問題なので
   被告人本人 が「殺意 が ありました」と、云わない限り、
   他に 証拠がないので 殺意 が あった とは 認定できない。

   これが、
   検察が、被告人に、自白を求める原因であり、

   被告人に自白させるための検察の捜査について
   いろいろ 批判されることになる。

   今回、良い機会なので、アメリカのように
   裁判所が、内心の故意について、自白がなくとも、
   外形標準 を 採用して

   即ち、
   これだけの事実 が あれば、殺意があった と、認定できるだけの
   周辺事実の証明 が あれば、

   殺意があった(内心の故意があった)
   と、認定して、殺人罪を適用するようにすれば良い。

   言い換えると
   「推定無罪」の 日本 も、
   アメリカ のように
   「推定有罪」の国 に 変貌すべきである。

   そのかわり、欧米と同じように
   捜査の可視化(取り調べを映像として残すこと)や
   弁護士同席での取り調べなど、
   どんどん 認めるべきである。

   そうなれば、被告人(弁護士も含めて)は、
   否認することも、黙秘することも、自由に行って良いが

   検察が、
   殺意に関する外形標準 を 証明すれば

   即ち
   このような事実が証明されたら、
   一般的には殺意があったと認定できる との事実 を
   検察 が 証明すれば、

   被告人から、これを覆す証明が無い限り、
   殺意 を 認定することにしたら 良い。

   例えば、三浦事件(ロス疑惑事件)で、

   日本では 無罪となったのに、アメリカで逮捕された三浦さんが、
   有罪必至だと観念して、拘留中に自殺をしている。

   これは、
   日本で、裁判所 が 無罪判決を出したのは、

   三浦さんが、否認し続けて 自白しなかったので
   (内心の)故意の証明がなかった と認定して、

   言い換えると、

   殺意 の 証拠がない と 認定して
   無罪判決 に至ったのであろうけど、

   外形標準(推定有罪)を 採用しているアメリカでは、

   殺意はなかった と 主張しても、
   周辺事実から、殺意 を 認定されて死刑になることを

   三浦さん本人 が、自覚していたのであろう
   だからこそ、三浦さんは、 拘留中 に 自殺したのはないか。


   検察は、

   当然 このことを 良く承知しているので、
   (日本では、自白がなければ、
    裁判所が、殺意の証明 がないと 認定すること)

   取り調べの際には、
   内心の故意を証明するために、自白 を 得ようとして、

   いろいろな手法、手段 を 用いるので、   、
   人質捜査だ、人権無視だ と、

   批判されることになる。」


3.殺意(内心の故意)の認定 を どうするかについては、
  考え方の方針の問題で、
  決定するまでには、いろいろな検討を経る必要がある
  と、思いますが、

  要するに、
  変更するか どうか の 問題ですから、

  最高裁の判例変更とか、国会の立法により
  変更することは 可能だ と、思います。

  でも、
  表面上 欧米と同じように変更すれば、
  それで済む問題 でしょうか?

  私は、
  欧米人と日本人の法意識、法感情について
  根本的な差異がある以上、

  表面上の対応を 見かけ欧米流に変更しても、
  日本では定着しないのでは との疑念 を 持っています。

  日本の歴史 を 見ても
  中国や欧米から どっと導入しても、

  時間が経つ内に、日本流に取捨選択して、
  いつの間にか 日本独自のものに 変容させてきたのが
  日本人、日本文化では ないでしょうか

  「推定無罪」との原則は、
  何もヨーロッパ文明の専有物ではありません。

  日本でも、
  江戸時代 大岡裁判のときでも、
  基本的な原則だった ような気が します。

  というのは、
  江戸時代、取り調べの際に、拷問が用いられたのは、

  日本人が、内心の故意について、
  本人しか分からないこと を 認識していたからでは
  ないでしょうか。

  犯罪 を 犯そうとする故意 が あったのかどうかは、
  本人しか分からないのです。

  例えば、
  ナイフ で 人を刺したことは、
  誰の目にも明白だったとしても、

  殺そうと思って(殺意をもって)刺したのか、
  たまたま ナイフを持っていたので、弾みで刺したのか は、
  本人しか 分からないのです。

  江戸時代に、
  外形的に故意があったと思われるときには、
  拷問を用いてでも 自白させた と 云うことは、

  本人しか分からないことは、
  本人 が しゃべらなければ、証明できない との法意識が、
  江戸時代の日本人にも あったからではないでしょうか。

  勿論、拷問により、
  ウソの自白 を 引き出すこともあり得ますので、

  果たして 正しい方法だったかどうか、
  定かには 断定できませんが、

  日本人は、
  基本的には ウソをつかない との性格がある と
  認識されていた との 前提を考えると、

  行き過ぎがあったかどうかは別にして、
  自白がなければ、故意 は 認定できない との
  法意識、法感情 が、江戸時代でもあった

  と、考えても良いのではないかと思います。

  欧米人は、例えば魔女裁判や異端審問で、
  無罪の人間 を 有罪に仕立てるために
  拷問を使用しました。

  人間は、自分と同じことをすると思いがちですから、
  日本人が、欧米人が拷問と感じることをしていたら

  自分と同じように、
  無罪の人間を有罪にするためにするのだ、
  と、思い込んでいるのでしょう。

  前回のブログで、
  「積み重ねの歴史の国」の人間には、
  「繰り返しの歴史の国」の人間が持っているモラルを
  理解できない、とお話ししましたが,

  それと同じように
  欧米人は、日本人の持っているモラル、法意識を
  理解できないし、
  理解しようともしないのです。

  私が、欧米人は、唯我独尊であると 感じる所以です。

  ですから、
  外形標準 で 内心の故意を認定することにしても、
  日本人の法意識、法感情 に なじまないのでは?
  との 私の疑問 に、

  家内 も 否定せず、
  「確かに、例えば、帝銀事件で 死刑判決を受けて、
   死ぬまで再審請求をして、私は殺していない
   と、主張した 死刑囚 は、

   結局 死刑を執行されずに、天寿を全うしたので、

   日本では、
   外形標準 で 内心の故意 を 認定するようにしても

   内心の故意 を とことん否定する人間 に 死刑を執行するのは、
   日本人の法意識、法感情からして なじまないかもしれない。」

  と、肯定したのでしょう。

  日本の裁判所 は、
  外圧 や 世論の動向 により、判断 が 左右される傾向 が
  ありますので、

  ゴーンさんの逃亡により、
  人質捜査とか、人権蹂躙 との批判 に 耐えきれずに、

  外的標準で 内心の故意 を 認定するように
  判例 を 変更するかもしれませんが、

  日本人の法感情 が、今までご説明したものであることから、

  明治以来、
  少なくとも、戦後70年間に亘って

  「自白がなければ 殺意を認定しない」
  と、維持されてきたこと を 勘案すると

  内心の故意 に ついて 判例変更しても、

  死刑判決 は 確定したけど、
  死刑の執行 は 今まで以上に行われなくなることが
  生じるのではないでしょうか。

  従って、
  裁判所の態度 を 変更するのではなく、

  日本人の法感情 を、欧米に広く説明して、
  正面から 日本の実情、日本人の法感情 の 理解 を
  深めて貰う努力 をすべきでしょう。

  日本の司法制度に対する批判は、

  現在においても
  20世紀初頭の黄禍論以来の
  欧米人の日本人に対する偏見、蔑視 が 根底にある
  と、思われますので、

  なおさら
  このような努力 を 日本政府 は、注力すべきだと思います。

  更には、
  慰安婦問題 や 徴用工(応募工)問題、南京虐殺問題など、
  いわれなき日本を貶めるための攻撃、

  あえていうと
  でっち上げのウソ に 基づく 周辺諸国の反日活動に対して、

  今までの外務省 は、
  効果的な対応をしてこなかった実績があります。

  今後
  「繰り返しの歴史の国」による
  「積み重ねの歴史の国」への攻撃 が、
  今まで以上に 激しく行われ、

  今まで以上 に 日本政府 が、
  反日活動に対する 厳しい対応 を 迫られることが
  予想されますので、

  反日活動 を 粉砕する対応 が、
  政府 に 求められるように なるのでは ないでしょうか。

  このような活動は、現状の外務省では、対応ができない
  と、考えられますので、

  新たに「対外PR省」の設置 が、必要 と 思われます。

  何故、
  外務省では対応できないと考えるのでしょうか。

  現在、外務省 は、
  方面別に専門家を養成しています。

  例えば、
  チャイナスクールとか、ロシアンスクール とか
  言われるのは、この現れでしょう。

  ですから、外交官 は、
  民間企業の営業マン と 同じような立場、境遇
  ではないでしょうか。

  営業マン は、
  客先に気に入られることが、
  営業成績を上げる前提となりますので、

  客先の要望 を
  自分の会社で 如何に実現できるかによって、
  営業マンの力量 が 判断されます。

  また、
  自社の事情を客先に説明しすぎて、客先の要望 に 添わない為に
  客先より 担当者 を 交替して欲しい と 云われたら、

  その時点で、
  その営業マン は、失格 ということに なります。

  外交官も、同じではないでしょうか。

  入省以来、その方面の専門家として養成されているからこそ、
  相手国の意向 に 日本 が 沿うようにすることによって、

  担当する相手国より 評価して貰い
  自らの昇進 に つながるのでは
  と、想像しています。

  対日の工作活動の一環として
  外務省 に 潜り込む工作員 は、論外としても、

  まじめに 外務省 に 入省した人 も、
  昇進を勘案して、相手国に気に入られるため、
  日本の国益 に 反する行動 を 取るようになるこ とが
  あり得るのでは と、想像しています。

  これは、官僚になったた友人が、
  学生のときに述べていた抱負(初心)が、
  その後 言動 が 変化したのを見ていますので、

  外務省でも 十分あり得ることだ と、考えています。

  ですから、
  相手国の意向 に 反する 日本国としてのPR は 勿論、
  日本に対して 敵対的な反日活動する国 に対して
  ロビー活動などにより対抗する行動 を 取ることは、

  民間企業の営業マンと同じ体質であると想像できる
  現在の外務省では、対応ができない
  と、判断せざるを得ません。

  日本国 の 国益 を 守るために
  対外活動する専門部署の新設 が 必要では、
  と、考える所以です。

  対外PR省の主な役割 は、
  次の3つでしょう。

  1.欧米人と異なる 日本人の法感情、ものの考え方 を、
    対外的に説明し、理解を深めて貰う活動

  2.慰安婦、旭日旗、竹島、尖閣、南京大虐殺など
    敵対的な反日活動 に 対抗して、嘘 を 暴き、

    日本 の いわれなきレッテル を
    相手国政府や、ロビー活動、海外マスコミ にPRして
    是正する活動

  3.日本文化などの、一 般的な日本紹介

  対外PR省が設置されても、日本文化の紹介以外は、
  現在 外務省が行っていない活動、
  もしくは、
  片手間でおこなっている活動ですので、

  外務省にとり、特に支障が生じることはないと思います。

  即ち、
  対外PR省 設置後 も、

  外務省は、
  従来通りの活動 を 継続することとなると思います。




| | コメント (0)

2019年12月25日 (水)

米中対立 の 根底に潜む ヨーロッパ文明 の 解決不能な難問

人類の歴史 は、
20世紀末(1989年)に500年来続いた国民国家の歴史が終焉して、
地域共同体更には地球連邦への歩みが始まったと考えています。

国民国家の歴史 の 最終局面
即ち、
帝国主義の時代 は、

第一次大戦 が、準々決勝、
第二次大戦 が、準決勝
冷戦(第三次大戦)が、決勝戦であり

人類の歴史 は、
アメリカ が、決勝戦で ソ連 に 勝利した途端 暗転し

国民国家 が 終了して
国民国家から地域共同体へ向けて、歩み出したのです。

(注)冷戦 は、
   原水爆 が 存在するようになったため、

   直接、米国とソ連 が 熱戦 を 繰り広げることが できなくなり、
   代理戦争の形で、半世紀近く 戦われて、

   1989年12月 マルタ島沖 サミット で
   (米国大統領 と ソ連のゴルバチョフ の 会談)
   終結すると ほぼ同時に、ソ連 が 崩壊しました。


冷戦が、終結してから 30年経った今年(2019年)に、
米中対立 が 勃発(表面化)しましたが、

その歴史的意味合いについて、どう理解すれば良いのか
困惑してしまいました。

歴史は、
500年間の国民国家の歴史が、決勝戦である冷戦 により 終了し
地域共同体、ひいては 世界連邦に向けて、
新たな歩み を 開始しているのですから、

米中対立を、歴史の歩みの中で

どの様に位置づけられるのか?
どのように理解すべきなのか?

について、困惑したのです。

そこで、
改めてヨーロッパ史 を 顧みてみたときに

米中対立 の 根底 には、
ヨーロッパ が築いてきた ヨーロッパ文明 の根底に潜んでいた
解決不能な問題 が

言い換えると
求めても 得ることのできない「青い鳥」が、露わになり、
大きく ヨーロッパ文明 に 立ちふさがっているのでは?

