スペイン

2023年7月13日 (木)

入院中に考えたこと  3.テキサス新幹線

6月の前半、腹筋の脱力と高熱により検査入院しました。
入院中に考えたことを、

ご参考までに いくつか
ご紹介させていただいております。

今回は、
テキサス新幹線が 実現の運びとなったことについて
お話しさせていただきます。


    ***********



テキサス新幹線が、今日まで認可が遅れたのは、
日米の安全基準の考え方が、180度異なっていて、
テキサス新幹線について、日本流の安全基準を適用するよう
交渉(説得)に時間を要したためということだそうです。

アメリカの安全基準は、
事故は避けられないものとの前提で考えて、

事故が生じた際に、
乗客の生命を守るための見地から
安全基準を定めているそうです。

このため、例えば、貨物列車の場合、
一番衝突の可能性のある先頭の機関車は、、
踏切でトラックなどと衝突しても、
びくともしないように
頑丈に製作するよう定めているのです。

これに対して
新幹線は、絶対に事故は生じさせないとの決意の許に
既存の路線とは別に、新幹線の設備を新たに建設して、
新幹線の敷地内に立ち入り禁止の法律を制定して
新幹線だけが走行するようにしたのです。

新幹線の適用する技術も、
最新の技術を使用せず、既存の使い込んだ技術、
言い換えると
何もかも技術陣が分かっている技術のみ を
使用しているのです。

また、
地震が発生した場合、いち早く地震を感知し、
地震の揺れが生じる前に、走行中の列車を停止させるシステムを装備させて、
東日本大震災の際に、一両も脱線さえせずに、
走行中の列車が停車させることに成功しているのです

この結果、
新幹線は、開業以来半世紀以上にわたって
新幹線側の責任による乗客の死傷者がゼロとの偉業を達成し、
現在でも無事故の記録を継続中なのです。

今回、テキサス新幹線の建設にあたって、
新幹線の安全基準が、テキサス新幹線に対する特例として認められたのは、
半世紀上にわたって新幹線が築いてきた無事故の実績を認められたからでしょう。

これを契機に、アメリカにおいても、
新幹線網やリニアモーターカーが建設されること を 
願っています。

JR東海さんは、
テキサス新幹線の運営に関して抜かりはないと思いますが、
素人が、一抹の不安を覚えるのは、
運営が、スペインが実施するということです。

スペインは、
スピードを出しすぎて、脱線転覆事故を起こしたことがあります。

また、
JR西日本の福知山線で、
ダイアを守ろうとして、スピードを出しすぎて、
脱線転覆事故により多数の死者を出したこともありました。

安全装置を運転手が切ってしまうと、運転手がスピードを出し放題となり、
脱線事故の原因となることは、台湾での事故などいくつか散見されています。

また、
私の学生時代、
国際反戦デイで新宿騒乱事件が生じた年に
品川駅 と 東京駅の間で、
新幹線と在来線が並行して走っている場所で、
デモ隊が新幹線の敷地に侵入したことがありました。

テキサス新幹線は、
新幹線の敷地に 外部の人間や動物が入らないように、
厳しく隔離しているのだろうと思いますが、

万が一にも、上記のようなことが生じて
新幹線の敷地に侵入するようなことがあってはならないことですので、
念には念を入れて、JR東海さんがご確認くださることを願っています・

 

 

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2008年11月20日 (木)