と、考えるようになりました。

従って、
ヨーロッパ文明、ひいては 人類の歴史 は、

「国民国家から地域共同体への道」

言い換えると
「茨の道」ではありますが、解決可能な道 を 歩み始めた
と、同時に

ヨーロッパ自身 の根底に 潜んでいた 解決不能な問題 が、
表面化して、その克服に 直面せざるをえなくなって


その意味で、
ヨーロッパ自身(含むアメリカ、日本)、更には 人類全体 が

新たな転換、体質改善 を
正面から取り組まねばならない状況 が 現在である

といえる と、思います。


即ち、
ヨーロッパ文明 及び 人類 は、

技術の発展に伴って、管理単位が拡大せざるを得ないことにより
国民国家より地域共同体へのスキーム変更 を

如何にして スムーズに 成し遂げるか という 課題と共に、

今まで 世界制覇したヨーロッパ文明 の 奥底 に 潜んでいた
これまで経験したことがない大きな歴史的課題 に 直面している

と、言えるのだろうと思います。


国民国家から地域共同体への動きについては
ホームページやこのブログで 何回か書かせて頂きましたので

今回は、
ヨーロッパ文明 の根底に潜んでいた 解決不能な難問
即ち
求めても 得ることのできない「青い鳥」について

少し お話しさせて頂きます。



   **********



1.難問が浮かび上がってきた経緯
  ・・・ヨーロッパ史 概観・・・


解決不能な難問 の 所在 を、ご理解頂くために
簡単に ヨーロッパ史を振り返ってみたいと思います。


ヨーロッパ文明 は、

ローマ に 侵入してきた フランク族 を 初めとする蛮族(ゲルマン人)
とりわけ
北フランス から ベルギー辺りに 住み着いた人々 が

ほぼ 1500年かけて、
居住地 を 拡大しながら 築き上げてきました 文明 を
核 と しています。

彼らは、蛮族といわれるように、

最初は、
ギリシア、ローマ文明 と 比すべくもない
およそ 文明から 遠い存在の持ち主 でしたでした。

それが、時代 を 経る毎に、
外部の文明を吸収し、レベルを上げていって、
(「積み重ねの歴史」を 積み重ねて)

 
16世紀には、
それまで 先生としてきた「繰り返しの歴史」のイスラム文明 と
肩 を 並べるまでになったのです。

(注)1571年 レパント の 海戦 が

   「積み重ねの歴史」の ヨーロッパ が、
   「繰り返しの歴史」の イスラム と
   肩 を 並べるに至ったことを 象徴する事件

   言い換えると
   人類の歴史における 転換点、分水嶺
   のような 気がしています。


その後

ヨーロッパ における 技術面の進歩、
とりわけ
兵器の発達 が 著しく、

ヨーロッパ諸国 は、新大陸の発見以降
大航海時代 を 経て、世界中に進出し、

19世紀には、
日本を除く世界中 を ヨーロッパの植民地として
支配するようになりました。

(注)タイ が、植民地 とならなかったのは、
   イギリス と フランス の 間に挟まれた 緩衝国 だったからです


最初に申し上げた 帝国主義の時代 とは、

「繰り返しの歴史」の国々 を 征服し 世界制覇して

謂わば
予選リーグ で 勝ち残った と云うべき
ヨーロッパ諸国間 で 戦われた

決勝トーナメント における チャンピオン決定戦 でした。

(注)ヨーロッパ には、
   ヨーロッパ文明 を 構成する アメリカ、日本なども 含みます。


20世紀 に 3度に亘る 戦いの結果、

皮肉なことに
本家というべき ヨーロッパ 諸国 が 脱落して、

いち早く 地域共同体 を 形成していた 分家筋にあたる アメリカ が、
この決勝戦 に 勝利したのです。


アメリカ と ソ連 の 決勝戦 は、代理戦争で戦われましたが、
本質は、地域共同体同士 の 総力戦 でした。

アメリカ は、
一見 国民国家として歴史 を 歩んできたように 思われていますが、

その本質は、
13の国(States)が 集まって 地域共同体 を 形成して 建国し、
現在 は、50の国(states)からなる 地域共同体 ですし、

ソ連 も、ロシア が、
ソ連邦 という域内諸国家を「内なる植民地」とし、
これに加えて
東欧という「外となる植民地」を 糾合して形成した 地域共同体 でした。


このため、
地域共同体 より 規模において
一回り も 二回り も 劣る 国民国家だった

ヨーロッパ列強(英、仏、独)と 日本 が、
決勝戦 に 進出できなかったのは、

当然の結果というべきでしょうし

第2次大戦後、ヨーロッパで 地域共同体が形成されたのも
当然の論理的帰結だろう と、思います。

(注)EUの今後について、ご興味のおありの方は
   次のブログ を ご参照頂ければ 幸いです。

   EUは、一度解体の憂き目にあうのでは?

   第1回 2017年5月現在 EUに対する処方箋

   第2回 2017年5月現在 EUの 問題点の所在 と 前回の処方箋の理由

   第3回 EUが、地域共同体の歴史の前例と 異なる点


また、決勝戦において
地域共同体 として より緊密な紐帯 を 持つまでに 深化した
アメリカ が、
ソ連 に 勝利したのも、順当な結果というべきものでした。

決勝戦 で 勝ち抜いた そのアメリカ も、

勝利して間もなく、歴史の現段階 においては
1つの国(1つの地域共同体)である アメリカ が、
世界 を 支配するには(世界制覇するには) 力足らずであること
を、露呈しましたので、

これからの時代は、
地域毎に 形成される 地域共同体 の 共存共栄、
戦争でない フェアーな競争の時代 に なるのでは? と、

国連好きな日本人らしく
私は、密かに 希望を 膨らまして 大いに 期待していました。


ところが、このような状況の中で、

米中対立、
即ち
アメリカ と チャイナ の 正面衝突 が、勃発したのです。

私は、困惑しながらも、

対立が生じた所以 を 紐解くには、
もう一度、ヨーロッパ史 を 振り返って

対立 が 生じた所以 は 何か?
今まで 見落としていた 要素 は 何だろうか?

更には、
米中対立 の 本質 について、深く考える必要が あるのでは?

と、考えるようになりました。


というのは、

チャイナは、
ヨーロッパ文明を構成する諸国のような
「積み重ねの歴史」の国ではなく、
「繰り返しの歴史」の国(地域共同体)であり、

「積み重ねの歴史」で 勝ち抜いた チャンピオン の アメリカ と、
直接 武力(戦争)で 争ったら、

冷戦後崩壊し 敗れ去って消滅した ソ連同様、
勝負にならないことは、明かですので、

「何故、チャイナ が アメリカ に 対抗できる のだろうか?」
「何故、アメリカが  チャイナ を
 相手するに足る ライバル として 扱っているのか?」
との 謎解き が、求められている
と、思われるからです。


この謎解き を あれやこれや考えている内に
今回 お話しする
「ヨーロッパ文明 の根底に潜んでいる 解決不可能な難問」
が 見えてきましたので

今回お話しさせて頂こうと考えた次第です。




2.ヨーロッパ文明 の根底に潜む 解決不能な 難問

以下の拙文は、私の歴史分析からの理論上の仮説であり
歴史を考える上でのご参考になれば と
お話しするものです。

特定の国を非難するものでないことを ご了解下さい。



ヨーロッパ文明の解決不能な難問 とは、
何なのでしょうか。

具体的なイメージを持って頂くために
「ニュースソースの秘匿」を例に挙げて ご説明させていただきます。


「ニュースソースの秘匿」は、
ヨーロッパ文明 が 長年苦労して 築き上げた 金字塔の一つ です。

マスコミが、
事実 を 正確に 真実 を 報道するには、
そして
それを維持するには

報道する 当該ニュース を
どこから、誰から、取得したのか について、

裁判 で 刑事罰 を 課されるぞ と 脅かされても
証言を拒否して 守らねばならないケース が あったのです。


その為、

記者の方の中には、刑事罰を覚悟して、
自分自身の人生や生活を犠牲にしてまでも

「ニュースソースの秘匿」を 守るために戦った方 が おられました。

そして、
その戦いの歴史 を 積み上げることにより、
ヨーロッパ(含む アメリカ)において

「マスコミ は、ニュースソース を 秘匿する義務がある」との
社会的なコンセンサス が、徐々に 形成されてきました。

この「ニュースソースの秘匿」は、
「真実、事実に基づくニュースである」

即ち
「ウソでないし、フェイクニュースは報道しない」
との モラル を 前提としていました。

そして、その前提は、

報道するマスコミや記者 を 信頼して
証拠の提示を求められないで 認められていたのです。

もう一度確認しますと、
「ニュースソースの秘匿」は、

「ウソ を つかない」との
ヨーロッパ文明のモラル に 従うこと を 前提にして
成り立った原則だったのです。

もし、
記者 が、「ニュースソースの秘匿」の原則を悪用して

即ち、
モラル に 反して
ウソ を 報道する事態 が 何度も生じたら、

「ニュースソースの秘匿」など、認められるか
との 世論の高まりによって 認められなかったでしょう。

その意味で、
ヨーロッパのマスコミ の 長年の 努力 と 苦闘 の 結果
漸く勝ち取った成果 でも あったのです。

ヨーロッパ文明 が、世界制覇して、
この「ニュースソースの秘匿」も、世界に広まり、
マスコミ報道 の 基本的な原則の一つ と なったのですが、

ヨーロッパ文明 の モラル に 属さない
端的に言うと
ヨーロッパ文明の外にいた「繰り返しの歴史」の国の人々にとって、

「ニュースソースの秘匿」は、
自分 の 好き勝手 に 世の中 を 誘導できる 便利な武器 となり、

平気で ウソ を 報道 で まき散らして、
自らの政治行動 の 武器 として 利用するように なったのです。

いかにもありそうな「ウソ」を報道しても、
ニュースの根拠であるソースを開示することを拒否できますので、

でたらめなニュースを世間に広めて、印象操作により
敵と見做す相手にダメージを与えることが簡単にできるのです。

日本 に おいても、朝日新聞 の、
戦後 間もなくの 共産党 伊藤律会見 や
その後の 珊瑚報道、更には 慰安婦報道と、

ウソ を 平気で 報道して、恬として恥じない態度に、
さすがの日本国民 も あきれて、最近 どんどん読者を失っている
と、ネットで言われていますし、

日本は、
ヨーロッパ文明と同じ「積み重ねの歴史の国」ですから、

このようなマスコミの態度に反応して
「ニュースソースの秘匿」への日本国民の支持が、
従来ほどではなくなってきている のでは ないでしょうか。

最近 ネットでは、マスコミは、
「マスコミ」とよばれず「マスゴミ」と ゴミ扱いされているのも、
このような 信用失墜の現れ のような気がします。


ヨーロッパ文明のモラルに属さないことを、
日米のマスコミ は、
大々的に有効に利用して活用している
と、感じられます。

日本から眺めているので、漠然とした感じですが、

日本 の 野党 や マスコミ の 安倍首相攻撃と
アメリカ の 民主党 や マスコミ の トランプ大統領攻撃 が、
同じような性質 に 見えるのは、私だけでしょうか。


これらの原因 は、

「繰り返しの歴史」の人には、
「積み重ねの歴史」の国におけるモラル に 拘束されないし、

「積み重ねの国」を 攻撃する際の 武器 となる
との原則に従っていると言うべきでしょう。

「ニュースソースの秘匿」の原則から、

ウソをつかない、真実のみを報道すること
を 除いたら、
「ニュースソースの秘匿」は、早晩存続できなくなることを、

「繰り返しの歴史」の人々
及び
それに従っている工作員 の 皆さんには、分からないのです。

特に
「積み重ねの歴史」に所属する(日米の)マスコミの方は、

マスコミ は、

市民代表(国民代表ではない)で
無冠 の チャンピオンであり、
何をやっても 許される と、勘違いして、

「報道の自由」とは、
自分たちが好き勝手に(フェイクニュースを)報道することだ
と 傍若無人に 振る舞っていて

現在のマスコミ が あるのは、
先輩達 が 長年の苦労と努力の歴史 を 積み重ねた結果であること に
思い至らないのです。



3.解決不能の難問 の 本質
・・・「繰り返しの歴史の国」による モラル無視・・・


ヨーロッパ文明の 基本構造は、
「ニュースソースの秘匿」の例と同様なのです。

即ち
社会秩序の維持を担う法学において
事細かな法律=ルール を 定めていますが、

人間社会の全ての現象を
個別的に 先回りして決めておくことができないことから、

最終的には、

裁判官のリーガルマインド
即ち、
モラルによる判断
に、委ねているのです。

この点については、
「法学」は、他の学問 と 異なる本質 を 有する学問であることについて
で、詳しく述べていますので、
ご興味のおありの方は、そちらをご参照下去るようお願いします。


ですから 難問の本質 は、
ヨーロッパ文明自体 そのものであり
謂わば、
自分の細胞 が 変質した ガンみたいなもの なのです。


ヨーロッパは、世界制覇し、
武力で「繰り返しの歴史の国」を屈服させ、従わさせました。

逆の立場 の 支配された人々 の 屈辱 は、
いかばかりだったのでしょうか。

今回の米中対立は、
今まで抑圧されてきた「繰り返しの歴史の国」のチャンピオンによる
反撃の最初の狼煙 のようなもの のように感じられます。

「繰り返しの歴史の国」の人々は、
「積み重ねの歴史の国」のように、新たなものを積み重ねること は
不得意かもしれませんが、

積み重ねられて できあがったものを、
それらしいものに「まねすること」は できるのです。

チャイナは、旧ソ連から
ジェット機や空母、原水爆、ロケットまで入手しています。

力を蓄えてきた これからのチャイなの矛先 は、
アメリカの先端技術でしょう。

これに対して
アメリカ は、チャイナのサイバー攻撃 を 非難していますが、

アメリカ の 先端技術 を、
チャイナ が 入手しようとして、アメリカに禁止されたら、

自らが 作ることが できない以上、ロジカルには
アメリカ の コンピューター に 潜入して
盗むしか 手段 は ないでしょう。

「積み重ねの歴史の国」に 属する人々 なら、
泥棒は、そのモラル が、抑止力 に なるのでしょうが、

「繰り返しの歴史の国」に属する人々は、

ヨーロッパ文明のモラル の 外の存在 ですから
自らのモラルに従って行動する故に、

ヨーロッパ文明のモラル が、抑止力になることは
あり得ないとのいうのが 論理的な結論でしょう。

従って、一見 国家ぐるみで
ヨーロッパ文明のモラル を 無視しているように
見えるのではないでしょうか。

言い換えると

うまく盗めた人間は、 国民的英雄ですし、

ハッカーの能力を有する人を、
高額の報酬で雇用して働かせるのです。



人は、所属する組織のモラルに従います。

日本人は、日本のモラルに
欧米人は、欧米のモラルに従うのです。

日本と欧米は、同じ「積み重ねの歴史の国」ですので

両者のモラルを比較すると、
似通っていて、大きな差異がない故に、

欧米人が、日本人に、欧米のモラルを 主張しても、
大きな違和感 や 摩擦 が 生じません。


同じように、
「繰り返しの歴史の国」の人々も、
彼らの国のモラル に 従うのです。

彼らのモラルは、経てきた歴史の性格が異なる故に、
ヨーロッパ文明のモラルと大いに異なります。

従って、
彼らが、外国人と接触する際に、
国内の日常生活と同じように、
彼らのモラル に 従って行動すると、

「積み重ねの歴史の国」のモラルと 大きく乖離している故に
衝突や摩擦が生じるのです。

困ったことに、
世界制覇した「積み重ねの歴史の国」の人々は、

全くモラルが異なる、

言い換えると
別の世界に住んでいると言えるくらい
価値判断の基準となるモラルが 異なる人々が

存在すること
 及び
彼らのモラル および そこから生じる 考えや行動 を

理解できないし、

敢えて、極論すると、
そのような人々がいることを、 想像すら できないのです。

ですから、
「繰り返しの歴史の国」の人々も、
世界制覇した「積み重ねの歴史の国」が、
築いてきたモラルに従って ものを考え、行動する義務がある
と、考えているのです。

「積み重ねの歴史の国」が、世界制覇した結果、
国際関係において
「積み重ねの歴史の国」のモラルが 適用される建前
に なっていますので、

この差異を
「繰り返しの歴史の国」の知恵者が、意図的に利用し、
 
「繰り返しの歴史の国」は、
ヨーロッパ文明のモラルを素知らぬふりをして

国内で行動するのと同じように
彼らのモラルに従って 自然体で 行動することにより

「積み重ねの歴史の国」に、
攻撃を仕掛けることが可能となるのです。

例えば、
「ウソをついても、騙される方が悪い」
「約束は、都合が悪ければ 破っても構わない」
とのモラルを有する国の人が、

国際関係において
「積み重ねの歴史の国」に対して、
国内での行動と同じように振る舞えば、
その結果は、明かでしょう。


ですから、
アメリカ が、どうしても我慢ができないなら、
チャイナ を 武力で叩くしか方法がないのですが、

現代は、原水爆 が 存在する時代で
「繰り返しの歴史の国」である チャイナ も、既に 所有しているため、

トランプ大統領 は、
レーガン大統領のソ連攻撃に倣って
今回 経済戦争 を 仕掛けざるを得なかった のでしょう。

即ち、
武力で 屈服させられないので
経済力で 屈服させようとしているのです。


これが、米中対立が生じた原因についての
私の仮説です。


今後は、
今まで抑圧された反動として、

チャイナ以外の「繰り返しの歴史の国」も、
ヨーロッパ文明に対して挑戦してくるようになる と 思われます。

その一つの現れ が、
最近の日韓関係 の 本質では ないでしょうか。


彼らが 攻撃する際には、
ヨーロッパ文明の一番の弱点、アキレス腱 を ついてくる
と、思われます。

即ち、

ヨーロッパ文明が築いたルール に 一見 従うふりをして、
そのルール の 中核部分 を 構成している モラル を 無視して
攻撃してくるのです。


先ほどご紹介した例えの通り、

韓国 は、
「約束したこと を 守る」
「ウソついたら いけない」との モラル を
無視しています。

受けて立つ ヨーロッパ文明 は

人間の活動の全てにに対して、
事前にルールを定めることが不可能故に
モラルに依存している部分が多いため

ヨーロッパ文明のモラル を 無視して攻撃されると、
現状では 無防備なのです。

というより
モラルが異なる ヨーロッパ文明の外の人々が行う行為に対しては

本質的に お互いの価値観 が 異なるため
対応 が、不可能ですので、
対処療法 が、現状では 未確立 である というべきでしょう。


このような「繰り返しの歴史の国」の人々は、
彼らの文明のモラル に 従って行為すること を 理解した上で
彼らの ヨーロッパ文明のモラル無視に どう対処するのか、

「積み重ねの歴史の国」が、
その方法論 の 早急な確立 を 迫られていること
を、認識して、

早急に 対処すべきでしょう。


外交用語に
「価値観を共有する」との文言がありますが、

「積み重ねの歴史の国」と「繰り返しの歴史の国」は、
価値観を共有することは、絶対にあり得ない ことを
肝に銘じるべき でしょう。

私は、
「繰り返しの歴史の国」の人々も、
赤ん坊の時から「積み重ねの歴史の国」の教育を施せば、

1世代もすれば、
「繰り返しの歴史の国」が「積み重ねの歴史の国」に 変貌するのでは
と、期待していました。

ところが、
戦前に この経験をした韓国 が、
戦後 日本統治から離れたら、もとの「繰り返しの歴史の国」に
先祖返りをしていますので、

教育により「繰り返しの歴史の国」を変革するのは不可能だ
と、身にしみて理解しましたので、

今では、
教育により対処する方法は、対策とはなり得ないと 確信しています。

考えてみたら、
それぞれの国 において
連綿と続いた歴史の結果が、現在ですので、

短期的な方法や手段で、対処することは
不可能であり、意味がないのは 当たり前のことです。

もし、その国のモラル(例えば、韓国民のモラル)を
教育で 根底から変えることが可能だ としても、

数百年、
朴槿恵流の言い方をすると 1,000年以上の歳月
が、必要でしょう。

ですから、先ほど申し上げたように、

「積み重ねの歴史の国」は、
「繰り返しの歴史の国」自身の変革を 試みるのではなく

彼らの 復讐攻撃 に どう対処するのか、
早急に抜本的な対策 の 確立 が、求められているのだろう
と、思います。

ブッシュ大統領 の 言い方をすると
「繰り返しの歴史の国」に対する、新たなテロ戦争
みたいなものでしょう。

現在、日本も
韓国の反日攻勢 に さらされていますので、

以上述べたことが、本質として 根底に 潜んでいることを
担当されておられる方々が、ご理解下さったうえで

対処方法を立案下さることを 願っています。



追記 2019年 12月27日 記述


4.「積み重ねの歴史」の 内部 の 異分子 ユダヤ人 


現在、米中対立 が、表面化して、
リング上での戦い と なっていますが、

ヨーロッパ文明の諸国
とりわけ
アメリカ に 潜り込む際

チャイナが先例として
参考にしてきたと思えるのが、ユダヤ人では?
との気がします。


ユダヤ人が、

歴史に埋没せず、民族としてのアイデンティティー を、
約2,000年間 維持してきた理由 については、
次のブログ を ご参照下さい。

「ネイションという神話」
第1回 ユダヤ人が、民族として存続した理由
第2回 ディアスポラ(離散の民)について


ユダヤ人は、

19世紀 世界制覇 を 実現した ヨーロッパ文明 内部 に
唯一 異分子として 残った「繰り返しの歴史」の民族でした。

彼らは、
事ある毎に迫害され、ゲットーに隔離されてきました。
自らの国家の庇護がなく、
迫害されても 個人、個人で対応せざるを得なかったため

他の住民から、後ろ指を指されないように、
ひっそりと目立たないように、
しかも、
揚げ足を取られないように 生活していたのだろう
と、思います。

ただ、
ユダヤ民族としてのアイデンティティー を
約2,000年来維持してきた

ヨーロッパ文明の外に位置する
ユダヤ教、及び ユダヤ民族のモラル を
頑なに守り通してきたのでした。

ですから、
住んでいる地域の法律には 形式的には守るけど、
法律 を 支えている モラル は、無視して 守らず、
ユダヤのモラル を 忠実に 従っていたのです。

このことは、
「ベニスの商人」を思い起こして頂ければ、
ご理解頂けるのでは、と思います。

要するに、ユダヤ人は、
ヨーロッパ文明のモラルの外に存在する
ヨーロッパ文明内での 異質の民族でした。


この異質で、
ヨーロッパ文明のモラル に 従わない行動 が

ユダヤ人 が、ヨーロッパ で
嫌われて、迫害 を 受ける原因 になったのでは?

との仮説 が、成立するのでは と、感じられます。 


ユダヤ人は、
迫害を常に念頭に置いて生活をせざるを得ないため、

頼りにしたのは、
逃亡の際に持ち運べるお金、宝石類、貴金属でした。

それと同時に、
できるだけ財産を増加させて、事業 を 拡大させることにより
ヨーロッパ文明内での 発言力の増大 に 傾注してきました。

アメリカ で、
有名な財閥家族 に ユダヤ人 が 多く見られるのは その為です。

産業界、金融界で重きを置くようになったユダヤ人は、
マスコミや政界に食い込むようになります。

アメリカのマスコミは、殆どユダヤ資本だとのことですし、
(最近は、チャイナ資本も進出しているとのことです)
政治の世界でも、
ユダヤ人の意向に原則として従っているような感じがします。

少なくとも、アメリカ政府は、

イスラエルと同盟関係以上の関係

即ち、
イスラエル政府の意向に従って、
すくなくとも
相談しながら

政策 を 遂行しているような 気がしています。

従って、現代アメリカにおいては、
舞台の袖で、ユダヤ人 が 政治家の振り付け を 施している
と、言っても 過言ではない様な感じがします。


チャイナ は、
このような ユダヤ人の行動、影響力 を 参考にして、

自分たちも 同じような存在 となって、
アメリカを操ろうとしたのではないでしょうか。(仮説)

近年、
マスコミやハリウッドを買収して 世論 を コントロールし、
ロビー活動の自由を活用して、金をばらまいて、

特に、民主党 に 影響力と行使しようとしてきたのでは
ないでしょうか。

例えば、

クリントン大統領やオバマ大統領は、
中国と親密だと云われていますが、

時々、親族の方とチャイナの関係が、
マスコミで話題となることがありますので、

単なるおつきあい以上の経済的な関係があるのでは?
との気がしています.


朝鮮人の日本における行動を、チャイナが、
アメリカで、同じような行動を行う と、仮定すると、

チャイナは、自国民 を
どんどん アメリカ に 送り込んで 帰化させて、

アメリカ人 を 金で動かすだけでなく、

アメリカ に 送り込んだの人々の 2世、3世 を 使って
アメリカをコントロールしようとするのではないでしょうか。

目標は、
チャイニーズ系アメリカ人のアメリカ大統領 の 実現でしょう。

もし、以上のことが、現実に行われたとしたら
これは、外国に対する内政干渉 そのもの ですので

ヨーロッパ文明のモラル では、許されざるもの ですが、
ヨーロッパ文明の外に位置する チャイナにとっては、
何の問題のない、当たり前のこととなります。

この行為を、
ヨーロッパ文明のモラル に 従って

「あるはずがない」と、否定してかかるのは、
大きな錯誤だと 云わざるを得ない と、思います。

トランプ大統領 が、

マスコミの 報道 を、信用しないどころか
フェイクニュースと正面から非難して、

ツィッター を 使用して 直接国民に呼びかけているのは、
マスコミ支配 に 対抗するためですが、

そのマスコミの後ろに、チャイナが存在しているとしたら

大げさにいうと、
アメリカを 内から蝕んで 存亡の危機をもたらす事態
ではないでしょうか。


ユダヤ人 と チャイナ の 違い は

ユダヤ人は、
ローマ以来住み着いていた社会の隅っこで
ひっそりと生活することから始めました。

平穏な生活をするために、
自分を守るために、
できることを努力したのです

これに反して、チャイナは

ヨーロッパ文明の外の人間であり
自分の利益のため との 個人的事情により、
移住してきている人々なのです。

言い換えると、欧米人にとって

ユダヤ人は、
異質の人だけど 昔なじみの人々 でしたが

チャイナは、
最近面識ができた 初対面の人みたいな存在なのです。

面識もなく 性格も 不明な人 が、
大っぴらに その社会 の モラルに反すること を 平気で行えば、

その経済活動 で 便益 を 得たり、
買収されて 工作員 となった 人間 以外の 普通の人から、

嫌われて、迫害され、つまはじきにされるのは、
人間社会においては当たり前のことでしょう。

(注)アメリカでの 韓国人攻撃 が、時々ニュースを賑わすのは
   このことが原因であるような気がしています。


「繰り返しの歴史の国」の人々は、
ヨーロッパ文明のモラルの外に存在する人々ですから、

ヨーロッパ文明が築き上げてきたモラールに拘束されず、
平気でそれに反する行動 を 取るのです。

このことは、
ユダヤ人 や チャイナ に 限らないことは、

「繰り返しの歴史の国」である 最近の韓国の反日活動を見ても、
ご理解いただけると思います。

本日(2019年12月27日)
韓国憲法裁判所が、 日韓の慰安婦合意について

「政治的合意で、法的拘束力がない。
 文書を取り交わしておらず、批准もされていないものだ」
と、吃驚するような判決を下しました。

これは、朝鮮人が、
「繰り返しの歴史の国」の人々であり、

「積み重ねの歴史の国」であるヨーロッパ文明が
築き上げてきたモラルの外に位置していることを表しています。

ヨーロッパ文明側(含む日本人)からすると
アウトロー、無法者の所業ですが、

彼らにしたら、
「何が悪いのか?」と、云うことでしょう。

このような行動を取ると、
諸外国から金輪際相手にされなくること

即ち
条約などの合意は、締結できなくなることに
思い至らないのです。


従って
日本が、ヨーロッパ文明のモラルに従って
安倍首相 が、文在寅大統領に
「約束を守れ」と 強く主張しても、何の効果も生まれないのです。

彼らが従っている モラル は、
「約束 は、都合 が 悪ければ 破って構わない。」
「ウソついて、人を騙しても構わない。
 ウソを信じて、騙される人間が 悪い(馬鹿である)」
と言うことなのです。