「ネイションという神話」第1回 ユダヤ人が、民族として存続した理由

ギアリの「ネイションという神話」を読んで考えさせられた事柄について、
今後何回かにわたって述べさせていただきます。

最初に、
「ユダヤ民族が、民族として存続した理由」について
お話しさせていただきます。

ユダヤ人は、
1000年以上にわたって、いろいろな国で、
区別や差別、更には迫害を受けながらも、
民族としてのアイデンティティを持ち続け、

第2次大戦後、
イスラエルを建国して自分たちの国を持った、希有な民族なのです。

民族移動期に登場した
ゴート人、ヴァンダル人、フランク人、

更には遅れてきた
ノルマン人などのゲルマン人は、

支配者としていくつもの国を建国しましたが、
いつの間にか歴史の中に埋没して、消え去ってしまいましたのに、

国を持たなかったユダヤ人が、
「20世紀まで、民族として存続してきたのは、何故だろう」
と、長年疑問に思ってきました。

今回
ギアリの「ネイションという神話」で、

スペインにおいて

① ゲルマン人である西ゴート人が、
  ローマ人と融合して、民族としてのアイデンティティを喪失していく過程 と、

② ユダヤ人が民族としてのアイデンティティが形成されていく過程

を、読んでいて、

「なるほど、そういうことか」と一つの仮説が思いつきましたので、
ご参考までにご紹介させていただきます。

    パトリック・J・ギアリ著 「ネイションという神話」169㌻~176㌻(白水社)


まず最初に、

スペインでの西ゴート人とローマ人との融合 と
ユダヤ人の民族としての形成過程についての
ギアリの記述を、ご紹介します。


1.スペインでの 西ゴート人とローマ人の融合

507年 ヴウィエ(ヴィエ)の戦い で、
西ゴート王 アラリック2世 が、
フランク王 クローヴィスに敗れて 戦死した後に、

西ゴートは、
トゥールーズ(トロサ)より スペインのトレドに移動しています。

    ヴィウィエ(ヴィエ)  ポワティエ の南 15km

スペインでの西ゴートは、
徐々にスペイン在住のローマ人と融合していって、

約100年後には、
西ゴート人とローマ人の2つの民族が、
一つの民族 即ち スペイン人 となったのです。


ギアリ は、
この融合過程を、4段階に分けて記述しています。

< 第1段階 > 500年代前半の数十年間

西ゴートは、
ローマ人と区別する 次の政策 を とりました。

  1.ゴート人 と ローマ人 との間の結婚 を 禁止
  2.アリウス派信仰の固執(ローマ人は カトリック信仰)
  3.ローマ人と異なる ゴート風の衣装 を 身に付けた

ギアリーは、
この最初数十年間で、

ゴート人とローマ人をそれぞれ単純化する役割を果たした
と、記述しています。

西ゴートは、
移動を始めてから1世紀以上かけて、スペインに定着したのでしたが、

移動の過程で、
スエビ人、ヴァンダル人、アラン人など
いろいろな民族(集団)を、取り込んできました。

これらの多民族集団が、
スペインに落ち着いた後の数十年間で、
「一つのゴート人」としてのまとまり を 持ったというのです。

他方、
ローマ人の方も、

スペイン在住 の ローマ市民 や
ギリシア正教 の ギリシア人、
シリア人、北アフリカからの人々などの
多種多様な集団が、

同じように、
「一つのローマ人」 として まとまった と、記述しています。


< 第2段階 > 500年代半ば

「ゴート人とローマ人 の 区別を撤廃しよう」
との動き が 生じてきました。

ゴート人とローマ人の結婚 は、禁止されていましたが、
実際にはある程度生じていました。

また、
西ゴート王国の経済を支配していたローマ人 が、
政治権力の外側に置かれていた状況 を 改善しようとするのは、
当然のことでした。

しかも、
ゴート法では
「ゴート人とは」との定義が定められていなかったため、

西ゴート王 が、
「ゴート人」と認めれば、
「ローマ人」でも 「ゴート人」として取り扱われたのです。

(注) ゴート人 が 移動の過程で、いろいろな民族 を 取り込んできて、
   スペイン定着後、それらの人々が「一つのゴート人」という民族となった、
   ということを、思い起こしてください。