「積み重ねの歴史の国」は、世界制覇した故に、
自分たちのモラル以外 あり得ないと思い込んでいるのですが、

実は、
「繰り返しの歴史の国」のモラルは、
「積み重ねの歴史の国」の人にとって、
想像 を 絶するもの では ないでしょうか?

ですから、
一度約束した条約を 自分の都合で破るのは、
彼らのモラル上、当たり前のことであり、

多分、安倍首相に「約束を守れ」といわれた文在寅大統領は、
「何故、そんなことを云うのか?頭がおかしいのでは?」
と、内心 舌 を 出して、
軽蔑の眼で 安倍首相を見ているのでしょう。


従って、
彼らを動かすには、
経済制裁などの 実力 で 屈服させるしか 方法がないのです。

そろそろ、断交 の 前段階である
韓国 を 経済的に 即死させる 金融制裁 を 行う時期が、
近づいているような気がします。


チャイナは、1,000年以上にわたって
宗主国として 力尽くで 朝鮮 を 従わせてきたようです。

というのは、ネットを拝見していると
チャイナの外相が、日本も チャイナ同様の対処を韓国にしたら
と、助言されておられるようだからです。

朝鮮人は、頭を力で押さえつけるチャイナには、従順に従い
易しく、援助して助ける日本には、
上から目線 で 説教 を たれるし、

日本から金銭や技術を いつでも もぎ取ることができると
なめきっているのです。

また、朝鮮人が、
日本国内 に 入り込んで、マスコミ や 産業界だけでなく
官庁、自民党、内閣にまでも、影響力を及ぼして、

日本を貶めようと工作していることは、
ネットの普及により 明らかになってきました。

困ったことに、

A.2世、3世の朝鮮系日本人 が、

  必要に応じて「日本人 を 代表して」と 名乗り、
  実質 朝鮮人として 朝鮮 の為の 工作活動 に
  従事していることと、

B.韓国や北朝鮮国籍 の 在日朝鮮人が、

  朝鮮名 を 名乗らず、
  通名など の 日本人の名前 を 使用していることが、

ことを複雑にしています。


これらの攻撃に対して反発し、対抗する動きが、
嫌韓感情と云われるものです。

韓国人は、
日本で 自分たちを攻撃されると、ヘイトだ と、喚き散らかせて、
条例などの制定をさせていますが、

韓国国内では、
日本でヘイトと云われているものは、
「幼児のおままごと」のように思われるくらい の
論外な反日活動を行っていますので、

今後、これにも 対抗措置 を 執るべきでしょう。


また、
慰安婦や徴用工(応募工)を初めとして、
竹島、旭日旗やレーダー照射問題、仏像不返還など、
ヨーロッパ文明のモラルに反する韓国の主張、宣伝に対して、

外務省 が、責任を持って、
断固たる対応 を とられることを期待しています。

このことにより、
外務省 が、
ネットで「害務省」といわれている汚名 を
雪ぐ日が来ることを願っています。


少々過激な文章となってしまいましたが、

人間の性格として、

自分のモラルは、他人にも理解してもらえるだろうと
アプリオリに期待するものだろうと思います。

ましてや、欧米人は、
地球上全ての地域を制覇したヨーロッパ文明のモラルは

英語などと同様に、
世界共通の理解事項だ=世界基準だ と、
思い込んでいるのでしょうが、

ここが、盲点なのだろう と、思われます。

最近のチャイナ や 南北朝鮮の行動 を 見ていると、
彼らのモラルは、
ヨーロッパ文明が培ったモラル とは 全く異なっていて

しかも、
彼らは、ヨーロッパ文明を無視して、

「ウソに騙される人間が悪い」
「約束は守らなくてもよい」
「ヨーロッパ文明のモラルは、
 自分の都合に合わせて 曲解して利用すべきだ」等の

自分たちの都合の良いモラル に従って行動している
と、考えるべきではと感じられます。

従って、
地球上の歴史には、
「積み重ねの歴史」と「繰り返しの歴史」の
2つの世界が、別々に 並列して 存在し、

21世紀に入り、
「積み重ねの歴史」に屈服してきた「繰り返しの歴史」の復讐 が
モラルの差異を梃子に 開始されていて、

米中対立は、
その最初に大きく表面化した事件であること


しかも、
このことは、日本にとり対岸の火事ではなく

日韓関係、尖閣問題、更には沖縄に対して
日本人自身に火の粉が既に降りかかっている
重大な現実であることを

ご認識いただいて、お考え下さるようお願い申し上げます。


ユダヤ人は、
ヨーロッパ文明内部の異分子でしたが、

ヨーロッパ文明の範囲内で、
自分たちへの迫害を防御し、自分の利益を追求しました。

21世紀の「繰り返しの歴史の国」の人々は、

ヨーロッパ文明の外にいて、
ヨーロッパ文明のモラルを無視するか、
都合の良い部分をつまみ食いして

自分たちを侵略した ヨーロッパ文明 に復讐して

貶め、没落さそうとしていることへの 認識と防御 が、
緊急に求められているのでは、と思われることを、

ご理解いただき、行動に移して頂ければ幸いです。


                        以 上



| | コメント (0)

2019年9月22日 (日)

「法学」は、他の学問 と 異なる本質 を 有する学問であることについて

先日、大学時代の友人と飲みながら、
この四半世紀考えてきた結論を話したのですが、

何せ酔っ払った上での 話故に、
しらふでまとめておいた方が良いと考えて、
久しぶりにブログを書くことにしました。

友人は、トップクラスの優秀な弁護士ですので、
それ故に、この数年 会う度に、
「法律家はウソつきだ」と、悪口を言ってきましたので、

その理由を、
お詫び旁々お話をしておきたいと思い、話しをしたのですが、

先ほど申し上げたように、
酔っ払っていたものだから、返って逆効果になったのかな?
と、心配になったのが、

このブログを 書くことにした次第です。

今までブログで書き散らしたことの繰り返しになるかと思いますが、

老人の戯れ言を読んでやろうか という方がおられて
お読みいただければ、感謝いたします。


   ***********


ヨーロッパ文明 の 根底 で、文明 を 支えているのが、
「キリスト教」と「法」です。

即ち、
「キリスト教」が、「精神面の安定」を 維持し、
「法」が、「社会の安定」を 維持して
人々の 社会生活 を 支えているのです。

それ故、
「キリスト教」と「法」を研究する「神学」と「法学」は、
他の学問と、根本的に異なった性格を有しているのです。

私が、法学部で法学に出会って以来50年間 さまよった理由が、
実は、ここにあったのです。

即ち
「法学」は
他の学問 と 同じ性格のもののはずなのに、
大変な違和感を感じるのは、何故だろう
と、さまよっていたのです。


「神学」と「法学」以外の学問は、
一つの価値観から出発して、論理を積み重ねて結論に達します。

ですから、
科学が、検証可能だというのは、

出発点の価値観に従って、他の人が同じように論理を積み重ねたら
同じ結論になるということです。

異なる価値観から出発して、論理を積み重ねれば、
全く異なる世界を歩むことになります。


高校時代に、

「平面上の2直線間の距離が、常に同じであり、
 どこまで行っても交わらない2直線を平行という」
という 前提で作られたのが「ユークリッド幾何学」だけど、

宇宙が、地球みたいな球体であるとしたら、
平面上の2直線間の距離が、一定でなくても 交わらないではないか
と考えて、論理を組み立てたら、

「ユークリッド幾何学」と全く異なる「非ユークリッド幾何学」が成立した
と、聞いたことがあります。

(高校の数学の範囲外でしたので、
 「非ユークリッド幾何学」が、どのようなものかは、
 残念ながら 存じ上げません。)

これは、
自然科学のようなロジカルな世界においても、 

価値観(前提)が 異なれば、別の世界が現出する 一つの例
と、考えることができると思います。


私が、この四半世紀 少しずつ読んできたた「歴史学」についても
同じことが言えると思います。

歴史学とは、
単なる 歴史事象 を 記述するのではなく
(何年何月に この事件が起こったと ずらずらと並べるのではなく)

歴史家が、
歴史のフィールドから謎を見つけ出して、
その謎を解いて 仮説を 提示することなのです。

この際に、Aという 歴史家 が、
自身の価値観に基づいて、謎を見つけ出し、論理を積み重ねた後に、
価値観が異なる Bという歴史家が、Bの価値観に基づいて
同じ謎を解いた場合、到達する仮説は、異なるものになるでしょう。

その際に、Aは、Bに対して、
(価値観 が 違うので、)
私は、そうは思わないと主張できるのです。

ですから、
例えば、フランス革命について
何人もの歴史家が、本を書いているのです。

(勿論、歴史家により 見つける謎も違うことが多々ありますので
 同じフランス革命を論じても、別の謎解きのために
 別の本ができることもあります。)

従って、
「神学」と「法学」以外の学問は、

研究する人のそれぞれの価値観に基づいて、
研究、ロジックを積み重ねていって 仮説を作り上げる
と、云うことができると思います。


ところが、
「神学」と「法学」は、これとは全く世界を異(こと)にしています。

「神学」と「法学」は、
いくつもの価値観が存在する社会 を 安定維持するために
一つの価値観 で 物事 を 判断し、従わせているのです。



「法」に関して お話しさせていただくと、

例えば、
懲役何年との判決が 確定した場合、
「私は、そうは思わない、判決は間違っている」と、主張しても、
刑務所に収監されてしまうことは、ご理解いただけると思います。

これは、
判例を導いた 一つの価値観 を
社会全般 に 適用していることを意味しています。

いろいろな価値観が併存する社会で、

その価値観も ごもっとも、
こちらも ごもっとも
と、八方美人的な対応をしていたら

アナーキーに陥って、収拾 が つかなくなり、
秩序 が 維持できなくなることは、
ご理解いただける と 思います。

これを避けるため、
ひとつの価値観に基づく法を 社会全般に及ぼして
社会の平穏 を 維持しているのです。


このために、
事案の妥当な結論を得るためにどうすれば良いか

「法学」は、
ローマ法以来 3,000年近く 営々と英知を積み重ねてきている
のです。

無数の判例を積み重ね、学説の検討を経て、
19世紀の初めに フランスにおいて 「民法典」が作成されました。

「ナポレオン法典」と呼ばれるこの法律は、
ローマ以来の法学のエッセンスを集大成した、大変素晴らしい法律でした。

この法律は、
ヨーロッパ各国に普及して、日本の「民法」も 依拠しています。

ただ、
人間社会の森羅万象の現象を処理するのに、

法典を作成して、それに従って運用するのが 良いのか、
ナポレオン法典以前のように、判例法のままの方が良いのか
意見が分かれて、

イギリスやアメリカでは、
民法典が編纂されずに、判例法が維持されています。

一般に、
大陸法は、民法典、
英米法は 判例法(コモンロー)と 云われるのは、
このような事情によります。


何故、このようなことになるのかというと

制定法も判例法も 一長一短があって、
どちらが適当かと一概に言えない事情があるのですが、

それと共に
法の存在意義や本質からも 生じているのです。


先ほど
法は、「人間社会の森羅万象の現象」を処理すると申しましたが、

3000年近く人間社会の諸々の現象を処理してきた法においても、
新たな事態、先例がない事態が生じることがあり得るのです。

また、
時代が 変遷するにつれて、人々の価値観 が 変化して、
以前に処理したやり方 が、不適当だ と 思われるようになることも
あるのです。

例えば、
19世紀に、労働者がストライキを行うと、
経営者(資本家)の財産権を侵したと処罰されました。

それが、時代が進むにつれ、
ストライキは、労働者の基本的な権利だ
と、認められるようになり、

労働法と云われる新たな分野が、民法より独立したのです。

これは、
時代の変遷するにつれて、人々の価値観が変化して、
以前処理したやり方 が、不適当だと思われるようになった
一つの例だと思います。


このような事態に対処するために、
法は、法律家に、大幅な権限を与えているのです。

即ち、
既存の法を適用して、妥当な結論が得られない場合は
法律家が 妥当な解決だ と 考える結論に従って 判決しなさい
と、しているのです。

これにより、
英米法 特にアメリカにおいて
既存の判例と異なる新たな判例をどんどん創出して、

裁判所が、実質的に 新たな立法 を 行って、
社会 を リードしてきているのです。

大陸法国である 日本 に おいても、

憲法76条 で

全て裁判官は、その良心に従い、独立してその職権を行い、
この憲法 及び 法律 にのみ 拘束される

と、規定しているのです。

これは、
憲法や法律を判断する場合、
裁判官の良心のみに従って判断しなさい
と、規定しているのです。

言い換えると、
裁判官が、正しいと考える方法で、裁判しなさいと云うことです。


詳細きわまる法律があるにも拘わらず、
法律が規定していない現象 が、裁判に持ち込まれることが
あるのです。

また、
法律を普通に判断すると、妥当な結論に至らないことも
あるのです。

このとき、
裁判官は、妥当な判決を下すために
法律から離れて 良心に従って判決を下すことになります。

これを、
法律家は、リーガルマインドに従って判断したと云います。

リーガルマインドとは、一言で申し上げると
「妥当な結論を 見いだすことができる センス、能力」
なのです。


リーガルマインドに従って判決を下す際に、
裁判官が使う手法が、「擬制」です。

擬制とは、
AでないBをAと見做すことなのです。

言い換えると、
AでないBを、Aと「ウソ」をつくのです。

「擬制」は、

法律を制定するときには、
同じ条文を何度も記述しないで済みますので
便利な立法技法なのですが、

解釈の場に持ち込むのは、
問題が多いのでは、と思われますが、

他方、
「擬制」を使用することで、
法律の適用範囲を拡大するとのメリットもあります。

私は、
「擬制」のメリットを理解しつつ、

やはり
「ウソ」をつかざるを得ないときは、

時間がかかっても、また、まどろっこしくても
立法論 即ち 法律改正 で、対処すべきでは
と、感じています。


というのは、
人間は、安易に流れる性格がありますので、

「ウソ」が、混在していると、
知らず知らずの間に、精神が堕落し、
法学全体 を 真っ当なものでないものに してしまうのでは
と、恐れるからです。

他のブログで、何回も 書かせていただきましたので、
ここでは 略させていただきますが、

「ウソ」が、
憲法9条の議論を まともな議論から遠ざけ、混迷に導いているのでは
と、感じています。


また、
良心 や リーガルマインド の 問題点の一つとして
第三者 が、客観的に検証できないことが挙げられます。

即ち、
裁判官 が、

良心に従った結論である
あるいは
リーガルマインドによる結論である
と、云った場合、

裁判官が、

本当に、そうなのか、
「ウソ」をついているのか、

について
第三者には検証できないのです。

このような根本的な欠陥があるにも拘わらず、
このやり方が維持されているのは、

別の言い方をすると
ローマ法以来 3,000年近くも 維持されてきたのは

他に 方法がないからです。


法律家になる方は、友人も含めて
法学における「ウソ」について あまり気にせず、

自分のリーガルマインドが正しい、
何か 問題あるのか?
と、毎日過ごされておられるのだろうと思います。

学問を 職業とするためには、
頭の良さ と 才能 が、大きな部分を占めている
と、思いますが、

法律家になるためには、
法律的な才能があるかどうかが、まず先に来て
その次に、頭の良さ が 必要となるのです。

勿論、ある程度の頭の良さがあれば、
時間をかければ司法試験は合格するでしょうが、

本当に求められる法律家というものは、
リーガルマインドを持った人間 で、
かつ
頭の良い人が求められているのです。

このような人は、
若くして司法試験にも簡単に合格するでしょう。

でも、逆に、
若くして司法試験に合格した人が
リーガルマインドを持つ人間であるとは、
限らないこと も 銘記すべきでは と、思います。


リーガルマインドを持った法律家 を 育成するためには、

今まで述べた「法学」の本質を踏まえて、
どの様な対処をすべきか

改めて考えること が、
必要ではないでしょうか。

そうしなければ

現在でも多数存在すると思われる
八百代言(三百代言)的な法律家

即ち
リーガルマインドに拠らず、

自分の私利私欲、政治的な立場で法律を利用し、悪用する法律家、
外国のの工作活動に従事していると思われる法律家
を、根絶することができず、

いずこの国のような、論理を無視して
扇動に踊らされた その時々の国民感情 の 赴くままままに
流される日本 に 貶められることになるのでは

と、危惧しています。



追記 2019年9月30日 記述

このブログを書いて、
やっと 法学部 を、卒業したような気が しています。

50年間、
「リーガルマインド とは 何だろうか?
 何故、自分は、法学に対して 違和感、嫌悪感 を 持つのだろうか?」
と、さまよってきた 迷路のゴール に 到達したからです。

学生時代、私は、
「全ての価値 を 包含する 一つの価値 があるのだろうか?
 もし、あるとしたら、 それはどのようなものだろうか?
 追求してみよう。」
と、日夜考えていました。

その結果、
「全ての価値 を 包含する 価値 は、あり得ない。
 従って、
 自分の価値(一つの価値)を 追求するしかない。

 追求した結果、その価値を、
 他の人 が 賛同するか、どうかは、どうでも良いことである。」
と いうのが、結論でした。

今から振り返って考えると、
「法学」も、同じ道を歩んでいるような気がします。

ブログでも書きましたように、

社会に存在する いろいろな価値観 を 持つ人 に
法 は、「法学」の価値観 に 従わせているのです。

即ち、
「多様性 に 富んだ 社会に存在する 全ての価値 を、
 一つの価値 に 従わせている」のです。

言い換えると、
私が、学生時代 さまよった
「全ての価値 を 包含する 一つの価値」を求めて
「法学」は、3000年近く、努力してきたのです。

これは、
求めても、見つけることのできない「青い鳥」を
3000年近く 追い求めていること を 意味しています。

この「法学」の営み は、
人類が続く限り、終わることがないでしょう。

「全ての価値 を 包含する 一つの価値」が、見つからない ために、

3000年近く 積み上げてきた結果である「法」でも
対処 が できない場合が 生じるので、

法 は、法を運用する 法律家 に、大幅な権限を与えて
彼らの リーガルマインド に 従って、
妥当な結論 を 下すように しているのです。

このとき、
法律家 が 使う手法 が、「擬制」なのです。

ここに、
法 に、「ウソ」が 入り込む契機 が あるのです。

他に方法がないため、
やむを得ず導入したのですが、

「ウソ」も、
同時に「法学」に入り込んだのです。

今回、お話ししなかった「キリスト教」は、
もっと派手に「ウソ」を使用して、信者を抑圧しています。

「最近、朝鮮人(韓国人)は、平気で嘘をつく」
と、日本人 に、感じられるようになりましたが、

「ウソ」を つくのを 日常としている 彼らだからこそ、
キリスト教に 親近感を持ち、帰依する人 が 多いのでしょう。

逆に、
「ウソは、泥棒の始まり」と、子供の時から 教えられて育ち、
「ウソ」に、嫌悪感 を 持つ 日本人 に、キリスト教徒 が 少ないのは、

キリスト教 に 内在する「ウソ」を、
日本人 が、本能的に 忌避しているため でしょう。

いずれにせよ、ヨーロッパ文明は、
「ウソ」を 内に抱えながら、

その悪臭を、
できるだけ表面化しないために
モラル を 確立するよう 努力して

歴史 を 歩んできているのだろう
と、思います。


今回、お話ししたことを、法律家の皆さんは、
殆ど感じておられないような気がしています。

非常に優れた民法学者である、来栖三郎先生が、
東大を定年退官後、生涯の仕事として研究されておられますが、
残念ながら、道半ばで終えられているような感じがします。

(失礼なら、先生の方法論は、本質 をついておられないので
 ゴール に 到達されないのでは? と、感じられます。)

また、末弘厳太郎先生が、「嘘の効用」で論じられておられますが、
問題提起 で 終えられているような気がして、残念です。


今後、
ヨーロッパの歴史 と 法学の本質 を 理解した研究者 によって

「法学」の「青い鳥」を 追い求める本質 と 今後の道筋 について、
広く啓蒙して下さり、

今回 提起させていただいた 問題意識 が、

リーガルマインド と共に
法律家の皆さん の コンセンサス となること を 願っています。



| | コメント (0)

2018年7月11日 (水)

悪法も 法か?

本ブログは、
オーム真理教死刑囚が死刑執行された際に

「オーム真理教死刑囚死刑執行で考えたこと
 ・・・法や刑事裁判の本質からみた
   死刑制度、裁判員裁判反対論・・・」

と 題して

2018年7月11日 に 掲載したものです。

内容は、
1.法学の本質について
2.刑事裁判の本質と裁判員裁判反対論
3.死刑制度について

について記述しています。

この拙文は、
今まで法学について いろいろ考え、ブログに書いてきたことの
私なりの到達点でもありますので、

私の法学本質論を一言で表現する表題がふさわしいのでは、
と、考えて

異例ではありますが、改題させて頂きました。


「法の本質」についての結論を申し上げると、

法曹の方は、本心では
「悪法は、法ではない。
 従って、
 悪法が 法である場合 は、自分が 正しい法 に 修正する」
と、考えておられるのだろうと推察しています。

これが、
ローマ法以来3000年間
営々と築いてきた法学の核心なのだろうと思います。


これに反して、私は、
「悪法であっても、
 法として存在する限り、その法に従うべきである。

 その法が、
 不適当であり、法として妥当性を持たない場合は、
 法律改正して対処すべきであり、

 法律家が、
 個人的な判断で、法を枉げて運用すべきではない」
と、考えます。

この考え方は、
「社会秩序を恙なく維持する為に法律がある」との
法の本来の目的からは、
一見反しているようにお考えになる方が多いのでは?
と、思いますが、

ウソと賄賂が横行し、私利私欲のむき出しが本質である
人間社会を規正する法として、

この程度の制約を課しておいた方が良いのでは?
と、考えるからです。

法曹の方は、
自分のリーガルマインドが絶対であり、
それに従えば、必ず妥当な正しい判断ができる、
その為に、長年修練を重ねてきたのだ
と、お考えだろうと思いますが、

ヨーロッパ史を長年読んできた私にとって、
ある確率で 必ず
私利私欲、自分の立場に基づいて、判断し、行動する人が
存在するので、

法曹のリーガルマインドに、全面的に信頼するのは危険である
と、感じられます。


前書きが長くなり恐縮ですが、

以上を踏まえて
以下の拙文を読んで頂ければ幸いです。

2018年10月12日 追記





オーム真理教の麻原彰晃および信者の死刑 が 執行され、

EU や 死刑廃止論者から
死刑廃止論が、改めて提起されています。


死刑、懲役刑などの刑罰について、

学生時代
応報刑、教育刑の考え方の対立がある
と、教わった記憶があります。


死刑は、

誤審の可能性が否定できない以上、廃止すべきだ
との主張がありますが、

それでは、
被害者や被害者家族の人権は、どうしてくれるのだ
との反論がなされて、

議論が平行線になります。


また、EUが、今回
日本政府に死刑廃止すべきと申し込んだ と、聞くと、

EUで死刑廃止されてから、犯人逮捕の際に、
警察が、どんどん射殺するようになったのでは?

このことは、
裁判を経ずして 死刑を執行するリンチと同じでは?

EUの刑法が、中世に逆戻りしている現れでは?