さらに、
西ゴート王は、

暗殺や党派対立
各地の分離傾向 に 苦しんでいました。

ゴート人が、
小規模かつ孤立した軍事エリートである間は、

スペイン全土を支配できる可能性が、きわめて限定的である故に、
ローマ人を取り込むことが、統治の重要な懸案だったのです。

ですから、
西ゴート王に対して反乱した者が、

多数派のローマ人の支持を得るために、
カトリックに改宗することも生じていましたし、

強力な後ろ盾を求めて、
東ローマの軍隊 を スペインに呼び込むことさえ行われたのでした。

554年
東ローマ皇帝 ユスティニアヌス大帝は、

西ゴート王 アギラに反乱した アタナギルドの要請を受けて、
スペインに ヴィベリウス を 派遣しています。

アタナギルドは、
セヴィラ(セヴィリア)の戦いで、アギラに勝利して、
西ゴート王に即位していますが、

東ローマ を、
スペインに呼び込んだことは、
西ゴートの存亡 を 危うくする事態でした。

ユスティニアヌス大帝 は、
ベルサリウスを 北アフリカ カルタゴ の ヴァンダル に 派遣して、

534年
ヴァンダル王ゲリメールを捕らえて、ヴァンダルを滅亡させ、

その後
約20年間のゴート戦役を行って 

553年
イタリアの東ゴートを滅亡させ、イタリアの支配を回復させています。

アタナギルドが、
東ローマ軍をスペインに呼び込んだのは、
東ゴート を 滅亡させた 翌年であり、

「次は西ゴート」と、
ユスティニアヌス大帝が、考えてもおかしくないタイミングでした。

なお、
ちょっと横道にそれますが、

アタナギルドの娘が、
フランク王(アウストラシア王)ジギベルトと結婚し、
6世紀後半のフランク史の主役だった ブルンヒルド です。


< 第3段階 > 570年代~580年代

西ゴート王 レオヴィギルドによる ゴート人とローマ人の区別の打破
    西ゴート王 レオヴィギルド 在位 568~586 18年間

西ゴート王 レオヴィギルドは、

バスクを制圧し、
スペイン西北部 ガルシア地方のスエビ王国を併合して、
西ゴートの王権 を、 スペイン全土 に 拡大させた王様です。

また、
在位中に、
東ローマの拠点であった コルドヴァ を 奪還しています。

(注)オストロゴルスキーによると、
   西ゴートが、最終的に スペイン南部の東ローマを駆逐したのは
   624年頃です。

   (オストロゴルスキー「ビザンツ帝国史」105㌻)