との疑問が、沸々とわき出てきます。


要するに、
死刑を廃止するかどうか、については、

立場立場、
その人の価値観によって、見解が相違する、
神々の争いの一つであり、

ある面から見ると、こうあるべきだ、
別の面から見ると、別のこうあるべきだ
との考えが浮かぶ性格のものだろうと感じられます。

その意味で、
永遠に続く、結論の出ない議論ではないでしょうか。


法とは、
そういう性格の物事に、一つの社会的な結論を出して、
社会の平穏を維持する為の知恵であり、

法学は、
謎解きを目的とする 他の学問 と 本質的に異なるもの
のような気がしています。



私は、
死刑が存在している理由を考える際に

法律の本質に基づくのでは?
刑事裁判の本質に基づくのでは?
と、考えると、

良い悪いは別にして、
何故 死刑が刑法に規定されるのかが、理解できるのでは?
と、考えます。

今回は、その辺のお話をして、
死刑の賛否を考える際のご参考にして頂ければと考えます。


なお、今回は、
今までいくつかお話ししたものを、
改めて 整理して お話し し直すもの ですので、

必要に応じて、
関連のブログをご覧下さるようお願い申し上げます。




1.法律、法学の本質

法律、法学の本質は、
海上に漂う氷山に例えることができるのでは?
と、考えています。

即ち、
海上部分には、
「法律」と「リーガルマインド」が存在し、

それを、
海面下に存在する「慣習法」が支えている
と、例えることができます。


歴史的に見ると、

長い間、海面下の「慣習法」だけでしたが、

19世紀初めに
ナポレオンが、民法典を制定して、
海面上の部分が表れたのです。


何故、海上部分が、
「法律」だけでなく、「リーガルマインド」も存在するかというと、
次の事情があるからです。


即ち、
法律は、
文章で 規定されていますので、
改正しなければ、変更がありません。

ところが、
法律が規正する社会は、どんどん変化していきますので、
以前に制定された法律が、
社会の変化にそぐわないものになった場合、

法改正は、
そう頻繁に行われないことを勘案すると、

その調整役として、
リーガルマインドが必要となるのです。

フランス民法典が制定される以前でしたら、
慣習法だけでしたので、

判例により、
社会の変化に方が追随していくことができたのですが、

制定法ができてからは、

法律が、
社会の変化から置いてきぼりされてしまう事態ができたので、
それに対処する必要性が生じたのです。

また、
慣習法の時代でも、
判例が、社会の変化に追随する為に、

リーガルマインド が、
制定法の存在する社会よりも、法曹の方に求められたのです。

これが、
アメリカで、ケーススタディの授業が、
日本や大陸法の国々よりも 熱心に行われている所以だろう
と、思われます。


「法律」と「リーガルマインド」の2つにより、
法が運用されていることは、

法律実務者、即ち判事の方が、
次のような不思議なことをおっしゃっておられることにも
表れています。


一つは、
戦前の民法学者で日本における労働法の創始者であられた
末弘先生が著書「嘘の効用」で、
次のような随筆を書かれておられます。

  末弘先生が大学を出て間もないときに、
  刑事裁判官だった先生のお父様が、
  次のようにおっしゃったそうです。

  「一体お前は、法律を むやみに理屈一点張りに
   考え抜こうとしているけれども、
   それがそもそも非常に間違っている。

   俺などは、事件を見ると、全く理屈などを考えずに、
   これは懲役何年とか罰金何円とか言うような具合に、
   頭の中に自然に裁判(判決)が生まれてくる。

   それに、後から
   法条や判例、学説などを照らし合わせて理屈をつける。

   すると、
   俺の頭の中に自然に生まれた裁判(判決)が、
   ちゃんと理屈に合っていることを発見するので、

   お前らは、裁判(判決)が
   三段論法的推理 で 理屈から生まれる ように
   思っているかも しれないが、

   そんなことは、
   駆け出しの裁判官ならとにかく、
   我々は、全くそんなことをしない。

   大学では、
   三段論法ふうに法律を教えているけれども、

   あれは、
   ああしないと学生に分からないからで、
   謂わば教育の方便、

   実際の裁判(判決)は、
   むしろ三段論法の逆をゆくのだ・・・・」


  末弘先生は、
  「全く途方もないこと を 言うものだ」と、思ったと、
  率直に 記述されておられます。

  その後、
  末弘先生が、アメリカに留学して、
  アメリカの法学教育、ケーススタディーをご覧になって
  帰国された後、

  お父様と次のような会話をされた と、
  記述されておられます。

  「お父さんが、かって、
   裁判(判決)は理屈を通してではなしに、自然に生まれる
   と、言われた言葉の意味が分かりました。

   今まで 私たちの当然と考えていた法学教育の方法が、
   いたずらに理論を教えることにのみ専念して、

   学生をして 事を直感せしめた上、
   それに理論的批判を加えて、
   確固たる悟りを開かせることを怠っている、
   それが いけない と 言われたのでしょう。」

  すると、父は言った。
  「何も俺は、それほど難しい理屈を言ったのではない。
   知識の極致に達すると、直感と理論とが自ずから一致する。

   そのことを ただ、俺の体験から感じていっただけのことだ。
   ・・・(以下略)」

  末弘先生は、
  「体験的に、直感と理論との一致が、知識の極致である
   という結論に到達したことに対して、
   理屈なしに頭を下げた」
  と、記述されておられます。

  出所 末弘厳太郎「嘘の効用上 教育と直観」
      冨山房百科文庫 286㌻~193㌻

  注;文中の「裁判」は、

    裁判の結果の結論
    即ち、
    「判決」を 意味していますので、

    分かり易くする為に括弧書きで 「判決」と
    付け加えさせて頂きました。


末弘先生は、別の所で

  裁判官が裁判に当たって
  「事件を審理した上で、結論が先に出るのか?
   それとも、
   法文と理屈とが先に出て、
   その推理の結果漸く結論が先に出るのだろうか」
  について、

  日本の裁判官だけでなく 外国の裁判官に訊ねたみたが、
  殆ど常に
  「結論が、直感的に先に出る。
   理屈は後からつけるものだ」という回答だった。

  「従って、
   裁判官として一番大事なものは、人格の完成です。 

   これ(人格)を完成する一要素として、
   無論 法律の知識 は 必要です。

   しかし、
   それ(法律の知識)は、ほんの一部分です。
   ・・・(以下略)」

と、書かれておられます。

  出所 末弘厳太郎「嘘の効用上」
      冨山房百科文庫 11㌻~12㌻


私の義父も、刑事裁判官でしたが、
40年以上前、家内と結婚したての頃

「司法試験の法律と実務の法律は違うものだ」と言われて、
全く意味が理解できず 困惑したことがあります。


末弘先生のお父様のおっしゃる直感も、
義父の言うことも、

要するに
裁判における結論は、
法文解釈を踏まえた上で、リーガルマインドにより判断する、

法文解釈ができるというのは、初歩の初歩で
専門家は、それを踏まえた上で、リーガルマインドで判断する

と、いうことであろう と、今では 理解しています。



では、
リーガルマインドとは何なんでしょうか。

リーガルマインドとは、
事件(訴訟)の妥当な解決に導く為の
法律家の感性、感覚 即ち センスなのです。

このセンスは、
法律家自身の持っている法的な才能に依存しています。

ですから、
いくら頭が良くても、このセンスがない人は、
法律家に向いていません。

今から学生時代を振り返ってみると、
本当に頭の良いのに、
司法試験を合格するのに苦労して数年費やしたり、
合格せずに諦めた人がいました。

このように、
頭の良さとリーガルマインドは、異なるものなのです。

例えて言うと、
頭の良い人でも、野球のセンスを全く持たない人がいるのと
同様なのです。

法曹を目指そうという人は、
ご自身が、リーガルマインドを持っているかどうか、
冷静に自分を客観視して判断されることをお勧めします。


それでは、
リーガルマインドの機能とはどの様なものなのでしょうか。

リーガルマインドとは、事案の解決に際して、
法律の規定通りに従って判断するか、
それとも、
法律の規定とは異なる解決をするかどうかの
判断し、決定をするセンスです。

法律の規定に反する解決をした方が、
妥当な解決が導かれると、正確に判断できるセンスなのです。


では、
法律に反する解決をするには、
どの様な方法によるのでしょうか?

この点に関しては、
先ほどご紹介した 末弘厳太郎先生の「嘘の効用」で、
大変分かり易く記述されておられます。

末弘厳太郎「嘘の効用上 嘘の効用」
冨山房百科文庫26㌻~59㌻

詳しくは、末弘先生の随筆をお読み頂くとして,
私なりの結論を申し上げると、

法律家は、
いかにも法律を適用しているようなふりをして
噓をつくのです。

勿論、「噓をつく」とは死んでもおっしゃりません。
そうではなく「擬制」を用いるとおっしゃるのです。

末弘先生も「嘘の効用」の随筆は、
「法律における擬制」の研究の途中、
たまたま生まれた随筆である と 書かれておられます。


「擬制」とは、何なのでしょうか。


来栖三郎先生は立法技術として擬制が用いられる
と、記述されておられます。

来栖三郎「法とフィクション」82㌻以下(東大出版会)

例示として、
民法86条三項で「無記名債権は動産と看做す(準用する)」
を、引用されておられます。

「無記名債権」とは、
鉄道の切符、入場券 のようなもので、

大阪までも切符の所持人が、駅で提示すれば、
鉄道会社は、大阪まで乗車させる債務を負うのです。

擬制を採用されたのは、

本来的には、契約法上の規定なのに、
物権法上の動産の規定を準用したら、
動産に関するいくつもの規定を、一条で片付けられる
メリットがあるのです。

このように、
AでないBを、Aと看做すのが「擬制」なのです。

要するに、
法律家は、法を 解釈する際に

Aとは 別物のB を、Aと 看做して
Aに関する法律 を 適用するのです。

私に言わせると、
BをAだと、噓をついて 法律を解釈運用しているのです。


リーガルマインドとは、

良く言うと(肯定的に言うと)、

妥当な解決を 見つけ出して 導く「頭の柔軟性」を
発揮させるセンスなのですが、

冷たく言うと、法解釈において

「平気で嘘をつくことを、頭が柔らかい と 評価している」
と、いうことなのです。

私は、
リーガルマインドがありませんので、

友人の弁護士から、
「頭が固い」と言われたことがあります。


要するに、

ルールから外れてでも
(法律から離れてでも)
そのケースの妥当な解決をはかるべきか

妥当な解決から外れるけど
ルールに従って、即ち 法律に従って 解決すべきか の

いずれを取るか の判断なのです。


リーガルマインドとは、
柔軟に、前者の判断をすべきだ感じるセンスなのです。

リーガルマインドを持っている方は、
法律から離れた解釈をすることが、
正しい、あるべき法解釈である と、確信をされておられるのです。

でも、これは
性格、人生観、更には哲学の問題ではないでしょうか。

「悪法も、法か」というテーゼは、
まさに 同質の問題を提起しているのでしょう。

ただ、
この点について、

自然に対応できる人が、リーガルマインドを持つ人であり、
良き法律家だと、評価されるし、求められているのです。

引っかかって、逡巡し、四の五の言う人は、
法律家に向かない 頭の固い人間だと、
法曹になろうと希望しても、拒否されるのです。

これは、
頭の良さとは全く別物ですから、

優秀な成績で法学部に入学した人でも、
法律家の適性に欠く人が生じる所以なのです。


私は、

「頭が柔らかい」と、褒められるより
「頭が固い」と、言われた方が、
「正直者だ」と、言われた感じがしますし、

良き法律家は、

誰もが納得する問題に対する解決を
導き出す能力を持った方ではありますが、

その解決能力の一部には、

「嘘つき」とまで言わないまでも
「必要に応じて 噓をつく技術を持った人種」
といえるのでは?と、感じています。


以前にもお話ししたことですが、

この点が、
「法の本質」における、致命的とも言うべき欠陥の所在です。

即ち、
1.リーガルマインドに従って、擬制を使用して法を適用した
  と、言っても、

  本当に、リーガルマインドに従ったのか、
  それとも
  別の利害や私利私欲で法を曲げたのか、
  について

  第三者は、ジャッジができません。


2.法を適用するか、
  リーガルマインドによって法に反する決定をするか
  の判断を、裁判官がする
  と、いうことは、

  裁判官が、
  法の上位にいることを意味します。

  要するに、裁判官が、
  この世において 法の判断者として神と同じ地位にいることを
  意味しています。

  「私の考えは、神と同じである」と、言って、
  何人ものキリスト教徒を殺害したカルバンと
  同じ行状をする裁判官が生じる可能性を否定できません。


以上の欠点があるにもかかわらず、
他に方法がないので、

欠陥を認識しながらも、

「法律」と「リーガルマインド」の2本立てで、運用して
「裁判官に、法の運用を 全面的に判断を委ねている」
(判断の全権を委譲している)

ということが、「法の本質」なのです。

私は、

「三審制」の一番の目的は、ここにあるのでは?
と、考えています。

即ち、

全権委譲された 異なる裁判官が、
3回審理して出した結論を尊重することにより、

社会の平穏が維持できる と、考えているのでは?
と、想像しています。

あけすけに申し上げると、
ある裁判官(とりわけ 経験の浅い一審の裁判官)が、
リーガルマインドに基づかない判決を下したとしても
三審の間に、修正が可能であろうと、考えておられるのでは?
と、感じられます。



補足 2018年12月16日 追記


日本の法学には、上記の欠陥に加えて
明治時代
ヨーロッパより 氷山の水面上の実定法を継受したものの

海中にあって
水面上の実定法を支えている慣習法の役割についての認識を
継受しなかった
という欠陥があるにもかかわらず、

いまだに
その点についての認識が持たれていないことが
残念に感じています。

慣習法は、
実定法に、欠落や欠陥が存在したときに
それを修復する機能(自然治癒機能)があるのです。

現在制定されている実定法は、非常に良くできていますので
慣習法の出番の必要性が、殆どありませんが、

唯一
慣習法の自然治癒機能が発揮されていると感じられるのが、
憲法9条に関してでは?と、思います。


この問題は、

今回のテーマから外れますし、
今までに 幾つかブログでお話しさせてきて頂いておりますので、
そちらをご覧頂きたいのですが、

ここでは、

憲法9条で、明確に

「陸海空軍その他の戦力は保持しない、
 国の交戦権を認めない」
と、規定されているのに、

何故、

1.立派な軍隊である自衛隊が存在し、
  最近では、
  共産党を除く 野党も含めて
  合憲のコンセスまで形成されてきているのか?

2.自衛権を野党でさえ認めているのか?
について、

内閣(行政府)や政党(立法府)
更には、
憲法学者からの明快な説明がないのは

慣習法の役割についての講義が、
我が国の法学教育において欠落していることに
拠っているのでは?

と、感じられます。

即ち、
1.日本の周辺国家が、
  憲法前文で規定するような国家でないのにかかわらず、

  憲法が、
  そのような国が存在するときに関する規定が
  欠落している為

2.更に、
  憲法9条は、法学の公理とでもいうべき
  「国家としての正当防衛の権利(自衛権)」を、

  アメリカが、日本より剥奪する為に、
  憲法9条を、日本に押しつけたので、

水面下の慣習法が、治癒機能を発揮して,
自衛隊を形成してきたという 事実 についての認識 が

欠落している故に、
現在の法学界、憲法学者が、回答できず、

政治の世界では、
自衛隊合憲論が主流になっているのに、

相変わらず自衛隊違憲論に固執している原因だろう
と、感じられます。

従って、
現在、自民党政府が推進している憲法9条改憲論は、

上記の事実を認識して、

慣習法が形成してきた自衛隊を、
水面上の法である憲法として認知しようとする動きである
と、理解できまです。

安倍首相が、憲法9条3項を創設して
自衛隊を規定するのは、

周辺諸国が、
1.憲法の前文が規定するような国家であれば
  1項と2項を適用し、

 

2.憲法の前文に反するような国家の場合は、
  3項で対処できるようにする為だ

と考えると、
安倍首相の考えられている趣旨が、素直に理解できます
との指摘に、止めさせて頂きます。


また、
氷山の水面上の法とリーガルマインドについて、
深く研究された 碩学であられる 末弘先生や来栖先生が、

歴史の歯車を逆転させて
実定法ではなく慣習法(判例法)に向かうべきではないだろうか
との結論にいたっておられるのは、

末弘先生のお父様が喝破された
法学とは、実定法(含むリーガルマインド)さえ教えれば良い」
との

慣習法の存在を無視し、
その役割の認識について欠落している
法学教育 が、もたらしたのでは?

という気が、しないでもありません。




2.刑事裁判の本質


私は、長い間
刑事裁判とは、「真実の発見の場」である と、考えていました。

刑事裁判官だった義父の生涯のプライドは、
若いとき起案した判決における事実認定が、
最高裁まで行ってもひっくり返らず、認められたことでした。

このように、裁判官は、
事実の発見、
真実とは何か を 追求されておられるのだなと、
敬服し、尊敬していました。

この考えが、180度ひっくり返ったのは、
ある裁判官から
「法廷に出された事実だけで 判断して、判決する」
と、お聞きしたときでした。

考えてみたら、
これは当たり前のことですが、
それまで気がつかなかったのです。

裁判官が、
法廷に出されてない事実や推測により
判決を出されたら、それこそ大問題です。

でも、それなら、

刑事裁判は、
「真実発見の場」ではなく、

「(被害者を含めた)
 社会のマイナスを少しでも修復する場」なのだな

と、考えるようになりました。

裁判官は、
江戸時代の大岡裁きのように、
自ら捜査することも、取り調べることもできませんから、

法廷に出されたもの以外の事実を、
発見したり利用したりすることができません。

事実や証拠を出すのは、
裁判の当事者である検察官 と、
被告人の弁護士なのです。

彼らは、
それぞれ目的 を 持っていますので、

その目的を達成する為に 何をすれば良いのか、
どんな事実や証拠を法廷に出せば、目的を達成できるか

を、常に念頭に置いておられるのでしょう。


ということは、
彼ら自身が把握している事実や証拠の中から、
必要なものをセレクトして法廷に提出するのです。

必要でないもの、法廷に出すと目的達成できなくなるものは
意図的に法廷に出さないのでしょう。

時々、検察が証拠を隠していた と、
ニュースで報じられることがありますが、

このことは、
全ての事実が法廷に出される訳ではないことを
示しているのでしょう。

大多数の事件においては、
このようなやり方でも、真実を発見できるのだろう
と、思いますが、

全ての裁判において
100%そうだとは言えないのではないでしょうか。

また、
技術の発展段階によっては、
真実を解明できない事もあるでしょう。

DNA鑑定など
科学捜査が現在においては長足の進歩を遂げていますが、

現在の技術レベルに達しなかった過去においては、
証拠があるのに 犯人を特定できないことも あったのでは?
と、思われます。

大学時代の授業で、
弘前大学事件について 講義を受けたことを思い出します。

団藤先生は、躊躇しながらも
「90%の確率で、被告人が犯人であるとの鑑定が出ているので、
 有罪判決もやむを得ない」
と、述べられましたので、びっくりしました。

「10%も誤審の可能性があるのに、それでよいのかな?」
というのが、私の感想でした。

しかも、
大学出てから大分経って 時効が成立してから、
真犯人が名乗り出たとのニュースを見て、

「やっぱし」と、思ったことを覚えています。

でも、
当時の技術レベルでは、
100%の鑑定ができなかったのだろう と、思いますので、

刑事裁判の本質を深く理解されておられた 団藤先生は、
「ないものねだりしても意味がない、
 与えられた範囲で、判断せざるを得ない」と、考えられて
判決に賛成されたのだろうと思います。

このことは、
その時点での技術レベルを前提として、
裁判官が、どの様な判断をすれば良いのか、
の問題を提起しますし、

刑事裁判の本質は、
1.の「法の本質」で述べたように

「裁判の最終決定を、全面的に裁判官に委ねている」
ということを 明らかにしていて、

問題が生じる度に
とりわけ 誤審や再審請求で、過去の判決が問われる度に
繰り返し、問われ、考えさせられることに なるのだろう
と、思います。


100%確実であるとの鑑定や確信がなければ、
無罪判決にすべきだとすれば、

被告人の人権は守られるけど、
世に放たれた凶悪な犯人が、更なる犯罪を犯して、
いたずらに犠牲者を増やす事もあり得ます。

また、
犯罪の被害者やその家族の人権を無視して良いのか?
との 大いなる疑問も生じます。

最近では、
被害者やその親族などの関係者も
法廷で裁判官に所感を述べることを認められるように
なったようですので、

現在においては、
なおさら被害者の人権も考慮せねばならないでしょう。


更に、

裁判官の判断、決定は、
どこまで行っても推定によるものなのです。

たとえ、現行犯逮捕であっても、
「そういう事実があった」との 確信に近い推定 による判断
なのです。

証拠により 「事実と判断した」ことは、
裁判官がまじめに考えた末の「推定による判断」なのです。

ですから、
裁判官が判決で行う事実認定は、

法廷に出された事実や証拠により
裁判官が、
検討した結果の「推定による決断」なのです。

これも、
裁判官を信頼して任すほかに 方法がないから
生じているのですが、

他方、
この方法が、現在考え得る最良の方法である と、
多くの人の賛同に支えられている制度なのです。


ちょっと横道にそれて恐縮ですが、
この点が、
裁判員裁判に疑問を呈する理由でもあるのです。


第1

裁判員裁判は、「憲法違反の制度」だと 思われます。

憲法は、自由について、
公共の福祉に反しない限度で尊重されると規定しています。

行為をする際には、
他の人との調整が必要となりますが、

「行為をしないという自由、何もしない自由」は、
「何人からも侵されない自由」ではないでしょうか。

裁判員になりたくない、と拒否する自由は、
憲法に保障された自由であり、

何人たりとも侵すべかざるものであろう
と、思います。

裁判員を拒否することは、
公共の福祉に反するとおっしゃるかもしれませんが、

明治以来100年以上、

裁判員制度なしに、
即ち、
公共の福祉に抵触せずに

刑法や刑事裁判が運用されてきていますので、

今更 国が 裁判員制度を作ったからといって、
国民に強制するのは、
一種のファシズムみたいなものではないでしょうか。

昭和の初めに 陪審員制度が作られ、
希望者は、陪審員裁判を受けることができるとして、

東京地裁 に、わざわざ
陪審員裁判をする為の法廷まで作ったそうですが、

一人も 希望者が出てこないで、全く活用されなかった
と、大学の授業でお聞きした記憶があります。

陪審員裁判や裁判員裁判は、
日本人に 全く なじまない制度 なのです。



第2

裁判員裁判に反対する第2の理由が、
今までお話したことなのです。


法の本質の一部をなす刑事裁判は、
全面的に裁判官を信頼して、
その運用を一任しているのです。

刑事裁判は、
その人の人権に直接的にかかわるものですから、
高度の専門性を持った専門家が、
長年の修練を経て運用するものなのです。

裁判という場に、
まったく法律の門外漢である一般人が関与することは、

無理であり、
被告人の人権を侵害する可能性が より大きい
と、言わざるを得ません。

また、裁判員にとっても、
自分の人生に全く関係ない事柄について、
突然 強制的に関与させられることは、
問題だろう と、思います。


第3

法律というものは、
「社会に生じたマイナスを埋める機能、回復させる機能」
を、果たしているのです。

即ち、
民事では、

土地(物権)や金(契約)に関する紛争処理、
自動車事故等 他人を与えた損害の賠償、

夫婦間の不和の結果生じる離婚や、
相続争いの際の処理、等

刑事では、
人を傷つけたり殺したりしたときの処理等、

人間社会に於いて生じる
悪臭プンプンたるものの処理です。


例えて言うと、

社会における「ゴミ処理」というべきもの
ではないでしょうか。

「ゴミ処理」については、

一般人は、
分別してゴミを出す程度の協力を求められていますが、

ゴミを実際に処理する現場で働くことは、
専門の方に任せています。

これと同様に、
社会に生じたマイナスの処理については、

裁判員制度ができるまでは、
専門家に一任されてきました。

一般人に、ゴミ処理工場で働けとの要求と
同一の性格を有する裁判員制度の必要性、正統性を、
私はには理解できません。


第4

裁判員制度は、
第一審の地裁でしか行われない 中途半端な制度なのです。

高裁では、
裁判官だけで判決を下されますし、

時々
地裁の裁判員裁判の判決が、
高裁でひっくり返ったとか、量刑が減じられた
とのニュースが、聞こえてきます。

先ほどお話ししたように、
突然 強制的に刑事裁判に引っ張り込まされた
裁判員の方の努力は、結果的に 無視されているので、

それなら、
明治以来100年以上やって来たのだから、
以前の制度に戻して
最初から専門家だけでおやりになったら
と、言いたくなります。

このようなことが生じるのは、
素人に、元々無理なことを押しつけたからでは
ないでしょうか。


捕捉 2019年9月30日 追記

刑事裁判 が 好きで、
長年 国選弁護人 を 数多くやってきた 家内 より、

検察 が、裁判員制度 に 反対しないのは、
立証 が 簡単になったからではないだろうか?

との感想 を、聞いたことがあります。

即ち、
素人の裁判員 に、
見るに堪えない 残虐な犯行現場の写真など を 見せて
精神的負担 を 負わすのは 良くないいので、
見せないようにしよう、とか、

証拠法の精緻な理論 は、
素人の裁判員 に 理解できないだろうから、簡略化しよう
とか、

素人の裁判員 に 諸々の配慮をした結果、
検察の立証の作業 が、簡略化され、楽になったからだろう
というのです。


私は、門外漢なので、
評価する立場にありませんが、

 

もし、
家内 の 云うとおりであれば、

裁判員制度 を 導入したことにより、
刑事裁判の目的が忘れ去られているのでは?
という感じがします。

刑事裁判の第一の目的 は、
被告人が、罪を負うべき人間かどうか を
判定するために行いものではないでしょうか。

その為に、
立証方法や裁判手続きが、適正なものになるよう、
精緻な理論 が、積み重ねられてきたのだろうと思います。

これを、

裁判員制度を導入したから、
素人の裁判員が理解できる程度まで、レベルを落とすことは、

本来の刑事裁判の目的 を、放棄することになると思います。

例えば、
科学技術において、

最先端の理論や技術 は、素人に理解できないものでも、
専門家が分かっていて、技術を前進させれば 良いのです。

刑事裁判においても、
素人が 理解できなくとも、専門家が理解できて、目的に達せれば、
それで良いのではないでしょうか。

素人を入れるために、
今まで積み上げてきた理論や方法を放棄して、
時計の針を逆回転させるようなことは、すべきでは無いと思います。

ゆとり教育の導入により、
日本の学生の知的レベルが落ちたように、

裁判員裁判の導入により、
刑事裁判の質が、まさか 落ちていないでしょうね
と、願っています。



3.死刑制度についての感想


裁判員裁判という横道に
話が逸れて申し訳ございません。

本筋に戻させて頂きます。


以上お話ししたように、
法の本質、刑事裁判の本質は、

理論が論理的に構築されたものではなく、
医学の対処療法的なものなのです。

ですから、
スパッと明快に切れ味鋭く説明できるもの
ではありません。

元々 人間社会というものは、どろどろしたものですから、
そのどろどろした社会の平穏を維持する為には、

理屈で処理するのではなく、
そのときそのときに ベターと思われる判断 を
積み重ねていくしか しようがないのです。


ですから、
最初に申し上げたように、

死刑制度についても、
それぞれの立場、価値観から、正反対の議論が成立しますし、
そのいずれに対しても、
間違っていると切り捨てることもできないのです。

議論すれば、平行線となるもので、
話し合いで結論を導き出すことができる問題ではないのです。

最初に申し上げたように、
「神々の争い」である所以なのです。


従って、
異論があるのは承知の上で、
社会の総意ないし過半数の意向、判断の赴くところで、

基準を作り、運用してみて、
不具合がないかどうか確認し、

必要に応じて修正していくやり方で行われているのです。

日本は民主主義の国ですから、
国民の総意は、国会の議決に表れると考えるべきでしょう。


現在死刑制度が、
強力な廃止論があるにもかかわらず、
存続しているということは、

「凶悪な犯罪を犯した人間は、
 自分の行為に対する責任を 取らねばならない
 (罪に服さねばならない)」
との考え方に賛同する方が、
多数を占めているのではないでしょうか。

死刑制度の致命的な欠陥は、
誤審を 100%避けることができない事だと思いますが、

それも含めて 勘案しても、
死刑の存続を支持する方が多いのでは、と感じられます。

(誤審の可能性より、犯罪を犯した人間が、
 自分の命で責任取らずにすむ数の方が、
 比較にならないくらい圧倒的に多い
 と、考えているからでしょう。

 また、
 日本の裁判所に対する信頼や
 法務省の死刑の実施にあたっての運用に対する信頼が、

 誤審により取り返しのつかない事態が、
 相当程度回避できているのでは?
 と、感じる方、考える方 が、
 多数を占めているからではないでしょうか?)