西ゴート王 レオヴィギルドは、
異なる民族間の結婚禁止 を 取り消して、

カトリック が 禁止していた アリウス派との結婚 を、
カトリック教徒 に 促そうとしました。

このために、
アリウス派の教義 を 一部修正させて、

カトリック教徒 が、
アリウス派に改宗し易くする措置をとっています。

ローマ人とゴート人の障壁を取り除いて、
アリウス派ゴート人主導による ローマ人とゴート人の「融合」、

即ち
「社会的文化的な統合」の試み は、

カトリック教徒に、
教会法を無視することを求めるものでしたので、

正統派カトリックの司教達の強い抵抗により
失敗に終わりました。


< 第4段階 > 589年 トレド教会会議

西ゴート王 レカレド による
西ゴート王国 の アリウス派より カトリックへの改宗
    西ゴート王 レカレド 在位 586~601 15年間

西ゴート王 レカレド は、
前任の西ゴート王 レオヴィギルドの次男です。

レカレドは、
即位した翌年の587年に
カトリックに改宗し、

その2年後の589年
トレドの公会議で、
西ゴート を、アリウス派より カトリックに 改宗させました。

レカルドの目指すところは、
「新しい統一的な社会」の創設のとどまらず、

ゴート人か ローマ人か という 伝統的な二分法を超越した
「キリストにならう者達の共同体」だった
と、ギアリ は、記述しています。

ゴート人の王が、
アリウス主義を捨てて、カトリックに改宗したとき、

西ゴートの ゴート人 と ローマ人 の 「2つの民族」が、
キリストにならう者達の「1つの民族」となったのです。

ゴート人 と ローマ人 の 社会的文化的な統合の分野 では、
ゴート人が、ローマ人に吸収されましたが、
ゴート人のアイデンティティは、なくなりませんでした。

西ゴートにおいて重要なのは、

富や権力や祖先ではなく、
「西ゴート王国とのつながり」だったのです。

王国とのつながりさえあれば、
民族的には ゴート人でないものでも、ゴート人となったのです。

また、
ギアリは書いていませんが、

彼らが、
西ゴート王国滅亡後、レコンキスタの担い手となったスペイン人であり、

「カトリックへの改宗により、スペイン人 が 誕生した」
と、言って良いのだろうと思います。


ドプシュは、

カトリック信仰が受け入れてから、
公会議の影響力が際だって発揮され、

公会議に 俗人の有力者までが登場して、
公会議 が、正式の王国会議に発展した
と、記述していますが、

ギアリのいう、
カトリックの司教達が指導する「キリスト教徒の共同体」が、
いかに強力なものだったのかが理解できます。          

    (ドプシュ「ヨーロッパ文化発展の経済的社会的基礎」520㌻)


(注) タナーは、
    589年のトレドの公会議で、

    ローマ教会 と ギリシア正教 が 分裂する名目となった「フィリオクエ」が、
    ニカイア信条 に 付け加えられたと記述しています。

    (タナー「教会会議の歴史」43㌻)


2.ユダヤ人 の 民族としての形成過程

ギアリは、

「キリスト教徒の共同体」の成立が、
「ユダヤ民族を誕生させた」
と、記述しています。

キリスト教徒の共同体が成立するまで、
ユダヤ人は、
ローマ人に属していました。

そのローマ人が、
キリスト教信仰 と ローマ人であることとが、
今まで以上に強く結びつけられた

「ゴート人と融合した キリスト教徒の共同体」
に 属することになったことにより、

ユダヤ人は、
ローマ人アイデンティティ を 失って、
「ローマ人 とは 見なされなくなり」、

「自らのエスニック」を 形成した、

即ち
「ユダヤ民族」が 形成された、
と、記述しています。

さらに、
ユダヤ人は、

近隣のカトリック教徒から嫌われ、
ユダヤ人に対する「区別」が、「差別」となり、
ユダヤ人の排除と迫害にと、進んだのでした。

ドプシュによると、

ユダヤ人への迫害は、
西ゴートのカトリックへの改宗からまもない
西ゴート王 シシブト の時代に 始まったとのことです。

    西ゴート王 シシブト 在位 612~621

    (ドプシュ「ヨーロッパ文化発展の経済的社会的基礎」903㌻)

しかも、
ギアリは、

この動きは、
ビザンツ帝国でも同様の展開が見られたが、

西ゴート の 排除と迫害の方が遙かに激しかった、
と、記述しています。

ユダヤ人は、
すさまじい圧力がかけられて、

キリスト教への洗礼 か、
残酷な刑罰 か、
の 決断を 迫られたのでした。

また、
西ゴート王の定めた法 は、

キリスト教 に 改宗したユダヤ人 でさえも、
キリスト教の敵 であること が 含意されていた、
と、記述しています。

そして
1世紀後には、

最終的に、
すべてのユダヤ人を「奴隷化する」との
反ユダヤ立法 が 制定されました。

(注) ギアリは、
   ユダヤ人奴隷化の立法は、
   西ゴート王 エルウィグ が行ったと記述していますが、

   この法律は、
   694年に 制定されているはずなので、
   エルウィグの次の西ゴート王 エギカが制定したのだろうと思います。


以上が、ギアリの記述のご紹介ですが、

ユダヤ人が、
キリスト教社会で 区別され、差別され、
時には迫害を受けたことが、

ユダヤ人が民族として
1,000年以上存続させた所以だろうと思います。

ユダヤ教を信ずる ユダヤ人一人一人 が、
ずっと継続して、

「おまえはユダヤ人だ」 と 周囲のキリスト教徒から指さされ、
社会から排除されてきたのです。

いわば
「時効の中断」が、常に繰り返しされてきたのです。

多分、
キリスト教徒となったユダヤ人は、キリスト教社会に溶け込んしまい、

ゲルマン人 が
いつの間にかゲルマン人でなくなったのと同様に、

時間がたつにつれて、
ユダヤ人でなくなったのでしょう。

ユダヤ教を信ずるユダヤ人が、
個々人レベルで差別されたことにより、

皮肉なことに、
ユダヤ民族として存続したのだろうと思います。


ご説明は以上ですが、

「ユダヤ人が、ローマ人だった」、とか、
「6世紀末から7世紀にユダヤ人が民族として成立した」、
との文章をお読みになって、

「ちょっと違うのでは」
と、お考えになる方がおられると思いますので、

次回は、、
何故 ギアリがそのように記述したのか、
私が理解するところを ご説明させていただきます。

    次回 「ディアスポラ(離散の民)について」
    http://hh05.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-6652.html