以上を踏まえて、
私の気になる点をいくつかお話しさせて頂きます。


第1 EUの申し入れについて

(1)死刑制度は犯罪抑制にならない点について

死刑制度が、
犯罪防止の抑止力を持たないことを
日本が理解していないという申し入れについては、

ヨーロッパ人の自分だけが神と並んで善悪の判断ができる との
唯我独尊、独善による 上から目線による決めつけを感じられて、
又か、との嫌悪感を催します。


日本でも、
刑法で刑罰を規定したからといって、
犯罪が抑制できる、なくすことができるとは考えていません。

大学時代、団藤先生が、はっきりと
「刑法で刑罰を規定したからといって、

 犯罪者が、犯罪を犯すとき、自分だけは捕まらないと考えて
 犯罪に及ぶから、犯罪をなくすことはできない」

と、半分面白おかしく講義されておられました。

ですから、
死刑制度は、犯罪抑制の為に規定されているものでは
ないのです。


(2)日本に、死刑制度の廃止を求めている点について

死刑制度を廃止したEUは、
テロリストを逮捕する際に、平気で銃殺していることについて、
どう考えているのか、お聞きしたいと思っています。

最初に 申し上げたように、
裁判を経ずして、事実上の死刑を実行しているのでは
と、感じられるからです。

日本は、武器を持った犯罪者に対しても、
時間をかけて できるだけ殺さずに
説得により逮捕しようと努力します。

そして、裁判にかけて、
裁判所で量刑を決定するのです。

死刑になる犯罪者も勿論いますが、
EUのように、
裁判を経ずして銃殺するようなことは、極力避けているのです。

日本とEUで、どちらが野蛮だというのでしょうか?
EUは、死刑制度だけを見て、非難していますが、
犯罪の全体を俯瞰して、
EUのやり方と日本のやり方を比較して議論しようとの姿勢が
必要ではないでしょうか。


第2 法務大臣による 恣意的な死刑実施拒否について

過去に、法務大臣が、
ご自身の信仰 or 信条に基づいて、

死刑の実施の起案に 承認印を押さずに
(死刑の実施を決済しないで)、
決済箱に放置した とのニュースが ありました。

これは、大問題だと思います。

国会で決めたことを、ご自身の立場を利用して
ご自身の個人的な見解により曲げてしまうことは、
法治国家として許されないことではないでしょうか。

勿論、
個人として、死刑廃止論を唱え、主張することは構いません。

しかし、
法の運用の最高責任者である法務大臣に就任されたからには、
個人的な見解に拠らず、法に規定通りに運用すべきなのです。

個人的な信条により それができない と、いうことも
あり得ると思いますが、

その際には、
法務大臣の就任を辞退する義務があるのではないでしょうか。

死刑にするかどうかの判断は裁判所が行うものであり、
法務大臣が、介入する問題ではありません。

法務大臣は、
あくまで 行政として 死刑の実行を行う責任者に過ぎないことを、
肝に銘じるべきでしょう。

法務省が、
死刑の実行にあたり、大変慎重な検討をされておられるのは
承知しておりますので、

たまたま政治家が、
順番で?法務大臣のポストに就いたからといって、
勝手気ままな行動を取ることは慎むべきだし、

そのような大臣が生じさせない為に、
総理大臣が法務大臣を任命する際に、確認を取って
拒否する方は任命しない義務があるのでは?
と考えます。


追記 2018年 8月1日 記述


民法の講義に於いて、
比較衡量の重要性を、事ある度に 何度も 頭に叩き込まれます。

これは、
法的な判断に於いて、

一方の主張のみを採用して判断するのではなく、
対立する当事者の主張を、虚心に検討して、判断すべきだ
ということを、
身につけさせる為に強調されることだと思います。

本文中でも述べましたように、

どろどろした世の中に於いて、
大方の人が納得するような結論、解決を見つけ出すのが
法学の役割であることから、

お互いの言い分をよく聴いて、
それぞれの主張を、漏れなく検討することが
要請されるのでしょう。


死刑廃止論の議論に於いて、

死刑廃止論者の主張の中に、
死刑制度について、比較衡量をされておられるのかな?
と、疑問を感じる点がありますので、

ご参考までに、お話しさせて頂きます。


第一に、

死刑廃止論者の方は、

被害者やその家族の人権について、
どの様に考えておられるのでしょうか。

犯人の人権と被害者の人権
(殺された人の場合は、最早訴えることのできない人の人権)
を、比較衡量して議論すべきでは?
と、感じられことがあり、

犯人に対する見地からの議論に偏しているのでは?
との疑問に対して、

どの様にお答えになられるのか、お聞きしたいな
と、感じられます。


第二に、

最初に述べたように、

刑罰の目的は、
応報刑なのか教育刑なのかとの議論があります。

言い換えると、
罪と更正(反省)のどちらに重点を置くのか
についての議論だと思います。

刑法を 議論するときには、
双方を念頭に置いて議論せねばならないと考えますが、


死刑廃止論者の方は、

犯罪者は、罪に服さねばならないとの視点が弱いのでは?

あからさまに申し上げると、
無視しているのでは?

と、感じられます。


今回、
死刑廃止論者のある作家の方が、

オーム真理教の被害者や遺族の方の話を聞いた
自分にとって、

「今回の死刑を反対だとは言えない」
と、おっしゃっているのをネットで読みました。

多分
オーム真理教の犯罪に対しては、
死刑という罪を与えねばならない、それほどの犯罪だ
と、感じておられるのでは?
と、推察しています。

逆に申し上げると、
この作家の方の死刑廃止論の中には
罪の観点が、欠落していたのでは?
と、感じられます。


第三に、

EUの主張に対する反論で申し上げたように、

死刑制度だけではなく、
犯罪及び逮捕から裁判プロセス全体からの議論が
必要だと思います。

EUの主張は、

警察官が、犯人を裁判を受けさせずに射殺することの是非
について、無視しているのでは?
と、感じられます。


自分の都合の悪いことを無視して議論する態度は、

犯罪に関連する全ての事柄を検討して、議論すべき
法律論議に於いて許されないことだと考えます。

言い換えると、
一部だけを取り出して、主張を作り上げることは、

許されることでもないし、
多数の賛同も得られないのではないでしょうか?

                               以 上

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018年1月20日 (土)

ウソ;ヨーロッパ文明の本質に内在、是認された悪・・・第6回 法学が 他の学問と異なる本質 を 有するものであることについて

  1. 前回までに於いて、
    キリスト教や法学に内在するウソについて
    考えてきましたが、

    今回は、
    法学や神学が、他の学問と 本質が異なる点について
    考えてみたいと思います。




       ウソ ; ヨーロッパ文明の本質に内在、是認された悪


      第1回 キリスト教における「ウソ」
           1.キリスト教徒の言行不一致
             *** キリスト教の皆さんへの質問状 ***
             http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post.html


      第2回 キリスト教における「ウソ」
           2.キリスト教の歴史認識からみた「ウソ」の誕生の契機
             http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-c914.html


      第3回 法学における「ウソ」
           1.法学の本質は、「リーガルマインド」であることについて
           2.法学が避け得ない根本的な問題
             ・・・法曹(法律専門家)のウソ と 本心について・・・
             http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-d25f.html


      第4回 法学における「ウソ」
           3.リーガルマインド とは、
             事案の解決 を、法に拠るか、ウソに拠るか を
             適正に判別し、決定する センス、能力 である
             ・・・末弘厳太郎著「嘘の効用」抜き書き・・・
             http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-7325.html


      第5回 法学における「ウソ」
           ・・・法とは 何か?
             http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-f196.html



      第6回 法学が 他の学問と異なる本質 を 有するものであることについて
             http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-4b7d.html




         **********




    法学、神学以外の学問は、

    それぞれの学問のフィールドにおいて、
    学者が、謎を見つけ出して、

    その解答を、仮説として提示するもの です。


    謎を解く際には、

    その学者の価値観から出発して、論理を積み上げ、
    結論(仮説)に到達します。


    ですから、

    価値観が異なれば、
    その積み上げる論理過程も異なり、結論も異なります。


    しかし、

    その学者の仮説のベースとなっている価値観に基づいて、
    論理を積み上げれば、

    他の人が検証したとしても、
    同じ結論に達することになります。

    私が、
    「科学は、検証可能な学問でなければならない」
    というのは、この意味 に おいてです。


    価値観が異なれば、

    その後の論理展開も異なり、
    異なる仮説に到達するのは、当然なことだ
    と、認められています。


    従って、

    学問上の論争は、

     1.ある価値観に基づく 論理展開 に
       瑕疵がないか ということ と共に

     2.その仮説が 拠って来たるところ の
       価値観の是非 について

    議論が展開されることになります。


    価値観についての論争は、

    「神々の争い」とも 言われるもの ですので、
    最終的には、物別れとなりますが、

    その論争を見ている人々が、どう判断するかによって、
    その仮説の価値が、判定されるのです。


    この意味から、
    法学、神学以外の学問は、

    学者個々人 の 書斎や研究室での
    それぞれの世界における 仮説の構築

    と、言うことができるでしょう。



    これに反して、

    法学や神学は、社会的な存在であり、
    その共同体、社会全体 に 影響を及ぼすもの なのです。


    即ち、

    神は、建前上
    全ての人 に対する 神 であり、

    法律は、
    いろいろな価値観を持つ人々に
    共通して 法的規範力 を 及ぼすもの なのです。


    「自分は、反対だから」と言っても、
    法律に反すれば、罰せられるのです。

    他の学問では、
    「私は、そう思わない」と主張することは
    可能ですが、

    法廷で、
    「私は、そう思わない」と言っても、
    法廷の決定に 従わねば ならないのです。


    言い換えると、

    世の中には、
    いろいろな価値が並存しているのに、

    法律は、
    法規範を構築している 一つの価値観 を、

    広く 人々に適用し、
    強制せねばならないのです。


    それ故に、

    法学は、
    ローマ法以来3000年近くにわたって、

      1.いろいろな価値観 を 有する人々に、
        共通して適用するために、どうすれば良いのだろうか?

      2.いろいろな価値観を持つ人が、 
        納得できるような解決 を もたらす
        と、同時に、

        いろいろな局面において、
        同一基準で 解決する方策 を 設定するには
        どうしたらよいのだろうか、

    ということを、
    試行錯誤しながら積み重ねてきているのです。


    その結果が、

    現在の民法典 を 始めとする「法体系」と、

    その学問的裏付けとしての「法学」
    なのです。


    そして、
    いろいろな(多様な)価値観 が 存在している中で、

    幅広く活動する人間社会 の 全ての事象 に 適用する
    法律の運用に当たって、

    法学教育において、
    リーガルマインド を 有する 人材

    即ち、
    妥当な解決法を 見つけ出し、導くことのできる 人材
    を 養成して、

    その人達に、法律の適用を委ねているのです。


    さらに、
    裁判を、三審制にして、

    リーガルマインドによる その事件における判断の是非
    について、

    また、
    リーガルマインドの名のもとの 恣意的な判決で ないかどうか、

    即ち、
    法律の適用 を 委ねた 裁判官 が、

      堕落していないかどうか、
      自分の思想信条(個人的な価値観)により 法を歪めていないか
      私利私欲により判断していないか
    等々について、

    二回も検証して、
    判決の妥当性を高めようとしているのだろう

    と、私は想像しています。



    追記 2018年1月20日 記述

    上記の拙文は、

    憲法9条論議の混迷は、
    法学の本質ーーリーガルマインドーーに由来するのでは???
    ・・・法学は、キリスト教神学同様 科学でないこと と、
       法律家は、リーガルマインドを 実定法より優先する
       と、考えていること について・・・
       http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-e8ca.html

    の 補足として 記述したものです。


    内容的に、独立していますし
    「法学とは何か?」についての 一つの見方でもありますので、

    今回、ブログ一つとして 掲載させて頂きました

| | コメント (0) | トラックバック (0)