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2007年10月 1日 (月)

「繁栄と衰退と」

岡崎久彦著
「繁栄と衰退と」(オランダ史に日本が見える)
(文芸春秋社)


          **********


本書は、
外交官であられた岡崎さんの憂国の書です。

「オランダが、イギリスに 敗北し 衰退した状況が、
 1990年頃までの日本と重ねあわせられるので、
 日本の将来を考える際の教訓が得られる」
との論証は、説得力があります。

過去の歴史は、現在や将来を考える上の参考になる
と、よく言われますが、

17世紀のオランダと日本の政治構造が、
これほどぴったりと重なっていることを指摘された岡崎さんに
敬意を表します。

特に、
オランダを衰退させた宰相 ヤン・デ・ウィットを髣髴させる

国益を無視して 党派の利益を優先する
小沢代表率いる民主党が、参議院で多数を占めるようになった
最近(2007年秋)の政治状況においては、

この本が書かれたときよりも、
議論されていることの重要性が高まっているな
と、感じられます。

(注)私は、
   民主党だけでなく、自民党に対しても、 距離を置いて見ています。


岡崎さんの政治的立場に
反感を持つ方もおられるのでは思いますが、

立場を問わず、
今後の日本の行く末を考えてみよう とされる方に、
一読をお勧めします。


          **********


本書は、
前半部分が、読みづらい本であろうと思います。

著者の意見を理解してもらうために、

16世紀から17世紀にかけての
ベルギー(スペイン領ネーデルランド)、オランダの歴史
を、記述していますが、

特に、
16世紀(1500年代)のスペインに対する独立戦争の経緯は、
読み進めるのが困難と感じられる方が、多いのではと思われます。

もし、
そのように感じられたら、

細かいことは 後から調べなおそう との 気楽なおつもりで、
是非とも読み進めて頂きたいと思います。

というのは、
この部分は、
著者が言いたいことを理解してもらうための
「前段の記述」であるからです。

また、
歴史書というのは、最初理解しづらくても、
一度読み終えて再読すると、よく理解ができるものであり、

本書も その典型であろう
と、思われるからです。

17世紀の記述になると、
イギリスとオランダ
その後、
フランスとオランダとの 単純な関係の歴史となるので、
読みやすくなるし、

この17世紀のオランダこそが、
著者が憂える日本 と 対比されるべき対象なのです。

ここまで来ると
その後は、
一気呵成に終わりの結論まで 読み終えることができる
と、思いますので、

くれぐれも 途中で中断されないように、
著者に成り代わってお願い申し上げます。


          **********


岡崎さんの歴史観は、

ギリシア、ローマのあとは、
中世を飛ばして
宗教改革以降に飛んでしまう、

ヨーロッパのアカデミックな伝統を引き継ぐものと思われ、

必ずしも
私と一致するものではないような感じがしています。

しかし、
本書の対象とする分析においては、
トータルの歴史観は大きな支障をきたすことにはならないので、

この点についてのコメントは、
別の機会にさせていただきたいと思います。




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2007年3月30日 (金)

「皇帝カルロスの悲劇」

藤田一成著「皇帝カルロスの悲劇」(平凡社)


日本でも
この様な質の高いヨーロッパの歴史書が出てくるようになったのだな
と、感心しました。

最初の予想と異なり 面白く 一気に読んでしまいました。

カール5世の最晩年の状況は この本で十分だと思います。
また、
本書の最初の部分の カール5世の伝記の要約 も なかなかでした。

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